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2025-08-27 19:47

ながらcast4/209 差別してるだろうな〜オレ

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寄り添おうとしているのに、それが逆に差別になってしまう構図。自分もやっているかも。

【積読チャンネル あなたの発言、さべつです。】

https://youtu.be/_ICUSI1PSsQ?si=Nzw-HSqLitaKhs46

サマリー

今回のエピソードでは、職場の同僚が中華チェーン店「ゴミ発信」のメッセージに対する腹立たしさについて議論しています。特に、母親に対する配慮が強調される一方で、父親が無視されていることが差別的に感じられるという視点が紹介されています。このエピソードでは、無意識の差別について考察されています。さらに、過去のデータに基づく判断が現状の差別を助長することや、それに対する意識の重要性が語られています。

ゴミ発信のメッセージの問題
はい、ながらcastを始めます。 この番組は、自分大好きな61歳、私、笹行きの声のブログ、声の日記です。
通勤途中に歩きながら収録してますので、息がハァハァ上がったり、周りの雑音・騒音、風切り音などが入ったりしますが、何卒ご容赦ください。
今日は8月21日の木曜日です。
今日は日差しが強いですね。 風は少しあって、
まあやっぱり重すぎて、朝は少し涼しい。
まあ言い過ぎか。でもそれほど暑さで苦しいって感じは減ってきているかな。
でも、そう簡単に涼しくはなってくれない。
まあ、ぼちぼち
体調を見ながら やっていきたいと思います。
さて、今日はですね、 すごい細かい話をしようと思うんですが、昨日、職場の同僚と話している時に、
なんか、すごい腹が立ったっていう話を聞いたんですよ。
その話をしようと思います。
えーとね、 これ名前出しちゃっていいと思うんだけど、
ゴミ発信っていう、
中華のチェーン店があるんですよね。
わりと浜松に僕が住んでいた頃、 まだ独身だった頃なんかは、
自分の住んでいる側にもあったので、よく食べに行ってたお店ですね。
やっぱり静岡県の西部が、わりと本拠地っていうこともあるんですけど、 こっちの静岡市があるのは中部なんですけど、この辺はないんですけどね。
ただ、妻がそんなに好きじゃないので、
ここ何年も、5年なんてもんじゃないかな、 行ってないところではありますが、
その同僚が、腹が立ったっていう話は、味とかじゃなくて、
あそこね、昔から、 メニューの一番最後とか、
あとは、 店内にも掲示してあるのかな。
あの、 従業員からのメッセージが掲げてあるんですよ。
それがね、ちょっと、 同僚が腹が立ったっていう話になるんですけども、
ちょっと読んでみましょう。 お母さんへ、これでっかく書いてありますけど、
お子さんは散らかすことの名人です。 私たちも幼い頃はそうでした。
テーブルの上や席の周りの汚れ等を、 一切気になさらないでください。
私ども店の者が片付けます。 私どもの店にいらした時ぐらい、ゆっくり召し上がってください。
お母さんってびっくりマーク。 で、ごみ発沈、
接客係一堂、 というメッセージがあって、
それを見てね、 同僚は、女性なんですけどね、
なんでお母さんなの? なんでお父さんも入ってないの?っていうね、
そういう怒りに、
イラッときたっていう話ではありますね。
確かにこれ、 俺もずっと見てないから、
そんなことを思わなかったんだけどね、 改めて言われると確かに思いますね。
僕は多分、独身の20代、
まだ半ばの時代は、逆にこのメッセージを見て、 ああ、いい店だなって思ってたと思います。
ああ、ここは、
子供が汚しても、そこで、
お母さんが、
なんか色々気を使って、みたいなことをしなくても、
くつろげるんだなと思って、むしろ、
ああ、なんていい店なんだって、多分、
思ったんだよね。
でも、時が経ち、
もう、
40年ぐらい経ってみると、
やっぱりこれは、
