2025-07-29 1:03:05

naha.4「私だけが変なの?」その違和感は本質を見ている証。フロムが書き残した社会のまやかし、取るに足らないおしゃべりの正体とは?『よりよく生きるということ』エーリッヒ・フロム【前編】

🕊️ Coha選書 ˊˎ˗

現代社会を生きる私たちに深く問いかける1冊✨️ ⁠⁠エーリッヒ・フロムの『よりよく生きるということ』⁠⁠を取り上げます。


「なんだか今の日本や、SNSの雰囲気に心がざわつく」

「表面的な言動に暴力的だったり差別的なマウンティングが見え隠れする」

「スピリチュアルや自己啓発の謳い文句に違和感を覚える」


...そんな「なにかが言葉どおりではない」と感じているあなたにこそ、聴いてほしいエピソードです。


14歳で世界大戦を、

18歳でドイツ革命を体験。

33歳にはナチスの台頭という激動の時代を、“ドイツ生まれのユダヤ人”という立場で生き、

なぜ人は暴力的なものや権威に惹かれ、自由から逃げだしてしまうのかを問い続けた思想家、エーリッヒ・フロム。


彼が看破したのは、「所有(To Have)」と「存在(To Be)」という対照的な2つの生き方でした。


41歳で『自由からの逃走』

56歳で『愛するということ』

76歳で『生きるということ』を書き上げたフロム。


彼が晩年に残した未発表原稿を、彼の死後にまとめられたものが今回ご紹介する『よりよく生きるということ』。

※当エピソード中で「日本の編集者がまとめたのか?」と話していますが、おそらくはフロムの高弟(フロムから管理をゆるされている)ライナー・フンク氏による編集、原著もあるということでした。誤情報を、たいへん失礼いたしました🙏💦💦


・・・


現代の資本主義社会が「幸福」と教えるのは欲しいものを手に入れ、願望を満たす「所有」の生き方。

しかしフロムは、これこそが「まやかし(トラップ)」であり、私たちを本質から遠ざけていることを述べています。


ちなみに、この「所有」は、物だけでなく対象に人まで含まれます。

「思いやり」や「責任」といった言葉の裏で、他者をコントロールしようとする心理(執着)が起こり得るとフロムは指摘します。

どういうこと!? という方は、ぜひ聞いてみてくださいね☺️✨️


・・・


一方で「存在」とは?

(わたしが例えるなら、ちいさなドングリが大きなシイノキになろうと機能するような)フロムは自らの潜在的可能性を最大限に実現し続ける生き方だと言います。


一見、とても満たされ「幸福」を得るルートだと思われるような「所有」ですが、行きつく先には、生命的な危機・破滅が待つことも明示されます。


...だというのに、なぜ私たちは、本来ある「存在」の生き方ではなく、

この「所有」の罠に陥ってしまうのでしょうか?


フロムは、その背景に潜む現代社会の「まやかし」のメカニズムを本書で暴き出します。


■「解放」という名の不自由:プレッシャーから解放されたはずが、聞こえのいい言葉の裏で気づかぬうちに新たな支配や不自由が忍び寄るパラドックス。

■スピリチュアル・自己啓発業界の欺瞞:「深い変化」を謳いながら、実際には一時的な症状改善や、そのサービスへの依存を生む「大いなるまやかし」が横行。

■「努力なし、苦痛なし」:「たやすく、ほんのちょっとのステップで」人生が好転するという安易な解決策を求める心が成長を阻害するメカニズム。

■「取るに足らないおしゃべり」の孤独:誰もが孤独を抱え「自分のことを聞いてほしい」「けれど繋がれない」という葛藤から、表面的な関係性で繋がろうとしている。

■「反権威主義」の危険性:権威や支配を全否定する姿勢が、皮肉にも、新たな見えにくい形の支配を生み出す可能性。

■人ですら「商品」にする社会:現代社会において、誰もが自身の価値を市場で測り、いかに最大の利益を獲得するかという資本の考え方で生きている。


このエピソードが、あなたが日常で感じる「なんかおかしい」「これって本当にそう?」という疑問に光を当て、本質的な洞察を与えてくれることを祈っています。


・・・


今回は前編として、「所有」と「存在」の概念、そして社会に潜む「まやかし」について解説しました。

次回の後編では、では具体的にどうすれば「存在」の生き方へ向かえるのか、フロムの提案を深掘りしていきます。


・・・


【わたしから小さく始める世界平和 - naha 🕊️🌏️】

https://note.com/cohanatsu


#読書 #読書感想 #エーリッヒフロム #フロム #愛するということ #よりよく生きるということ #生きる目的 #幸福 #本が好き #ありがとうございます

サマリー

エーリッヒ・フロムの著作『よりよく生きるということ』において、愛や存在の意味が深く掘り下げられています。また、この本がもたらす社会への鋭い洞察は、現代におけるさまざまな矛盾や違和感を際立たせています。『よりよく生きるということ』では、生きる目的や幸福に関する哲学的な考察が展開されており、所有と存在の違いや現代社会が抱えるまやかしについて議論されています。エーリッヒ・フロムの思想を通じて、現代社会のまやかしと人間の欲求の本質が探求されており、人間が抱えるストレスや自己啓発の危険性についても触れられています。所有と存在の違いを理解する重要性が強調されています。『よりよく生きるということ』を通じて、孤独とつながりの重要性や反権威主義の本質が探求され、現代社会における自己価値の希薄化についても言及されており、内的な価値の重要性が強調されています。フロムの著作を通して、個人の違和感が社会の本質を見つめる手掛かりであることが探求されています。

