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趣味を自分から楽しむ人に育っていこう。
本日の結論はですね、体力こそ全てである、というね、結論になります。
どういうことかというとですね、あのツイッターで、あのカルパンさんがやってきて、
あんこう鍋を一人で食べるっていうね、あのテレビかなんかのスクリーンショットかな、がまたバズっていたんですけれども、
あの、いわゆる茨城県大洗町にガールズ&パンツァーが好きなファンの人が聖地巡礼で来て、
一人で旅行して、一人であんこ鍋食べて、一人で帰ってくるっていう、あんこ鍋っていうのは基本的にはまあ家族とかでね、複数人で食べる、2人前からなんですけれども、
まあカルパンさんは一人でやってくるので、1人前のメニューも作りました、みたいなことをおかみさんが言ってる、みたいなね、テレビ番組のスクリーンショットでした。
うんうんそうだね、と。でそれに対して妖怪みたいに思われてるね、みたいなあのコメントがついていて、リプライとかでね、でそれがまたバズっているみたいな形になっていました。
でですね、あのガルパンファン、ゆるキャンファン、山のすすめファンの3つの妖怪をちょっと話したいと思うんですけれども、
まずガルパンファンはまあガルパンおじさんと言われるんですけれども、基本的にはミリオタのアシュなんですよ。
で、ミリオタというのは年齢層がとにかく高いですね、4,50,60当たり前の世界なんですよ。
なので、あのガルパンおじさんは本当におじさんです。その例えば30代ちょいとかのね、おじさんが、まあおじさんというかあれなんですけれども、
あの、いやもう僕なんてもうおじさんだよっていうのじゃなくてもうガチでおじさんなんですよ。ガチ。ガチ中のガチでおじさん。もうおじさん以外に表現がないっていうぐらいにはだいぶダンディな年齢の人たちなんですけどね。
一方でね、あの同じそのまあなんというか聖地があって、あのどこか旅行に行く聖地、なんかここ巡礼しに行ったりするっていうのではこのゆるキャンファンというのが挙げられますよね。
ゆるキャンはなんかおしゃれなんですよ。なんかちょっとね、ゆるキャンはおしゃれ。おしゃれだし、まあもともとゆるキャンって、ゆるキャンってキャンプを扱っているやつと思いきや、あれバイクとかの方がメインなんじゃないかと思うんですね。バイクとあとは一人飯ですか。
はい。まあ一人旅なんですよね。ゆるキャンの本質っていうのは。まああのちゃんとね、お友達同士でね、あのキャンプ部でね、あのどっかに行ったりとかもあるんですけれども、少なくとも島にはぼっち旅決め込むタイプなので、やっぱりあのそういう行動、ユーザー行動をするファンという方が多いんですよね。
ゆるキャンの面白いところはですね、ゆるキャンという作品自体に対してそんなに思い入れがあんまり強くないっていうところなんですよ。まあこんなこと言っちゃったらちょっと失礼かもしれないんですけれども。
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あのガルパンとかはね、ものすごく自分のアイデンティティの細胞に刻み込む、何だったらタトゥーも入れますみたいな、タトゥー入れてる人は見たことないけど、自分の精神のタトゥーには入れ込んでる感じがあるんですけど、ゆるキャンはね、どっちかっていうとなんというか、まあ他の作品も別に好きだけどみたいな感じなんですよね。
まあこういうファン的に言うと、ある種Z世代的なのかな。まあ年齢的には全然Z世代ではないと思うんですけれども、まあそういう感覚です。
最後に山の爪ファンなんですけれども、山の爪ファンはね、まあやっぱりアニメ作品自体がものすごく可愛らしいんですよ。結構綺麗というかちょっと素敵なものなんですよね。
なので素敵なものが好きな自分好きみたいなタイプの人、プラス登山ガチ勢。あとは他の聖地巡礼のアニメでいまいちアイデンティティを持てなかったタイプが、あの山の爪にすがって反応に依存するっていう、まあ今言ったのは全部伊藤ぽいら当てはまってしまうんですけれども、ガルパもゆるキャンも山の爪ファンもね。
なんかそういう感じなんですよ。で、この3つの特徴っていうのはね、ちゃんと自分で何かしら旅行に行くっていうところがポイントなんですよね。
