前回から引き続き、ごはちゃんによる素晴らしいセレクトで、
エイリヒ・フロムのよりよく生きるということ、という本についてお聞きしたいと思っています。
前回は、あ、ありがとう、ごはちゃん見せてくださって。
前回はですね、まず前半の回ということで、
この本の著者のフロムさんがどんな時代を生きて、
愛するということっていう本であったり、
この本ですね、
が生まれることになったのかっていう背景であったりとか、
あとは幸福とは何かっていう根源的な問いから、
所有と存在っていう考え方を説明していく中で、
所有っていう欲が行き過ぎると、いろいろな罠に絡め取られてしまって、
本来求めていたはずの幸福からどんどん離れていってしまうっていうような、
とても大切なことをごはちゃんが紹介してくださったんですよね。
今回その続きをお話ししてくださるということで、とても楽しみです。
よろしくお願いします。
すごい見事すぎるまとめをありがとうございます。
とんでもない。
一応ですね、今回こんなドキュメントも用意してみまして、
ありがとうございます。
音声でも読み上げていこうと思うんですが、さっきまさになっちゃんがまとめてくださったところですね。
私なりにまとめたものなんで、気になる方はぜひ本をお読みいただきたくて、
実際ですね、聞いてくださった方で、私の大切な友人というか尊敬する方が、
この本、僕も買いますというふうにご連絡をくださったり、とても嬉しかったんですけども、
持つ、所有とある存在という生き方があって、持つ、所有という生き方をしていくと、
自分のことでさえ市場に出回る商品として捉えるようになって、
いかに利益を得るかということに人が向けられていく、
それが自分でいる、存在するというところから遠ざかって、
現代のいろんな分離を生んでいる、みたいなことを前段で。
最後にもご紹介しました通り、
もし読者が生きる技を簡単に習得できるような短い処方箋を期待しているなら、
そういった読者はもうこの本を読むのをやめた方が良いというところで始まるという本だというご案内をしてきました。
それでじゃあ何なの?というところが皆さん気になると思うんですが、
先に前回私が熱が乗りすぎてちょっと言い間違っているところがいくつもあって申し訳なかったなと、
本当は所有って言いたかったのに存在って言っちゃってたりとかして、
多分聞いてくださっている方は今小羽さんちょっと言い間違っているなというふうに分かってくださったと思うんですが、
あとこの本のことを前回日本の編集者の人たちが作ったのかなというふうに言ってたんですが、
ここに書いてあるお名前が日本の方の名前だけだったので、
奥づけのところを見たら、奥づけにもでもないのか、
ライナーフンクという方が編参した本であるということが出版社のページを見たら載っていて、
その情報を改めたかったというところと、
ライナーフンクという方がおそらくエイリヒ・フロムの一番弟子みたいなポジションで、
フロムの膨大な残した原稿の管理者として、
全権を委ねられていた、信頼されていた人ということらしいんですね。
その方の本がデジタル国会図書館で読めるんですよ。
すごい。
このデジタル国会図書館って私がなっちゃんに教えていただいたところで、
無料でアカウントを作ると、もちろん実際に足を運んで、
現場に行かないと読めない本も多いんですが、
こういうふうにオンライン上でも読める本がたくさんあって、
アリストテレスとかもあったりするんですけど、
さっき話したライナーフンクさん、これの編参者である方が、
エイリヒ・フロムの人と思想という、彼の足跡をたどるような本も載っていたので、
今回それも少し簡単に目を通して、
行った時に前回お伝えした、激動の青年時代とか、
そういう話だけでなく、もっとなーって感じるものがあったんですね。
この本を読んでくださいというのは大変だなと思ったので、
一旦キャプチャーを少しご紹介しようと思っていまして、
気になる方は、これもぜひ図書館読めるのでご覧いただきたいんですが、
フロムさんがもともとユダヤ人である、ユダヤ教の信者でいらっしゃるご家庭の息子さんで、
彼はヒンおじいちゃんのことをすごい尊敬していたらしいんですね。
彼の中でかけがえのない存在で、なぜかというと、
このヒンおじいちゃんがタルムードという聖典というか、
ユダヤ教の大切な本を学ぶことっていうのに一日を通夜してたかららしいんですね。
経験に学んだり勉強することに時間を割いて、お金儲けをするっていうことはしない。
そこになるべく時間をかけないってことを貫いたヒンおじいさんだったらしく、
そこのちょっとしたエピソードとして、ちょっと出張すれば、
いささか余分な金が入るという連絡があって、
生活が決して楽でなかった、子供が多かったところのヒンおじいちゃんとヒンおばあちゃんの家庭ですよね。
そのヒンおばあちゃん、奥さんが、いい話じゃない?
