ミロ革命とコークリエーションについて
こんばんは、無限塔の秘密 綾子です。 今日は5月の5日、24時30分です。
単語の節句の日ということで、楽しい1日過ごされましたでしょうか? 私は、えーとですね、
あの、今日は本を2冊読み切りましたということで、そのお話をしたいと思うんですけど、
えっとですね、あの、1冊はミロ革命っていう本ですね。 ミロって皆さんご存知の方も多いと思うんですけど、
オンライン上のホワイトボードのツールです。 結構前からあるので、使ったことがある方もいらっしゃると思うんですけど、
このね、ミロ革命っていう本は、実はただの、 ツールを使いこなすためのノウハウ本ではなくてですね、
この、これからの社会で、コークリエーションっていうね、競争、 新しい競争をしていくために必要な
やり方とか、プロセスとか、そういったものをですね、 どう進めていくかっていう話が基本的な根底にありまして、
そこでこのミロというですね、ホワイトボードの コミュニケーションツールがうまく活用できますよっていう、そういう本なんですね。
書いた方が田原さんと、あと玄道さんっていうですね、 協調で、田原さんはね、私はかなり注目をしている方で、
えっと、一昔前にね、Zoom革命、Zoomオンライン革命か、っていうのを出した方でもありますね。
Zoomが全然まだ流行ってない時に、いち早くZoomの可能性に気づいて、
そういう著書もね、出している方だし、 あと参加型社会っていうね、そういうものを作りたいということで、
いろんな活動をいろんな方となさっている方です。
で、このミロなんですけど、割とね、ミロをちゃんと使いこなしているプロジェクトって、 私見たことないなぁと思っていて、
あの使っている人結構見かけるんですけど、 だいたい付箋ね、付箋でペタペタ貼っている感じで使っているので、
アイデア出しに使ったりとか、アイデア、出したアイデアを見える化するとかね、 そんな感じで使っているんですけど、
このミロ革命という本を読むとですね、 こんな使われ方ができるんだっていうね、
もう可能性しかないなということで、 非常にね、アイズオープンな感じなんですよ。
まあそのためにね、ちょっと買ったんですけど、 本当ね、いいんですよね。
要はね、今までのプロジェクトの進め方とかだと、 どうしても選票とか使いますよね。
選票、もう私はもう何十年も選票、 選票だけでプロジェクトやってきたみたいな感じなんですけど、
選票とあれか、課題管理表とかね、 あとはパワポでいろいろ概念を図示したりとか、
そんな感じでプロジェクトを進めてきましたけど、 全部ね、これ多分ミロに置き換えようと思ったら置き換えられるなという感じなんですよ。
さらにそれが叶えられなかった、 ポテンヒットになっちゃってるようなこととか、
なんかすごくね、その選票なり、 WBSなり、一覧票とか、そういったものではどうしても制約があるものに関しても全部ね、救い取れる。
その中で、その救い取ってきた言葉の一つ一つとか、 うまく言語化できないんだけど何か感じていることとか、
そういったものをすべてね、このボードの上に乗っけて、 新しいものをね、生み出せるっていう、そういうことをどうやってこのミロの上でやっていくかっていうね、
それが書かれておりまして。 私もね、ミロでできること、付箋とか、あとはロジックツリーとか、マインドマップとか、
あと単純に普通に図紙するとか、議事録作るとか、 そんなことはね、その各々のいろんなドキュメント、ソフトウェアとかでね、オフィスのソフトウェアとかでやってきましたけど、
それが一箇所にまとまることで、非常に思いの共有とかもすごく早くなるし、 漠然と感じている何かというものも言語化できたり、そこからちゃんと構造化もできたりとかしていくので、
プロジェクトを進める上ではね、非常に自由度の高くて可能性の高いツールなんですよね。
そうなんですけど、じゃあこれ使いこなせるかって言った時に、やっぱりその一定のルールがないので、逆にね、もう何でもできちゃうので、
そういった意味での、なんかちょっと戸惑いみたいなものがどうしてもありますよね。 すごくね、アートなんですよね、この使い方自体がね。
なので、多分最初戸惑うと思うんですけど、慣れていくと多分離れられないんじゃないかなという気がしております。
なんかね、この本の冒頭に書いてあるんですけど、書いてあることがすごくね、わかりやすくてよかったんですけど、