ゆるキャンだけちょっと若くて、残り2つはおじさん。ガルパンは本当にガチおじさん。
で、ゆるキャンがちょっと若いって言ったって、超絶ピーク、もちろんね実写化もしまして、アニメも新しいものが作られたりとかして、まさに普通にNOW進行中、まあその子で言ったら山の爪もね、新しいアニメが今年放送されますし、ガルパン最終章がもっか制作中でございますけれども、
言うてその、登場したのは古いんですよ、ゆるキャンっていうのは。もうゆるキャンから何年経った?みたいなこと考えるとね、どんだけ年を取ったかっていうのでね、痺れるんですけれども、少なくともこの3つの作品のファン、全員おじさんになっていることは確かなんですよ。
人間を辞めてる人でない限りは、絶対に年を1年ずつ取っていくはずなんですよね。
なんですけれども、この3つの作品のファン、とりあえず全部ね、自分から何かを楽しもうとする人たちであるということは変わらないんですよね。
どういうことかというと、例えば旅行に行ってあんこ鍋食べる、バイクに乗ってキャンプしに行く、一人キャンプする、カップラーメン外で食べてみたりする、
登山をしてみたりする、反応瓦でなんかちょっとゆっくりしてみたりする。
全部自分から何かしら楽しもうとする人たちなんですよ。行動を起こす人たちなんですよね。楽しいことをディグる人たちなんですよ。
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体力があって、わざわざ遠くに自分の足を運べる人たちなんですよね。
で、こういう人たちは別にこのアニメの作品のファン、別にアニメ作品のファンだからっていう話では全くなくてですね、
基本的に自分から楽しいことをディグれる人たちっていうのは、人生の楽しみ方をわかってる人たちなんだろうなっていうのをイトポイドはふとやっぱり思うんですよね、最近特に。
で、なぜかというとですね、逆にじゃあそうでない場合どうなるのかっていうことを考えざるを得ないんですよ。
どういうことかというと、体力がなくて、自分から楽しいものをディグれず、与えられたものとかなんか目の前に流れているものだけを享受する。
そして楽しもうという気持ちやガッツもまあない。ずっと日々疲れている。欲もそんなになくて、癒しだけを求めている。
その癒しが何につながるかも自覚していないっていうね、多分そういう状態だと思うんですよ。
で、これってシンプルにどんどん知能が低下していくパターンのオンパレードなんですよね。
とにかく単純に頭が悪くなっていく条件をすべて揃えているっていう。
体力がなくて疲れていたりすると人間頭が悪くなりますし、自分から選択ができないとどんどん頭が悪くなっていく。
シンプルなあれですよね。別にこれが誰とかそういう話ではなくて、そうじゃない場合って多分こういう条件だと思うんですよ。
で、一方でですね、でもふと考えてしまうんですよ。
年を取るということなのではないかという、いわゆる落ち着いてくるっていう言い方もできるんですけれども、
果たして今本当に落ち着くことっていうのは、それは精神的健康につながるのかっていうのをね、ちょっと試行実験せざるを得ないんですよね。
理由は明確で、単純にものすごく選択肢がある状態ですよね、今はね。選択肢もあるし、調べればいっぱい何でも出てくる状態で、
やらないっていう選択をすることができる時代じゃないですか、昔と違って。
もう本当、4年前、コロナが始まってやっぱりそういうところが爆速に進化していったと思うんですけど、地球人類祭を、地球人類祭をね。
じゃあそういう環境下で年を取っていくってどういうのが理想なんだろうっていうのを考えざるを得ないと。
もう一つポイントとして考えを進めるときに、年を取るときっていうのは、いつの間にか自覚なく年を取っていくものっていう風な予想が立てられます。
つまりですね、年を取っている自覚がない状態っていうのが続いていくということが言えますよね。
どういうことかと言うとですね、1年に1歳年を取っていく。
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これもいわゆる年速1歳年を取っていくって感じじゃないですか。
いわゆる1年経つと必ず1歳年を取る。
急に2時間数的にウワンって曲がったりとか、なんかチロチロチロチロってこうやっていきなりバコーンと上がったりとか、そういうのってないじゃないですか。
