1. 何者でもない者たちへ
  2. #4-1「35歳で休職、二度の"人..
2025-11-12 52:07

#4-1「35歳で休職、二度の"人生の迷子"へ」【何者でもない者たちへ/ゲストNo.3: ももさん】

ゲストNo.3: ももさん


「自分は何をして生きるのか」37歳、育休からの復職を機に「働き方を変える」と決意したももさん。その背景には、大学時代と35歳の時に経験した二度の「人生の迷子」がありました。

大学時代に悩み留年、一度は芸人(NSC)の道へ。挫折を経てフリーターをしていた28歳の時、大学同期からの「蜘蛛の糸」を掴み社会復帰。

がむしゃらに働きマネージャーになるも、35歳で再び「このままでいいのか」という問いに直面。過大な目標と疲弊から頭が真っ白になり、休職を決意します。どん底の中で出会った「死ぬまでにやりたいことリスト100」が、彼の「生きる意味」を見出す転機となりました。


あなたの人生も、 きっと誰かの勇気になる。


インタビュー記事

https://note.com/minasamae/n/nceb020569d0c?sub_rt=share_sb


#何者でもない者たちへ#インタビュー#自己理解#人生の迷子#30代のキャリア#休職#やりたいことリスト100#コンプレックス#自己受容#覚悟#働き方改革#スローライフ


サマリー

ももさんは35歳で二度の人生の迷子を経験し、働き方を具体的に変える決意を固めています。彼女は自身の自己理解を深めるために休職し、その過程で「死ぬまでにやりたいことリスト100」を作成し、生きる意味を再発見しています。35歳のももさんが育休を取り、人生の目的を見つける過程や自己理解を深めることで幸福度が増した経験を語ります。彼女はタレントプレーナーとして活動を始め、自分の欲求や能力に基づいたスローライフを目指しています。35歳で休職したももさんが、人生の迷子を経験しながら、自分の納得できる目標を見つけ成長する過程が描かれています。タレントプレーナーを通じて自身の才能を発見し、新たな人生のスタートにわくわくしながら取り組んでいます。このエピソードでは、ももさんが35歳での休職を経て人生の迷子となった経験や、特に目標設定や自信について探求し、過去の体験がどのように彼女の自己認識や発展に影響を与えたかを考察しています。

人生の迷子の経験
何者でもない者たちへ、これはインタビューを通じて、お客様の人生をたどり、その方の現状、過去の出来事や思い、未来への願いなどをその場でイラストにしていくサービスです。
人生を振り返るこの時間を通じて、苦しかったことや弱さを見つめ直し、自己需要を促したり、あなたが大切にしてきたことや熱い思いを再確認したりすることで、ご自身に対する発見を促し、少しでも踏み出す勇気や安らぎを提供できればと考えています。
この番組では、そのインタビューの様子を共有していきます。そうすることで、視聴者の皆様の人生にも少しでも良い影響があることを願っています。
イラストや記事が気になる方は、概要欄のサービスページよりご確認いただけますので、ぜひチェックしてみてください。
平成より大変お世話になっております。春です。本日は3人目のゲスト、桃さんです。桃さんは37歳男性。育児休業からの復帰を機に、働き方を具体的に変えると心に決めたタイミングでお越しいただきました。
その決意の背景には、大学時代と35歳の時に経験した二度の人生の迷子があります。
自分は何をして生きるのか。何のために生きるのか。その問いに悩み、一度は芸人を目指すものせず、フリーター生活を経て、友人の誘いで現在の会社に入社し、がむしゃらに働いてマネージャーにまでなりますが、再びこのままでいいのかという問いに直面し、休職します。
天気は休職中でした。認知行動療法や死ぬまでにやりたいことリスト100の作成を通して、自己理解を深め、自分の人生の目的はこのリストの達成だという明確な答えにたどり着きました。
自己理解を深めることが幸福度を増すという体験は、彼の今を動かしています。現在はAIを活用して社内の業務効率化を進め、自身の働き方を変えながら、スローライフという理想の生き方を実現しようとしています。
根拠のない自信と劣等感、宇宙に慣れるものが見つからないコンプレックス、覚悟とは具体的に行動を変えること、という気づき、今日は様々な経験と耐性を経て、自分らしい幸せの形を見つけ、歩み始めたモモさんのお話に迫ります。
2025年5月7日
よし、じゃあやっていきましょうか。
ということで、だいたいその流れとしては、今の現状、今どういう状態なのかっていう話と、そこからどんどん過去に、自然に過去に振り返る形になっていくんですけど、今のお話、今どういう状況なのかっていうのをまず聞かせていただきたいと思います。
もう語りだしたって大丈夫ですか?
全然大丈夫ですよ。
まさに今のNOWでいくと、育休から復帰して復職するっていうタイミングなんですけど、もう心に決めていることが一つありまして、働き方を具体的に変えるっていうのを志に今復職してます。
それはなぜかというと、いきなりちょっと過去の方に入ってしまうんですけど。
全然ですよ。
僕今37歳、38歳になる年なんですけど、2年前の35歳の時に大きな人生の迷子になりまして、その人生の迷子っていうのは実はその大きいタイミングがいくつかあって、
その35歳の時と、もう少し高上った大学生の時に結構人生の迷子っていうものがありまして、その中身、迷子って何を指してるかで言うと、自分って何をして生きるんだっけ?
