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はい、こんばんは。 今日、横山さんがですね、東京別院の
本尊のですね、楽器に向けたお経を今日あげていらっしゃいまして、スタイフにもアーカイブが上がっていると思います。
なんか、なかなか難しい感じのトークになるので、どうしたもんかなと思いながら、一応話してみますし、
途中で挫折するかもしれないし、 どうなんだろうというところですよね。
で、ドラマですね、見終えました。ライフスタイルみたいな女優さんだっていう話をしましたが、倉氏仲奈さんのですね、
トゥルーカラスですね。
終わりまして、なかなか良かったですね。 素晴らしいんですけど、
これってやっぱり、なんか素晴らしいとか言いながら、配信も、SNSも含めてですね、宣伝しがいがないっていう感じがしますよね。
これがネットフリックスとかそういうところでやってますとかって言うんであれば、URL貼っときますみたいになるんですけど、
一体これが配信されてるのかされてないのかもよくわからないし、
それがもう一回再放送されるかどうかもわからないし、みたいな、宣伝がしがいがないというか、
これもなんか、 まあちきりんさんもそんな話してましたけど、
テレビ各局は考えたほうがいいと思いますね、これ。
例えばNHKで言えば、
受信料払ってる人はもうネットで延々に見られるとか、 海外で受信料払ってない人はサブスク料金払うとか、
受信料払ってない人は当然見れないというか、受信料払ってないという人がいないというふうに立て付けになっているので、
多分法律上はね、あれなんですけど、
課金とかで見られるとかね、そういうことをしないと作ったものが広がらないですよね、とかって思うんですけど、
それは僕が考える話じゃないのであれなんですけど、 とにかく素晴らしいものが拡散しようがないという無力感は、
無力感もそうだし、共有、 みんなと共有できないっていうのはやっぱり
今風じゃないですよね、と思います。 まあそれはそうとして、
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最終回の シーンはいろいろと
なかなか素晴らしいですね。 ネタバレになりますが、
漁船がですね、 彼女を祝福化するかのようにですね、船をバーッと出してですね、
あれも完全に祇園祭りですよね。 もう祇園祭りの祠が
栄光しているかのごとくですね。 門出を祝うというか、あの海の祇園祭りですね、あれはね。
なんかそういうの、 水本さんとしてはすごいわかっていて、
彼なんか、 門出っていうキーワードで、
京都人の時も門出みたいなタイトルで番組1本、1本というか、 タイトル作ってたと思いますけど、
門出、祝福、 福音みたいなね。
特に福音みたいな言い方は、 天草みたいな地域にはフィットする言い方ですよね。
僕は後藤にしか行ったことがないので、 後藤もキリスト教文化が根強いところなので、
教会もすごいたくさんあるんですけど、 それに近いんですかね、そういう雰囲気を天草にも、
映像上ですけど感じまして、 福音かなという、
祝福されているっていうことって大事ですよね。
誰もが祝福されて敷かれべきなので、 みんな祝福されて生きていきたいですよね、みたいな。
ちょっと言ってみたりします。
ちょっと話変わりますけれども、
こないだから山口周さんの話をずっとしてるんですけど、 ボイシーで配信を復活されていてですね、
ずっと聞いていて、 過去のも含めてずっと聞いてるんですけど、
あれですね、ボウもですね、 亡くなっちゃうかもしれないんで、
早く聞いた方がいいですよっていうか、 なかなか素晴らしい配信をですね、
過去も含めてしてるんで、 僕はさかのぼって聞いてるんですけど、
彼への安心感というか安定感というのが何なのかなとかって思って、
聞きながらいろいろ考えてるんですけど、
やっぱり一つあるのは、なんていうか、 キリスト教的というか、西洋的というかですね、
なんていうか、宗教をちゃんと理解している人の言葉は強いなというか、
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ちょっと簡単には言えない話なんですけど、 そういうふうに思いました。