急にぎっくり腰になったらバコーンって感じるかもしれないけど、少なくともぎっくり腰になるような素養は毎年毎年蓄積していくからですね。
1年に1歳年を必ず全員取るということはですね、グラデーションで年を取ってしまうということなんですよ。
グラデーションということは、はっきりと自分年を取ったなとか、自分年を取りそうだなっていうことがわかるタイミングはほぼないということなんですよね。
だってグラデーションだから。
すなわち、知能が低下していく、頭が悪くなっていく、コンディションが悪くなっていくことを自分では気づけないはずなんですよ。きっかけがないから。
さっき言ったようにいきなりぎっくり腰になるとかだったらわかるかもしれないけれども、
でもね、何か調子が悪くなるというのは別に若くても年を取っても変わらないっていうのもある種正しい知識でわかるじゃないですか。
健康状態が悪かったら、それは若くたってぎっくり腰になるよって話ですしね。
痛風とか言ったって、それは若さにかまけてとかいう話ではなくて、単純にコンディションが悪かったら絶対になるんですよね。
っていう正しい知識が調べればわかる状態ということは、余計年を取るというのがわからなくなっていくと思うんですよ。
自分で気づけない。
っていうことは、自分がどんどんどんどん体力がなく自分からできるだけ当たれるものだけを享受して楽しもうという気持ちはがっつもなく疲れており、
欲もそんなになく癒しだけを求めているふんやーっとした状態になっているということを気づけないということですよね。
例えば近しいパートナーの人とかいたりとか、親友とかいたりして、
お前最近ほんとパッとしねーな、マジでゴミカスだよって言ってくれるような人がいるとしたら別ですけれども、そうじゃない場合はわからないはずなんですよ。
これは相当難しい。
はい。
で、ゾッとしたんですよね。
やばっていうふうに思ってしまって。
でも一方でですね、話の最初に戻るんですけど、少なくともイトッポイルが知っている限りのガルパンおじさん略してガルおじというのは人生を楽しんでいるんですよ。
すごい能動的なんですよね。
で、じゃあ年をとっている、いわゆる年齢を重ねているわけじゃないですか。
50、55歳をしましょう。
55歳のガルおじとガルおじじゃない?ただのノーマルおじ?
ノーマルおじもそのガルおじじゃないと全員その人生を楽しんでいないかって言ったらそんなことないですよ。
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あくまでも例えとしてね、言ってますけれども。
で、そのディフを考えると、趣味をやっているかいなかっていうことになるなっていうところに行き着くんですよね。
趣味って、それは趣味としてやっているのか、仕事としてやっているのかみたいな質問があるじゃないですか。
いわゆる経済的なリターンを、いわゆる意味のあるもの、目的を持ってやっているものになるのか、リターンを求めてやっているものなのか、それが仕事。
で、自分にとっての意味があるということだけでやっているのか、これが趣味ですね。
それのどっちなのって聞くので、趣味、仕事って聞いたりしますよね、昔とかはね。
今はあんまり趣味が仕事になったり、仕事が趣味になったりとかもあるから、あんまりそういう質問はナンセンスだよねという風潮になっているけれども、
いや、改めて趣味という概念は大事なんじゃないかなと思っていてですね。
ちょっと話脱線したんですけど、こういう風に、昔はそういう質問ってよくされてたけど、今はもう意味ないよね、ナンセンスだよねって言われているものが、逆にゆり戻しでめちゃくちゃナンセンスになっているっていうのを、
結構いろんなところでいとこいろ最近感じていて、もう多分、いわゆる昭和平成令和なんですよ、シンプルに言うとね。
なので、昭和の概念に対して、でもそんなのって本当に老害だよねって言った平成の概念に対して、
いやでも状況変わってるから結局最後はガツだよみたいな話になっていった場合、もちろん昭和的な感じじゃないんですけども、一周回って結論だけピックアップすると、
結構平成と逆になっているっていうのはあらゆるところであったりしていて、これはちょっとちゃんと考えないといけないなと思いました。
