1. 二番経営 〜組織を支えるNo.2の悲喜こもごも〜
  2. #54 株価暴落・大恐慌の中、開..
2025-03-19 22:58

#54 株価暴落・大恐慌の中、開発した織機が爆売れした背景とは?トヨタ自動車創業者・豊田喜一郎編③

▼今回のトーク内容: 

豊田佐吉引退/喜一郎の義弟・利三郎がグループ総帥に/1926年、自動織機がフル稼働/当時は株暴落、大恐慌/だが開発した「G型自動織機」は爆売れ/時代背景/法改正で女性や未成年の深夜残業が禁止に/全自動織機が脚光/深夜操業・生産性低下防止にひと役/顧客を積極的に工場見学に呼ぶ/機械の信頼性をアピール/トップ・利三郎、No.2・喜一郎で順調に成長/1929年、世界トップの英企業から注目され視察が来る/「特許権の譲渡契約を締結したい」/同じ織機を今の10億円ほどで作らせてくれ/契約締結/事実上、世界を獲る/父・佐吉はそれを見届けて死去


▼番組概要:

COOや副社長などの「組織のNo.2」。その仕事をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、仕事の面白さ・大変さなど「No.2の悲喜こもごも」を語っていく番組。製造業に特化したコンサルティング企業、オーツー・パートナーズ取締役の勝見靖英と、幻冬舎「あたらしい経済」編集長の設楽悠介がMCを務める。毎週水曜日配信。

▼番組ハッシュタグ:#二番経営

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▼MC:

勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ 取締役)

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1971年生。慶應義塾大学文学部卒。ジャパンエナジー(現ENEOS株式会社)、PwC、デロイトトーマツコンサルティング、日本IBMなどを経て、2015年7月よりオーツー・パートナーズに参画、2018年4月より取締役。製造業を対象とした戦略策定、業務改革、ERP/PLM等大規模システム導入等のプロジェクトを多数経験。プロジェクトマネジメント、チェンジマネジメントを得意とし、現在は経営企画/会計/人事総務/組織開発/IT/マーケティング広報等を管掌。

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.o2-inc.com/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

設楽 悠介(幻冬舎「あたらしい経済」編集長)

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/ysksdr⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

1979年生。明治学院大学法学部卒。マイナビを経て幻冬舎に。同社でコンテンツビジネス局を立ち上げ。電子書籍、コンテンツマーケティングなど新規事業担当。2018年にブロックチェーン/暗号資産専門メディア「あたらしい経済」を創刊。幻冬舎コミックスの取締役を兼務。「Fukuoka Blockchain Alliance」ボードメンバー。ポッドキャスターとして、Amazon Audible original番組「みんなのメンタールーム」や、SpotifyやAppleにてWeb3専門番組「EXODUS」など配信。著書に『畳み人という選択』(プレジデント社)。

▼ディレクター:

関岡 憲彦

▼プロデューサー:

野村 高文 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼制作:

Podcast Studio Chronicle ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://chronicle-inc.net/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼カバーデザイン:

松嶋 こよみ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/

サマリー

トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎が手掛けたG型自動食器の爆発的な売れ行きの背景には、1926年に施行された改正向上法が関与しています。この法律により労働力が制約され、企業は生産性向上を求めざるを得なくなり、その結果、自動食器の需要が急増しました。トヨタ自動食器製作所の歴史には、豊田の経営方針や従業員を大切にする思想が色濃く反映されており、特にリサブローの経営手法が従業員のモチベーション向上に寄与し、世界的な契約締結へとつながる重要な瞬間が語られています。また、豊田喜一郎がイギリスのプラットシャを訪れ、その急激な衰退を目の当たりにすることが、繊維機械業界から自動車業界への進出を考えるきっかけとなった背景が探られています。

