2023-12-01 15:11

【第45回】私自身のことについて。~これまでの経歴など~

突然ですが、ここで改めて私自身の個人的な経歴などご紹介させていただこうかと思います😅誰からも求められておりませんが💦長くなってしまったので続きはまた次回になります🙇

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こんにちは、おあです。3児子育て中で、小学生の娘2人は、ホームエデュケーションを選択しています。
子どもたちが毎日を楽しく、自分らしく過ごせる社会にしていくために、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
今日はですね、私自身のことについて、改めてここで、経歴なども含めてお話してみたいなと思っています。
というのも、昨日の放送とかですね、ちょっと自分で聞き返してもですね、ちょっと酷くないですか?なんか怒り狂ってる。
なんかおばちゃんがツバ飛ばして、なんかめちゃくちゃ日本の教育について、なんか怒り狂ってるみたいな放送をしてしまいましてですね。
ちょっと恥ずかしくなってしまいまして、なんかこう教育の話になると、私もうあんなになっちゃうんですよね。
なので、ちょっと普通に、もうちょっと普通の人だよっていうことを皆さんに知っていただきたくてですね、
誰からも求められていないんですけれども、私自身のこれまでのこと、どういうお仕事をしてきて、今どんな感じで生活しているのかということを、
求められてはいませんけれども、勝手にお話ししていきたいと思います。
私はですね、1970年代生まれの、いわゆる段階ジュニア世代ってやつですね。
都内で生まれておりまして、父は大手のマスコミ業界でバリバリ働いていた、いわゆる企業戦士でした。
ほとんど夕食ですとか、食事を共にした記憶はあまりありませんね。
母は専業主婦でした。段階世代に育てられた子どもあるあるだと思いますけれども、
とにかくですね、小さい頃からピアノ、バレー、水泳、苦悶、いろいろな習い事をさせられてですね、
私はまだ女の子だったので、母は私をとにかくいいお嫁さんに育てあげようとしていたんです。
なので、別に女の子だから勉強なんかできなくてもいいんですよ。
ただ、やはりある程度の学校に行かないといいお相手には出会えないと思っていた節がありまして、
私を高校、大学といわゆるお嬢様系の女子高、女子大に入学させてですね、
おそらくいい会社みたいなところに一般職みたいなことで私を入社させてですね、
そこで働いている男性人と出会わせて結婚させるということを目論んでいたのではないかと思われます。
私自身はですね、結構やっぱり素直なタイプだったのかもしれませんね。
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結構言うことを聞いて、いい子ちゃんでずっと来たんですけれども、
高校に入ってやっぱり燃え尽きちゃってですね、かなりの新学校には入学したんですけれども、
そこでかなり燃え尽きてしまって、もうちょっとこれ以上頑張りたくない、頑張れないっていう感じになっちゃって、
変なバンドみたいなのにハマり込んでですね、家にも帰らないと夜、家でみたいな感じになっちゃったりですね。
その当時ですね、ちょうど私小ギャル世代なんですよ。
私の同じ学校の友人なんか、今思えばですね、いわゆるテレクラですとか、
パンツを売ってお金になる、なんだっけな、あんなのもやっている友人がいましたよね。
私はね、そういう道には行きませんでしたけれども、
勉強なんかつまらなかったですし、かといって自分がやりたいことっていうのも見つからなくて、
いろんな本を読んだり、音楽を一人で聞いたりっていう日々でしたね。
全然勉強しなかったんですけど、なぜか女子大に合格したもので、
まあでもね、そしたらね、一気に楽しくなったんですよ。
要は大学って選択肢じゃないですか、授業が。
なので自分が好きな授業が受けられて、しかもその授業がとても面白かったんですよ。
一つ一つマスコミの業界の先生が来ていたりとか、映画をただただ見せてその感想をシェアするですとか、
その当時はITが始まった頃でしたので、そういうこれから時代がどう変わっていくかみたいなのを、
いろんな企業の方が講師として来てくださって、お話ししてくださるとかって、
すごく今までの受験勉強、詰め込みではない、本当に自分が学びたいことを自分で選んで学べるっていう大学生活にすごく感動してですね、
とても楽しくなったんですね。
勉強するってこんな楽しいんだって、自分がやりたいこととか好きなことを勉強することだったら全然食うじゃないなって感じたんですね。
その当時の友人がたまたまバングラディッシュにNGOの活動で行って帰ってきた時に出会って、
私もそういう海外いろんなところ行ってみたいなって思って、アルバイトをいろいろしてですね、最初はタイに行きましたね。
あとインドにも行きました。
あとインドネシアのスンバ島というところにも行きました。
あとバングラディッシュも行きましたね。
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いくつかそういうNGO活動というのにのめり込んで、サークル活動には馴染めなかったんですけれども、大学以外のそういう場所、自分の居場所っていうのを見つけることができて、
大学時代はそういう意味ではやっと青春が来たっていう感じでしたね。
しかしですね、時代は就職氷河期でしたので、4年生になって就職活動をみんな始めるわけですけれども、
もう何十社と受けてもみんなのきなみ落ちて、本当にみんなうつみたいな感じになっている子もいましたし、
私も就職活動って言われても、そんなやりたいことって別にないわけなんです。
NGOでいろんな世界の国々で本当に頑張っていらっしゃる日本人の方ですとかっていうのを見て、すごいなぁとは思うけれども、
じゃあね、自分は何ができるのかって言われると、よくわからない。
