1. 二番経営 〜組織を支えるNo.2の悲喜こもごも〜
  2. #53 「陰キャ」でも圧倒的な仕..
2025-03-12 27:16

#53 「陰キャ」でも圧倒的な仕事のパフォーマンスで周囲の見方を変える。トヨタ自動車創業者・豊田喜一郎編②

▼今回のトーク内容: 

父の会社・豊田紡織へ入社/豊田紡織の布は評判/良い機械に耐えうる良い糸の開発/入社3か月で海外視察/義弟、豊田利三郎・愛子夫妻と一緒に/この夫婦は今で言う「陽キャ」/喜一郎は人づきあいが苦手な「陰キャ」/親・佐吉が差配/愛子を入れて利三郎・喜一郎をマッチング/イギリス視察で1か月間勤勉に機械工学を学ぶ/世界トップ企業の生産ラインを見学/帰国後、良質な糸の開発へ/紡績工場に勤務/社長の息子なので工員から敬遠/海外の技術者から1年間紡績を学ぶ/過酷な環境からのちの「現地現物主義」が醸成/圧倒的な仕事のパフォーマンスを見せる/工員たちからも認められる/百貨店の名門、高島屋一族の娘・二十子と結婚/父・佐吉の悲願「全自動織機」開発/このチームに喜一郎は入れず/「お前は紡績をやれ」/だが密かに研究/設計図が佐吉に見つかる/「面白い」と認められ1922年、チーム入り/設計精度の高さ/チーム力が飛躍的に向上へ

▼番組概要:

COOや副社長などの「組織のNo.2」。その仕事をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、仕事の面白さ・大変さなど「No.2の悲喜こもごも」を語っていく番組。製造業に特化したコンサルティング企業、オーツー・パートナーズ取締役の勝見靖英と、幻冬舎「あたらしい経済」編集長の設楽悠介がMCを務める。毎週水曜日配信。

▼番組ハッシュタグ:#二番経営

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▼過去配信回をシリーズ別でプレイリスト化しております:

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▼MC:

勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ 取締役)

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.o2-inc.com/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

1971年生。慶應義塾大学文学部卒。ジャパンエナジー(現ENEOS株式会社)、PwC、デロイトトーマツコンサルティング、日本IBMなどを経て、2015年7月よりオーツー・パートナーズに参画、2018年4月より取締役。製造業を対象とした戦略策定、業務改革、ERP/PLM等大規模システム導入等のプロジェクトを多数経験。プロジェクトマネジメント、チェンジマネジメントを得意とし、現在は経営企画/会計/人事総務/組織開発/IT/マーケティング広報等を管掌。

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.o2-inc.com/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

設楽 悠介(幻冬舎「あたらしい経済」編集長)

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/ysksdr⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

1979年生。明治学院大学法学部卒。マイナビを経て幻冬舎に。同社でコンテンツビジネス局を立ち上げ。電子書籍、コンテンツマーケティングなど新規事業担当。2018年にブロックチェーン/暗号資産専門メディア「あたらしい経済」を創刊。幻冬舎コミックスの取締役を兼務。「Fukuoka Blockchain Alliance」ボードメンバー。ポッドキャスターとして、Amazon Audible original番組「みんなのメンタールーム」や、SpotifyやAppleにてWeb3専門番組「EXODUS」など配信。著書に『畳み人という選択』(プレジデント社)。

▼ディレクター:

関岡 憲彦

▼プロデューサー:

野村 高文 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼制作:

Podcast Studio Chronicle ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://chronicle-inc.net/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼カバーデザイン:

