中学校教員としての仕事と専門科目
スピーカー 2
こんにちは、ハタラクボクラです。この番組は毎回違う働く人をゲストにお迎えして、働くことについてのお話を時に広く、時に深く聞いていくことで、働くって何だろう?考える番組です。
今日のゲストは、中学校の先生をしている、Moeさんにお越しいただきました。どうぞ、よろしくお願いしまーす。
スピーカー 1
お願いしまーす。
スピーカー 2
で、毎回ね、このフォトキャストで最初にこう2つ質問をしてるんですけど、
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
その1つが、これまでの職歴、今の仕事なんですか?っていうのを教えてくださいっていうのが1つと、
今どんな町にこれまで住んできましたか?っていうこの2つをまず聞いてるんですけど、
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
お仕事で言うと、今は中学校の先生。
そうです。今1年目で働き始めて、まだまだ。
専門、教えてる専門の科目は?
スピーカー 1
は、英語です。
スピーカー 2
そっかそっか、ありがとうございます。そっか、だから1年目で、今撮ってるのが、もう今日3月か。
うん。
だからもうすぐ丸1年。
スピーカー 1
そう、もう終わっちゃうと思って。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
この間、最後のその新卒研修みたいなのが終わって、で、お疲れ様でしたって言われたところで、
2年目頑張ってくださいって言われて、あ、もう2年目なんだって思って。
スピーカー 2
確かに。しかもあれだよね、よく考えたら学校の先生の場合だと、春休みっていつからになるの?
スピーカー 1
春休みは一応3月の25日から、まあ春休みになる。
スピーカー 2
そっかそっか、じゃあまあ一応ギリギリまであるけど、まあなんかちょっと若干早く1年目も終わるというか、あと3週間ぐらいもすれば。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
なるほどな。
スピーカー 1
なんか、3年生が再来週卒業するから、もうなんか終わったって感じ。
スピーカー 2
あ。
スピーカー 1
そう、3年生の授業ももう終わりだし。
スピーカー 2
はいはいはいはい。
スピーカー 1
早かった。
スピーカー 2
じゃあちょっと卒業する前に。
スピーカー 1
はい。
卒業生が聞くわけでもないけど、卒業する前にはちゃんと編集してあげられるようにしようかなと思うようにお願いします。
スピーカー 1
お願いします。
スピーカー 2
まあもう一つは、特に働き出してから、働き始めてからの最寄り駅というか、どんな街に住んできたかみたいなところなんですけど、なんか差し支えがない範囲で教えてもらえたらと言うんですけど、今はどのあたりに?
スピーカー 1
今は青梅の田舎の方に住んでて、でもキムチは八王子の、またこれも山のお腹なんですけど。
スピーカー 2
あ、なるほど。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
青梅ってあれだよね、青い東京。
スピーカー 1
そう。
スピーカー 2
東京都の青梅市。
スピーカー 1
そう、そうです。
青梅市。
スピーカー 2
青梅市に暮らして、八王子の方に通ってる、月知れてるかな。
スピーカー 1
そんな感じです。
ありがとうございます。
スピーカー 2
どっちかっていうとね、たぶん職歴っていうよりは、今リアルタイムのこの一年目っていうことなんだろうなと。
海外での経験と教員への志望
スピーカー 2
そもそもなんでその学校の先生、志そうって思ったのかみたいなところを、意外とちゃんと聞いたことなかったなと思ってるので、教えてほしいなと思ってるんですけど。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
それでいくと、もともとなんか学校で、大学いつぐらいからその学校の先生になろうって最初に思ってたの?
スピーカー 1
そうですね、全然考えてなくて、大学の頃は海外とかで働けるような職とかになれたらいいなって思ってたんですけど、
大学3年の春ぐらいから教職いいなって思い始めて、実際に決意したのは大学4年生の春。
なのでそこから、学部がそのとき教職取れない学部にいたので、教育学部みたいなところに、
それから転部っていうか転学部して、プラス1年、4年間で卒業しました。
スピーカー 2
結構なんだろうな、大学で1年、しかも学部変えて伸ばすってだいぶこう踏み切った決断と思いきったけど。
スピーカー 1
そうだね、確かになんか周りがめっちゃ卒業する中で、まだ後輩たちと一緒に授業受けて、
そうするとおばさん入りますみたいな感じで授業を受けてました。
スピーカー 2
本当?
うん。
じゃあ本当にその中学とか高校のときに、なんかこう一度は学校の先生、まあほら身近な職業の一つではあるじゃないですか。
ただ別にその当時はそれを学校の先生になりたいなみたいなことを特に当時、昔思ってたとかでもなく。
スピーカー 1
なかった全然。
スピーカー 2
そうなの?
