「こんなはずじゃなかった」という人生の誤算
こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園、N1クラブを運営している、なおちゃん先生と申します。
今回は、私の壮大なる自己回想記録、
動物好き少女がドッグトレーナーになるまで🐶秘密基地誕生秘話、第3、23回目をお届けします。
こちらは、私がドッグトレーナーになるまで、そして、N1クラブワンコの秘密基地を誕生させるまで、
そして、このワンコの秘密基地を運営しての17年間という、3部作に分けてね、壮大な自己紹介をしていく企画、週に1回週末にお届けしています。
もう23回目になったんですね。早いですね。はい、えーと、今はね、第3部ということで、
このね、N1クラブワンコの秘密基地という、ワンちゃんとガイネスさんのための施設を、
2009年にね、20代でオープンさせて法人営業をしていたよ、という時期のお話をしています。
そしてね、えーと、前回は、
その、17年間の間で、
お世話になったね、スタッフたち、そして、ここで働きたいです、というふうにね、
志を持ってやってきてくれた、研修生の皆さんとの出会いや、そこで感じたこと、ドクテライナーに、
必要な、一番ね、必要なこと、いや、
人を雇って運営をしていく、ということで、私が感じたこと、なんかをお話ししていきました。
今回は、このね、
私の17年間の、運営の中でも、一番と言ってもいいほど、こんなはずじゃなかった、
大誤算ですね。こんなはずじゃなかった大誤算、についてお話をしていこうと思います。
ね、こんなはずじゃなかった、 こうなるとは思ってなかった、っていうことは、
もうね、小さなことから大きなことまでね、あの、このCM、昭和の世代の方は知ってるんじゃないかな、と思うんですけどね。
本当にね、小さなことから大きなことまで、人生にはね、いろんなことがあると思います。
こんなはずじゃなかった、ということが、大なり小なり、たくさん降りかかってくるのが、人生であって、
その、こんなはずじゃなかった、を、どう乗り越えていくのか。
じゃあどうするのか。こんなはずじゃなかった。じゃあ、こんなはずに合わせて、自分は次の動きをどうするのか。
それを、考え、試行錯誤し、チャレンジし、トライし、納得がいこうと納得がいくまいと、
選んだ選択肢の結果になっていく。その積み重ね、それがね、
あの、人生だな、っていうふうに思っています。私の、この17年間の、
N1クラブという、犬の施設を運営して、こんなはずじゃなかった、というのは、大なり小なり、いろんなことがありました。
特にね、初期、起業初期っていうのは、まあ本当にね、若くて未熟で、経験も知識も、
技術も本当に、これからっていうところだったので、こんなはずじゃなかった、がね、たくさんたくさん降りかかってきたわけなんですよね。
そして、新入社員さんや、何か大きな組織だったりとかがあれば、
あとね、今、もし今だったら、私自身も、頼れる先や聞ける場所っていうのが、いろいろあったのかもしれないですけど、
その当時はね、あんまりそういうのもなかったですし、
自分がね、非常に、全部自分でやらなきゃいけない、っていうふうに思っていたんだなぁと、今になって思うと思います。
そんな私の中でも、他の人に任せられない、ということが、最大の大きなね、こんなはずじゃなかった、
という出来事となって降りかかってきたのが、妊娠・出産、なんですね。
妊娠・出産と仕事の両立の困難
冒頭ね、5分も使って話すことじゃなかったんですけど、
妊娠・出産、これを一度でも経験をしたことのある方であればですね、
この私のね、こんなはずじゃなかった、っていうのが、多少お分かりいただけるんじゃないかなと思います。
特に第一指ですね。
日本はね、晩婚化しているとか、高齢出産化しているというふうに言われますよね。
それはやっぱり、私のね、母の世代では、適齢期と言われていた、20代前半、
ね、私の母の頃はもう25過ぎたらね、売れ残りとかって、かなり失礼なことをね、
今この令和の時代で絶対言えないようなことを、平気でね、党の本人に言っちゃうような時代だったわけですよね。
ですから、そういう時期にはね、それが良かったのか悪かったのかは別として、
