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こんにちは、横浜で15年以上犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は、旅の配信をさせていただきたいと思います。
プチセレブ・バックパッカー🇮🇳インドへ行く❣️
こちらは、21日間の間、私と学生時代からの親友が2人、大きなバックパックを背負って
インド各地を旅行した時の旅の記録を1日ずつ読み上げています。
過去配信は概要欄につけてありますので、もしよかったら他の配信も聞いてみてくださいね。
本日は、18日目、5月27日の記録を読んでいきたいと思います。
それでは早速スタートしてみましょう。
5月27日土曜日、インド滞在18日目、あーうるわしのタージ
アグラにて
朝5時にアラームが鳴る。窓のないこの部屋は外がどれくらい明るいのか、見当がつかなかったが、
5時30分頃に部屋を出てみると、もうかなり明るい。
照景ポイントの丘の上ガーデンに上がってみる。
ターハッジイマハルが緑の木々と朝靄の中に静かに佇んでいた。
近くにあった椅子に腰掛け、3、40分ぐらい、ただ黙って、だんだんと明るくなっていく空とともに、
輝き焼きを増していくタージマハルを眺めていた。
鳥たちがさえずり、飛んでいくのだけが、視界に映る唯一の動きである。
タージはあくまでもどっしりと、この海岸の主人公として鎮座しているように見えた。
太陽はタージとは反対の方向から昇ってきた。
朝のうちの方がいいだろうということで、一度部屋に戻ってから、タージイマハルの内部へ観光に出かけた。
入口で料金を払った。
こちら、インド人は1人50ルピー、外国人はなんと1人750ルピーである。
門をくぐる前のセキュリティチェックを受けて、ようやく中に入ることができた。
赤い石造りの正門越しにタージが見えたときには、背筋がピンと伸び、思わずゾクッとした。
さすが、この世で最も美しいと称される建物。
それ自体が貴重なものである白い大理石は、それぞれ特有の淡いマーブル模様をいただいている。
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柔らかいその石をここまで精巧に採掘し、積み上げたという当時のムガル帝国の技術の高さ、
そして計算されつくした左右対称の完全なる美しさ。
驚こされた草木柄、輝く模様のデザインの美しいこと、素晴らしいこと。
霊廟の前庭は同じように左右対称な池と噴水に彩られ、
そこに映るタージマハルの姿もまた、完全なる美を追求した結果のようだ。
息を呑みため息が漏れるほど、精緻かつダイナミック。
そして何よりロマンティックな建物である。
当時のムガル帝国の財政を圧迫し、その後の財政難の原因と一旦となったとも言われるが、
それでもこんな建物をこのように想像せしめたということ自体が奇跡である。
シャージャハン万歳。
巷では馬鹿皇帝の呼び名高き彼を私はあえて称賛したい。
彼がいかに妃、ムムターズマハルを愛していたのか、これを見れば嫌が多でもわかるというもの。
ただし彼女がこの墓を望んでいたかどうかは別問題である。
彼は息子によって遊兵された後も、
妃を愛したように同じようにこの霊廟をめでていたに違いない。
その思いが遥かなる時を越えて、
私たちに届いてくるのだ。
だからこそタージはこんなにも人を魅了してやまないのであろう。
間違いなく一人の男性の愛情表現としては、この世で最高のパフォーマンスである。
それほどにタージマハルは美しく壮大でロマンティックで女性的な魅力にあふれている。
艶やかで生めかしく、色気さえあると、
私は初めてこの目で見たように思う。
私はすっかりこの建物の虜になって、何枚も何枚も同じ写真を撮った。
それにしてもインド人たちは一体なぜ、高校に来てもまだ、
私たちと一緒に写真を撮りたがるのであろうか。
さっぱり意味不明である。
ちっちゃい子どもたちに、
写真を撮りたがるのであろうか。
さっぱり意味不明である。
ちっとも静かに、この建物と二人の時に浸らせてくれないのである。
一人で眺めていると、
ねえねえ、ジャパニーズでしょ?一緒に写真撮って?攻撃である。
もちろん、親友と二人で並んで撮影していた時なんかは、
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もはやポント町の舞妓さん並みの貴重品扱いである。
みんな、私たちじゃなくてタージを撮ればいいのに。