松嶋 こよみ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/

サマリー

トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎氏が陰キャでありながらも高いパフォーマンスを発揮し、会社のために尽力している様子が描かれています。彼の仕事における努力や経験は、後のトヨタの価値観や経営方針に影響を与えています。豊田氏は自身の技術力とパフォーマンスによって、周囲の評価を変えていったエピソードが語られます。彼の結婚や家族の背景、さらには自動食器の開発への情熱も紹介され、名門飯田家との関わりが描かれています。豊田喜一郎氏の革新的な自動食器の開発とその影響についても語られます。特許の争いや仲間たちの顧みられない努力が、彼の仕事のパフォーマンスを高め、最終的に新しい会社の設立につながりました。

00:01
スピーカー 2
二番経営 No.2の悲喜こもごも。
この番組では、なかなか表に出ない組織の二番 No.2をテーマに、
トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ、大変さなど、
No.2の悲喜こもごもを、リスナーの皆さんにお届けします。
現当社新しい経済編集長のしだれゆうすけです。
二番経営第53回、今回も前回に続きまして、
トヨタ自動車創業者・豊田喜一郎編の第2回となっております。
よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
前回ですね、過去の豊田幸さんの回も振り返りながら、
豊田喜一郎の入社と使命
スピーカー 1
豊田喜一郎さんが東京大学を卒業して、
1年間の超高生を経てですね、
トヨタ房職に入社したというところまでお話をしました。
そのトヨタ房職に入社した時に、
おかげでどういう状況だったかというと、
お父さんの幸さんは上海に行ってます。
日本のほうはですね、トヨタ・リサブローさん、
喜一郎さんの妹の旦那さんですから、
義理の弟ということもあるわけですけども、
年齢は10歳年上の義理の弟ですね。
トヨタ・リサブローさんが常務取締役で、
会社の経営を担っていた。
営業ですとか総務とか財務とか技術系以外の仕事は、
もう一手に引き受けていたと。
そういう状況でございます。
入社した喜一郎さんに、
トップの社長の久吉さんからの指示は、
房職をやれという指示が出ます。
トヨタ房職。
ここで何回か前にやった、
房職・房積という言葉なんですけども、
その社名にある房職っていうのは、
布を作る工程ですね。
房積っていうのは、
布を作るための糸を作るのを房積と言いました。
トヨタ房職が作る布っていうのは、
評判良かったんですけれども、
そこで使っている房職の機械ですね。
その機械が高性能になっていますので、
その高性能な房職に耐え得る糸が不足しているということで、
良い糸を作るために、
房積っていうのをしっかりやってくれというのが、
トップの久吉さんから、
喜一郎さんに与えられたミッションと。
これが入社した時に言われた。
そこから工場に入ってですね、
外国人生活が始まるんですけれども、
海外視察と人間関係の構築
スピーカー 1
実は入社して3ヶ月後に、
海外視察に喜一郎さん行くことになります。
この喜一郎さんと一緒に海外視察に行ったのは、
義理の弟、豊田梨沙風呂さん。
それから妹の愛子さんですね。
豊田梨沙風呂夫妻と喜一郎。
この3人で欧米の視察に行くことになります。
梨沙風呂夫妻で言うと、
新婚旅行にはちょっとあれかもしれないですけれども、
そこに喜一郎さんが入って、家族旅行みたいな感じですね。
ちなみにこの梨沙風呂さんというのは、
元商社マン、営業マンですね。
商社マンでもあります。
女才がなくてスポーツも得意、人付き合いも良いと。
社内ではピリピリして怖がられていたんですけれども、
真面目で責任感強く判断も的確。
そんな評価があります。
