僕はうまくなれなかったんですよ、なかなか。
なれなかったというか、たぶん本気でやってなかった。集中してやってなかった。
なんとなくダンスっていうものをやりたいなぐらいで、他の人たちは結構本気でやってた。
そこに気づいたのは大学3年生ぐらいになってからなんですけど、
そしたら1年から2年ぐらいの向き合い熱量として、向き合ってきた熱量と欠けてきた年数は、
もう如実に差が出てるわけで、追いつけなくなっちゃって、周りの人たちに。
コミュニティーは一緒だから一緒にダンスをやってるんですけど、
僕と周りの人のダンスのステージ感っていうと、ものすごいレベルが違って、
一枚壁があるなっていうふうに思ったんですね。
みんなは舞台に立って伸び伸びとダンスができているし、
フリースタイルのバトルになっても伸び伸びとやっている。
僕は縮こまってしかできないというか。
ステージが1個違う感じをめちゃくちゃ感じてました、その時。
その時も自分の中でこの表現してた気がしますね。
舞台がちょっと違うというか、みんなはステージに上がってるけど、僕は舞台袖でただやってるだけというか。
覚悟が足りないかな。
そのステージでの踊りのレベルとかそういう話じゃなくて、気持ちの問題とか。
中小的な気持ちのほうですね。
ランクというか、人前に出れる心持ちや覚悟でやってる人たちと、
僕は別に人前に出たいのに出る勇気がなく、自分の中だけでやってる人。
という意味で覚悟は結構違うなって思ったんですよね。
それで周りとの差に苦しみに。
そして周りの人たちがこれがまたですね、結構シンプルにめちゃくちゃ上手くて、
結構スペシャリティな人間が多かったんですよね。
一番来るやつですね。
それぞれのランクの中で専門性はわりと高いし、スター性もってて。
自分で言うのも恥ずかしいんですけどゴールデンエイジ。
ゴールデンエイジの中には一応他者からしてはカテゴリーとして入ってるけど、
自分には全然入ってないから。
なんかものすごく卑屈。
全然自分は言われてる世代、ゴールデンエイジだよね。
お前の世代ってゴールデンエイジだよねみたいな話になったときに、
そうだよねって言いながら、俺はそこには入ってないし、
多分この人も俺のことをそこに入ってるとは思ってないだろうというか。
めちゃくちゃ卑屈になったんですよね。
そこで人生迷子も重なってきて、僕は何のために生きているんだ。
この卑屈になったから人生迷子も入ってきたっていうのがあるかもしれないですけど。
っていう卑屈感があり。
そういうことを考えているときに、
このゴールデンエイジたちに対して自分もうまくノリを合わせられなくなってきている自分もいて、
過去にもこういうことがあったなっていうのを思い出して初めて、
こういうゴールデンエイジ。
大学生のダイオン・スタークのときはそうだったんですけど、
小学校とか中学校、高校に対してはスクールカーストみたいなイメージかもしれないです。
スクールカースト高い人たちのノリと、
僕本来が思っているノリがおそらく違うんだろうなっていうのは、
なんとなくそのとき思った記憶がありますね。
だから、いまだにスクールカースト高そうな人、割と苦手なんですよね。
何が具体的に違うんですかね。ノリかコミュニケーションの違い。
そうなんですよね。ノリ、空気感。
やっぱり、まさにタイムリーな話。
先週ぐらいから復職したんで、いろんな人に挨拶しに行って、
ああ、戻りました。
学生の頃、スクールカースト高そうだったな、高そうだな、この人って結構いるじゃないですか。
分かります。
どこのコミュニティでも。
その人たちに対して、同じ学校でもないのにちょっと緊張してるというか。
うーん、そうね。
そこは、いまだにあるんで。
僕はおそらく、自分の中でも小中高とスクールカースト的に言うと、
本当に一軍になりたい1.75軍みたいな感覚が一番近いかもしれない。
何軍という感じでもないんです。自分のことを評価すると。
ただ、めちゃくちゃ一軍に憧れてたんだろうな、みたいな感覚は今でも。
ビビってるってことはそうなんだろうな、みたいなのがあって。
すっごい話すの嫌なんですけど、恥ずかしいんですけど。
ありがとうございます。
っていう気持ちがある。
今日もそう思ったからな、やっぱり。
なりきれなさ、このなりきれなさ何なんでしょうね。
何なんですかね。
何かの能力が劣ってるとかを必ずしても感じるわけじゃないんですよね。
そうですね。ノリとしての面白さみたいなものが彼らの中にはある気がしてて。
陽キャっていうと、その言葉に集約されすぎててちょっと違うんですけど。
