スーパーアイドルですよね、沢田健二さん。
この人が出てくるともう皆さん失神してもうプリンス中のプリンスでしたね。
今でいうと誰でしょうかね。
平野翔くんとかなんでしょうか。
目黒蓮くんなんでしょうかね。
それよりももっとすごい大人気だった人ですけれども、
沢田健二さんの時の過ぎゆくままにから。
という時の過ぎゆくままにですけどね。
名曲ですよね。
聞いたことあるかと思いますけれども、
タイトルもね、時の過ぎゆくままにっていう映画のタイトルみたいな。
聞いたことある?
さすが沢田さん。
ハクハクですね。
時の過ぎゆくままに世界なんですけど、
時に流されて生きていく感じのアンニュイな感じでしたよね。
時の過ぎゆくままにって流れに乗ってね。
その流れにおまかせって。
どちらかというとですね、
時に支配されている。
時の過ぎゆくままにというタイトルと変えてやるとかね。
時を止めてやるとかではなくて、
時の過ぎゆくままに流されて、巻き込まれていく。
もしくは過ぎ去っていってほしいというような、
昭和フォークの刹那を感じたんじゃないでしょうか。
昭和という時代は平成、非常に空気が強かったんだと思います。
時の力が強かった時代だと感じています。
皆さんは最近のフジテレビの問題はどう捉えてらっしゃいますかね。
結局情報文化がどうこうというふうに、
個人がどうこうというよりは、
そういう文化があり、それに抗えない。
そこで働く人たちは、
そういうことが仕事ができることでしょ。
そういうことが出世するってことでしょ。
という流れですよね。
空気の中で働いて、一生懸命やっていった人が、
時が経った令和になって、
あれちょっとおかしいんじゃない。
今から考えたらと言って、
ちょっと昔のことを言われているわけですけど、
どっちをかばうという気持ちではないんです。
流されていくというか、
どっちをかばうという気持ちではないんです。
それぞれが、
特に社員さんは、
そこまで悪気はないと思うんですよ。
私もちょっと近い世界にいたのでありますけど、
当時、
例えば接待とか飲み会っていうのが、
まだギリギリあった時代にいて、
そこでは何が評価されるかというと、
どれだけハメを外せるかということが評価されたんですよね。
みんなの時代はだいぶ違うと思う。
例えば、
飲めないのに一生懸命飲むとか、
吐くまで飲むとか、
自分の限界を超えて、
恥ずかしいことを言われてるわけですけど、
どっちをかばうという気持ちではないんです。
自分の限界を超えて、
恥ずかしいことをお客様にさらけ出せるというのが、
仕事ができるやつだというふうに言われてました。
なので、
別に情能文化云々ということに行かないまでも、
やりたいかどうか関係なかったですね。
お客さんが求めることが倫理的にちょっと、
プライベートではそれは僕はしないけど、
これが仕事なんだというふうに、
僕も社会人1年目に教わったというよりは、
空気を読みましたよね。
時を読みましたよね。
そういう時が流れてるんだな。
自分がそれをやりたいかやりたくないか、
倫理的にどうこうか関係なく、
こういう業界で働くということは、
そういう自分を投げ捨てて、
そういう時に揉まれ、
時に流されていくことができるのかどうかというのを、
著しく問われていた営業マンでした。
なので、ここで言えないような恥ずかしいこと。
僕、人に被害を加えるということはなかったですけど、
大人なのにそんなことやってるの?というような、
考えうる限りの恥ずかしいことを一生懸命やってきました。
それを後から言われると、
なんかかわいそうだなって思っちゃうね。
そういう頑張ってたのに、
その空気自体、その時の流れ自体が
よくなかったんじゃないのって言われると、
じゃあ違う時を流してよというふうに思うわけですけど、
何が言いたいのかと言いますと、
時に流されていく生き方、
みんながこうだからというマスメディアの時代、
みんながこれを価値観として尊重してるよっていう時代が、
例えば倫理観を超えていたとしても、
それに乗っかればよかったんですけど、
その時代が終わろうとしている節目なんですよね。
なので、時に流されてはいけませんよということでございます。
時に流されていくと、
結局は目的達成はできないということが、