新会社のスタート
スピーカー 2
二番経営 No.2の悲喜こもごも。この番組では、なかなか表に出ない組織の二番 No.2をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ・大変さなど、No.2の悲喜こもごもをリスナーの皆さんにお届けします。
スピーカー 1
こんにちは、株式会社オーツー・パートナーズ 取締役の霞谷水礼です。
スピーカー 2
現当社新しい経済編集長の修田れいゆうすけです。
二番経営第54回、今回もトヨタ自動車創業者・豊田喜一郎編の第3回となります。よろしくお願いします。
スピーカー 1
はい、よろしくお願いします。
前回ですね、究極の自動初期と言ってもいいG型自動初期っていうのが、無事完成しましたと。
佐吉さんが大感激していたんですけど、喜一郎さん意外と冷静だったという話がありました。
その自動初期を製造するために、1926年にトヨタ自動初期製作所っていうのが会社としてですね、生まれましたと。
これがトヨタ自動車の母体なんですよっていうのが前回の話だったと思います。
ここからですね、このトヨタ自動初期製作所というのがですね、舞台になって話が進んでいきます。
株式会社トヨタ自動初期製作所なんですけれども、前回ですね、房石とか房植とかでその初期を製作するっていうようなところで、これが本丸でやりたかったところなんですよねっていうような話をしていたと思います。
佐吉さんがやりたい事業がですね、ようやくできるという段になったわけですけれども、これまでのトヨタ房植、布を作る会社でしたと。
今度のトヨタ自動初期製作所っていうのは初期を作る会社。布を作る会社と初期を作る会社。
作るものが違うって話なんですけども、どっちもメーカーといえばメーカー。
布っていうのは糸を紡いで作っていくってところなんですけども、初期っていうのは機械を製造する会社なんですよね。
布を作るっていうところから機械を作っていくっていうのはですね、ありとあらゆることが変わっていきます。
例えば働く人ですけれども、房植会社、トヨタ房植はですね、社員のほとんどが女性なんです。
工場で働くのは織物を動かすのは昔から女性が多かったんですけども、自動初期だとしても女性の婚姻さんの方たちが複数を動かしてますという感じ。
なんで女性主体の会社なんですね。一方、初期製作というのはもともと技術者がたくさんいると。
しかも同じことをするんではなくて、初期っていう複雑な機械ですので、土台を作る人たちですとか、細かい部品を作るとか、動力部分を作る人たちですとか、
その金属そのもの、素材を作るですとか、いろんな技術が集まったものですので、そもそもの働いてる人も違うし、使われる技術も違う。
ただそれがトヨタ・サキチさんが本来やろうと思っていた領域ですので、そこに向かっていくと、その会社が立ち上がったというところなんですけれども、
その新会社とサキチさんがやりたいというところでしたので、新たにサキチさんがトップになるかと思いきやですね、この会社の社長はリサブローさんが勤めます。
リサブローさんこの時42歳。
スピーカー 2
若いな。
スピーカー 1
若いですよね。
それからトヨタ・キイチローさんは代表取締役、常務ということになります。
なので2人代表取締役なんですけども、リサブローさんが社長で、キイチローさんが常務ということになります。
ちなみにサキチさんは当時59歳。
1926年の経済状況
スピーカー 1
まだ若いですけども。
まだ若いですね、この頃。
若いですよね。でも相談役になってですね、一線から知り属と。
リサブローさんとそれからキイチローさんの役割分担なんですけども、大きくはこれまでと変わらないんですけども、サキチさんが一線から知り属ということになりましたので、
トヨタ・リサブローさんっていうのはグループの各社を率いる総帥になってくるんですね。
トヨタ某職という会社もあります。
それ以外のトヨタのグループの会社っていうのがあるんですけども、そういうようなものをですね、全部の社長になってるわけではないんですけども、統括をしていくような総帥。
それからこの自動食器政策省ではですね、財務とか人事とか障害営業っていったようなこれまでになってきたことを引き続きやります。
キイチローさんの方はですね、そのカリアという場所に工場がありましたので、そこで自動食器の研究開発、製造、販売、メンテナンス、そういったものを担当する。
あと暴食の工場の方も見ていくと。
で、ここからですね、その会社が生まれたのが1926年でそのG型食器っていうのをフル稼働で販売をしていくという状況になるんですけれども、
