ツアーの概要と梅林さんの紹介
今日はですね、まだ京都にいまして、梅林秀幸さんの街歩きツアーに参加してまいりまして、その所感・感想を述べたいかなと思います。
梅林さんについてはですね、ジュリーが何度か配信で語られていると思いますが、街歩きのスペシャリストでしてですね、歴史家の方ですね。
マイマイ京都というですね、ワンデイツアーを中心とするツアーをですね、このマイマイ京都さんという所がやられていて、これ多分日本最大級なんじゃないかな?
京都を中心にですね、ワンデイツアーをいろいろと企画されていて、そこにまあ
各々スペシャリストさんがですね、各々ツアーをですね、ワンデイツアーを企画されていて、それに申し込むみたいな形式なんですが、
京都が一番大きくて、東京もですね、やってるんですが、京都の3分の1程度ですかね、京都ですと週末にもう
5とか10コースぐらい、スペシャリストがですね、企画されていて、それにまあ各々ですね、
興味ある方が申し込むという感じなんですが、梅林さんもですね、
月に8回ぐらいですかね、ツアーをやられていて、僕らはですね、僕とジュリーはですね、
というかあの
あれです、ブラタモリの初期の頃ですね、
コロナ前ぐらいですかね、初期の頃の京都編なんか全て
4,5シリーズあるんですが、全て梅林さんが
案内人をやられていてですね、それにちょっとハマっていてですね、でまあ
こんなすごい人いるんだ、みたいな感じだったのを、ジュリーが調べてくれたら
毎々京都というところでそういうツアーをやってるよ、みたいになったのと、コロナ禍が重なってですね、
コロナ禍でどこにも行けなくなっちゃったというか、外に出れなくなっちゃったというか、遊べなくなっちゃったっていうのでですね、
そこから我々は京都に入り浸りみたいなのに入っていくんですけれども、
なので、週末になると京都に行ってたんですね。その時に毎々京都さんの梅林さんツアーっていうのも
見つけてですね、それに申し込んで
何コースぐらい? 梅林さん自身はですね、多分20から30コースぐらい持ってて、
京都中心なんですが、姫路城とかですね、安土城とか、宮島、奈良、法隆寺、
東大寺、薬師寺等々ですね、いくつか彼なりのスタンスでですね、
構成されたツアーをやられていてですね、それのほとんどに参加したんじゃないかな、当時はですね、
新幹線も自由席がガラガラっていう感じだった頃です。 それでですね、京都に行ってはですね、
駅前の京阪ホテルに泊まって、
金曜日にどうしたりして、金の夜入って、同日と過ごして、月曜の朝、
会社に間に合うように朝5時台の新幹線で帰るみたいなことをやってましたよね。
めちゃくちゃっていうか、めちゃくちゃなんですけど、それで京都にもドハマリしたし、梅林さんにもドハマリしたし、
って感じで、その延長線上でですね、 京都で拠点を構えることになってしまったわけなんですけれども、
梅林さんの素晴らしさというかですね、 特徴はですね、
街歩きが専門なんで、現在の街並みっていうのと、 古地図をベースにした街並みというのをですね、
同じマップに当てはめて、あと東高線とかをですね、 意識しながら、高低差を意識しながらですね、
今に残るモニュメントみたいなのを意識しながら、
まあなんていうかですね、過去が立ち上がるかというようなですね、 まあそういうツアーをやるんですよね。
例えばあの樹楽台のツアーとかですね、 樹楽台ってもうないんですよね。
ないのにもかかわらず、そこにもう本当に取り壊されて、普通に街並みがあるだけなんで、そこにマンションがボンボンボンと建てたりするんですが、
あたかもですね、もう 樹楽台がそこにあるかのようなですね、ないんですけど、あるかのような
別にVRグラスとかかけてるわけじゃないですよ。でもあるかのようなですね、 その歩いていく中と遠くと
遠く力によってですね、本当にあたかも樹楽台がそこにあるかのように見えるっていうですね、恐ろしい
ツアーをされる方なんですよね。 まあ本当に
地方面、京都方面におられる方はですね、 絶対参加した方がいいですよ、梅林さんのツアーは。
というちょっと梅林おしんをですね、久々に意識して、意識というかですね、
意識せざるを得ないような、ちょっと素晴らしいツアーに参加してきたので、その感想を述べたいなと思っています。
源氏物語のツアー内容
今日はですね、その源氏物語ツアーだったんですね。 源氏物語の
後半というかですね、エンディング、ある種のエンディングですね。 理重城に入る前のエンディングというのは
源氏がどんどん不幸になっていくというところの話なんですけれども、
