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こんにちは、横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は、旅の配信をさせていただきます。
プチセレブ・バックパッカー❣️インドへ行く🇮🇳
こちらの旅物語は、私が学生の時代を一緒に過ごした親友と2人、
21日間のバックパック旅行を記して、その日記を1話ずつ読んでいるというものになります。
今回は、5月16日火曜日、7日目をお伝えしたいと思います。
前回までの旅のお話は、
私たちは、雲梅からコロカタへ飛行機で飛びまして、コロカタからダージリンへ向かう途中、
長距離列車の中で、突然体調不良に見舞われました。
ダージリンに着く頃には、息も絶えて頭もフラフラ、おうとぎり、おかん、熱という感じで、
ありとあらゆる体調不良が一気に襲いかかってきた感じでした。
そして、やっとこさ、宿を見つけて、そこに転がるようにチェックインをして、
私たちは1日中眠り続けた、というところで前回終わりました。
それでは、今回の5月16日、7日目、スタートしていきましょう。
サブタイトルは、雨にも負けず、眠いにも負けず。
一体何時間眠ったのであろうか、気がついたら朝の6時30分だった。
まだ突き刺すような頭痛と高熱、おかん、ものすごいめまいは続いている。
しかし、おうとやぎりの症状はないので、おそらくはただの疲労だろう。
日本から持ってきた栄養補助食品のクッキーをやっと一つ飲み込んで、薬を飲んで再び眠りにつく。
とにかく体を休めるのが何よりの薬だ。
また目を覚ますと、午前8時ごろ、
友人が水と食料を買いに行ってくれた。
彼女も体調が悪いというのにありがとう。
一人旅だったらこんな風にはならない。
買ってきてくれたパンはまだ焼きたてでほかほかと温かく、
半分食べるのが精一杯だったが美味しかった。
少しは食欲も出てきたようだ。
昨日はずっと寝ていて気がつかなかったが、
ホテルの部屋の外はかなり騒々しく、
車のクラクション、音楽、犬や猫の鳴き声、人々の立てる物音、
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大きな話し声や歌声など色々な音が聞こえてくる。
インド人は全く遠慮なしに大声で突然歌を歌いだすのだ。
また少しうとうとして、ちょっとだけ気分が良くなってから、
ホテルのランドリーサービスに洗濯物を出しに行く。
宿の主人は私が熱があると言ったのを気にしてくれていて、
心配そうな顔で何度も薬は飲んだかと聞いてくれた。
ありがとう。まだ目眩が激しくて物につかまりながら歩いていたが、
気分はいくらか楽になってきていた。
部屋に戻って少し休むと、熱は引いてきていたみたいで頭痛も治り始めていた。
私はダージリンの町に少しだけ出てみることにした。
友人は本当に本当に心配してくれた。
遅刻は午後1時30分。
ダージリンの町は山のお根沿いに広がっているので、
家々は斜面に沿って建てられ、道もほとんどが坂道である。
そして道幅は狭く、とてもゴミゴミと混み合っている。
軽車の分も入れると建物が高く見えるので、
町の中の景観は良くないが、とても趣のある、どこかホッとするような町だ。
観光客も多く、世界有数の高級茶葉の産地として名を馳せているため、
町全体が豊かなのだろうか。
物恋の姿はほとんど見られず、露店に医用品など並ぶ小道が続く。
標高が高いので、ここではみんな長袖を着ているのが面白い。
ガイドブックの地図がまたしてもよくわからなかったので、歩くのに苦労した。
途中、2月から日本を出てバングラディッシュに行っていた、という日本人の青年に会った。
彼はここからネパールに向かうそうだ。
とりあえず目指すはチョーラスター広場。
途中でランチに入った店はイタリアンやアメリカン料理も置いてあって、
カレーにトラウマを抱きつつあった私たちはここに入った。
およそ丸1日半ぶりにまともな食事をとる。
友人はチーズピザ、私はベジタブルスープともも。
ももはチベット方面の食べ物、蒸し餃子だ。