現時点では皆さんはよくわかっているんじゃないでしょうか。
この時にどう対峙するのかということを、
今日は本当に時とは何か。
時を支配するためには、
時の正体を知らなくてはということを考えながら、
第一巻の朗読したいと思います。
時とは何かを考えながら聞いてください。
早口でいくので安心してください。
第一巻。
今日私は新しい人生を始める。
今日私は古い皮膚を脱ぎ捨てて、
全く新しい人間となる。
その古い皮膚とは長い間、
失敗を取るに足らぬつまらぬことの悩み、
傷跡だらけになった私の心の皮膚である。
今日私は新しく生まれ変わる。
私の生まれる場所は、
甘美な恵みの果実をもたらす、
大いなるブドウの畑である。
今日私は中でも一番大きく実ったブドウの草をもぎ取る。
それは知恵の実である。
それは幾世代にも渡って、
私と志を同じくする何人もの賢人によって、
植え育てられてきた英知の果実である。
今日私はそのブドウの実を味わい、
成功の種をしっかりと飲み込む。
それは私の中に新しい命の芽を生やし始める。
私は知っている。
私の選んだ道は素晴らしい成功への機会が待っているが、
同時に失敗の絶望にも満ち溢れていることを。
この失敗者の死体を積み重ねれば、
その影は地上のピラミッドをことごとく覆ってしまうに違いない。
しかし、それらのものと違って私は失敗することはない。
なぜならば、私の手には楷図があるからだ。
この楷図こそ、
昨日はただの夢であった彼方の成功の知恵、
危険極まりない海域を乗り越えて導いてくれるものだからだ。
成功を得るために苦難という代償を支払う必要はもうない。
自然が私の体に痛みという苦しみを与えてはいなかったように、
私の心には失敗による苦しみという痛みも与えられてはいないのである。
失敗による苦しみとは、私にとっては無縁の違法人である。
かつて私はそれを苦痛として受け取ってきた。
今私はそれを苦しみであると認めることをきっぱりと拒絶する。
なぜならそれは、無知の暗闇を抜けてて、
富・知・報復の陽光のもとへ導くための知恵と原理として
あらかじめ用意されたものだからである。
それを突破したとき、あのヘスペリデスの庭園の黄金のリンゴさえも十分とは言えないほどの莫大な報酬を私は手にするのだ。
確かに時は全てのことを教えてくれるかもしれない。
しかし人生の時はあまりにも短いのだ。
しかしまただからといって焦る必要はない。
時間は万人平等に割り当てられており、
しかも自然自身が焦って特別急ぐということは決してない。
私は待つという忍耐力も身につけなければならない。
あらゆる木の王様と言われるオリーブは生育するのに100年を要する。
一方ネギは9週間で収穫できる。
今までの私の人生はこのネギのようなものではなかったか。
私は到底このような人生に満足することはできない。
私は今巨大なオリーブの木になろうとしている。
すなわち偉大なる商人になろうとしているのだ。
ではどのようにしてこの願いを達しているのか。
私には大した経験もなく知識もない。
無知なるがゆえに何回となくつまづき、自己憐憫の思いの中で泣いてきた。
こんな私がどうやってこの大いなる目的を達しているのか。
答えは簡単である。
今すぐ出発する。
これが答えである。
事実、失敗者と成功者の間におこたわるただ一つの違いとは習慣の違いである。
良い習慣はあらゆる成功の鍵である。
悪い習慣は鍵のかかっていない失敗という名の部屋のドアのようなものである。
各して全てに優先して私の守るべき最初の方は次の世になる。
私は良い習慣を作り、自らその奴隷となる。
子供の頃、私は単に自分の衝動の虜であった。
しかし今は全ての成人がそうであるように、自分の習慣の奴隷である。
私の自由意志というものは、とっくに長年積み上げられた習慣の中に閉じ込められており、
私の過去の業績は既に定められている運命の道を歩まざるを得ないよう私の未来を強制しているのである。
私の行動は常に食欲、情熱、偏見、欲望、愛、恐怖、環境、習慣などによって規制されているが、
その中でも最も手に負えない冒険は習慣である。
それゆえに、もし私が習慣の奴隷にならざるを得ないのなら、良い習慣の奴隷になろう。
自分の悪い習慣は直ちに排除されなければならない。
そして新しく耕された土地に良い種を蒔くのだ。
