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2025-04-14 23:40

ながらcast4/128 「アン・シャーリー」が面白い

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実は1979年の世界名作劇場の「赤毛のアン」は、第1話を見て「無理〜」と思って離脱した記憶があり、苦手意識がありました。今回の新作もスルーするつもりでしたが、あるポッドキャストを聞いて、急に大貴1話を見て、続けて旧作の第1話まで見てしまいました。


【ドロッセルマイヤーズ・ラジオ第131回『赤毛のアン』と『アン・シャーリー』】https://open.spotify.com/episode/7wZWPyZhC4aZcTbmNLJVDF?si=YVhq84IvQkSKdCOQLJ9igw

サマリー

このエピソードでは、アニメ「アン・シャーリー」についての感想や旧作との違い、人間関係の描写が語られています。また、アニメにおける声優の演技や表現についても触れられています。新作アニメ『アン・シャーリー』の第一話では、主人公のアンの苦悩とマリラとの関係が描かれています。物語は、アンが自分の現実と向き合いながら空想力を働かせて生き延びていく様子に焦点を当てています。

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今日は、天気予報通り、朝から雨です。
ちょっとね、涼しいので、先日買ったばかりの、ちょっと厚手のジャンパーを着てます。
裏地がついてる分ね、暖かいんだよね。
これは、今日本当にベストな洗濯で、ちょっと嬉しいですね。
アニメ「アン・シャーリー」の視聴
雨の中出勤しておりますが、今日は、昨日の夜見たアニメ、アン・シャーリーについてお話ししようと思います。
じゃあ、ながらcast、スタートです。
この番組は、自分大好きな61歳、私、笹雪の声のブログ、声の日記です。
通勤途中に歩きながら収録してますので、息がハァハァ上がったり、周りの雑音、騒音、風切音などが入ったりしますが、何卒ご容赦ください。
何かしながら聞いていただけたら幸いです。
さて、アン・シャーリー、やること知ってたんですが、スルーしてました。
というのも、本当に昔、調べたら1979年に日本アニメーションが作った、赤毛のアンっていうのを、当時だから中2か中3で見て、1話見てもう辞めちゃったんですよ。
当時の僕にとっては、この女の子はうるさすぎるというか、ちょっとついていけないと思って、1話で離脱した、どちらかというと苦い思い出があって、
今さらまた赤毛のアンやるの?って感じで、見なくていいかなと思ってスルーしてたんですが、
僕の聞いてるポッドキャストの中に、ドロッセル・マイヤーズラジオっていう、渡辺さん、夫妻がやってるポッドキャスト番組で、アン・シャーリー及び赤毛のアンの話をしてたんですね。
なんだか1時間半とかやってるんで、全部は聞いてないんだけど、途中まで聞いて、これ見ようって、見なきゃと思って、急に見ることにしました。
1話を昨夜、妻と一緒に見まして、よかったんです。意外に全然、かつての拒否反応はなく、すごく楽しむことができました。
旧作と新作の比較
逆にその後、勢いで、かつての日本アニメーションが作った赤毛のアン、1979年版も、YouTubeで第1話を見ちゃいました。
というのも、渡辺さんが、第1話を熱量高く紹介してたので、どうしても見たくなっちゃって、なので、アン・シャーリーの1話と、急作赤毛のアンの1話を、昨夜、見ちゃいましたね。
急作はいいや、やっぱり新作の方ですね。すごく見やすかったっていうと変なんだけど、たぶん、急作で俺がついていけなかったのは、アンが本当によく喋るのよ。
しかも自分の空想の世界の話を、どんどこどんどこ話をしてくるっていう、連続の攻撃みたいなのに、多分、癖としたんだと思うんですね。
で、今回急作見てても、それは感じて、一つはね、時代もあるかもしれないんだけど、声優さんの演技がやや過剰な感じなんだよね。
ちょっと語尾上げっぽく言ったりとか、少女らしさみたいなところとかを表現していると思うんだけど、若干その高音の喋りが鼻に付くんだよな、今から言うと。
新作はね、それが全く気にならなかったんですよね。
たぶん79年っていう時代のせいじゃないかなと思うんですけど、その当時の声優さんの演技としては全く違和感なかったと思うんですが、今ってもうちょっとトーンを抑える。
