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今日、お話ししたいのは、シュワーの世界を尋ねようという、こういう本ですね。
まずこれについて読もうと思ったのは、言うまでもないんですけど、皆さんご存知だと思いますけど、この本が日本語教師ブッククラブの本に選ばれたからですね。
日本語教師ブッククラブというのは、ツイッターで、ハッシュタグで日本語教師ブッククラブというハッシュタグをつけて、毎月一冊ずつ、皆さんで同じ本を読んで、その本の感想とかを共有するという、こういう活動です。
僕が投票とか提案とか、そういうものを担当してますけどね。
この日本語教師ブッククラブで、2022年の12月の本に選ばれた本が、この岩波ジュニア新書のシュワーの世界を尋ねようという本ですね。
今まで、ちょっと今こちらにいらっしゃる方にお伺いしますが、リアクションをお伺いしますが、日本語教師ブッククラブで、今月はまだ人少ないから始まったばっかりなんですけどね。
今まで一堂でもいいので、日本語教師ブッククラブで、何かこのハッシュタグ付きで投稿したことがある方がいらっしゃいましたら、ハートマークいただけますでしょうか。
まだないという方は涙のマークでお願いします。
どうかな。
ハートマークいただいております。ありがとうございます。
まずこの本について、最初に具体的なデータをご紹介するんですけど、タイトルは先ほども申し上げましたが、シュワーの世界を尋ねようという本ですね。
これは岩波ジュニア新書の本なので、多分ジュニア新書っていうのは大人向けなのかな。
もうちょっと若い世代向けの新書だと思うので、非常に読みやすい本ですね。
著者は亀井信隆さんという方ですね。
この後にも出てきますけど、ご専門は文化人類学で、アフリカの方の、特にアフリカの老の人たち、耳の聞こえない老の人たちを対象にした研究とかをよくやってらっしゃるようです。
今29個の評価が付いていて、このアマゾンではね。平均が4.2になっています。
定価は、Kindle版が852円、印刷版が902円となっておりますね。
本の長さが211ページで、発売日は2009年なので、もう13年ぐらい前の本になります。
これね、僕ね、実は手話の本は他にも読んだことがあって、ちょっと後にもご紹介しますけど、
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でもね、他の本とすごく違うのはですね、この本の著者が、さっきも言いましたけど、やっぱり文化人類学ということなんですよ。
文化人類学の研究者の人が、この老のね、老者の文化について学んできたという。
奥様が実は老者の方なんですよ。
それで、そういう意味では、もう本当に三予観察ということ、まさにそれができるわけですよね。
そういう特殊な立場の方、特殊な立場というのは、実際に家族が老者で、しかも文化人類学の専門というね、
そういう特殊な人が書いたという意味で、他の手話に関する本とはちょっと違うというところがあるんじゃないかと思いますね。
それね、一番最初の前書きのところに書いてあるので、以下引用してみたいと思います。
この本では手話と老者の文化について学んできた、一人の耳の聞こえる文化人類学者である私が、初心者の皆さんのためのガイド役を務めます。
皆さんがより良く理解を進められるように、文化人類学が得意とする異文化理解のコツも合わせて紹介しながら進めていきたいと思います。
以上ですね、引用ね。なので、ここにも書いてありますように、この老者の人たちですね、そういう世界について学ぶだけではなくて、
文化人類学のやり方とかね、そういうことについても学ぶことができます。
もちろんね、専門にしている人から見たらごく基本的なことなんだろうと思いますけど、
僕みたいに全然そういう部外者から見ると、すごく両方とも勉強になりますね。
ここからは、僕にとって学びがあったことだけをちょっとご紹介したいと思うんですけど、
まずですね、この手話とか老の本を一冊も読んだことがない人は、もっともっとたくさんの学びがあると思いますね。
ここはもうあくまでも僕が自分の、すいません、本当に申し訳ないんですけど、
自分のためにちょっと面白いなと思ったところをちょっとご紹介しておきたいと思いますね。
まずね、一つは、やっぱり世界の見え方が全然違うっていうことなんですよね、当たり前ですけどね。
特にね、その中の一つは、南朝社っていう人たちですよね。
それを定義付けからもちょっと違う、ちょっと以下引用しましょうね。