私は良い習慣を作り出し、その奴隷となる。
しかしどのようにすれば、このような至難の技を達成できるのだろう。
それはこの巻物によって可能になるのだ。
私の人生から、悪い習慣を取り除き、成功へ導くための良い習慣をどのようにして身につけるのか。
法則に基づいて、私が始めるべき新しい習慣作りの第一は、この巻物を読むという行為である。
私は次のやり方で自分を鍛えていく。
それぞれの巻物は30日間かけて読み続けなければならない。
その読み方は次のようにする。
朝起きたらまず黙読する。
次に昼食を済ましたら再び黙読する。
そして一日の終わり、すなわち眠りにつく前にもう一度読むのであるが、この時は声を出して読むのである。
この音読することは最も大切な点であるから決して忘れてはならない。
翌日もこのやり方を繰り返す。
これを30日間続けるのである。
そして次の巻物に移り、同様にして30日間続ける。
このようにして私は全ての巻物と共に生活し、巻物を読むことは私の生活の一部、すなわち習慣となる。
このようにしてできた習慣で何が達成されるのであろうか。
この中には目的を達成するための秘密が隠されているのである。
言い換えればそれは目的達成のための力を得るということである。
毎日読み返していくと、巻物はついには私の思考意識の一部となる。
それは私のもう一つの心とも呼ぶべき場所に染み込んでいく。
私の理解し難い神秘的な力となる。
それは私に夢を作り出させ、しばしば不思議な行動を私に取らせるが、結局それは目的達成のための最短距離だったことが後からわかるといったような具合である。
そしてこの習慣が続けられていくうちに、私は不思議な力に目覚め始める。
朝起きるごとに、それまでに覚えたことがないような活力が体内にみなぎっているのを知る。
かつて夜明けのときに覚えた、あの漠然とした不安感は一掃され、やる気は増し、希望に燃え、世の人々と会いたくなる。
かつて私はこの世の中には争いと悲しみしかないと思っていた。
しかしその私が、今までに思ってもみなかった幸福な世界があることを知るようになる。
知らず知らずのうちに、私は日常生活の中で直面する出来事に、巻物の中に解かれている方法を持って対処している自分の姿を見出すようになる。
そして間もなく、それらの行動や反応が、ごく簡単かつ自動的に行えるようになる。
なぜなら反復された練習の効果は、いかなる行為も容易にするからである。
こうして新しい良い習慣は私のうちに誕生する。
なぜなら絶えざる繰り返しにより、その行為が容易になると、それを行うことが楽しみになるからである。
楽しみになるゆえに、私は自然にそれを繰り返し行うようになる。
何回も行うゆえに、それは私の習慣になり、そして私はその習慣の奴隷になる。
そしてそれは良い習慣であるゆえに、私の意思になるのである。
今日、私は新しい人生を始める。
私は自分の新しい人生の人間的成長を妨げるような行為は一切しないことをおごそかに誓う。
私は巻物を読むことを一日たりとも欠かさない。
なぜなら打ち鳴った一日は決して取り戻すことはできないし、また他の日をもってそれと取り換えることもできないからである。
私はこの習慣を破ってはならないし、また破るつもりもない。
またこの毎日の習慣を続行する労力などは、この習慣がもたらす成功と幸福の喜びを思えば取るに足らない些細なことである。
私は巻物の言葉を繰り返し読むとき、それらが簡潔であり単純であるからといって、軽んじてしまうようなことは一切しない。
ワインが作られるためには何千粒のぶどうが粒に絞られ、その絞りかさを鳥に投げ与えられる。
歳月をかけて作られる知恵の果実も同様である。
多くの物はあろかされ、そのかすは風の中へ投げ捨てられる。
残った純粋の真理のみが熟成され、ワイン、すなわち真実の言葉となって残るのである。
私は巻物に指示されたように、これを成功の種と一緒に一滴も余さず飲む。
今日、私の脱ぎ捨てられた古い皮膚は塵となって消えていく。
私は殺草と人々の間を歩いていく。
しかし、たぶん彼らは私に気がつかないであろう。
なぜなら、私はすっかり生まれ変わり、全く新しい人生を歩き始めた人間だからである。
1巻を読むのは今日までとします。
今日以降、2巻に取り組んでいきたいと思うんですけれども、
この週刊、世の奴隷になる。
