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2022-06-03 15:07

Ep133 私が『自分のための選択』を大事にしようと思ったきっかけ(1)

長すぎたので2回に分けてあります。浸りすぎて最後少し言葉を詰まらさせてますが、最後まで聞いて下さると嬉しいです。
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はい、みなさんおはようございます。このラジオでは、私、まっちゃんが自分の選択を信じて日常を豊かに面白くおテーマに、片付け、シンプルライフ、日々の学びについて、ほぼ毎朝10分ゆるくお話をしていきます。
掃除や片付けやサカツのお供に、ぜひ聞いてみてください。
今日朝、インスタのストーリーにあげたんですけれども、この度、あの、まっちゃんの、私の活動のウェブ上でのページをね、作りました。
っていうか、作っていただきました。はい。あの、まゆみさんっていうキレイなお姉さんに作っていただいて、
そう、すごい可愛いページになったんですけれども、まあ、せっかくにはね、あのホームページじゃなくて、LPページって言うんですが、
まあ、それを置いといて、はい。で、私の活動とか、私という人間がね、ぱっと見でわかる仕様となっております。
で、そのウェブページ上の中でも、実は、あの、選択っていう言葉が何度か出てきてるんですけど、
あの、ポッドキャスターの冒頭でもね、選択っていう言葉を最近めっちゃ言ってるんですけれども、
この選択って言葉は、私が今までの人生の中で学んで変化してきたことの一つ、大事にしていることなんですよね。
で、そのきっかけっていうものが一つ、人生の中で大きくあるんですけど、
そのきっかけとか、まあ、経験とか、その中で私が感じてきたことを、今日はね、まるっとお話をしていきたいと思います。
はい、もっちゃんヒステリン的な感じで、なので、あの、聞いてくださったら嬉しいです。
では、今日のテーマに早速、ヒストリーに移っていきます。
はい、というわけでですね、今日のテーマは、私が自分のための選択を大事にしようと思ったきっかけです。
子供の頃はですね、多分結構自分の意見を主張する子供だったみたいで、おじいちゃんからそのエピソードも聞いたことあるんですけれども、
そう、だから多分子供の時は、自分の意見とか別に考えたこともなくて、それを普通に自然としてたと思うんですよ。
多分皆さんもそうだと思うんですよね。
で、多分中学校、高校も別に自分で選択できてなかったなーっていう実感はなかったんですけど、
今思うと、結構人にどう思われるかっていう基準、親にどう見られるかっていう基準で動いてたんですよね。
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まあ長女っていうこともあったし、あの、学校の勉強であまり私困ったことなかったんですよね。
塾に入ってたっていうのが一番なんですけど、
そう、あの内心とかテスト勉強とかで悪かった記憶はあまりなくて、
そう失敗っていう経験をねしてこなかったんですよ。
そう、で高校受験も、あの一番頭いいところに行くとね、苦労するじゃないですか。
そう苦労するし一番になれないし、
なんかそういう一番頭がいい高校だと自分で勉強しなきゃいけないから、そういう自信もなくって、
好きだった人もね、そう、振られた人もそこの高校に行ってたんで、そこじゃなくって一個下の高校をね、そういう気持ちで選んで、
で、大学もまあ自分でめちゃくちゃなりたい仕事っていうものがあったわけじゃないけれども、
親にこの仕事はいいよって、手に職をつけたら一生お金に困らないよっていうことで、
そう、まあ医療職の仕事、資格が取れる大学に行ったんですけれども、
そう、でその大学を決めるとこの流れでもね、この人にどう思われるかっていう基準で私動いてたなぁってことがあって、
あの、私が今、今ちょっとやめましたけど、理学療法士っていう仕事はですね、結構偏差値が高いんですよ。
そう、あの医学部に入るところが多いんですけど、
そこだと私の頭では絶対国公立はいけないって分かってたので、
でも国公立の方が私立よりもすごいと思われるんでしょう。田舎では。
そう、多分都会では真逆だと思うんですけど、だから国公立の推薦枠に看護師さんなら行けるかもしれないみたいな話を先生に言われた時に、
じゃあちょっと私はあの助産師さんにも興味があるから、そこ受けてみますって言ったんですよ。
そう、でも今なら素直に言えるんですけど、ナースさん、看護師さんは当時、私は一番なりたくない仕事で、
そう、で、まあナースでも、その家庭でね、助産師の専攻に移ったら助産師にもなれるから、助産師になりたいって言っておこうかなぁみたいな、すごい見にくい理由で、そうなったんですよ。
で、私のね、すごい仲良かった子も、心から助産師になりたくって、無事推薦を通ったんかな、とりあえず国公立に向かって、今ね、今お子さんで助産師の仕事はしてないんですけれども、
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その子は助産師に心からなりたくって、無事助産師さんとして働いてたんですけど、そう私はね、普通に落ちたんですよ、その推薦をね。
で、まあ、なりたい気持ちもそんなになかったから、まあ落ちてもしょうがないかぐらいの思ってたんですけど、
で、そう、で、ここでまたあのね、理学療法士の学校を普通に受ければいいんですけど、それでもやっぱり人にどう思われるのかっていうのが一番にあったから、国公立のナースの学科を受けたんですよ。
で、でもやっぱ看護師さんになりたくないなと思って、それを蹴って、で私立のその理学療法学科のあるところに行ったんですけど、
なんか畑から見たら何やってんねんって思うじゃないですか、そう、多分親もそう思ってたんですけど、でありがたいことに最終的には自分の気持ちを優先してナースやなくてその理学療法学科に行ったんですよね、そう。