そんな中ですね、彼が晩年にですね、六畳院というですね、
一大施設、自分の家ですね、屋敷を構えるんですが、 これがですね、実は過去に習って、
光源氏の
モデルになる人って、源の通るっていう方がいるんですが、 彼が河原院というのを建てるんですが、
そこがモデルになっている六畳院というのをですね、物語上建てるんですね。 そこがですね、その一帯がまさに
僕らがですね、
京都で今日構えているところの中にバッチリ入っているところで、 えーそうなんだと思っていてですね、後からそれを知って、
そのツアーを、 梅林さんのツアーを見つけてですね、いやこれは絶対参加しなきゃいけないなと思って
参加した、今日の1時半から5時ぐらいの街歩きなんですけど、ずっと
そうですね、今の地図と、当時の平安京の地図と六畳院の場所ですね、 そんなのを見比べながら歩いていくんですが、
そのあたりをですね、 つまり自分地を中心にというかですね、自分の郷を中心にぶらぶらと
歩きながら、スポットスポットを解説いただいたので、めちゃくちゃ貴重なツアーだなというふうに
思ってまして、特に現地後期のですね、 エンディングの迎えにあたって、女三宮を迎えるって、そこからどんどん
没落、不幸になっていくわけなんですけれども、現地物語は。 そこから色々とありまして、
その子孫というか、末裔が宇治十条の物語を繋いでいくことになるんですけれども、
その辺の話をですね、その六畳院の場所を中心に話しているというところがですね、
まあ なんですかね、その
現在と過去、過去も、史実と現地フィクションなんで、フィクションを
縦横無尽に織りなすようなですね、 それをですね、
歩きながら資料1枚ペラでですね、地図の資料と、あと現地物語の資料をA3にまとめられている、
表面裏面でまとめられているんですけど、それをベースにですね、
語る1時半から5時だから、3時間半?
合ってる? なんですけど、本当にもう本当にためですよね。
これですね、現地に興味がある方で、 こちらにお住まいの方はですね、多分またやると思うんで、
これはぜひ参加した方がいいですね。 毎々京都で、毎回やるかどうかわかんないんですけど、毎々京都をフォローして、
ツブさんですね、見なきゃいけないんですけど、 それで梅林さんがこの
六畳院ツアーをやるっていうことになったら、絶対参加した方がいいですよっていうかですね、 誰得なのかな?何を僕が言いたいのかわからなくなってきたんですけど、
建物の現状と町の変化
いや感動しましたね。本当にすごいですね、梅林さんって。
で、その六畳院の中にですね、 現在でいう五畳楽園がその中にあるんですけれども、
それがですね、2007年まで、 梅林さん曰くなんですけど、もう飛び出しんちのようだったって言うんですよね。
で、2007年ぐらい、2007年、8年にですね、 あることが理由でですね、一斉にそれがなくなるんですけれども、
そのあることは何かっていうのは、ちょっとネタバレしないようにしますが、
それまで本当に飛び出しんちと同じような場所だったと いうことを聞いてですね、さらに驚くというかですね、
大阪の飛び出しんちはですね、カンナさんにですね、 あの光景をご案内いただいた、あれが残っているので、
確かにですね、そういう目線で見るとですね、 あの辺りの、
この辺りのですね、五畳楽園建物がですね、 そういう形態になっているなぁみたいなのが改めて分かれたわけですよね。
いやいやいやっていうかですね、まあそういった建物を
最近はですね、壊したりすることなくですね、 その店の構造をですね、生かしつつ、今の若い人たちが新しいものにですね、
改変していって、 カフェにしたりお店にしたりですね、宿泊施設にしたり、ゲストバー、ゲストハウスにしたりと、
いうふうにしているということをですね、 まあそういう目線で改めて見るとですね、ああなるほどと、
素晴らしい動きだなぁというふうに思っていてですね、 まあそこには、
団塊の世代も団塊ジュニアも関わっていなくてですね、 もっと若い世代の人たちがですね、少しずつこう町を
壊さずにですね、生かしながら 新しいものに
変えていこうという姿勢がですね、見えて、 あの
まあそういった意味でですね、
自分が住んでいる場所をですね、改めて見る目が変わるというかですね、 いやまあそういう意味で本当に良いツアーに参加したなと思いましたので、
記録に残したいというふうに思いました。はい、ではまた。 ありがとうございました。最後までお聞きいただいた皆様ありがとうございました。