一方喜一郎さんはですね、
無口で運動は不得意で、
でも誠実でめちゃめちゃ真摯。
人付き合いは苦手。
面白い話もしない。
とっつきにくい。
結構真反対の性格だった。
陰キャと陽キャですね。
まさにそうですね。
陰キャと陽キャで、
この二人がうまく噛み合わないとっていう、
このトヨタ暴食、トヨタグループを立てていくには、
っていうのがあったと思います。
この海外視察っていうのは、
いろんな技術的なものを見ていくっていうのはあったんですけども、
記録として残ってないんですけど、
喜一郎さんがこのトヨタ暴食の経営をやっていくために、
この二人のマッチングがうまくいかないといけない。
普段の仕事じゃなくて、
当時の海外旅行って船で行くんですよね。
何週間もかけてアメリカに行きます。
そこで一緒に長い期間いるということで、
お互いの相応理解を進めてもらうと。
その時にリサブロー喜一郎だけだとですね、
心もとないので、
そこで愛子っていうですね、
リサブローさんの愛する奥さんで、
喜一郎さんっていうお兄さんのことも大好きな妹。
その彼女が入ることで、
ものすごい良い家庭になるだろうということで、
この三人の旅行を指示したんじゃないか。
っていう推理というかですね、あります。
結果、この旅行っていうのはですね、
半年間この三人がずっと行動を共にするという感じです。
陰キャの喜一郎さんだったかもしれないんですけども、
根はいい人で、
真面目なので、
時間をかけて理解をしたら、
喜一郎さん気づくだろう。
そんな感じですね。
なんでそれをセットしたんじゃないか、
というふうに言われています。
一緒にアメリカを見てですね、
半年間過ごして、
その後イギリスに行くんですけども、
イギリスに入ってからは、
ちょっと別行動になりまして、
喜一郎さんは当時ですね、
世界のトップ暴食ですとか、
暴跡の機械を作ってた、
プラットブラザーズって会社があるんですけども、
そこにですね、1ヶ月間滞在をします。
そういった業界では、
この会社がナンバーワンという、
プラット社で1ヶ月間見学をさせてもらう、
ということになりまして、
この見学はですね、
工場をファーっと行ってみるっていうのとは、
ちょっとわけが違ってですね、
朝8時半から工場が始まるんですけども、
8時半にもう普通に出勤をしてですね、
夕方5時に就業なんですけども、
夕方5時まで、
ずっと見学し続けるというか、
そういうのをします。
そこで見学が終わると、
下宿先に戻ってですね、
見学した内容っていうのを日誌にですね、
帳面にきっちりと記録を残します。
で、それからイギリスで買った機械工学の書籍でですね、
勉強し続けると。
で、それを深夜まで繰り返す。
で、翌日朝8時半に出勤するっていうのを、
1ヶ月間延々と続けるという感じ。
スピーカー 2
めちゃくちゃハードですね。
スピーカー 1
めちゃくちゃハードだと思います。
スピーカー 2
勤勉すぎるな、本当に。
スピーカー 1
勤勉すぎるんですよ。海外行ってんですけどね。
スピーカー 2
海外出張で、
ちょっとぐらい浮かれてもいいのにみたいな。
スピーカー 1
いいんじゃないかと思うんですけど、
休みの日、
よくは散歩ぐらい。
なるほど。
散歩だけですよ。
あとは工場と下宿の往復のみの生活をする。
なるほど。
ただ、そこで世界トップ企業ですから、
そこの生産ラインを見たり、
機械そのものもそうなんですけども、
つぶさに見学をして、
最先端技術というのは、
自分の中にインストールするという作業を、
自分のゲームにやってきた。
その後、日本に帰ってくるわけですけれども、
作品室さんからの指示では、
先ほど申し上げたように、
宝石をやれということです。
回転が非常に早い自動食器に耐える、
良質の糸を開発するというのが、
ミッションになるわけですね。
会社で、
その宝石をやろうと思って、
工場に入っていくんですけれども、
トヨタ宝石の
宝石工場というところに入ります。
宝石技術の習得と哲学
スピーカー 1
はい。
