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今日お話ししたのは、限りある時間の使い方という、こういう本のことです。
これについて本の中身をご紹介する前に、これは翻訳の本なんですよ。
オリジナルのタイトルが、元は英語の本なんですけど、オリジナルのタイトルが
4,000weeks という風になっています。要するに4,000週間ですね。
皆さん、例えば、時間割り1週間とかの時間割りあると思いますよね。 その1週間の時間割りの4,000倍の4,000週間があったら、どんなことができると思いますかね。
4,000週間、そうですね。 実は、4,000週間というのは、
平均的な人間の一生の長さなんです。それが4,000週間ぐらいだいたい。 それを考えると、4,000週間って聞いてね、皆さん長いと思うでしょうか。
それとも4,000週間って意外と短いなというふうに思うでしょうか。 じゃあね、もし長いと思う方は、
ハートマーク、短いと思う方は涙でリアクションしていただけますかね。 人の一生が4,000週間と聞いて、長いと思う人は
ハート、短いと思う人は涙でリアクションいただけますでしょうか。 僕はね、個人的には4,000週間と聞いて、あれ意外と少ないもんだなというふうに思いました。
だって本当に1週間なんてあっという間ですよね。 1回鼻筋やって、次の鼻筋やったらもう1週間ですから、それ4,000回やったら人生終わりっていうのはなかなか短いなという感じが実際しますよね。
僕もある時、いつぐらいだったかな、週末がいくつあるんだろうって考えてみて、 実はもうあと1,500回しか週末がないっていうことを聞いてちょっと考えてですね、
それちょっとかなりびっくりした記憶があります。 こうやって1週間で区切ってみると、本当に人生ってすごく短いなという感じがするんですよね。
あんまりリアクションないけど、じゃああれかな、4,000週間と聞いて、そんなに長くもないし短くもないという感じの人が多いのかもしれないですね。
じゃあですね、この本についてご紹介したいと思いますので、この本はそのもう1回タイトルを申し上げますと、限りある時間の使い方という本ですね。
これね、今年の6月22日に日本ではその翻訳版が出版されたばかりなので、まだかなり新しい本ですね。
262ページなので、まあそのくらいの量ということですね。翻訳の本としてはそれほど長い本でもないかもしれません。
著者はですね、オリバー・バークマンという人ですね。この人はイギリスのガーディアンという新聞の記者として、いろんな賞を受賞したりして、
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そういうかなりメジャーな方のようですね。この他に日本語に翻訳されている本としては、
ゲドクザイ、ポジティブ思考を盲信するあなたの脳へというね、こういう本も世界各国で読まれているということです。
本の価格は電子版、キンドル版が1683円ですけど、オーディブルも出てますね。2100円でオーディブルも出ているので、
僕はどっちにしろアンドロイドのトークバックという自動読み上げを使っているんですけど、それに400何十円か足すとオーディブル、人間の読み上げた音声を聞くことができます。
僕は電子版をそのトークバックで聞いて、走ったりジョギング中とか通勤中にこれを聞きました。
この本の中身についてなんですけど、端的に言うと一般的な日本人とイギリス人、少なくともこの人が一般的な時間間隔と考えていることと、僕が考えていることがだいぶ違うんですよね。
少なくともこの人の目に入っているのはイギリスのロンドンの風景だと思うんですけど、それと僕がいつもお付き合いのある、インド人だけではなくて日本人もたくさんお付き合いあるし、ハンガリーとかカナダとか住んでたこともありますけどね、
そういう僕のお付き合いのある人の中でも多分一般的だと僕が思っている感覚とも随分違うような気がしました。
いくつか引用してみたいと思うんですけど、基本的な背景として目標思考というのがありますよね。
いろんなことを準備して、要するに時間の使い方を、何かの目標のための準備とかそういうものに費やすのがあまり良くないというふうにこの人は考えていらっしゃるんですね。
