IKIGAIの基本概念
こんにちは、ディ・ディーフ・タイプです。今日はですね、世界30カ国以上で翻訳された農科学者、茂木健一郎さんの
IKIGAIについての資料を一緒に深く読み解いていきたいなと思います。
これ、あなたからシェアしていただいた資料ですけど、すごく面白いですよね。
なんというか、物質的には満たされているはずなのに、なぜか心が満たされない。
あー、ありますよね。
そういう漠然とした不安とか、IKIGAIってなんだろう?って思う瞬間、誰にもあると思うんです。
えー。
そんな現代の私たちへの処方箋として、今、世界が日本のIKIGAI、つまり合気街という考え方に注目していると。
今回は、茂木さんが提唱する合気街の5つの柱を1つずつ見ていきたいんですが、
これが単なるライフハックじゃなくて、もっと深い、私たちの日常を根っこから変えるような視点になりそうだなと。
えー、まさに。ここで最初に大事なのは、IKIGAIが私たちがつい追い求めてしまう、ドーパミン的な報酬とは違うという点なんです。
ドーパミン的な報酬?
はい。例えば、プロジェクトが成功した時の興奮とか、昇進した時の高揚感とか、あれは強烈ですけど、一瞬で消えてしまうことも多いじゃないですか。
確かに。打ち上げ花火みたいな。
そうなんです。資料にもある通り、IKIGAIが目指すのは、もっと持続可能でしなやかな幸福なんです。
これから紹介する5つの柱は、そのための具体的な地図のようなものだと捉えると面白いと思いますよ。
持続可能でしなやかな幸福、いい言葉ですね。瞬間的な喜びじゃなくて、じゅんわりと長く続く焚火のような温かさという感じでしょうか。
えー、まさにそんなイメージです。
では早速その地図を広げてみましょうか。最初の柱ですが、これがすごく意外というか謙虚なんですよね。小さく始める。
そうなんです。
いきなり人生を懸けてこれを成し遂げるぞみたいな、そういう壮大な話じゃないんですね。
えー、むしろ壮大すぎる目標は、完璧にやらなきゃっていうプレッシャーになってしまって。
あー、わかります。
結局最初の一歩を踏み出せなくさせてしまう、心理学でいう回避っていう行動に繋がったりしますからね。
模擬さんが言いたいのは、結果ではなくてプロセスにこそ価値があるっていうことなんです。
なるほど。資料にある例がすごく腑に落ちました。
完璧な朝食を目指すのではなく、まずは白湯を一杯丁寧に入れてみる。
本当にそれくらい小さなことでいいんだなぁと。
でも正直に言うと、人間って大きな結果とか分かりやすい成功を求めてしまう生き物じゃないですか。
まあ、そうですね。
その小さなことで満足するっていうマインドに切り替えるのって、結構意思の力が必要な気もするんですがどうでしょう。
いい視点ですね。そこがまさに資料に出てくるキーワード、こだわり。こだわりの役割なんです。
こだわり。
ただ白湯を飲むんじゃなくて、丁寧に入れるというプロセスに自分なりの美学とかルール、つまりこだわりを持つ。
例えば、お気に入りの鉄瓶でじっくりお湯を沸かす、湯気が立ち上るのを眺めるとか、器を温めてゆっくりと注ぐとか、その一連の行為に集中するんです。
なるほど。
これって結果ではなく、今この瞬間に価値を見出す訓練なんですね。
そして、この一杯の白湯を入れるという行為は誰にも評価されないし、失敗のしようもない、完全に自分のコントロール下にある世界です。
自分を開放する重要性
確かに。
この小さな成功体験が自己効力感、つまり自分は自分の人生をちゃんと動かしているという静かな自信を脳にじわじわと染み込ませていくわけです。
なるほど。こだわりはプロセスに没頭するための装置みたいなものなんですね。
そういうことです。
確かに朝一番に何か一つでもこだわってできたことがあると、その日一日少しだけ自分を肯定できる気がします。
ええ。
その小さな自信が次の行動へのエネルギーになると。
でもその小さな一歩を踏み出すこと自体をためらわせる何か別の力もありませんか?
周りの目とか、普通はこうするべきみたいなプレッシャーとか。
はい。
それが次の柱に関わってきそうです。
まさにそこが第二の柱、自分を開放するにつながっていきます。
私たちが行動できない原因の多くは、自分以外の誰かの視線を内面化してしまっていることにあるんです。
自分を開放する、これは社会的な役割とか、こうあるべきという鎧を脱ぐということですよね。
ええ。
資料でモギさんが使っている子供のような状態に立ち返るという比喩がすごく印象的でした。
はいはい。
子供って誰かに褒められるためじゃなく、ただ楽しいから泥だらけになって遊んだり、一心不乱に絵を描いたりする。
あの報酬を求めない純粋な没頭感覚。
ええ。
私たちは大人になるにつれて、父親としてとか、部長として、社会人としてといった様々な仮面を無意識のうちにつけてしまいますよね。
つけますね。
それ自体が悪いわけではないんですが、問題はその仮面に自分自身が乗り移られて、本来の感覚が麻痺してしまうことなんです。
モギさんが言う自分を開放するっていうのは、その仮面を一度脇に置いてみること。
そうすると心に余白が生まれるんです。
心の余白、いい言葉ですね。
でも現代人ってスマートフォンもあって常に誰かとつながっていて、情報が流れ込んでくる。
その余白を作ること自体が一番難しい課題のような気もするんですが。
うーん、そうですよね。
資料にはその余白を作るための具体的なヒントのようなものはありましたか?