ポッドキャストの紹介
みなさんこんにちは、こんばんは。
naha.私から小さく始める世界平和のポッドキャスト、聞いてくださってありがとうございます。
ありがとうございます。
このポッドキャストでは、あなたと読む素晴らしい本というテーマで、
世にあふれる素敵な本をきっかけに生まれる豊かな会話や、
時間を聞いてくださるあなたと一緒に楽しんでいきたいなという思いでお届けしております。
今回も、私なつと一緒にこの番組を作ってくれているこはちゃんとともに、
この時間をお送りしていきたいと思います。
こはちゃん、今日もよろしくお願いします。
お願いします。ありがとうございます。
今回は動画のyoutubeの方もご用意しようと思っているので、
これまでの通り音声でポッドキャストで聞いてくださっている方と、
もしかしたら動画でyoutubeでご覧いただいている方もいるかなということで、よろしくお願いいたします。
初めての試み、楽しみですね。
フロムの著書との出会い
ね、ね。
ありがとうございます。
今回はですね、前回から引き続いて、
この本はと熱く語りたくなってしまうような一冊を、
それぞれにご紹介していきたいということで、
先週はね、私がいえば生態系という本を選ばせてもらったんですけど、
今回はこはちゃんにね、ぜひ熱く語ってもらえたら嬉しいなと思っています。
えっと、ではこはちゃん、今回どんな本を選んでくださったかお聞きしてもいいですか?
はい。あのね、動画で私すでに出しちゃってた。
ご覧いただいたんですけど、タイトルにもあるかな。
エイリフィクロムのよりよく生きるということという本を選びました。
あー、ありがとうございます。楽しみ。
え、なっちゃんもこの本、お持ちだって言ってて。
えっとそう、フロムさんの本はね、興味があって購入はしてるんですけど、
まだね、ちゃんと読んだことがなくて。
なので、今回お話をお聞きできるのとっても楽しみなんですけど、
フロムさんというと、一般的にきっと愛するということっていう本とかね。
あ、さすがこはちゃん。見せてくださってありがとう。
ね、あの、が有名かなって思うんですけど。
で、他にもね、あの素晴らしい本いくつも残されている方だと思うんですけど、
こはちゃんがね、今回そのよりよく生きるということという本をね、選んでくださったんですけど、
あの、この本との出会いはどんなだったかお聞きしてもいいですか?
はい、ありがとうございます。
この本は私Amazonで購入したので、いつ買ったのかなとさっきチェックしたら、
2019年の9月に買っていました。
なので今だと6年前ぐらいになるのかな。
それでやっぱこの本を今日ご紹介したい、よりよく生きるということの前に、
やっぱりこの愛するということというのを私も読みまして、
多分おそらくその同じ年ぐらいの頃かと思うんですが、
すごく感銘を受けるというか、すごく響くものがあって、
で、私がその本を読む時の読み方ですごく勉強になった、参考になった方が、
その同じ著者の他の本も読みなさいということを推奨されていて、
一冊だけ、有名な一冊だけではなくて、
他にも出している本も読むのがおすすめですということを案内されていたので、
こんなにこの本を感動したなら、このフロムさんの他の本も読んでみたいなというところで、
いろんな本があるけど、タイトルに惹かれて、
よりよく生きるって何を書いてあるのかなというところで、
試してみたみたいなきっかけで買ったと記憶してるんですが、
これがすごく私にヒットして当時、今もでも読み返すと、
うーんってやっぱりすごく響くものがあるんですけど、
このタイトルだけだとまるで道徳の本みたいな、
抽象的な本に聞こえの良いことだけ書いてある風な気が一見しちゃうんですけど、
今私たちが生きている社会で、
気づかないけどおかしいなって内心思っていることに、
ものすごくメスを入れてくれているような描写があって、
私が知りたかったことが結構ギュッと詰まっているなっていうところが多くて、
一部の本を読む方には怒られそうなぐらいドックイヤー、
本のページの端っこを折りまくりになっている状態というか、
なので愛するということも本当に素晴らしいのですが、
それをきっかけにこちらの本を読んだ時に、
私としてはよりクリーンヒットしたというか、
すごい、付箋もたくさん。
今回用にこれは貼ったんですけど、
すぐ引けるようにと思って。
素晴らしい。今回この本で、
フロムの人生と思想
こはちゃんが伝えたいことがきっと盛りだくさんになるということで、
前後編でね。
すごい。
動画だと私が今回用に用意したノートのメモ書きがこんな感じ。
素晴らしいですね。こういうのも見られるのって動画ならではすごく嬉しい。
書いてたら多分これは1回で収まらんなということで、
なっちゃんにすいません、前後編でお願いできますでしょうかとご案内をしたんですけど。
ぜひ。嬉しい。
今回はその1回目ということで、
この本の紹介をしていただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
この愛するということっていう本を読んだ方も中にはいらっしゃるかなって思うんですけど、
幸福論だったらアランを読め、愛についてはフロムを読めみたいな感じで、
一応気づいてる気がするんですね。
私はこの本を読んでなんとなく残っているキーワードとして、
愛っていうのはまるでなんか所有することのように捉えられているけど、
フロムさんがこの本で言っているニュアンスを私が受け取ると、
その存在すること、あること、何かを得るとかではなくて、
それをある状態に向けて全力で挑戦し続けるというか、
自分で高めようと全身全霊で向けるような技術を習得するぞっていう前向きな気持ちがなければ、
愛っていうものは実現しないみたいなメッセージ性に私は感じたんですが、
なんか所有と存在っていうその2つの別のベクトルの生き方があるよねっていうところが、
生きるっていうところに向けて語り下ろされているような本というイメージなんですよね。
私の個人的な話を挟むと、これを手にした当時私はすごくスピリチュアルのことに悩んでいて、
先制術とかオカルト的なこととか神秘思想ってものにとても惹かれる自分と、
それを日本人で販売している人たちの言論とかサービスの売り方にものすごく違和感がある自分がいて、
本当に良いものがある気がするんだけど、彼らが言っていることがちょっと信用しきれないみたいな、
だけど本当のところってどこに行けば見つかるのかわからないっていうところで、
すごく混乱している時期だったんですよね。
その時に、よりよく生きるということというタイトルでまさか触れられるとは思ってなかったような、
こういうのは、例えばこういうスピリチュアルとかこういうものっていうのは、
まやかしだよっていうことを書いてあったんですよ、本に。
それがこれを書いた当初って何十年前だと思うのですが、
まさに今の2020年代の日本で起きていることが国名に書いてあるような感じで、
