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こんにちは、横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は、旅の配信をさせていただきたいと思います。
だいたい毎週末ですね、土曜日とか日曜日に週に1回更新している
プチセレブ・バックパッカー🇮🇳インドへ行く❣️B級グルメとダイヤはお好き?なんですけれども
先週末はちょっと私が体調を崩してしまったために、1週間更新がない状態になってしまいましたので
今回は早めに配信をさせていただきたいと思います。
できれば、今週2回ぐらいね、更新できたらいいなぁと思っています。
こちらの旅行記は、私が若い頃ですね
学生時代を共に過ごした親友と2人、21日間のバックパッカー旅行を
インドでした時の旅の旅行記を読んでいるというものになります。
今から18年、17、18年近く前の話になりますけれども
どうか楽しんでいただけたら嬉しいです。
それでは今回は、5月22日火曜日、インド滞在13日目
ダージリンからニュージャルパグリへ向かう日の様子を読んでいきたいと思います。
さらば、ダージリン
朝3時30分にアラームが鳴り、しばらくしてホテルのスタッフがお越しに来た。
寝ぼけまなこで支度をし、玄関前に行くと、おうくんとティーさんがすでに待っていた。
4人で乗り合いジープの後部座席に座る。
貸切だ、みたいなことを言っていたけれど、私たちの前にはなぜか4人家族がいる。
全然貸切じゃないじゃん。
外はかなり冷え込んでいる。
まだ暗いのに、たくさんの車が同じ方向に向かって走っている。
クラクションも盛大だ。
朝日がもう登っちゃうんじゃないの?と心配していたけれど、それは急遽だった。
朝日が登るぎりぎりで、朝日の名所、タイガヒルに到着する。
まず驚いたのは、何よりもその人の多さ。
冷え、インドはどこもかしこも人だらけだけど、朝日を見るのにここまでの人たちとは。
浮きに入り始めたこの季節、やはり雲が多くて澄み切った青空とは言い難い。
それでも太陽は雲の切れ間から姿を表した瞬間、人々はどよめきと歓声を上げた。
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毎日必ず昇る太陽なのに、どうして夜明けというものはこんなにも特別な気がするのだろう。
太陽は一度姿を見せ始めると、すごいスピードで朝を連れてやってくる。
気がつくと、私の友人と王くんが二人並んでシンギングボールを鳴らしていた。
インド人に、あの二人は何してるんだと聞かれたので、とりあえずあれは朝日に向かって祈りを捧げているんだと、大嘘つきの真面目な顔して答えておいた。
彼は、おお、ジャパニーズと感動し神知した様子だった。
行きも大渋滞だったが帰りも状況は一緒である。
このツアーはタイガーヒルとあと二つのポイントを巡るらしい。
しばらくするともう一つのポイントについたようだった。
ようだったというのは、車が止まって降りたのはいいが、運転手に二十分と言われただけで何も説明がなかったからだ。
外へ出ると、みんな丘の上へと登っていくようだ。
どうやら五ルピーを払うようだが上へは行かず、
登り口のトイトレインの線路の上で揚げ物を焼いているおばちゃんたちのところ、そこへ私たちは向かうことにした。
みんなは揚げたてのスナックを買ってそのところでつまんでいる。
油はフレッシュなようだったが、私は一応半分つまむだけにとどめていた。
やっとお腹が治ってきた頃だったからね。
午前七時三十分頃、予定通り宿へ戻ると、A君の姿があった。
彼は昨日から具合が悪くて一緒に来られなかったのだ。
今朝はずいぶん元気になったようだった。
よかった。具合が悪いときって本当につらいもんね。
宿の食堂で女性人はチャイを、男性人はがっつりと朝食をとる。
ここの食堂の女の子たち、ルパとラナに会うのも今朝が最後。
陽気で働き者の彼女たちと今までありがとうの意味を込めて一緒に写真を撮った。
今日はずっと以前から予約が張っている団体客が九時過ぎに宿にやってくるというので、
それまでに私たちもA君たちも部屋を開けなくてはならなかった。
私たちはまるまる1週間もお世話になった部屋とホテルに別れを告げて、