いくつかそれにあたるところを引用してみたいと思いますね。
はい、じゃあ以下引用です。
でも本当は、余暇を無駄に過ごすことこそ、余暇を無駄にしないための唯一の方法ではないだろうか。
何の役にも立たないことに時間を使い、その体験を純粋に楽しむこと。
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将来に備えて自分を高めるのではなく、ただ何もしないで休むこと。
一度きりの人生を十分に生きるためには、将来に向けた学びや鍛錬を一旦一旦忘れる時間が必要だ。
怠けることは単に許容されるだけではなく、人としての責任だと言っていい。
はい、これで引用終わりです。
もう皆さんすごく良いこと書いてありますよね。
怠けることは許容されることではなくて、人としての責任と言っていますので、
もう言われなくても怠けてるよっていう感じの僕から見ると、
こんなに怠けることが悪いことなんだっていう、目標のために頑張るのが普通なんだっていう、
そういう考えが一般的だからこそ、
そのアンチテーゼというか反論として、そうじゃないんだよという意味でこういう本が書かれている。
しかもそれがですね、ウォールストリートジャーナルとかそういうところでもすごい絶賛されているっていうね。
そういうところに異文化というかですね、そういう感じを僕は非常に感じました。
こういうのを怠惰嫌悪っていうらしいですね。
ちょっと以下のところ、これも引用してみますね。
社会心理学者はそういう状態を怠惰嫌悪と呼ぶ。
何もしないことが嫌で仕方ないという意味だ。
ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは明朝、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神の中で、
こうした態度が現代人の精神の核心にあると主張している。
はい、これで引用終わりですね。
はい、怠惰嫌悪。
僕もね、気持ちはわかんないこともないんですけど、
怠けているとなんかそれが、なんていうんですかな。
正々堂々と怠けられないっていう気持ちは僕はすごくわかります。
だけどね、なんかね、多分日本人とか、あるいは僕、少なくとも僕が言う、
そういう感覚と、この本で書かれていることって、なんか質的にすごく違う気がするんですよね。
やっぱりね、僕日本人なんで世間体とかそういう感じがするんですよ。
なので、多分ね、でも僕だけじゃないと思うんですが、
一般的な日本人、平均的な日本人にとっては、
人目につかないところでゴロゴロしたり怠けているのって、
それほど自分の心の内からそれについて嫌だって多分思ってないと思うんですよね。
だけどそれを世間体とか、そういう意味で、
なんていうんですかね、それはネガティブに捉えられると思います。
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なんていうのかな、タイダなところがね、なんか怠けていると、
だって他の人がこの仕事をお願いします、あの仕事をお願いしますって言っているときに、
怠けていると、それはそういう、お願いしますって言ってくる人にちょっと申し訳ないですよね。
だからちょっと怠けているっていうのを、あんまりツイッターで書いたりとかしませんけど、
なんていうんですかね、でもこの本の著者の書き方を見ると、
それが欧米一般人とは分かりませんよ、イギリス人がそうだということも分からないけど、
少なくともこの本の著者は、なんかもっと内面的なところにこのタイダ嫌悪っていうのがあるらしくて、
そこがね、やっぱり少なくとも僕とはずいぶん違う気がする。
多分一般的な日本人ともずいぶん違う気がするんですよね。
そのためにですね、例えば、キリスト教とかは安息日っていうのがありますよね。
日曜日は何もしちゃいけないっていうのがあって、
これもですね、本当に僕の考えじゃなくて、もう主観ですよね、僕の感じ方とずいぶん違うなと思うのは、
例えば、バンゲリスが音楽を作った走る映画、
あれ?なんとかランナー?
ごめんなさい、ちょっとね、あれ何ランナーだっけ?
ブレードランナーではないです。
すみません、映画のタイトル忘れちゃいましたけど、
1900、何十年?20年くらいのヨーロッパで、
有名な大会が日曜日にあるんですよ。
オリンピックかなんかだったかな?
