1. 何者でもない者たちへ
  2. #1-2 唯一無二の親友。かつて..
2025-08-27 31:48

#1-2 唯一無二の親友。かつての友達との出会い直し。【何者でもない者たちへ/ゲストNo.11: なにもち11/その2】

前回に続き、ゲストの「なにもち11」さんとの対話です。中学時代にたった一人の「親友」と築き上げた「二人だけの世界」。その強すぎる関係は、彼女の人間関係におけるトラウマとなり、今も「親友」という言葉を口にできないと言います。

しかし、40代になり、仕事や家庭、体調の変化といった「弱さ」をさらけ出せるようになったことで、人生の新しいステージで「出会い直す」ような、本質的な関係を築き始めています。

学校教育や兄との比較から生まれたコンプレックス、そして、「正論じゃない大人」との出会い。


▼インタビュー記事

https://note.com/preview/nc21c07714ea9?prev_access_key=9bbf0dfabbe2b6b0f6e40b4c47308477


#40代女性#フリーランス #3児の母 #帰国子女 #生きづらさ #人間関係の悩み #親友 #トラウマ #視点を変える #居場所作り #セルフケア #心の共有

サマリー

このエピソードでは、友人との再会とその関係が深まる様子が語られています。過去の友達との感情の共有や、脆さへの理解が進むプロセスが描かれ、親友という言葉の意味について考察されています。また、親友との関係や過去の友人との絆の再評価も行われています。帰国後の友人関係の構築や、内気な性格がもたらす依存的な傾向についても掘り下げられています。さらに、中学時代の親友との絆や共通の思い出についても語られ、学校生活や大人との関わりの経験が新たな視点を与えています。

友達との出会い直し
【何者でもない者たちへ】、前回からの続きです。
大学とか、新しい友達に対しても、どこか怖いというか、踏み込みきれない。
そうですね。当時はそうでしたね。
小学校の時は、めっちゃ内向的で、全然喋れなくて、人前とか超苦手だったんですけど、
小学校の時も一人仲良い友達がいて、その友達じゃなくて親情の友達で、その子といつもずっと一緒にいるみたいな。
友達は一人もいなかったっていうことではないけど、
小学校の時はそれで、中学になってめちゃくちゃ親友とずっと一緒にいて、中学3年間それで、
高校も途中までそうやってやってて、でも途中でそもそも家にいなくなっちゃったから、
まあでもそこそこ仲良い友達もできて、高校出て、大学行って、
でもそれなりに仲良い友達もいろんなところでできたし、
一人暮らしは、うちの大学の女の子専用のアパートだったから、
一方のアパートの友達とかはめっちゃ仲良くなって、ご飯作ったりとか出かけたりしたりして、
それはそれでめっちゃ楽しかったんですけど、
学部の友達もできて、学部の友達は今もつながっている人少ないけどいたりして、
全部それなりに楽しくはあったけど、
でもそれはやっぱりその時に共有していたものがあったからつながっていたけど、
徐々にみんなそんな縁が少なくなっていき、
今つながっているのは本当に片手で数えられるぐらいしかいないんですけど、
でもやっぱり最近すごい思うのは、
そういう学生時代の友達とかと出会い直している感覚なんですよ、最近。
脆さを共有する
出会い直す。
当時よりめっちゃ深い話ができるようになっていて、今一人と。
だから当時よりもすごい関係性が濃くなっている人が何人かいて、
これってなんかこう、親の死とか、
放念期とかホルモンの揺らぎとかで体調崩したりとか、