何のために生きていくんだ?この人生の意味は?みたいなことを結構思ったりする不思議があるんですよ。
大学生の時は、その時就職活動があったんですけど、こんな未来どうしたいって分かってもない奴が就職なんかできんと思って、1年留年し、その時憧れてた芸人になろうと思って、一回NSCに入るんですね。
就職しとかないと歴に穴が開くとかっていうのも思ったんですけども、一旦芸人やってみようと思って、NSCに入りました。
そこから数年芸人活動をしながら、フリーターになっていくんですけど、たぶん2年ぐらいで芸人のほうはフェードアウトしていって、フリーターとしての生活を28歳ぐらいまでやることになりました。
芸人もフェードアウトして、ただお金をフリーターとして生きていくためのお金を稼ぎながら暮らしていたんですけど、その時に大学の同期から、お前そろそろ芸人もやってないだろうから、フリーターとしてやってるんだったら、うちの会社でアルバイトから入れよと。
その時はもう28歳、30歳手前で、僕からしたら社会に復帰できる唯一のチャンスというか、蜘蛛の糸みたいな感じで垂らしてくれたんですね。
もうそれにしがみついて、今の会社のグループ会社の子会社だったんですけど、そこで大学の同期からもうここで1年本気出してやり切れれば、28歳のお前の今のビハインド、1年で巻き返せるよって言ってもらえて、ひたすらがむしゃらに働くわけですけれども。
そのビハインドは取り返せなかったんですけど、なんだかんだその会社で働きながら、結局その会社は子会社はちょっと解散することになり、今いるグループ会社で入ることになるって感じなんですね。
で、マネージャーを目指したりとか、チームを作ることを目指したりとかがわかりやすく置かれてたんで、そこに対しては走っていくことはできたんですけど、その35歳の人生迷子になったときは、結構そのモヤモヤがものすごく頭の中に広がりすぎていたんですよね。
モヤモヤが広がりすぎていた。
もうずっとそれが支配してくるというか。
いよいよ僕も35歳、マネージャーとしてもやってきている、同年代35歳としても全然自分的にも肩を並べられている、このままでいいのかっていう思いがあったんです。
それは今やっている仕事自体、その中身自体は別にそこまで好きでもない。
置かれた場所で避けるようにひたすら頑張ってただけだったので、このままでいいんだろうかっていう思いがずっとあり。
そんなときに休職をすることになるんですけど。
休職をしたのは、頑張ってやってきたけど、このままで人生の意味とか目的もないままでいいのかって思ったのと、
あとはその前の期、ちょっと頑張っていい成果出したんですけど、
そうすることによって次の期の目標がものすごい、これ絶対無理じゃん、みたいなものを置かれてしまったんですよね。
そうっていうのと、あとはマネジメントとしてそのチームのメンバー、年上のメンバーが結構暴れてる、暴れる方がいらっしゃって、50代の方いらっしゃって、
なんかもうマネジメント自体も疲れてきてるし、僕としても置かれた目標が高すぎてやる気にもなれないし、
そして今、全然人生としてこれでいいのか、みたいなことが結構深みにはまってしまって、
このとき考えていた次の期に向けての施策だったり仕込みっていうものが、作戦みたいなものが全く出てこなくなってしまったんですよね。
もう考えても考えられない。頑張りたいんだけど頑張れない。
会社に行くことは全然できるが、会社の他の業務はできる。なんとなくその目の前でタスクをこなしていくことはできるけど、戦略を考えることや未来を考えることがもう辛くなってきて、もう汗出てくるような、頭真っ白で。
辛いレベルなんですね。なんか相手がないどころじゃないんですね。
もう何も出てこない。頭真っ白。でも出さなきゃいけない。出てこない。汗かく。ヤバイヤバイが続く。っていう感じ。
で、マネジメントしてるメンバーとか、年上のメンバーとか問題を起こしたりして、そこを助けに行こうと思っても、その人からもあんまり細かくてうるさいとか。
いやいや助けようとしてるのに、みたいな。そういうのもいろいろ重なって、ちょっともうきついってなってしまったんですね。
その状況を上司に、ちょっともう出てこないです。もう結構今頭真っ白でっていう話をしたら休みましょうと。
ちょっともう休んでも大丈夫です。ゆっくり休んでくださいっていうのを、その時の上司が言ってくれて、ありがとうございますって感じで、ちょっとじゃあ2週間ほど休ませてくださいって言ったんですけど。
やりたいことリストの作成
そしたら、もう一旦期間とか決めなくていいんで、戻ってこれるタイミングで戻ってきてくれればそれで大丈夫ですって言ってもらえて、ゆっくりお休みに入っていくという感じになるんですね。
その時にやったのが、認知行動療法とか、カウンセリングを受けて認知行動療法を受けて、僕の中には思考の歪みっていうものがいくつか、思考の癖ですねがいくつかあって、
何々すべきの思考とか、0か100かで考えるとか、一般化して考えちゃう。誰かがちょっと言ってたことを全部に捉えて考えちゃうとか。
結構思考のこの歪みみたいなのがあるんですけど、結構当てはまって、認知行動療法というやり方で、自分が陥ったその状況に対して、
例えば親友が、大事な人がその状況に陥ってたらどういうふうに声をかけますか?みたいなのが認知行動療法なんですけど、