オリンピックに出場する陸上の選手がね、
それがその日曜日なので、安息日なので出場しない、
すごく速い才能もあるし、努力もしている人なんだけど、走らない。
そういう決断をするっていう人も、そういう映画がありました。
すみません、後で誰かツイッターでコメントしていただければと思います。
ごめんなさい。
炎のランナー、日本語で言うと炎のランナーだったと思います。
それにそういうシーンがあって、とてもびっくりしました。
この本にもですね、非常に面白いことが書いてあって、
ユダヤ人の人なんですけど、ユダヤ人街にある古い建物は、
金曜日の夜から土曜日の夜にかけてはですね、
エレベーターが全部自動で各界に停止するようになっているらしいんですよ。
なんでかというと、ボタンを押すのも仕事の一つだから、
暗測日にはエレベーターのボタンも押しちゃいけないんですね。
なので、そのためにしょうがないから、
全部の界に自動で停まるようになっているという風になってたりしてますね。
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ここが本当に僕にとってはとてもびっくりしたことでした。
それでこの本では、非目標性の活動というのを推奨しています。
要するに目標がなくて、その瞬間を楽しむための、
その時間を楽しむための活動ということですね。
これね、要するに趣味です。
という風に書いてある。
この本ではですね、こういう風に書いてあります。
目標性の活動をもっと日常的な言葉に言い換えるなら、
要するに趣味だ。
なんとなく安っぽくなってしまうので、
セティアがその言葉を使いたがらなかったのも理解できる。
という風に書いてありますけど、
要するに趣味とかに走っている人たちというのは、
目標志向ではないわけですよね。
それが好きだから本当にやっているわけで、
例えばですね、この本ではロッド・スチュワートというロックミュージシャンがいますよね。
それが彼がですね、すごく鉄道模型を趣味としてやっていて、
それが非常に素晴らしいと。
何でかというと、別に鉄道模型を作ることは全然、
それは少なくとも音楽の成功とは、
少なくとも直接的には全然関係ないですよね。
なので、だから少なくとも目標とは全然関係ない。
なのでこれが非目標性の活動、
つまり趣味としてこういうことをやっているのは素晴らしいと書いています。
でもやっぱりそういう風に書いていても、
ちょっとここも引用ですけど、
目標志向の僕たちにとって、
趣味に生きるのはなんだか居心地が悪い。
なんて書いてあるんですね。
なのでこの辺もですね、
たぶん一般的な日本人にとってはですよ、
例えばツイッターとかで、
趣味っていう言葉はそんなに使わないけど、
推し活動とかって言ったりするじゃないですか。
もう本当に推し活動っていうのは、
好きな芸能人のことをたくさん支援したり、
そういう活動のことを推し活動とか言ったりしますよね。
そういうのをツイッターとかにすごくたくさん投稿している人もいるし、
少なくともそれが恥ずかしくて悪いことだっていう認識は、
あんまり一般的な日本人の中にはそれほどはないと思うんですよ。
さっき言ったようにね、
僕みたいに実名でツイッターを書いている人間にとっては、
いろんな仕事が遅れている中で、
VRでゲームをやってますとかってちょっと書きにくいっていうのはありますよ。
あるけど、だけどそれって別に、
僕が心の底からそれを悪いことだと思っているわけじゃないわけですよ。
だから多分ね、もしアカウント分けて、
VRのゲームのことしかツイートしないような、
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そういうふうにしたらいっぱいそういうことも書くと思うんですね。
実際にツイッターではそうやってアカウントを分けて、
趣味アカっていうふうに言いますけど、
趣味のアカウントでそればっかり書いている人とかもいますよね。
だからこういう人も明らかに、
自分の趣味でね、
つまり目標的な、何かの目標のためにやる活動ではなくて、
その瞬間を生きるための活動を、
悪いことだとは思っていない。
そういう人がすごくたくさんいるっていうのは、
こういうことからもわかるんじゃないかと思います。
こういうのを見て、僕が思ったことは、
実はインドでもそうなんですけど、
生き甲斐っていう日本語がすごくもてはやされてるんですよね。
本屋さんに行くと、
すみません、ヒンディー語の方がまだ読めるレベルじゃないんですけど、
でもこの生き甲斐っていう本が、
一冊だけじゃないんですよ。平置きで何冊も、
何種類もこの生き甲斐の本があったりする。
本当にアルファベットでそのまま生き甲斐って書いてあるんですね、ローマ字でね。
なので、インドでもそういうのが結構人気があるんですよね。
でも、
生き甲斐って要するに生きることに価値がある。
生きるに値することっていう意味じゃないですか。