いかがなものかと、
なっちゃうんだよね。
まあ、このメッセージが生まれたのがいつかっていうのは、 もちろんわからないんですが、
まあ、おそらく、
40年は前。
それ以上かもしれないですね。
この間に、めちゃくちゃ世の中が変わったっていうことですよね。
まあ、
どうだろう?僕の印象としては、
かつてのように、
お父さんが外で働いて、お母さんは、
家で主婦をして、子育て、いわゆるケア労働ですよね。
になって、みたいな時代。
であれば、まあこの文章はOKだと思うんですが、
今は、どっちも働いているっていうのは、
普通になってきてますよね。
で、
いろんな理由があってそうなってはいると思うんですが、 そこはさておき、
男女が、
育児を、
分担する、
シェアするっていうことが、
かなり一般化している。
あの、
例えばこれが、
たぶん当時40年前とか30年前でも全然同じだと思うんだけど、
子育てに参加するお父さんって、
かなり少数派だったなという印象が僕は持っていて、
本当にそれと比べると今は、雲泥の差ですよね。
子育てはもう、妻に任せて、
夫は、
全くそこにタッチしない。あるいは重要なとこだけは相談に乗る。
が、あとは任せた。みたいな。そういう、
時代が間違いなくあったなって、まあ俺も思うんだけど。
もちろんそれ一触ではないですよ。いろんな家族があったわけだから、本当に、
それは何とも言えないんですが、
メインストリームの印象としてはそういう感じだったんですよね。
で、まあこれってゴミ発信さんが、
良くないとか、
休談するみたいな話とは、ちょっと別の話にしたいなぁとは思っているんですが、
とりあえず、
パッと見たとき、今その文章を見たときの違和感みたいなものはやっぱり、
僕もあるし、同僚もね、ちょっと腹が立ったっていうのも理解できる。
ある程度、今世の中で、
それは、
共有できる、
感性、感覚、
じゃないかなっていう気はしてるんでね。
まあ可能であれば、
アップデート、文章を作り直してもいいんじゃないかなとは思うんですけども、
でもこれも敏感な人からそうでもない人まで、
まあこれまたグラデーションがありますよね。
実はこの話、
昨日の夜、家に帰って妻にしたら、
そこまでの反応がなかったっていうね。
確かにっていう感じではなくて、ああ、そうやって思ったんだ、みたいな感じで、
差別と善意の関連
わかるわかるっていう感じでもなかったんで、やっぱり人によってもいろんな感じ方があるんで、
これは何かが正解っていう感じでもないのかなって思うんですけどもね。
ただこれが、
悪気がないっていうのが、
すごくなんか、ちょっと胸に来るというかですね。
お店側としては、
お母さんの立場に寄り添って、
まあそういうことを言ってるわけですよね。
ここはなんか純粋に善意というか、
善意だし悪気はない、
っていうところが、やっぱり大事重要だなと思っていて、
一番寄り添っていきたい、
そのお母さんに、
逆に、まあキレられるっていうね、非常に、
もったいないというか、残念というか、悲しい状況かなと思うんですよね。
非常に、
ただ、今回この話をしているのは、その話を聞いたからっていうのもあるんですけど、
ちょうど先日聞いた、
ゆる言語の、
堀本さんが関わっているツンドクチャンネルっていうところで、
差別の話をしてたんですよね。
そこで紹介していたのが、韓国の人が書いた、
差別は、悪意のない人がするとか、善意の人がするとか、
そんな感じのタイトルの話をしていたんですね。
で、それの中で、やっぱり、
差別してるっていう意識はないわけですよね、今回の場合も。
ただそれが、当事者にとっては、
差別意識の構造
今回のケースを差別と呼んでいいのかわかんないけど、結局は、
性別で役割を固定化する、
っていう、お母さんが子供の世話をするっていう大前提、
そのものが、差別意識とも言えるわけですよね。
だから、
ただ、当事者は差別しようとは思っていないっていう構造なわけなんですよね。
で、まあこれ本当に、
多くの場合はそうだと思うんですよね。
今回のケースは一つの例なんですけども、