私立だからお金もかかるのに、そこに行かせてもらったことは本当に感謝してるんですけれども、まあ行かせてもらったんですよ。
で、無事、勉強も終わって、国家試験も通って、さあ社会人になろうって言った時に、あの職場を探すのがめんどくさかったのと、いまいち心の底からなりたいと思ってた仕事じゃなかったから、
どういう勉強をして、どういうところで働きたいかっていうのがあまりなかったんですよ。そう、まあない人の方がね多いと思うんですけど、私もなくって、
で先生の紹介で、大きい市民病院が、枠があると、だから受けてみないかって言われた時に、市民病院、公務員、給料いい、
あのすごい世間体がいいって思ったんですよ。だから迷いもなくそこを受けたんですよ。で、見学もせずに、そこの病院の中身とか人とかもあまり確認せずに、
前日まで海で確か遊んで、で次の日試験を受けに行ったら、そう普通に通ったんですよ。そう、受かるわけでないと思ってたんですけど、公務員ですから。
でもね、受かっちゃったんですよ。たまたまね。そしたら、5人受かるはずだったのに、そもそも初日に3人しかいなくて、そこでちょっと私もあれって思ったんですけどね。
まあでも公務員に受かったしと思ってウキウキしながら働き始めて、なんか働き始めたら結構しんどかったんですよね。
なんかあれって、なんかしんどいなと思って。で、その3人いるうちの1人が2週間で辞めたんですよ。公務員をですよ。
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2週間で辞めて、あれおかしいなぁと思って、で、あと他にもなんか変だなと思ったのが、私らのみたいな若い年代とか新卒1年目と何十年のベテランの間の人が全然いないんですよ。
そう、これって、当時は知りませんでしたけど、やばい職場の典型的な例らしく、あの中年層が真ん中がいないっていうことで、私の指導してくれた人は、その少し上の人っていうよりかは本当にあのその職場のトップ、副主任ぐらいの人だったんですよね。
で、その人はね、あの最初はいい人だと思ってたんですけど、なんだろう結構、結構しんどくなってきて、夜もね、10時とかまで働いてたんですよ。
そう、公務員といえども、理学療法士ってあんまり残業代が出ないので、今思うとありえないんですけど、無償で10時とかまで残って仕事をしてて、でも精神的にも疲れてたのでタクシーで帰ってたんですよ。
そう、結構ね、家と職場が離れてたので、タクシーで帰るっていうのはめちゃくちゃお金がかかることだったんですよ。
そう、5000円とかかかってて、ね、お金もらうけどそれをタクシーごときで使うっていうもったいないことをしてて、ね、生活もね結構成り立たなくなってきたんですよ。
そう、シェアハウスしてたので、その子が結構助けてくれてて本当に感謝してるんですけど、私こんなに片付けとか掃除とか好きなのに、なんか掃除してた記憶とか、片付けをしてた記憶とか、部屋のインテリアで何を持って、どんなものを使ってて、みたいな記憶が今一切ないんですよね。
多分、そんな余裕なくて部屋に何が置いてるかとかも、その時全く考えてなくて、朝起きてコーヒーが美味しいなとか、空の天気が綺麗だなとか、なんか植物可愛いなとか、全くそんなこと思ってなかったんですよ。
そう、そんな余裕なくて多分下を向いて生きてたんですよね、毎日。
で、そのシェアハウスの女の子と喋ってる時間だけが幸せで、まあその時付き合ってた方もすごい支えてくれたんですけど、そう、すごい
うん、辛かったんですよね。
で、私が本当になんかいろいろ積み重なって、辞めようかなと思った最初のきっかけっていうのは、その一緒に働いてた生き残りの2人の、私入れて2人ですよね。
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だからその女の子が、私もう辞めると、もう耐えられないって、あのカルテ打ってる時にね、横に来て話してきたんですよ。
で、辞めちゃうの?って言って、私今日辞めるって言うわって言って、その面談の後に私に言ってきたのが、私辞めるって言ったんですけど、次のことも、次のところも決めてるから辞めるって言ったら、訴えるって言われたって言ってて、なんか今思うとね、ありえないんですけど、
衝撃を受けて、あ、そうなんだって、もう辞めれないんで、ここと思って。
でもね、しんどいなぁと思いながら、働いてたんですけど、
で、私ももう、なんか辞めたい雰囲気を醸し出して、辞めたいですって上司に相談したんですよ、その直続のね、その時に言われたことが、あのもう、本当に辞めようと思った最後のきっかけだったんですけど、
なんかここで辞めたらどこに行っても同じだよって、まあそれは何度も言われて、で、あの、他の職員のことを指差してね、指差して、なんかあいつを見てみろと、
あいつも薬飲みながら病院通いながら働いてるんや、だからお前も頑張れみたいなこと言われて、そんな、そんな頑張れ文句ありますかと、薬飲みながら働くなんて、
なんか私は絶対嫌だと思って、なんかその働いてる人たちの顔を見て、なんかその3年後とか5年後とかに、こんな感じに絶対になりたくないって思って、辞めようと決意したんですよ。
ただその上司に、ね本来直続の上司に行って退職届出して辞めるんですけど、絶対受け取ってもらえなかったんですよ。
だから大学の先生に相談して、もう事務に直接持って行けと、ね、で、結構それってすごいことなんですけど、私はもう本当に辞めたくてしょうがなかったんで、事務に直接出しに行きました。
はい、で、結構それは後々大音になったんですけど、まあその時の自分のね、勇気を褒めてあげたいなって今なら思います。
はい、はい、ちょっと長くなってしまったので、2回に分けてお話ししようかなと思います。
なので今日はこれで終わって、また次回のラジオでお話ししますね。
はい、ここまで聞いてくださってありがとうございました。
皆様良い一日をお過ごしください。
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