社会の変化と喜びを生み出すキーワード
今までの社会を、ソサイエティなんとかみたいな感じで表すと、1個前がソサイエティ4.0ということで、情報社会でしたということで、
いろんなね、GAFAに代表されるようなITツールを駆使しながら、情報ね、グローバルでもやりとりができていて、
いる結果、非常に効率的にものが生産ができるようになったりとか、物事が進むようになってきた。
けれども、生産者と消費者っていう、そのもう1個前のソサイエティ3.0の工業社会というものの構造が維持したままそれが行われているということで、
一定のものに従属ができているこの今の時代、目的が見失われているという話があったんですよね。
目的を見失ったのは、生産者もそうだし消費者もそうだと。目的を見失ってしまった生産者が、情報技術を駆使して新しいサービスを模索していると。
物が溢れているので、欠乏感というものも消費者は薄れているということなので、消費要求を新たに満たせる何かというものをネット上で探し回っているっていう、
生産者と消費者がそれぞれ行動様式がそうなってしまっていると。
その中でコロナが来ましたということで、一旦その生産活動消費活動が一旦止まってしまいましたよね。
立ち止まった私たちは、その欠乏感とか身の回りを物とか情報で埋めている虚しさに気づき始めてしまったと。
消費によってその欠乏感というものを埋めるということを原動力にしていた消費者に向けて、生産者は物とかサービスをどんどん生産していくという近代の方法論というものが、
コロナを機に行き詰まりを感じた、みんなが自覚をしたということで、次の社会への模索が加速をしてきている状態ですよねということが書かれています。
その欠乏感を埋めることを原動力にしていた社会のその次の社会というのは、喜びというものを自ら作り出すことになるはずだと。
それは一人一人違うわけで、その一人一人違う多様な喜びを混ぜこぜにして実現するというためのキーワードというのがそのコークリエーションという競争なんですね。
参加型社会とビジネス
もちろん多様性という話もあるし、原点に回帰するというか、人の喜びというものを改めて見つめ直すと、そこで喜びとか充実感とかそういったものを原動力にして動かしていくのが新しい社会になるんじゃないか。
それがその一個のキーワードとして参加型社会というものもずっと打ち出しているんですよね。
なので、そういうことをビジネスの上でもやっていくということに私はすごく賛同していましてですね。
会社を作るという話があるんですけど、工業社会モデルの成長成長とかね、サービスを作って売る。
で、消費者をどんどん増やしていく。
そしていつかは跳ねるといいなみたいな、そういった形のビジネス形態をやっても、辛いだけだろうなっていう感じも薄々分かっているんですよ。
私、それをどうしてもやりたいかというと、そういう私の中の欲求もあまりなくてですね。
そうじゃなくて、確かに競争とか参加型社会みたいなものを作っていって、今までになかった喜びとか、みんなが楽しいねって思えるようなそういうコミュニティとか、
そういう社会を作っていくっていうのはすごくやりたいなと思っているのでですね。
なので、このMiroも上手く使いながら、もちろんそのツールを使うことが目的では当然ないので、今までできなかったことを上手くツールの力も借りながらやれるといいなとちょっと思ったりしています。
この本に事例がたくさん載っているんですけど、ものすごいんですよね。
もうアートそのものみたいな感じで、いろいろ事例のテンプレートもダウンロードができるようになっているんですけど、
これをまた真似しながらやるっていうのも違うような気もしていて、
なんとなくこういう写真、画面のキャプチャーを見ながら、こんな使い方できるんだなっていうのをちょっと頭に入れるぐらいにしておいてね。
あまり美しさとか綺麗さとか、資料ってどうしてもビューティライズしたくなっちゃうんですけど、
そういうことは置いといて、とにかく声なき声の取りこぼしがないとか、そういったことに上手く活用できるといいなとすごく思いました。
天才と凡人の役割
そして次に読んだ本がですね、天才を殺す凡人という本ですね。
職場の人間関係に悩むすべての人へという副題がついている北野さんという方が書いている本なんですけど、これめちゃくちゃ売れてましてですね、読んでみました。