トヨタ宝石というのは、
先ほど申し上げたように、
布を作る宝石というのがメインです。
キイチロウさんもですね、
中学生時代からですね、
その宝石、布を作る工場には、
ずっと通ったりしていたので、
そこで知っている工員さんも、
何人もいるんですね。
ボンが来たぞっていうので、
遊んでくれるとかっていうのも、
あったという感じだったんですけども、
この宝石というのは、
トヨタ宝石が取り掛かって、
キイチロウさんも仙台に行って、
東大行ってましたので、
そこの宝石工場で働く人は、
知らない人しかいないんですね。
しかもですね、
この宝石というのは、
トヨタ宝石でずっとやってた職人ですとか、
そういった作業をする人たちがいないので、
みんなですね、他社から
中途入社した人たちばかりなんですよ。
なるほど。
なので、他の宝石会社から、
移籍してきた技術者で、
めっちゃみんなプライドが高かったらしいんですよ。
これは技術者、
職人あるあるかもしれないんですけれども、
親切に教えるということはなくてですね、
しかもキイチロウさんは、
社長の息子ですよね。
だからジュニアなわけです。
だから余計敬遠されるっていう感じ。
で、聞いても教えてくれない。
いやいや、ちょっと危ないんで、
もう下がってくださいみたいな感じで、
控えも触らせてもらうこともなかった。
みたいな感じなんですよね。
で、もう何も教えてくれなかったんですけれども、
そこで、
たまたまですね、
日本に来ていた、
西洋人技術者の人が、
技術留学じゃないですけども、
呼び寄せて、
技術を身につけるような、
この会社で機会があったんですけども、
ちょうどその西洋人の人が来てですね、
その人に1年間みっしりとですね、
宝石技術を教わることもできたので、
会社の職人さんに聞かなくても、
もうだいたいわかってきた。
っていうのが記録としてあります。
で、その他の会社からですね、
当時金川淵宝石、
今の金棒、
あの金棒、
そこのトップ技術者みたいな人たちが来て、
みんなですね、
秘伝の種のようにですね、
守ってる、教えてくれないものがあったんですけども、
それが金棒の標準法、
作業マニュアルといったものらしくてですね、
それをひたすら取得してですね、
人に見せない、
俺だけの技術だというふうに、
持っていたみたいなんですね。
そこに書いてあることっていうのがもう唯一、
絶対ということで、
あ、それはもうマニュアルに書いてない。
それNGです。
いや、そういうやり方はこれに書いてないとダメです。
みたいな感じでですね、
その技術者たちがいたと。
これも長く続く、
今さらすぎる、
曲って同じようなことって起きるかもしれないんですけども、
木一郎さん、
そういうの大嫌いだったんですね。
おそらくスタッキスさんも嫌いだと思うんですけども、
このマニュアルが絶対だっていうと、
マニュアルに、
準拠するだけになっちゃうんで、
ものを考えなくなっちゃう。
木一郎さんが一番嫌いなのは、
ものを考えない人間が大嫌い。
というのがあったので、
もうそれが許せないという感じになったんですね。
この考え方っていうのは、
後のですね、
トヨタの伝統として残っている、
現地現物主義っていうのは、
現場に行ってですね、
考えるですとか、なぜなぜっていうのを
5回繰り返すとか、
そういうのが今のトヨタさんにも残っているんですけども、
それをしっかりやるために、
標準とかマニュアルとかに
固執していた人の評価っていうのは
めちゃめちゃ下がってですね、
激励に触れるっていうことが結構あったみたいですね。
ただ言ってもですね、
入社して1,2年の
新人みたいなジュニアですので、
豊田喜一郎の成長
スピーカー 1
そこで怒っていたとしても、
別に何のことはないわけですよね、
そこで働くメンバーは。
なんですけれども、
大学でめちゃくちゃ勉強しましたと。
で、欧米視察で、
西洋のトップ技術っていうのを
身につけてきました。
あと、西洋技術者から1年間
みっちり防石器っていうのも学びました。
