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2025-04-08 33:06

毎日お祝いしよう!声日記stand.fm ライブ

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サマリー

このエピソードでは、声日記を通じたコミュニケーションの重要性や、写真をシェアする楽しさについて話されています。また、ポッドキャスト活動や読書の経験を振り返り、コミュニティとのつながりの大切さを感じています。このエピソードでは、読書や知識の探求についての自己反省が語られています。特に、子供たちに本を読む重要性を教えることや、自身の読書習慣への劣等感が強調されています。このエピソードでは、AIの進化と人間の存在意義についての考察が展開されています。特に、担当者が子供たちとのコミュニケーションを通じて学び続けることの重要性を語っています。

声日記の重要性
どうもこんにちは、Moです。 皆さん、お元気ですか?
おはようございます。えっと、こんにちはですね。 え、久しぶりすぎて、はじめなんて言ってたか忘れちゃった。
いやー、あのね、今日やばいなと思って。 誰かに喋らないと、誰とも喋らないかもしれない、今日1日と思って。
まあ、スタイフだったら、こうやって、もしかしたら通りがかりの人がいてくれるかもしれないし。
と言ってもさ、やっぱ電話とかしてなんか話すほど、ねぇなんか暇? 私が話したいことあるわけじゃないんだけど、
口を動かしてないから、なんか話していいって言って、なんかね、人をディスターブする、邪魔するのもなんか申し訳ないなと思って。
それで、あ、そうだそうだ、久しぶりだけど、やってみるかなっていう感じで、今開いてみてます。
えっと、これ見えて、もし聞いてくださってる人はね、この背景はね、ちょうど昨日撮った、今日はちょっとだけ曇っちゃってるんだけど、
昨日撮った写真ですね、空の色がね、すごい綺麗だったんで、やっぱりね、でもこういう空の色を見てても、
実際に見ていると写真になっちゃってる色、まあ写真になった時の方がいい場合もあるけど、でもそういう時もあるし、
本物見て、この色、ほんと一緒にみんなに見せたい、みたいな感じの時に、まあ写真撮るわけだけど、
どうもね、やっぱりね、ライブで一緒に見たいとか思ったりしたりしますが、それはできないことなんで、
そっちの方がきっといいよって分かっているけど、写真でシェアできるだけめちゃくちゃいいよねっていう感じで、
いつも思ったりとかしてるんだけど、最近はね、前はさ、やっぱりオンラインでできるってすごいと思って、
いろいろできること、可能性があるからさ、そっちも楽しいんだけど、でもやっぱり生にかなわないなぁ、みたいなことを思ったりとかするんですけどね、こうやって、
写真のことだけ言ってもずっと一人で喋ってられるんだけど、とはいえね、この前、友達がさ、
なんかお料理とかしてる時に、結構一人ごとで、何とかがこれ足りなかったとか、これ入れなきゃ、どっちにしようとか、一人で言うんだって言ってたけど、なんか私はそういう時に一人ごとが出ないんだよね、おしゃべりなんだけど、
そういうのをやってみれば、口の運動とかにはなるかなとかって思うんだけど、どうもね、もしね、やっぱりこうやって、
ポッドキャストとかこうやってスタイフとかに残せるなら残した方がいいのかなぁとか思ったりして、でも前回このスタイフの方では、その後配信してないんですけど、最後ね、やっぱり今年はもう卒業かなということで、
ポッドキャストの方もね、卒業ということで、毎日お祝いしよう、最後の大抽選会っていうのをね、もうそろそろ早く準備してやらなきゃと思うんだけど、一応応募していただいたりとかしてるので、それのリンクは前回のやつに貼ってあるので、
もし良かったら、トラヤの洋館のセットとビールを抽選で当たった方に勝手に送りつけるっていう、そういう催し物をするので、もしこれ聞いていただいた方でご興味ある方いたら、ちょっとフォームを探しに行ってもらって、
ぜひ最後だと思うので、やってもらえたらいいなと思って、応募していただけたらいいなとか思ったりしてるんですけど、そういうポッドキャスターっぽいこととか置いといて、そうですね、今日本当に家族が誰もいないしね、朝早く息子を出してしまうと