タイトルがすごいビビッとじゃないですか。天才を殺す凡人。
これ見ただけで確かに書いてあることがなんとなくわかるというかね。
組織には凡人がいて、天才な人を殺してしまうことってあるよねみたいなことをちょっと思いながら手に取ってみたんですけど、
本の中にはですね、3種類のタイプで世界ができているというふうにわかりやすく3種にカテゴライズをしていて、天才と凡人と、あとねそこに出てこない、タイトルに出てこないのが秀才というものなんですね。
天才というのは想像性に長けている人。凡人というのは共感性に長けている人。
そして秀才というのは、この間もニュースレターでポストしましたが、再現性に長けている人なんですよね。
それぞれの3者というものは、殺し合うことがあるということで、天才はね、とにかく天才ですよ、本当に。
想像性に長けていて、新しいことをどんどんね、生み出して考えられる人なんだけど、それを実行に移すという時になるとちょっと苦手なので、実行フェーズになると凡人がすごく必要。
秀才という人はその実行性も長けているし、何か1個のフレームができると、それを拡大するために再現性をいかに高めるかということに長けている人なんですよね。
秀才は天才に対してものすごく妬みと憧れという相反する感情を持っている人ということなんですね。
凡人は天才の味方になるとすごく組織が生きてくる。天才の実行性が弱い部分を凡人が補うみたいな感じで、この3者はもちろんフラットに書かれてるんですけれども、
一般的な見方からすると天才ってすごく憧れて華やかだし、いいですよね。
だけど、往々にして凡人の方が数が多いので、自分は凡人だなというふうに自覚をすると、この凡人という言葉が非常にいたたまれない言葉だなという感じもするわけなんですけど、それぞれに役割があって、役割もあるし、
もちろん会社の中だと、新しい事業を起こしますというアイデアを出します。それをうまく打っていきます。そしてそれを維持拡大していきますという3フェーズがあるとしたら、
成熟社会と秀才の育成
一番最初のフェーズは天才が生きるし、それをどうやって維持拡大させていくかという再現性を極めるのは秀才が向いているし、それを粛々としっかりと実行できる人という意味では凡人が向いているというフェーズの話なんですよね。
会社の中でもいろんなビジネスがあって、ビジネスにもいろんなフェーズがあると思うので、それぞれで違う人がアサインされると非常に不幸なことになるという話とかも書かれていました。
これを読んで、私は天才なのか秀才なのか凡人なのかというと、いまいち自己理解ができないんですけど、おそらく大企業にずっといたので、大企業というのは天才を殺して秀才をいかに磨き上げるかみたいな、
そういった動力が働いている、力が働いている組織だと今は思うんですよね。高度経済成長とか戦後とかだと一部の天才が引っ張っていって、それで凡人がくっついていって成長が起こるという感じですけど、
成熟社会になっていくと天才がどんどん世代交代をしていって、天才を新たに作るというよりは秀才候補を育てて、秀才に引き継いでいくみたいなフェーズに成熟社会だとどうしてもなっていってしまってるんだなというのがあって、
イヤオウなしにいかに秀才を育てるかというラインに私もおそらく乗っていたんだろうなと。最初はたぶん凡人に入って、凡人をいかに秀才にあげるかみたいな。そこにうまく波に乗るのが気持ち悪かったのでやめたというのもあります。
ありますけどねっていうのはこれ本を読んで分かりましたけど、なので仮に私が秀才タイプだとしても、してもですね、やっぱり天才に憧れてますかって聞くとめちゃくちゃ憧れるし、嫉妬してますかって聞かれるとものすごい嫉妬するということはたくさんあったなと思います。
当然人間でそんなグラデーションがあるので、自分は凡人であれば凡人でしかないのかっていうとそんなことなくてですね、どの割合がその3種の中のどの割合が強いかっていう話なんですよ。天才1割、凡人4割、秀才5割とかね、そんなそういうことですという話もあって、どの要素が強いかということなんですよね。
その凡人の蘇打特徴として1個言い忘れたのが、感情やその場の空気を敏感に読み取って、相手の反応を予測しながら動ける人ということらしいです。
共感性の神というふうに定義されてるんですけど、やっぱりこういう人たちがいないとですね、世の中回っていかないということなんですよね。