自分がそのある種、何でしょうね、お決まりのセリフみたいな形で覚えている考え方みたいなものが古くなっているっていうことをね、自覚しないといけないなっていうのは思っています。
だからリバイバルという話ではなくてですね、結構ゆり戻しなんじゃないかっていうのは思っています。
もうちょっと厳しい言い方すると、昭和的なものに対して否定、なんかそういうのはナンセンスだよねって言っていた人たちの頭が悪くなっている場合が考えられるって話ですよね。
これもやっぱり年をとっていくということかというか、時代が変わっていくということだよなと。
今の若い人たちというのはめちゃくちゃ頭いいですからね、本当に。信じられないほど頭いい。
さらにその人たちよりも若い人の方が多分よほど頭いいんだろうなっていうのはなんとなく最近思います。
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もう本当にね、若い頃にどれだけ情報に触れられるかというのはね、人類を進化させるなっていうのをもうここ数年でものすごく痛感しますね。
うわーって思います。
という話は漢和9代としてですね。
我老時と普通老時の差は趣味をやっていることかって言ったじゃないですか。
自分で人生を楽しもうとしているかっていうのはやっぱりすごく大事だなと。
自分で人生を楽しもうとするってなると、まず体力が必要なんですよね。
自分から動かないといけないから。
何が楽しいのかっていうのを自分でやってみないとわからないんですよ。答えがないからですね。
なんで一回やってみないといけないっていうもので、自分からまずディグったりとか行動しなきゃいけないし、
あと多分あらゆる趣味って意外とあんまりそもそも意味がないものだったりするんですよ。
例えば自転車を乗ってぐるぐる回って帰ってくるって言ってマジで意味ないじゃないですか。
え?何?移動違うの?何のために?みたいな。
ん?何それ?みたいな。
ん?模型作って?じゃあ何のために?みたいな。
え?それが何か仕事に伝わるの?
それが何か。
ん?何?ん?あ?あ?あ?みたいな。
趣味って目的のリターンは特にないんですよ。
でもその人にとっては意味があるということは、その人が意味を見つけないといけないんですよね。
感性でそれを捉えないといけないんですよ。
なので趣味をやってる人っていうのは結構感性が豊かになっていくのはそれは当然の話だなってふと最近思ってですね。
そしてその趣味を続けていくためには体力がないといけないので疲れている状態っていうのを脱しないといけない。
それに対して努力をするんですよね。
ちゃんと寝ようとか健康にならないとダメだとかね。
マラソンとかが趣味の人はまさにそうですよね。
で、欲もあるわけですよ。
いろいろやってたらなんかあれも欲しい、これも欲しいみたいな感じになっちゃったりとか、
もっとこういう大会に出たいなとか、なんかこういう旅行に行きたいな、こういう温泉もっといっぱい入りたいなとか。
で、なんかぼーっと癒しだけを求める感じでもないんですよ。
なので趣味ということはやることを増やす。
老後の趣味みたいな概念っていうのはやっぱり効果的なんだろうなと。
そして老後の趣味という言葉にあるように、老後まで取っていく意味はまるでないっていうことがわかりますよね。
ずっとやればいいじゃんって話なんですよね。
いつでもやっていいはずなんですよ。
なぜかというと老後の趣味というのは時間がないとできなかったんですけれども、
少なくともその時間の部分はインターネットでスキップできるはずなんですよね。
キャンプに何が必要かって言ったら今ググったら一発で出るじゃん。
だから試行錯誤の時間というのをスキップできるはずなんですよ。
めちゃくちゃ時間がないとできないってわけでもないはずじゃないですか。
めちゃくちゃ昔の時代だったら旅行に行くにもたぶん一泊二日で楽しむって無理なんですよね。
最低でも三泊四日とかないと。
宿に行って、宿をまず見つけるところを始めなきゃいけないしね。
めっちゃ昔の話で言うと。
宿に行ってここら辺のなんかおいしいとこありますかと聞いてやらないといけないじゃん。
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1日1イベントぐらいしか起こせないんじゃないかなっていう感じだと思うんですよね。
