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こんにちは、横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
さて、今回は皆さんにお礼があります。
今日ですね、先ほどスタッフさんの方から3000回いいねされましたよ、というお知らせが届きました。
本当にいつもありがとうございます。
私は毎日配信をしているわけでもないですし、ライブも時々しかやりません。
それでも、たくさんの皆様が3000回もいいねをしてくださったこと、本当に本当に感謝申し上げます。
いつも聞いてくださる皆様、時々聞いてくださる皆様、そして初めて聞いてくださる皆様、本当に本当にありがとうございます。
私もなんだかんだとスタッフを始めて9ヶ月になっています。
スタッフの世界、私はとっても大好きです。
今となっては欠かせない親友のような、そんな存在になっています。
いつもお伺いする皆さんの声が聞こえないと寂しいなと思ったり、
今日はこの人の配信ちょっと聞いてみようかなとか、
この人最近聞いてないからまた見て聞きに行こうかなとか、
知っている方がライブをされていると、
誰々さんライブやってる、ちょっと顔を覗かせてみようかなという感じで、
本当にスタッフを始めて自分の世界がどんどん広がって、
とても新しい発見や気づきがたくさんありました。
これからもどうぞよろしくお願いします。
そしてですね、今回は私の人生、大葬祓として前半と後編に分けて、
自己紹介も兼ねた人生編歴を少しお話ししていきたいと思います。
誰にも有益情報は何もないですし、
何をぐちゃぐちゃと自分のこと話してるんだっていう感じもあると思うので、
こちらでポチッと切っていただいて構いませんかね。
なおちゃん先生って一体どうやって育ってきたんだろうとか、
どうやって今の感じになったんだろうっていうのが興味がある方は、
ぜひぜひそのままお耳を拝借できたらと思います。
さて私はですね、五代目浜っ子です。
私はこの地にですね、私のひいおじいちゃんのおじいちゃんが江戸からこちらに来たというふうに聞いております。
そこから横浜の地でずっと商売を営んでおります。
人営業の父、専業主婦の母、2人の弟を持つ長女であります。
小さい頃から頑固で、ですが人見知るをしない明るい性格でマイペースだったと母は言われます。
有名なね、有名だというか自分のことだから有名も何もないんですけど、
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よく置きからされていたエピソードとしては、幼稚園の時に年長さんで、
次小学生になるという時にですね、園長先生と担任の先生に母が呼び出されまして、
あまりにも私には協調性がないので、このまま小学校に上がると集団生活大変ですよ。
今からみんなと何か一緒にやることをならしてくださいというふうに言われたそうです。
どんだけマイペースなんでしょうね。
そこで母が返した言葉が、それもこの子の個性ですから困るのは私ではありません。
自分が困ったら自分で何とかしようとするでしょうと答えたそうです。
この母にしてこの子ありという感じですよね。
そんなサバサバ系の母に私は育てられて、父もねまあまあ厳しい人ではありましたけれども、
何一つ不自由することなく大きく育てていただきました。
うちはね、もう典型的なザ・昭和・ザ・停止感覚の家でしたので、
父の言うことはもう絶対、白も黒、黒も白という感じでね、
彼を中心に世界が回っているというようなザ・昭和な家庭でございました。
私はね、小学校に上がっても歩みにですね、
社交性は社交性あり、協調性なしと書かれる珍しい子供でありましたね。
私が小学校2年生の時に今の町内に越してきました。
そして新しいマンションに引っ越しをしたんですが、このマンションはペットが飼えるということだったんですね。
そこで私はもう連日のようにペットが飼いたい、ペットが飼いたいと言って、
その辺にいる野良猫を拾ってきてはこの子を飼ってほしいと言って、
親にダメと言われて泣く泣く里親探しをするということを3、4回繰り返していましたね。
その後ハムスターを飼ってもらったんですが、何を間違ったのか頭蓋で飼ってしまったために
どんどん増えて、親戚一同もこの辺に住んでいるのでね、
親戚一同、友達一同、果ては小学校に寄付をするというところまで来て、