話すことがない。誰も誰とも話さない。昔だったらね、アメリカにいる娘が電話かけてきて少し話したけど、何を話したかというと、いろいろな事情のことを話したんですけど、そのぐらいで誰とも話さなくて、全然平気なのが結構ね
なんか自分で何かいろいろやってると、本当誰とも話さなくて、でもこのままだとさ、口がなんか乾いちゃって困っちゃうのねと思って、それで、今喋ってみてます
ポッドキャスト活動の振り返り
こっちの毎日お祝いしようは残しておこうかね、今思うけど、ちょっとそういう思っていることをちょっとこっちに言って話してみようかな、あの卒業って言ってもさ、なんか本当いろいろ4年間あったんで、思い返してみるとね、本当いろんなことがありすぎて、ちょっとまとめられないなと思って
しかもね、毎日先のことというか、たくさんちょっと興味深いこととかが舞い込んできて、そっちの方がすごい楽しくて、なんとなく家族にはママは何してるんですかって言われると、お勉強してるんですよって言うんですけど、なんとなくね、本当につんどくになっちゃってるものがたくさんあるので、でも本当おかげさまでね
スタイフでお世話になっている読書術研究家さんの初めはね、スタイフをいつも聞いて、いろんな本と出会うことができて、パパさんにはこういう本、ご興味あるんじゃないですかとか言って教えていただいたりとか、哲学者の方の名前とか教えていただいたりとかしててね
そういうのとかも、本当コロナ禍入ってこのスタイフを聞き始めたり、自分でやり始めたり、ポッドキャストやり始めたり、Xを始めたおかげでね、なんかいろんな方、本の話はね、ちょっと卒論の中に入れたかったんだけど
本を読まないできちゃったっていうことにね、追い目があるんですよ。でもね、追い目があるのっていうかね、できてきたのは、実は
コテンラジオを聴いて、コテンラジオのリスナーコミュニティに入って、もうめちゃくちゃ本読む人たちと出会って、私本を見るとね、本ね、たぶん嫌いじゃないの。本屋さんね、すごい好きでね、いつも行ってたのね。本屋さんがあると必ず入ってて
でもね、買うものって言ったらだいたいね、雑誌と、あとは自己啓発みたいなのと、あとはビジネス書みたいな、なんで私がビジネス書を読まなきゃいけないのかよくわかんないんだけど、これもあまり話してないけど、やっぱりなんていうのかなぁ
自分が雇われているとしても、雇ってる方の気持ちを知って、それでなんか自分がその中で働いているっていう状況にしたかったというか、でたまたまね、やっぱりそういうことを勉強してたら、やっぱり結婚した相手も自分で仕事をする人だったりとかして、やっぱりね、そこってね、超違うと思うんだよね。自分でやると雇われるということの
本当に変わると思うんだよね。その2種類なんだよね。本当にね。だから、それをね、なんかね、自分はね、自分で経営したいとかはないんだけど、自分でビジネスをやるときの心得みたいなのとか、もしやるとしたらみたいなとか、そういうのね、結構ね、興味があって
本当、この前ね、本を整理してたら、結構そういうビジネス症があってね、びっくりしたんだけど、ね、やっぱり自分でちょっとやってみたいなという気持ちは結構ね、30代とかあったんですよね。だから、それはちょっと無理だなということで、もともとはね、先生なので、先生寄室の方がなんか買っちゃってね、やっぱ物を売ったりとか、自分でなんか経営をするとかって超難しくて
諦めたみたいな感じですけどね。あとは仕事したくないからね、そもそも。だから、まあ、しなくていいんだったらしなくていいかなみたいな。とはいえ、先生のサブスティチュート、代替教員っていうんですか、そういうのとかちょっとやってみたいとか、一応ね、なんか暇でいるのがもったいないのはあったのでね。
とはいえね、ポッドキャスト界隈の人たちと付き合うようになったら、こういろんなね、なんかインプットすることとかがあって、なんかあっという間に時間が溶けていくっていうかね、あとはね、コンテンツがいっぱいオンラインにあるから、映画とかだけじゃなくてね、今までだったらね、ドラマぐらいだったらね、見てたのとか。
YouTubeとかでもいっぱいお勉強のコンテンツがあるし、もちろんポッドキャストとかスタイフとかたくさん興味深いことがあるから、どれから聞けばいいのか全然わかんないんだけど、それでやっぱり、でもいろんなのを聞いていくうちに、やっぱりこういうのに興味があるんだなっていうのは、いろいろ固まってきたかなと思って。