新入社員で、四代一卒、もしくは三代一卒でね、新入社員で入って、
数年仕事をしたら、もう女性は、ことぶき退社、古い言葉ですね、ことぶき退社して、
ね、妊娠したら、結婚して妊娠したら、もう会社を辞める。
その後は家庭と育児に行き、子供が手が離れた時に、
スーパーのレジ打ちとか、清掃のお仕事とか、立派なお仕事ですよ。
ないとね、社会が回りませんから、そういったね、パートに出たりとか、
っていうね、ことが、まあ多かったんじゃないかなと思います。
私の母の世代ではね、うちの母はちょっとまだ、
お婆ちゃんがね、シングルマザーだったので、まだかなり違いますけれども、
そういうふうになった時には、その会社とか社会での自分の活動っていうのが、
一旦、そこと自分が断絶される、女性がね、断絶されて、
家事、育児に専念するという環境に入るわけですよね。
それが良いとか悪いとかではなくて、昔はそれが主流だった。
女性がね、もしかしたらもっと働きたいという人もいたかもしれない。
もしかしたら、私は子供を子育てを2,000年したいから、これで退社します、
というね、決断を下して家庭に入られる、そういう方もいらっしゃるでしょう。
今でもね、そうだと思います。
ただ、私、自分の身に置き換えてみると、私の場合は妊娠しました。
結婚しました。ここまででいいですよ。別に結婚しようが何だろうが。
結婚しました。でも、妊娠して出産しました。
だから、家庭に入りますっていうのは言えなかったんですよね。
何でかっていうと、会社は創業3年目、ノリに乗っているところでした。
じゃあ、結婚しなかったらよかったんじゃないの。
じゃあ、妊娠しなかったらいいんじゃないの。
それもそうだと思います。自分で選んだことでしょ。
自分で選んだことなんですよ。全てね。
誰かのせいにすることはできない。
起業したことも、起業続けることも、結婚することも、出産することも、全部自分で選んできた。
だからこそ、責任を負わなくてはならない。って言いました。
でも、心は、思いは、頭はあっても、体がついていかない。
それが、妊娠する前は、出産する前は、分かってなかったんですよね。
おそらく、私のこの思いに賛同してくれる女性は、いらっしゃるんじゃないかな、というふうに思うんですけれども、
やっぱり人間って、自分で経験したこと以外は本当の意味ではわからない。
私の大好きな管理栄養士の植美さんがね、出産にまつわる皆さんのエピソードを紹介されていましたけれども、
妊娠して出産するっていうことは、当たり前のように聞こえるけれど、当たり前じゃないんですよね。一人一人違うし。
楽なお産って、命があるお産っていうことですからね。
母子共に健康状態が良いお産が楽なお産と、昔はね、それで命を落とす母子共に命を落とす、どちらかを命を落とすということが多かったので、
命があることが楽なお産と言われるけれども、決して楽なお産ってないわけですよ。
だけど、妊娠もしたことない、出産もしたことない、そしてその後のことなんて想像もつかなかった私は、
ま、いけるでしょ。ポジティブだからね。ま、いけるでしょと。
私なら両方やれる、両方取れる。実家も近いし、義理の母や自分の実母も協力してくれるって言うし、旦那さんは理解あるし、業績が上がってきた創業3年目のこの会社、私は仕事はそのまま続けようと思っていました。
けれど、けれどです。身体がついていかない。
妊娠初期からそれはありました。
つわりの時期というのを、これもね、個体差、個体差じゃないや、それは犬ですね、個人差がありますので、
軽い人、とても重い人、いろいろいらっしゃいます。
つわりの時期、安定期に入る前っていうのは、見た目が、ね、妊娠していない人と同じなので、
妊婦さんのそのつらさというのは、なかなかわかりづらいことだと思います。
例えば、今はね、生理を体験する、義肢体験する、なんかこうあるんですよね。
そういう体験する機会なのかツールなのかっていうのもあったりとか、
あとはね、私の時も親子学級みたいなやつで、旦那さんが7、8キロの重りをつけて、
これが臨月の妊婦さんの重みですよ、みたいな感じがあったけれども、
でもね、つわりのひどい時の女性を体験するツールってあるんですかね?