この時の1926年という時代がどんな時代だったかというのをちょっと改めてみたいんですけども、この時はですね、免の意図っていうのが大暴落をして、
商社が、この免とか繊維商社っていうのは軽破たをするっていうのがどんどん起きていった時期だそうです。
株式も暴落して金融強行が起きるということで、1929年ぐらいにもう世界強行と言われるようになっています。
でも非常に世の中が不景気で、もうそれは世界中そういう状況。
これで聞くとですね、絶対売れない環境だと。
タイミング悪いですね。
タイミング悪いですよね。
なんですけどもこのG型食器っていうのがもう爆売れします。
気合が大殺到していくんですね。
自動食器の成功
スピーカー 1
これはですね、豊田佐吉さんという発明王っていうのはもう日本中有名でしたので、その発明王念願の自動食器だということで、そのプロダクトの注目具合っていうのもあったんですけども、
実はそれ以上にですね、この爆売れした理由っていうのがあってですね、
この年1926年に改正向上法っていうのが施行されます。
これ何かっていうことですね。
その数年前に日本が国際労働会議っていうところで、女性とか子どもの深夜残業、深夜業務をお前らやらせてるよなと。
絶対そんなのやめろっていうふうに禁止だっていうふうに国際労働会議っていうところで、日本がもうガン詰めされていたんですね。
それを受けて国としては1926年に改正向上法っていうのを施行すると。
夜遅くまで女性、それから子ども、今はね、男性とかそういう性別に限らずそういうのはやっぱり禁止っていう感じにはなってるかもしれないですけども、当時。
先ほど言ったようにですね、暴食の会社っていうのは女性の後員さんが多いって話をしたじゃないですか。
なのでその人たちが深夜まで働くんですね。
なので元々暴食業っていうのは鬼って言われてたらしくてですね。
ひどい労働環境みたいな感じで言われていたんですね。
そういった暴食業にこの改正向上法っていうのが守らなきゃいけない。
夜中まで働いちゃいけないということになりました。
深夜創業やめると生産できなくなっちゃうんで国際競争力も下がる。
会社の経営もうまくいかなくなっちゃうという状況がありましたと。
つまり人に頼れなくなっちゃったんですよね。
人に頼れないってことはそこで活躍するのはこの児童食器という生産性を上げていかなきゃいけないという状況ですね。
なんか似てません?今。
スピーカー 2
そうなんですよ。なんかそう感じますね。
コンプラだみたいな話になって変わる。
でもAIで土を減らそうかみたいな。今だとそんな考えかもしれないですけど。
当時はまさにそういうことですよね。
スピーカー 1
もう全く同じ状況ですね。
当時の人口が減るっていう感じではなかったかもしれないですけども。
ただ労働人口という意味では抑えなきゃいけないという感じですよね。
今よりも当然過酷ですけどもそういう状況があった。
スピーカー 2
なるほど。じゃあ景気は良くなかったけどタイミングは良かったんですね。
スピーカー 1
おっしゃる通りですね。
そこにバチッとはまったというところなんですけども。
そのはまった状況っていうのは当然このトヨタ児童食器製作所だけではなくて他にも食器を作っているメーカーっていうのは世界的にもあったんですけども。
そこでですねこのリサブローさんとキイチローさんのペアが凄さを発揮していきます。
この状況っていうのを見て当然廃業しちゃうってオプションも暴食業者にはあるわけでしょ。
他のこと始めるってこともあるんですけどもそういった人たちを呼んでですね課題を特定してデータで納得させるっていうことをやっていきます。
どういうことかっていうとですね課題っていうのは当然自分たちも暴食業をやってるんで。
その工場で人が足りなくなる。でも作んなきゃいけないっていう状況はもうしっかり分かっているわけですよね。
それが分かった上でお客さん何を思うかっていうとその自動で作れるって言ってるこの児童食器本当に使えるのっていうに必ず思うに違いないと。
ということで洗剤顧客をですねいっぱい呼んでですね工場見学をしていきます。
最初に見せるのはその児童食器製作工場ですね新たに立ち上げたところ。
そこにはですね木一郎さん渾身の最新の技術最新の設備で作っている児童食器を作っているというそのプロセスを見せます。
こんなすげー機械作ってんだっていう状況をまず見せて今度その隣にその最新の技術で作った児童食器を使っている暴食工場が横には豊田暴食の工場があるわけですね。