ところどころにですね、日本には社会が抜け落ちてて世間ばっかりがあって、
世間がワーワーワーワー言ってるっていう話とかですね、 本当にそうなんだよなぁとか思いながら、
世間がワーワーワーワー言ってですね、 だいたいテレビとかワイドショーとか、
団塊のジジイババーとかっていうのは全部世間ですよね。 ワーワーワーワー言ってるだけなんで、
そこに社会があるとは到底思えないというかですね、 ワーワーワーワー言ってるだけっていうところが、
そのワーワーワーワーワーが政治に反映して、
政治も何だかくだらない選択をボンボンしてますよね。 というところが本当に不満なんですけど、
しょうがないのかなというか、 ベルトコンベアみたいなもんなんで、
そういう連中がですね、イヤン王でもいなくなるのを待つしかないというかですね、
自然とこの世を去っていくので、 それを待つしかないのかなというかですね、
本当にくだらない、 くだらないって言っちゃいけないですかね。
まあそうですね、非論理的な、 論理的じゃないことを言ってはいけないですね。
ちょっとこの件に関してはしっかりともう一回、 知人に足をつけて評論したいとは思ってるんですけれども、
僕の所感で言うとですね、やっぱり宗教を知っている安心感っていうかですね、
そこが山口さんへの信頼感に僕は今のところなってますというところです。
話を前段に戻しますと、横山さんと僕らで東京別院というのをやりましょうみたいな話をしてですね、
それを進めているわけですが、その前段で明日山梨を訪ねてですね、
そこでも多分ご本尊を拝見させてもらうことになるんだと思うんですけど、
一般的に言うとあれですよね、 結局宗教は怪しいみたいな話になりますよね、怪しい怪しいみたいな。
この件、東京別院を横山さんとやりますみたいな話を、多分普通に友人、知人に話したら、
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何それ怪しいみたいな、絶対言うと思うんですよね、怪しい怪しいとかって言って、何だわからないけど怪しいって言うんですけど、
こと、この僕らの音声配信界隈というかですね、僕らの音声配信や、当然横山さんのところからも、
そういう怪しいなんて言葉は聞かれてこないんですよね。 そういうのって
何なのかっていうと、
まあその
言葉で発信をお互いしているっていうところと、それをフォローしている方たちとの信頼関係というかですね、
そこで横山さんへの信頼とか、そこには
中村敦彦さんが横山さんを信頼しているとか、 春木先生が横山さんを信頼しているとか、横山さんと細野剛史さんが対談したとか、
まあそういった話があって、我々は我々で、我々なりに何らかこう言葉で配信していることが
なんとなく信用できるというかですね、そういうふうに思ってもらえるからこその、なんかこの
東京別院が 音声配信上というかですね、
怪しくないっていうふうに思ってもらえるというか、まあこれなんか難しい言い方なんですけど、結局
なんでしょうね、あの
やっぱり 宗教とか文化とかへの
この間もあのお茶を
中村ご夫妻と里見さんにお茶を出してもらって、それをたしなんでみたいなところとかですね、薄っぺらいくないんですよね、なんか
わちゃわちゃもしてないし、なんかこうペラペラでもないし、みたいなですね、そういう宗教も文化もしっかりとした厚みを
持った中での関係性みたいなものをですね、 作っているってことを感じてもらえているっていうところが
大きいんじゃないかなというふうに思ったりしています。
ちょっとなかなか語るのが難しいんですけれども、まあそういうですね、あの
カンナさんのワードで言うと、パフパフとかペラペラとか薄っぺらとか、わちゃわちゃじゃないですね。
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世界がまあようやくやっと 2025年になってやってきたんだなっていうのが
まあそういうのを深く感じる、感じますよね。 まあそんなことをちょっとですね、あの
思いながら、うまく話せている気がしないんですけれども、話をしてみました。
はい、まあそういうわけで明日、 山梨南アルプスへ行って
参りまして、 横山さんからご本尊預かってこようと思います。
はい、ではまた 配信させていただきます。
ではでは