大丈夫だよ、今そうなってるかもしれないけど、例えばこういうふうにやってみたらいいかもしれないねとかっていうのは、自分に対してものすごく優しく声をかけるみたいな感じですね。
わかりやすく。っていうのをやっていったりとかしながら、まずは自分の心の状態をフラットに戻しつつ、
一旦その仕事から全部剥がれたので、最初の頃は早く仕事に戻らなきゃみたいな気持ちがあったんですけど、仕事から離れて1、2、3週間、1ヶ月経とうとしてる頃に、
仕事のことばっかり考えてた自分に対して、ちょっと違うんじゃないかっていうふうに思い始めたんですよね。
その認知行動療法とかをやったり、仕事に対しての思いが少しずつ変わっていったりしていく中で、一番効果があったのが、
自分の死ぬまでにやりたいことリスト100を作ってみたんです。
その自分の死ぬまでにやりたいことリスト100は、2、3日かけて、ひたすら脳みそを絞り切るまで絞って出した。
それをパッと俯瞰してみたときに、初めて自分が生きる意味が見えてきた感覚があって。
そこに書かれていたのは、子供生まれるんで子供たちと一緒にキャンプに行きたいとか、
スカイダイビングをしたいとか、あとはバンジージャンプをしたいとか、
インドアスカイダイビングって言うと、下から風がブワーッて出て、宙を浮いてるタイプ。
そういうような何々したいというルーイングだったり、ちょっと恥ずかしいんですけど、生けおじになりたいとか。
はいはいはい。わかりますよ。俺もなりたいですよ。
あとはダンスやってたんで、ダンスでまたチーム組んでショーとか出たいとか。
その出るのも本気で一番目指すとかじゃなくて、緩く37,40ぐらいの人たちと緩い感じで楽しくやれる場所がありたいとか。
あとは海、モルディブとかの海の上のコテージから起きた瞬間に飛び込みたいみたいな。
おー、いいっすね。
そういうこととか、あとは人に優しくありたいとか、ビーングの部分とか。
ルーイングもビーングも全てがごちゃ混ぜになって、いろんなものが出てきたんだけど。
その中にちょっとAIを覚えたいとか、ちょっとGPTに詳しくなりたいとかっていうのもちょこちょこあったりしたりしつつ。
あとふるさと納税早く始めたいとか、そういうタスク的なのもあるんですけど。
とにかく自分が死ぬまでに、やれたらいいなとして可能な限りやりたいなと思っていることを出した結果、
仕事のことがあんまりなかったんですよね、そこには。
確かに、一言も出てないっすね。
そうなんですよ。
人生の目的の探求
仕事のことなくて、ただあったのは誰かと何かをやって一緒にやって達成してなきたいとか、そういうのはあるんですよね。
へー、はいはい。
ただ僕は広告事業をやっているので、例えばCM作ったりとかそういうことをやってるんですけど、
広告書を取りたいとかっていうのが一味にも出てこなかったんですよね。
同じ達成してやりたいはあるけど、そんな仕事も関連するようなことでは出てこなかった。
出てこなかったんですよ。
へー。
誰かと何かで達成して涙を流したいっていうのは、これも本当たぶんこんな感じ、めちゃくちゃ抽象的な言い方ですけど、
そういう希望はあるんですけど、それが別に今の仕事ではない。
うーん。
そうなったときに、まずは自分はこの生きていく目的、ものすごく人生迷子としてしてきちゃったけども、
10日後、僕の人生はこの目的100リストを達成すれば気持ちいいんだ、心地よく過ごせるんだってことがわかったので、
35歳にして初めてこの生きる意味っていうものが自分の中でやっと確立できたんですよ。
そのときに思ったのが、自分への解像度を上げると、自己理解を高めると幸福度が増すってことが体験としてもわかったんですね。
なので、ちょっとそこから話は飛ぶんですけど、
育休を1年間取ろうと決めたのも、後々叶えたいスローライフとか子供たちと一緒に向き合える時間ってなかなかない中で、
仕事をやりながら、妻と一緒に育児をやっていくってなったときに、
たぶん本気で愛せない、頭の中には仕事が残ったまま子育てをしていくことになるのがすごく嫌だと思ったので、
本気で愛せない?
なんていうんだろう、100%出して子供たちを愛する時間が欲しいと思ったんですよね。
そこに対しての100%、自分の持てる100%で子供たちとの時間を楽しみたいって思ったんで、育休を取りますと言って、1年半ぐらい取るんですけど。
その育休を取ってる中で、育児、家事、もともと家事は得意だったんで、
整理とか家事とか、きれいにするとか、シンプルにきれいにするとかっていうことが好きだったんで、楽しくやれる中、
家事としての相性がいいコンテンツがラジオだったんで、
コンテンツとして耳が空いてるんで、
当事をしながら、料理をしながら、ミルクをあげながらとか。
でもほぼずっとラジオを聞いていく中で、タレントークに出会って、
そのタレントークで話してる内容が、僕がマネージャー時代に困ってたことだったりとか、
高知さんが最初、問いかけとして、パーソナリティの相方の野村さんに対して、
こういう状況になった時ってどうしたらいいと思いますか?みたいな話をして、
野村さんがそれに答えるっていう形で、割とスタートしていく感じなんですけど。
僕の答えも同じだったりだとか、
うわーそれ悩んでたわーとかって思ったところに対しての答え合わせみたいなことが結構できて。
それを聞いていくうちに、僕はタレントークに出ている佐野さん、高知さんという方と野村さんという方は、