いろんな悩みとか弱さみたいなものが出てきているので、私の世代って今。
そういうものをみんなちょっとずつ喋るようになってきて、
悩み事とか心配事とか、
そうするとお互い弱さとかできなさみたいなことが見えてきて、
そういうのって若い時はなるべく人に知られないようにしているじゃないですか。
そういう話をすると暗いところに生まれると嫌だから、
そういうところですごい本質的な話をし始めて、
そうすると、この人こんな人だったのかみたいな、
全然イメージが180度違うみたいな。
そうすると親近感というか、やっぱり自分も弱さを見せられるようになって、
本当にすごい、こんな人とできたのは初めてだみたいなことがお互いやったり。
で、恋に関係に慣れている人が、
特に今一人、たまたま近所に住んでたんですけど大人になってから。
その子とか本当に小学校から知ってたけど、
当時はその子はめっちゃ勉強も運動もできて顔も可愛くてスタイルも良くて、
絵のお気に入りで、私なんてみたいな気持ちで見てたんですよ。
なあの憧れでかっこいい彼って。
って思ってたんだけど、その人と喋ってみたら、
実は結構家庭関係が複雑だったり、すごいコンプレックスだったり、
仕事を頑張りすぎて鬱になっちゃって、その子が。
すごいそういう弱さとか、
自分もカウンセリング受けててとか、
実は結構私と似てることとかいっぱいあって、
すごい人間らしい人だったんだなあって思って。
やっぱりそういう弱さとか見えてくると、
愛おしい気持ちになってきて、その人のこと。
前はこういう人だし、私と全然違うんだろうなあって、
幸せなんだろうなあみたいな、あんま興味なかったんだけど、
同じように悩みとかあるんだなあって思って。
今めっちゃ何でも話せてすごい仲良しなんですよね。
一緒に空手もやってるし。
結構そういう関係が築けるように大人になってきて、
そういうのってもうなんか、
そういう深さまで一度行った関係は、
多分自然に続いていくだろうって思えるし、
親友の定義
なんか続けなきゃいけないみたいなプレッシャーはないんですよね。
もう自然をなっていくんだろう。
安心感みたいなのもあるんですか?
もう安心感すらないぐらい、自然になっている。
何でも言えるみたい。
こういったのもあるかなとか、思わないで自動的に何でも言えるし。
今はそういう関係が築いているんですけど、
そういう関係が築いていると、
自動的に何でも言えるし。
今の言い方嫌だったとか言えるし。
それ言っても離れていかないし、
そこでそんなことで、
めちゃくちゃ嫌いになったらこれ以上なくなるみたいな。
自分のこともめっちゃ隅々まで知ってくれてるから、
私がこういうことを言った背景もきっとわかるだろうから、
言っても大丈夫。
全部全部何も話してないことないから。
それはやっぱり、いろんな全てを共有したから。
そうですよね。
お互いの旦那さんとかも愛おしく感じたりとかして。
そういうことを共有してるんですね。
何が良いとか悪いとか。
そうすると向こうの旦那さんも私のことめっちゃ好きになって。
面白いですね。
すごいですよね、やっぱり。
それだけの深い感覚では。
そうか。
一つ解決というか、
今まで感じて、
高校、大学を感じてきた一つの共通感みたいなものは、
今はちょっと解消された。
そうですね、考えてみたらね。
その観点で見てなかったけど。
これは積極的に共有しよう、お互いのそういう旦那さんの言うか、
共有しようみたいなことになったのか、自然とそうなったのか。
なんか、やっぱり彼女が鬱だっていうことを聞いて、
私もわりといつもよく鬱的な感じはあるので、
めっちゃわかるよみたいな、そういう共感が始まり、
そうするとお互い言いたくなってくるっていうか、