あと、やっぱりこう、いろいろなことを知りたいわけじゃないんだなっていうのもわかってきて、なんかやっぱりその辺が、なんとなくこの4年間、自分で声の配信をしたりとか、そのオンラインで界隈の方たちと出会う出会い方とか、どういう方たちと出会いたいというか、おつながりになりやすかったかとか、そういうのとかもね、本当は考えてちゃった。
まとめたいとかしたいんだけど、それができないか、今だらだら話してますけど、どなたか聞いてくださっている。ありがとうございます。それで、そうなの、そうなのって、これさ、ちょうどいいよね。話してて、後でこれ聞けばさ、私後でこれまとめられるかな。もしかしたらもうちょっと話しとくと、そう、本の話ね。
ということで、コテンラジオコミュニティに入って、たくさん本を読む方と出会うことになって、私たぶん今までね、いろんな、本当にね、本当にたくさんの人に会ってきてて、皆さんも会ってると思うんだけど、なんか、あの、興味深い方たちに、自分としてはね、他の人と比べるというんじゃなくて、本当にいろんな方に会ってきて、その方たちとお話とかするだけで、本当にいろんなことを学んで、
いろんなことを学んできたし、で、その方たちはさ、たぶんたくさん本とかを読んでらっしゃる方だったりとかすると思うんだよね。で、でもそういうのをさ、本の話とかはするし、なんか私ができないから、たぶん出さなかったんだと思うし、でもそういった方たちがとっても興味深い人生を歩まれてるから、そういうのをねほりはほり聞くことによって、私は結構、あの、いろんなことをね、そういった方たちから学んできちゃったんだよね。
国際的な経験
で、たまたまね、やっぱりね、自分が興味のあった海外生活みたいなことを実際に自分ができるようになって、で、その中で、しかもまあ、計画とか立ててたわけじゃないんだけど、まあ、自分の子供もインターナショナルな感じで、あの、
インターナショナルな感じの幼稚園とかに入ることになったりとかして、そうしたら、思いがけずやっぱりママ友とかがみんななんかすごくバラエティーのある国々からいらした方たちになったりとかして、で、だからもうなんか本当にその中で学ぶことがめちゃくちゃあったんですよね。
本当にね、英語がね、それの中でもっと上手くなればよかったんだけど、それもなくて、それでやっぱり、ぼんやりしてるんだよね、目標がそもそもね、だから、本とかを、誘われたこともあんの、ブッククラブ行きましょう、みたいな、もうブッククラブ大好き、みたいな、で、私ちょっとそれわかんないんだけど、みたいな感じで言ってたことがあったんだよね。
で、でもやっぱり子どもたちも学校に入ったら、もう本当に毎週のように本を読ませてください、読みます、読めないから、読めるようなちょっと特別なクラスに入れますとか、そういう読むっていうことがすごく大切だっていうことをね、本当に子どもたちは学校で教えられてて、私ちょっと本当大丈夫なのかな、自分が今までそうやって読むということにね、なんかこだわってきてないから、
すごく、あの、なんか劣等感があったんですよね、その読むということに対して。で、今まで読んできたのは、だから、いや、読んでない、本当に、だから、でも読んできたのは、お友達に勧められた、えっと、あなた明日死ぬかもよ、みたいな、なんかそういう、なんかスピリチュアルっぽいやつ、あの、とか、あの、思い出すとね、
あとは、だからさっき言ってたビジネス書とか、なんか一応その時に必要な、あと、だからさ、えっと、運動のやつ、なんか、ピラティスのやり方とか、ヨガの本とか、筋肉の本とか、そういうのは読んでた、読んでたって言わないよね、見てたというか、ね、あの、知りたいことを知るために、
知ってたけど、そういう、文学書とか、小説はたまに読んでたけど、でも、文学書っていうのかな、そういうのとか、あと歴史書とか、全然読んでこなかったから、ね、本当になんかこう、なんか、本当、劣等感、劣等感っていうのかな、こういうの、なんか、追い目、読書に対しての追い目があったんですよね、本当にね、あと、先生もやってたのにさ、本読んでないみたいなさ、何も知らない、歴史のことも、あの、
教科書プラス、まあ、なんか、こう、いろんな、なんか、ちょっとした歴史の小説じゃないけど、まあ、解説書みたいなの、程度は、まあ、一応読んでたけど、でも、なんていうのかな、こう、没頭して読むっていう時間も作んないし、そうだよね、ほとんど読んできてないって自分で思ってんだよね、それで、この4年間は、本当に、なんか、面白そうな本だなって思うと、読めるかもしれないし、
