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今日お話ししたいのは、「みんなが手話で話した島」なんですね。
実際にそういう島があったんですよ。
これを話そうと思ったのは、日本語教師ブッククラブで、今読んでいる本が
「手話の世界をたずねよう」という本なんですけど、
この本に、このみんなが手話で話した島が出てくるんですよ。
もちろん、手話と日本語教育の関係という意味でも、
音声の言語が使えない人が対象になっているという意味では、
要するに、その場でマジョリティが使う言語が共有されていないという意味で、
日本の国内での日本語教育とはかなり共通点がある話だと思うんですよね。
手話の人の支援というのはね。
そういう意味でも、ちょっとこれを読んでみたいと思いました。
じゃあ、まず最初にリアクションをお願いしたいんですけど、
老和者の知り合いの人、有名人とかじゃなくて、個人的な知り合いで、
老和者の人、耳が聞こえなくて手話でコミュニケーションをしているような人ね。
そういう人の知り合いというか、名前を知っているぐらいで知り合いの方がいらっしゃる方、
もしいらっしゃいましたらハートマーク、なかったら涙のマークでリアクションいただけますでしょうか。
老和者の名前を知っているレベルで、
あ、ハートマークある、はいはい。
涙のマークもありますね。涙のマークもう一回来てる。
今見たところだと涙のマークの方が多い感じですね。
やっぱり涙のマークが多いですね。
そうなんですね。
多分僕もね、昨日のブラスペでも話しましたけど、
老和者の先生から手話を習ったことがあります。
中学校の時に。でももう名前を覚えていないので。
正直僕もですね、名前を知っているレベルの知人で、
手話の老和者の方はいないんですね。はっきり言うとね。
でもそれとは全然違う世界があったわけですね。
かつてその一つの地域として。
それについて今日はお話ししてみたいと思うんですね。
これはですね、
この日本語教師ブッククラブに出てくる手話の世界を訪ねようですね。
この本に出てきて、しかもそれがタイトルになっているんですよ。
みんなが手話で話した島っていうのが、早川文庫ノンフィクションで出ていて、
しかもそのKindleでも読むことができます。
この著者はノーラ・エレン・グロースさんという人ですね。
今21個の評価がAmazonではついていて、そのうち平均が4.5になっています。
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なのでかなり評価高いと思いますね。
Kindle版は1069円。
印刷版の文庫版ですね。
これが1188円になっています。
Amazonの商品ページから引用してみますね。
以下引用です。
あの人たちにハンディキャップなんてなかったですよ。
ただローというだけでした。
本文より。
アメリカのボストンの南に位置するマーサズ・ビニヤード島。
島は島ですね。
今やオバマ元大統領ら多くの著名人が別荘を構える風光明媚な観光地として知られるこの島では、
20世紀初頭まで遺伝性の聴覚障害のある人が多く見られた。
ここでは聞こえないに関わりなく、
誰もがごく普通に手話を使って話していた。
耳の聞こえない人も聞こえる人と同じように育ち、
社交し、結婚し、生計を立て、政治に参加した。
文化医療人類学者である著者グロースは、
現地に赴き、島民みんなが手話を使って暮らしていた時代を知る多数のインフォーマント、
情報提供者の証言を丹念に採集し、
過去の科学的研究資料とオーラルヒストリーを照らし合わせながら、
島の社会文化の来歴を解き明かし、
当時の生活やコミュニティを活者する。
障害言語、そして共生社会とは何かについて深く考えさせる、
文化人類学者によるフィールドワークの近似等。
ここまでですね。これが商品ページに書いてあることです。
文化人類学者による本、しかも手話が対象という意味で、
そこも今月の手話の世界を尋ねようですね。
今月のブッククラブの本、これにも非常に共通するところですね。
だけど時代と場所が特定されていて、
しかも非常に特徴のある地域についての研究がこの本です。
本の長さは251ページですね。
発売日が2022年の10月4日なんです。
つまりわずか2ヶ月前ですよ。
だけど実はこの本は1991年だったかな。
30年前に出版されて、その後ずっと絶版になってたんですね。
だけどそれが本当に30年ぶりに出版されて、
しかもそれがKindleで読めるし、
しかもそれが日本語にも翻訳されているという、