スピーカー 1
ただ中学校の先生はものすごく尊敬はしていて、なんかお世話になったなっていう感情だけはずっとあったんだけど。
別にそれが職につながるとは全然思ってなくて。
うん。
って感じでしたね。
そっか。
スピーカー 2
それで、そうか学校の先生、だから海外で最初はこう活躍するというか、働くみたいなところは何かきっかけがあったの?
スピーカー 1
あったかな、なんか単純にその海外への憧れもあったし、高校のときに留学をカナダに行ったりとか、フィリピンでその子児たちのちょっと面倒じゃないけど、ボランティアに参加させてもらったりとか、
なんかそういう経験を通して、なんか自分は海外で活躍できる人になりたいっていうのはなんとなくは思えると思ってて。
ただそれがどの分野かっていうのは全然手探り状態だったから、大学のときは。
で、その真っ最中に出会わせていただいて。
スピーカー 2
ベトナムのね。
スピーカー 1
ベトナムでね、大学のときにベトナムでそう出会って、そのときもまだ全然何も考えてなかったし。
スピーカー 2
一応背景を説明すると、当時だから僕がベトナムでその語学学校のビジネスやってる会社で働いてて、
だからその大学のあれはプログラムだったんですよね。
そうそうそうそう。
で、なんだっけ、その語学のクラスとインターンみたいなものが組み合わさったプログラムがあった。
で、そのまあ、受講生というか生徒さんが来ててっていうところですね。
そうそう。
そっかそっか。
スピーカー 1
じゃあもう結構、だってあれが大学1年生とか2年生とかそれぐらい?
1年生だね。
スピーカー 2
じゃあもう結構最初から、そうかもうカナダの留学も高校のときに行ってるし、大学入って結構もう早い段階から海外みたいな結構興味が強かった。
スピーカー 1
そうだね、強かったね。
その教員を目指すきっかけになったのは、
2回目のベトナムに行ったときに、ボランティアで都心院に2週間ほど行かせてもらって、そこで英語を教えるっていう機会があったんですよ。
で、なんかそこにはそのベトナム戦争の名残で、枯葉剤の影響で重度の障害を持って生まれた子供とか、あとは性教育みたいなのを受けずに育った両親が、経済的にもちょっと不安定で子供を育てられないっていうことで、
子児になってしまったすごい可愛い子供たちが何百人といて、その事実に衝撃を受けて、でも英語を教えて楽しかったっていうのもあるし、なんでそういう子供たちが生まれてしまったのだろうかとか、
こういった世界の現状、子供が一人でもこういう小児とかを照らしたいなとその時に思って、じゃあ自分が東南アジアとかで何ができるのだろうかって考えたときに、政治的な政策というかとかっていうのはやっぱりかなり難しいから、
じゃあ教育だったらやっぱり人の根底にあるものだし、しっかり教育をされていたら、こういう子児になる子とかも減るのではないかなと思って、じゃあ教育の道に進もうってその時に思ったんですよ、大学の時に。
でもすぐにベトナムの個人、ベトナムとか東南アジアとかで教育で活躍できるかって言われたらそうではないから、まずは教育的な環境が整っている日本で、そういう子供たちがいるんだよっていうことと、私みたいな世界にお二人に活躍したいって少しでも思ってくれる、今の日本の子供たちを育てられたらなって思って。
病院になりましたが、1年間を通して怒涛過ぎて、そんなことはもう全然できませんでした。できませんでしたが。
スピーカー 2
そんなね、1年。
貧困と教育に対する関心
スピーカー 1
壮大な理想を持って入ったんだけど。
スピーカー 2
すごい面白いなと思ったら、ベトナムのその個人、個人施設みたいなところ、でもその時は、あれもともとその大学の専攻は、教育学部に行く前は何学部だった?