面白そうな本だなって思うと、読めるか読めないかとか関係なく、とりあえず買ってきてみて、買ってきてっていうかね、取り寄せてみて、で、パラパラって見るんだけど、結局、著者と目次と前書きと後ろ書き、後ろ書きっていうのを最後、解説みたいなのを読んで、
こういうこと書いてあるのかな、面白そうだなと思って、置く、みたいなことをずっとしてきたんだけど、やっぱり、それだと、なんか、知ってる、その本あるとか言っても、その本について人に伝えられるわけでもなく、
知識として知るために本を読みたいんじゃないなっていうことは、今思ってて、なんか、
本をすごく読んでる人たちの私の印象だと、やっぱり自分で考えることとかが好きだったりとか、やっぱりもともと本が好きとか、一人でいることとか、楽じゃない方たちが多いよね、多分もちろんなんだけど、私は一人で生きることが、
一人でいるっていうことを考えたことがなかったんだけど、一人でいる時に何してたかっていうと、ぼーっとしてたか、なんか、つむつむみたいなゲームやってたとか、
そうだね、なんかまとまった時間があって、やっぱり、ビデオとか映画とか見ちゃってたりとかして、それ以外はいつも人といたからね、
ほとんどの時に人といて、いない、なんか、いつも外出てて、テニスしたり、お出かけしたり、ランチしたりって言って人と話してたんだよね、ずっとね、
だから、出会いがあるから、そういった方たちから勧められた本をパラパラ読んでたりとかしたことあるけど、本当に読書について考えたりとかもしたことがなかったし、
その辺だよね、こんなに本を読まないでも生きていけると思ってたみたいな私が、本当にもともと好きだった人とは違うじゃない?多分、モテるものが。
だから、これからはね、ちょっともう歳とっちゃって、スローな感じになるとは思うんだけど、次の第三のステージとしては、この本を知識のためとかいうんじゃなくてね、私がちょっと頑張って、この本読んでみたいと思って、思い始めてちょっと頑張って読んだ時に、
自己表現の可能性
頑張るというか、本当にね、知的好奇心が上がった瞬間のものを読んでいった時に、私から今度何が出るんだろうっていうのをね、ちょっと実験みたいな感じでできればいいかなと思って。
だって、こんなに私は本を読んでこなかったわけだし、こんなに別に活字を読みたいとも思わなかったんだけど、やっぱり本を読んでいる方たちの思考とかに触れてきたんだよね、この4年間はいろんな本をたくさん読んで、そこから思考を広げていかれる方たちの話をたくさん聞いてきて、学者さんとかもいっぱいいたし、
そういった方たちと、それ以外でも本が本当に大好きで、自分が今度は表現者になろうとか人を作ろうとか、本当に自分で文章にして自分を表現しようとかっていう、そういった方たちに会ってきて、私がそれをやりたいとか、全然思わないんだけど、
もしそれをやってみたら、なんか面白いことになるかもしれないなっていう、ちょっと変な期待というか、期待がないとやる気にもならないから、そんな感じで思ってるんですよね。
だってこんなにやだってこんなにやってこなかったんだから、本当。だけどこの発想とかね、なんか自分が今までいろんなことをやってきた時とかに、なんかこう変わってるねとか言われて、嫌がられる、嫌い、私のこと嫌いみたいな人もいたと思うんだけど、そうじゃなくて、いやそれ面白い発想ですねとかって言ってくれるとかする人とかもいたから、
せっかくね、最近だと年も年だから思うのは、やらなきゃいけないことっていうかね、家族のためとかにいろいろあるんだけど、それ以外にライフワークみたいなのを考えた時に、お金になることじゃなくて、自分ですごくやりたいことを考えた時に、
趣味、長くさ、10年20年もしかして続けていったらさ、いいこととかってあったらさ、いいことっていうか、その場限りじゃなくて続けないとできないこととかってあるじゃない。そういうのにチャレンジしたいと思うし、それで自分が何を出してくるんだろうみたいな、そういうワクワクがあるんですよね。
なんかおかしいかもしれないんだけど、言ってることが。なんか人事みたい、本当に。だけどね、自分のこの感情を操っていかないと、早々、これから年いっていく間にめげちゃうと思ったりするんだよね。