それでも私たちは、2時間以上ゆっくりタージマハルを堪能した。
これでこそ、個人旅行の醍醐味。
ツアーならばこうはいかないだろう。
歩いて宿に戻り、ホテルのレストランで無料の朝食を撮る。
きゅうりとトマトが挟んであるサンドウィッチと薄いチャイ。
食べなくても一緒のような気分がしないでもないが、
シャクに触るので食べてやった。
そしてこのサンドウィッチ、何の味付けもなかった。
部屋に戻り、冷房の利いた部屋で少し休憩をして、
12時にチェックアウトした。
最後まで愛想もクソもないホテルだった。
私たちは昨夜夕食を食べたシャンティロッチへ。
既に見せてもらっていたエアコン付きの部屋は割と綺麗で、
テレビもつくし、割引されて一泊で2人500ルピーだ。
これで十分。
テレビを見ながらまた一休み。
どっちにしても日中、太陽の高い時間に歩き回るのは自殺行為であるということ。
私たちは今まで嫌になるくらい経験済みなので、
観光は午後遅くからすることにした。
それでも空腹には勝てないので、14時過ぎ、ジョニーズプレイスで昼ごはん。
とにかくめちゃくちゃお腹の空いていた私たちはチャパティ3枚。
なんと、マトンカレー。
2種のチーズと野菜のカレー、フルーツらしいフライムレモンティーを注文。
早速ペロリと平らげた。
評判のマトンカレーは少し辛めで、
私の苦手なマトン特有の匂いもうまく消えていてた。
もう片方のカレーは驚くほどマイルドで、
香辛料のバランスもとれていて、とても美味しい。
うーん、ジョニーのカレーはどれを食べても美味しいな。
ゆっくり食事をし、15時30分くらいになってから行動を開始した。
昨日もこの店にいたリクシャーのおじさんに、
郵便局と両替屋を回ってもらってから、
アグラフォート、アグラ城に連れて行ってもらった。
田島春があまりに美しく印象的だったので、
迫力負けするかなと思いきや、
その思いはあっさりと打ち消された。
赤と緑のコントラストが美しいアグラフォート。
入り口は少しスコットランドにあるエディンバラ城を思い出させる。
明らかに異なるのはその石の赤さ。
別名アグラフォート。
明らかに異なるのはその石の赤さ。
別名赤い城と呼ばれているアグラ城は健康な造りである。
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入り口をくぐり中に入ると飾り気のない高い石壁の間の通路を通って抜けた先には、
青々とした芝生と赤い石のコントラストが鮮やかな石造りの宮殿が現れた。
中に進むにつれ、この城の勝者でロマンティックな面が現れてきた。
皇帝が息子のシャハンギールのために建てたという。
ここから北の方に進むと内部は赤砂岩の部分と白大理石の部分とが混在するようになる。
すかしぼりになった窓からは山南川が、そしてその対岸には田島春が静かに佇んでいるのが見えた。
川を眺めることができる空中に競り出した大理石のテラスで進みながら
友達と二人へ飽きることなく田島春を眺めていた。
おそらく遊兵されたタージの原律者シャハンもこうして毎日田島春を眺めていたのだろう。
彼は自分で建てた白大理石の小部屋ムサンマンブルシュに遊兵されていたという。
タージとはまた違った趣のある複雑な構造の建物の中を時間を忘れてゆらゆらと巡る。
ムスリム建築におろくある無数のドームやキオスク、回廊と幾何学模様の植物モチーフ。
やっと傾いてきた太陽の光が明暗のコントラストを生み出していく。
それは絵も言われぬほど幻想的で美しかった。
ここは華やかで残酷な歴史の物語を紡ぐ場所。
遥かな時を越え個人がその円柱の陰から鮮やかな衣装をまとって現れてくるような錯覚を覚える。
タージより人も少なかったためじっくりと見学し思いにふけることができた。
ここでも私たちは大人気。いっぱい声をかけられ写真を撮られたが、
印象的なのはみなりの良い若夫婦で召使いの青年を連れている人と出会ったことだった。
さすがおそらく貴族階級であろう。
アグラ城を出るともう18時を回っていた。
宿に戻ったが食事をするほど空腹ではないので、
ラッシーとチョコレートパンケーキでスイーツタイムをとった。
最後に夕暮れのタージマハルを眺めながら、
明日はいよいよこの旅で最後の町ジャイプールへ移動だ。
はい、ということで今回は18日目、
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アグラ、タージマハルとアグラ城、アグラフォートを見学した日の様子を書きました。