スピーカー 1
経済学部で、東南アジアにおける貧困開発経済学部。
スピーカー 2
なるほど。
それでベトナムだったりフィリピンだったりっていうことが出てくる。
そうそう。
そっか、だからどちらかというとその最初は教えるっていうところにフォーカスして、そこに行ったというよりは、その貧困みたいな切り口の関心っていうのが先にあって。
スピーカー 1
そうだね、貧困はもう是正したいってずっと思ってたけど。
スピーカー 2
ちょっとそこのなんか遡ったところになっちゃうんですけど、高校の時に行ったのがカナダとフィリピン。
それなんか、どちらかというとこう、例えばこう、カナダ行ったことないんでわかんないんですけど、
貧困みたいなキーワードとか経済開発みたいなキーワードに関心を持ったのは、やっぱりアジアだしそのフィリピンの経験が大きかった。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
どんな体験だったんですかね。
スピーカー 1
そうだな。
もともと貧困とかに興味を持ち始めたのは、中学校3年生の道徳の教科書にあったレッドカップキャンペーンっていう、
アフリカの飢餓とか貧困で苦しむ子どもたちが、ユニセフが主催でやっている赤いポップをみんな持ってた子どもたちが、そこに給食とかご飯を入れてっていうプロジェクトがあって。
絶対このプロジェクト私も参加したいって思って、ユニセフに入りたいって思ったところから飢餓とか貧困に興味を持ち始めて、
フィリピンのスモーキーマウンテンとかストリートチルドレンのところとかスラム街とか、老人ホーム個人に行かせてもらって、
まあ壮絶で、ゴミ山の中で本当に裸足でボロボロの服を着て、何かをずっと探し続けている、本当に小さい子とか、
小さい子どもが物凄いに来たりとか、個人の施設、ストリートチルドレンだってもともと、
両親からの性暴力を受けて引き取られて、個人に。なんだけど、もともと自分はストリート育ちだから、そこに戻りたいって言って、
3階の寝室から飛び降りて、足を骨折しちゃって、結局また引き戻されたとか、子どもはやっぱりそんな親でも戻りたいっていう気持ちと、
でも大人からすると、こっちで保護して教育をしっかり受けさせた方がっていうそのジレンマとか、
スピーカー 2
壮絶な現状を見てかなりショックだったっていう記憶が結構ある。
だからなんか、よく国際関係のとか海外でみたいなのでも、なんとなく初めのイメージとして、
欧米食に憧れるケースもあれば、もうちょっと近いアジアとかのみたいな話もあるけど、
そうすると結構、関心のある領域みたいな、結果として今の仕事は日本で英語を教えるっていう学校の先生がやってるけど、
結構関心のある的というか、結構一貫してるというか。
スピーカー 1
そうだね。そうかもしれない。
スピーカー 2
カナダは対象的にすごい語学でいたから、めっちゃ楽しくて、ザリをやってて、漢字の。
スピーカー 1
ポップコーンにバター塗りたくて、食べて太ったみたいな、そういう生活だった。
スピーカー 2
でもね、絶対太って帰ってくるね。
スピーカー 1
めっちゃ太った。一番太った。プラス15とかだった気がする。
スピーカー 2
すごいね。どれぐらいって言ったの?
スピーカー 1
えっとね、トータル7ヶ月。
スピーカー 2
高校生のときの7ヶ月の海外でやってて、すごい体重の増加は一旦、体験として、体験としてもエグいよね。
そうか。
じゃあ、まあなんかそういう学問領域とか関心持って、経済学部で勉強してたっていうところに繋がっていくわけ。
そうだね。
ありがとう。
で、学校の、もう一つ結構やっぱりなんか気になるなっていうのは、なんかとはいえ、ちょっと冒頭に話してくれたけど、
中学校教員への志望と合格までの過程
スピーカー 2
学部転部してみたいなときっていうのは結構、もう割と先生、そのベトナムの2回目のベトナムのその個人の体験を経てからは、
もう割と、あ、もうなんか先生になるんだみたいな、結構スッと固まった。
結構それとも元々、多分タイミング的に就活するならそろそろみたいな。
だよね、多分。
は結構、結構しばらく迷ってた。
スピーカー 1
うん、迷ってましたね。迷ってて、で、なんかそれこそインフラ系とか、都市開発とかの方に行きたかったから、それもやってたんですけど、
やっぱなんかなかなか自分と合わなくて、なんかその、例えば、ノルムとか、
業績とか、なんかスキルとか、なんかそういうものにどうしても自分をこう、当てはめられなくて。
なんか夏のインターンに行ったり、企業説明会とかにも結構参加したりとか、させていただいたけれども、
なんかやっぱ自分の求めるところは、そういう利益ではない、目に見える数字のものではないんだなって思って。
だったら、やっぱり目の前の子どもたちとか、その好きな英語で教育の道にって思って。
で、なんか教員採用試験の勉強をしてたら、自分となんかすごい合ってて。
うん、合ってたし、その、楽しかったから、こっちでいいや。
なんか、どういうところが合ってるなって感じだった?
うーんと、なんかその時すごい尖ってて。
スピーカー 2
大学生とすごい尖ってて、なんか周りにめっちゃ言われたんですけど、これは。
スピーカー 1
なんか面接とか、エントリーシートとかで、自分を判断するときに、
違う。
でしょ?