あと移動も時間かかるし。
そういうのがあって老後の趣味ってなったんですけど、今いろいろなことがスキップできるんで、
情報がいっぱいバッとくるっていうのは違和感なものかっていうのを
伊藤ぽよも考えてるし言ったけれども、少なくとも能動的に調べようとする限りはそれは単純な最強なメリットなので、
全然若い時から趣味をやっていいんじゃないかなっていうのをすごく納得というか確信感を持って
最近考えてるんですよね。
でですね、それは多分みなさんもそうだねってわかると思うんですよ。
じゃあそうなった時に、自分が今見てるものとか、自分が楽しいと思ってても、
趣味というか今何見てんの、何やってんのって言われた時にね、
やっぱりいわゆる生配信とかストリーマーさんたちがいるじゃないですか。
あのカルチャー、あのコンテンツというものは消費者行動的にはちょっと癒しに最近傾きすぎてしまっていて心配になるんですよね。
その見てる側が全く知識を必要としないというか、ちょっと説明が難しいんですけれども、
例えだけで何とか伝わってくれ。
なんで説明が難しいかというと、説明をしようとすると結構ピリッとした言い方に誤解されそうなので、
ちょっと表現が難しいって感じですね。
例えだけでわかってくれってなると、
可愛い女の子プラス自分が能動的にそのコンテンツやその人に触れていると錯覚できるっていう構図っていうのは、
CRマドカマギカとかCRF戦記絶賞シンフォギアと同じなんじゃないかっていうふうに思っていて、
いわゆるパチンコってスロットを回す回さないに限らず、
もちろん弾が穴に入ってからスロットが回るんで、弾が穴に入るってところが物理的な部分なのであれなんですけれども、
少なくともスロットが回ってる時点で結果って決まってるんですよね。
拡変じゃーってなってボタンを押せって書いてあって、別に押しても押さなくても結果変わんないんですよね。
もう決まってるんですよ。
だから自分からそのボタンを押して何かとの確率を引き寄せてるんだと錯覚させてるわけですよね。
でもこれってさ、コメントを書き込んだりスパチャをしたりする行為とあんま変わんねえんじゃないかってちょっと思っちゃって、
それは違いますよ、違うんだけどメディア的な登場人物とその構図だけ抜き出すとあまりにも似ているっていうところにちょっとふと思ってしまって、
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えってなった時に、え、じゃあアニメを見てるだけでもそうなんじゃないですか。
いや、絶対に違います。
アニメとパチンコの違いは物語の有無っていうのと読解の有無ですよね。
読み取りの有無です。
自分からストーリーというのは自分から理解しようとしないとわからないんですよ。
時間軸があるからストーリーは。
これはメディア的特性の話なんですけどね。
ちょっとここをディグローとするともうちょっと時間かかっちゃうんでまたちょっと別のところで説明したいなとは思うんですけれども、
まあ生配信見てるのって癒やしじゃないですか。
いろいろ癒されるなと思うんですよ。
ストリーマーさんの配信とかずっと流しちゃうし。
だからやっぱ流しっぱにしとくものじゃないですか。
なんかずっと流しとくものっていうね。
そういう状況になるわけですよ。
これはその長い間やずっとね、結の尺が決まらず長い間ずっと頂略でやってる。
リアルタイムでやる。
プラス何かちょっと自分もそこに対して何か影響を与えることができる気がするようにユーザーに錯覚させるYouTubeの生配信コメントという機能。
正直なところ言うと、YouTubeさんのアイコンがあってIDがあって、そこでコメントすると自分もそのコンテンツに参加したような気持ちになるっていう演出なんですよね。
これはCR窓かまげのボタン押せと同じです。
窓かまげのボタンあんまデカいのはないけど、押せみたいなやつと構図的には同じなんですよね。
人間を楽しませる機能なんですよ。
話を戻して、癒しと今回話したような能動的な人生楽しみ方趣味っていうのは、癒しと能動性っていうのはちょっと距離があるんですよね。
真反対と言うと言い過ぎなんですけれども、少なくとも同じではないし距離が離れているっていうのは皆さんわかると思うんですね。