このアグラ城とタージマハル、アグラに観光に行った方は必ず立ち寄る場所だと思います。
実はこの数年後に私はもう一度、
今度は弟たち2人と一緒にこのタージマハルに2回目の観光に行きます。
アグラフォートもですね。
私たちが行った時は本当に暑い時期で、
この友人と2人、タージマハルを訪れた時も本当に暑くて、
タージマハルはですね、中をちょっと見ることができるんですけれども、
靴を脱がなきゃいけないんですね。
靴を脱いで代理席の上に裸足で歩くか、
もしくは靴下を履いて歩くかっていう感じだったんですけど、
今はわかんないですけどね。
この白い代理席の上がフライパンのようにすごく暑くて、
フライパンのようにすごく暑くて、
あちちあちちと言いながら必死で日陰に逃げ込んだことを覚えています。
なんだか変なことを覚えていますね。
ですが2回目にタージマハルに行った時は冬だったんですよね。
なので全然暑いところか、観光客の方もみんな長袖を着ていて、
なんだか同じ場所でも違う季節に来ると、
全然雰囲気が違うなという風に感じました。
タージマハルは本当に美しい、荘厳で壮大な建物でした。
ただし、すっごい人がいます。
これは夏行った時も冬行った時も思ったんですけど、めちゃくちゃ人がいる。
さすが世界有数の観光地ですね。
そしてですね、インド人は入場料が50ルピー、
外国人は750ルピーというね、
一体何倍の差があるんだろうという、15倍ですかね。
まあ、今ね、日本のインバウンドでいろんな観光地の価格っていうね、
観光税とか、京都のお寺、配管料を上げるとかって聞いたことありますけど、
もうね、20年前からインドとかタイとか、
カンボジアのアンコールワッツとかもそうでしたけど、
現地の方とね、観光客、特に外国人は値段が違うのが当たり前なんですよね。
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私は日本もそうしていいんじゃないかなというふうに思っています。
そして2回目ね、田島春行った時、
これ入場するのに非常に並ぶんですけど、
私が多分外国人観光客のところに並んでいたんだと思うんですけど、
その時にゲートのセキュリティの人が、
子供はこっちだって言うんですよ。
で、当然、子供さんが誰か並んでいるのかなと思って、
振り返ったら、なんと私のことだったんですね。
いやいやいや、ちょっと待ってと。
後ろにね、弟2人いたんですよ。
弟2人は完全に私の保護者だと思われてたらしくて、
いやいやいや、ちょっと待って、
私この中で一番年上なんですけど、
あれ、このくだり、どっかで聞いたことありますね。
私の旅をずっと聞いてきてくださっている方は、
ヨーロッパを3兄弟で旅行した時に、
ドイツのノイシュワンシュタイン城のお膝元の街で、
B&Bを探していた時に、
私が一番年下だと思われたっていう話があったと思うんですけど、
え、ちょっと待って、
私、インドで何歳に見えたの?って、
その時思いましたよね。
確か子供領金は、
14歳とか15歳くらいまであったと思うんですよね。
ちなみに私はその時、
確か24歳とか25歳くらいでした。
はい、やっぱり日本人の年齢を当てるって難しいみたいですね。
ということで、いよいよ次回は、
最後の観光地、
ジャイプールに行くことになります。
ジャイプールは、ラジャスタン州の中でも有名な街であって、
ラジャスタンというのは、
西の方にあたる都市なんですけれども、
来る方3人、
北と中部の方である、
ちょっと地図があるんですけど、
アグラとか、もうちょっと北に行くとデリーがあるんですけど、
デリーとかと全く違う、
さながらディズニーシーのアラビアンライトの中でも、
ラジャスタンの中でも、
ラジャスタンの中でも、
ラジャスタンの中でも、
さながらディズニーシーのアラビアンライトの世界のような感じでしたね。
とても私はこの街も大好きな街でした。
それでは、次回は19日目、
ジャイプールでのお話をしたいと思います。
今回も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
Xでは、私の旅の配信を、スタンドFのリンクを貼っていると同時に、
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コメント欄にて、私がこの時に撮った写真を、
4枚しか上げられないんですけど、4枚付けています。
よかったらご覧ください。