なので相互にリスペクトをしながらやっていくのがいいっていう、そういう単純な話なのかもしれないんですけど、どうしてもそのタイトルにこの本のタイトルにある通り天才を殺す凡人っていうふうにありますが、天才を殺す凡人というか秀才も天才を殺すだろうなっていう感じはしますけど、
なんかね、やっぱり得意なことを考える人を潰しがちな組織とか、いっぱい私も組織というかそういうチームとか見てきたし、逆に天才は天才のまま生き生きと泳げるように支援するようなチームもあったなと思ったり、やっぱりそういう方がですね、物事はうまく回っていたなと思うんですけど、
でもそれもね、私が結構新規事業のチームにいたからだなっていう感じもしていて、そうじゃなくて本当にインフラを支えるような大きなね、間違っちゃいけないビジネスを支えるみたいなチームだと絶対に秀才と凡人がいないと成り立たないみたいなね、そういうところがありますよね。
この本を読んでですね、思ったのが、今会社立ち上げようっていう件に関しては、もう明らかに天才性が求められるフェーズだなというのもあるので、いかにしてそういういろんなアイディアをね、取りこぼさないようにするかとか、それをどうやって具現化するために力を注げるかっていうところに注力しなきゃいけないなと、
思ったんですよ。なので、さっき一冊目の見ろみたいなのも活用しながら本当に、とにかく進めればいいみたいな感じにせずに、うよ曲折含めて楽しめるようなインフラにしないといけないなと、仕事のインフラをそういうふうなものにしなきゃいけないなと思っています。
自分自身の天才、秀才、凡人の要素と向き不向き
二つ目はですね、その自分の中のその天才、秀才、凡人のこの3要素が入り混じっている中で、自分は何なんだろうなってちょっと改めて思ったんですよね。
さっき冒頭では秀才性が強い、凡人から秀才性、両方強いんだろうなと思うんですけど、そこにうまく枠組みに馴染めずに、簡単に言うとマネジメントとかが必要とされるような領域でもあるので、それができないから私は投げ出したっていうのがあるんですよ。
KPIをしっかりと設定して、そこに到達するためにギリギリやるみたいな、そういうのって秀才が絶対に必要な素質であって、それができなかったんですよね。できないというかもうやりたくないし、やってても気持ち悪いし、できないことないんだけど全然嬉しくないみたいなのがあって。
それも嬉しくないっていうのも、やってるプロジェクトがつまんなかったからっていうのもあるかもしれないんですけどね。あんまり仕事だからやるしかないでしょ、だからやりましょうって言って、割り切れなかったですね、会社員の身分だと。
会社員だとそれにしかフォーカスができないっていう環境的な制約があったから、特にそうだったのかもしれないんですけど。
その1個の解決策としては会社を辞めてフリーワーカー、フリーランスになったら、そういうギチギチのこともできるんですよ。
それはもうあくまでも手段として割り切れるからなんですよね。手段として割り切れるので、クライアントのために必要であればそういうギチギチの管理もやって、成果が出るようにとにかくやっていきましょう。
KPIの達成、最近KPIというよりはOKRとか言ってみんなくつかってますけど、OKRをいかに達成するかということにとにかく邁進して、スケジュールも引くし、選票も書くし、タスクに落とすしみたいなことは当然やれるんですよ。
でもそれは本当に自分のスタンスを変えたからできていることであって、それだけがあなたの仕事ですって言われるとすっごい辛くなっちゃうんですよね。
なので、秀才性が強いかというとそうでもないんですよね。多分。本心としては。やっぱり天才に憧れてるっていうところがあるんだけど、私の身の回りに結構天才は多くてですね、実は。
そういう人たちを見てると、何かが違うんですよね。私もいろいろアイディアを出すし、秀才の中にいるとすごい天才性が強めのタイプの人間なんですけど、ひとたび世の中に放り出されると、天才たくさんいるなみたいな。
企業家って大体天才な人が多いんで、自ずと環境が変わったからそう見えちゃうっていうのもあるかもしれないんですけど、会社員だと大多数がみんなどうしても教育的に育成の方向性としてどうしても秀才と凡人を扱うような感じになるので、環境が変わったせいもあるのかもしれないんですけどね。
天才の人たちと仕事をしてるとね、自分は凡人にならなきゃいけないなってすごく思うんですよ。