ただ自分の中では、そういう自分もいるんだってことも認める時期に入ってるんで。
人生迷子になってめちゃめちゃ自分の内政をしまくったときに、そこに対しては気づいたし、
そういう自分はたぶん一生変わんねえなっていうのも思ったんで。
他のところで、なんか異負の念を感じてしまうんですよね。好きな人に対して僕は。
この人たちを嫌いなわけではないですよね。
嫌いなわけではないです。楽しそうだなって今でも思ったりはしますね。
緊張していて、スクールカスタムっぽい人に対して緊張しちゃうだけっていうのもあるんですけど。
あと人前に立つのも緊張するし。
ダンスやってたりとか芸人やってたりとかっていうのはあるんですけど、めちゃくちゃ緊張するんですよ。
めちゃくちゃ緊張するし。
なんならAI講師をやるのも、本当は小学校の社会性を身につける前の僕は、
ヒーローになりたい人間、主人公になりたい人間なんで、目立つの大好きなんですよ、実は。
なので、ダンスもしたいし、芸人もやりたいし、人前に立ちたいし。
ただ、一回自分を抑えつけるわけじゃないけど、
抑えつけないと周りに馴染めない時期を挟んだことによって、
人前に出ることがめちゃくちゃ緊張することになってしまったんですよね、今は。
なるほど。
これ喋ってること今あってるのかな。
例えば、会社の月末の表彰とかで、いきなり名前呼ばれて表彰されたときとかに、
ほんと頭真っ白になっちゃうんですよね。
全然言葉出てこないと思って。
今何言ったっけみたいな感じぐらいに手も震えるし、
そういう自分が嫌だし、本来は目立ちたいはずだから、
AI講師っていうのを選んだのも、人の前に立つことができるから、それもいいなと思って。
本来こっち、人前で話すこと好きなはずだから、
それをやれる舞台としてAI講師っていうのもいいなって思って、そこを目指してる。
AI人材になろうとしてるっていうのもあります。
そうなんですね。
これは面白いジレンマですね。
目立ちたい、もともとたぶんいっぱい表現したり、表に自分を出してたりしていたはずが、
それが故に抑圧され、しかしそれを取り払いたいみたいな。
でも真っ白になってしまうような。
これ解決策とかって自分で持ったりするんですかね?
でも僕は今その中に対して答えは、自信と慣れかなって思ってて、
特に緊張に対してなんですけど、
バカずふんでいけばある程度、いきなり人前に立ってしゃべることもきっとできるようになるでしょうし、
自信を持ってば、たぶんそういうところでいきなり出されても、結構しゃべれると思うんですよ。
あとはちゃんと自分の中で常に思考をしておくことだけ忘れなければ、
いきなり人の前に立っても、僕はこういうふうに思ってるという、
自分のスタンスが取れた上で何かを話せると思うんで、
自信と慣れだと思うんですけど、だからこれもやっていくしかない。
割とマッチの考えではあるけど、やっていくしかない。
人前でよりはっきりとしゃべれるように、実は朗読の練習も一日何分かしたりしてるっていう。
すげー。真面目だ、めっちゃ。
真面目なんですよね。一休中だから朗読の本、一冊やりきりましたからね。
すごい。
で、なんとなく声の出し方も少しずつわかってきたんで、
テクニックとしての自信ですけど、最初は何かしらのか細い声を出してると自信なさそうに見えるし、
自分の失敗したっていう否定から入りそうな気がしたんで、
まず自分できるところ、いきなり人前に立つとできないんで、一休中だったし、
とりあえず声を良くするという方法を考えてみようと思って、
たくさんやった結果、あと歌うことも好きで、一休中もずっとボーイトレ一人でやったりしてたんで、
っていう結果、声は割と出るようになったなっていう自信が、気持ちがあるんで、
ちょっと人前で喋りたいな、喋ってみたいなっていう気持ちはあります。
どんどん自信につながってきてますね。
まだまだ薄い自信ですけど、たぶん元々目立つことが好きだし、目立ちたがり。
ただ、悪目立ちはしたくないっていうところで、悪目立ちの抑圧が入ったんですけど、
本来の自分は目立ちたいなんで、恐らく好きになるはずとは思う。
それもわりと根拠のない、わりと喋ってきたんで根拠あるかもしれないけど、
自分的にもきっと慣れるなとは思ってる。わりと根拠のある自信の一つではありますね。
これはなかなか面白い話が聞けたのではという感じがありますけど、
何を聞こうと思ったんだっけ。
大学生のときに差について気づいたのが一番。
そうですね。大学生のときに気づいて。
気づき、振り返ってみたら、いろいろカーストみたいなことまで盛り上がって、