1月のうち3日出かけるだけでお金になるんだよっていうふうに言ったら、
フロムが尊敬するヒンおじいちゃんが、本気で言ってるのか?
1月に3日も勉強が遅れるんだぞと言って、店に座ってタルムードを勉強していたというんですね。
結構それは生活が大変なんじゃないかなと思うけれども、
周囲の方々からもすごく尊敬を集めるヒンおじいちゃんだったということで、
ユダヤ教のタルムードのことを聞くならあの人というふうに抜擢されるような、
そういう尊敬を得る方だったと。
こういった背景もあって、フロムさんの中ではお金を稼ぐということについて、
子供の頃から多分考える性質があったのかなっていう。
例えば実際の例として、さっきなっちゃんも紹介してくださった
愛するということという本が日本でもベストセラーで、
フロムさんの一番人気の本だと思うんですが、
こちらがドイツ語のポケット版?文庫版みたいなものかな?の印税を、
フロムさんが実に滑稽なほどの印税しか受け取っていなかったということが、
あとで出版エージェントの女性が発見したということが載っているんですね。
現在まで大型100万部もその本は売れているが、
フロムはどこかおかしいということに気付かなかった。
彼は商売に関心を示さなかったのだが、十分金があったからでは決してなくて、
商売によって彼の大切な力が失われていくからなのだったということで、
フロムさんが亡くなる直前のインタビューで、
朝考えることができるので、その時の勉強の時間に当てていたと。
朝はお金を得るための仕事は一切しないと決めていました。
というふうにインタビューに答えているとのことで、
まるで先ほどの非おじいちゃんのような、
自分が本当に大事にしたいことっていうのを優先するっていうのを、
生涯貫いていた方だったんだなぁと。
そういったところから、存在と所有という目線ももしかしたら生まれてきたのかなと。
ユダヤ人というと、日本で陰謀論的にキャッチーに言う人たちは、
全てのお金をユダヤ人が牛耳しているとかいうニュアンスを言ったりもされますが、
私もまだ不勉強なんですけど、ユダヤ人といった時にいろんな定義があるとのことで、
決して血筋とは限らない、それを学んでいる人だったらユダヤ人と呼ぶという定義も聞いたりするので、
お金を稼いでいる人だからユダヤ人とも言い切れない、
一つの章さんみたいなエピソードだなと思ったんですが。
そうですね。
これは私がすごい響いたところなんですけれども、
フロムさんがどうしてこれだけ多くの人に信奉されるような思想を残したのかというところの一つの答えなのかなと思うのが、
多数派と一線を画すること、一般に受け入れられていることを否定することによって、
純正なもの、創造的なものが得られるということをフロムは経験したというふうにフンクさんが書かれていて、
まさにそういったアプローチが、愛するということでもそうですけど、ずっと繰り返されている本というか、
こういうことだよね、こうだよねじゃなくて、それは本当なのかなってずっと問い続けているような、
その考え方が私は性に合うというか好きで、こうやってオタク語りを今回させていただいているんですけど、
知らなかったこととして、フロムさんのお父さんとお母さんの話が少し出てくるんですね。
彼が10代とか30代の時に第一次世界大戦とか、
ドイツの革命が起きたりとか、すごい社会的にも揺れていたんだけれども、
ちょっとショックな話が出るので、
苦手な方はスキップしていただきたいんですが、
彼が12歳の頃に結構素敵な女性だなって思ってた、
絵を描く女性、近くにいたお姉さんが、
ある日自分で命を絶ってしまったそうなんですね。
それがすごくショックだったのが、
そのお姉さんのお父さん、絵を描いてたお嬢さんのお父様が亡くなったことで、
娘さんがすごくショックを受けて、自ら死を選んでしまったそうなんですね。
フロムさんからすれば、その女性はすごい素敵な人だけど、
その女性のお父さんはすごく貧相だと感じていたので、
あんな父親を愛することで、生きて絵を描く喜びよりも、
父親のそばに埋葬されることを選ぶということがどうしてあるのかと、
すごいショックを受けたと書かれていて、
こういったところから多分彼がフロイト的な心理学とか、
親子関係ということにすごく関心を、
これはなぜなのかということに強い関心を持った理由なのかなって思ったんですね。
愛するということの中にも、父親的な愛とか母親的な愛という表現が細かに書かれていて、
私は結構意外に、当時読書体験で意外に感じてたんですが、