天才を殺す凡人っていうタイトルなんだけど、多分天才を殺しちゃうのは秀才の方だと私は思うんですよね。
すごい天才と補完関係にあるのが凡人だと思うんです。
多分、私のこれは感覚ですけどね。
やっぱり天才が考えることを愚直に実行ができる、それを再現性が生んだらとかっていう話の前に、とにかく味方になって一緒に走れる人っていうのが天才には必要なんですよね。
そういう人が集まってくる傾向にある人格者だとあるので、私の周りに多いってことは、私は凡人性を出さなきゃいけないんだろうなってすごい思うんですけど。
天才を殺す凡人?凡人性を出すことの重要性
出せるは出せるですけどね。何かモヤモヤが残るっていうこの感覚。
分かりますかね。ただ、自分が天才になれるかというとなれなくて、やっぱり天才の力を借りないと新しい面白いことができないっていう現実があってですね。
かなわないなってすごい思うし。
でもその秀才の中にいると自分は天才性の方だったので、相対比較すると、環境によっては自分も天才性が生きるんだけど、今の環境だとそうじゃないっていうね。
愚直に粛々とやる凡人になっているところもすごく多くて、自分の中のいろんな性質が今かき回されているっていうような感じなんですよね。
これって何になりたいかっていう希望もあるけど、やっぱり向き不向きみたいなのもあったり、それこそ多様性みたいなものがあって、自分の中にもいろんな多様な秀才と天才と凡人が同居してるんだけれども、
それのどこを今回は出すかとか、このプロジェクトだと自分のこういうところを出すかとかね、そういうのを選んで出していくっていうのがいるんだと思うんですけど、
そう考えると、やっぱり凡人性をとにかく出していくとか、秀才性を思いっきりとにかく昔の秀才教育のやつを思い出してそこを出すみたいな、そういうプロジェクトが多いと、やっぱり自分の中でも精神的なバランスを崩すなってすごく思いましたね。
わかりますかね。なので、私に欠けてるのは今やっぱり天才性、自分の中の天才性をうまく引き出せるようなプロジェクトをやっぱりちょっと作っていくっていうことが求められているっていうか、自分が求めてるんですよね。
そこのバランスがうまく良くなると、いろんな側面で自分が自分の中の中心に自分が立てているみたいな感じになる。どっかに偏ることがなくてっていう感じがしていますね。
ただね、私結構ね、守備範囲がすごい広いってね、やっぱり言われることが多くて、やっぱりジェネラリスト気質が高いんですよね。何でもできる人って何でもできないってね、よく言われますけど。
器用貧乏だったりもするので、できないことはもちろんありますけど、わりかし守備範囲が広いと、個性も薄くなるっていうね、そういう相反するところがあるなと思うので、どっかに振り切る、スタンス振り切るっていうのも一個の手ですよね。
だからね、そこはすごい迷ってますね。迷ってます。迷ってるけど、当然、ちゃんとバリューがしっかり出せる分野でバリューを出して、生活費をまかないつつ好きなことをやるみたいな、そんな感じにしていかないと生活自体ができなくなっちゃうので、そこをうまく両立できるバランスとかを考えなきゃいけないなって、また改めて思いました。
自分の中のポートフォリオ戦略をどうするかみたいな話を以前ニュースレターにして、そこを考えたいなとかって思ったんですけど、考えるときの要素として、この天才、秀才、凡人っていうところを取り入れて考えると、さらにちょっと心地よい検討ができそうだなってちょっと思いましたね。
そして、今話しながら思い出したんですけど、私の好きなバクチクさんいるじゃないですか。5人のバンドなんですけど、バクチクってどういうバランスになってるかっていうと、5人全員が当然プロなので天才の集まりとも言えるんですけど、
1人の天才、いや天才というか変人というかをね、祝々と支える4人の凡人っていう5人組にも見えるんですよね。分かりますかね。1人の天才っていうのは私の好きな今井さんっていう人なんですけど、今井さんがメインのコンポーザーなんですけどね、バクチクの。
彼を中心に立ち上がったバンドでもあるんですけど、別にリーダーではないんですけどね、彼は確か。あの人がやりたいこととか、こんなの面白いとか、こんな音出したらかっこよくないとか、とにかくアルバムのメインのこんな感じとかって作っていったりとか、新しい音を追求していくとかって全部今井さんがやってるので、