すごいな、この人たちのお話面白いなと思っていく中、
タレントプレーナー4期の募集の話を聞いて、よくよく調べてみたら、
強みとか才能とかっていう自己理解、自己分析を踏まえた上で、
それを軸にした事業、サービスを立て、それをマネタイズしていきますっていうようなスクールじゃないですか、タレントプレーナーって。
で、僕の中にはまず自己理解をすることが幸福度を高めるっていうのに、
その以前の人生迷子から抜けた体験として知っていたのと、
あとはその時のやりたいことリスト100の中に書いてあるのは、
割とこのスローライフをしたいっていうのがざっくり言うと多くて、
ゆっくり趣味を楽しみたいとか、友達との時間を楽しむ、ダンスやりたい、歌が上手くなりたいとか、
そういうことが結構多い時に、それを叶える手段として、
今の職場で働くだけじゃダメだっていうのは思ってたんで、
何かしら事業を立ち上げて、お金を稼ぐ仕組みを作りたいとか、
そういうのもあるんですよね。不労所得30万作りたいとか。
でもいきなり不労所得なんて絶対無理なんで、一応やりたいのことでは書いてあるんですけど、
それをもっと分解していくと、事業は多分自分の手で何かしら立ち上げないといけないなって思ってはいたんで、
どうにかしてそれをやろうと思ってたさなか、
そんなタレントプレーナーのお話がラジオから聞こえてきて、
これは自分のためにあるようなもんだと。
本当にどん妻だと思い、タレントプレーナーをやり始めて、今に至るみたいな感じの変遷。
割とちょっと長くなっちゃったんですけど、今どんな感じに対して、こんな感じですっていう。
なかなか整理されている方、すごいですね。
でも僕が自分でそういうのもあれですけど、思います。
相当整理して話せるようになりました。
35歳の僕だったら、人生前後の僕だったら、こんなことは全然言えなかったんですけど、
今はもうめちゃくちゃ内省に内省に内省を与えまくった結果、
スローライフのビジョン
自分がどういう人生を歩んできて、こういう人生を歩んでいきたいっていうのをやっと人にも伝えれるようになったところはめちゃくちゃあります。
35歳の人生迷子になるまでもことごとくいろんなことを自分の中で、うまくいかなかったですけど内省はし続けて、
でもなんかそれが身になってない、全部が繋がってない内省のポイントポイントが常に頭の中には散らかってはいたんですけど、
今回そのタレントプレーナーっていうのをやったことによって、
あと自分のやりたいことを確実とちゃんと書き出したことによって、結構全てが繋がってきた感覚があるんですよね。
なるほど。じゃあプレーナーもかなり影響がでかかったんですね。
影響がでかかったです。
それまで点と点出てきたけど、部分部分では整理されてたけど。
そうです。答え合わせができた感覚が結構一番近くて、構造にハマったっていう感覚が近いですね。
先日になった。それは何かというと、欲求の部分が結構ひも付いてるなと思っていて、
僕の欲求は、やるべきことをすべて終わらせて、良化を楽しむが僕の欲求なんですね。
これをちょっと簡単に説明すると、例えば1日としてのタスク、例えば休日。
僕は今、育休を取ってたんで、月に1日とか2日ぐらいしか外に出れないというか、自分のための外に出る外出日ってなかったんですけど。
そこで、やっぱり歯医者に行ったりだとか、映画を見たりとか、サウナ行ったりとか、全部やりきりたいんですよ。
そうなったときに、まずは自分がやらなきゃいけない家事・育児の掃除とか、
子供たちのご飯を用意しておくとか、洗濯物を回しておくっていうのを、
そのとき毎朝早かったんで、5時には起きて全部やり始めて、9時ぐらいには全部終わって、
自分の役割としての責任を果たし、行きたいところをサウナに行って、映画行って、どのコーナーで、みたいなことのすべての段取り。
ちなみにすいません、ちょっと飛んじゃうんですけど、僕の才能は目的から逆算して、プロセス、設計し、段取りをうまく組む、そしてやり切るっていうのが僕の才能の部分なんですけど。
さっきのその欲求のところも、余暇を楽しみたいっていうのが僕の中にはあるんで、
余暇を楽しむという目的をするために、先に洗濯物を回して、洗濯機回していく間に掃除機かけといて、掃除機して、みたいな。
プロットごとの段取りを組んだ上で、自分の自由の時間を作り、かつ、サウナ、歯医者、映画行きたいんだったらこの順番で、この電車に乗ってこういうふうに行くといけるなっていうのを、
全部ノーションとかに、時間も調べてきたりってやってくるんですよ。
それが結構いいんだし、ストレスないし、考えてる時も楽しいし、それを実行して、ちゃんと指定した電車、自分が考えた電車に乗れても楽しいし、
乗れなくても、他のところで結果カバーして、その日やろうと思ってたことをすべて終わらせる時の気持ちよさ。
それが全部終わった後、ゆっくり自分の時間で友達と話したりとか、酒飲んで話したりとか、よく行く銭湯の下の焼き鳥屋で話したりとかっていうのがもう心地よいんですよね、本当に。
なので、段取りを組むっていうところと、余暇を過ごすっていうのがあるんですけど、
欲求のもう一つのポイントでいくと、やるべきことを終わらせて余暇を楽しみたいなんですけど、
ちょっと待ってください。すいません。才能からスタートしていくと、目的から逆算して全部のことを成し遂げたい。それはなぜですか?