宿の主人やスタッフたちにお礼を言って、ニュージャルパグリの駅へ向かうためにバススタンドへ向かった。
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ダージリンで出会った3人の日本人、Tさん、O君、A君が見送りに来てくれた。
ダージリンからニュージャルパグリへ直接行くのは割高になるということで、
一度、ふもとの町セリグリへ、そこからニュージャルパグリまでオートリクシャーで行くことになった。
私たちは運転手に交渉し、荷物は眼鏡で大きなジープの上の荷物置き場にくくりつけられた。
前、中央、後部座席に3人ずつ乗り込む作りになっているようだったが、
なんと、車内には合計15人の人間が乗り込んでくる。きつい。
そんな思いを感じたのは一瞬。窓の外で手を振る3人に、バンカームの思いを込めて別れを告げる。
一週間前、苦しみからスタートしたこのダージリンでの思い出を楽しいものへと変えてくれた。
かけがえのない旅の仲間たち、本当にありがとう。
みんながいたから、ここでの日々がより一層楽しく、思い出深いものになったんだ。
別れるのは名残惜しいけれど、きっと日本からも連絡するから、お互い残りの旅を気をつけて楽しもうね。
ダージリンに別れを告げて、ジープは下界への細い山道をひたすら下っていく。
途中霧が出たり雨が降ったりしたが、約3時間ぐらいでスリグリに到着した。
暑い。暑い。暑い。
ああ、久しぶりだ、この暑さ。
スリグリからニュージャルパグリまでは乗り合いオートリクシャーで30分ほどで着いた。
スリグリはどうやらインドでも優秀な大学の街のようで、
途中で見かけた街の風景の中にはたくさんの学生さんや専門書を売る書店が見受けられた。
そういえばインドは数学や医学の分野では輝かしい歴史を持つ国だ。
そして今では世界有数のIT大国。
インド人は理数系に強いのである。
だからみんな自然と値段交渉に強くなるんだろうか。
ニュージャルパグリに到着したのはお昼の12時30分過ぎ。
もう13時に近かった。
列車の時間は14時50分発車予定である。
毎度おなじみ待合室へ。
ここのはローはアッパー、つまり二等車とそれ以外のクラスに分けられていた。
私たちは待合室に入り、昨日カフェレストランで買ったパンで昼食をとる。
買っておいてよかった。
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水を買い込み、到着した列車に乗り込む。
そして予定時刻の14時50分、初のスリーパークラスでの長い旅が始まった。
このクラスの車両にはエアコンがない。
それだけ安いのだが、やはり今までの車両とは少し違っていた。
まずドア、窓のすべてが開いているので、外の景色がよく見えるのである。
風が絶え間なく吹き込んでくるので、熱くてたまらないということはないし、
車内は日陰で、湿度もそれほどないので快適である。
夜などは思ったより涼しかった。
ただし、窓ガラスがないので、匂いや虫は入ってくる。
スコールが降ると、これまたジャバジャバと大粒の雨が吹き込んでくるし、
寝台やライトもエアコン車に比べるとずーっとお粗末なものだ。
私はまたいまいちお腹の状態が良くなくて、安眠はできずにいたが、
列車の開いたドアから眺めるインドの田園風景はのどかで美しいものだった。
列車は予定通りに行けば、明日の朝5時にパトナーに着くはずだ。
ダージリンの日々を書きながら、この日を終えることにした。
はい、ということで、ようやく長かったダージリンの滞在も終わりました。
ダージリンには約1週間ほどいたんですね。
その間、宿が偶然一緒だったということで仲良くなった3人の日本人。
男性2人と女性1人に別れを告げて、私たちは旅の続きを目指すことになったのでした。
このタイガーヒル、夜明けを見るというツアーだったんですけれども、
本当に夜明けのイメージはほぼほぼ覚えていないんですけれども、
何が覚えているかというと、とにかく人が多かった。
日本でいうと初詣か初日の出くらいの感じで、
人が山の斜面に立って一斉に同じ方向を向いているというのは、なかなか異様なものがありましたね。
そしてここの描写ではさらっと書いてあるんですけど、
このタイガーヒルでの夜明けを見る、朝焼けを見るというところの次に連れて行ってもらった場所ですね。