だから、その辺、自分の好奇心とか、やる気みたいなのとか、ワクワク、やる気というかワクワクを本当に落とさないようにしたいんだよね。なるべく。でも本当に飽きっぽいから、飽きちゃうようなものだったらダメなんだよね。
つまんなくなってほしい。だけどね、この本を集めてきたことについてはね、なんとなくね、読んでみたらとかね、普通には読めないんだよ。だから、読み方とかも本当考えないと読み切れないと思うし、じゃあ読み切るってどういうこと?とかも考えたりとかね。何をしたいのかとかね、そういうのとかも考えると面白いし。
そういうことでね、やっていきたいと思ってるんですよね。だからね、自分のワクワクを止めたくないんだよね。本当。でね、実は今日ね、なんで喋ってなかったかっていうと、
あのね、某ポッドキャスト番組に出させてもらってるんですけど、そこでね、やっぱりね、哲学をね、習わせてもらって、触れさせてもらってっていうかね、その哲学をずっと考えてきたという人たちと話したりするとかを見るとしたときにね、やっぱり私ね、なんか興味あるなっていうのはあるんですよ。
いつもね、番組とかでは無理やり哲学の番組に出させられたとか言ってるんですけど、ここだけの話なんだけど、今でも思い出すのが、大学を選ぶとき、何学部とか、あのときね、すごく嫌だったことを思い出すんだよね、最近よく。
私はね、テニスばっかりやってきて、自分の人生を決めるような、大学のどこ部に行きますとか、今決められねえし、みたいな。もう分かんないし、どこ行っていいかなんて。これが本当に正直なところだよね。
だから、でも適当にね、あのときね、たぶん、うちがお金がなかったんだよね。それで、お金のかからない学校に行ってくださいって言われて、高校を卒業した後ね。
それがね、私はそうじゃなくて、4年間の大学に行って遊びたいというか、このままこんなすぐに就職とか無理だしって感じと、あとは一応、前からね、先生になりたかったっていうのはあったのね。だから先生になるには、一応やっぱり4年の大学行かなきゃいけないから、教育課程っていうのを取らないと先生になれないから。
それでね、だから4年の大学行きたいなって思ったんだけど、どの部に行く?どの部だってよかったわけ、本当に。入れれば。4年生っていう大学に入れればよかったんだよね。本当はさ、かっこよくさ、頭のいい大学とかだって行ければさ、今私こんなことしてないかもしれないわけよ、勉強できてればね。
だけど、やっぱりさ、そういうなんかくじけてるわけよ、やっぱり途中で。その時もさ、だから適当に決めるわけ。うちの父も母も大学出たりしてないから、誰か聞くっていう感じもなくて、相談とかすればいいと思うんだけど、その頃なんて、まあいいかって言ってね、親に言って、なんかこういうところは学校で進められたからこういう感じにしとくよ、みたいな感じで適当に決めて。
で、まあ先生が好きだったからっていう理由でね、文学部の方に行って、その時にね。それで入っちゃったんですけどね、あの哲学の授業があったんですよ、実は1年生の時、今でも覚えてるんだけど。
でね、何を言われたか、もうその先生だってなんか全然イケてる感じの先生じゃなくて、教養部のその1年目に全員がなんか受けなきゃいけない授業だったと思うんだけど、でもね、なんかね、そう今でも覚えてるんだけど、
哲学って何?生き方の勉強するの?みたいなイメージ、今何言われたか忘れちゃったんだけど、それで私哲学やりたかったじゃん、って思ったんだよね。私哲学部とかってあるじゃん、この大学も、みたいな。
でも、哲学が目指している人間のこととか生き方とかを勉強するって多分先生が言ったんだけど、その中身が、なんかすごい難しい本を読むとか、昔の人のことでね、哲学者の勉強するとかっていうイメージだったのね。
だからそれは嫌だなぁと思って、自分がいたところにそのまま残ったわけですけど、哲学っていうものを勉強したいと思ったんだけど、本は一人じゃ読めないし、無理。ずっと無理。
でもその瞬間のことはずっと覚えてて、いつかね、そういう人ってどうして生きてるんだっけ?とか生まれてくるんだっけ?みたいな、超素朴な質問なんだけど、ずっと小さい頃から考えてたし、
人って生まれてきてゴールというか、物質的に、こういうこともさ、話すとあれだけど、亡くなる、死んでしまうっていう、そこってもう誰も違わないっていうか、同じ生まれてきて死んじゃう。その中が違うし、後はもう歴史的に見たらすごい短い時間じゃんね、生きてる時間っていうのは。