なぜですか?一番最初のあれですね、ついついやってしまうことからの深掘りの時に、なぜですか?なぜですか?なぜですか?って言って、
やりたいこととか欲求が出てくるじゃないですか。それが僕がやってしまうことは段取りを取るだったんですけど、
それを深掘ってみたら、余暇を楽しむために、やるべきことを早めに終わらせたいっていう欲求になったんですけど、
僕はそれを人生レベルでも叶えたいなっていうふうに思っているんですね。
それが繋がった瞬間っていうのが、やりたいこと100リストを俯瞰してみた時に、スローライフ、いつかはスローライフを送るために早めに、その時は不労所得とかっていう勝ち方しまって、
お金を稼ぐサイクロって、あとは子供たちとキャンプしたりとか、趣味に掃除したりとか、カウントしたり、
あと最近ウクレレも始めたんで、ウクレレを勉強して、子供たちと一緒にキャンプ行った時に聞き方にしたり、
友達とキャンプ行った時とかも、例えばこれ聞いてよって言われたら、聞きながら一旦火囲んで歌うみたいな、そういうのがすごく夢なんですけど、
それをするためには何が必要かって、時間とお金が割と必要だなと思ってるんで、
早めに終わらせて、余暇を楽しむのが欲求のところに、自分がそれを見つける前に考えてきた100リストがめちゃめちゃ結びついたし、
そのパーツが一個つながったりだとか、あとは、ちょっとこれも話が少し飛んでしまうんですけど、
大学受験をした時も、僕の才能っていうところがめちゃくちゃ現れていて、
正直、勉強しなくても受かるとは思ってなかったんですけど、勉強に身が入らなくて、
もう受験の1ヶ月前ぐらいまでほとんど勉強してなかったんですよね。
ただ、1ヶ月前の、本当に今でも覚えてるんですけど、年末、12月29とか30とかに初めて赤本やってみたら全くできなくて、
やばいと思って、一回それで恥ずかしながら親に抱きついたんですよね。
青学行くって言ってたのにちょっと行けないかもしれないって言って、泣いてたんですけど、
もう一回ちょっと他の学部やってみようと思って、他の学部を赤本やってみたら、経営学部が意外とこれ解けるぞということに気づき、
もうそこからは青学経営の、要は手が届きそうなゴールが見つかったんで、
逆算思考の形成
それに対してもう邁進するだけなので、そこの赤本をめちゃめちゃ分析して、目的に対して分析して、
どのようにしたら受かるかっていうのを、英語、国語、あと政治経済だったから、
もう全部この問題の漢字だから、この問題集をやっていけばできるっていうのをすべて逆算し、
一日に問題集を何個終わらせればいいかみたいなのを全部受験日から逆算しておいた上で、それをやり切って合格したんですよ。
へー。
なんで、それも大学後になってちょっと大きくなったときに、
あれって目的から逆算してプロセスしてやってたんだっていうのが自分の中でも分かって、
そのときから割と逆算思考っていうのは身についてるんだなっていうか、
なんなら大学受験の前の高校の定期テストのときも同じようなやり方でずっとやってたんで、
テスト範囲に対して何をやればいい点を取れるのかをめちゃめちゃ分析して、
じゃあ一日にやる問題集の量は何ページから何ページ。
これを3回繰り返したらおそらく80点は硬いから、まずこれを3回繰り返す。
80点以上取るためにはここら辺のところもう少し厚くしておかないといけないから、
こっちの方は2回繰り返す、みたいなことを全部やったときに、
じゃあ今日やるページは20ページ分だな、みたいなのを全ての科目でやってたんですよ。
なるほど。
はい。なんで今回のタレントプレーナーとかをやったときに、割とそこも結びついてきた。
はいはいはい。
僕の中で発動条件、発動条件じゃないな。
発動条件、一つとして届きそうな目標じゃないと頑張れないっていうのがあるんですよ。
届きそう。
そしてかつそれが自分が納得した目標であることが大事で、
例えばダンスで言うと、もちろん他の人の客観的な評価も欲しいんですけど、
自分が満足すればそれでいいっていうのはちょっと割と思ってたりもしてて、
客観的な評価で、例えばバトルでフリースタイルのバトルに出て、
1回戦、2回戦、勝てるレベルにまで行ければ多分楽しめるし、
そこまで突き詰めなくてもいいって思ったりしてる部分とか、
さっきちょっとお話したウクレレとかもやり始めたばっかりですけど、
めちゃめちゃ極めたいとかでもないし、
ただ一緒にあきび囲みながらウクレレを弾けるという状況まで持っていければ、
僕はそれで満足だし、
お金に関しても大金持ちになりたいって気持ちもなくて、
ある程度スローライフができるぐらいのお金があればそれでいいなって思ってて、
自分が納得できる目標、
なんとなくここはもう本当に抽象化されてて言語化もされてないんですけど、
なんとなくこの辺まで行ければ嬉しいなってところまで行けさえすれば、
自分的には心地よいですよ。
それが考え方として、
やるべきことをやった上で、
余暇時間を楽しむってところに少し似てるなと思っていて、
要はそこまでやってしまえば後は自由。
なんで目標ラインもお金を稼ぐことも、
めちゃめちゃ金稼ぎたいわけじゃなくて、
ゆっくりスローライフができる額、
なんとなく自分の中でも計算して出してみたんですけど、
その額まで稼げれば後はもう自由だから、
それ以上はもう頑張らなくていいやって思ったりとか、
納得できる目標をクリアさえすればもう後はいい。
青岳の経営学部を受けたら、
青岳というところにさえ浮かれば何でもいいなって思ってたんで、
それは僕が憧れてた、尊敬してた1校目の先輩が青岳に落ちたんで、
そこから自分が超えられるなっていう。
リベンジ兼その人を超えるという意味で受けたんですけど、
なんで自分の中での納得ラインさえ超えれば、
もう後は何やってもいいなっていう風に思ってる感じが僕の中にはあるという感じ。
新たな才能の発見
それを今は人生においてどう?
