マティスの創作活動
こんばんは、無限島の秘密綾子Pです。今日は5月の1日、今は25時40分です。
なんかもうこんな時間になっちゃいましたね。 いやなんかね、色々ちょっと今日の振り返りをしていたら、いつの間にか夜も更けてきました。
で、あのねゴールデンウィークはインプットをしようということで、今日はねインプット第1回目やってきました。
どこに行ってきたかというとですね、上野の東京都美術館に行ってきて、アンリー・マティスのですね、大開古展というのをやっているので、
もうね3月頃から予約をしてこの日めがけて行ってきました。 マティスはね私すごくすごく好きで、何が好きかというと、霧絵、霧紙絵。
カットアウトと言われているですね、霧紙の絵がすごく好きなんですね。
で、マティスといえば霧紙絵みたいな感じのイメージがあったので、 それを目当てに見に行ったんですけど、
霧紙絵をマティスが手がけたのがですね、 71歳の時なんですよ。
それまでは普通に油絵で描いててですね、彼は色彩の魔術師ということで、
いかに線を単純化するかとか、 色をいかに純化させるかみたいな、そういうのを追求していったアーティストなんですけど、
そんな中でですね、戦争とかもあり、病気とかも患い、 71歳の時にはですね、ついに十二指腸癌というものを患ってしまって、
すごい大手術を受けたんですね。体力がものすごい衰えてしまったんですけど、 手術が成功して復活、大復活を遂げたんですよ。
そんなマティスはですね、 71歳の時に霧紙絵に移行したんですね。
というのも、体力が衰えてしまって、筆を持って油彩を描くのがしんどくなっちゃったと。
でもそれでもね、創作活動をやめなかったんですけど、 そこで始めたのが霧紙なんですよ。
助手の女性がいまして、パートナーになるんですけど、 その方がですね、ガッシュで水彩絵の具ですね、
ガッシュで塗った紙をマティスがハサミで切り抜いて、 その紙を組み合わせて配置していくっていう、そういう霧紙絵がね。
72歳から始めたっていうね、すごいですよね。
そういう長い創作活動の中で、 彼が研ぎ澄ませていった色の到達点というのが霧紙絵だったっていうね。
これはね、すごいですよね。
結局、最終形なんですよ。彼の芸術の最終形が霧絵だったということで。
基本ね、原色が使われてるんですね。 すごくポップな純粋な色が組み合わさって作られている霧紙絵なんですけど、
とっても可愛くてね、ポップで。 でもね、やっぱり普通の人だとこういうのはできないだろうなっていうようなもので、
とってもとっても大好きなんです。 多分ね、来てる人ほとんど霧紙絵目立てだったんじゃないかなということで、
霧紙絵のコーナーにはたくさんの人がね、 本当にジロジロジロジロ、霧紙絵を見てましたね。
すごく霧紙絵のフロアは、一面がね、彼の霧紙の作品が飾られていたんですけど、
霧紙絵の原画だったのかな?原作もあったり、 あとね、リトグラフっていう版画になってるんですね、その霧紙が。
霧紙絵を原画にして、ステンシルっていう型を使ってね、 停車をしている版画のシリーズでジャズっていう本を出してるんです。
本というか、作品集というのを出していてね。 そのね、ジャズの中に収録されている霧紙のおそらく原画がですね、
マティスの作品「イカロス」
飾られていて、すごい良かったですね。 写真が撮れなかったので、一部をニュースレターの方にwikiアートから転載してきていますので、
ぜひ皆さん良かったら見ていただきたいんですけれども、 中でもね、私がすごい好きなのが、イカロスっていう作品なんですよ。
イカロス、イカロスですよ。 ギリシャ神話のイカロス、みんなが知っているイカロスですね。
飛ぶやつですよ。
そういうのも収録されているジャズっていうその版画の 作品集がね、
に寄せられているのかな、ちょっとそこの解説があって、紙で写してきたんですけど、 それぞれの赤は赤のまま、