直接的なハウトゥーではないんですけど、本質的なアプローチが示唆されていますね。
それは評価のゲームから降りるということです。
評価のゲームから降りる。
SNSのいいねの数とか他人との比較で自分の価値を測るのをやめる。
そうすると他人にどう見られるかっていうエネルギーを自分の内側、
つまり自分は今何を感じているか、何が心地よいかに向けることができる。
これが余白を生む第一歩なんです。
なるほど。
意識的にスマホを置いて散歩する時間を作るというのも一つの方法ですけど、
もっと根本的には自分の価値基準を外部から内部へと切り替える意識が重要だと読み取れますね。
なるほど。評価のゲームから降りるか。
優は優しいですけどすごく大事なことですね。
些細な喜びの発見
自分の内側に目を向けて自分を開放する。
でも一方でそれが行き過ぎるとただの自己満足というか、
自分勝手になってしまう危険性もあるんじゃないかと思うんです。
ああ、はいはいはい。
開放された自分が周りとの関係性を無視してしまったら、
それは生き甲斐と言えるのかなと。
素晴らしい問いですね。
それこそが三つ目の柱。
和と持続可能性がなぜ重要なのかという理由なんです。
生き甲斐は決して自分一人で完結する、閉じられたものではないんですね。
和と持続可能性。
自分の幸せが誰かの犠牲や環境破壊の上に成り立っていたら、
それは本当の幸せじゃない。
資料のこの問いかけは本当に確信をついているなと感じました。
ええ。ここで言う和の精神は単に周りに合わせるということではないんです。
自分の存在が周囲のコミュニティや、もっと言えば、
地球という大きなシステムと調和しているという感覚です。
例えば、地元の農家さんが作った野菜を感謝して料理する。
自分の仕事が誰かの生活を少しだけ豊かにしていると感じる。
環境に配慮した製品を選ぶ。
そういった行為を通じて得られる。
自分はより大きな流れの中で良い役割を果たしているという感覚。
これが自己満足で終わらないどっしりとした生き甲斐の土台になるんです。
先ほどの自分を解放すると、この和を重んじるって一見すると矛盾するより聞こえませんか?
ああ、なるほど。
自分らしくあることと周りと調和すること、そのバランスってどう考えればいいんでしょう?
下手をすると和を意識しすぎてまたこうあるべきっていう不自由さに戻ってしまいそうです。
そこが面白い点で、実はこの2つは矛盾しないんですよ。
ポイントは動機が恐れか愛かという点かもしれません。
恐れか愛か?
周りに合わせる同調圧力は嫌われたくない、浮きたくないという恐れから来ていますよね。
これは自分を殺す行為です。
はい、そうですね。
一方で生き甲斐における和は、自分も含むコミュニティや環境への配慮、つまり愛や敬意から生まれる能動的な選択なんです。
解放された自由な自分で積極的に和に貢献していく。
例えば、自分の好きを追求した結果、それが環境に優しい活動になったり、地域を盛り上げることになったりする。
それが理想的な形ですね。
自分を解放するからこそ本物の和に繋がることができるという逆説的な関係なんです。
なるほど、動機が違うんですね。
恐れからの同調ではなくて敬意からの貢献、すごくクリアになりました。
自分の生き甲斐が世界との調和に繋がっている感覚、それは確かに万弱な自己肯定感になりそうです。
さて、そういう大きな話から今度はまたグッと視点を日常に戻してくるのが4つ目の柱ですね。
ええ。
これも現代の成功一乗主義へのアンチテーゼのようですごく好きなんです。
些細な喜び。
はい。大きな目標達成の喜びは強烈ですけど、そう頻繁には訪れませんからね。
そうですよね。
その稀な喜びだけを心の支えにしていると、人生のほとんどが目標達成までの待機時間になってしまいます。
ああ、待機時間。
この柱はその待機時間こそが実は喜びの宝庫なんだっていう視点の転換を促しているんです。
資料にある具体的な描写がいいですよね。早朝のひんやりした空気の感触、お気に入りの器で飲むお茶の香り、道端に咲く名もなき花。
ええ、ええ。
そして、模擬さんの表現が力強い。これらは人生のスパイスではなく主食そのものだと。
まさに、これは外部の環境に左右されない最強の幸福の基盤を築くということです。
幸福の基盤と快増度
最強の幸福の基盤。
ボーナスが出たから嬉しい、昇進したから幸せというような報酬に依存した幸福は、その報酬がなくなれば消えてしまう。非常に不安定なものです。
確かにそうですね。
でも、お茶の香りに喜びを見出す感度は誰にも奪われない自分だけの資産です。日々の瞬間に喜びを見出す快増度を高めることが、ウェルビーングに直結するわけです。