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とても素晴らしい機会だなというふうに思っています。
ここからはですね、僕が面白かったところをまた引用してみたいと思います。
面白いというのはハイライトして残しておいたところですね。
まずね、この人たちはまだ電話とかはあったのかな。
電話が普及する前ですね、グラハムベルトがまだ出てくるので。
要するにインターネットは当然ないし、
非常に孤立している環境だったようだということですね。
例えば3キロ隣の町のことを全然知らないとか、
興味がないなんて言っている人も出てきます。
なので、もしかしたらこの島の外では、
普通は老和者というのはそんなには目に入らないんだということを知らなかったのかもしれない。
というふうに僕は思っています。
今ね、さっきも聞いてみたら、
名前の知っているレベルでは老和者の人はいないというふうに、
一人だけ知っている人がいると言っていたけど、
他の人はみんな知らないというふうに回答されていました。
それが普通だと思うんですよ、一般的な世界ではね。
だけど、この島の人たちはあまりにも普通だったので、
世界はそういうものだと思っていたのではないかと思うところがいくつかあります。
こういうふうになった理由というのは、
元はこの島に移住した人がイギリスのケントという、
ケント州というところから来た人が多かったんですけど、
そこの人たちがもともと老和者の遺伝子を持っている人たちが多くて、
その人たちがコミュニティごとアメリカに移住して、
特にこの島を開拓したわけなんですね。
こんなふうに書いてあるところがあるので、一つ引用します。
私はこの研究のために、
既婚者の家庭を1700年の終わり頃まで遡ることに成功したが、
そこに登場する人物の96%は既に親類関係にある相手と結婚している。
以上ですね。
つまり老の遺伝子を持っている人たちの集団がいて、
その集団の中だけで結婚していたので、
かなり非常に高い確率で老の人たちが生まれていたということですね。
しかもそれが島ですから、
外部とちょっと隔絶、孤立しているそういう環境で、
そういう世代が進んだので、
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それで余計老の方が多かったということなんですね。
かつ老の人が差別されて社会的に成功できないような環境だったら、
どうしても進化の過程で老の遺伝子がなくなっていくということがあったと思うんですけど、
ここはそうじゃなかったんですね。
老であることが全然不利にならないどころか、
むしろ老の人の方が強要があるという状況だったんですよ。
ちょっとこれをご紹介してみたいですね。
ちょっと待ってくださいね。
どこだったっけ。
ちょっと以下引用します。
ハートフォードという学校があるんですよ。
そこは老和者の人が行くところだったんですけど、
ちょっとそのことについて以下引用しますね。
ハートフォードの在学期間は5年間が望ましいとされていたが、
マサチューセッツ州の老の学生は、
親の経済状況に関わりなく10年まで期間を延長することができた。
ハートフォードの学校に入ったマサチューセッツ州の住民のほとんど、
この中には実質的にビニヤード等の老者のすべてが含まれるには、
州政府から助成金が支給されていたからである。
こうしてビニヤード等の老者の教育課程は、
多くの場合、県庁の隣人のそれより高いものとなったのである。
ちょっと以下、少し中略しますが、続いて引用です。
老者のことはみんなよく覚えています。
老者は読み書きができました。
人並み以上の教育を受けていたので、
当時としてはかなりの物知りだったと思います。
数名のインフォーマントの証言によると、
教育程度の高くなかった県庁舎の中には、
老者のところに行って新聞記事や法律文書の意味を尋ねる者もいたという。
はい、ここまで引用ですね。
つまり、普通は5年しか勉強しないところを、
老和者の人は10年間勉強できたわけですね、
その州のお金でね。
なので普通の人よりも教養が高かったので、
むしろ老和者の方が有利な状況がたまたま生まれていたわけですね。
かつ人数とか割合もすごく高かった。
そういう状況なので、
適者生存で老和者の人たちが遺伝子が残らないという状況もなかったのではないかと思います。
面白かったのは、
貧民救済農場というのがあるんですね。
要するにお金がなくて困っている人に家とかを提供して働いてもらう、