全部は食べられなかったけれど、スパイスの効いたカレーではなく、
病人に優しい味がした。
ランチを終え、まっすぐ歩いてチョーラスター広場へ。
ポニーがたくさんいて、観光客たちが街中のトリッキングを楽しんでいた。
ランチを食べたお店のウェイドレスもそうだったが、
ここは純インド系の顔の人、モンゴルやチベット系の顔の人、
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ネパール系の顔の人といろいろな顔の人が混ざり合っている。
そのためか人々にとても親近感を覚える。
まつげばっさばさ、頬りが深くスッと鼻の通った。
純インド人よりものっぺりした東洋人顔にほっとしてしまうのは私だけではあるまい。
チョーラスター広場の端にあるベンチに腰掛け、
チャイを飲みながらぼーっと行き交う人々を眺めていた。
黒コンパイの体に濃いお茶にミルクと砂糖たわっぷりの甘ったるいチャイがうれしい。
午後の穏やかな日差しの中ポニーに乗った少女を撮影するお父さんや
シャボン玉を置く少年。
同じようにぼーっと座っているたくさんの人々。
とうもろこしを炭火で焼いているおばさん。
それぞれが思い思いの時間を過ごしているようだった。
広場の脇にあるチョーラスターティーショップでダージリンティーを買う。
秘境トレッキング専門の旅行会社の店長員にして
わが友人、ティー嬢のおすすめしていたお味酒だなと思い、
ちらりと話を振ってみると、
なんと店員のおじさんは私の友人ティー嬢を知っていて、
おー、ティーの友達か。
じゃあ、俺からのプレゼントを渡してくれ、と
一番品質のお茶を渡された。
ダージリンティーは品質別に称号が与えられていて、
最高品質のものは7つの称号をいただいている。
それは、
SFTGFOP
Super Fine Tippy Golden Lowly Orange Pickle
という、何と聞いても思えられない、
いつも長く長い称号である。
この頭文字が少なくなるにつれ、
品質の低いお茶になっていく、とのことだった。
それでも100グラム、100ルピー、約700円ほど。
元来た道をぐらぐら戻りがてら、
インターネットができるちょっと洒落たレストラン、
アンドカフェに入る。
国際電話もできるというので、
私はインドに来て初めて、
日本の自宅に電話をかけることにした。
とにかくなんとか生きていることと、
体調を崩してしまったことを告げなくてはならない。
実家にかけるとすぐに母が出た。
ちょうど花屋の友達にひそかに頼んでいた、
母の日のお花がカードとともに届いたらしい。
開口一番、母は母の日のお花のお礼を告げたのであった。
私は自分のことで手一杯で、
すっかりお花を注文しておいたことすら忘れていたのだが、
忙しかったであろう、
花屋の友達が忘れずに送ってくれたことに感謝した。
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一通り今までの旅の経過を報告し、
弟とも少し話をして電話を切った。
うちの家族は私の性格を知り抜いているため、
頼りがないのは良い頼りと全然心配していなかった。
とはいえ、発熱オートの件を告げたときには、
さすがに少し心配していたようだった。
その後郵便局でポストカードと切手を買ったり、
宿の近くの別の紅茶屋さんで
いろいろなお茶を試飲させてもらったり、
病み上がりの割にはまずまずの堪能ぶりだった。
宿に戻ったのは午後18時過ぎ。
シャワーを浴びたいと思ったが、
タンクのお湯の湧く気配はない。
仕方なく呼び出しベル。
この宿は小さくて安いわりに、
ちゃんと呼び出しベルがついており、
必ずすぐにスタッフが来てくれるのは素晴らしいと思った。
そのベルを押した。
すぐにスタッフがやってきて何か作業してくれた。
しかしお湯が湧く気配は全くない。
再度ベルを鳴らすと宿の主人自らが出てきて、
タンクにつながるコンセントを探し始めた。
5分くらい鼻歌を歌いながら、
バラバラになったスイッチをいじって、
大丈夫と言い去っていく。
本当か?