最終的にはハムスターは二度と飼いませんという誓いを立てさせられました。
それで最終的にワンちゃんを飼ってもらうことができたんですね。
このワンちゃんが私の運命の別れ道で、当時近くにあったステイヌ処分所ですね、
築犬センターと言われるところから自転車のカゴに入れて連れて帰ってきたことを覚えています。
とっても可愛らしい子だったんですけれども、とってもビビリ屋さんでとっても気が小さい純雑種でしたね。
ですが丈夫で、16歳まで私たち家族と一緒に過ごしてくれました。
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私が小さい頃ですね、祖母が母方の祖母なんですけれども、幼稚園の近くに住んでおりまして、
この祖母が犬が好きな人で、犬も猫も好きなんですけれども、
私が小さい時にラフコリー、大きな大型犬を飼っておりました。
ラフコリーを連れて時々幼稚園の迎えに来てくれるんですけれども、
私はそのワンちゃんに乗って帰ったと祖母に言われたぐらいです。
小学校は地元の小学校に通っていました。
私が小学校5年生の時に突然、私は母親に中学受験をすると宣言しました。
なぜ中学受験するなんていきなり突拍子もないことを言い始めたかというとですね、
当時私のクラスにとってもやんちゃな女の子がいまして、
その子のお兄ちゃんというのが地元の中学で一番のふだつき悪でしたね。
とても有名だったんですね。
その中学時代もかなり悪くて、県下では有名な悪い学校だったんです。
当時、校長先生を生徒さしてということで全国版の新聞に載るぐらいの学校だったんですね。
二言目には私はその女の子に、
あんたなんて中学に行ったらお兄ちゃんにボコボコにしてもらうんだからと言われたんですね。
私はそれは絶対避けねばならないと思って、
私は中学受験して私立に行くからあんたなんか関係ないわよというふうに、
全く勉強もしないのに言ってたわけです。
そして小学校5年生になって、これはさすがに勉強し始めないとまずいと思って、
中学受験をすると言い始めたんですけれども、
それまでも勉強も好きじゃないし、成績も良くないし、
そんな子がいきなり中学受験すると言い始めたので、家族はてんてこまいですよね。
父は私に怒って、女なんか勉強できなくていい、男を見る目だけ養っとけとか言って、
どっかの元オリンピック担当大臣、真っ青の男尊女卑の家庭満載だったんですけれども、
そんなふうに言われながらも何とか何とか中学受験に引っかかってもらって、
1校受かったのでそこの学校に何とか入ることができました。
中学高校は中高一環ののんびりした学校だったので、
私は遊びほうけてのらりくらりと過ごしていました。
その頃はとにかく二次元、二次元、二次元でしたね。
本はもちろん小学校の頃から大好きで、毎週毎週図書館に通い詰めるような文学少女だったんですけれども、
そこから漫画、アニメ、そしてゲームと禁断の二次元ワールドへどんどんとのめり込んでいきました。
今でも後悔するのは制服の恋をしておけばよかったなということですね。
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周りが何々クラスの誰々くんかっこいいよとか何とか先輩がとか言ってる間、
私はひたすらひたすら早く帰って漫画を読むとかゲームをやるとか、
アニメの主人公に心をときめかすという、かなり痛めのJK時代を過ごしていましたね。
当時はアムロちゃん前世期で、細い眉とミニスカートにルーズソックスという前世期だったんですけれども、
私はもう一つ後悔したことがあったといえば、アムロちゃんになれるはずもないのにですね、
眉毛を抜きすぎて今では半分しか生えてきていないということですね。
学生のみなさん制服の恋してくださいね。
そして中学卒業し、高校後そのままいきまして、高校から大学受験を考える時期になりました。
私はもともとは大学受験はしないというふうに宣言をしていたんですけれども、
中学の頃から私は犬の仕事をやりたいなと思っておりまして、高校になってその思いがますます強くなりまして、
盲導犬訓練士になる専門学校に入りたいと言ったんですね。
そうしましたら親のほうから、17、8のミソラで一生の仕事を決めるなんてちょっと早いんじゃないかと。
大学に入っていろんな世界を見て、いろんなお付き合いを人との男女は変わらずですよ。
もう少し広い視野で見て自分のやりたいことを決めたらどうというふうにアドバイスをもらったので、