それぞれの青は青のままだ、ちょうどジャズのように。 ジャズはそれぞれの演奏者が担当するパートに自分の気分、自分の感受性を付け加える。
っていうね、 切り紙はジャズであるっていうふうにね、表現をしていたようです。
本当にね、その通りだなぁっていう。 いかにね、原色をうまくその1枚のキャンバスに配置していくか、
それが彼の最終形だったっていうのがね、とっても素敵だなぁと思いました。 このイカロスっていう作品は、
人がね、飛んでいるような形と、 あと周りにね、
黄色い光のような、稲妻のような光のようなものがあって、 その人の胸のところにね、赤い丸がついてるんですね。
これをどう解釈するかは人それぞれですけど、 私はやっぱり希望の赤の、
ハートのような象徴なのかなぁとちょっと思いましたけど、
そのジャズの中に寄せられている、そのイカロスに寄せたマティスの文章がありましてですね、
それを読み上げますと、 容易く突き抜けられるこの壁、
かっこ、雲海の向こうに太陽の輝きが限りない空間の近くが存在する。
この空間ではこんなにも自由なひとときを感じることができる。 学業を終えた若者たちには飛行機に乗って大旅行をさせてやるべきではないだろうか。
そんなメッセージが添えられています。
ちょうどね、戦争も終わって、 終わって?終わりかけ?みたいな時なのかな?
1940年頃なので、第二次世界大戦真っ最中かな。
要はその飛行機でね、人は飛ぶことができるようになりましたよね、戦争で。
その中で、まあ、その、なんだろう、人を殺し合うとか、
国を攻めるとかそういうのではなくて、その若者たちはね、 戦争に行かせるんじゃなくて、
大旅行をさせてやるべきなんじゃないかっていうメッセージが添えられたこのイカロスっていうね、この作品。
「イカロス」の現代的表現
いやー、ちょっとね、素晴らしいじゃないですか。 イカロスをね、ちょっと戦争に例える作品が最近もありましてですね。
まあ何かというとバクチクなんですけど、 バクチクが最近出したシングルで、太陽とイカロスというですね、作品があります。
あの曲もですね、単体で聴くと、 なんかすごく爽やかな曲なのかなって思うんですけど、
最近ね、イゾラというアルバムが、オリジナルアルバムが出まして、 その中に
太陽とイカロスも収録されているんですけど、 そのアルバムの中のストーリーと世界観の中で、
太陽とイカロスっていうものを聞くとね、もうまさしくね、 戦争の曲なんですよ。
まさにおそらく、これはファンの間で解釈となっているのは、
太平洋戦争の時のね、特攻隊ですよ。 神風特攻隊の、
若者たちの心境を歌っている曲なんじゃないかっていうね、 そういう解釈があって、おそらくそうだろうと思いますが、
そういうふうにちょっとね、変わって聞こえてくるっていう、 すごく不思議でびっくりする、ちょっとね驚愕な曲がありまして。
ちょっとリンクを貼っておきますので、 聴いていただきたいんですけど、
あのね、イカロスっていう翼を持った人間に対する、
いろんなイメージが、いろんなアーティストが、
マティスをはじめ、パクチクもそうだし、ボードレルとかもね、 過去に詩を書いていたりしますけれども、
何をそこに紡ぎ出していくかっていうことですよね。
それをね、明るい兆しの象徴として、 モチーフにして書く人もいれば、
戦争とか、
飛行機に乗って、人を殺すのか、飛行機に乗って、 大きな空を旅して、いろんな世界に羽ばたいていくっていう希望を、
描くのかっていうと、まぁいろんな描き方ができるんだなぁと思ってですね。 マティスは、
おそらくその両面を描いてるんじゃないかなと、この霧紙絵で思うとですね、
このポップな絵もとってもね、 実はこの胸にあるこの赤いものは、本当にこう、
マティスの戦争体験と作品に表現された意味
消えゆく命というか、その命の中でも、 なんか強く生きていこうとする人の姿とか、
なのかなぁとか、この周りにある黄色い稲妻も、 なんかその、