感度の快増度を高めるですか。面白い表現ですね。実は最近、意識してスマートフォンの通知を全部切って通勤してみたんです。
おお、いいですね。
そうしたら、今まで全く気づかなかった駅のホームのタイルの模様とか、季節ごとに変わる風の匂いとか、そういうものにふと気づけるようになって、これが快増度を高めるってことかと少し実感しました。
素晴らしい実践ですね。それこそが生き甲斐の感性です。
同じ景色を見て同じコーヒーを飲んでいても、そこからどれだけの情報と喜びを汲み取れるかは、その人の快増度次第なんですよ。
そして、その快増度を高める行為、つまりタイルの模様や風の匂いに意識を向ける行為そのものが、まさに最後の柱につながっていくんです。
今この瞬間に意識を向ける、ということはいよいよ5つ目の柱ですね。今ここにあること、これがこれまでの4つの柱を束ねる中心的な概念になりそうですね。
その通りです。これまで話してきたことの、いわば到達点であり、同時に出発点でもありますね。
ここで提示されている対比が非常に本質的だと思いました。
未来の成功という報酬、つまりドーパミンを待つのではなくて、やっていること自体が報酬であるという状態。
私たちはつい、仕事でも勉強でも、これを乗り越えれば週末にご褒美が待っているとか、この辛い時期を頑張れば将来楽になるみたいに、未来のために今を犠牲にしがちじゃないですか。
そうですよね。
でもそうじゃないんだと。
ええ。
それが心理学で言うところの不老状態に非常に近い概念です。
不老状態。
時間間隔がなくなり、自我を忘れ、行為そのものに完全に没頭している状態。
過去の後悔や未来への不安から意識が切り離されて、エネルギーのすべてが今ここに注がれている。
そうなると、やっていること自体が喜びなので、外部からのご褒美を必要としなくなるんです。
不老状態って何か特別な、例えばアーティストとかトップアスリートだけが経験できるものだと思っていました。
ああ、よくそう思われがちですが。
でもそうじゃないんですか。
例えば普通の会社員が報告書を作っている時とか、親が子どもと遊んでいる時でも不老ってあり得るんでしょうか。
もちろんです。不老は行為の種類ではなく、その人の心の在り方によって生まれます。
そしてその状態に入るための鍵こそが、実はこれまで話してきた柱なんですよ。
なるほど。
例えば最初の柱、小さく始める。
完璧な報告書という未来の結果を案ずるのではなく、目の前の一文をこだわることに集中する。
そうすると、今ここに意識が向きやすくなる。
第2の柱、自分を開放する。
上司の評価という他人の視線を気にしているうちは不老には入れません。
子どものように書くという行為自体に夢中になる。
これらが私たちを不老状態、つまり生きがいの革新へと導いてくれるんです。
なるほど。だからバラバラのライフハックじゃなくて、全てが繋がっているんですね。面白いなあ。
ええ。小さく始めることが心のハードルを下げて、それがエゴから自由になる自分を開放することに繋がり、その結果として今ここにあることに没頭できる。
まさに資料にあった織物の比喩がしっくりきます。
一本一本の糸が絡み合って一枚の美しい布になっている。
本当にそうですね。そしてその織物が自分だけでなく和と持続可能性という形で社会や世界とも調和している。
さらに日々の些細な喜びがその織物に美しい色彩や模様を与えている。
そう考えると壮大な物語ですよね。
どこか遠くにある宝物を探しに行くのではなく、日々の暮らしという既にある素材を使って丁寧に自分だけの織物を紡いでいく作業。それが生きがいなのかもしれません。
いやー、腑に落ちました。特別な才能とか環境が必要なわけじゃないんですね。
まさに。ですからこの話を聞いて、よし明日から何か大きなことを始めようと生き込む必要は全くないんです。
はい。
むしろそれは合気街の考え方とは少しずれているかもしれません。
まずは今日の生活の中で何か一つ、例えば夕食後にコーヒーを入れるという行為にほんの少しだけ自分なりのこだわりを持って、そのプロセス自体を味わってみる。そこから始めてみてはいかがでしょうか。
いいですね。
その一杯のコーヒーの中に今日話した5つの柱の全てのエッセンスがきっと見つかるはずです。
その一杯のコーヒーが壮大な合気街の物語の始まりになるかもしれない。
さて最後にあなたの心に一つだけ問いをおかせてください。
明日目が覚めた時にあなたがただそれをするためだけに布団から出たくなるような小さく純粋な喜びは何ですか。
その答えの中にきっとあなただけの合気街が静かに息づいているはずです。