それでもわーっていうことが結構読書体験の中にすごく起きたんですよね。
だからこのポッドキャストを聞いてくださっている方がね、
どんなパーソナリティとか、どんなことを考えている方かわからないんですけれども、
おそらくこう、なんか世界がより良くなっていくにはとか、人間はどう生きるのかなとか、
あとはその最近で言うと透明性というか、サステナビリティとか、
そういう言葉にも関心がある人たちだと思うんですけど、
なんかそういう表現を使っているのにすごく暴力的だったり差別的だったり、
マウンティングがあるような社会を見たことあると思うんですよね、皆さんも。
そうだね。
そういうパッケージなんだけど、
でもその中の内部では、なんかすごく戦いが起きてるなーとか、
そういう人に優しくって言ってるけど、優しくないようなリーダーを見たりとかですね。
で、それを切り分けるようなことを、フロムさんが書いているように感じたというか。
ざっくりですね、今回皆さんにご案内するにあたり、
私もなんとなくポヤポヤではなくて、ちゃんと事実も見た方がいいなと思って、
フロムさんがどんな人生だったのかなっていうのも簡単にさらってみたんですけど、
すごく計算がしやすいことにですね、フロムさんは1900年生まれでいらっしゃるんですよね。
ドイツの生まれでユダヤ人ということで、彼にとってナチスっていう人らがものすごい影を落としたわけですよね。
自分の命、自分たちの命が狙われる、自分の母国でっていう。
1900年の生まれなんで、14歳の時に世界大戦が始まり、18歳の時にドイツ革命が起こると。
心乱れまくりの青年時代ですよね。
ユダヤ人の生まれなので、ユダヤ教のところの教えがベースにはあるんですが、
晩年はそこを抜けられて、ご自分の意思で聖書の方の教えに近づいた方なんだそうです。
そういうドイツの背景もあるからなのかな、マルクス主義とか、
あとフロイトの考えにもすごく傾倒されてた方というところで、よくその辺の言葉が引用される。
彼にとっての一番の大きなきっと出来事であったであろうナチス政権が、彼が33歳の時に誕生すると。
油の乗ったというか、仕事をしまくるような33歳の時代に彼は亡命でスイスにまず逃れて、
その後アメリカにたどり着いたという、そういう人生の前半期があると。
40歳ぐらいの頃に、彼が一番有名な本、自由からの逃亡という、
なぜ人は自由を得られるって一見良さそうなことから逃げようとしてしまうのかっていう本。
これですごく評価を受けて、私たちが一番知っているこの愛するということは、
彼が56歳の頃に出した本なんだそうです。
そして、生きるということっていうこれと合わせて出ている本が、76歳の時に出ているということで、
結構お年を召した頃にその生きるということという本を出したわけですよね。
ちょっと変則的なのが、私が今回皆さんにお勧めしたいこのよりよく生きるということというのは、
彼が書いた本ではなくて、彼が亡くなった後に発表されてなかった原稿をまとめた本なんですよね。
だからこのよりよく生きるということっていうタイトルは、
多分この日本の出版の時に日本の編集者たちがつけたタイトルなんじゃないかなと。
だからこの内容のまんまで、なんかドイツとか英語の方の本があるわけではなさそうなんですよね。
76歳の時に彼が出した生きるということという本を受けて、
でもその彼が晩年残した原稿がたくさんあるから、それも踏まえた、
編集者としては完全版みたいなイメージでよりよく生きるということという日本語のタイトルをつけたようなんです、どうやら。
なるほど。
だから、やっぱり作者さんっていうか作家さんって、漫画家さんもそうですけど、画風が変わりますよね、そのキャリアの中で。
だから本を書く方というのも、やっぱり例えば3つぐらいステージが変わったりして思想が変わったり、政治的な傾向が変わったりということが、やっぱりクライシスとともに起こることあると思うのですが、
私が今回セレクトした本っていうのは、多分晩年の頃の彼の主旗をまとめているらしいと。
そんな立ち位置なんですね。
彼がやっぱりナチスの出来事があったことで、どうして人は暴力的なもの、あんな後から見てもどうしてって思うようなことに巻き込まれてしまうのか、
そういった競争というか、権威的なものに巻かれてしまうのかっていうのが、多分彼の一大トピックというか命題というか、
そこを多分すごく葛藤せた人なんだなっていう、人生のストーリーがあったんだなと。
そこに関して、例えばフロイトとか、彼が素晴らしいと認める方々の力も借りつつ、でもユニークだなと思うのが、彼はフロイトのことも批判しているんですね。
ここは素晴らしいけれども、ここは彼は甘かったとか、だからそういう姿勢に多分私は惹かれるんだなっていうことを改めて思ったんですけど、
そんなね、一応前提としてはそんな立ち位置の人だったのではないか、そしてそんな立ち位置のちょっと特殊な本かもしれないというところもご案内まずしたいなと思ったんですけれども、
ありがとう。大事だね、こうやってこの本が生まれた背景とか、その著者の方がどんな人生を経てこの作品を生み出すに至ったかっていうのを少しでも知ると、
生きる目的への問い
その本に触れるときにね、なんかより材料がいっぱいある状態で本に触れることができるというか、すごく素敵なことだなと思いました。
ちょっと知らないことがたくさんでした。
私もすごく惹かれる部分、すごくこの本は特にどれも良かったなって思っているんですが、やっぱりそういう人の思惑、そしてこれは日本の編集者がまとめたものということなので、
それをやっぱり批判的に見る姿勢っていうのも常に忘れないでいたいなとも改めて思ったのですけれども、
じゃあいよいよ本の内容に入りたいのですが、
私もこの最初の序章のところからめくるめく体験というか、これがどのぐらい彼が書いた文章のままに翻訳されているかわからないんですけれども、
哲学的な本のニュアンスだなと、まず定義から始まるんですね。
生きる目的とは何なのかということがまず思考的に語られるというか、
よりよく生きるというか、生きるというテーマにおいて、その話に入る前にそもそもじゃあ生きるって何なんだろう、生きる目的って何なんだろうねってところを整えないことには、
やっぱり話って錯綜するねっていうところで、その構成もまず追おうと思ったのですけれども、
これで生きる目的とは何かっていうふうに提案をしたんだけども、その後次に続くのがですね、
だけどこの問いに本当に意味があるのかっていう、
理由がなければ、生きる目的がなければ人は生きようとしないのかっていうふうに、
まず自分で反論が起こるんですよね、その冒頭。
つまりそうじゃないよねって、私たちは生きる目的や理由がわからなくても生きようとするし生きてるよねっていうところで、
だけどそれが普通なんだけど、時々生きたいと思えなくなる時が起こると、
もう終えてしまいたいとか、こんな思いをしたくないとか、
そういうふうに生きたいという気持ちが減ってしまう時というのは、