あったら教えていただきたいです。
はい、それはないですよね。
幸い、私は何も食べられなくて、水も飲めなくて入院する、みたいなことはなかったです。
けれど、やっぱり食べられなくなったり、特定のものを受け付けなくなったり、
それこそね、炊飯器でお米が食べられる匂いが気持ち悪かったり、まあ吐いたりっていうのもありました。
だけどね、それを人に言ったところでどうにもならない。
私の代表、N1クラブの代表取締役であるという立場を誰も変われるわけはないんですよ。
特に私もその時は30代前半でしたけれども、下の子たちっていうのは本当に20代前半の子たちが多かったんですね。
だから、もちろん妊娠や出産を経験したことがない子がほとんどというか全員でした。
ですから、私のこの状態を理解してほしいというのは無理だろうなと私も思っていました。
だからこそ、スタッフの前、お客様の前では気を張ってこっそりトイレで吐いたりしていましたね。
そういう人はきっと多いんでしょうね。
私の世代なんかはね、特に。もっと前の世代はさらにそうだったと思います。
そしてですね、どんどんと変わっていく体。
私は臨月まで出勤をしていました。
もちろん自分の職場、自分の会社ですから。
言ってみればどちらかというと、人に任せられなかったんでしょうね。今考えると。
もっとスタッフの若い子たちを信じて、もっと任せて、
もっと彼らが自分で物を判断して、会社、組織を運営していくことができるようなチーム作りを私がすればよかったんですが、
いかんせんね、そういう場所にいたこともないし、そういう知識や経験や勉強もしていなかった、
本当に未熟な私でしたので、社会を知らない犬のことしかわからない人間だったので、
私がいかなきゃ、私がやらなきゃって思っていたんですよね。
まあ幸いね、息子は元気に生まれるわけです。
出産後の育児とドッグトレーナーとしての葛藤
題詞は自然文明でした。
朝、前の晩か、前の晩に発水をして、そのまま緊急入院して、
次の日の明け方から腎痛が始まりました。
明け方から腎痛が始まって、
60歳頃からスタート、本格的にね、母子手帳に書くのはそこからスタートにしました。
そして生まれたのが夜の23時49分、今でも覚えてます。
なんでこんな細かい筋を覚えてるかっていうと、あと11分で日付が変わる、
9月から10月になるっていう時だったんですよね。
だから絶対に日付が変わる前には、
産みたい、出したい。
そう思ってたのを、もう意識もおろんな中、そう思ってたのを思い出します。
幸いね、息子は本当に元気に生まれてきてくれたので、それはとても嬉しかったんですが、
私の入っていた病院というのは、産んだ病院というのはね、母子導出、カンガルーケアが主流。
それがメインなので、まあ本当にスパルタなんですよ。
皆さんね、特に男性の方は知らない方もいらっしゃるかもしれないけど、
産んですぐにお部屋に戻れるわけじゃないんですよね。
処置室に赤ちゃんが連れて行かれて処置をしたりですね。
あと急収縮とかがある程度収まるまでは台の上に、分辺台の上に、
分辺台じゃないな、横になってませんでした皆さん。
そのまま放置されて、その時の日付も変わって、夜1時とかですよね。
私このままどのくらい放っておかれるのかなとか思っていた。
もう疲れたな、早く寝たいな、背中が硬いな、みたいな感じだったのをよく覚えてるんですけど、
その頃にはね、もうね、次の日に仕事があるからとか、旦那は帰ってしまって、まあそりゃそうですよね。
土作さんに紛れて母も一緒にいたんですけど、
母ももうなんか昼間からいたから疲れたって言って帰って、
私一人でなんかその処置室みたいに残されてて、
いやーこれはいつまでここにいればいいのかなーみたいな。
そこでうどうど仕掛けて、やっと声がかかって、
じゃあお部屋戻ってくださいみたいな感じで。
