現代の国語教育の改定
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は179回、先日、現代の国語の教科書の版数に小説教材が掲載されるというニュースが飛び込んできました。
このことについて、思ったことを現場の先生感覚で語りたいと思います。
難しいことを語るつもりはありません。難しいことを語り出すと、いろいろと問題が起きるので、一教員がなんとなく思っていることをゆるゆると語りたいと思います。
この教科は、現代の国語という教科と言語文化という科目に従来型の国語総合が分かれて、大掛かりなカリクラム改編が行われたわけですけれど、
この現代の国語は、もともと書くとか話すとか言った、そういう言語活動に、もうちょっと生徒を取り組ませて、その力を伸ばそうという目論みが当初あったわけですね。
そこに小説は入れずに、小説は近代の文章という扱いで、言語文化の方で扱おうというような文部科学省の指針が出ていたにもかかわらず、
実際に教科書で小説を掲載した教科書が検定に合格してしまったんです。
そうじゃなくても、現場では言語文化は古典の文法とか古典の読解とかもやらなくちゃいけない上に、近代の文章までやらないといけないということになると、とても時間がないというので、
なので、現代の国語の方に小説を扱えるような、そういう教科書を採用した方が、より古典の力を育成できるのではないかと。
ということで現場は現場の実態により合っている方の小説教材を現代の国語に載せた教科書が多数採択されて、結果シェアが高くなってしまったと。
他の誠実に文部科学省の指針に従って作っていた教科書会社は、返ってとばっちり送ったというか損をしたというか、そういう状態になったわけですね。
それで他の教科書会社も小説の掲載をわざわざ見送ったのに、不満たらたらということになっておりまして。
現場は現場で、やっぱり小説教材が教科書に載っているから、これ合格したんだからというので、堂々と現代の国語の時間に小説教材をやると。
そういう状態が続いておりまして、この度の改定で教科書、現代の国語の中に小説教材を掲載した教科書が半数を超えたということになったわけですね。
教員の意識と養成
だからそもそもの目標からずれた形で教科書がだんだんと改変されていき、当初の理想とか理念とか、現代の国語においてもっと実用的な文章とか、論理的な文章とか、それを読み書き、そして話すという言語活動を活発にしながらやっていこうという文部科学省の目論みとは違うところで、
現場の方でどんどん従来型の現代文の時間、古典の時間というような形に歪められているというような現状が浮かび上がってきたわけですね。
私はこういう問題を思いながらどういうことを思ったかというと、現場の先生はまず大学入試が変わらないと、変えようがないと。大学入試が変わらないと、この授業の形とかスタイルとか単位数とか教える内容とかも、大学入試が変わらないのに変わらないじゃないかという人が多いですね。
それから、現代の国語という教科についての会議的な意見も多くて、言語活動ばっかりやって何の力がつくのかというね、そういう先生も結構いらっしゃって、いわゆる経験主義教育が入り回る教育とかって言われて批判されたときのような、そういう切り口で批判的な先生もいらっしゃいます。
私はどう思ったかというと、そもそも国語総合という、あの時代にちゃんと国語総合的に扱っていきましょうと、そういうふうに設定されたのに、現場では4単位ものを2,2に分けて、現代文と古典というように従来型と変わらないような、そういうやり方でずっと取り組まれてきたという歴史があって、そこできちんとできないので、
もう現代の国語できちんと言語活動やろうや、みたいな感じの設定にしてきたんだけど、それでも現場の教員の理解を求められなかったというこの実態は、やっぱり文部科学省が教科書を変えただけでどうにかなるというふうに思うのが、ちょっとおかしいんじゃないかなと私は思ったわけですね。
だから現場の先生のマインドセットを狙いに行かなくちゃならないと思うんです。現場の先生のマインドセットをどうやってやるかというと、まあ手っ取り早いのは研修をするということで、国語総合時代にもっと研修をしとけばよかったんじゃないかなと思うんだけど、それは私の甘い考えなのかな。
あともっと根底的に言うなら、教員要請の問題でもあると思うんですよ。国語科の教員を要請するそこで、国語を総合的に扱いましょうというようなことを教えるというのを徹底的にやっておかないで、つまり教員要請、つまり大学の教員要請過程での手こいでというのを怠っといて、教科書を変えれば何とかなるとか、
現場の先生たちの意識が低いとか、そういうのがちょっとなんかね、やり方が結局現場丸投げ主義。ボーンと教科書だけ変えて文書だけ出しとけば、学習指導要領だけ出しとけば現場が動くんじゃないかっていうのが、ちょっとそういうわけにはいかないんだよっていうのが私の意見ですかね。
だから本当に変えようと思ったら教員のマインドセットを狙いに行くしかないと思うので、やっぱり大学の教員要請過程のカリキュラムを変えるとか、大学の教員要請過程のあり方を変えるとか、そこらへんからやっていき、さらに教員の研修をちゃんと時間的にも保障する、現場丸投げにしないっていうのが大事なんじゃないかなと思っています。
ということで、この現代の国語問題は行く末どうなっていくのかなっていうのがわかんないけど、まとめると私の意見は本当に変えようと思ったら現場の先生の研修する時間をきちっと確保して、ちゃんとそれ相応の機会を保障するということと、大学の教員要請過程を見直していくということ、この2本柱が重要なんじゃないかなと思っています。
ということで、現場の先生がよくわかんないで、勝手に現場感覚で感想を述べたという回ですので、いろいろツッコミどころは満載じゃないかと思うんだけれども、私の現場感覚での意見でした。
国語の教育がより豊かに、そして生徒が生き生きとできるようにっていうことが私の当面の目標と言いますか、第一目標なんで、これからもそれを大事にやっていきたいと思います。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。