ビゴツキの最近接領域
冒険家の皆さん、おはようございます。
今日もですね、落雷に揺られて灼熱の砂漠を横断していらっしゃいますでしょうか。
本日は2023年5月25日ですね。
インドでは午前8時36分を回ったところです。
今日も音声配信、むらスペを始めさせていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
今日お話ししたいのは、クラッシェンのiプラス1とiプラス1というものかな、これ。
ヴィゴツキーの最近接領域といつもの鉄則ということなんですね。
これを話そうと思ったのは、2つの理由があります。
1つの理由は、僕がいつもこの音声配信とかブログとかで、この2つの概念に関してよくしゃべることがあるんですけど、
実際にとっても近い概念だし、一応ちゃんと話をしておいた方がいいかなと思ったことがあるということと、
それともう1つは、このiプラス1あるいはiプラス1が具体的にはどういうことなんですかっていうのが、
クラッシェンご本人もあまり明確には定義していないので、
それがちょっと概念として分かりにくいということを時々聞くからです。
それでですね、僕なりの考えをちょっと話してみたいと思います。
まずですね、最初にVygotskyの最近接領域についてちょっと簡単に説明します。
これは英語だとZPDというふうに言われることもありますね。
どういうことかというと、要するに一人ではできないけど、他の人がサポートしてくれたらできることということですね。
つまりまず自分ができることがあって、その周りに自分のできない領域があるわけですね。
その領域にも、よく図で書いてあると、中心に自分のできることの領域があって、その周りにできないことがすごくたくさんある。
だけど、それを少しずつ広げていくことによって自分が成長するということですね。
つまり、自分ができる領域の一番近くにあることっていうのは、すぐ次にできること。
遠くにあることは難しすぎて全然できないことということですね。
自分ができることの領域のすぐ外側にあるのは、それは定義上自分ではできないんだけど、
誰か他の人のサポートがあれば、それができるようになるというわけですね。
このサポートのことをスキャフォールディングというふうに言ったりすることもあります。
これは日本語教師の皆さんだったら、日本語教育能力試験、日本語教育能力検定試験ですよね。
それとかにも必ず出てくるので、ご存知の方が多いんじゃないかと思いますけどね。
要するに、あんまり遠いこと、サポートがあってもできないようなことを頑張ろうとしても、それはちょっと無理なので、
まずは最近接領域ですよね。サポートがあればできること。
それを頑張って、それで自分のできる領域を広げていくことが大事だというふうにヴィゴツキは言っているわけです。
これは別に言語に限定した話ではなくて、教育全般に関わることです。
例えば算数とか、社会とか、いろんな他の科目でも多分当てはまることなんじゃないですかね。
僕はその辺は専門ではないのでよくわかりませんけど、
少なくとも言語に関しては、これはとてもよく当てはまることだというのは、
日本語教師の皆さんだったら、了解いただけるんじゃないかと思います。
クラッシェンのiプラス1
その次はクラッシェンの方ですけど、
このクラッシェンの方も基本的には同じ概念だと思っていいんですが、
だけどクラッシェンの方は一番大きな違いは、これは第二言語習得の話なので、
ヴィゴツキのような教育全般、教育というか発達とか成長の全般に
言われる話ではないというわけですよね。
これについては、オンラインで読める資料としては、
クラッシェンさん自身の論文が無料でログインとかもしないで読むことができます。
タイトルがPrinciples and Practice in Second Language Acquisition
こういうタイトルの論文ですね。
これで検索してみたらすぐに出てくるんじゃないですかね。
僕はどこかのリンクで開いたので、自分では検索してないんですけどね。
これも本当にさっきも言いましたが、
ヴィゴツキーの最近接領域の概念に非常に似ているわけですけれども、
要するに自分の言語のレベルよりも少し上のレベルの言語のインプットが
習得に必要だという概念ですね。
ただ、最初にも言いましたが、
iプラス1の明確な定義がない理由
このiプラス1っていうのがどのレベルなのかがあまり明確ではないんですよね。
それは明確には言えないのは僕はよくわかりますよ。
だって言語の習得っていうのは非常に多様で、
かつですね、段階的発達とかっていうのもあるけど、
そんなに明確に言語のレベルっていうのを定義するのはちょっと難しいからなんですよね。
つまり、ヨーロッパ共通参照枠のA1レベルの人がA2をやれば
それがiプラス1になるのかというと、そういうわけでもないと思うんですよね。
昔みたいに同じ教科書を使って、
それで全員が同じように習得の道を歩くことが可能だったら
そういうことももちろんできたかもしれませんが、
今は非常に多様な学習者が一緒に勉強していることもあるし、
あるいは別々に勉強していることもあるので、
そういう理由でこのiプラス1というのを明確に定義するのは難しいんじゃないかと思います。
ですけど、僕なりに定義してみると、
これが本当にいつも僕が言っていることと同じなんですけど、