キラキラしたね、世界を表現しているっていう風にも撮れるし、 なんかね、戦争があちこちで起こっている、この爆発を表しているというようにも見えるし、
いろんなイメージが同時におそらく描かれている絵なんじゃないかなと、 勝手に、本当にこれは勝手にですけど、
想像しますね。 マティスはその、
戦争、第一次世界大戦も第二次世界大戦も経験をしている アーティストなので、
やっぱりね、その戦時中の描いている、 油彩の絵とかはですね、すごくね、重たいものとかもあるんですね。
ちょっとね、印象的だったのが、窓を描いてるんですけど、 その窓のね、見える外の景色が、最初はね、違うものを、景色とかを描いていたらしいんですが、
途中からね、もう真っ黒に塗りつぶして、ものすごい深淵の底の底が、 なんかこう、底が見えないようなね、そんな絵になっていたりとかするので、
戦争というものは、人をね、本当に揺さぶりますよね。 人の思考もそうだし、感情もそうだし、感性も、いろんなものを揺さぶって、
まあ本当に、あらゆる意味での影響を与えてしまうものだなと、まあ当たり前ですけどね、
なんかこういうものをね、残してくれてる人たち、その戦争はもう明らかに、明らかに良くないものですけど、
まあ人間の差がというか、もう繰り返してしまう無限ループというかですね、
まあそういったものを、やっぱりそこにいる、その時代の証言者として残していく責任というものは、
同じ時代を生きるものとしてはあるんだろうなと思うので、こう描いていってくれてるんでしょうね。
作品鑑賞とタイトルの意味
まあ日本に住む私たちは、今のところ一応ね、平和に生きてますけど、ちょっとこれから、
なんかもうどうなっていくか、ちょっともうわからなくなってきてるじゃないですか。
これもいろんな見方があるので、思想論の話になっちゃいますけど、
なんかね、ちょっと危ない方向に無理やり進められていくんじゃないかなっていうような感じの、
なんか制作とかもね、どんどん打っているような気がするし、
だから熱戦下に巻き込まれてはいないですけど、
この時代を生きるものとしては、何かね、残しておかないといけないんじゃないかなと。
後世のためもあるし、今のこの時代の息を吸っている自分としてのこの、
何でしょうね、一人の一つの肉体を持った人間の媒体として、
何か表しておかないといけない、それが何か有名にならなきゃいけないとか、そんな話じゃなくてですね。
なんか残して、一人一人が残していって、次の時代に引き継いでいって、
願いを託していくっていうことなんだろうなーってちょっとね、今回もこのマティスのイカロスを見てね、思いました。
実はね、このマティスのイカロスの作品は前から知ってたんですけど、実はタイトルを知らなかったんですよ。
で、私ね、あんまりタイトルを見ないんですね、絵を見る時に。
特にそのタイトルを覚えたいとも思わないし、
あくまでもタイトルっていうのは、その美術館側、コレクションする側がですね、色別のためにつけたりするものもあったりとかするので、
作品を見る時にあんまりタイトルに間逃されなくてもいいっていう話があってですね、
これは私がVTSっていう対話型アート鑑賞の技法を学んだ時に先生から教えてもらった話なんですけど、
だからタイトルはね、全然つけ物、添え物って感じで、全然ね、ほとんど見ないんですよ、美術館行っても。
なんですけど、たまたまね、この作品の前でじっとね、あぁいいなとか言って、これいいよなって見てたら、後ろの人がね、
あぁイカロスだって言って、つぶやいたんですよ、知らない人がね。
で、イカロスっていうの、この作品っていうのをその人のつぶやきで知ってですね、
私結構アート好きですけど無知なんで、あぁそうなんだって思って、そこからイカロスって言うとね、太陽とイカロスじゃんっていう話がありますし、
やっぱね、そこからどんどんどんどんインスパイアされて、自分つなぎにね、私の中の鎖がまた一個勝手につながってしまって、
この絵の見方もね、また認識が変わったなぁというような感じです。