もしかしたら彼のこういった体験があったからなのかなというふうに感じて、
あとこれは最後に、やっぱり先生とか大人の影響ってあるなっていう、
ちょっといい話で最後お話ししたいんですけれども、
彼が14歳、思春期の頃に第一次世界大戦が起きたと。
周囲の人たちが同調圧力というか、敵国の人はどんなに悪いかってことに、
巻かれていく様子に、フロムさんも当時14歳の時に巻き込まれていくような時に、
例えば大人、彼の傍にいたラテン語の教師は、戦争の前は平和を大事にしようって言ってたのに、
戦争が起こったら喜んでいる様子とかを見て、
こんなに嘘をつく人がいるんだなっていうようなことを彼が見聞きしていく時に、
唯一そのイギリス英語を教える先生が、
その敵国であるイギリスをバカにしたり、最悪だみたいなことを言う空気に子供たちが巻かれていて、
だからイギリスの勉強、英語の勉強なんかしたくないって言った時に、
その先生が抗議に対して皮肉な微笑みを浮かべ、その様子が今でも眼前に見える。
彼は落ち着き払って言った。バカを言っちゃいかんよ。今までイギリスは一度も戦に負けたことはないんだよ。
それは狂った憎悪の的田中で語る正気と、現実的感覚の声であった。
憎しみとか国民的事故来産の凶器のパターンを打ち破ったという様子に、
フロムさんはすごく心を打たれたということが書かれているんですね。
なので、自分もこれはすごく難しい立場だったと思うんですけど、この先生が。
その時に彼の中の事実をムードに巻かれずに述べたことが、
当時のフロムさんに火をつけて、そして彼のいろんな思想にもエールになったのかなという風に感じたので、
ちょっと皆さんに取り急ぎと言いますか、サササッとしたところなんですけども、
このライナー・フンクさんのまとめたフロムさんの思春期の頃までのお話をまずご案内したいなと思いました。
ありがとうございます。今まで全然知らなかった。
その簡単なね、生い立ちとか時代背景みたいなことは読んだことがあったんだけれど、
そのご両親との関係性とかね、どんな方針で教育を受けたかということは全く知らなかったので、
すごく貴重なことを教えていただいてありがとうございます。
ありがとうございます。でね、そういったことも踏まえると、
彼がユダヤ教をすごく大事にヒーゴ爺ちゃんを投影して思っている気持ちと、
でもそれでなぜ戦争は起こるのかとか、ドイツの中でもナチスが対等していくのかということで、
たくさん心が裂かれる中で一生懸命考えたり問いをかけながら、いろんなものを学びながらまとめていったものの
晩年のものとしてこの本があるよねという立ち位置と言いますか。
で、じゃあ実際にね、その所有ではなくて存在ってどういうふうなことが簡単ではないけれどっていうので、
この本の中で紹介されているのが、存在のステップというタイトルで、
こんなアプローチをするといいよねっていうのが、1、2、3、4、5つ紹介がこの本の中だとされています。
今画面で動画をご覧くださっている方にはまとめたテキストをご覧いただけているんですが、
一つのことを志すこと、目覚めてあるということ、集中するということ、瞑想するということ、そして自己分析。
一番最後にまとめるとナルシシズムを突破して他者と関わることっていうのがまとめになっています。
一つのことを志すことっていうのが、愛するということにも書かれてたなと思うんですけど、
何か一つの技術を習得しようというときに、あれもこれもそれもじゃなくて、
自分の日々の生活の中でこれを私はやるんだと決めて、その一つに全集中する、
エネルギーを注ぐということがまず求められるよっていうのが触れられている感じですね。
所有じゃなくて存在だぞみたいな感じ。
あとこれがフロムさん面白いなと思うんですけど、目覚めてあるということっていうので、
目覚めている、眠りから起きるみたいなのってちょっと神秘思想とか、
スピリチュアル系でよく言われる言葉だと思うんですけど、
彼のこの表現で面白かったのが、寝てる時の方が寝てない時よりも覚醒しているっていう表現が出てきて、
面白い。
何をもってして目覚めるかなんだけども、彼の場合はこの流れでは、
自分が向かうとこにすごく集中できているかっていうのを目覚めている、覚醒していると言っていて、
例え話でオフィスワークしている男性が、
この仕事つまんないな、早く終わんないかなっていう時は目覚めてない気が散ってるわけですよね。
だけどその彼が例えば会社から離れて、退社して、
すごい魅力的な女性を見かけたとする。