2人とも心理学とか興味あったり、カウンセリングとかも興味あるから、
共有するものがどんどん増えていって、
そういう関係になってきて、
そういう心の内に入れて、
そうなのか、あの人に知ってもらいたいなみたいな気持ちになって。
えー、知ってもらいたいっていうところまで行くんですね。
自分のことを。
私はこんなに、気持ちを知ってもらえばいいなみたいな気持ちになってくる、
そうすると、そんなにも、
私はこんな人間です。こんな形をしています。これができないです。これができます。
そうですね。それについてどう思うかも聞きたいし。
この人から。
意見というか感想まで。
そうですよね。
だからやっぱりあの人の考え方とかも好きだし。
やっぱり相手にずっと興味を持っていて、
また会いに行きたいと思うし。
そうか。でもそれって相手によって違いますよね。
求めるものというか。
この人はいろんなことに興味があって、
いろんなことに造形が深くて、
面白い意見をくれるし、
そして私のことをめっちゃ大好きだから。
私がこんなことをやったよっていうことを言いたい。
言うと絶対喜んでくれるから。
いろんなことを報告したくなったりするし。
でもやっぱりお互いに興味を持っているし、
お互いいろんなことをやっているから、
こういう進捗をお互いに報告するのも面白い。
新しい刺激をもらえる。
そうじゃなくて、ただ会うと心地よいっていう友達もいますよね。
そういう新しい刺激が欲しいとかじゃなくて、
いつものあの感じになりたいみたいな。
手によってやっぱり違いますね。
そういうことを本当にそれぞれが共有するものは違うから、
でもやっぱりあれですね。
そこまで行って解決かってさっき言われて考えたけど、
でもやっぱりその一番最後のその怖さみたいなのはまだあると思いますね。
一番最後の怖さ。
同じ温度で親友って言えないっていう。
一番最後の怖さ。
一番最後の怖さ。
言える必要もないかもしれないけど、
クリアかって言われたら、そのトラウマは多分ね。
でもそういうもんですよね。
今でも涙が出ちゃうぐらいだから、
それが消えることはないと思う。
それはそれでこういう思い出だから。
多分なくなることはないでしょうね。
でもそれもしかしたら相手も言ってほしいかもしれないですよね。
相手も言ってほしい?
私の方から、あなた親友だよって。
言ってこれなかったんですか、今までって。
言えないんです、今でも。
重いかも。
言われたら、私もって乗っかることはないと思うんですけど、
それはやっぱり重く思われたくない。
なんなのかな。
あらゆることを共有しているはずなのに、
それは言えないんですね。
そうですね。
私の語彙の中にないんですよ、親友という言葉が。
そういう意味で、
私の語彙の中にないんですよ、親友という言葉が。
そういう意味で、
私の語彙の中にないんですよ、親友という言葉が。
親友って何なんですかね。
でもうちの娘とかは、私は親友って一人だけかなって思ったけど、
普通の娘は親友がいっぱいいるんですよ。
あの子もあの子も親友って言って、それって親友なのって思うけど。
でもね、それによって言っていたりとかでしょうね。
それぞれ。
なんかその、唯一無二みたいな気持ちを持っているんですよ、私は。
親友との関係の再評価
そんなことないですか。一般的にはそうじゃないのか。
別にそれこそそれぞれ定義があると思いますけど。
確かにな。
でも唯一無二まではちょっと強いかなって感じはしますかね。
かなり強いつながりがあるけど、
いやでも自分の場合は、自分も結構特殊だと思うんですけど、
結構親友かそれ以外かみたいな感覚でいるやつ。
一人?