運転の仕方、メンテナンス方法とか、
あと工場の運営方法とか、
とにかく高度な技術っていうのをですね、
身につけて、
かつ、天才トヨタ佐吉譲りのですね、
鋭い観察力とか、
勘とかっていうので、
この工場運営っていうのを
どんどんリードしていくんですね。
知力も活用しながら、
陰キャかもしれないんですけども、
圧倒的な仕事のパフォーマンスを
見せつけていくとですね、
経営していた技術者っていうのが、
だんだん一目を置くようになってきて、
和歌とか、
キーさんと呼ばれるようになってきた。
なるほど。
ちょっとこれはこれでかっこいいんですよね。
スピーカー 2
ドラマにありそうな。
スピーカー 1
その初めはなんかみんなから
スピーカー 2
あれ言われてるけど。
スピーカー 1
なんかあいつすげえじゃんっていうのが、
徐々に徐々に伝わって、
みんなから認められるようになります。
飯田家との関係
スピーカー 1
うん。
それがもうほんと1,2年ぐらいで、
そこの域まで達することができたという感じですね。
キイチロウさんの
才能というか能力っていうのが、
分かるようなエピソードだと思います。
走行している間ですね、
1922年なんですけども、
豊田キイチロウさんは、
お嫁さんを迎えることになります。
その相手、飯田畑子さん。
畑子さんっていうのは、
二重に子供のこと書いて畑子という風に
読むそうです。
1901年生まれの
21歳ということなんですけども、
1901年なので
20世紀が始まったということで、
この畑子という名前をつけられた。
そうなんですけども、
素敵ですよね。
その素敵な名前をつけられたのは、
どんな方かっていうと、
飯田高島屋という企業の
トップの産女だったんですけども、
飯田高島屋っていうのは、
今でいう高島屋百貨店になります。
三井のようなですね、
老舗の商店。
当時でも大企業ということになります。
そこから奥様が来たというところなんですけども、
ちょっと脱線するとですね、
この飯田家、
本当は名門なわけですよね。
この名門、
畑子さんっていうのは産女です。
それ以外にも、
お嬢さんもいるんですけども、
その畑子さんのお父さんの兄弟、
この高島屋一族、
飯田一族というか、
この高島屋一族、
飯田一族ということになるんですけども、
その畑子さんのいとこに当たる
女性がいるんですけども、
三尾さんという方なんですけども、
この三尾さんがある方と結婚します。
その結婚した相手、
綾川義介という方なんですけども、
綾川義介さん、
綾川義介さんと
呼ばれたりするんですけども、
この方はですね、
日産自動車の創業者です。
へー。
豊田喜一郎さんは
棒石をどうするんだっていうことで
一生懸命やってる最中ではあるんですけども、
後に豊田自動車を起こしていくのが
この豊田喜一郎さんですね。
方やその奥さんを介した
いとこに当たる人が
日産の創業者、
綾川義介さんなんです。
自動食器の開発
スピーカー 1
すごい。
豊田自動車と日産自動車の創業者が
このタイミングで
親戚だった。
スピーカー 2
華麗なる一族
スピーカー 1
つながりみたいな感じがしますね。
この高島屋の
いいだけ
すげーなっていう感じですけどね。
で、ちょっと話を戻しますと、
奥さんと結婚をしてという
ところなんですけども、
先ほどから言ってるようにですね、
喜一郎さんっていうのは
棒石をやれという風に言われて、
暴食金ですね、耐えられるような
糸を作るっていうことがミッションだったんですけども、
こんだけのですね、
技術の技術を身につけてきた
喜一郎さんですので、
クリアしちゃってるんですね。
1923年、入社して
2,3年のタイミングで
クリアをしちゃっていると。
できたと、いい糸が。
その時の豊田暴食って
会社を改めて見てみるとですね、
今、喜一郎さんがクリアした
棒石糸作りですね。
これはOK、この糸作りはできます。
あと、暴食、
この布を作るっていうところ。
経営絶好調です。