そしたら急に覚醒して、なんだあの魅力的な女性はって言って、
急に頭が働き出すとか、その時に、
彼の意識っていうか全部が集中して向かってるよねみたいな、
トーンでここでは説明があるんですけど、
そうだとすると起きてる時でさえも、
私たちってどれだけ集中できてるかなっていうとしてない時が多い。
夢っていうのはすごく想像的な活動の現れなので、
だからもうちょっと皮肉ですよね。
現代人は寝てる時の方が覚醒してんじゃないの?みたいなことが書いてあるんですね。
夢はしばしば想像的活動の証拠となり、
そして白昼夢は精神的怠惰の証拠となるのである。
さっきの彼の例えですね、君が何によって目を覚ますのか言ってごらん。
そうすれば君が誰であるか言い当ててみせようということで、
どういった時にその人がハッと集中モードになるか、
急に目の色が変わるかというところ、
何にそこによってその気持ちが想起されるかによって、
その人が何に惹かれる人なのか、
あなたがどんな人なのかっていうのが言い当てられるよみたいなことが書いてある感じです。
なのでこの辺はちょっと皮肉っぽい表現でしたが、
つまりその存在してる時っていうのは、
この人と話すとか、私がここに生きているということの一つに、
私はここに存在しているところに一つに向けられていて、
そして覚醒した状態である、ぼーっと気が散ってるわけではなくて、
例えばその人とのコミュニケーションであれば、
2人の人間がお互いを見て、お互いに気づく、
相手をそのままの姿で見ている、壁もなければ霧もない、
強烈な覚醒状態で相手を見ている状態っていうような表現が出てくる。
たぶんなっちゃんもそうかと思うんですけど、
こういう会話が好きですよね、私たち。
そうだね。
ずっとできてるわけではない、やっぱり気が散っちゃうこともあると思うし、
体調が悪い時とかね、いろいろあると思うんですけど、
なんでこんなこと言うのかしらとかではなくて、
なんでこの人はこういうことを言うのかなって、
その人を見ようとするっていうのは目覚めている状態だというような表現が出てきます。
集中するということは、
これなっちゃんとも時々話題に上がるトピックだと思うんですけど、
週刊課のね、私たちご案内した本にも通ずるような、
現代人がもしかしたら結構苦手になっていることかなみたいな。
例えばどうして集中できないのか、
集中することを人は避けてしまうのかという説明として、
例えば自分以外のことに集中したら、
自分がなくなっちゃうんじゃないかっていう不安を持つ人がいるっていう説明が出てくるんですね。
そうなんだなーってちょっとえーって思ったんですけど、
でもそれはこうなんていうのかな、
所有する、持つっていう傾向が強い人ほど、
そういうふうに思うものがあると。
そうね、ものとして、
表現が難しいけれども、
自分と相手っていうものの価値、評価軸ってところで生きてる人からすると、
相手に集中するって言うと自分の価値が減るっていうふうに思っちゃうのかな。
なるほど。
あとは集中するとすごく疲れることだと思っている人がいるよねっていう表現が出てくるんですね。
彼らは集中することがあまりにも労力を要する活動だと思っていて、
すぐに疲れて飽きてしまう。
だから集中できないよって言ったりすると。
だけど実は逆こそ真で、
集中力の欠如こそ疲れたり退屈さを誘うもの、
集中することが人間を覚醒させるっていうふうに言っていて。
すごい。
よく言われることですよね、
時間が例えば経過することとかも、
やりたくてやってることって時間があっという間に過ぎ去っていくのに、
やりたくないけどやらなきゃいけないなとか、
やらされてることって時計の針がいつまでも進まないみたいなこととか。
本当にそう。
あとね、山を登るっていうのも、
学校で無理矢理登らされたりするとすごい苦痛だったりするんだけど、
自分が興味関心を持ってあの山に登ってみたいってなると、
みんな大好きな趣味になってね、
重たい荷物を背負って朝から嬉しそうに電車に乗って山登りに行くわけで、
ここのトーンで言うと集中しているから、
覚醒していて、自分の興味関心からやってる時っていうのは、
疲労とか退屈さが減るわけですよね。
なので、言われたら納得の話だと思うんですけども、
とは言ってもなかなか集中力が続かないなという方には、
例えばこんなことがあるよねってあげられているのが、
ぜひ皆さんも試してみてほしいんですが、
私は10分間じっと静かに座って何もせず、できる限り何も考えず、
ただ自分の中に起こっていることに気づくようにするっていうのを紹介されています。