一人じゃないんですけど、それこそ仲良い、めっちゃ仲良いか、
全然知り合い系とかっていう。
その間がない。
数人がめっちゃ仲良いって。
仲良い中にも確かに多少グラデーションありますけど、
でもやっぱりその人たちとはいろいろ喋れるし。
そうですね、一人の人とすごく強くってのは、
場面場面では確かに言ったかもしれないけど、
長いスパンで見ると、それぞれ唯一ってのはあんまりなかった。
それは本当にそれぞれだと思うんで、
言い悪いとかじゃないと思うんですよ。
こうしなきゃいけないとかそういうことじゃないと思うんですけど。
今気づいちゃいましたけど、
たぶん中高のその子を結びつつと、
私の中で美化しすぎてるというか、
それが親友の最終形態と思ってた。
それが傷みたいな感じで残っちゃってるから、
たぶんそれを超えられるものがないんですよ、この先も。
たぶん親友って聞くとドキッとしちゃうし、
それだって言えないんですよ。
なるほどね。
帰国後の友人関係
今思った。
こんな気がする。
皆さんにとっての親友はこの人しかいない。
その人しかいないんだと思いました。
そうか。
こんな気がする。
そうかも。
一番最初、小学校のときすごく仲良かった。
もう親友とは呼べない。
その子もめっちゃ仲良かったけど、
でもやっぱり期間も短かったし、
その子は私立の所に行っちゃったんですよ。
小学校の2年間ぐらいかな、近所の子だったけど。
でもやっぱりまだちっちゃかったし、
そんなに深いことを共有したりしていたわけではないですね。
うちは仲良いのはその子だったけど、
中学旅行とか同じ本になったけど、
私立行っちゃうんだーみたいな。
寂しいなーみたいな。
だからやっぱり依存体質なんですよ、私たぶん。
こうなっちゃいがちっていう話も最近違う友達として、
その子がそうやって言ってるのを聞いて、
初めて同じ人いたと思って。
その関係もすごくいいんです。
友達は本当にまだ知り合って浅い人なんだけど、
すごいスピードで深まり方が早くて、
もはやホームメイトになった人。
依存体質だから、こうなっちゃいがちなんですよね。
その子と喋ってて、その子は彼氏に依存体質になっちゃうって言ってて、
なかなかうまくいかないとか言い話をして。
どうしようもないという言い方はすごく引き離してますけど、
でもそれはもうそういうものだと思う。
そうなんですよね。そういうものだと思う。本当に。
治そうとかじゃなくて、そういう人なのって感じですね。
治らない人。
最初の経験的に、最初というか内向的だからこそ、
その代わりというか、強く誰かと共有したいみたいなことが働くのかなっていう。
普段はいっぱいペン出せないで、
誰か1人にはそのメモは1人に。
そう。だからその1個が濃くなっちゃうんですよね。
そうなんですね。
イギリスの話で来たのめっちゃ心地よかったなって思ってたんです。
そこが一番良かった。
あと私が好きだった先生は結局帰国してから結構長い間文通してたんですよ。
そうなんですね。
毎年クリスマスカードとか送りあって。
優しい。
私は軽く告白したんですけど、
僕のことは返事をする日記帳だと思ってねみたいな。
そんな対応してくれた。
正しい反応な気がしますけど。
ちょっとウィットがあってめっちゃいいんですよ。
でもちゃんと対応してくれたのはとても素敵な人ですね。
そうなんですよ。
実は息子さんが自閉症だっていうのが後から知ったんですよ。
そうなんだ。
そうしたらちゃんと向き合うみたいなことに安全が強かったのかもしれないですね。
イギリス幸せそうでしたね、確かに。
思い出すのが心地よかったですね。
日本に帰ってきてからイギリスすごく素敵だったと思うんですけど、
友達と呼べるお友達に出会うまではやっぱり馴染めないとか辛いとかあったんですか?