南朝社というカテゴリーも、日本語では聞こえづらい人という聴力に重きを置いた意味を持ちますが、
手話の世界では聞こえないが手話話者ではない人という手話からの距離を測った見方になります。
このあたりは、老者と長者の分類の仕方がずれているところです。
はい、引用終わりですね。
つまり、音声の日本語だと、音声とかね、文字の平仮名、漢字とかの、
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そういう僕たちが使っている日本語だと、手話ができるかどうかには関係なくて、聞こえない人はみんな南朝社ですよね。
だけど、老者の文化の中では南朝社というと、そういう聞こえづらい人の中でさらに手話ができない人というね、
そういう意味が加わるということですね。
なので、同じ言葉でも、属している世界によってちょっと意味が違ってくることがあるということがありますね。
あとね、ちょっとびっくりしたことの一つは、日本の学会の中で手話だけが公用語になっているというね、
そういう学会があるんだそうですよ。
ちょっとこれも以下、引用しますね。
日本には手話を公用語として運営されている学会があります。
特に老子研究を進めている日本老子学会は、日本手話のみを公用語とする唯一の学会で、
記帳講演、発表、詩会、詩継、奏会、懇親会、すべてが手話のみで進められる学会です。
これで引用終わりです。
つまり、僕みたいに手話ができない人がここに来ると、もう全然訳がわからないという、そういう世界なんですね。
でもね、これをメジャーな言語でこういうことをすると、ちょっと僕はすごく排他的で嫌な感じがしてしまうんですけど、
やっぱり手話というのが日本の社会の中でね、日本手話というのがマイノリティであることは、それは事実として間違いないので、
マイナーな言語の話者がこういうことをするのは、つまり一見他の人を排除しているように見えるけど、それはもうあっても僕はいいと思っています。
やっぱりマジョリティによって萎縮させられてしまうという、そういうデメリットがどうしてもあるんですよね。
それがマジョリティの言語も公用語にしてしまうと、なのでこういうことも僕はあってもいいと思います。
あとね、もう地理的に一つの島がですね、同じように公用語というか、みんなが手話が使える島があったというのがあるんですね。
はい、ちょっとここも引用してみますね。
はい、以下引用です。
アメリカの東海岸、マサチューセッツ州に、マーサズビニヤード島という漁業で知られていた島があります。
ここは生まれつき耳の聞こえない人が多く生まれる島でした。
そして耳が聞こえる、聞こえないに関わらず、島民の多くが普段から当たり前に手話で話していたというのです。
はい、これで引用終わりですね。
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これはですね、ノーラ・グロース、みんなが手話で話した島っていうね、こういう本に載っているそうですね。
これはもう本当に知らなかったのでとても驚きました。
あとね、グラハム・ベル、電話の発明家として有名なグラハム・ベルですけど、これがですね、本人は善意でやっていたと思うんですけど、ちょっとねとんでもない一面があったみたいで、これについてちょっと以下引用しますね。
はい、ちょっと長いですけど引用します。
グラハム・ベルのことですね。
ベルは、老舎は口語法教育を受けることで音声言語を話せるようになるべきだという信念に基づいた活動をしていました。
そして老舎同士が結婚すると耳が聞こえない子供が生まれることがあるため、その出生を根絶しなければならないと考えます。
例えば、老学校で老舎の男女が知り合うと恋愛して結婚してしまうので、それを防ぐべきだという論文まで書いています。
彼は、老舎という人々はなるべくこの世に生まれない方が良いという優生思想、障害や病気を持つ子供が生まれないようにし、人間の生物学的な改良を目指す思想を積極的に唱えていたのです。
聴者たちの世界史では、ベルは電話の発明師という偉人として有名です。
確かに電話は耳が聞こえる人たちに多大な恩恵をもたらしました。
しかし、老舎の間では老舎と手話を否定する思想を世に広めた人物として、むしろ悪名の方で有名なのです。
はい、こういうふうに書いてありますね。
これもちょっと本当にびっくりしました。
もう一つの意味としては、老舎にとっては別に電話発明されたからって、それ全然、老舎にとっては何のメリットもないので、