今回は時代のせいなのか、作品監督音響さんの意図なのか、それもあると思いますけどね。
とにかく新作の方はそこまで耳につかない、聞き苦しくないというか、スッと聞けるような感じで、なんとなくそこでの拒否反応は起きませんでしたね。
だからそういう意味では、脚本とかそういったところも上手に作ってあるんじゃないかなと思います。
あとは、俺自身が年をとっているから、79年でしょ?
40年は経っていないけど、46年経っているのか。
俺ももしかしたら許容範囲が広がったのかもしれませんけどね。
それからやっぱりですね、今のアニメらしく表現も洗練されてますね。すごく絵も綺麗だなと思いました。
最初、駅のシーンの冒頭ですね。桜なのかな?綺麗な白い花が咲いている木が見える場所で、アンがお迎えを待っているというシーンもね、
風景としての美しさが伝わってきますよね。
その後、迎えに来てくれたマッシュだっけ?
あの人60歳っていう設定でしたね。旧作を見たら。
旧作のマッシュは結構おじいさんおじいさんしてて、声があれだったな。
未来少年コナンのおじいの声に似てるんだけど、旧作のマッシュ、誰かを思い出すんだけど思い出せない。あの顔。
新作アンシャーリーの方は、マッシュは若かったですね。印象が。
やっぱり今の60歳。俺も60歳を超えてるんだけどさ。
人間関係の描写
若々しさを感じましたね。
馬車で家に連れて行くところが、ある意味、アンという主人公の人となり、性格みたいなものが溢れ出てくるんだよね。
それが基本アンのセリフで表現されているんだけど、その想像力豊かだったり、いろんな、ちょっと難しいな、表現が。
ただその話を聞いているうちに、マッシュはそうさのしか言わないっていう。ほとんど受け答えない。それが基本の人なんだけど。
でもそのアンの話を聞いているうちに、だんだん楽しくなってくるんだよな。
その辺はね、でもね、表情の変化みたいなのはわかりにくいし、あえてそうしているのかなっていう気もしたんですけどね。
ただもう家に着く頃には、彼はアンの魅力を気づいて、好きになっちゃってるんだよね。
旧作の方はさ、第1話って、まだ家に着かないのよ。馬車に乗って住む家のグリーンゲーブルズへ向かう途中で終わるんだよね。
この後どうなるんだろうっていうものすごいさ、不安な感じになるよね。見てる方は。
マッシュも、すごいこっちの旧作の方はさ、すごく表情豊かで。
要はこの子を家に連れて帰ったら、姉の、なんだっけ、名前がまだ出てこないけど、彼女にきっと送り返されちゃうっていうのがわかってるんだけど、
隣にいるアンは、新しい生活に期待して、胸がいっぱい膨らんでるみたいな感じで、もうワクワクしてるんだよね。そんなアンを見ながら、マッシュはすごい葛藤してるっていうところで、第1話終わるっていうんだけど。
第2話、新作はめちゃくちゃスピーディーです。その辺はね。むしろ新作は、そのマッシュの心の動きはちょっと控えめに表現されている感じがします。
口癖の操作みたいなのは、共通な感じですけどね。ただ、家に着いて、マリラが男の子じゃないっていうのを気づいて、ちょっと文句言い始めて、アンがすごいショックを受けちゃって。
家の中にズカズカ入ってってさ、テーブルのとこにあった椅子に座ってさ、つっぷして泣くんだけど。ちょっと俺、心の中でさ、「おいおい、入ってくんかい?」って思ったけどね。まあ、それはいいとして。
この時点でマッシュは、アンに楽しくなっちゃったんでしょうね。アンの話を聞いてるうちに。
自分たちが個人から引き取った子供に、男の子に働いてもらおう、楽させてもらおうっていうつもりで、その子供を引き取るつもりだった。だけどマッシュがさ、「そうじゃなくて、俺たちが、わしらが、この子に何かしてやれるんじゃないか?」みたいなことを言うんだよね。
このコペルニクス的転換というか、これは一体何だろうとは思います。意外にそこが急に見方が変わる。
それほどの、アンと会ってから、グリーン・ゲイブルスに来るまでの間に、それが起きたっていうのが奇跡かなと思うんだけど。
たぶん、やっぱりアンの、これが本当に仮に、アンがずっと黙っててみたいな大人しい子だったら、そうはならなかったのかなと思うと、若干複雑な気持ちになりますけどね。
まあでも相性がいいっていうのは、もしかすると得なのかっていうところを教えてるのかな?知らんけど。
アンの絶望とマリラの現実主義