私たちはゴルピーを蹴散って丘の上に登るということはしなかったんですね。
なぜかというと、もう太陽が昇っていたので夜明けを見るという感じではなかったんですよね。
それでもきっとゴルピーを払えばすごく美しい眺望が見られたのかもしれません。
ですけれども私たちは丘の下に留まっていました。
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そこには前回もお話しした世界一遅いと言われる世界遺産、トイトレインの線路があるんですよね。
線路があるんですけど、あまりにも電車が来ないので、みんなその線路の上で遊んだり写真を撮ったり、何ならお店まで広げちゃうわけですよね。
線路の上でお店を広げる、タイの湾国だったかな。
お店を広げていて電車が来るときにみんなが一斉に片付けるみたいな商店街というか露天商の有名な観光地がありますけれども、
そんな感じよりも多分電車が来ないんですよね。
電車が来ないのでみんなゆうゆうとその上で行商をしているわけですよね。
そこで朝ごはんというかちょっとしたチャイだったり、ちょっとしたお土産物だったり、揚げ物だったりを売っているところで私たちは遊んでいたというか、スナックを買ったり遊んだりしていました。
この山道を下るというのもよく覚えています。
だいたい前日に交渉して予約をしていたときには、OKOKその値段で貸切でタクシーに行ってやるとか言われるんですけど、
だいたい貸切じゃないんですね。
だいたいここでもね、タクシー貸切で行くとか言ってたのに、なんか知らないインド人の家族が前に乗ってたりとか、
ここでね、貸切だって言っただろうって言ってもいいんでしょうけど、その勇気はなかなかなかったわけですよね。
このジープも前3人、中央部3人、後ろ3人、計9人乗りの大型のジープだったんですけれども、蓋を開けてみれば15人いたという感じですよね。
だいたいそんなもんです。
だいたいキャパオーバーで人が乗っています。何でだって人が多いですからね。
そして、私たちはちょっと涼しかったね、山合の町ダージリンを別れを告げまして、ふもとのニュージャルパグリにたどり着きました。
ニュージャルパグリからは電車に乗って、夜行列車に乗って、次の目的地に向かいます。
本当はバラナシへ一足飛びに来たかったんですけど、どうしても電車の切符が取れなくて、途中でパトナーというところで乗り換えをするということになりました。
エアコンがついていない車両に乗ったのは、この時がもしかしたら最初で最後だったかもしれませんね、長距離電車については。
エアコンなしの長距離電車というのは、寝台列車というのは、窓に鉄格子がはまっていて、窓ガラスはないというスタイルになっています。
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鉄格子がはまっているのは、人がノリノリにそっからしないようにということだと思うんですけど、詳しいことはわかりません。
鉄格子も荒いので、そこからいろんなものが入ってきます。
よくインドの電車の映像を見たことのある方は、窓から人が出入りしたりとか、屋根の上に人がめちゃくちゃ乗っていたりとかする画像を見たことがあると思うんですけど、おそらくあれは今も昔もあまり変わっていないんじゃないかなと思います。
日本ではありえない光景ですよね。
それもまた一つ面白い、いい旅の思い出となりました。
それでは次回は、5月23日、14日。
インド滞在、14日目。旅も後半戦になっていきますね。
パトナーからバラナ市へ、ということでお伝えしたいと思います。
今回も最後まで聞いていただきありがとうございました。
前の放送は、こちらの概要欄にもすべて貼り付けてあります。
よかったら聞き逃したところ、聞いてみてくださいね。
そして、Xの方ではいくつかお写真を投稿しています。
これまでダジリンの写真がすごく長くいたので、
ダジリンの写真というのはそこまでいっぱいなかったので、あまり更新していなかったんですけれども、
これから移動していくたびに写真が増えていきますので、またXに関連する写真を載せていきたいと思います。
それでは今回も最後まで聞いていただきありがとうございました。
また次回をお楽しみに。お待ちください。