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そういうところですね。
そこに入っていた人の名簿が残っているんですけど、
そこには老和者の名前が一人も記載されていないというんですね。
それどころか、
貧民救済農場の管理委員会の委員の中に、
複数の老和者の人が任命されたり選出されたりしているということなんですね。
つまり老和者の人は貧しくて救済される側ではなくて、
救済する側の方に老和者の人たちが入っていたということなんです。
あと、この本は第二言語習得の例としても非常に面白いです。
ちょっと以下引用しますよ。
要するにみんながしゃべっている、みんなが手話できるから自然に習得しちゃうということなんですよね。
ちょっと以下引用です。
冬眠はもちろん冬に寝る方じゃなくて島の人たちですね。
冬眠は子供時代に手話を習得した。
県庁の、県庁は健康に聞くで耳が聞こえる人たちですね。
県庁の子供や老の子供の手話習得方法を尋ねると、
どのインフォーマントも子供は英語を覚えるときと同じように、
成長とともに自然に手話を覚えてしまうと答えた。
家の中で老者と暮らしていると、見よう見まねで手話を覚えてしまうのだと言う。
これは大勢の人が証言するところである。
それからちょっと中略して少し飛びますけど、また引用です。
インフォーマントの中にきちんとした形で手話を習った者は一人もいなかった。
次はカッコつきですね。
それはどう言ったらいいんでしょうか。
おそらく本能のようなものだったと思います。
手話を覚えないわけにはいかなかったのです。
いつでもどこでも手話を目にしましたからね。
島西部の住民は必ず手話を覚えなければならなかった。
手話はどうしても身につける必要がありました。
みんなが手話を知っていました。
手話を知らないではここでやっていけなかったのです。
ここまで引用終わりですね。
もう本当に島の共通語として手話が普及していたので、
もう自然に覚えてしまったということですよね。
それから面白いのは別に老舗ではない人、
県庁舎とここでは書いてありますけど、
県庁舎同士も日常的に手話を使っていたというところがあるんですね。
例えば東京とかだと関西弁とか東北弁の人同士で、
関西出身とか東北出身の人同士で話しているときも
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標準語で話をしたりするのがあると思いますけど、
それに近いような感じかもしれないですね。
要するにそのぐらい普及していたということなんです。
これに関してもすごく面白いエピソードとかもいろいろ書いてあります。
以下は僕の主張というか感じたことなんですけど、
やっぱり日本に住んでいる外国人というのはもちろん障害者ではないですよね。
障害者ではないですけど、
でもマジョリティ、大多数の住民のコミュニケーションツールが共有されていないという、
そういう意味で老和舎と共通するところがかなりあると思います。
そういう意味でこの本は日本語教師にとっては非常に勉強になるところがたくさんあります。
特にすごく僕が感動したというか、
教訓としてこれはとても大事だなと思ったのが、
最後の方にちょっとまとめられているので、
そこのところもちょっと引用しておきますね。
これがみんなが手話で話した島の名前がビニヤードって言うんですけどね。
ビニヤード島の経験はハンディキャップという概念が
気まぐれな社会的カテゴリーであることをはっきりと示している。
それが普遍的なものではなく単なる定義の問題であるとすれば、
おそらくそれは再定義することができるし、
現在使われているハンディキャップという用語で
要約されている文化的潜入感の多くも取り除くことができるのである。
ビニヤード島から引き出せる最も重要な教訓は、
共同体が障害者を受け入れる努力を惜しまなければ、
障害者はその共同体の正規の有益な構成員になれるということである。
社会は万人に適応するため、多少であれ自ら変わらなければならないのである。
ここまでですね。
要するに障害というのは本当に定義次第であるということですね。
このビニヤード島では耳が聞こえないということが
障害だとは全く認識されていなかったわけですよね。
それは何でかというと、みんなが手話が話せるから、
実質的にそれで困る人がいなかったからということですね。
これは本当に日本語教師の人にとっては
とても重要な考え方なんじゃないかと思います。
本題からはちょっと離れるんですけど、
これ最初にも言いましたけど、
手話の世界をたずねようという今月の日本語教師ブッククラブの本ですね。