でも結局、家に着いて、もう汽車もないから追い返すわけにもいかないから、夕飯を食べさせて、明日、しかるべきところへ行こうっていうような感じで追い返されるってことは、マリランの中では決定済みで覆すことはない。
ただ、ご飯は食べなさいよって用意してくれるんだけど、アンは絶望のどん底でご飯なんか食べられないんだけどね。
ただ、アンが絶望のどん底にいて、そんな食欲あると思う?ってマリランに聞くんだけど、マリランはあくまでも超現実的な人だから、そんな絶望のどん底に落ちたことなんてないって言うんだよね。
本当に、物事を現実的に処理してきた人だから、ある意味、アンと真逆だよね。アンが考えるような空想みたいなものが理解できない。
そんなもの、飯の肌の足しにもならないって言いそうな、実際そんな台詞あったかもしれないし、これからあるかもしれないなって思うんだけど、いくら空想したって肌の足しにもなりゃしない。バカらしいって言いそうな人なんだけどさ。
ただ、その後、翌日かな。翌日はさ、アンも気持ちのいい朝で、すっかり気持ちを立て直して、今日は楽しむことにしたって言って、朝ごはんもパクパクパク食べてさ。
ただ、外で遊んどいで、あ、皿洗いするんだよな。それも結構ちゃんと。そこでポイント間違いなく稼いでるよね。
はい、そんなわけで今日は、赤毛のアンの新作アニメ、アンシャーリーの第一話。そして続けて79年版の、1979年の世界名作劇場だったかな。
高畑勲版の赤毛のアンの第一話を見ての感想をお話ししておりますが、僕としてはですね、この新作、非常に好感を持って見ました。
あの、結構スピード感があるっていうのかな。そこがね、意外にいいなと思ってます。もう前半でついて、グリーンゲーブルズに。
で、マリラと会って、翌朝、外で遊んでらっしゃいって言ってもさ、悲しくなっちゃうから行かないなんて言うんだけどさ。
で、今度はマリラがアンを連れて、あれ誰のとこ行ったんだろう。スペンサーさんのとこ行ったのかな。とにかくその、個人から子供を連れてくることを仲介してくれた人のとこに行って、これはどういうことなんだっていう話をするんだよね。
で、この子を送り返して代わりに男の子が欲しいっていう話をするんだけど、ちょうどそのスペンサーさんとしましょう。別の家の奥さんってあえて言っちゃうけど、妻が来ていて、
その人のところがちょうど女の子を欲しがってるっていうことで、そこで急に話が進もうとしたんだよね。アンがその人のところにもらわれていき、マリラ、マッシュのとこには改めて男の子を連れてくるみたいな方向になったんだけど、
ここ全く説明はないんだけど、マリラは多分そのアンをもらおうとしている女性のことを好ましく思ってないんだよね。ここに連れて行かれたら、アンがかわいそうだなって多分思ったんだろう。
そこの同じ部屋に入って、その女性がいる部屋に入って、アンをしなさだめするんだよね。その雰囲気だけでもアンの扱いがひどいっていうことが予想できるような感じで、
結局マリラは別にアンを返そうっていうつもりじゃなくて、ただ理由を聞きに来ただけだってうまくごまかして、結局アンを連れて帰る。
アンの過去とマリラの決断
ただそこにはね、マリラなりに納得いく部分があったんだよね。スペンサーさんの家に行く途中にマリラはアンの身の上を聞くんだよね。
両親がいなくなって、親戚のところにいたんだけど、そこから出されて、孤児院に引き取られてみたいな話をひとしきりして、そういう中でアンが
つらい現実をなんとかやり過ごす、生き抜くために想像力っていうのを駆使して生き延びてきた彼女なりのサバイバルの手段、サバイブの手段っていうのかな。
みんなね、いろんな人はそれぞれの人なりに現実と折り合いをつけながら生きていくんだけど、アンの場合はそれが空想力っていうものを使ってなんとか生き延びてきたっていうところに思いが至って、
多分アンに対して同情でもあるんだと思うんだけど、引き取ってもいいって気持ちになったんでしょうね。
というところでね、ただマリラはまだ相談して、マシューと相談するみたいな感じで、スペンサーさんの家を出てきちゃったもんで、アンの中ではまだ大丈夫かなって気持ちは残った状態で第一話が終わったのかな。
そんなところだったんですけども、なかなか見やすくて、とても次が期待できますね。
はい、じゃあ今日はこんなところです。最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。ではまたね。チュース。
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