耐えがたい苦痛があるとかの特殊な状況にある時であって、
つまり生き物は基本的に自然と生きたいという欲求が生まれるようにできてるよね。
だからそういうことを踏まえると、人が生きる目的を知りたいって思うのは、
後付けの合理化に過ぎないっていうことを書くんですよ。
生きる目的がわからなくても人は生きているっていう事実があるんだから、
生きる目的って何なんだろうって考えるのは、
幸福の定義
頭の中の合理的な衝動の合理化に過ぎないっていうことがあると。
次にですね、それはそうとして、
次にどんなふうに生きたいかってことが出てくるよねっていう。
生きるのはもう勝手に起きちゃってるんだけど、
でもじゃあそこでどんなふうに生きていたいの?
それはみんな答えが違うんだけど、
多分共通するエッセンスは、ほとんどの人が幸福でありたい、幸福を望むっていうことが、
幸福に生きていきたいっていうのはあるんじゃない?っていうふうに次の命題が出てきて、
でもじゃあ幸福って何を意味するんでしょうねっていうふうに次々進んでいくんですよ話題が。
ちょっとね、よかったら今皆さんここで一瞬でいいので立ち止まってみてほしいのですけど、
幸福って私にとって何だろう?
私にとって幸福って何を意味するんだろう?っていうふうにちょっと考えてみてほしいんですけど、
で、フロムがですね、ここで私たちが一般的に幸福っていうのは、
私たちの願望が満たされた時っていう定義が多いと思うって言うんですね。
欲しいものを得た時が幸福だと言われていることが多いよねっていう。
で、これがさっきの所有と存在の話につながるんですが、
所有すること、何かを得ること、望みが叶うこと、これが幸福であるというのが、
現代の資本主義の全てが資本になる世界で、私たちがフロム的に言うとめくらましされている幸福の姿だよね、
という話になるんですよね。
で、その所有というのはつまりどんなことかっていうと、
自分が欲しい願望とか欲求を求めて努力することが素晴らしいと言われること。
で、例えば所有っていうのを対象に人ですら、人間さえも所有したいという欲求に含まれる。
で、例えばちょっとここが面白いところなんですけど、
所有したいだけじゃなくて、私は所有を求めませんっていう非所有も含まれるっていうふうに言うんですね。
同じ欲求からの反対の行動なだけなので、
私はこれを求めるような人ではありませんというふうに非所有を生きるっていうのも結局所有にとられている状態。
じゃあ存在って何ってことですよね。
その存在ってことを一生懸命語ったらこの一冊になってるってぐらい、
いろんな話が出てくるんですけど、この前段でその所有と存在というところでは、
人間の本性から問う立場のことを言うっていうふうにプロモは言っていて、
問う姿勢からこれはっていうふうに考えるところ、
そして人間、私たちは人間なので、人間ってどんな生き物なんだろうっていうその本質のところから見ようとするときにあることで、
で、それがじゃあどんなことかなって次に進めると、
例えば最も完全に機能をしようとすること、
あるいは潜在的に持っている可能性をより従前に実現しようとすることっていうふうにここで書かれているんですけど、
これは全ての生き物、例えば草花とか木がやってることだよねっていうふうにプロモが言うんですね。
例えばどんぐりとかが、どんぐりってシイの木だっけ?
なんかシイの木になろうとする、何か得ようとする、
あれお月様が掴めたら幸せになれるとかではなくて、
シイの木として従前に機能しようとするから、
地中の中で根っこを伸ばして栄養を取ろうとして機能しようとするし、
日の光を少しでも浴びようと思って日回りが傾いていくみたいなことですよね。
でいう感じでですね、私はもうこの前座のところから定義を見定めて、
ガイドしながら向けていく文章に惹かれたんですよね最初。
で、例えばねそのさっきの所有で人でさえも対象になるってところに注意がつくんですけど、
所有したがる人は別に私はあなたのことコントロールしてやるとか、
分かりやすいところで言うとアクセサリーのように扱うっていう言葉があるような感じ?
みんなイメージすると思うんですよね。
金髪のすごいスタイルのいい女性が自分の恋人だから俺はかっこいいんだぜって従うとか、
あと何なんだろう、なんかすごいモテてモテてしょうがない美しい女性、
逆だ、しょうがない男性がもう私に虜になるっていう風に、
自分のステータスを上げるための所有っていうのはイメージしやすいと思うんですけど、
そうじゃなくて多くの人が思いやりとか気遣うとか責任っていう言葉で言いたがるっていう風にフロムはカッパしてるんですけど、
つまり相手をコントロールする権利があると考えている状態だと、
だから例えば病人、病気を持っている人はその病気をより良くしてあげなきゃという言い方でコントロールする欲求を持つとか、
あるいは子供の人生をこうしてより良い人生にするために親がコントロールするとかですよね、
それは所有、責任があるという言い方で権利があるという風にその人を所有しているようなことっていう言い方が多い風に言っていて、
所有することが悪いわけではなくて、ここに執着しているかどうかが見定めるポイントだという風に添えてあるんですけど、
所有と存在の対比
だからここで簡単にチェックできるものとして述べてあるのが、
よかったらここでみんなと一緒にやってみたいんですけど、
あなたが中でも特に価値があるって思うもの、認めていること、概念でもいいんですけど、
これはすごく価値があるよねって思うことは何ですか、これは素晴らしいよねって重要な価値があると思うものを、
もしあなたがそれをなくしてしまった時に、あなたはどうなりますかっていう質問があって、
例えば、ないとは思うけどマンションとか素晴らしいお家には価値があると感じているとする、
でもそのお家が例えば地震で崩れてしまったら、その人の自己価値とか自己信頼がもし減っちゃうんだったら、
その人は家に執着してるっていうことですよね、
っていう感じで、所有と存在っていうことが出てくる、
これを聞いてくださっている方は、存在の方を価値観として生きていたいなって思う方なんじゃないかなって思うんですけど、
でも、それはほとんどの人が選択肢としてあげられたら、私はそっちを選びますって多分思ってるはずなのに、
じゃあどうして今の社会はそうなってないのかなっていうところで、こんなトラップがあるよ、こんなまやかしがあるよっていうことがいっぱい書いてあるんですね、この本の中に。
で、それが私はすごく正しいなというふうに思って、
とっても救われたってじゃないですけど、参考になったというか、
ここまでバーッと話してきたんですけど、なっちゃんどうですか?思ったこととか感じたこととかありますか?
さすがコハちゃんが選ぶ本だなと思って。
まずコハちゃん味をすごく感じたのと、そのセレクトにね、
あとすごく普遍的な大切なテーマに取り組まれた結果の本なんだなっていうところにね、すごくなんというか、そのテーマを前に背筋が伸びる感じがするというか。