そういえば輝ける人たちになりたいけど、なりきれないし、
そういう人たちを見ると、そうなりたいけど、
その空気感も崩したくないなみたいなのもあったりして、
自分に優しい自分をなんとか作り上げてきたっていう感じ。
これって、もしかしたらきつい話になるかもしれないですけど、
NSC時代とか、それからその後のフリーター時代とかって、
どういう状況だったんですかね。迷子だったと思うんですけど、
この部分を詳しく知りたいなと思って。
大学で就職先決めずに留年したところから、
お話振り返っていただければと思うんですけど。
大学で留年したところでいくと、
ある種その瞬間は弾けてたんですよね。
もういいや、留年しよう。一回振り切っちゃった考えなんですよね。
留年したのは、僕はそもそも社会人としてやっていく自信がない。
そして今こんなに人生に迷っている。
何がしたいかもわからないのに、会社なんて決められないという自分が。
まだまだ遊びたいって気持ちもあったんですよ。子供でいたいですね。
ある種大人ではあるんですけど、大学生だから。
ただ働く大人、働くというところにまだ行きたくない。
僕はまだ遊び切れてないんだっていう大きく3つですね。
人生迷子である、遊び足りない、人生迷子がゆえに就活したくない。
人生迷子っていうのは、この場合社会人になれないだろう。
なれないって気持ちも。
全然こんな自分が社会人になれる資格ないぐらいに思ってましたね。
こんな自分が社会人なんてなれないよっていう感じ。
そもそも決められちゃいました。
これが働いてますね、よくしたいが。
あー、なるほどね、確かに。
人生迷子でこうある歴史。
そうなんですよ。
その道だったんで、とりあえずよくわからん。
いろいろ考えたけどよくわからん。とりあえず留年して、まずは1年遊ぼうって決めたんですよ。
これを選んだんだ。
それを選んだんですよ。
その結果、初めて大学5年生になって、もう1回振り切ったんで、
クラブ行ってナンパしてとか、道でナンパしてとかっていうのをやるようになる。
で、割とそれでなかなか成功したりもしてたんですよ。
というので、大学生としての遊び。
夜遊びだったり、女性と遊ぶみたいなところをやったりとか、
あとはバックパッカー行って、2週間ぐらいですかね、そんな長くないけど、
2週間タイとカンボジア行ってとかとか、
そこでもタイ人の女の子ナンパしてみたいなことやってたりとかして、
自分の中でも遊びを通したことによって、結構度胸と遊んだなっていう気持ちができたんで。
ポケットもう一個の決められないとか、人生迷子のところはもう一旦忘れて、
もういいや、芸人やろって思ったのは、そういう流れで、
もう一個はじけ、振り切った。変に振り切ったところがありましたね。
じゃあ遊び切った。今回この持ってた3つのうち1つやり切ったぞと。
そうですね。今考えたらもっと遊び切れるから、もっとやれよって思うんですけど、
一応遊びは遊んだな。よしじゃあ、一旦ちょっとここら辺で見切りはつけてもいいかなって思い始めた時に、
その時やってたバイト、飲食店の焼き場、焼き鳥の焼き場とかあったんですけど、
結構ここも長くやったし、ここでちょっと社員になろうかなって思ったんですよ。
もうそのままここで社員にならせてもらって、そういうふうにいっていこうかなーみたいな。
思った時に、え、だったら別に芸人やってもいいんじゃね?と思って、
昔ちょっと卑屈になってた時に、ひたすらYouTube見てて、
うわ、たかんど年重してるとかって思ってたのは、これ自分でもできるんじゃない?みたいな気持ちでノリで飛び込んだって感じですよ。
なるほど。
バイトから正社員に上がるぐらいだったら別にいいじゃん?と思って。
芸人でもいいじゃん?って。
より面白そうな子は。
っていう感じで芸人やりましたね。
結構元々あったわけじゃないんですか?元々芸人やりたいみたいな希望があったわけじゃなくて。
実はちょっとあって、人生卑屈に入ってるタイミングでも、一応形だけの自己分析とか、
就活っぽいような入り口のようなことは、やっぱりみんなでファミレスでやってる時に自分もやるんですよ。
やっぱり誘われるから。よっしゃ今日ちょっとみんなでどこどこでやろうぜみたいな。
やってる時にこそっと、芸人とかやってみたいなって思ってるんだよねって言ったときにめちゃくちゃ笑われたんですよね。
今でこそ芸人の立ち位置上がってきてるかもしれないですけど。
言うて13年前か14年前かな。
だからそれでも立ち位置として上がってきてる頃だと思うんですけど、周りにそれ言ったらめちゃくちゃ笑われて。