この納得ラインの設定が見えてきたのでしっかり。
そうですそうです。
あんなまではそもそもやりたいことも何かもわからなかったけども、
客リストのおかげで。
他の人が言ってる人生としてやりたいことみたいなのが、
僕の中にもその時にはもやもやして入っちゃってたんですけど、
それが例えば仕事で言うと、
マネージャーになって局長になってどんどん上がっていくことが、
幸せとしての志向だみたいな。
うちの会社は内部崇拝というか、
結構宗教みたいな会社。
本当に上がっていくことをめちゃめちゃ考えてる人が多いし、
そういう風な組織文化なんで自分もそう思っちゃってたんですけど、
違うわと。
自分の幸せをちゃんと自分である程度見極めた方がいいし、
他の人の幸せになって自分の幸せはこれなんだとやっと言えるようになったから、
自分としても納得度の高い人生を今歩み始めたっていう感じですね。
それが35歳で歩み始めたんだが、
事業の部分に困っていたけど、
タレントプレーナーを通して自分の才能や強みがわかり、
どういうことをやっていったらよさそうかがわかったんで、
行動の重要性
自分から始まる人生に対して割とワクワクみたいな。
絶対叶えるぞっていう感じ。
僕ならできるだろうって無根拠な自信がちょっとあったりはします。
なるほど。いい理由でこの状態は。
今までLINE本当に繰り返しですけど、
LINEみたいなものが本当に見えなくてグニャグニャしてたのが、
この目標が見つかったことによって、
さっきの才能の部分で段取りを立てられるようになり、
クリアになり、ワクワクしてくるみたいな。
俺もあれすればできるようになるみたいなものも、
希望感みたいなものも手に入りというサイクルが、
この欲求を見つけたことによって全てが繋がって、
結果全部動き出したというか。
ついに本当に動き始める準備がやっと整ったという。
こんな感じになりますね。
これはなかなか面白いですね。
希望も見え始めてるから、
もうガンガンいけるぜっていう状態ってことですもんね。
今ワクワクして。
ワクワクしてもガンガンいけるぜ状態ではあるんですけど、
僕の発動条件として、
結構できてるんですけど、
細かい逆算設計ができてないと、
邁進できないんですよ。
例えば受験勉強で言うと、
この問題集の何ページから何ページ、
30ページを今日の1日で、
例えばこの一冊終わらせる。
明日はこの一冊。
その次はまたこの一冊戻ってみたいな、
デイのタスクレベルまで落とし込めると、
できるんですけど、
今僕のAI、
中小企業に対する導入支援だったり、
AIで余白作りませんかみたいなことだったりに対して、
解像度の高い逆算設計ができてなくて、
ちょっとウネウネはしてるんですけど、
これが僕の良くないところで、
逆算設計が引けないとずっとウネウネし続けて、
遅くなるっていうのが自分の悪いところだって思ってるんで、
そこは悪いところと認識、
ちゃんとしながら向き合っていきつつ、
まず今やることは、
解像度を上げるための行動を取る。
なんでもいいから拡手してやる。
っていうところまで分かってるんですけど、
僕は割とそこで、
ウネウネ、ウネウネ。
歌って考えちゃう部分があるんで、
全体的にポジティブワクワクなんですけど、
でもすごく局所的に今を見ると、
ムムムム、大丈夫か。
残りタレントプレーナーあと1ヶ月だけど、
そこまでに、
もうタレントプレーナーが終わったら、
脳に放たれる感覚わけじゃないですか。
たかちんさんとかヨグシャンさんに
交談もできないとなるんであれば、
今のうちにAI講師としての人生をスタートしておかないと、
まずいぞっていう焦りに対して、
ウネウネとムムムムっていうのはあるんですけど、
解像度どんどん上げていかないとなって思っているところはありますか。
解像度を上げるための手法というか、
相談取りはつけづらいんですかね。
そもそもそれが見えてないというか、
どうすれば解像度が上がるのか、
みたいなこともわからないし。
そうなんですよ。
そこがね、
全体像のぼやっとと、
手前足元ぐらいの解像度がもう少し必要なんですけど、
でもその解像度を上げるためには、
自分からそのぼやっとに飛び込んだ上で、
何をしていくかっていうのを考えていかないといけないんで、
実行動でしかないんですけど、
その実行動を取る前のぼやぼやに今ちょっと入っちゃってたんで、
特にこれって仕事とは違うから、
そのケツを叩いてくれる人がいない。
ケツはもちろんあるけど、
ケツを叩いてくれる人がいないんで、
締め切りに間に合わなくても死なないじゃないですか。
仕事って最悪締め切り守らないと、
死にはしないけど、
着実的に血が舞ってるじゃないですか。
まあそうですよね。
なのでちょっとうねうね、
猶予のある今に対して甘く見ちゃってるんだけども、
あと1ヶ月で終わるっていうことに対しては、
めちゃくちゃ心の中で焦りを感じていて、
その焦りに対して間に合うかなっていう思いの怖さもあるけど、
きっと自分ならできるって、
割と鼓舞しながら頑張ろうとしてるって感じですね。
なるほど、その鼓舞なのか空元気なのかもしれないですけどもしかしたら、
それはどこから湧いてくるんですかね。
結構その多分昔の、
じゃあなんか幸せってなんだろう、
俺の本当にやりたいことはなんだろうとか、
生きてる意味わかんないなみたいな状態の時って、
たぶんその空元気も出ないというか、
空元気も空回りするというか状態だったと思うんですよ。
たぶん。
今それをなんかできるぜって思えるその熱意というか、
ある種の根拠なのかもしれないですけど、
根拠ってどこから出てくるんですかね。