最初にコハちゃんが紹介してくれた、フロムさんの人生とか、その時代背景とかをお聞きしてから、今話してくださったようなことを思うと、なんかすごく重みをより感じるというかね、そういった時代を経験して、自分ではどうにもできないような激動の中を生き抜いてこられて、
で、その先に愛するということであったり、よりよく生きるということっていう本が生まれたこと。
ちょっと音が途切れてしまった。
どうでしょうか。
帰ってきました。
本当ごめんなさい。またなんかちょっと途切れちゃった。
大丈夫です。
ごめんね。どこまで聞こえてたかな。
時代の、そういった変化の中を思うと、より感じるものがあったよっていうふうに話してくれたあたりかな。
そうだね。そういったことを踏まえて、このテーマっていうものを知って、まだ一番序盤のところだと思うんだけど、大触れさせてもらって、すごく時代を超えて大切なことがギュギュッと詰まっている、すごい素敵な本だなっていうのを既にビシバシ感じております。
すごいね。
なんかね、私がバーってプレゼンが走ってしまったから、ありがとうございます。
ちょっと聞いてる方もね、今うーんってちょっとホッとしてるかなと思って。
いやいやいや。
でもすごいね。
最初の、例えば生きる目的って何なのかっていう定義を見定めるあたりとかって、ちょっと哲学書のノリというか、人によってはちょっとこの辺でスーッて離脱しちゃう人もいるかもしれないんですけど、
結構読み進めると、すごい具体的な、なんか俗っぽい話も出てきて、結構普通に面白いと思うんですよ、読書体験として。
例えば、さっきの所有と存在っていう生き方があるときにね、人によっては全然私、所有スタイルがいいですって方もいると思うんですよ。
欲しいものをゲットしていく、それが喜びだし、それが私は人生でしたいことなんですよっていう風にポジティブに思う方もいると思うんですけど、
それが悪いわけじゃないけど、何が危険かって言って、具体例が2つ載ってて、
1つが例えばね、食べたいものを食べたいだけ食べるっていう快楽っていう話が出てくる。
私はこれが好きだから甘いものとかケーキだけ食べてたいですっていう、所有だよね、欲求を満たしたい。
で、それはそういう人がいたときに、でもそれで健康に害が出てるとしたら、その周りの人は、
いやあなたの欲求だから好きなだけ満たしていいよ、そういう風にあなたが望むことを奪う権利はないよねとは言えないと思いますよねっていう風に書いてあって、
あるいはこれが私唸ったんですけど、管理職業っていう言葉が出てきて、
中間管理職の管理職業、なんかそういう言葉が海外圏とか、あとは一部の人だとピンとくるのかな、
なんかそれがね消化器系の疾患を指すみたいなんですね。
でさあ、これ私が前花粉症セミナーをひろみさんとやった時にも話しましたが、
日本人って胃がんと大腸がん多いじゃないですか。
消化器系の疾患ですよね。
安倍さんでしたっけ、亡くなられた、元出生も確か大腸だっけ。
花瓶性大腸炎だったかな。
花瓶性大腸炎とかなる人ってだいたいものすごい激無の人なんですよね、ストレスの多い。
広告代理店の人とか、テレビ局の人とか、
フロムの思想と現代社会の問題
だからすごいストレスがかかってて、消化器系が疲弊しちゃうんだけど、
でもやらなきゃいけないからってやり続けた結果、壊れちゃうってことだと私は認識してるんですが、
だからさ、この2つってさ、今の日本にもまんま当てはまると思うんですよね。
食べたいから食べたいんですって言ってバーって甘え続けるか、
体は疲弊面を上げてるんだけど仕事をやらなきゃいけないからって言ってそれをやり続ける。
これはどっちも欲求のスタイルですよね。
で、その消化器系の疾患がある管理職業の理由として、
誤った生き方、成功への依存、過度な野心によるストレス、
そして真の人格の不在という理由をフロムが述べてるんですけど、
なんか私これ健康の本読んでるのかなって思うぐらい。
結構ホリスティックヘルスとか学んでる人はすごい頷けると思うんですよね。
体のどこの部位で、どこの臓器で、それはどの感情が関連してるっていう話につながると思うんですけど。
だからつまり所有の欲求を満たしてるならこの人は幸福なんだから、
いいじゃないですかとは言えないような、
それはさっていうふうに人間は命に対する危機管理能力というか、
所有だけではないよねって感じられる力があると思うんですよねってことが。
だからその所有だけっていうことには危険性があるというのはみんなわかってるはずなのだけど、
だけどっていうところで、私これ好きなところなんですけど、
まやかしがいろいろこうベールが剥がれていく描写が出てくるんですね。
で今回今ねもう30分ぐらいお付き合いいただきまして、
長くても1時間ぐらいに収めたいなということで、
ざっくりどんなまやかしトラップがあるかってことが前半で書かれているものをちょっと抜粋だけして、
自己啓発とその罠
今回それを皆さんにお伝えできたらいいなと思っています。
よろしければ次回の後編でですね、
じゃあ具体的にどんなことを私たちが行うことで、
所有ではなくて存在の生き方に少しでも向けていけるかっていう話に触れられたらいいなと思うんですが、
今日のが刺さった方はすごく楽しめると思うので、
私ちょっと抜粋しかできないので、よかったら読んでみてほしいんですけれども、
例えばですね1個目に挙げられているのがすごいなんか挑発的で面白いなと思ったのが、
開放なんですね。
トラップとして開放っていう言葉が出てきて、
これは多分彼がですねそのユダヤ教の教えがベースなんだけど、
途中で仏教にも系統して、
鈴木大節さんみたいな禅とかにも触れたり、
結構その神秘思想もいっぱい学ばれてる方なんですよね。
だからグールーとかインドの古典とかでもやっぱり大いなる開放というか、
下達的なところって、
そのすべての答え、なんか極楽浄土みたいな感じで言われるから、
それですら危険があるってことで最初に持ってきてあるのかなと思うんですけど、
多分これは聞いてる方確かにそうだな、私もそう思ったと思うんですが、
つまり開放ってプレッシャーから制限から開放されるっていうことなので、
その開放っていう言葉は響きがいいんだけど、
隠れ身のになっちゃうわけですよね。
だから単にプレッシャーから開放することっていうふうに、
無償化されちゃってると、現代では。
だから元々の文脈を聞こえよく使いやすく、ちっちゃくされちゃっているので、
一見開放って言ったら良い気がするんだけど、
例えば何か弾圧とか差別とかひどい支配があるときに、
そこから開放したリーダーが今度次の支配者になっちゃうとか、
これは自由になるよっていう言い方で自由になったはずなのに、
新しい不自由が実は見えないうちにそこにはびこってしまうとか、
そういうトラップがあるよねってことがまず述べられてるんですよね。
続いて、これが私が結構助けになったところなんですけど、