日本に入りたくないなと思ったって教えてください。
そうですね。やっぱり4年生になっていて、
自意識とかの芽生えもあったと思うんですけど、
急激に内気で何にもしゃべれなくなっていたのは、
でもやっぱり帰国死女だって言ってめぐらしがられて、
当時あんまりいなかったから、
それでどこ行ってもなんか喋ってみてよとか言われて、
別に嫌だったんですよ。
しゃべるとか言っても何言っていいかわかんないじゃんっていつも思ってたんですけど。
そうですね。
でもいろんな要素があって、
1個上の兄が私と真逆ですごい社交的で、
友達いっぱいいて歩くて面白くて運動できてみたいなタイプで、
サッカーのキャプテンだし、
固定期待の隊長とかにあるしみたいなタイプで1個上だったから、
部屋とかに比べられたりとかして、
めちゃくちゃコンプレックスだったんですよね、私は。
妹かとか言われて、
妹らに上手くいないとか思われてるんだろうとか思って、
いろんなところでいじけていたので、
それも結構嫌だったんですね。
めっちゃ個人的な話、うちも兄がいるんですけど、
多様性への理解
何かにつけたの弟って言われるのはすごく嫌でしたね。
嫌でしたよね。
すごい嫌だった。
先生も何気なく言ってんのかもしれないけど、やめてほしいですよね、あれね。
絶対よくない。
全然聞きますね。
親に対してもそういう気持ちを持っちゃって。
そうですよね。
比べられてるのかな、みたいな。
親のほうが誇らしく思われてるんだろうなとか。
なんか邪推してますよね。言われちゃうと。
でも今親になってみて、どんなことなかっただろうなって思うんですよね。
子供の目線だとわかんないもんですよね。
今親になってみて、自分の子供でも、子供さんにいるんですけど、
活発な子と大人しい子って、私から見ると大人しい子のほうが愛おしいんですよ。
そういう大変なわかる子が。
活発な子はほっといても大丈夫って思ってるけど、
わかるよっていう気持ちで見てるんですよ。
だからきっとうちの親もそんな気持ちもあったかもしれないなって思ったりなら思えるけど、
親には全然思えなかったですよね。
悪い人のほうがどうしても知恵をもらったりがちだし。
学校教育もそういう感じじゃないですか。
そうですね。
友達100人できるかなみたいな。できないよみたいな。
積極的な子がいいみたいな。大人しいのがよくないみたいな。
そういう擦り込みもすごい、よくないんだ自分はみたいに。
ありますよね。
そうすると、よくないサイクルになっていって、
大人しい子は何も言うことがないとみなされちゃう。
たぶん今も学校教育あると思いますけど。
一人でいるのがよくないみたいな。
あるじゃないですか、教室で一人でいるとあいつぼっちみたいな。
そういうものに私は今大人になって全力で抗っているんですよ。
PTAとか絶対誰とも吊るまないとか。
全然それでも大丈夫っていうスタッフを今やってますけど。
一人でいるけどみんなと仲良いんですよ。
でもそれをすごい自分の子供には伝えるようにしてますね。
全然一人でいなくていいよみたいな。
一人で本読んでたって全然いいって。
そうですよね。
それぞれ性質は違うはずなんで。
出たら別の子も違うし無理に。
でもあの頃よりもそうやって一人でいれる子が増えてる感じはしますね。
子供が増えてると。
そうかもしれないですね。
結構自分だけでやってる子が何人かいるよって教室に。
そうなんだ。要するにあったんですね。
そういう子が別に助かれるわけでもないし。
そういうのも感じるし。
多様性、本当に。
ジェンダー的な問題も思いますね。
子供の学校に。
そうなんですね。
我々世代は結構心配して。
うちの子の友達とかでもいるけど、
中学生だったらいじめられるかどうだろう、大丈夫かどうだろうって。
ママ同士で心配してたけど。
入ってみたら子供の方がそういうの開けてるというか。
思ったほど違和感感じてない子供同士が普通に受け入れられて。
理解し合う補助?
違うものであるっていうことにそんなに抵抗がない感じ。
それがあればなあ。
徐々に良くなってるってことですね。
そうですね。多様性。
教員も問題があるんですよ。
そうですね。
ひしむけるからね。
先生との関わり合いで困ったことはないんですか?
学校生活とその影響
大人との関わり合いで子供の頃なり大学生まで困ったことってあんまない?
学校の先生は基本嫌いでしたね。
日本に帰ってきて衝撃だったのが、
最初に4年生で帰ってきた時の担任がおじさんだったんですけど、
クラスの中でいじめられてる女の子がいて、
その子に対して先生も一緒になっていじめてたんですよ。
そういうあいつはみたいな感じだったの。
攻撃で。
なんでと思って、本当に日本の学校なんなのって最初にそれ言った瞬間に、
本当に暗くて嫌だって思ったんですよね。
いいせが良かっただけにね。
なんか信じられないな、先生って言ってたのが第一インプレッションだったから。
それは結構衝撃ですね。
それはいじらくもなるわなって。
親友との絆
相談できないんだなって思いました、先生に。
塾の先生は大きいだった。
そうなんですね。それはなんでだった?