笑われててか馬鹿にされて。
で、その気持ちは一回閉じ込めたんですよ。
違うんだと思って。だったんですけど、心の中にすごく芸人やりたいなーみたいなやってみたいなって気持ちもあった中、
正社員からバイトでいいやーっていうのを思ったときに、あれ?じゃあ全然芸人でもいいじゃん?みたいな。
っていう思考の変遷でしたね。
卑屈になった時にyoutubeでお笑いめちゃくちゃ見てたんで。
家に一人でずっとこもってたんで、ひこもりで。
でも生きていかなきゃいけない、バイトするしかないということで、
生きていくために勝手にその行動、バイトに行かなきゃいけないという行為が行動につながってたって感じですね。
ちなみにその後の芸人に対してもダンスと同じことが起きます。
覚悟がなかったです、僕には。
覚悟の違い。
ジャンルは違えど、芸人は支えにはならず、やってみたいと思ったし、僕いけるんじゃないかと思ったけど、
入ってみて、他の人の芸人になる、芸人として活躍するという覚悟の違いや熱量の違いから、
これも後々自分で分析した結果ですけど、
吉本に入ればなんとなくフラーっと芸人になれて、売れたらいいなーくらいで入っちゃったんで、
結局その芸人からフェードアウトしていくときも、自分はまたできなかった。熱量を持ってやれないやつだ。
うわっ、今熱量を持ってやれないやつです。すごい思い出した。
いいですよ、どうぞ。
ずっと夢中になれるものがなかったのがすごいコンプレックスでした。35歳の人生迷子まで。
うわっ、あったこれ。出てきた。
へー。
思い出した。
きました。
そうなんですよ。
熱量が出なかった。
それはダンスもそうだし、中学高校でやってたサッカー部に対してもそうだし、
NSCに入っても本来だったらもう覚悟を持ってやるぜってなんとなく表面上思ってたんですけど、
ただ結果、周りの熱量と、後々この言葉を聞いたときにまさにその通りだって思うようになるんですけど、
覚悟とは具体的に行動を変えることであるっていう言葉を上司から数年前にプワッともらいまして、
僕はNSCに入るときも覚悟はありますみたいなことを履歴書に書いてたんですけど、
具体的な行動はあまりしてなかったんで、それ覚悟じゃねえじゃんって思います。
なので今でも覚悟があるっていう人に対して、具体的に何か行動をしてるのかみたいなのは結構気になったりはするし、
これをやるぞ、例えばウクレレやるぞとか、ときも覚悟を持ってやるんだったら、
1日1分でも必ずウクレレに触るとかっていう具体的行動は取らなきゃダメだなっていうのは、
たぶんそういうところから毎日何かをする。
ボイトレもそうですし、朗読も。
あとこれちょっと飛んじゃったんですけど、人生迷子になったときに、
ポジティブな産業日記っていうのをカウンセラーの方からお勧めされてやってるんですけど、
実はそれ今でも続いてて、2年ちょっとぐらい日記としてたまったものがあったんで、
このタイトルプレーナーに入ったときに、チャットGP全部それ2年分ぶっ込んで、
今日は何々をしてこういうことが良かった、○80とか○90とか○100とか、
本当にいいとき○120とかっていうのを一言のあたりに入れてるんですけど、
それも全部ぶっ込んで僕の○90以上出してくれって言って出てきたワードがスローライフだったり、
ゆっくりで気持ちよかったとかだったんで、自分の中でも毎月毎月それを振り返って、
何が良かったんだっけっていうのを見てるときに、なんとなく自分の好きなことは見えてたんですけど、
やっぱデータ的にもそうだなっていうのが分かったんで、結構確信の高くそれを持ってますね。
なので僕は自分を変えたいって思って、具体的な行動としてポジティブ産業日記を始めたり、
結果今それ続いてるのは割とラッキーというか、なかなかいいなと思ってるからやってるんですけど、
でもそろそろもうやらなくてもいいかなって思い始めてるんですけど、自分が見えてきたりとか、
ウクレレを始めて、一引きでもいいから一回引くとか、
何かしらその熱意だけじゃない行動を、具体的行動を変えないといけないっていうのは結構今めちゃくちゃ思ってますね。
その上司の方に言われるまでは、まだモヤモヤしたままだったんですかね。
覚悟って何なんだろうなって、僕も考えたことあるんですけど。
そのときまでは、覚悟に対する言語化とか思いもなかったんですけど、
覚悟とは具体的に行動を変えることであるっていうのを見たときに、
覚悟という言葉の中身と、自分も割と何か変えたいと思って具体的に行動したから変わったなっていう経験が、