まやかしがいっぱいばっこしてるんだけれども、
それが例えば人間の自己啓発っていうところにもまやかしがあるし、
芸術とか文筆の世界にもまやかしがいっぱいあるよってことをフロムは書いていくんですね。
だから一見その人を自由にしたり啓発して、
次に進めてくれるっていうふうに思っている単語とかトピックやエリアにも、
たくさんのまやかしがあるよねってことを触れてくれてると自分は感じたんですが、
なぜならそれは受け取る一般大衆、私たちがうちなる第三の耳を使っていないせいだ、
あるいは権力者や有名な人たちが持つ催眠的な効果のせいであるっていうふうに書いてあって、
これを聞いてくださってる方もきっとうんうんって言ってくださるのじゃないかと思ってるんですが、
その2019年当時私がすごく困ったのがこの部分で、
お客さんたちが喜んでるならそれでいいんだろうかっていうのがスピリチュアル業界見てすごく不満だったんですよ。
サービスとして考えたら喜んでくれてるわけだから、そこでもう契約はうまくいってる?
満足してるじゃない?でも本当にそうなのかなっていう。
本当にスピリチュアルとか自己啓発で得られる効果ってそのことなのかなっていうのは、
そういう人たちとかサービスとかの販売者と受け取り手の人たちを見てすごく私は疑問で、
それって本当にさっきの文脈で言うと開放されてる?逆に捕らわれてない?みたいな。
そこのあなたを自由にしてくれるって言ってる人にお金を払い続けるスパイラルになってない?とか、
なんかヒーリングとか受けて楽になったっていうのは一見いいんだけど、
ヒーリング受けないと自由になれなくなっちゃってない?とか、
だから時々聞くんですよね。
なんか素敵なコミュニティに入って幸せになったっていう人が、
そのコミュニティにいたいからいるんじゃなくて、
そのコミュニティに外れたら何て言われるか怖いから辞められないとか、
なんかここの人たちは良い人たちっていうのが他の人は悪い人たちになっちゃってたりとか、
そうすると最初は自由意志で入ったのに辞められなくなってる。
けど本人は私は自由で自分の意思で好きな人たちと良いことを得られるからここにいるんですって、
自分を錯覚させてるように私には見受けられるんですよね。
だからさっきの質問ですよね。
あなたがとりわけ価値を感じているそのコミュニティ、遠隔ヒーリング、
なんかスピリチュアルなんとかかんとか覚醒うんちゃら、
それがなくなった時にあなたは自分を信じられますか?
無しでいられますか?って言った時に、
たぶんいられなくなってませんか?
それは執着じゃありませんか?っていうのが私はすごい疑問で、
でもそういうことを考えると私の性格が悪いのかなとか、
本人が望んでるならそれでいいのかなとかですね。
でも私はそうじゃないものがあると信じてそういうものを学びたいのに、
ないなぁないなぁみたいな。
で、そこに関してフロムが、どこだったかな?
すごいなぁよくこんなことを。
そうそう思ったのがですね、
お持ちの方は52ページを開いていただきたいんですけど、
まんま私がさっき言ったようなことがフロムが何年も前に書いてたんですよね。
すごい。
そういうふうに解放っていうものを求めて、
現代人の孤独と接触のジレンマ
当時のフロムが生きてた時代、1920年代、30年代はこんなことがあったよね。
マッサージで体を緩ませたり、何かのアプローチをすることで解放するっていう。
ヘミシンクとかもそうかな。
LSDが大丈夫だった時代とかはそれを使ってよく離脱して、
大いな解放ってことにハマってた。
だからスティーブ・ジョブズとかビートルズもそうですよね。
そういうのでその世界を見るっていうヒッピー的なニュアンスとか。
で、あるいは東洋思想にすごくのめり込んで、
ヨガとか禅とか瞑想にハマるっていうような流れ。
それから50年代60年代は、これがヒッピー系かな。
カリフォルニアとかで、ここで彼が言っている安上がりな方法とは、
感受性・喜び・直感的洞察・自己知・より大きな情動性・リラクセーションなどが
短時間で一種の霊的バイキング料理のコースに従って提供されるような方法のことである。
っていう風に述べてるんですけど。
短時間でラエルと歌う一種の霊的バイキング料理のコースって、
私は今、日本とか世界中にめちゃめちゃあるなと思うんですよね。
で、おそらく最も大きなまやかしは、明治的であれ、暗黙のうちにであれ、
パーソナリティー内で深い変化が生じるだろうと受け負っておきながら、
与えられるのは一時的な症状改善、あるいはせいぜいエネルギーのこぶ、
多少のリラクセーションでしかないという場合であるっていう風に書いてあって、
明治的であれ、暗黙のうちにであれっていうのはコピー文章ですね、セールスコピーで、
あなたはこうなりますっていう風にバンバンと書いてあるか、
もしくは書いてないけどそういう風に見せるか、
お客様がこんな変化がありましたとか、臨時収入で100万入りましたとか、
あなたもそうなれるみたいな見せ方をしてある。
で、あなたはこれで人生が激変するみたいなことを受け負っておきながら、
与えられるのは一時的な症状改善、エネルギーのこぶ、
多少のリラクゼーションでしかないというような場合が大きなまやかしであるっていう風に、
自己啓発の世界でも分岐図、芸術の世界でもあふれてるよねってことが52ページに書いてあるんですね。
すごいねー。
そこから具体的にTM瞑想っていう、ハリウッドセレブでも好きな人がたくさんいる瞑想について、
すごく具体的に批判が入っていくんですけど、
私はすごくこれを聞いてる方がイラッとするかもしれないし、
ピンとくる方もいるかもしれないし、それは違うんじゃないっていうご意見、
なんでもそれは自由にあるべきだし聞きたいなと思うんですが、
私はすごく同意を覚えたんですよね。
そういったまやかしがどうして受け入れられて市場でどんどんお金を獲得していくのかというと、
ざっくり4つぐらいの理由が述べられていて、
1つが無邪気という罪、無知であること、騙されてしまうこと、
それは良くないよねってことが、つまり自分がそれを見抜ける自分でいない、
いようとしない姿勢がそれの理由だよね。
あと面白いなと思ったのが、取るに足らないおしゃべりっていうのが出てくるんですね。
取るに足らないおしゃべりってかわいいネーミングだなと思ったんですけど、
つまり自分のことをしゃべりたいという欲求。
さっきさちょっとなっちゃんとね、2人でワイワイ話せたんですけど、
なっちゃんが一般の人はギブアンドテイクで捉えてるんじゃないかって言ってくれた話だと思う。
自分の話を聞いてほしい、話したい、しゃべりたい。
でもそのためには人の話を聞いてあげれば聞いてくれるよね、みたいな。
取るに足らないおしゃべりとフロムが呼んでるんですね、それを。
だからそういう取るに足らないおしゃべり、自分のことただ聞いてほしいというおしゃべりから逃れなさいと書いてるんですね、フロムは。
どんな接触であれ人間が影響を受けないものはない。