一つのね、タイトル、おそらく作者本人がつけたタイトルだろうとこれは思いますけど、最近のね、あの絵なんで。
なのでその作者がそのイカロスっていうことの言葉にね、何を込めたのかっていうことを、
改めてね、ちょっとそういう意味でも味わうといろんな見方ができて、また視点がね、増えたなぁと思ってですね、ちょっと味わい深いものがありました。
いやでもね、本当ね、このマティス大開庫展めちゃくちゃおすすめです。
あの本当に楽しいですね、あの単純に本当に楽しい。
この切り紙絵もたくさん飾ってあるので楽しいし、
マティスのカット・アウト「イカロス」(前半)
その切り紙絵に至るまでのね、マティスのいろんなカットとかも時系列で飾ってくれてるので、
デッサンとかもすごく多いし、あと実はね彫刻もね作ってるんですよ。
なのでそういうものもあったりとかします。
でね、最後の最後、マティスの一番最後の晩年の遺作と言われているのがですね、
実は切り紙絵ではなくて、この南仏にあるですね修道院、ロザリオ礼拝堂というところの内装なんですね。
彼の一番最後の作品。
なんかね、この今日の美術館というか展覧会に書いてあったのが、
ちょっとね全部一言一句メモしてないんであれなんですけど、正確じゃないんですけど、
自分が選んだんじゃなくて、
もう授かった仕事だっていう風にね、このね最後の仕事。
これは自分がやるべきものとして、おそらく天から授かっているものだっていうような、
そんなコメントを残したという風に書かれていましてですね。
いやなんか、
自分の最後にね、
この仕事がしたいとか、あの仕事がしたいとかじゃなくて、
おそらく頼まれてやったお仕事だと思うんですけど、
それをね、自分でやろうと決めてやる。
そのね、本当にそのね、修道院の礼拝堂のですね、内装、ステンドグラスとか、
あとその通常のイエスキリストのね、銅像とかが通常かかっているような、
教会の一番前のところには、
マティスがね、描いた絵が描かれていてですね、
顔の目とか口とか鼻とかは描かれてないんですよ。
人の形してるんですけど、そういう絵が描かれていたりとか、
ステンドグラスもすごく素敵だし、
マティスが好きなね、植物の緑とかブルーとか、
そういう原色がまたね、散りばめられたステンドグラスがあったり、
あとあの、何て言うんでしたっけ、懺悔するお部屋ありますよね。
あの懺悔する、なんて言うんだっけ、告白する部屋?
そこに入るための、えっと、扉、ドア。
もう切り絵じゃないんですけど、
おそらく彼がデザインしたものの通りにですね、
彫ってやるんですね、木が。
それもすごくね、細かくてね、素敵でね、
本当最後の一作にふさわしいものだなと思って、
それが今回のマティスの大開庫展では、
4Kの映像が流れていて、そういうのを全部見ることができます。
朝、昼、夜のそれぞれの光が入ってくる、
その礼拝堂の中の情景とか、
夜はね、周りが真っ暗になって、
逆にその礼拝堂の中が、
蝋燭とかで明るく温かい色に光が灯っていて、
それが外からね、こんな風に見えるよとかっていうのがね、
綺麗に映像として残されていて、
すっごいここ行きたいなって思いました。
キーワードとして、
誰もが素直になれる場所であるべきだと、
礼拝堂っていうのはね、
信仰とか、どの宗派を信仰しているかとか、
そんなの関係なくて、
みんなが行けて、みんなが自分の中に戻れて、
寿に戻れる場所であるべき、
みたいな感じのメッセージも一緒に残しているそうで、
要はだから、変な思想を押し付けないんですよね、
礼拝堂なんですけど。
マティスのカット・アウト「イカロス」(中盤)
だから顔が、表情とかが描かれてないんです、絵に。
キティちゃんとかね、
口描かれてないじゃないですか、キティちゃんの絵って。
あれも、口は見た人が見るままにですね、
想像していいよっていうメッセージだったと記憶をしていて、
まさにああいう感じなんですね。
目とか鼻とか口とか、そういう作品を彼は最後に残して、