俺自身にもそういうことは絶対にあると思っているし、
そこまで厳密に言葉を選んだりして生きているわけでもないので、
ある意味ゆるゆるな状況で生きているので、
そういう意味では非常に、知らないところで何かやっちゃってる可能性が
大いにあるなと思っていて、たまたま指摘されてないだけなんじゃないかってね、
そういうふうに自分に対してもやっぱりそういう疑いを持っちゃいますよね。
はい、そんなわけで今日は、
ふわっと差別っていうものについて話をしています。
統計的差別の影響
さっきお話ししたツンドクチャンネルで紹介されていた本は、
タイトルが、「差別は大抵悪意のない人がする。」というタイトルでした。
実は今日図書館で借りてきたので、読んでみようかなと思っておりますけどもね、
このツンドクチャンネルの中で一個面白いなって思ったのは、
その前の回がどうも、やはりそのテーマを扱ってコメント欄がかなり盛り上がった、
そうなんですね。どうもそれが笑いが、
大谷さんが外国人の入居を断るみたいな設定の話をしたのかな。
その時にコメント欄の方で、
割とたくさん見受けられた意見として堀本さんが紹介したのは、
家賃の滞納などのリスクがあるので、
そのリスクを回避するため、経済的合理性っていうことだと思うんですけど、
だからそれは差別じゃないのでは、っていう論調がそれなりにあったらしいです。
それに対して堀本さんが、どこから引っ張ってきたかわかんないんだけど、
これがまさに差別なんだって言っていて、
統計的差別っていう、僕の知らない単語を出してきて、ちょっと僕も勉強になったんですが、
そういう統計、つまり過去、過去のデータですよね。
過去のデータに基づいて合理的な判断をするっていうのは一見正しそうに見えるんだけど、
それこそが差別なんだという意味で、統計的差別という名前がついているらしいです。
この時の一つ、一番わかりやすいものとして、
結局過去のことをベースに話しているので、これをOK、よしとしてしまうと、
現状を肯定するしかないっていうことになるんだよね。
例えば、黒人差別であるとか、女性差別っていったものが、
今はそういうものがなくそうっていう、ある程度のコンセンサスが世の中にはあると思うんですけども、
それがまだ一般的でなかった時代には、やはり同様なことが言われていたっていうことで、
結局、例えば女性は途中で結婚退職したり、
妊娠・出産で休みを取ったりするわけだから、役職には就けない、みたいな論調があったとして、
今ならこれ批判の対象になるわけだけども、
ちょっとね、遡っていった場合に、それはある程度受け入れられたっていうふうに考えると、
それは確かにそれまでの過去のデータに基づいての判断と言えるんだけど、
結局それを追認してしまうことは、ますます差別に加担していくっていうことになるわけですね。
だから女性は役職なり、そういう昇進させないとすると、ますます稼ぎが、男女差が格差があり、
そういったケア労働みたいな部分を賃金の安い方が担うことになるっていうことで、
むしろ拡大していく、拡大再生産とか負のスパイラルみたいな形になっていくっていうふうにそういうことを考えると、
今言ったような、これちょっと俺もよく本編見てないからわかんないんだけど、
そういう大屋さんと外国人の問題も、こうだからって言ってリスク回避のためにやるっていうのが正しいのかどうかっていうあたりですよね。
それこそが差別なんだよっていう、非常にわかりやすく教えてもらいました。
ただこの後、堀本さんは商売人としての持論みたいなのを展開し始めて、ちょっとややめんどくさいなって話にはなっちゃったんですけども、
非常にこの部分は聞いててダメになりましたね。
というところで、紹介された本もまた目を通してみようと思います。
はい、では今日はここまでです。
最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
ではまたね。
チュース。
19:47

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