だから不誠実なものからは逃れなさい。
もしそういうものしか国にいないのであればその国を逃れなさいということを書いてあります。
どんなに有効的なマスクをつけていてもその下にある不誠実さを見抜きなさいというふうに言っていて、
魅力的に見えるナルシシズムを見つけたらそのおしゃべり、取るに足らないおしゃべりからあなたは逃れるべきですということを言ってるんですけど。
で、あと残りの2つが努力なし苦痛なしっていうコピー。
こんなちょっとのステップで何も練るだけでダイエット、バイオリンが弾けるようになる、英語が喋れる、あなたの人生がうまくいく、これこれですってことを書いてあるんですね。
日本でもそんなコピーばっかりだよ。
まさに今に通じる。
そうだね。さっきの取るに足らないおしゃべりっていうところは、その理由はみんなが孤独だからだっていうふうに述べてるんですね。
近代の人は他者から阻害されている。
だけどそこにジレンマがある。
誰かと親密な接触を恐れてる。
だけど接触がなくなることが怖い。
孤独とつながりの意味
だからどうしたら孤独にならないで、阻害されないで、だけど一人でいられるかということが取るに足らないおしゃべりを作ってる理由だというふうに。
あー、深い。
なので、それが確か愛するということだったかな。
愛っていう表現をする時に、誰かを所有するような表現とか、取るに足らないおしゃべりとか、私たち一緒だよね、ずっともとか言ってるんじゃなくて、
その能動的に、自分が主体的に何か表現をしようとするとか、相手に関心を持って知りに行こうとするっていうその動きが、その孤独を唯一解消する方法だみたいなことが述べられているんですけど。
で、それには努力、苦痛がいるわけですよね。
容易くはできない。自転車乗るみたいに補助輪外して最初ヨロヨロしたりするんだけど、それは簡単ではない最初は。
だけどすればするほどそういうものが得られる。
そして無知じゃなくなっていって、一見良さそうだけどこれは違うっていうことを見抜けるようになっていくから、より取るに足るおしゃべりしかなくなるわけですよね。
あなたと私だからできる会話しかなくなっていくわけですよね。
で、最後は反権威主義というのが出てきて、これがちょっとナチス的な話に通ずるのかなと思うんですけど、
さっきの所有の反対の所有も実は所有の一部みたいな。
私は権威には屈しません。私は権力には云々かん云々という反権威主義っていうのも実は権威主義と一緒だよっていうか、
そういうスタイルが極論かもしれませんが、ナチスを生み出したっていうことを多分プロムが見抜いてるんじゃないかなと私は思ったんですが、
だからね、最近の日本とかアメリカもちょっとその気を感じますよね。
何ていうのかな、あれが悪いんだ、あれがいるせいで私たちの自由が脅かされてるんだ。
だからあれを除外すれば、阻害すれば、私たちは権力、力を取り戻せるみたいな文脈って権威主義ですよね、みたいな。
そうだね。
あとは何だろうな、なんか私はいいと思うリーダーがいないから、兵を投じないことにしてます、みたいな感じ。
反権威主義っていうか、それが悪いって意味じゃないんですけど、それは結局権威の増長に寄与してる、サポートしてるよねっていう、
その方がありがたいですっていう、自由を選んでるつもりだけど、多分鎖を作っている人たちをもっとサポートする行動に移っちゃってるっていうのが反権威主義かなと私は捉えたんですが、間違ってるかもしれませんが、
そういう4つの兆候とか人間の本性ですよね、そういう素材が組み合わさったときに、人は存在というところで資本で生きるようになっている現代なんじゃないかと。
それが、例えば愛するということで私がすごく痺れたというか、確かになって思ったのが、そういう存在の社会に私たち投げ込まれるので、誰もが自分のことを商品にする、ここでは資本という表現になってたんですけど、
自分をどうすれば最大の利益を獲得できるか、私が市場に投下された時商品として、私が例えば女性なので、私の恋愛志向としては男性が恋愛志向で向かうんですけど、
私という商品をどうすれば最大の男性に対する商品にできるかということを頑張って、その中で一番価値のある男性を利益として獲得できるかということを考えるような社会が存在の社会っていう。
そこでは心の内的な価値っていうことは全く歯磨き粉のような価値しかないっていうふうにここで書いてあるんですけど、一見それを重ねきて、人は外見しか見てくれないから、内的価値を見てくれないから私には彼女ができないんですっていう言い方も資本の考え方ですよね。
私のことを資本として見なさない市場が悪いという目線になっているというか。
たぶん一冊目のなっちゃんが紹介してくれた習慣家の本、ノート習慣なんだっけタイトルちょっと今ちゃんと思い出せないや。
科学の本で、なっちゃんがもうここに痺れたって最初に紹介してくれた序文のところにさ、この本はこの本を読めばあなたが習慣家がすぐできるようになるというような本ではありませんみたいなのあったじゃないですか。
はいはい。
そういうものを求めてる人はこの本を閉じてくださいみたいな。
あったあった。
あれがねこれも書いてあるんですよ。
全文にね。
この本に生きる技、アートオブビーイングですよね。
を学習するための短い処方箋を期待して読んでいるのであれば、そのような読者はもうここで読むのをやめたほうがいいって書いてあるんです。
分解。
私はこれ大好きなんですけど、人によっては好きじゃないかもですが、ちょっとこれを最後に引用して今回終わりたいと思う。
私のプレゼントに終わりたいんですがね。
実際、次のように言って今ここでこの章を終わらせてしまうこともできるのである。
生きることの死の書物を読め、そして彼らの言葉の真の意味を理解するよう努めよ。
あなたは自らの性を使って何をやりたいのか、そのことについて自分独自の信念を形成せよ。
そして自分には死などいらない、導きなどいらない、モデルなどいらないという無邪気な考えを乗り越えよ。
たった一生涯で人類の最も偉大なる精神たちが幾千年もかけて発見してきたことを見つけ出せる、などという無邪気な考えを乗り越えよ。
それらの精神はいずれも皆、その先人たちが彼らに残した石材とみどり図を持ってその建物を建ててきたのだ、ということで。
わーすごい。
私はちょっとこの文章を読んだ時にこの本を買ってよかったなってすごく思ったんですね。
私も結構無邪気な考えに取り憑かれてた人だったので。
私の場合はその素晴らしい先人たちが本を残しても現代の社会ができてないんだから、その本は答えがないんじゃないかって勝手に思ってたんですけど。
そうじゃなくて、その時代の彼らができることを精一杯残してくれてるんだけど、やっぱり時代が変わったり私たちの心も変わったりする中で、
あるいは彼らも限界があって、読み切れてなかったり、理解しきれてなかったり、活かしきれてないだけ。
だからその人たちが精一杯作ってくれた、一生懸命結晶化してくれたバトンを、興味があったり好きだなと思ったら受け取って、