そこを見せるんですね。そうするとですね女性の後援が20名で520台の食器をぶん回して。
20名で520台っていうのがすごい合計ですよね。
これでもう普通にすげーってなりますよね。
すごいって思ってただその印象だけではなくてそこから畳み掛けるようにですねデータを出していくんですね。
投資対効果いけませっていう話なんですけどもまずは20名で520台なんですけども通常の食器はですね一人で3.3台しか見ることができないんですけどもこの児童食器は25台見ることができるんですよね。
そうするともう生産性で言うと7倍とかもそんなレベルになります。
リサブローの経営哲学
スピーカー 1
当然工場にかかる人件費ってのはいくらですよね設備費いくらですよね焼却費こうですよねっていうのは自分たちも暴食業を経営しているので
そこがリアルな数値としても確実にわかる。
なのでこの児童食器を買われた場合どういうふうに投資回収ができるのか。
どれぐらいの期間でできるのか。
もう1年でそれ完全に取り返せますよってことをパッと言えるわけですよね。
そこがねセットで見せてもう爆売れ大ヒットって感じですね。
その経営環境をしっかりと捉えるっていうこととそれを最大限生かしていく売り方っていうんですかね。
そのマーケティングも含めてですねもう万全の状態でこのリサブローキイチローのペアが実現した。
でここで非常にですね業績が好調で進めていくわけですけれどもこのトヨタ児童食器政策省。
社長はトヨタリサブローさん。
リサブローさんっていうのは佐吉さんと違ってですね全世界ですかねやったその事業家がナンバーワンなのか経営者がナンバーツーなのかみたいな話があったんですけども。
完全にリサブローさんというのも経営人材だと思うんですよね。
でその経営人材でこの会社のナンバーツーっていうのは今のところトヨタキイチローですけども。
キイチローさん今のところ技術者ですよね。
超腕っこきの技術者というところですのでその技術っていう強みを持ったこの会社の経営を良くしていく経営者という感じの構造になります。
トヨタリサブローさんっていうのはどういう人材だったかっていうのはちょっとまたどっかの機会にですねトヨタリサブローさん特集をやれるかなというふうに思っているんですけれども。
基本的にはですね佐吉さん譲りですね。
トヨタ佐吉さんっていうのはめちゃくちゃ尊敬をしていて法徳法恩、法徳思想っていうのはずいぶん前にやったことあると思うんですけども。
7日合憲で失踪奸役とかそういう一生懸命働くとかそういう思想っていうのをしっかりと引き継いでいてですね堅実な経営をやってます。
商売センスも非常にあったということで巧みな経営をしていたんですけども。
やっぱりですねその佐吉さんっていうカリスマが引退したということでかなりですね気負っていた部分もあったんじゃないかなと思うんですね。
リサブローさんの別のところでですね文献なんかに出てくるのは、
リサブローさんっていうのは佐吉さんがこう作ったトヨタグループっていうのをとにかくこれ以上にして後世に残さなきゃいけないっていうもう責任家の塊のような、
どんな事業を実現したい何を作りたいっていうよりもとにかくお預かりしたこれをきちっと後世に伝えていくっていうことをですね、
第一に考えていたということが残ってます。
ですのでしっかり経営をしようと。
しかもめちゃくちゃ真面目でしたので経営をしていくにはどうしたらいいのかということで彼がやった経営施策の中にですね、
公務員の心得。公務員役所で働く公務員じゃなくて工場の工に無は勤めるでいいっていう。
この公務員って言葉今なんかありそうなんですけども当時はなくてですねそういう言葉を作って工場で働く人っていうのを、
ステータスみたいなもの、教授も含めて関わるべきっていう心得を作って、
かつその工場で働く人材を育成するってことに結構力を入れたみたいなんですね。
理想として経営人あるいはオーナーと働く人たちを一致させる方がいいという考えを持ってですね、
従業員持ち株制度っていうのを導入したり。
当時としてはものすごい珍しい画期的なことだと思うんですよね。
いかがにその奉仕と営利っていうのは一致するものだっていうことで、
自分のためでもあるし会社のため世の中のためっていうそういう方向っていうのが一致できるようにそういうことをやったということを言っています。
さらにですね働くその公務員の人たちの社宅を作ってですねそこに住ませるだけじゃなくてですね、
近くに土地を買ってですねその社宅の一軒あたりですね5、6坪の土地を割り当ててですね、