布を作るメーカーとしては最高に
評価をされています。
糸を作る部分、それから布を作る部分、
ここが大成功しています。
ところが、
豊田幸志さんってもともと何やりたかったかっていうと、
布を作りたいんじゃなくて、
布を作る機械を作りたい。
そうだ。
そういう発明をしたいっていうのが本来ですよね。
要は暴食機っていうのを
作りたいっていうのが幸志の本来の
事業なんですけれども、
その暴食機を作るっていうのは
自分が追放された
豊田式食器株式会社
にですね、設備も人材も
特許も全部手渡して
放逐されちゃった状態
ということで、今ここがですね
未着手状況なんですね。
本業のはずなんです。
本業をやるためにお金を稼がなきゃ
っていうことで始めた暴食布作り。
それからそれにまつわる
糸作りっていうのをやったんですけども、
本当にやりたいことはそこじゃないよねっていうのが
あったので、実は
食器作りの開発っていうのは
もう本当に幸志さんの
悲願で、その中でも自動食器
すべてを自動で動かす
豊田式食器では動力食器っていう
人が手を動かさなくてもいいんですけども
全自動でやるものでは
なかったんですね。
途中で糸を変えるために止めたり
とかっていうことが必要だったんですけども、そういう
ものも全部止まらないで
永遠に動き続けるような自動食器の
開発っていうのが幸志さんの悲願
だったんですね。
なのでこの暴食暴食をやりながら
実はこの自動食器の開発チーム
っていうのが蘇生されていて
ずっと活動は続けられて
きました。それが
キイチロウさんが入社する
前よりもその自動食器開発チームっていうのが
何年も
シャンハンにいながら指示を出しながら
ずっと進めていったと。
なんですけども、そのチーム
キイチロウさんは入れてもらえてないんですね。
でも食器
っていうのは自分も子供の頃から見ているので
それやりたいってキイチロウさん
ずっと思ってるわけです。
なので幸志さんに頼むんですね。僕も食器の開発やりたいです。
いやお前は暴食をやれ
っていうので断られる
っていうことを何回も繰り返して
でもキイチロウさんはもうやりたきゃしょうがないんですよ。
なのでダメだと言われてるんですけど
もう自分でこっそりとですね
開発をしてですね設計の図面を
引いたりとかするんですけども
それが日本に帰ってきた幸志さんに見つかると
激励に触れると。
お前はこれじゃなくてあっちょやれ
ってぶち切れられる。でまた中国に帰ると
こっそりと設計始めるみたいなことを
繰り返してたらしいんですよ。
でもずっと怒られっぱなしだったんですけども
ある時ですね
キイチロウさんがこっそりと
自動食器の開発の図面を
引いて設計をしてたんですね。
後ろからですねうーんってうなり声が
聞こえてる。なんだと思ったら
いつも怒ってる幸志社長が
いるわけです。
キイチロウさんの図面見ながらその設計も
面白そうだ。わかったと。
自動食器の研究やってもいいと。ただ
宝石もしっかりやれということで
そこで初めて認められるっていうのが
なんでこう
技術者として一級のものを
感じたんでしょうね。でかつ
その宝石のほうもしっかりと成果を出して
きたということで
1922年からですね
ちょうど結婚したぐらいの
タイミングなんですけども
キイチロウもですねこの自動食器開発
チームに参画をしています。
それが1922年から
なんですけどもここからですね
この1922年から1926年に
かけてこのトヨタ・サキチが
人生をかけて本当にやりたかった
自動食器開発っていうのがですね
これも仕上げ機になってくるんですけども
超激アツ機になってきます。
何が激アツ機かっていうと
トヨタ・サキチさんがですね
ずーっと鉄招にかけて
育ててきた現場叩き上げの
技術者たちっていうのがいます。
トヨタ式食器を
サキチさんが追い出された後もですね
大将が行くんだったらつってこうついてきたような
ずーっと自分が育ててきた
ようなそういう技術者たちっていうのが
いるんですね。そこにですね
自分の血を分けた