自分がやりたいこととか好きなこととかできることって言われても、全然わからなかったんですよね。
ただですね、何か本を読んで書くっていうようなことは苦ではなかったんですよ。
つまり論文を書くこと、大学4年生で論文を書きますよね。
そのことはね、私楽しかったんですね。
なので、モラトリアム的な意味合いもありましたけれども、そのまま大学院に進学したいと思いまして。
親も女子大のそのままの大学院なので、文句も特に言わずに学費を全額出してくれました。
私は臨床心理師の資格が取れるコースに入りましたので、一応就職としては、そういう資格を生かせる場所のはずだったんですけれども、
就職を卒業したところでですね、もちろん正職員で採用してくれるような口はどこもなくてですね。
とある児童相談所の一時保護施設というのがあるんですけれども、そこの非常勤の心理職として潜り込みましたね。
同期が5人いるんですけれども、驚いたのはですね、同期が東大の大学院卒なんですよ。
東大の大学院まで出ても正職員にはなれないんだっていうのは本当に驚きましたし、ショックでしたね。
児童相談所の一時保護施設というのは、私がいたところは幼児さんから小学生までの主に虐待を受けて運び込まれてきたような子どもたちをお預かりする施設だったんですけれども、本当に壮絶な現場でしたけれども、
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それとはちょっと別でですね、当初非常勤職員として採用された時からですね、年々なぜか手取り額が減っていくんですよ。
最終的には5年で任期切れということで、切られるっていう世界だったんですね。
その頃確か臨床心理師の資格を正式に取ることができて、でも修士を卒業して資格まで取っても非正規職員という立場から抜けられないわけですよ。
年々手取り額が減っていくと、しかも1年とか5年とかの不安定な雇用でしたので、本当に当時は経済的にも精神的にもすごく不安でしたね。
あとですね、やはり虐待を受けた子どもたちのケアをする施設でしたので、終わりがないんですよ。もう次から次に心も体もボロボロになった子たちが次々運び込まれてきて、
そこに来る子どもたちのほとんどが自宅に戻されてしまうケースもありましたけれども、児童養護施設といわれる施設に入所していくわけですけれども、
家庭で虐待を受けて保護して、やっと児童養護施設に行かせられたとしても、今度はまたその児童養護施設の環境が大変な状況ですので、またそこで虐待を受けるというような負の連鎖が止まらないという状況をずっと目にしてきたんですね。
児童相談所の一時保護施設というのは、いわゆる救急病院みたいな役割なんですよ。とにかくボロボロになった子どもたちが次から次に運び込まれてきて、とにかく命の安全を確保する場所であって、そこに保護している間にその子たちの次の行き場所というのを見つけてあげて送り出す。ひたすらそれを繰り返す中間施設ですね。
自分のやっている施設の役割というのは本当に重要ですし、やりがいというのもわかるんですけれども、私はここでずっとこれをやっていても、どこにも未来がないなって思っちゃったんですよね。
逆体を受けた子たちを見ていて思うのはですね、その傷を治すということはもうほとんど不可能に近いんじゃないかなと。もう一生その傷を背負って生きていくことなんではないかと思ったときに、
じゃあやっぱりその逆体を受けないようにですね、逆体が起きないように予防というんでしょうか、もっと前段階からできることをしていかないとキリがないなって思ったんですね。
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ちょうど5年の任期が切れるというタイミングだったということと、私自身もう少し前段階の家庭に入れるようなお仕事をした方がいいかなって。
別の自治体の子ども家庭支援センターというところにまた非常勤職員という形で入りました。そこでは子育て支援がメインですので、子育てに悩んでいらっしゃるご家族をサポートするというお仕事だったので、
まさに私がもっと早い段階から介入したいと思っているところにお仕事としてできたので、やりがいもありました。ただここはですね、どちらかというと、子育て支援の中にはどうしてもですね、発達障害ということでの支援というのも入ってくるんですね。
同時に。この職場がまたですね、ほとんどが同じ私と同じように非常勤職員がほとんどを占めるという職場でして、結婚して子どもを産むってなったとしてもですね、先輩たちを見ていても、産休育休が取れないわけなんですね。
その自分自身の雇用形態ということに対しての問題解決は全くなされないままでしたし、虐待と違ってまた発達障害というかなりまたジャンルの違う専門領域をやっていく職場でしたので、私もそれなりに一から勉強し直したんですけれども。
この発達障害というのも私ね、やっぱりね、なんかどこかずっとモヤモヤしていたんですよ。しかもですね、そういう発達障害というふうに診断をしてですよ。そういう子たちを指導するって言うんですね。その目的は社会に適応できるようにするためだったんですよ。
今思えば私はその頃から何かこの学校という場所ですとか、この社会っていうものに当てはまらないものを、そういう障害だとかって言って排除していくような世の中の流れに何か違和感をずっと感じてたと思いますね。
なんていう話をしているうちにちょっともう15分近く経ってしまったので、どうしましょう。また次回以降ですね、この続き。まだまだ結婚のことも大変だったので、結婚についても誰も求めていない内容だと思いますけど、お話ししていきたいと思いますので、パート2に続きますということで、お楽しみいただけたらと思います。
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お聞きくださいましてありがとうございました。また次回お会いしましょう。いいね、フォローお待ちしています。
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