そこで野菜とかお花を作りなさいっていうことも言ったり。
スピーカー 2
へーなるほど。
スピーカー 1
よかとしてみたいな感じもあると思うんですけども、
ちょっとだいぶやりすぎだなと思うんですけども、
その土地でですね作った野菜とかお花とかその生産量っていうのがその人のボーナスに反映させるっていう。
へー面白い。
わけのわからない査定をしてたみたいなんですけども、そういうことをやったと。
でこれも法徳思想の一環だということで、人間の能力を信じて努力を促すということをやったということだそうです。
ちょっとなんかあのやりすぎ感はあるんですけれども、
まあちょっと一個のイメージで豊田自動食器製作所で働くとこんな綺麗な社宅に住んで、
しかもお花育てたりっていうことをやってそういうことが会社にも評価される。
しかも従業員持ち株界で自分が株主オーナーになることができるっていうことで、
その従業員のですねモチベーションを上げるとかそういったことに心を配っていたということみたいですね。
世界市場への進出
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
これがリサブローさん流のやり方ということがあります。
スピーカー 1
ここからですねそのリサブローさん特でキイチローさんが2番手に控える形で順調にですねこの豊田自動食器製作所っていうのは進んでいきます。
進んでいっても世界最高峰のG型自動食器っていうのはですね、
これが世界に出ていくかそういう状況になるんですけども、それが進んでいって3年経った1929年、
キイチローさんがイギリスで毎日工場に通ってですね見学をしていた世界のトップメーカープラット社っていう会社があったんですけども、
このプラット社がですね長期的にですね低落傾向にあったみたいで、
このプラット社がちょっと自分の会社がうまくいかないので、
なんか日本にどえらい会社があるということでこの豊田自動食器製作所に目をつけてですね、
重役を日本に派遣します。カリア工場見学させたりとか豊田系の防食工場っていうのを綿密に調査をして、
もうこれはすごいということで、
豊田自動食器製作所とですね特許権の譲渡契約を締結したいという話になりました。
これどういうものかっていうと、
このG型自動食器っていうのを日本と中国とアメリカ以外で作って売ることができる権利っていうのをこのプラット社に譲ってくれという。
中国はもう上海に会社を作ったり、アメリカも一大マーケットとして本体がいきたいというふうに思っていたので、
それ以外まあヨーロッパですね主にイギリスですので、そこでこのG型自動食器を作らせてくれみたいな感じで、
その対価は10万ポンド。日本円で100万円。
今の現在でいうと10億円ぐらいの数。
数百億っていう説もあるんですけど、10億円ぐらいで見たらいいかなと。
これをですねヨーロッパで売っていくってところまでは当時考えていなかったようなので、
その譲渡をしようということで契約をしていくことになります。
要はですね世界のトップメーカーだったんですよね、このプラット社っていうのが。
でそこでもう勉強もします。
そこよりもすごい会を作って、そこにこれを作らせてくれって言わせるまでにもなった。
すごいことですね。
すごいことですね。
なのでこのトヨタの自動食器っていうのが本当の意味で世界を制覇したということで、
佐吉さんの夢が成就をまさにした。
佐吉の遺志
スピーカー 1
本当にもう佐吉さんのゴールと言ってもいいような状態になったわけですけども、
実はこの時に佐吉さんはですね一戦を退いた後、上海に行ったりとかもしていたんですけど、
その後ですね脳一欠で、実は60歳の時に倒れてですね、
ずっと療養生活をしていてですね、もう言葉ももはすることができない脳梗塞を患うという状況になっていました。
この1929年ですね、この東京圏の城都契約を締結した脳を見送る彼女ですね、
その翌年1930年、63歳でトヨタ佐吉さんは亡くなった。
そうか。
その時にですね、その1930年にはですね、
トヨタ佐吉さんの支援者であった元三井物産の名古屋支店長であり、
東洋面下、東面ですね後の創設者でもあった、
かつトヨタリサブローさんの実の兄に当たる児玉一蔵さんという方もこの同じ年にですね、
トヨタ佐吉さんの後亡くなります。
なるほど。
児玉一蔵さんはこのポッドキャストの中であんまり触れてこなかったんですけども、
実はこのトヨタ暴食、トヨタ自動車費政策署、
そういったものが活躍する影ではですね、
必ずとも一揆ぐらいこの児玉一蔵さんが活躍をされています。