お部屋戻ってくださいって言われたのが午前2時ぐらいだったのをよく覚えてます。
幸い私は個室だったんでね。
その時にびっくりしたのが、夜寄ろしながらフラフラしながらね、
部屋に戻ろうとしたら、赤ちゃん連れてってくださいねーって言われたんですよ。
え、赤ちゃん連れてくの?みたいな。
こんな満身創痍で早く寝たいと思ってる私を赤ちゃんも連れてくのかと思って、
ちょっとびっくりしながら、コットっていうね、
ガラスケース、器みたいなガラガラの足のついたキャスターのついたガラスの箱に入れて、
病室に連れて行って、やっとベッドに横になったと思ったら、
へーって鳴くわけですよね。
で、私はドクトレーナーなので、今でも笑っちゃうんですけど、
ドクトレーナーなので、子犬がキャンキャンキャンキャンって甘える鳴き声をしたら、
無視をするっていうのが身についてるわけですよ。
キューとかね、子犬の可愛らしい、愛らしい、こっち向いて、かまって、こっち来てっていう、
あの渾身のうるうるお目目のキュンキュンっていうのを平気で無視できる鉄の女なんですね。
もうそれはもうしょうがないんですけども、職業柄。
はい、なんですけど、なのでこの時もね、それが発揮できちゃったわけですよ。
だから赤ちゃんが、ニャー、ニャー、ニャーってね、新生児特有の声で鳴いていたにもかかわらず、
私は平気で無視をして寝ていたんですよね。
眠りに落ちかけてたその時に巡回に来たね、あの、助産医さんに、
お母さん、おっぱいあげたの?って言われたんですよ。
もうそれでびっくり業点。
なんて言ったって、子犬はね、一回サークルの中で寝かせようと思ったら、
鳴いても騒いでも、ね、かまっちゃいけませんっていうのが常識なんですよ。
ましてや。
餌をあげるとかね、おやつをあげるとかね、そういうのはもうね、論の害。
はい、論の害。
なのにもかかわらず、人間の赤子は、鳴いたら即座にね、ファイルを出さなきゃいけないのかと、
どういうこっちゃだこれはっていうふうに、私もカルチュアショックでしたね。
もう落とした頭で、なんて恐ろしいのと、この時にね、カルチュアショックを受けるわけですよね。
まあ、そんなふうに、あの、ドッグトレーナー経験が長くて出産した人は、きっとそう思うんじゃないかと、
あるあるなんじゃないかって、私思ってるんですけど、今のところ共感してくれる人には出会ったことがないですね。
あの、誰かそういう人いたら教えてください。
はい。で、そこからスタートしてね、とにかく、子育てっていうのはイレギュラーの連続。
イレギュラーの連続だし、こんなはずじゃなかったの連続。
私は、子犬は何百、何百頭ね、と、あの、相手にしてきました。
トレーニングもしてきたし、アドバイスもしてきたし、トレーニングプランを考えてもきたし、
それを飼い主さんにやっていただいて成功するっていうことが、自分のお仕事でしたけれども、
人間の子っていうのは、こんなに、あの、予測がつかないものなのかと、
そしてこんなに構わなきゃいけないものなのかと、こんなはずじゃなかったの連続でしたね。
だから本当に最初は、本当に息子には申し訳ないんだけれども、あんまり可愛いと思えなかったんですよ。
仕事への逃避と母親になることへの気づき
鬼、鬼ババですね。鬼ババです。はい。
それでね、でも胸を張るし、3時間、3時間とも言わず、息子はよく泣くし、全然寝ない子で、
こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった。早く現場に戻りたい。
早く私の会社に戻りたい。私の秘密基地に戻りたい。ね。
早く仕事がしたい。そればっかり思っていました。
張る胸に作乳しながら、泣き声を聞くと母乳が垂れてくる。
体の生理現象ってすごいですよね。
それでも私は今となってはね、もしかしたら子育てをしなくてはならないという現実から逃げたかったのかもしれないけれども、