で、なんか見るところとかも、自分が本当に見てほしいところを伝えたら、
それはそれでなんかあんまりよくないとかさ。
型があるじゃない、就活って。
その型になかなか、自分は落とし込めなくて、
で、その人が、なんか自分の本当に好きな英語を教える時に、
自分の目に見えるところとか、自分の本当に、そういうのがあるんじゃないかって思って。
うん。
良くないとかさ、型があるじゃない 就活って、その型になかなか自分
落とし込めなくて、でも教員採用 試験ってペーパーテストだから
数字が下げるじゃん、合格点とか もそうだし、その明確にここまで
が必要とか、こういうものが必要 っていうのがあった方が頑張れた
から自分で、だから就活の時はもう 落ちたらめっちゃ怒ってた、なんで
だよみたいな、
スピーカー 2
20分で何が分かるんだよみたいな、 めっちゃ怒ってた。
あ、面白いね、だから、何だろうな、 その中身としての合う合わない
スピーカー 1
ものだし、アプローチにもうもう、 こっちの合う合わないだろう。
スピーカー 2
そっちがもうね、ダメだった、もう 合わなかった、そう。
でも大事かもね、それは意外と何 だろう、なんかほら、面接とかエントリー
シートとかに本当にもう嫌だな、 合わないなっていう、でも結局その
入り口で入っていくと、何かしら その価値観みたいなものはずっと
あるじゃん、そういうもので例えば 人を選ぶんだとか、逆に自分が
スピーカー 1
人事になったら、そういう面接しなきゃ いけなかったりとか。
思うんですけど、なんか本命がある じゃない、本命の会社があって、でも
そのためにその滑り止めみたいな ところを何十社とも受けるわけじゃん、
で、同じ業種でさ、いろんなところ を受けてて、で、どこにもいい顔
取るわけじゃん、で、またあなたの ところが一番です、みんなの子社
が一番ですっていう、そのメンタル 欲しい、それが欲しいじゃなかった。
なかった、そう、だからすごいな っつって。
スピーカー 2
それは何か嘘つけないな、みたいな。
スピーカー 1
とか、その一本化しないと、自分は 結構そのいろんなところに集中
できないから。
スピーカー 2
なるほど、本当に第一志望だったら 言えるけど、それ以外だったらもう
言えるもんなら、第三ですって言 ったり。
スピーカー 1
そうそう、なんてめんどくさいやつ なんだって感じですよ。
スピーカー 2
いや、気持ちはね、もうよく、よく わかりますよって。
スピーカー 1
っていう尖ったやつでした。
スピーカー 2
そう、面白いな、でもなんかその、 そもそもの就活のアプローチ、まあ
なんかほら、ちょっと前に編集コーヒー っていうのを撮った時にも話したん
ですけど、やりたいこととか就活 とかみたいな、で、まあやっぱなんか
就活まあみんな多分、ほとんどの 人がそれぞれなりにしんどいじゃん
スピーカー 1
。
スピーカー 2
うんうんうん、そうだね。
だからなんかそうね、ある二つ選択肢 があったからこそ、いやもうちょっと
このアプローチというか、それその ものちょっとしんどいんじゃない
かって、合ってないんじゃないか っていうので、もう一つの道に行ける
っていうのは、結構いいなんか選択肢 の持ち方だなって、なんか聞いて
て思ったんですけど。
いやいや。
教員採用試験はペーパーテスト だっけ?面接とかそういうのない?
スピーカー 1
あ、あったあった。
あ。
うん。
えっと、ペーパー。
うんうん。
で、受かったら2時で集団討論と 個人面接と、あとは英語は実技がある
から。
うんうん。
スピーカー 2
英語の実技もあった。
まあでもそうね、そんな余計な嘘 はつかなくていいというか。
スピーカー 1
うんうんうんうんうん、そう、もう ヤバかった実技のとき、もう分かんなくて
まあ面白いなっちゃって、イエス しか言ってなかった。
スピーカー 2
え、実技は教える実技?
スピーカー 1
違う違う。
あの、ネイティブの人だと、英検の 2次面接とか、漢字でやり取りする。
読んでくださいとか。
めっちゃ緊張して、もう分かんなかった。
スピーカー 2
そうか。
スピーカー 1
何回アイドンノーって言ったか、 本当にって感じだった。
スピーカー 2
ねえ。
でもそっか、よく考えてみたら、 その学校の先生になる、もう別になんか
だから、あの意味、なんだろう、 国語の先生だった可能性とかっていう
話聞いてかけると、あんまりもう なくて、英語の先生みたいな。
うん、やるならええのかな。
で、まあ、めでたくね、試験も通って。
ありがとうございます。
今、1年が終わろうとしてると。
スピーカー 1
ありがとうございます。 終わろうとしてます。
ありがとうございます。
スピーカー 2
そっか、いや、ありがとうございます。
ありがとうございます。
まあちょっと、そしたらね、あの、 もやさんがね、こう、なんで学校の先生に
なったところとね、あの、実際に決まった っていうところまで伺ったので、
まあちょっとまずね、前半はこの辺り でして、後半で、まあ実際のその仕事
の中身っていうのかな、とかをちょっと 聞いていきたいなと思います。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
引き続きよろしくお願いします。
スピーカー 1
お願いします。