ポジティブ思考の罠
こんにちは、ディープダイブへようこそ。
今日のテーマはですね、多くの人が心のどこかで感じたことがあるかもしれない一つの矛盾なんです。
前向きでいなきゃとか感謝しなくちゃって自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、なぜか胸がこうギュッと苦しくなる。
まるで幸せになろうとすればするほど幸せから遠ざかっていくような、このちょっと不思議な感覚について深く掘り下げていきたいと思います。
今回、私たちが読み解いていくのは、村尾雅則さんという方がご自身の体験をつつった
私は幸せですと言い聞かせてきた、毒親育ちの真実という一本の記事です。
この記事が、単なる個人の体験談にとどまらないんですね。
なぜ無理なポジティブ思考が自分を追い詰めるのか。
そして幸せという言葉の捉え方をほんの少し変えるだけで、どう現実が力強く動き出すのかを解き明かしてくれるんです。
特にこれまでずっと周りのために大丈夫なふりをして生きてきたと感じているあなたにとって、これは自分自身を解放するための大切な鍵になるかもしれません。
ほとんどの人が幸せは心の持ちようっていう言葉を一度は聞いたことがあると思うんですよ。
はい、ありますね。
美しい言葉ですけど、同時に目の前の厳しい現実とのギャップに、私たちを苦しめるある種の呪文にもなり得る。
で、この記事がさくなか光を当てるのが、私たちが普段何気なく使っている幸せと幸福という2つの言葉の決定的ともいえる違いなんです。
ほう。
この視点こそが、長年抱えてきた生き苦しさの正体を解き明かす最初の糸口になるんですね。
では早速この記事の世界に入っていきましょうか。
記者の村尾さんは、ご自身のハイライト、毒親育ちだったとかなり正直に語っています。
ええ。
彼にとっての子供時代は、常に親の起源を伺って、場の空気を読んで、期待されている役割を完璧に演じることがもう生きるための絶対条件だったそうなんです。
うーん、本音を言えば、わがままだと否定されて、悲しいとかつらいっていう感情を出せば、お前が弱いからだと責められる、そんな環境だったと。
そういう環境で子供が生き延びるためには、やっぱり自分を守るための特殊なスキルを身につける必要があるわけです。
はい。
それが筆者の言う生存戦略ですね。
生存戦略。
ええ。彼は幼い心でこう学んだわけですよ。前向きで明るく良い子でいれば、親は機嫌を損ねないと。大丈夫なフリをしていれば、この家で自分の居場所を確保できるって。
その、大丈夫なフリが、彼にとっては鎧のようなものだったんですね。
まさに。
でも、すごく興味深いのは、その鎧が大人になっても脱げなかったっていう点なんです。
仕事がどんなに辛くても、人間関係に疲れ果てていても、心の中では、「いや、私は幸せだ。」とか、「こんなに良くしてもらってありがたい環境だ。」って必死に唱え続ける。
筆者はこれを、自分の心を守るための呪文だったと表現しています。
その呪文っていう表現は非常に的確だと思いますね。
心理学的に見れば、これは困難な環境に適応するためのペルソナ、まあ、外的事故を形成して、自分を守るための防衛規制が働いている状態なんです。
これは決して珍しいことではなくて、多くの人が無意識にやっていることなんですね。
なるほど。
ただ問題は、子供時代に自分を命懸けで守ってくれたその鎧とか呪文が、大人になった自分を、今は内側から締め付ける織になってしまうことがあるっていう点なんです。
鎧が織に変わる。それはどういうことでしょう?守ってくれるはずのものが、自分を苦しめるものになる。その転換点っていうのはどこにあるんでしょうか?
いい質問ですね。その転換点は、現実とのズレが、もう無視できないほど大きくなった時です。
現実とのズレ?