そういうプラスの面が評価されないというのはもちろんあると思うんですけど、
でもそれだけじゃなくて、こういう優生思想みたいなね、そういうのがあったというのはもう僕は全然知らなかったので、
そういうふうに評価されている人なんだなというのはちょっとびっくりしました。
はい、あとね、
これね、今たぶんここにいらっしゃる方は日本語教育の関係の方がほとんどなので、
語学教育とマイノリティとの関係についてね、
考えさせられる部分がもう本当にすごくあります。
ちょっとね、ここも、
ちょっとここ大事なんで引用してみますね。はい、以下引用です。
交互法の老教育の発想は必ずしも老舎を痛めつけようという悪意によるものではありません。
むしろ老舎は音声言語を話せた方が社会の多数派の長者と話ができて幸せになるだろうという善意に基づいています。
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ただし、見落とされていた重要な点がいくつかあります。
一つはこのような交互法を良かれと思って推進するのは、いつも耳が聞こえる教育者や親たちだということです。
特に自ら手話を話すことができない長者たちが交互法を指示しました。
老の教育者や生徒たちが手話で話し合う中で、やっぱり手話はやめて交互法にしましょうと決めたことは世界史の中で一度もありません。
はい、これで言い終わりです。
すみません、交互法というのをちょっと説明するのを忘れましたけど、
交互法というのは要するに手話ではなくて、特診術というのでしたっけ、唇を読むやつですよね。
耳が聞こえなくても、長者の唇を読んで相手が何を言っているのかを想像して、
かつ自分でも自分の耳では聞こえないけど頑張って声を出すという、そういうコミュニケーションの方法ですね。
それの方がいいというふうに一般の長者は考えるんだけど、老者の方はそれにはかなり限界もあるので、そういうものは望んでいないと。
老者の本人たちはそれを手話をやめてそっちにしようというふうにしたことは一度もないということが書いてあるわけですね。
この他にもいくつかいっぱい引用したいところが実はすごくあるんですけど、
手話が国の公用語になっている、法律で定められている国というのがもうあるって言うんですよね。
フィンランドとウガンダ。ウガンダがね、これちょっと実は理由がよくわかんないんですけど、
他の場所でもウガンダが手話の普及については先進的な例として挙げられている例がありました。
少なくともフィンランドとウガンダはもう1995年ですよね。今から30年近く前にもう憲法に手話が明記されてあるということなんですね。
あと他にも南アフリカとかスウェーデン、ニュージーランド、そういうところで公用語として法律で認められているということが書いてありますね。
あとこの本の著者の亀井さんは、亀井さんにとっては手話というのは第二言語なわけですよ。
なのでこの人がどうやって第二言語である手話を身につけたかということとかね、
こういうところも日本語教育の関係者にとっては面白いんじゃないかと思います。
あとこの人の奥様が老舎であるということは前にも書きましたけど、
参考文献のところに秋山奈美さんという方が奥様らしいんですね。配偶者の方ですね。
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秋山奈美さんと今回ご紹介している本の著者の亀井信隆さんの教著で手話でいこうというそういう本があるんですね。
これについてこの著者の亀井さんが老舎と長舎の本音のバトルを読みたいならこの本を紹介していますね。
これもやっぱりご夫婦で一人が老舎で一人が長舎というそういう関係だから、
そうでもないとなかなか本音のバトルなんてなかなか書けないと思うんですよね。
なのでこれすごく面白そうな本なんでちょっと僕は読んでみたいと思いますね。
あともうちょっと最後にいくつか僕の個人的な考えをちょっと話しておきたいんですけど、
まず僕中学校の時に本当に何でか理由を覚えてないんですけど、
地元の公民館の手話教室に父と二人で通ったことがあります。
それはもう本当にそんなに大した回数ではなくて、
多分10回あったかないかとかそのぐらいだったと思うんですけど、
僕にとっては初めて耳の聞こえない人とコミュニケーションをする機会になりましたね。
特に差別的という自覚は全然なくても、
本当に驚いたのが普通の人だというのが本当に驚きましたね。
だからそれまですごく差別的な偏見が先入観とかあったんだと思うんですけど、