我々が何に驚いてるかってだいたい今井さんに驚いてるんですよね。あんまり他の方々がですね、自己主張がそんなにないんですよ。あるのかもしれないけど今井さんほどなくてですね。
今井さんは別に、俺が俺がみたいなそんなタイプじゃなくて、とにかく思いついたものをどんどんやっていくっていうそういうタイプの人なんですけど、それにね、みんなついていくんですよね。文句も言わずに。文句言ってるのか実際は見たことないからわかんないですけど、そんな欠片がね、外から見てると全く見えてこない。
また今井さんがこういうことをやるんだとかで、そこに乗っていって祝々と参加しているんですよね。私どうしてもね、今井さんとフロントの桜井さんが目立つんだけど、あんまりその目立つことに対してもそんな嫉妬とかをしているようには見えなくて、それぞれのポジションを淡々とやってるみたいな感じだし。
もう一人作曲をする星野さんというギタリストがいるんですけど、彼はね、彼はね、ものすごくね、奇抜ではないんですけど、本当にね、時折びっくりするぐらい一般受けする、すさまじい、素晴らしい、感動する楽曲を作ってくるんですね。数は少ないんですけど。
だけどね、たぶんね、そういうのね、たぶん今井さんとかがね、没にしてるんだと思うんですよ。で、時折、もちろんアルバムの中に2曲ぐらいは、全10曲ぐらいだったら2曲ぐらいはその星野さんの曲、作曲のやつがもちろんちゃんと入ってるんですけど、たぶんね、没にされてるんですよね。決定権がね、みんなで決めてると思うけど、たぶん今井さんの一声とかがすごく強いと思うんですよね。
だけどね、35年ですよ。結成して35年、1回もメンバーチェンジなしで、2年に1回ぐらいは、もう最新作が最高傑作というふうに言わしめるほどの、前代未聞的な、誰もがなんだこれって毎回驚くアルバムを引っさげて、かつもう第一線に居続けるっていう。
まあ第一線の表現が正しいかどうかはちょっとあれですけど、ロックシーンではもう本当に第一線なので。
っていうことを考えますと、この天才を支える凡人という図式が非常に納得がいくっていうか、そこになんか文句も言ってないんだなーみたいなね、それぞれ。
でもその凡人ってももちろんすごいんですよ。すごいんですけど、バンドの中の位置づけとしてはそういう位置づけであるということに対して、特に文句も言わず、また今井節がの曲ですね、これはみたいな感じで。
反発とか喧嘩をしている素振りもほとんど見られないというか、呆れてはいるっぽいですけどね、今井さんのあれに。
いつまでこの部分にこだわるんだとかね、なんか一人でレコーディングがなんか1箇所だけで7日間かかったとか、そんなのに周りが呆れるとかいうのはよく記事とかで見ますけど、
でもそれでも35年ですよ、同じメンバーで。で、なんなら普通に飲み行ったりとかしてますからね、5人で仲良く。
なんかね、そういう奇跡のハーモニー、この調和の取れた、ある意味調和の取れたこの5人組を考えると、この天才、凡人、修才いるのかな、修才はちょっといるかどうかわかんないですけどね。
修才あんまりいなそうな感じしますけどね。
その組み合わせがね、生きてるっていうことがどれだけの中に価値を出しているかっていうことも思うわけです。
バランスの大切さ
だから個人個人の思いはよくわからないけれども、そのバランスがあってこその、なんか素晴らしい作品ができていくっていうことを考えると、あんまり画を貫くだけが良しではないし、
そこにちゃんと自分の存在価値とか自己肯定感みたいなものを感じられるっていうことの方がやっぱり大事ですよね。
しっかりと役割を全うして、当然あの5人の1人が欠けても絶対に成立がしないということをみんながそれぞれわかってるっていうことが大事だから、大事だしわかってるんだと思うので、やっぱそういうことなのかな。
リスペクト、相互リスペクト、それを声に出さなくてもお互いがかけがえのない存在であるっていうことを、一人一人が当然持ち得る力を最大限に出して、それをお互いがリスペクトしているっていう、そういう関係性で何か物事が生み出せると本当に素晴らしいですね。
とも思いました。
この番組は、狭い会社員生活から無限大の世界に移住した綾子Pが、中二病視点から日々の考え事をお送りするポッドキャスト番組です。
リベルタス、秩序と混沌の間から、というニュースレターとバンドルをして配信をしておりますので、ぜひチェックをしてみてください。
それでは、皆さんおやすみなさい。ありがとうございます。