少しでもね、自分の、自分が築き上げてきた社会的な繋がりをゼロにしたくないと思って、
もうそうですね、3、5、2週間ぐらい経ってからは、ベビー化をして現場をね、見に行く。
何か仕事をするわけでは、トレーニングをするというわけじゃないけれども、資料確認とか、経理の確認とか、連絡の確認とか、
そういったものを見に行くということをやっていました。
1ヶ月半後ぐらいには、もう普通にね、雑用というかヘルプで出て、そんな時から野茶先生出て行ったなんてすごいですねとか、
そういうふうに言われる方もいたかもしれないんですけど、そうじゃなくて、私は多分ね、大人と繋がっていたかったし、
子供から赤ちゃんからね、未知の生き物である赤ちゃんから逃げて、大人の世界、自分が分かる、物が分かる世界に行きたかったんじゃないかなと思います。
だからこそ、私は本当にね、日々お子さんとお家で苦闘されているワンオペのね、非常に尊敬しています。
特に専業主婦と言われる方たちはね。
だって、私はですけど、仕事に逃げた方が楽だったから、もしかしたら同じ思いの方もいらっしゃるかもしれないですね。大人も果たしたいな。
私が何一つ育児では経験ゼロ、予測不可能な育児ですから、何一つ役に立たない。
自分の体さえコントロールできない。
けれど現場に出れば、その道何年というキャリアを生かして、予測が立てられる、結果を出せる世界じゃないですか。
道理に伝わる、初めての育児は本当にこんなはずじゃなかっただらけでした。
正直、この子さんいなければ、もっと仕事ができたはず。
もっと自由に、もっと会社を伸ばせたはず。
当時はね、夜中中寝ないで、本当に寝ない子だったので、自分も寝不足で朦朧として、
泣き止まない、寝ない息子をあやしながら、悔し涙、何の涙かわかんないけどもね、そんな時もありました。
母親っていうのは、子供ができて初めて母になるわけですよね。
女だから、子供が生まれたら母になるわけじゃない、そう思ってます。
私を母親にしてくれたのは、息子の笑顔や、息子の可愛い仕草や、
いる時の安らかな顔や、そういった小さなこと、そしてできることが増えるようになっていって、
近くで見せてもらって、自分もこうやって大きくなってきたんだろうなって、
何もできなかった、泣くしかできなかった。
少しずつ一人の足で立って、自分の意見を言うようになって、
母ちゃん母ちゃんってくっついてきた子が大きくなって、一人でどこか行けるようになってくる。
その時間は本当にあっという間だったんですけど、
あの時はね、先が見えないから、やっぱりこんなはずじゃなかったっていう思いが一番強かったなと思います。
だから今ね、そんなふうな思いを抱いて、自分の仕事やキャリアと子育ての間で悩んでいる方がいらっしゃったら、
何の慰めだったり励ましにもならないかもしれないけれども、
私は今やっていることが正解とお伝えしたいなと思います。
悩もうが、責めようが、自分をね、子供を責めようが、自分を責めようが、仕事に対して何を思うが、それが正解。
人の命を預かって一人を大人に育てていくっていうことは、
代価は払われないけれど、この世で最も大変で尊い仕事の一つだと思っています。
それをできている、冒頭している方もそれが正解。
子育ての話ね、今回はなってしまったけれども、
二人目の育児と母になることの深化
この息子はね、体があまり丈夫ではなかったので、
保育園に4ヶ月の時から通っていますが、4ヶ月?6ヶ月かな?6ヶ月ですね。
6ヶ月で保育園に入園しました。
ですが、やはり体が弱くて、1ヶ月に1回以上は発熱してね、呼び出しをされていましたね。
その度に、ため息をついて、
とにかくかかってくる電話がね、
「なおちゃん先生、保育園です。」って言われるんじゃないかって思ってね、
ドキドキ、ドキドキしていました。