大学に行ってみるかということで大学受験をすることになりました。
お世辞にも成績がいいほうではなかったので、勉強するの嫌だなと思ったんですけれども、
その時に父からアドバイスをもらいました。
それは、社会に出たら自分の努力が報われるっていうことは、
そんなに往々にしてスムーズに結果に結びつくってことは少ないんだぞと。
だけど勉強っていうのは、すればすれだけ自分の肥やしになるし、
それだけ成果が目に見えてわかるものだから、
一年間死ぬ気でお前が自分でどれだけ努力をできるのか、
そして自分が努力したことに対してどれだけの成果が出るのかっていうのを、
学生のうちに知っておくいいチャンスじゃないかというような感じでアドバイスをもらったんですね。
私は単純なので、それを真に受けて、そうか、じゃあ一年間だけやってみようと。
ちなみにうちは留年と浪人は禁止をされておりましたので、
一年間死ぬ気で頑張ってどこまでできるのか、やれるのかやってみようというふうに思ったんです。
結果として志望校に受かったんですね。
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当時心理学を受験メインでしていたんですが、心理学科というのが花形ブームで、
どうしてもその学科だけ偏差値が高かったんですね。
なので心理学科に受かることができなかったんです。
どうしようかなと思ったんですけれども、
その記念受験で受けた歴史学科に合格しましたので、
私はもともとTBSの御長寿番組である世界不思議発見が大好きで、
いつか動物の仕事じゃなかったらミステリーハンターになりたいと思っていたので、
世界の歴史とかそういったものにもすごく興味があったんですね。
また予備校で受験科目に世界史を選択したんですけど、
予備校で出会った世界史の先生がとっても面白い先生で、
もっと世界史を詳しく知りたいと思うようになっていったんです。
その結果ふっと思いついた歴史学科、受験して合格したので、
全く就職には役に立たないだろうなと思ったんですけれども、
それは抜きにして歴史学に進むことになりました。
大学に入って歴史を真面目に勉強していたかというと、
これがこれがまたそういうわけではなくて、落ちてしまったんですね。
受験にではないですよ。恋に落ちました。
遅すぎる初恋。
入学と同時に、ほぼ入学と同時にですね、
1ヶ月以内に一目惚れをある男の子にしまして、
そして3回振られて、4回目でお付き合いをしてもらうことに、
どんだけストーカーなんだって感じなんですけど、
していただきまして、4年間、正確には5年間、
彼とはお付き合いをさせていただきました。
大学時代の私の思い出と言ったら、
彼との青春時代とバイトに明け暮れたということですね。
歴史の勉強はどこ行っちゃったんでしょうね。
そしてですね、いよいよ大学4年生になりまして、
みんなが就職活動でわたわたしている時にね、
私もなんかしなきゃいけなそうな雰囲気になって、
親にねリクルートスーツを買ってほしいという話をしたんですよ。
そしたらね、うちの親が怒りまして、
就職なんてね、いつでもできると。
お前はやりたいことないのかって怒られたわけです。
えーってリクルートスーツ欲しいって言って怒られるってどういうことみたいな。
父はね、自分も大学を卒業して2年半オクスポードのご学校に留学して、
ケムリチか、ケムリチのご学校に留学しておりましたので、
子どもたちには留学をさせたいと思っていたんですね。
なので留学はしないのかって言われたんです。
私はね、そんなに英語も好きではなかったですし、
留学したいと思ったこともなかったので、
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と考えて、じゃあ留学をする代わりに世界一周させてくれという感じで、
世界一周の案を出したんですね。
そしたら父がしょうがないなっていう形で、
じゃあ世界一周してこいっていう形で応援をしてくれたんです。
ということで、私は大学4年生の5月から3ヶ月、
学校を休学してですね、
6、7、8と世界一周の船旅に出たわけですね。
そのお話はね、今後皆さんに配信をしていきたいと思います。
長くなってしまいましたねやはり。
なので今度の後半戦はね、
社会人になってからのお話はこの後また続けていきたいと思います。
本日も最後まで聞いていただきありがとうございました。
ね、需要がどのぐらいあるかわからない。
また次回もよろしくお願いいたします。