そして私は成功するという話ですけれども、今日は時を扱っていきます。
じゃあ皆さん、ここで良い週刊にしていきましょうよということを読んでいるんですけれども、
現時点でどうでしょうか。
自分が目的達成、成功するということですよね。
目的達成を阻害している自分自身の悪い週刊、何があるでしょうか。
現時点で願ったこと、取り組んだことがすぐ全て叶ってしまう人は、これがないかもしれないですけれども、
なかなかそんな人はいないはずです。
この巻物によると、悪い週刊がまずそれを阻害しているということ、
この悪い週刊は良い週刊に置き換えることによってのみ更新することができるということは、
まず悪い週刊を特定しないと置き換えることもできないですよね。
悪い週刊、何でしょうか。目的達成を阻害している悪い週刊ですよ。
それ以外の週刊は別に良いも悪いもお好きにどうぞということですよね。
自分が何でもいいんですよ、目的達成はね。
こういう恋をしたいとか、こういう生活をしたいとか、こういうものを手に入れたいとか、
これを成し遂げたいとかね、こういうところに所属したいとかもそうですけどね。
はい、じゃあみんなの聞いていくとあれですけれども、
小西ちゃんは私の改めたい週刊は何ですか。
小西ちゃんでもそうなんですね。
7日間通じる携帯電話。
小西ちゃんでもついつい流されることがあるんですね。
これは目的達成の役には立っていなさそうだな。
千尋、最後の妥協。最後に妥協してしまうということでしょうか。
そういうことです。最後にもうちょっと追い込みをかければいいのに、やっぱり嫌ってなるというのがあるんです。
やっぱり嫌ってなる。そのね、自分の癖ですかね。最後メイクできないなというところですね。
いいとこまでいってもね、形にできないともったいないですよね。
小瀬さん、スマホをいじる習慣、どのくらいいじってます?
1日多いときだと何時間スマホをいじるという時間に使っているんですか?
気にしたことないです。
一番、もうやっちまったなみたいな、時間毒に捨てたなというときは大体何時間くらい捨てている感じがする?
ずっと家にいるときにスマホを、スマホをいじっている時間を短くすることによってスマホをいじっているのが悪かったりとか。
なるほど。これともう一個ずっと家にいる、活動しないということの掛け合わせで1日を終わってしまうと、目的達成から遠のいているなということを非常に感じるわけですね。
これはあるあるですよね、県大臣のね。
無駄なアプリの通知を取る。通知を取るというのはどういうこと?通知を受けるということ?通知が来ているのを見に行っちゃうという。
この時間が目的達成から遠のいていると。
スマホを表にしておく。これ悪い習慣なの。通知が見えちゃうから裏にしておくべきだ。
通知的になって表にしておくと通知が来たら見てしまうというようなことですかね。
皆さんはありますかね?
今日は具体的にはですね、私は日々この間紹介したようにこの巻物を読みながら毎日毎日自分の削除したい習慣と取り入れたい習慣、削除習慣、成功習慣として一個ずつ点検して入れ替えています。
皆さんもぜひまず一個は一番巨大なものですよね。
一番ここが詰まってたら次がいかないよというようなボトルネックになるような悪い習慣ってあると思うんですけれども、
ぜひ今日はそれを意識してそれをどのようにしたら置き換えられるのか。
一つが邪魔しなくなる時間の使い方とはどういうものなのかという時間にしてほしいなと思います。
すぐ脱線する、これやっぱりスマホ的なことですか?
人間なんでそうするんですかね?
こないだうちも引っ越しをしてたんですけど、引っ越しを詰めるときについついあそこで手に取って思い出なんかを読んじゃうとかね。
おいおいそういう時間じゃないよって思いながらも制御的なことをしちゃうってありますよね。
これ流されてる、時に流されてる感じがしますよね。
ぜひ書かないまでも一個念頭に置いてみてください。
目的達成を妨害している、阻害している悪い習慣。
これを持ちたくて持ってる人っていないと思うんですよ。
目的を達成したくない人っていないわけでしょ。
目的達成できないんであればまずそれを一個ずつ取り除こうということなんですけど、
じゃあこれ取り除いてくださいって言っても取り除けないんですよね。