AIと人間の関係
だからさ、なんでそんなになってんの?っていうのをね、考えたいじゃん。だって人だし、人間だし。だからそういうのを考えたかったんだよね、実はね。でもさ、考えてもさ、その頃まだバブルはじけたんじゃなかったしさ、そういうのを考えたいんですけどって言ってもさ、それお金になるの?みたいな感じで言われるようなね、時代だったしね。
それだから何年前?もうね、30年前の話ですよ。だからその30年間ね、別にそんなことを考えなくても生きてきてしまったんですけれども、これからやっぱりAIとか出てきて、AIがまさに人間と同じことをし始めたときに、
じゃあ何、生身の人間って何でいるんだっけ?みたいな話にもなりそうじゃん。そういう話とかも面白そうじゃん。だからさ、でも本当怖いぐらいだよね、AIのさ、私喋ってるとさ、いい感じにさ、聞いてくれるんだよね。
そしたらさ、本当生身の人間と話すよりさ、もう全然気持ちいいよね。自分のいいように話してくれちゃうから。
で、そもそも私たちはデジタルネイティブじゃないから、だからいつまでないの?コンピューターとかなんてさ、自分の生きてきた中の半分ぐらいしかないから、その半分はなかった時代を知ってるわけじゃない?
しかも活発に育ってきた時代にコンピューターなかったからさ、だけどさ、その時の良さなんて、比べてないからさ、それしかなかったんだから。だけど今の子たちはさ、まあいいよね、両方あるっていうのはいいことだけど、ついついこっちに行っちゃうよね、みたいな感じのことがあるわけで、
いや無理やりさ、便利なことがあるのに便利じゃない方を選んで大変な思いをするっていうのもさ、なんか不自然だしさ、だからさ、本当これからなんかいろいろ、本当に人間が生きていくことについてとか、考えたらいいと思ったりするんだよね。
だからそういう意味で、ただ私が趣味的に考えたいっていうこともあるんだけど、自分の子供たちもいるし、その後孫が生まれるとかあった時に、やっぱり一緒にね、そういう話だったら年取ったってさ、一緒に話していけるし、そういう風なことね、楽しいじゃない?多分ね。
で、まあ本当いつも言ってるけど、まだ諦めてないの、私将棋やるのはね。将棋をね、まあやったりとかゲームしながらさ、なんかどう最近は?みたいな話をね、したりとか。で、最近は本当にね、いろいろ私もポッドキャストをやりながらとか、この界隈で勉強ちょっとだけだけどしてきて、その中で考えたりとかすることとかをね、やっぱりもうね、あの20歳、今度ね、うちの娘20歳になるんだけど、
やっぱりこう、情報がたくさんあるから子供たちの年代はね、いろんなことを考えるわけだよね、自分の中でさ。で、そのこととかをちょっとさ、なんかあった時に私が習ったことの中で、なんか工夫して言ってみると、
ああ、ママはそれわかってくれるんだとかってね、なんか言ってくれ、言われるようになって、それで話をね、こういうのこういうことっていうのは、なんかずっと考え続けなきゃいけないね、みたいなことを言うと、いろんな友達関係とか人間関係で問題があった時も、まあ一緒に考えられるっていうね、立場を取れるなぁとも思っていて、
だからね、そういう感じで、これからもうちょっとね、その寸読をね、読んでいったりとか、まあ興味のあるところからちょっと深掘りしていけたらいいなって思ってるんですよね。で、こんな感じで私もしかしたら、
親子のコミュニケーション
台風で話せばいいのかな、もしかしたら。 ポッドキャストの方はさ、ちょっとさ、なんかいろいろその辺もなぜやめたいかとかっていうのはあるわけなんだけど、それは今度にしよう。もう喉乾いちゃったから。
あ、やっぱり30分喋ってる。いいね、30分ぐらい喋ると、なんかまともってくるな、話が。ありがとうございました、なんか聞いていただいている方。なんかすいません、私のね、おばちゃんのこんな話、全然面白くないと思うんですけど、なんかお付き合いいただいている感じで嬉しかったです。
ということで、今日はこんな感じで終わりたいと思います。では、さようなら。またね、皆さん、これもし聞いている方、皆さんいい感じの一日をお過ごしくださいませ。バイバイ。ここで終了。終了。
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