えー。
座る時もファローのポーズのようにって確かこの本には書いてあるんですけど、
ファローのポーズって壁画とかで横向きになって、
小型文字みたいにあるところの多分ファローのイメージでいくと、
こうやってなんか浴座に座って90度に膝を曲げて座ってる感じってことかなって思うんですが、
なんかこうもたれかからずに膝が90度で、膝の上に両手を置いて座ってるだけみたいな。
で、これをですね、私読んだ時にやってみたんですよ実際。
すごーい。
10分タイマーつけてファローのポーズでとか。
はい。
で、今はちょっとできないかな。当時は結構楽にできたんですけど、
それでそれ以来ですね、例えば電車を待つ時に私これゲーム感覚でやるようにしていて、
えー。
あの、あ、ちょうど行っちゃったとかあるじゃないですか電車が。
そういう時にベンチが空いてたらベンチに座って、
思わずちょっとSNSとか開いたりメール開いたりしそうになる手を止めて、
あ、じゃあ今ちょっと座るだけやってみようみたいな。
えー素敵。
なんかだから何なのかって言われるとちょっと難しい答えられないんですけど、
あの、まあ瞑想みたいなことですよね。
マインドフルネスとかになるのかな。
なんかゲーム感覚でやると私は結構楽しくて、
あの、フロムさんがねここに書いた通りその毎日朝とか週間化するといいって、
なんかちゃんとしてるなーってこと書いてあって私はとてもできないんですけど、
あの、なんかそういうふとした瞬間とかにゲーム感覚で、
どうせ電車来るまで待つんだったらやってみようかなって感じで、
ちょっと目を閉じてぐーってやってみたりとかしているというか。
で、あの、この後ねそうやって座るだけのことができるようになったら、
次に何か物、ボールペンとかコインとか何でもいいから、
それをじーっと見つめて細部を観察するってことをしてみてねって書いてある。
これがさ、わかる人しかわからない話で今日したんだけど、
漫画とアニメのハンター×ハンターってジャンプの漫画があるじゃないですか。
なっちゃん読んだことある?
読んだことない。あの、なんとなくは知ってるんだけど。
あの中でその念能力っていう、チート必殺技能力を使って、
あの人外バトルを皆さんがなさるんですけど、
その中の人気のキャラクターが鎖かな、鎖を使う必殺技を手にするときに、
まさにこの練習をするシーンが出てくるんですね。
だから、ハンター×ハンター読んでる人は、
あ、ジャッジメントチェーンって多分なるかなと思って。
彼がね、お師匠さんに言われて、どんな武器使いたい?って言われて、鎖を使いたいと。
あの許せない人たちを縛るための鎖を使うとか言って、
で、じゃあその鎖をずっと一日中見て触って、ずっとそれだけしてろって言われて、
ずっとやるんですよね。なめてみたりとか。
そうするともう夢にも出てくるみたいな感じで、
こう、いつしかそれが作れるみたいな、そんなストーリーがあるんですけど、
だからオタク系の人は是非念能力と思ってやってみるといいかなと思うんです。
ねー、今聞いてくださってる方、
あ、待ってすごくイメージが、分かりやすいイメージがあるかもしれない。
私のぶっ飛びトークになるんですが、
これをね、聞いてくださってる方なら多分分かるかもしれない。
そのシュタイナー、ルドルフ・シュタイナー、神秘思想の大科ですよね。
あの方も、自然とかを観察して、宇宙とかを見聞きしてる人だと思うんですが、
多分彼らがしてることってこういう観察なんだろうなと読んでいて思って、
自分のエゴとか日々の輪っていうことにまずらわされずに、
ただその対象のものをじーっと見て、
しかも自然とか花とか草木とかをただ見ていることで、
まあ瞑想的な状態で本当のものを見ると、
多分普遍的なものが見聞できるような人たちが残してたんだろうなっていうふうに思って。
私はね、ちょっとこのものの何かの対象物ってのはちょっと興味がわからなくてできてないんですけど、
座る、静かに座るの星座っていうのはたまにゲーム感覚で楽しいなと思っているのと、
あとこの那覇っぽいところで言うと読書、読書もまさにそれだなっていう、
私も大好きな、いつか紹介したい読書術、読学術という本があるんですが、
その中でね、本を読むことっていうのは精神の鍛錬になるっていう表現が出てくるんです。
作者が言ってることを理解しがたかったり、は?って思ったりしても、
まず受け入れて読み続けるっていうことをするトレーニングなので、