もう最大の支援者ですね。
ですからもうこの1930年っていうのは、
トヨタリサブローさんからするとですね、
自分の義理の父親であり、
自分がもう師匠とも言ってもいいような、
敬愛してやまないトヨタ佐吉さんが亡くなる。
これまたもう尊敬して背中を追っかけていた、
自分のお兄さんも亡くなっちゃうということで、
結構ですね、精神的にもきつかったんじゃないかなというふうに。
それがまあこの1930年。
そういうあの不幸が重なるということもあったんですけれども、
実はですね、このプラットシャトーの特許権譲渡契約の締結。
佐吉さんから見ると世界を取ったということで、
非常にゴールになるようなって話をしたんですけども、
実はもう裏側のストーリーがこの中にはあるんですね。
これもエモいんですけども、
実はですね、その契約を締結するときに、
キイチロウのイギリス訪問とプラットシャの状況
スピーカー 1
イギリスプラットシャの本社で締結をすることになります。
その締結をするために赴いたのが、
代表取締役ジョームであったトヨタキイチローさん。
キイチローさん、イギリスに調印のために行くわけです。
そのイギリスのプラットシャというのは、
実は7年ぶりに訪れたということになるわけですけれども、
下宿から毎日通ってですね、めっちゃ調査をしていた。
で、こうなるようにっていうのをやってきたんですけど、
そのプラットシャがあるイギリスのオールダムっていう町だったらしいんですけども、
そのときにですね、以前勉強していたときにはですね、
この町はですね、プラットシャの熟練校で、
もう給料も高いわけですよね。
その人たちが自信に満ちあふれた生活をしていた。
きっと食事するところでも歯ぶりのいいところを見たりとか、
あったと思うんですけども、
それが7年後、今回の調印で訪れたら、
町にはですね、失業者があふれて、
一流企業だったこのプラットシャっていうのも、
イギリスに全然進歩がなくてですね、
それどころか熟練校が抜けちゃって、
技術が落ちてると。
もうなんか、超すごい世界一の会社、
わーって思ってたところがですね、
言ったら、何ですかこの手たら。
たった7年でというとね。
たった7年なんです。
たった7年でここまで落ちるっていうのを、
ビフォーアフターを知ってるキイチロウさんが、
現地で見てしまったわけですね。
先進国の繊維産業の状況を見て、
大きな危機感を抱いたと。
このプラットシャの急激な没落っていうのが、
キイチロウに後にですね、
繊維機械メーカーの将来性っていうのに、
疑念を抱かせて、
そっからさらに自動車業界に進出をしなきゃいけない、
っていうふうに考えた契機になったんじゃないか、
っていうこれは推測なんですけども、
そういう説が。
これはなんかちょっと、
なるほど感は強いんですね。
キイチロウがどこで自動車っていうふうに決めたかっていうのは、
いろんな説があります。
この時のプラットシャっていうのは、
結構ですね、
片屋めちゃくちゃ商売うまくいってる状態なわけですよ。
日本で爆売れしています。
世界的にも進出するぞっていうところで、
いやいや、なんかこれ明日は神だなっていう状況。
急に怖くなっちゃったぐらいの危機感を感じたんじゃないかな、
それが1929年の状況でしたというところ。
自動車業界への進出
スピーカー 1
今回はですね、
一旦この危機感を抱いたかなっていうタイミングで終わってですね、
ちょっと次回はですね、
このキイチロウさんが本当に自動車業界に進出っていうのを、
どういうタイミングで考えて決めたのかっていうのをですね、
ちょっと探る回を次回してみたいと思います。
スピーカー 2
ありがとうございます。
ここまでのキイチロウさんの仕事も非常に興味深かったんですけれども、
このトヨタシリーズ始めてやっと自動車が出てくるというですね、
次回に関して。
もう何となく伏線みたいもありつつも、
いよいよそこに迫れるというところなので、
次回楽しみにしております。
2番K、ナンバー2の引きこもごも、
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
気に入っていただけましたら番組のフォローをお願いします。
Xやお便りサイトでも感想をお待ちしております。
ここまでのお相手は、
しだれゆうすけと
かつみやすいででした。
スピーカー 1
ありがとうございました。
22:58

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