覚悟ってそういうことだったんだ。過去の自分は全然行動化できてなかったじゃんって気づいたって感じです。
なるほど。これが動いてきた結果と、○×というか自分のケーススタディの傾向失敗によって合致したんですね。
そうですね。合致しました。
だからダンスやってたときも、NSCで芸人やってたときも、覚悟なかったのは具体的に行動を変えてなかったからだなって、今ならめちゃくちゃわかります。
だから逆にあのとき具体的に行動を取っていたら、もしかしたら変わったかもしれないなと思うんですけど、
その具体的行動を取るのも、できないのも自分のせいじゃなくて、仕組みが悪いっていうのもこの数年で気づき始めたんで、
本当に1秒でも1分でもひと引きでもいいからやるっていうのは、心理的ハードルをくそほど下げるために変化して、
自分の中では今うまくいってる感じなんで。ちょっとずれちゃったけど、そこは今。
結局思いだけじゃなくて、具体的な行動をしないと感情がついてこないっていう。
体が動かないとやる気なんか出ないよっていう、結構モチベーション系の本であるんですよね。
僕、なかなか着手が遅いタイプなんで、そういう意図形発系も、やる気を出すいくつかの習慣、ココナッツの習慣とか、
そういう系もいっぱい読んでたら、結局やる気を出すための必要なことって動き出すことしかない。
どの本見ても、具体的にそうなったんで、であれば1秒でもやるが、これでやったことにするがいいんだなっていうのを学び始めたみたいな感じ。
なんかちょっとずれてきちゃったかもしれないですけど、すみません。
これでも自分の熱量の無さできやしないのか、みたいな感覚って、これどんどん薄れてきたんですかね。
これやれるようになってきたことによって。
僕の中で夢中になれることがなかった、NSCダンスもそうですし、割と夢中領域には入ってるはずなんですけど、
本当に没頭するまでの夢中になれなかった。
たぶんそれは、僕がもっとそれを好きになる行動を取ってなかったなって。
自分で自分の中で、結局僕は上手くならないよ、みたいな感じで諦めちゃったとこもあったんですよね。
シャニカマの部分もあるし、
ちょっと相反するのは、届きそうな目標なら頑張れる男に対しては、ものすごく相反してるっていうか、
僕にはできないよって思う自分と、届きそうな目標なら頑張れる。
ダンスはたぶんもっと上手くなることを諦めてたんですね、最初からちょっと。
今はそう考えないんですけど、お笑いも漫才も。
ただ、何かをトレースしてるだけで夢中になってやれなかったっていう過去の失敗があるから、
今、逆に夢中になれてるレベルはないんですけど、
好きになりに行くための行動とかは結構取ってるって感じはあります。
ちょうど例えばでいくと、
クリピナッツすごい数年前から好きでラジオを聴いてて、
音楽ライブとかほとんど行かなかったんですけど、
これはせっかく好きになりかけてる火種、小さなロウソクの火があるから、
自分からちょっと燃やしに行ってみようと思ってライブを行くようにしてみたら、もっと好きになれたんで。
今はそういうふうな動きを取るようにしてますね。
好きなアーティストができても、どうせ他の人のほうがこの人たちのこと好きだから、
別に自分が好きにならなくてもいいや、みたいな。
そこも他と比べちゃってたんですけど、
いやいや全然違くて、自分が好きだって思ったんだから、
他の人がどう好きであろうが、そこの熱を自分から加えていってみよう。
それで無理だったら弾けばいいし、っていう考えになったんで、
ウクレレとかもなんとなく熱をちょっと持ったんで、やってみたいって思ったし、
将来の自分のスローライフにはウクレレがひとつティーアイテムになるんで、
ちょっとずつ覚えていけるようにしようっていう、
熱を組んだ上で生きてきた中でいただいた言葉、書く言葉、具体的に動くこととか、
あとは本の中で知ったその仕組み化のやり方とかを、
うまく自分の中で著作したものを当て込んでみて、
より好きになるために頑張ってるっていう感じはありますね。
頑張っている。
熱用が持てることがない、自分はできないのか、みたいなものは自体的に、
それそのもの、熱用が持てるものを発見するみたいなことはできてないんだけど、
自分でそれに育てる。
そういうものに今持ってる種みたいなものを育てることによって代わりになるというか、
改修作を得たんですかね。
そうですね。育てることによって多分それが好きになるんじゃないかっていう期待の込み。
なんかもう諦めてた自分じゃなくなってる感じはありますね。
自分は何やってもダメだったので。