塾の先生ってそういう正論じゃない感じの人多いじゃないですか。
こういう抜き道あるよみたいな。
信じてくれたところもありつつ、いろんな人が教えてくれるみたいな。
大人なんだけどちょっとズルしてくれるみたいな。
悪事を教えてくれる人みたいな。
正論じゃない人と長く生きるみたいな。
でも帰ってすぐ隣の親友になったことは会うようになった?
いつ頃仲良くなった?
それは中学に入って、ちょっとしてからですね。
中学に入って、私はソフトボール部に入って、
結構頑張ってたんですよ、ソフトボール。
キャッチボールとかして頑張ってたんですけど、
その子が引っ越してきて、
その子もソフトボール部に入って、
二人でサボるようになって、私はもうやらなくなった。
二人で仲良く幽霊部員になって、
毎日放課後になると、
学校に講習電話があって、
10円入れると天気予報が聞けるんですよ。
えー、なんだそれ。
177かな。
177が時報で。
それで二人で聞きに行って、
雨降ったら部活なくなるから雨降るか聞きに行こうって言って。
本当に同時なんだ。
結局雨降らないから、二人で会社に行きますとか言って。
二人で行くわけないから、我々なのに。
先生ももう直滑だと思って、しょうがないなって。
そういう感じで、二人でいつも。
そういうところから仲良くなってたんですね。
めっちゃ仲良かったんですよ。
二人にしかわからない言葉とか作って、
そういう謎の思い遊びをしてた。
なんでここまで強いつながりになってたんだろうな。
なんでですかね。
めっちゃ面白い子だったし、
すごいクリエイティブで、
こうやって二人の言葉作ったり、
二人のノート作って、
二人だけの世界でしたね。
他に誰も共通の友達がいなくて。
中学生の時ってめっちゃエモい話するじゃないですか。
人って死んだらどうなるんだろうねとか、
そういう人が誤解して。
家が目の前だったっていうのはすごい大きいんですよ。
いつでも呼ぶと出てきて。
家と家の間の道で寝転がったりとか。
そこでお尻を見上げながら、
どうなるんだろうねとか言ってめっちゃ語ったりして。
心理的よりも物理的よりも近かったから。
そうなんですよね。
相乗効果で。
ずっと一緒にいたから、
お互いの脳内同じだった。
結構二人にしかわからないクラスのみんなのあだ名とか作って、
二人だけの世界に囲い込んでいったところがありますね、そう考えると。
二人っていう世界みたいな感じ。
囲い込んでいった。
なんかそんな気がしますね、今もと。
だから余計私たちと彼らみたいなコールが強化されていって。
中学の頃って結構いろんなことに不満を抱きやすい年頃じゃない?
そうですね、いろいろ見えていっていなくてみたいな。
すごい二人でいろんなことの文句言って、
私は一緒にいようねみたいな風に。
一緒に育っていってしまった、
しまったという言い方も。
ランドバイミー的な感じ。
それとやっぱり今の会わせている人たちが仲良くなった人たちと決定的に違うんだね。
そういう関係性ではないですからね、私たちと社会という感じでもないし。
そういうふうに大人だからなり得ないんですけど。
もう出来上がってしまってる部分もあるし。
でも中学生ぐらいってまだ世の中も知らないことだらけだし、
二人で一緒に知ったことが初めてだったことがいっぱいあったから。
その時のイメージというかワクワクというか感動。
もあるでしょうね。
一緒に価値観を作っていったみたいな。
自分の一部になっていったんですね。
だったことを失うと代えらしくない。
今回の放送はここまでです。
次回に続きます。
ここまでお聞き下さりありがとうございました。
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