いやーめちゃくちゃ面白いですね。
ありがとうございます。
めちゃくちゃ面白いですね。
なんかこの根拠は過去にもあって、
それは例えばその大学受験のとき、
勉強してなかったときも、
たぶんかかるって思ってたんですよね。
根拠ない自信があるときが一番結果強くて、
大学受験でもそうだし、
ちっちゃいのでいくと、
大学のときやってたダンスで、
その新しいジャンルを、
僕の中では新しいジャンルをやり始めたばっかりだけども、
休職の影響と自己認識
1、2ヶ月後にある大学の文化祭に出るためのオーディションも絶対受かるだろうって思ってたし、
それを大成功させることもできたし、
そうなんですよね。
この根拠のない自信っていうのは結構過去にもあって、
それを今も感じてるんで、
だからこそワクワクできてる部分もあるんですけど、
ただそれだと説明にはなってないんですよね。
さっきの空元気みたいな、
たぶんここは言語化できてないんですけど、
さっき言ったら届きそうな目標なら頑張れる。
僕の中でこれも感覚なんですけど、
届きそうな目標だとめちゃくちゃエンジン駆動するんですよね。
だから言語化はできてないんですけど、
AI神社になるというところに対する目標が、
僕の中ではめちゃくちゃちょうどいいストレッチ目標になってるから、
たぶん楽しく感じれてる。
これ逆にさっき、
仕事を休職したときに、
その前の期に、いい結果を出したから、
次の期、ものすごい目標を渡されたときに、
渡されたって言ったんですけど、
その時は絶対どんなに、ここまで頑張って今回の結果だったのに、
どんなに頑張ってもそこが届かないよっていうのになっちゃって、
わりとパニック目標に置かれてしまって、
もうそれ無理っていうのもあり、
自分の中でその仕事に対する熱意が欠けてた部分もあり、
未来に対する戦略が描けなくなり、
そんながく無理と思って、
何を考えても正しくないような気がしてきて、
目標設定の重要性
そもそも考えるのが面白くなってきて、
汗が出てくるみたいな感じだった。
なんで多分説明できないんですけど、
僕の体の中や多分今までの体験と、
思考から来る何がいけるが働いてるんだと思います。
なるほどな。
見える見えない、
手段が多分段取り来るまでもなく、
もしかしたら見えるのかもしれないです。
見えてるのかも。
そうですね。
だからいけるってパッとわかるというか。
どっちもある気がしてて、
段取りはまだ組めてないけど手が届きそうだから、
頑張れるもあるし、
段取りをなんとなくちょっと組め始めてるから、
多分届くだろうな。
いけるっていう考え方も多分どっちも、
上から見てる自分と下から見てる自分、
どっちも多分います。
なるほど。
上から見てる自分じゃないか。
下から見てる自分が手が届きそうっていうのと、
遠くの方に手が届きそうっていうのと、
足元の段取りが見え始めてそうという、
その2種の方向で何回いけるかを感じてるかもしれないです。
なるほどな。
これって一番最初の原体験とかあるんですか?
それが大学生とか高校生とか。
ここですよね。
これはですね、何なんだろうな。
一応思い出せるところからいくと、
大学受験の時は何回いけると思ってたんで、
そこはまず1個の思い出しポイントとしてあるんですけど、
そのさらに過去に深掘ってみると、
でもさっき話したような高校のテストとかも、
いい点。
うちそのいい点を取るとお小遣いもらえるっていう制度でやってたんで。
いいですね。
そのお小遣いもらうためにいい点が欲しい。
部活やってるんでバイトもできないし、
いい点欲しい。
で、いい点取ると親も喜んでくれるから、
その手段として効率的に考えるみたいなことが自分の中で自然発生したんですけど、
届く届かない、いけそういけなさそうの減体験はどこなんだろうな。
でもちょっと違うかもしれないんですけど、
今思い出してて、これでも近いところかと思ったのが、
爆点、爆中ってあるじゃないですか。
プールに飛び込むときに爆中をして飛び込んだんですよ。
そしたら足が水面に入る前に足が地面と平行になった。
要は着地できるような形になったんで、
着地できるような形で水の中に入っていったんで、
それを、なんかちょっと違う話だ。
それをしたときに、これ地上でもできんじゃね?と思って。
プールは怪我しないじゃないか。
ただ地上でも水面にちゃんと足がついた状態で入水してるから、
いけると思って根拠ない地震でやったりとか、
それでできるようになったりだとか。
なんかこれを話したのも、小さい時に体操クラブに入ってて、
小学校、幼稚園?幼稚園とかかな。
そのときに、わりと周りの子たちができない飛び箱とか、
ジャンプして次の輪のところに入るとか、
そういうのが他の子たちよりもできたんで、
ちょっと恥ずかしながら自分は他の人よりもできるみたいな、
今思うと恥ずかしいですけど、かわいらしい気もするんですけど、
他の人たちよりも俺はできるぞみたいな感覚は、
そのときにちょっとあったかなっていう気がします。
だから、僕は多分できるぞみたいなところの原体験は、
過去の経験と成長
体操教室とかだったのかなって今考えてみて思いますね。
なるほどな。これで醸成されてったんですね、きっと。
多分そうかもです。
そこから運動が得意になって、足が速い、運動得意。
鬼ごっこ好きとか、そういう絶望もおそらくできるとか、
そういうできるぞ、できるぞっていう、
あまりできないことに困らなかったっていうことが、
何だろうな、根拠なくできるぞっていうところに
結びついてるのかなと思ったりもします。
なるほど。ちっちゃい頃はあんまり悩みとかなく?