これが出版されたのが2015年ってもう7年前になるわけですよね。
この手話の世界をたずねように出てくる
このみんなが手話で話した島というこの本がですね、
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この本がたまたま今年ですよ。
しかもたった2ヶ月前に出版されたというね。
それが非常に行行というか、すごく奇跡的な偶然じゃないかなと思っています。
まず2015年に出版された本が、
今年2022年に日本語教師ブッククラブの本として選ばれて、
それに出てくるこのみんなが手話で話した島、
それがたった2ヶ月前に出版されたばかりというのは、
もう本当にすごい奇跡的な偶然だと思いますので、
皆さんにもお勧めしたいと思います。
あとね、やっぱりマーケティングの商品とかを普及する時の理論で、
キャズムという言葉があるんですけど、
キャズムというのは何かを利用する人の数がですね、
16%だったかな。
そのぐらいを超えると一気にそれが社会に普及するというのがあるんですよ。
それにちょっと似ているところが、
この手話の世界にもあるように思うんですね。
一番多い時はですね、
4人に1人が老和者だったっていうんですね、この島の中では。
4人に1人っていうことは、
1つの家庭で子供が生まれるのが当時5人とかそのぐらいだったっていうので、
要するに4人に1人が老和者だったっていうことは、
平均にすると、
1つの家庭に1人は老和者がいたっていうことなんですよね。
ということは家族でみんなが手話で話すという状況になるわけですから、
そこまでいったらもう本当にそれは、
もう全員が話すようになるだろうというふうに思いましたね。
ただですね、その後もいっぱいいろんな人が引っ越しとかができるようになって、
そうするとどんどん老和者の数が減っていくわけですね。
この本ではあまり最後の方が書かれていないんですけど、
でもこの最後の老和者の人の悲しみっていうのは、
とっても深いものだったんじゃないかなというふうに思いますね。
でもそれについてはこの本にはあまり書かれていませんとかほとんど出てこないです。
最後になりますけど、こういうことを考えるとですね、
本当に日本手話っていうのがね、
日本で使われている手話ではその日本手話っていう種類の手話がですね、
普及しているんですけど、
僕は個人的にはですね、これを日本語とね、
この日本手話の両方を公用語としてね、
もう法律に明記してもいいんじゃないかなというふうに思っています。
あとね、これから後にちょっと読んでみたい本としてはですね、
アンクレアレゾットっていう人が書いた、
目で見る言葉で話をさせてっていうね、こういう本があります。
この本が、これもですね、もう本当にたまたま今年ですよ。
今年出版されている本なんですけど、
この今日ご紹介したマーサズ・ビニヤード島、
つまりそのみんなが手話で話した島ですね。
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この島を舞台にした歴史フィクションらしいですね。
このマーサズ・ビニヤード島を舞台に、
ローの少女が活躍する中高生向けの歴史フィクションであるというふうに書いてありますけどね。
これもですね、残念なことに電子化されていないんですけど、
でもその印刷版はもうあるので、
もしね、印刷版が売れたら電子化もされるんじゃないかなと思うので、
みなさんこっちもですね、買ってくれると私も嬉しいなという気がしますね。
はい、本日のむらすべはここまでになります。
リスナーのみなさんもですね、
この本の無料サンプルをダウンロードしてみてもいいかなという方がいらっしゃいましたら、
ハートマークでリアクションいただければと思いますがいかがでしょうか。
1000円以上するので、
すぐに買うかって言うとちょっとあれなんですけど、
無料サンプルぐらいはダウンロードしてみてもいいんじゃないかなと思います。
ハートマークいただきました。ありがとうございます。
それではですね、本日もむらすべにご参加くださいまして、ありがとうございました。
今日のみんなが手話で話した島、
それにつきまして、僕が話したことについてご感想とかコメントがありましたら、
ぜひむらすべのハッシュタグ付きでご共有いただければと思います。
はい、それでは本日も良い一日をお過ごしください。
それからね、今夜ハナキンがありますので、
ハナキンでみなさんにお目にかかれることを楽しみにしております。
はい、そして冒険は続きます。