読書することはすぐイライラして怒りっぽい性格を変えることにつながるっていうような表現が出てくるんですけれども、
そういった感じで、もちろん興味関心がない本をやる必要ないと思うんですけど、
この本のことをもっと理解したいなっていう時に、は?って眠くなっちゃうんだけど、
でもこの人は何を言おうとしてるのかなっていう風に読もうとするっていうのは、
まさに集中力を鍛えられるというか、
そういったことを結局人に対してやれるようになると、
商品としての人間関係ではなくて、
あなたってどんな人なのってことを集中して見ていけるような人になるということかなと思ったのですが、
すごい大切だな。
結構もしかしたら現代の流れと逆流するような処方箋かもしれないんですが、
確かに。
私は個人的にすごく好きなトーンというか、
例えばよく例え話で言うんですけど、カーナビってすごい便利ですよね。
次右折してくださいとか、
なんだけどあのカーナビがないと地図が読めなくなっちゃう。
自分の中で地図を認識する機能を使わないから、地図読めなくなりそうだなって思う自分がいて、
使わない機能ってやっぱり衰えていくっていう風に考えたら、
なくてもいいんだけど、何かの機能をすごく使うときに、
その結果衰えていく機能にも目線があって、
両方こっちを使ってる分、反対の方もちょっと自分の中で訓練しようってすると、
私のイメージではバランスが取れるなっていう印象が浮かぶんですね。
だからスマホが悪いとかSNSがダメっていう意味ではないんだけれども、
あれを使って動いている脳の場所って多分すごく限定的な場所だけが、
多分皆さんも実感としてわかると思うんですけど、
なんかギューってスクロールした後って脳のどっかの部分だけがすごい疲れてる感じがしません?
一部だけがヒートみたいな感じで。
だからそうなってくるとやっぱり穏やかで静かなものが物足りなく感じてきたりするなって思うので、
私の好みとしてはそういうものにいっぱい触れた後、
なるべく逆に古典の古いものとか、
なんか読むのに時間かかるようなものをじっくり見るってすると、
自分の中で落ち着くというか、天秤が取れるような気もするというところで。
本当だね。
今生活の中で10分間じっと座って何も考えずっていうこと自体が、
意識しないときっと皆さんないんじゃないかと思うぐらい、
寝るときぐらいでね。
確かに、そうね。
で、それからその次のステップの一つの対象物を静かに集中して見る、
見極めようとするっていうことも、なかなか今の時代ないことかもしれないと思って、
でも私思い出すと、まだスマホとかパソコンとかを持っていなかった時代って、
子供の時とかなんかじっと公園にある花とかずっと見て、
すごく一つ一つの模様を追ってみたりとか、
何を考えてるんじゃないんだけど、じっと見てたことそういえばあるなぁと思って。
そうだね、ダンゴムシとかがなんでこんなに丸まるんだろうみたいな感じで、
ずっとあったかもしれない。
ただただ、何のためにとかではないんだけれど、
ただただそのものをじっと見ている時間ってそういえばよくあったなっていうことを思い出したりして、
でも今のいっぱい情報に触れる時に、
時代にあえてそういう時間をとってみることってすごくいい。
さっきコハちゃんが言ってくださったみたいに、
普段なかなか使わない部分を働かせることができるような気がするし、
バランスをとるという意味でもすごく大切だなと思いましたね。
ありがとうございます。
駆け足になっちゃったんですけども、
でもなっちゃんが言ってくれたこと、本当そうだね。
子供の時に結構なんなくできてたことかもしれない。
人にもよるかもだけど、子供の時の集中力ってすごいもんね。
親が引き剥がそうとしても離れたくないぐらい、
そうそうそう。
いやこれをしたいの、みたいな感じだったりとか。
なめり込むようにというか。
今の子たちだとまたやっぱり違うものなのかな。
どうなんだろうね。
また世代によっていろいろ変わっていくところもあると思うんですけど、
ありがとうなっちゃん、素晴らしい合いの手をいただきまして。
あと残りとしては瞑想することとか、
セラピーを超えた自己分析っていう話も出てくるんですが、
この辺りはちょっと簡単にまとめきれるところではないなというところで、
自己分析のところもね、
第一番は感情を張り巡らせるとかいう見出しだったりして、
面白いんですよ、興味深いので。
やっぱりこの方がフロイトとか精神分析ってところにもすごく
実践、クライアントを見たりっていうことをしてた方なので、
彼の専門分野でもあり、こういう目線でね、