子供の頃は、親という住まい世界で通用すればよかった。でも大人は、仕事、社会、パートナーシップといった、もっと複雑な現実と向き合わなくちゃいけないじゃないですか。
そうですね。
その現実で感じる、辛い、苦しいっていう本音のサインを、私は幸せだという呪文で無理やり上書きしようとすると、心と現実の間に巨大な亀裂が生まれるんです。
ポジティブであらうとすればするほど、その亀裂は広がって、自分の本心が押しつぶされて、エネルギーが枯渇していく。
そして、自分を救った善意の呪文が、自分を蝕む呪いへと変わる瞬間ですね。
幸福を求めて
なるほど。だから、幸せを感じようとすればするほど、現実が少しも動かなくなるっていう壁にぶつかったんですね。
そういうことなんです。
感謝しよう、前向きでいようって心に言い聞かせても、現実の状況は何も変わらない。むしろ、自分の本当の感情とか、目の前の問題に蓋をしているだけだった、と。
ここで彼は、その停滞感の本当の理由を探り始めるわけです。
そして彼がたどり着いた革新的な発見、それが幸せと幸福は似ているようで全く違うものだ、という気づきでした。
正直、私もこの記事を読むまで、この2つの言葉をほとんど同じ意味で使っていましたね。この違いは本当に大きいですよね。
ええ、決定的と言ってもいいでしょうね。記事の中で筆者はこう定義しています。
まず幸せ、これは英語でいうところのハッピーに近い、あくまで主観的な心の状態、つまり感じ方そのものなんです。
嬉しいとか楽しいっていう感情の動きですね。
感じ方。
そして幸福、こちらの言葉には福という漢字が使われています。
この福がポイントなんですね。
そうなんです。この福とは筆者によれば仕事、与えられた役割、社会的な貢献、誰かの役に立っているという実感、他者とのエネルギーの循環。
ああ、もっと具体的なもの。
ええ、そうです。現実に存在する具体的で客観的な要素を指すんです。
つまり幸せが内面的なフィーリングであるのに対して、幸福は外面的な現実世界との関わりの中で生まれるもっと構造的なものだと。
うわあ、なるほど。その視点で振り返ると筆者の苦しみの原因がはっきりと見えてきますね。
ええ。
彼は心の中で必死に幸せを感じようと努力していた。
していたと。
でも彼の現実の人生にはこの具体的な福、つまり自分がこれをやっているから大丈夫だって心から思えるような役割とか実感、循環が欠けていた。
だからどんなに心に呪文を唱えても空虚な現実とのギャップが埋まらずに苦しかったんだと。
まさに。ここで非常に興味深いのはこの視点の転換がもたらす開放感なんです。
開放感?
ええ。これは内面に向いていた矢印を外に向けることを可能にする。
なぜ私は幸せを感じられないんだっていうこう自己批判的な問いから、私の人生には今どんな福が足りないんだろうっていう具体的で建設的な問いへのシフトが起こるんです。
なるほど。
もしあなたが今理由のわからない焦りとか停滞感を抱えているとしたら、それはあなたの感じ方が悪いとか心が弱いからとかいう問題じゃないのかもしれない。
それはあなたの人生という庭に福という名の栄養が不足しているというすごく重要なサインなのかもしれないのです。
感じ方の問題じゃなくて現実の問題だと。ああそう考えるとすごく楽になりますね。じゃあ具体的にどうすればその福のある人生を築いていけるんでしょうか。
記事によればその第一歩はまず捨てることから始まるんです。
捨てる?
ええ。つまり子供の頃からずっと握りしめてきた幸せでいなければならないっていう脅迫感念めいた思い込みをもう手放していいんだと自分に許可することです。
手放す。でもそれを手放してしまったら自分がなんかバラバラになってしまうような怖さはないんでしょうか。長年自分を支えてきた唯一の戦略だったわけですから。
その怖さこそが多くの人が次のステージに進めない理由なんですね。だから筆者は強調するんです。それは弱さを認めることではないと。
むしろかつて自分を守ってくれたその生存戦略に今までありがとうでももう大丈夫だよと感謝して卒業する儀式なんだと捉えるんです。大人になった今もう親の起源を取る必要はない自分自身の人生を生きる時が来たんだと。
なるほど。感謝して手放すんですね。そしてその空いたスペースに新しいものを入れていく。
そうです。
彼が提案する具体的なアクションが幸せを感じることにエネルギーを注ぐのをやめて自分にとっての幸福とは何かを自分で定義し直すこと。そのために自分自身に3つのパワフルな問いを投げかけることを進めています。
一つずつ見ていきましょうか。最初の問いはどんな時に自分のエネルギーが上がるのか。
これシンプルですけどいざ聞かれるとすぐには答えられないかもしれないですね。
そうなんですよ。
私たちは普段やるべきことに追われてやりたいこととか心が動くことを忘れがちですから。
おっしゃる通りです。長年自分の感情に蓋をしてきた人にとっては自分のエネルギーが上がる瞬間を探すこと自体がもうリハビリのようなものなんです。
それは別に壮大な目標じゃなくてもいい。