とりあえず30分ほど待つとお湯が湧いた。
ああ、ここでやっとシャワーを浴びることができた。
のは最初のシャンプー、あとは水。
というのもタンク式なので、
その中のお湯を使い切ってしまうと、
次のお湯が湧くまでもうお湯は出ないのだ。
ヒニヒニ言いながらシャンプーをつけてしまった髪だけ、
なんとか洗い流す。
コルカタを出るときに洗ったっきり、
どうしても洗いたかったのだ。
私が修行のような行水のときを終えると、
すぐに宿の主人がやってきた。
お湯は出たか?と聞いてきたので、
イエスと答え、
すっごい熱いお湯が飲みたいの。
持ってきてもらいますか?お願い。
と頼むと、
よし来た!と陽気に歌を歌いながら戻っていく。
大事に大事に、
日本から持ってきたインスタントの味噌汁を飲もうと思ったのだ。
が、運ばれてきたのは、
なんとも頼れない温度のお湯。
仕方ない。
とインスタント味噌汁を作る。
今までの人生の中でおそらく一番ぬるい味噌汁だったが、
一番おいしいと感じた味噌汁でもあった。
ああ、もっと熱ければ。
体調は回復してきたように見えた。
食欲も出てきたし、
明日はもっとずっと良くなっているに違いない。
と信じて再び眠りについた私であった。
本日の歩数、4700歩。
はい、ということで、今回の旅日記はここまでとなります。
今回は、ダージリン町を初めて散策した、
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インドに着いてから7日目のお話となりました。
インド、日本から日本を出発して7日間、1週間ね、
全く家に連絡もしなかった私ですが、
全く心配をしていなかった親というのもさすがだなと思いました。
今みたいにね、
インターネットがいつでもどこでも手の中に入るスマホ1台で
やりとりができるという時代では全然なかったので、
すごく真面目に電話をかけてくるか、
もしくは全く電話がなくて大ピンチの時だけ連絡があるかどっちかという時代でしたね。
懐かしいなと思います。
この宿の主人というのは、ネパール系のお顔立ちをした、
我々日本人に近いような顔立ちの陽気なおじさんだったことを覚えています。
ただですね、やっぱりね、非常にお湯が出なかったこともよく覚えていますね。
改めて、日本人ってお風呂に毎日入るじゃないですか。
冬は特にね、贅沢な民族だなって思いましたね。
しかも飲めるきれいなお湯で、毎日毎日シャワーを浴びたり、
夏はシャワー、冬はお風呂という感じでね。
湯水のようにという表現がありますが、
それはやはり日本が水の国、水に恵まれた国、
そして上下水道の設備が整った国であるからだなというふうに感じました。
コルカタとかムンバイとかは暑かったので、ほとんど水シャワーだったんですね。
それでも全然よかったんですけど、
ここダージリンはやはり標高が高い分、
みんな街を行く人たちはほとんどが長袖を着ていましたし、
私もここでは長袖を羽織っていました。
半袖一枚ということは、日中の太陽がかなり照りつける時間帯以外はなかったと思います。
なので、夜にシャワーを浴びるのが水だとかなり厳しいんですよね。
ただ、ここでは本当にお湯が出なかったなという記憶があります。
まあ安い宿なんでしょうがないなというのもあるんですけどね。
そしてですね、ダージリンといえば世界的に有名なダージリンティーの名産地。
このダージリンティーを売っているお店がたくさんあるんですけれども、
やっぱり観光客を打って一発で分かると、
本来はそんなに品質の良いシャワーではないんですけれども、
あまり良くないシャワーなのに、これは最高品質だと言って売りつけられる高額でね、
ということはよくある話だよということを私は事前に聞いていました。
大学時代の親友がですね、なんと秘境専門の旅行会社というすごいレアなところに勤めておりまして、
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昔ね、今はもう辞めてしまっているんですけれども、
彼女に事前に情報を聞いていて、ダージリンに行くんだけれども、
お勧め、安心できるお茶屋さんはあるかということを私は彼女に聞いていました。
そこで聞いていたティーショップに行って、彼女の名前をつけたら、
おじさんがもちろん彼女のことは知っているよと、
このお茶だったら自身もっとお勧めできるよということで、
ダージリンティーの中でも最高品質のお茶を出してくれたということですね。
持つべきものとも、はい、だと思います。
今ではね、もっと違う品質管理の仕方であったりとか、
もうちょっとデータ化されていたりとかってあると思うんですけど、
情報までいろいろたくさんあったと思うんですけど、
とにかくこの当時はインターネットですぐに検索すれば、
どんな国のどんな細かいところ、どんな田舎のところの情報でも
ポッと出てくるという時代では全然なかったので、
こうしたね、人の情報、生きて情報、こういった人たち、先人が残した情報というのがね、
何よりも貴重な時代でした。
だからこそ旅が面白かったという時代でもありますね。
ということで今回はここまでにしたいと思います。
次回もまだまだダージリンにおきますよ。
次回は5月17日水曜日8日目、ダージリンでのお話を楽しみにお待ちください。
それでは今回も最後まで聞いていただきありがとうございました。