自分の中のエッセンスにして、なんかフロムがしたように、フロイトは素晴らしいけどこういうとこ間違ってるよねって批判しながら、
だからフロム私大好きなんだけど、ここは違うかもしれないなとか思いながら、自分がそのモデルを乗り越えられるように。
短い処方箋の努力なし、苦痛なしっていうまやかしに任されずに、それぞれが自分の信念を生きていけたらより良く生きていけるのかなっていうところで、
内的価値の重要性
良ければ後編で具体的に、これができればなんとかではないんだけど、フロムがその中でブーってしながら書いたものをちょっとご紹介できたらいいなと思っています。
ありがとうございました。
すごいね、今を生きる私たちにも必要なことが本当にたくさん詰まっているなって感じながら聞かせてもらっていて、
陥りがちな罠というかまやかしなんてまさにね、もうもうもう。
いろいろ具体例が思い浮かんでしまうくらいに。
本当?よかった。
いやそうだよなって思いながら聞かせてもらっていて、
すごく、なんていうんだろうな、いろんな場面に当てはまることだなって感じていて、
個人にもそうだし、その個人が集まることでできる社会の動き、国がどうなっていくかということにもすごく通じる課題がいっぱいあるなって思ったし、
なんていうか、筋トレみたいだなってちょっと浮かんだんだけど、
すごくお手軽なことで耳障りのいいようなことで人を惹きつけたり、
これさえやればみたいなね、お手軽感覚みたいなね。
あと苦痛を避けるような、頑張らなくていいよみたいなこととかも含めてなんだけど、
そっちにそれでいいよねって流れていくと、どんどん筋力が落ちていっちゃうみたいなイメージというか、
日々ちょっとしんどいなって思っても、私がよりよく生きるためにこうなっていきたいというビジョンを持って、
日々頑張って働くとか、体を動かすとかしていくことで、必要な筋肉がちょっとずつ培われていって、
最初ちょっと大変だなって思ってたことも、それほど苦痛なくこなせるようになっていくみたいな筋肉がつけば、
っていうのが思考の意味でも、肉体的な物理的なことだけじゃなくて、思考の部分でも同じことなんじゃないかなっていうふうに思ったりして、
そういった個人の選択が巡り巡って集まっていくことで、飛躍しすぎかもだけど、
国をどう動かすと、国が変わっていくかっていうことにも影響していくような、
それが国民が何を選んだのかっていうようなことにもつながっていくんじゃないのかなって思ったりして、
すごく考えさせられるし、本当最初に言ったけど背筋が伸びるし、
本当に素晴らしい本って時代を越えていつでも通用する、本当に普遍的な本ってそうなんだなって思ったし、
今回聞かせてもらったことを消化しながら、自分の中で受け取りながら、また次回どうしていったらいいのかなっていうことを考えたり、
フロムさんはどんな答えを導いていったのかっていうことを聞けるのも楽しみだしっていうので、
本当に楽しかったし、すごく栄養をいっぱいもらえたような時間でした。
本当にありがとう。
なんか中には楽することが頑張ることの人もいると思うんですよね。
そうだねそうだね。
頼ることとか甘えることとか、これしかやっちゃダメって思ってたけどこんな日があっていいのかなとか、
そうしないとそうじゃない人の言葉を罰しちゃうっていうか、ダメな人って見ちゃったりするから、
より良くなるっていうと、悪いことを正してみたいなイメージで言葉としてはあると思うんだけれども、
本人にとってのジャンプすることって、人から見たら楽なことの方がジャンプの人もいると思うんですよね。
そうだね、これがより良くなることっていうのは、人によって、その立ち位置によって向かう先って全然違うもんね。
だからそれは本当にみんな違うと思うし、
私、人間の本性ってところがすごく好きだったんですけど、
つまり生きやすくなるはずなんですよ。
良くなれば。
なんか、より良く生きるっていうのは、自分が辛いこととかじゃなくて、
なんかより健やかになったり、より未来が明るく感じられたり、
より人間関係が前よりも充実するとか、それはその数が増えるとかじゃなくて、
なんか自分にとって充実した時間が増えるとかさ、
そうした時に、シイの木が育ったり、ヒマワリが太陽を向かうみたいに、
その人にとってより生きやすくなっているってことが、
従前に存在していることだと私は思うんですよね。
素晴らしい。そうだね。
なんか、良い悪いだとちょっとなんていうか、
フィルターがかかってしまうけど、
頑張らなければいけないっていう、
一つの答えが正解っていう風になってしまいがちだけど、
でも、従前であることっていう、
その言葉をもらえると、
そしたらその正解って、
従前であるっていうことだから、
みんなそれぞれ向かう先って違うはずで、
必要なことも変わってくるだろうし、
今何が私に必要かなっていうのは、
みんなそれぞれ違ったテーマを持っているだろうしって思うと、
従前であることっていう言葉を提示してくれたことで、
すごく分かりやすい。
落ち入りがちな罠を回避できるような気がするというか、
いっぱいあるからさ、
私もよくアーってなってるんですけど、
でも、それをね、
より生きやすくなってるはずだなっていうのが思ってて、
最初の週刊課でご案内したアトミックハビッツのみたいに、
1日1%で1年間で37倍なので、
今まではナルシシズムな人のことを見抜けなかったけど、
こんなこと言ったら私性格悪いかなって思ってたことを、
ちょっと今回はって言って、
NOって言えることも、
それは1%どころか多分10%ぐらいすごくたと思うんですけど、
そういうことがその人にとってよりよく生きることの人もいると思うんですが、
ありがとうございました。
熱くなっちゃって、すごい私今体温急上昇中なんですけど、
本当にいい本なんですよ、マジで。
後編もわーっと熱く語ろうと思うので、
ぜひ聞いていただきたい。
そしてなっちゃんもありがとう。
熱いトーク聞いてくれて。
ありがとう。きっとね、聞いてくださった皆さんもね、
それぞれに受け取ってくださったり、
体温が上がるような経験をしたりしてくださっているんじゃないかなと思います。
感じたこととか、気づいたこととか、
もしありましたらお気軽にお寄せいただけたら嬉しいなと思います。
本当に嬉しいです。お待ちしております。
じゃあ今回はこんなところで。
そうですね。
じゃあまた来週、来週かどうかわからないんだけど、
来月だね、そうだね。
次回も続きのお話を聞けるのを楽しみにしております。
熱い日が続きますが、日本の場合は、
皆さまぜひお体をお気をつけて、
素晴らしい夏をお過ごしになってください。
では、ありがとうございました。
聞いてくださってありがとうございました。
こばちゃんもありがとうございました。
はい、ありがとうございます。
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