入れたてのコーヒーの香りとか好きな音楽を聞く時間とか誰かと何気ないおしゃべりをする瞬間とかそうした小さな回の感覚を取り戻すことが自分を理解する第一歩になります。
そして二つ目の問い。どんな役割を果たしている時に自分は生きている実感があるのか。
これはより福の定義に近い問いですね。
そうです。これは社会との関わり、他社への貢献についての問いですね。
幸せと幸福の区別
会社での肩書きとか母親父親といった役割だけじゃなくて、例えばチームのムードメーカーとか困っている友人の相談に乗る役とか。
ああ、なるほど。
ええ、誰もやりたがらない雑務を片付ける役といったもっと個人的で具体的な役割の中に生きている実感が隠されていることがあるんです。
自分が世界に対してどんな価値を提供できるのか、その原石を探す作業ですね。
そして最後の三つ目の問いが、自分は誰に何を渡したいのか。これはさらに一歩踏み込んだ感じがしますね。
ええ、これは自分のエネルギーと役割をじゃあ誰のために使いたいのかっていう方向性を定める問いです。
向かう先が定まると人生は羅針盤を得た船のように前に進む力を得ます。
この三つの問いへの答えを誰かから与えられたものじゃなくて、自分の言葉で定義し直した時、人生は少しずつでも確実に動き始めたと筆者は書いています。
リアクティブ、つまり環境にただ反応して生きるモードからプロアクティブ、自ら人生を能動的に作り出していくモードへの移行ということですね。
ええ、まさにそれです。
根拠なくきっとうまくいくって信じるポジティブシンキングとは全く違う。
これは自分という土壌を深く理解してそこにどんな種をまくかを決める非常に現実的な設計図作りなんですね。
まさにその通りです。そしてその設計図があるからこそ筆者が最終的にたどり着いた新しい人生の順番が意味を持ってくるんです。
その結論部分ですね。彼は構成にしています。
幸せは在り方である、そして幸福は結果であると、この2つをつなぐプロセスが非常に重要だと。
ええ、多くの人が間違えるのはこの順番なんですよ。
順番ですか。
まずいきなり幸福という結果を求めようとしてしまう。
良い会社に入れば、結婚すれば、お金持ちになれば幸福になれるはずだと。
しかし筆者が提示する順番は逆なんです。
まず1つ目、自分の在り方ビーングを整える。
さっきの3つの問いに答えて、自分がどう在りたいのか、何を大切にしたいのかという軸を定める。
はい。
で、2つ目、その在り方に基づいて行動をドゥイングする。
行動する。
すると3つ目、現実が少しずつ動き、変化が起きる。
そして最後にその結果、リザルトとして仕事や役割といった具体的な副が生まれ、後から幸福がついてくると。
在り方、行動、そして結果としての幸福。
この順番によって初めて、自己満足や単なる思い込みではない、エゴではない本当の幸福に近づけると。
このフレームワルクは非常に秀逸ですよね。
なぜなら、内面的な自己との対話、つまり在り方を整えることと、外面的な世界への働きかけ、つまり行動することの両方を見事に統合しているからです。
これにより、自分にとって決して良くない状況の中で、無理やり良い気分になろうとするという、いわゆる毒のあるポジティブさの罠を完全に回避できるんです。
本当の幸福とは、ただ心の中で願うものではなくて、自分らしくあり、そして行動した結果として自然と手に入るものなんだ、という力強いメッセージがここに込められています。
今日の話を振り返ってみると、無理に私は幸せですと言い聞かせる心の痛みから始まって、幸せという主観的な感情と、幸福という具体的な現実の結果を区別することの重要性を見てきました。
真の幸福を求めるステップ
そして、自分にとっての幸福を自ら定義して、正しい順番で人生を組み立てていく、という具体的なステップにたどり着きましたね。
アリス社は記事の最後に、同じような苦しみを抱える読者に向けて、こう語りかけています。
もしあなたが、私は幸せですと言い聞かせながら、どこか息苦しさを感じているのだら、それはあなたが弱いからでも、間違っているからでもありません。
ただ、子供時代の生存戦略を卒業し、次のステージに進むタイミングが来た、というだけのことです。
幸せをただ思い込む人生から、幸福を自ら作る人生。あなたにとって、今がその変化の時なのかもしれませんね。
そうですね。そして、それはあなたにとって非常に重要な問いを定義しますよね。
と言いますと?
私たちは、ふとした瞬間に、私って今幸せなのかなって、自分の感情をテストの点数みたいにジャッジしてしまいがちじゃないですか。
あー、してしまいますね。
でも、今日の内容を踏まえるなら、その問い自体が、もしかしたら自分を苦しめる罠なのかもしれない。
これからは、その問いの代わりに、こう自分に問いかけてみてはどうでしょう。
私は今日、自分の人生にどんな小さな福を想像しただろうか、と。
はい。
そして、夜眠る前に、明日は誰のためにどんな福を想像しようか、と。
その問いこそが、受動的に感情を待つ生き方から、能動的で創造的な人生へとあなたを導く、確かで力強い第一歩になるのかもしれない。