生きるに値することをやるっていうのは、
本当に当たり前すぎますよね。
なんでこんな当たり前すぎる概念に人気があるのかっていうのが、
僕にはちょっとよくわかっていなかったんですけど、
この本を読んで、なんとなくですね、
その背景がちょっとわかったような気がしました。
逆に言うと、
この本を素晴らしいと言っている人たちっていうのは、
そんなに目標志向なのか、
逆にびっくりしたという感じがありますね。
この本の本当に一番最後のところに、
何もしない瞑想っていうのがあるんですよ。
これを提唱しているのは、
神前ヤング、カタカナで神前ヤングって書いてありますけど、
これは日本で修行した、
イギリス人かアメリカ人かの英語圏の人なんですけどね。
本もね、まだ日本語の翻訳はないんですけど、
英語の本はたくさん書いていらっしゃいます。
瞑想とか、瞑想のことをたくさん書いている人なんですけどね。
この人が勧める何もしない瞑想っていうのがあるらしいんですよ。
5分間タイマーかけて、
10分でもいいって書いてあるんですけど、
椅子に座って何もしないんですね。
一般的な瞑想では、
自分の呼吸に集中するっていう風にしてるんですけど、
それもしない。呼吸に集中することもしない。
要するに何もしない。何も考えない。
もちろん何か考えちゃうんですよ。
どんどんいろんな雑念が出てきちゃうからね。
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それに気がついたら、もう落ち着いて、ただそれをやめると。
タイマーが鳴るまで、ただ座っているだけっていうね。
そういう瞑想をしていました。
これについて、ちょっと以下引用しますよ。
作家でアーティストのジェニー・オデルが言うように、
何もしないでいることほど難しいことはない。
それでもやってみる価値はあると思う。
何もしないことができる人は、
自分の時間を自分のために使える人だ。
現実逃避のために何かをするのはもうやめよう。
心を落ち着かせ、
自分だけの限られた時間をじっくりと味わおう。
これで引用終わりです。
これが最後の部分なんですよ。
瞑想自体は、僕は結構よくやるんですけどね。
その時は自分の呼吸に集中して、
それ以外のことは考えないようにするっていうことなんですけど、
それに比べると自分の呼吸にも集中しないと。
何か雑念が出てきたら、
まあしょうがないんですよね。
雑念はいっぱい出てきちゃうんですけど、
出てきたら、ただ雑念が出てきたなと思って、
それに気がついたらやめる。
そういうことなんですけどね。
5分やってみたんですけど、別に全然難しくないんですよ。
ただぼーっとしているだけじゃないですか。
呼吸に集中することをしないで、ただぼーっとしている。
雑念はどうしても出てきちゃうんだけど、
出てきたらそれをやめる。それについて考えをやめるっていうのを、
5分間タイマーかけてやってみたんですよ。
タイマーかけても音がしないんで、
目を開けてみたら、
時間が過ぎていた。
時間が鳴らす設定がうまくいってなかったみたいで。
なので、まだ5分経たないのかなと思ったこともなく、
普通に5分過ぎてたんですね。
そういう意味で、
この本は僕にとって、
そういう考え方の人がかなりいて、
こういう目標思考の人でね、
その目標のために準備をすることだけに、
時間を一生費やしてしまって、
そして、
そういう事実に苦しんでいる人たちが、
これだけいるのかっていうね、
そういう事ができたという意味で、
僕にとっては非常に役に立ちました。
なので、これを考えるとね、
皆さんが趣味を持っていたり、
あるいは推し活動とかね、
そういうのをやっている方というのは、
多分、こういう人たちから見ると、
すごく幸福な人たちなんじゃないかと思います。
別にね、来年のためにとか、あるいは来世のためにとかね、
刹那的に時間を楽しめるというのは、
とてもいいことなんじゃないかなというふうに、
僕は思いました。
そういう意味でも、これとても面白いので、
自分とは違う人たちが大量にいるということがわかるという意味でも、
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これはとても役に立つと思います。
それからもちろん、
何か目的とかそういうものに追い立てられているように感じている人には、
もちろん、
そういう人たちのために書かれた、
まさにそういう本なので、
とても役に立つんじゃないかなというふうに思います。
それでは本日も、
村スペにご参加くださいまして、ありがとうございました。
今日の限りある時間の使い方という本について、
それから僕が話したことについて、
何かご感想とかコメントとかありましたら、
ぜひ、村スペのハッシュタグ付きでご共有いただければと思います。
本日も良い一日をお過ごしください。
今日は鼻筋なので、
Zoomで皆さんにお会いできることを楽しみにしております。
そして、冒険は続きます。