理解語彙と使用語彙の違いっていうのを前にも言ったことがあります。
それが僕はiプラス1というふうに考えていいんじゃないかと思います。
つまり、まず理解語彙というのは分かるけど使えない語彙、
そうとは言わないかな、分かるのは全部理解語彙ですね。
それとは別に使用語彙というのもあります。
使用語彙というのは実際に使える語彙ですね。
なので、理解語彙と使用語彙の間にはすごく大きな違いがあるんですよね。
研究によっては、理解語彙が2万語ぐらいある人でも、
使用語彙は6千ぐらいしかないとかそういうこともあります。
その量の違いは本当に多様なので、
あまりこうですというふうには人には言えません。
それから人によっても違うわけですよね。
同じ人でも、僕のヒンディ語の数もどんどん毎日増えていますし、
毎日でもないかな。
とにかく僕のヒンディ語のレベルも日によって全然違うわけですよ。
ですから、人間の使用語彙はこのぐらいで、
理解語彙はこのぐらいですというのはちょっとなかなか難しいし、
しかもそれが第二言語習得の途上においては、
そういうことを言うのは全く無理なわけですよね。
いろんなレベルがあるからね。
だけど少なくとも、
使用語彙よりも理解語彙の方が多いというのは確かです。
なぜなら理解できていない言葉を使うことは無理だからなんですね。
それで今ちょっと思い出しました。
日本語だと「きっとうまくいく」というインド映画があって、
その中に語学の天才という人がいて、
その人はヒンディ語のネイティブスピーカーじゃないんだけど、
とにかく理解できないけど全部覚えるのはそういう能力があって、
それで理解できていないのに、
人に書いてもらった原稿を丸暗記してスピーチをできてしまうという、
そういう人が出てきましたので、
でもこれはフィクションの話だから分かんないですけど、
でももしかしたら現実にも理解できていないけどスピーチできてしまう、
使用できてしまうという人がいる可能性も全くのゼロだとは断言するのは、
ここでは控えておきたいと思いますが、
でも一般的には理解できていない言葉を使用するのは不可能なわけですよね。
なので少なくとも理解語彙の方が使用語彙よりも多いというのは、
一般的に言って事実だと断言していいのではないかと思います。
そしてこれが僕にとってはこのクラッシェンのいうiプラス1に該当すると言っていいんじゃないかと思います。
必ずぴったり重なるかどうかは分かりませんが、
少なくともこの多様な第二言語習得の状況の中にあって、
iプラス1とは何かと言われたときに、
まだ使えない言葉だけど聞いたら分かる言葉がありますよね、
それがiプラス1だと思って使えるようになるといいんじゃないですか、
というふうに言うといいんじゃないかと思います。
GPTとの使用方法
そこに出てくるのが本当にいつもの鉄則なんですけど、
チャットGPTを使うときには理解できない表現は使ってはいけないということですね。
チャットGPTがいろんなきれいな英文とかヒンディ語の文を出してくることがあります。
だけど自分が理解できない限り英文メールを相手に送るとか、
そこで出てきたスピーチを原稿をスピーチで話してしまうとか、
もっと単純に言うと、先生にそれを作文として提出するのもいけないと思います。
自分が理解できないものを、そうやって使用してしまうのはいけないわけですね。
その中に、だけど大体は理解できるんだけど、
いくつか理解できない表現があったとしたら、
例えば単語一つとか、日本語の場合は漢字一つとか、
それはそのときにちゃんと意味を調べて、
そういう意味だったらもっと自分の知っているこういう表現があるよねとして、
自分の知っている表現に書き換えて、その後で使えばいいわけですよね。
メールならメールを送信するなり、宿題だったら作文を提出するなり、
つまりその場で、繰り返しますが、その場で理解できない表現があったら、
そのときに意味を調べて、それを自分の知っている表現に言い換えて使うということですね。
そうやって繰り返していくと、次にまたChatGPTが同じ表現を出したときには、
人間って忘れっぽいものですから、それを必ずしも覚えているとは限りませんよね。
だけど、もし覚えていたら、あのときはまだ理解語彙には入っていなかったけど、
今は理解できているので、今度はこれを出してみようというふうに使ってもいいと思います。
でも逆に言うと、2回目同じ言葉が出てきたんだけど、また意味を覚えていなくて、
もう1回それを辞書を引くとかしなきゃいけないんだったら、それはまだ理解語彙になっていないので、
やっぱりもう一度、自分の理解できる語彙に書き換えて出すようにするといいんじゃないかと思います。
そういうふうにしていくことで、このヴィゴツキーのいう最近接領域とか、
このクラッシェンのいうiプラス1の概念に沿ったまま、
その言語習得というのを、その長い道のりを歩いていくことができるのではないかと思います。
エピソードの締めくくりと配信のご案内
それでは本日も「むらスペ」をお聞きくださいましてありがとうございました。
そういうふうにしていくことで、このヴィゴツキーのいう最近接領域とか、
感想とかコメントがありましたら、ぜひムラスペのハッシュタグ付きでご共有いただければと思います。
それでは本日も良い一日をお過ごしください。そして冒険は続きます。