なんとなくこうじゃないじゃなくて、それは本当なの?っていう
メスを入れる目線で書いてあるので、
ちょっと痛い表現、耳が痛いってのもあるかもなんですけど、
気になる方は是非、どういうふうに自己分析をするかってことも
ページを押さえて書いてあるので。
ただ、言われればそうだなっていう話なんだけれども、
こうして文章にされたときに、なるほどな、
ちょっと皮肉が効いてて、そういうところが私の好みなんですが、
なかなかね、このナルシシズムっていうところも、
現代であんまり言葉にされないような鋭い目線があって、
前回の人を所有するっていう言い方にも通ずるのかな、
あなたのことを思って考えてるんだよっていう言い方で、
実はそれは相手を所有しようとしてるみたいな、
そういうナルシシズムの目線も彼は見ている。
自らのナルシシズムを隠そうとする人も多い、
そのため特別謙虚になってみせたり、
ひりくだってみせたり、あるいは巧妙な形をとると、
私的関心を超えた地点にあるように見える宗教的問題や、
こうして持っている、読んだことがあるはずの本であっても、
それを読んだ人と話し合うことだとか、
私はこう思ったよって聞けることってすごく豊かなことだなっていうのをね、
なんかひしひしと感じたこの2回のポッドキャストでした。
本当に嬉しかった。
さすがコハちゃんという解説、
あとそれからわかりやすい資料も用意してくださって本当に。
なんかね、自分で前回喋ったのを聞きながら、
自分は文章で目で見てるからいいけど、
初めてこれで聞くとこの単語ってなるなと思ったので、
せっかくこうやって映像でももしご覧くださっている方がいたら、
読みやすくなったらいいなと思ったんですけども、
なんかね、本当こう、なんていうのかな、
その人となりを知るって面白いなっていうのも感じて。
本当だね。
これは日本語に訳してあるから、
ドイツ語?
元々のフロムさんの言葉にそのまま触れてるわけではないんだけども、
なんかこの本っていうのはやっぱり最終的な出力物だから、
どんな人間関係の中にあった人なのかとか、
今回割愛したんですけど、フロムさん3回結婚してるんですよ。
1回目の結婚が10歳上の年上の女性と結婚していて、
それがなんと精神分析をしてくれてる人と結婚してるんですよね。
えー。
だからちょっとヤバくない?みたいな。
ヤバくないっていうか、店員じゃない?みたいな。
なんかお母さん見てない?みたいなことを思ったりして。
はいはい。
すごくいい関係性だったみたいなんですが、
結婚生活はちょっとうまくいかなくて、離婚なさってる。
だからそういうのとかも知ると、
決めつけるわけじゃないけど、
親子関係からのこういう感じなのかなとか、
すごい人なんだけど、また何か近さを感じたりして、
これは個人的な話なんですけど、
私は結構宗教観とか世界観をどう確立したらいいかが、
分裂していた子供時代の人なので、
フロムがそのユダヤ教と金儲け主義とかいうところで分裂してたっていうので、
だから私こんなにフロムさんのこと好きなのかなとか思ったりもして、
なんかやっぱり理由があるんだなとか、
興味深いなと思ったのと、
よく言われることですが、アウトプットするとインプットが入るって本当に実感をして。
いやー、そうだねー。
なっちゃんもさ、たぶん前回ね、すごく素敵な
家は生態系っていう本をご紹介してくださってるので、
ぜひ皆さん聞いて欲しいんですけど、
あれもさ、なっちゃんがたぶんこうやってポッドキャストで話すぞって思ったらまとめてくださって、
きっとこう、自分で一人で読んでる時と違う感じだったと思うんですよ。
そう、本当にそう。
なんか変わるよね、モードが。
変わる。
で、私もその皆さんにご案内した時に気づいてなかったけど、
だってここにさ、名前書いてないんだもん。
でもそのさ、人のせいにする。
服付けにもないんだけど、その皇帝、弟子のフンクさんが編参してるんだってことを、
皆さんにポッドキャストで前回喋ったから初めて気づいて、
それで国会図書館で調べたらさっきの本に出会ったんですよね。
すごーい。
だから、やっぱりは誰かに届けようとするって変化があるものだなということを感じて、
それはなっちゃんやこのポッドキャストを聞いてくださる方のおかげなのでありがたいなというところと、
いつか読書会とかできたらいいねってなっちゃんと話してるんですけど、
これを聞いてくださってる方とも意見交換できたらいいなとも思ったりして、
最後に無理矢理さらにぶっ込むんですけど、