85歳で亡くなったのかな。
最後の最後まで、本当に力の限り、
自分の色彩の在り方を追い求めて、
最終的には原色というものに行き着いて、
しかも筆とかではなくて、切り紙だとか、
ステンドグラスだとかね、
そういうものに行って色を表現したっていうね、
本当にその中に心の安らぎっていうものを見えだしていったんだろうなと思うとね、
グッときちゃうんですよね。
70代で大病をして、
それでもなお創作活動をやめないっていう、
彼の自分の人生にかける力強さというか、
いつまでも諦めないっていうか、
生きている限りは続けていくっていう、
最後のお仕事として、
自分が選んだものじゃなくて、
マティスのカット・アウト「イカロス」(後半)
頼まれたことをやって終わっていくっていうね。
ポップな切り紙絵のすごくかわいい、
作品からは想像もできない、
マティスの壮絶だけど素敵な人生をめっちゃ味わいました。
本当におすすめです。
来てる人もみんなが満足してる感じでね。
最後のショップが大繁盛してましたね。
大興奮でね、みんなね。
ポストカードとか、
Tシャツもいい感じのものがプリントされててよかったし、
あとはね、くだらないグッズは1個もなかったんじゃないかなと思いますね。
最近ちょっと手抜きな感じで、
コピー的な似たようなグッズを売る企画展もありますけど、
相当気合の入っている企画者が作ったなという感じですので、すごくいいです。
この原色のシャワーを浴びてね、とっても元気になるし、
またしても私がね、
なんか稚拙ながらも表現しておかないといけないんだろうなと。
手の動く限り。
何でもいいんですよ。
何でもいいのでアウトプットをね、とにかくしていくっていうことですよね。
その積み重ね、本当に。
それをね、できる限りまでやっていくっていうことだなと思いました。
はい、そんな感じでございます。
今日もちょっと長くなってしまいましたが、
明日はね、
明日は5月の2日?
今日ですけど。
今日は会社を立ち上げる系の合宿があるので、
それをやりに行きますけど、
5月の2日といえばあれですね、
ツイッター見てて思い出しましたけど、
Xのヒデの毎日ですね。
ヒデちゃんの毎日。
昔ね、彼が亡くなった時のことは本当に、
昨日のことについては言い過ぎだな。
結構衝撃的に覚えていてですね。
ちょうどね、電車に乗ってる時にね、
マティスのカット・アウト「イカロス」
不法を聞いたんですよ。
5月の2日だから、
なんかどっかに遊びに行こうとしてたのか、
それとも会社だったのかな?
会社に行こうとして。
もうね、25年になるらしいんですよね。
あ、25年か。
25年ということは私はまだ会社員じゃないですね。
大学生か。
かな?うん、大学生ですね。
その時にね、だから、
多分どっかに遊びに行こうとしたんでしょうね。
なんか急に入ってきた不法に、
ちょっと電車の中で、
なんか呆然としてしまったことを
よく覚えております。
ね、もう、
人にはね、こうやっぱり、
命に限りがあるということなので、
こういうね、マティスの作品と
晩年の作品とかを見ても
いろいろ思うことがあるし、
人の命日だなとか言って思うと、
そこからもね、
思うことがあるので、
とにかく今、息をしている限りは、
精一杯やっていきましょう。
というか、やっていくしかないですね。
本当に。
全てがもったいないというような、
全ての豊かなリソースがたくさんあるので、
本当にね、燃やし尽くさないと
もったいないなという感じがしております。
はい、この番組は、
狭い会社員生活から
無限大の世界に移住した綾子Pが、
中二病視点から日々の考え事をお送りする
ポッドキャスト番組です。
ディベルタス、地図書と混沌の間から、
というニュースレターとバンドルをして
配信をしております。
ニュースレターの方も、よろしければ
チェックをしてみてください。
それでは皆さん、明日も良い一日をお過ごしください。
ありがとうございました。