全くないですね。
もういけるぜ。本当にそのいけるぜの状態だと。
いけるぜ、いけいけどんどんいけるぜでしたね。
ただこれが小学校5年生のタイミングで、
初めて人からはぶられるっていう経験をし、
これが結構つらくて、そこまでは本当に自分中心だったと思うんですよね。
いけるぜもあったし、できるぜもあったし、
テストも結構いい点取れてたし。
とはいえ、めちゃめちゃ頭いい人たちには勝てないんですけど、
別にそんな勉強しなくてもいい点は取れてるし、
通知を取れます。
自分の設定したゴールラインとか、
社会的とか周りから見て、すごいじゃんって言われるぐらいのレベルでクリアできてた。
そうですね。ある程度何でもできるじゃんのところには
なんとなく入ってる気はしたんですけど、
今考えてみたらそうでもないかもなって気もしてきたり。
でも自分的には、いけるぜ!みたいな気持ちは結構ありましたね。
じゃあ、はぶられたっていうのは何があれだったんですか?
はぶられたのはですね、あれなんですよね。
たぶんそのいけるぜっていう感覚と、
僕兄と僕で妹妹の4人兄弟なんですけど、
真ん中にいて、かなりわがままだったんですよ。
自分中心。
自分中心って感じだったんですね。
そういうところを自分中心なのと、
あとは多分、考え方がお花畑だったんでしょうね。
ヒーロー、ヒーロー感、ヒーロー感、ヒロイン感を、
たまに今でも気をつけなきゃって思うんですけど、
俺主人公みたいな感覚で振る舞ってしまうときがあって、
うまく言語化できないんですけど、
ヒーローとかヒロイン感とお花畑とか、
私が世界の中心よ、みたいな。
逆にそういう人を見ると、
自己嫌悪になったりしますね。
やべってなっちゃう。
同族嫌悪もありますし、
俺もそうなってる気をつけなきゃ。
共感性周知みたいな。
やばいやばい恥ずかしい。
俺もそうなっちゃってるかもとかって思うことは、
たぶんいまだにそこに対しての感情が動くんで、
たぶんそうなのと思います。
僕はここに対して、
自分中心、ヒロイン、ヒーロー、お花畑、
みたいな感覚がたぶんあるから、
なんかの感情が揺れ動いてるんだろうなって、
僕の中では今一応分析はしてるんですけど。
そういうのがあったんで、
小学校の5年生、6年生って、
おそらく社会性ができ始めてくるときじゃないですか。
友達だけで遊ぶ、どっかに行ったりする、
ちょっとおしゃれな街に出てみるとか。
そこに対して、
僕もいることが当たり前のように他の人と接してたんですけど、
お前くんないうぜえよ、みたいな感じになって。
くんないうぜえよというよりも、
なんでいるのとか、
あいつなんで誰が呼んだのとか、
あとは他で、
僕にはわからないように他のところで計画して、
動いてたりとかっていうのがあって、
それは苦しみましたね。
なんでそこで初めて、
今になって分かるのは協調性みたいなもの。
自分だけじゃないから、周りの人たちもいるから、
自分をちょっと殺すというか、
抑えることも必要なんだなっていうのは、
後々その瞬間に学んできたんだなって思います。
これはすぐには分かんなかったってことですか?
今分析してみると、
分析したのは今じゃないんですけど、
過去のことを考えてたときだったんですけど、
大人になってから考えると、
その時は分かんなかったです。
なんで自分が嫌われてるのかとかは。
分かんなかったしね。
これって具体的な行動で何か覚えてるのとかあります?
何しちゃったとか、
俺自分の意見だけ優先させちゃったとか、
この遊びやってたけど、俺がやってやるぜみたいな。
俺がリーダーでこのルール決めるぜみたいな。
他の人はいい顔してなかったけどとかって。
具体的なエピソードとかって。
今パーッと思い出したときに1個あったのが、
そのグループで遊んでるときに、
ジャイアントスイングをした後、
投げるみたいな遊びをしてたんですよ。
小学生ですね。
みんなそれで投げられて滑ってってみたいな遊びをしてたのに、
僕投げられたときに頭ぶつけちゃって、
それで痛くてめっちゃ泣いたんですよね。
泣いてそれを先生に言って、
投げた人たちが怒られるみたいなことがあって。
でもそれって、
当時そのグループのそのノリだから、
痛くても我慢して泣かないし、
マジ痛いよって言いながらふざけることが、
たぶんそのときの正解だったと思うんですけど、
僕がノリと違う動きをしたことがあったりして、
っていうのはありましたね。
たぶん自分中心で考えすぎてるから、
他の人とやってるノリがちょっと違ったのが大きいと思います。
なるほどね。
今でもそこは悩むときありますね。
人生の迷子の経験
その空気感に馴染めないなみたいな。
馴染みたいけど馴染めないなって思うときは、
いまだに結構あったりはしますね。
馴染みたいのは馴染みたいですね。
あとその空気感からずれてるな感はわかるんですか?
わかるようになってきたっていうのは思いますね。
その空気が欲してる発言じゃないことを今してるなとか、
そういうことしてしまってる自分がいるなっていうのはわかったりしますね。
間が悪いというか。
今振り返ってみて、いつごろそういうのってわかるようになってきた?
今小学校ぐらいの話じゃないですか、昔の話は。
だんだんわかるようになってきたと思って、
それはいつとかきっかけとかってあるんですかね?
割と本当に大人になってきてから大学生ぐらいですかね。
大学生ぐらいで、それこそ人生迷子になってるときとかに、
過去を思い出してみたりとかして。
今回の放送はここまでです。
次回に続きます。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
52:07

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