私たちはノートでブログも書いていて、
そこでそれぞれに自分らしく自然に自分のキャラで記事を書いているんですけど、
なっちゃんも自分の体との関わり方っていうのをつぶさに見つめて記録を残してくれていて、
最新バージョンでかなりドラマティックな話を載せてくれてるんですよね。
私本当に感動しちゃって。
ありがとう。
涙目で読みましたし、
なっちゃんが載せたいけどこの写真載せるとうって人いるかなって言って、
大対策で手がけたあの図がなんてアイディアなんだと思って、
すごいって思ったんですけど。
読んでくださってありがとう。
ぜひ読んでほしい皆さん。
Nahaっていうね、私たちの活動の名前でね、
私から小さく始める世界平和っていうのを大きなテーマとして挙げているんだけど、
そこにちょっと無理矢理というか絡めると、
自分自身が自分とどんな関係を築いているかっていうことって、
壮大な世界平和とか国側とか社会側っていうこともすごく大事なんだけど、
その前の一番最初の段階として、
自分が自分をどう扱っていてどういう関係を築いているかって、
すごくみんなちょっと後回しにしがちかもしれない。
今忙しいしね、みんなやらなきゃいけないこといっぱいあるしっていうので、
後回しにしがちなんだけどすごく大事なことだなっていうのを常々感じていて、
なのでその自分の体と心と思考っていうものが一致したら、
何かそこでまず自分の中で平和っていうものが生まれるんじゃないかなっていうことを考えていて、
そのために、で、私はずっとそれが全く持ってできていなかった人なので、
そこのバランスがね、ほんと笑っちゃうくらいできなかったっていうことに、
大人になって、だいぶ大人になってやっと気づいたっていうところがあって、
なので、そう、だけどまずそこが一致して自分の中に平和があるっていうところから、
それが集まっていったら、何か自分の住んでいる地域も国も世界も、
引いては何かそうやって平和になっていくんじゃないかっていう、
まず一人一人がどうあるかっていうことも、
そっちの方向も同じくらい大事なんじゃないかと思って、
そうだね、まず自分でできることだもんね、一人一人がね。
なんか、国をどうしようっていうことはなかなかね、難しい、無力感を感じたりしてしまうんだけど、
何ができるだろうって考えたときに、
せめてまず自分から、そしてその自分の直接関われる範囲の、
人であったり環境であったりっていうところから見ていったら、
何か変わるんじゃないかなって、そういうものが積み重なったときにっていう思いで、
まず自分のことっていう、ちょっと意味を込めて思いを込めて、
いろんなことをノートに書かせてもらっているんですけど、
何か、最初はね、そんな需要なんてあるだろうかとかね、
面白くないんじゃないかとかいろんなことを思ったりしたんだけど、
もしかしたら何か、私も同じようなことに、課題に感じてるんだよねって思っている方が見てくださったとしたら、
何か材料になるんじゃないかなって思いもあったりして書いているので、
もしね、よかったら読んでいただきたいなって。
はい。
コハちゃんのね。
みんな横浜行きたくなると思うけどね。
本当?なんかが嬉しい。
ごめんね、言いかけてるところ。
もし気になるよっていう方がいらっしゃったら教えていただければと思うんですけど。
すごいよ。
コハちゃんの自由研究は本当に素晴らしいので、
もうなんか世界の見え方が変わるようなワクワクするようなことがいっぱいね。
ありがとう。
あれが書いてくださってる。
コハちゃん優しいからね。
このポッドキャスト聞いてくださってる方はきっと素敵な変わり者だと思うので、
お楽しみいただけるかもしれないです。
なのでこのポッドキャストもそうなんですけど、
そういったノートもね、
それからコハちゃんの手掛けてらっしゃる素敵ないろんなお仕事とかも、
インスタグラムとかホームページの方でもね、
見ることができるので、
本当に素晴らしいコハちゃんワールドもぜひね、
触れていただけたらなっていうふうに思っています。
なっちゃんはね、ご存知というか聞いてくださってるんですけど、
結構お客様によってやってることが全然違うので、
本当に。
デザインもしてるけどデザインだけじゃないしってところで、
結構最近は商品設計から入らせていただいていて、
なっちゃんにも聞いてもらったんだけど、
ヒューマンデザインっていうのでエネルギー的に見ると、
その人がどういうような商品を買うのか、
実際だからどんなふうに商品が売れるのかっていうのを見たときに、