母には本当にお世話になりました。
私が抜けられないので、実家の母には、私の倍ぐらい、倍以上だな、
息子を迎えに行ってもらい、病院に連れて行ってもらい、していましたね。
なので息子は今でもね、おばあちゃん子ですね。
あの時のことを振り返って、
もっとああしてあげればよかった、もっとちっちゃい時にかまってあげればよかった、
時間を割いてあげればよかったって思わないことはないけれど、
過去は巻き戻せない。
だから、私は自分が生きてきた道が正解になるように胸を張って言えることでは全然ないですけどね。
でも、もし一つだけ言えるとしたら、
本当に小さかった時に、もうちょっと一緒にとってあげればよかったなって。
人間は学習する生き物、経験から学習する生き物なので、
二人目をどうしようかなという風に考える時になって、
やはり一人目と二人目というのはね、全く違いました。
二人目の時には、二人目を授かった時点で、
この子が3歳になるまでは、
自分のお仕事や自分の時間というのは、
縮小して子育ての方に割合を大きく割こうと思っていました。
そしてそのための体制を整えよう。
そう思ってたんですよね。
それには一度、上の子と下の子との間にいなくなってしまった命があったからというのが多いかなと思います。
やはり二人目は、何となくね、一人目の時こうだったっていうことで予測がつくので、
まあこんなもんだったよねとか、
上の子もこういう時あったなとか、
こちらの心構えができているから、
だいぶこんなはずじゃなかったっていうことが少なかったな、少ない育児だったなという風に思います。
もし、それどころかね、上の子と下の子との違い、
ここはこう違うなとか、この子はこういう風にするんだっていうことが面白いなと感じられた、
そんな下の子との育児でした。
やっぱり、出産する、母になるっていうことは、
みんな当たり前のようにやってるから、
女性は母に、子供ができたら母になるもんだって思われるのかもしれないけれども、
決してそうじゃなくて、瞬間瞬間向き合いながら、
母というものになっていくんじゃないかなって、この時ほど感じたことはなかったですね。
会社を取るのか、母を取るのか、
私は両方とも捨てたくないって思ってたし、
二と追うものは二と取れると思って、
それはね、やろうと思えばハードだけど、できないことはなかったかもしれないですが、
これが一人目はなんとか乗り切った。
それは現場も、私の会社もね、私の周りの人間も予想がつかなかったから、
予想がつかなかったからこそ乗り切れたっていうことがあったと思います。
だけど、これが二人目になると、この経験っていうのが、
良い働きを生む場面と、良くない働きを生む場面があるんだなということは、
二人目ができてから感じたことでしたね。
子育てと仕事の両立へのメッセージ
というのも、一人目の時には、
私が本当に次回、3級?3級にも入らないぐらいですね。
2ヶ月、トータルで2ヶ月あるかないかぐらいの、
そのぐらいの休みと言えない休みを取ったぐらいで、
あとは少し勤務はもちろん減らしていたり、夜勤は減らしたりとかはしてましたけど、
それを周りのスタッフや、私の家族が一生懸命会社の営業と、
そしてっていうので、頑張って乗り切ってくれたんですよね。
そして、二人目の子供ができた時に、何が起きるかついていけない、
っていうことが起きるわけです。
今回は、ものすごく長くなってしまいましたけれども、
やはり子育ての話っていうのは、非常に熱が入ってしまいますね。
ここまで聞いてくださった方がいらっしゃるかどうか分かりませんけれども、
もし、何か一つでも共感したよとか、私はこうだったよとか、
そこはこうすればよかったんじゃないのとかがあったら、
コメントを寄せていただければと思います。
それでは、また来週お目見にかかりましょう。
なおちゃん先生でした。