ということは趣味はね、やっぱなんかあった方がいいなってちょっと思うんですよね。
ちなみに言うと、推しという概念は全く今回の話と延長線にないので、それはまた別軸ですね。
それは同じX軸にXY座標の中にはないって感じですね。
どっちかというとZ軸とか、四次元的になるんだったら説明ができるけれども。
なので趣味と推しは違うので、そこは誤解なきようという感じでございます。
以上Excusedでした。
で、やっぱ趣味は見つけといた方がいいなっていうのは思います。
すなわちですね、趣味と仕事が一緒の人は年を取った時に趣味というのが能動的、いわゆる体力が必要という場合ですよ。
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っていうか絶対そうなんですけど、趣味と仕事が一緒の人は年を取った時にいわゆる体力がなくなる。
だから趣味ができなくなる。すなわち合わせて仕事も崩壊するっていうリスクがあると考えた方がちょっといいなっていうのはハッと思って。
伊藤ぽいろは結構趣味と仕事が結構ベンズ的にはダブってるタイプなので、これ気づいた時はものすごくゾッとしました。
うわ、ありえると思って。本当に。
好きなものは仕事にしない方がいいよっていうのは、それが好きじゃなくなるからってよく言うじゃないですか。
いや、待てよと。そうじゃなくて単純に体力がなくなるからなんじゃないの。
それで何かちょっと調子が悪いことを、自分がその趣味というのを仕事にしづらくなってきた。
かつての情熱がなくなってきたと言っているだけで、真実は体力がなくなったからなんではないの。
っていうのをちょっと思いました。
それくらい人間の脳みそ、よく言いますよね。人間は考える足であるの。
足はフットの足ではないんですけれども。全然違うんだけど。
でもなんかね、人間の脳は腸にあるみたいな話もあるじゃないですか。
腸内環境がヘルシーであるとあんまりネガティブにならないみたいな話もありますよね。
お!
違法薬物Y線の話ですか。
最近Y線の危機が悪くなってきたんだよな。
もうプッシャーから買わなくてもね。
ヤクルト・リリーから定期的にイトポイントゲットしてるので、まあまあまあいいんですけれども。
Y線がね、やっぱりこういう薬物というのはいたちごっこなので、Y線で飽きたらなくなった人間が求める需要というのも絶対あるので、
Y線の上が出ることを期待しています。Y2000とかね。
なんと2倍みたいな。
多分取りすぎても意味はないんですけどね。
ということでですね、結論ね。
まあ趣味が大事だよねっていう話ではなくて、もっと結論、ベースにあるのは体力ですよね。
はい。最初に言った通りです。体力が全て。
体力がないから人生を楽しめなくなっていくという話になります。
もちろん体力という、体力はフィジカルの話もありますし精神力の話もあります。
例えばイトポイントは死ぬほど目が悪い。もう本当、何でしょうね。多分手帳とかもらえるレベルでマジで目が悪いんですよ。
イカれるほど目が悪いんですよね。
そういう状態を健康ではない、フィジカルが悪い状態っていう風にしちゃうと、ちょっとしょんぼりするというか。
なんというかね、それはちょっとそうじゃないよっていうところだけ誤解しないように。
今日の話を聞くときは。
やっぱりガッツじゃないの。
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ガッツ、大事。
意志の力、大事。
それをやるためには体力というのも必要だよねと。
もちろん体力がなくても意志の力でぶっぱすることもできるので。
まあ結論パワーってことなんじゃねえの?
パワーなんじゃねえの?というね。
すごく単純でロジカルな結論になりました。
ということで皆さん筋トレしましょう。
結論は筋トレです。筋トレはすべてを解決する。
Power is power.
感想はシャープなかよしインターネットでツイートしてください。
あなたがツイートしてくれないと誰もこのポッドキャストを聞く人はいません。
だってポッドキャストはただあなたの元に本当に単純に宅配されてるだけで。
ヤクルトレリーみたいなもんなんで。
もし気に入っていただければツイートしていただけると更新のモチベーションになります。
よろしくお願いします。
ということでまた明日。