手話で冗談とかも言うし、感情も豊かだしね、
それで耳が聞こえないということ以外は本当に全然全く僕たちと変わらないというのに正直驚いたという、
そういう感想がその印象がありました。
それはあくまでも無知な中学生、田舎の無知な中学生はそういう偏見とか先入観を持っていたということですね。
あとはそれからはほとんどあまりまた縁がない時代があって、
もう1995年ぐらいですかね、
愛していると言ってくれという豊川越二と時は高子のドラマがあって、
その時に見たということと、
あとは本当にですからこれは誰でも見ているようなすごく有名なドラマなんですよね。
なので全然特別ではないんですけど、
本を読んだのは手話を生きるという本ですね。
これが2016年なんですけど、手話を生きる。
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少数言語が多数派日本語と出会うところでっていうね、
この本を読んだのが僕にとってはもうすごい衝撃的でした。
本当にびっくりしました。
ミラノ会議っていうのが出てくるんですけど、この本にはね。
この手話を生きるで僕はこのミラノ会議っていうのを初めて知ったんですけど、
このミラノ会議については今回の手話の世界を尋ねようというね、
日本語教師ブックラブの対象になっているこの本にも出てきます。
このミラノ会議っていうのがさっき出てきたその口語法ですよね。
手話をやめさせて音声の聞こえない人に音声でのコミュニケーションをさせるっていうね。
それを国際会議で決めたのがミラノ会議っていうことだったんですね。
これによって本当に手話は禁止されて、
もう本当に手話で話そうとしている人のですね、
手を縛って手話できないようにしたりとか、
あるいはその方言札みたいなのありますよね。
そういう感じで私は手話を使いました悪い人ですみたいな、
そういう札をぶら下げられることになるとかそういうのがあって、
実際この手話っていうのは一つの言語で、
言語っていうのは単なるコミュニケーションの道具であるだけではなくて、
考える言語でもあるわけですよね。
なので言語そのものが奪われてしまって、
それで本当に複雑な思考とかができないまま、
一生を終わっていく人が本当にもう何万人もいたというわけなんですね。
その結果のことを考えると、
このミラノ会議で決められたことは本当にドイツのナチスがやったホロコーストに近い、
というかホロコーストだったというふうに書いてあるんですよ。
この手話を生きるという本でですね。
こういうことは本当に僕は全然知らなかったので、
すごく本当に衝撃的でした。
今回この本を、この手話の世界を尋ねようという、
この本にもこのミラノ会議のこととか書いてあるので、
そういう意味でも、
もし今回初めてこういう手話に関する本をお読みになった方がいらっしゃいましたら、
すごく衝撃的なところはあるんじゃないかなと思いますね。
世界が全く違って見えるようになってくるんじゃないかと思います。
すみません。時間も大幅に過ぎておりますので、
今日のムラスペはこの辺までにさせていただきたいと思います。
最後にまたちょっとリアクションを聞いてみますが、
リスナーの皆さんで、
まずこの本を買うかどうかはともかく、
この本の無料サンプルですよね。
無料サンプルをダウンロードしてみたいという方がいらっしゃいましたら、
ハートのマークをいただけますでしょうか。
ちょっとまだ自分には縁がないかなという方は、
涙のマークでリアクションをいただければと思いますが、
いかがでしょうか。
それでは本日もムラスペにご参加くださいまして、
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ありがとうございました。
ハートマークをいただいております。ありがとうございます。
すごく安いし、
だけど世界の見方が変わるような本だと思いますので、
本当におすすめだと思います。
ありがとうございます。ハートマークをいただいております。
今日の亀井信長さんの手話の世界を尋ねようという、
この本について僕が喋ったことにつきまして、
ご感想とかコメントとかがありましたら、
ぜひムラスペのハッシュタグ付きでご共有ください。
僕の話したこととは別に、
この本そのものについて何か感想がありましたら、
日本語教師ブッククラブのハッシュタグ付きで
ご共有をいただければと思います。
それでは本日も良い一日をお過ごしください。
そして冒険は続きます。