トヨタ・キイチロウという息子がですね
参画師。この息子ただの
息子じゃなくてめちゃめちゃ高度な
技術を身につけたそういう息子が
入ってくるという。叩き上げの
技術者たちのチームも
ものすごい優秀だったんですけども
そこでキイチロウが入ることでですね
生産性というかですね
クオリティも一気に上がってですね
実はその前に5年も6年もかけて
できなかったことがキイチロウが入って
2年でこの開発が終わるっていうぐらい
スピードアップをされます。
それぐらいキイチロウっていうのは
もう卓越した技術者でした。
ちなみにキイチロウさんの設計
精度の高さを表す
エピソードがあるんですけども
食器を開発していくときにですね
輸出用の食器の開発をしてたそうです。
その設計を考えるときにですね
キイチロウさんはそれが
どの国のどんな場所で使われるのか
っていうのを事前に調べてですね
その現地の気温ですとか
湿度を調べて木材の歪み具合とか
っていうのを計算した上で
設計をするそうなんですよ。
その食器の作動具合
動き具合と滑らかさっていうのが
他の機械とも
全然拡大の違いがあると
言われるぐらいそういうことができるような
人材が入ってスピードアップした
というのが1個あります。
その撃破機にしたもう1つなんですけど
ポイントがあって
先ほどからあったように豊田式
食器株式会社から
放築された作地さんがいるわけですよね。
そことのまだ戦い
っていうのは終わっていないわけです。
つまり設備も人も特許も取られた
この豊田式食器っていうところ
なぜかと言うと
食器の特許もないわけですから
それをどうしていくのか
っていうところも必要ですし
そもそも織物を作る
自動食器の開発と特許の争い
スピーカー 1
その自動食器っていうのは
金属の部品をいっぱい使っているので
それを作るための設備っていうのも
かなり重要です。
簡単には作れるものではないので
この豊田式食器からベースの食器を
豊田房主が買って
そこに自動化をするために
いろんな装置をつけて
自動食器を開発しようとしていたんですね。
なので
今度また新しいの作りたいから
200台売ってちょうだいと
豊田式食器に
お金をかけるんですね。
でも今まで何個か提供してもらっても
普通に買えていたのが
ある日200機くれと言ったら
もうお宅に売らないと急に言われちゃったんですね。
これ何でかというと
特許の期限というのが
そろそろ迫ってきていて
かつ豊田房主が
自動食器の開発をし始めたっていう
情報をこの豊田式食器が
聞きつけて
このまま提供していると
強力なライバルになっちゃう
自動食器の開発をさせてなるものかということで
だんだん
提供を抑えに入っていく
感じだったんですね。
特許の争いことも
どんどん勃発してきて
最初は
一緒に共同開発して
新しい自動食器を作る
っていう線もずっと探っていたんですけど
それが結裂をする
という状況になります。
スピーカー 2
元はね
タキシさんが作ったやつなのにね
スピーカー 1
そうなんですよね
豊田サキシさんからしてみると
自分を追い出されましたと
なので当時
自分を追い出す形になった経営人には
恨みもあるわけですけども
元はといえば自分が作った
工場
自分が育てた人材
自分が発明した特許
の塊なんですよね
スピーカー 2
豊田式食器っていう会社は
スピーカー 1
だって豊田式が残ってますもんね
マサイね
特に弟子のような人材もたくさんいるので
愛着を持ってるわけですね
製造現場に対して
それがサキシさんの気持ちです
一方でキイチロウさん
息子の方はですね
親父あんな目に合わせて
てめえら何考えてんだっていう
恨みがずっと持ってるわけですよ
だからそこの豊田式食器への反感
っていうのはもう尋常じゃない
親の仇なんですね
そこを放り出された後の
自分の父親を見てるわけです
そうやって毎日発明活動
開発活動し続けた
自分の親父が
それを通用された後は
発明する気力がなくなっちゃって
生きる屍のような瞬間があったんですけど
それをキイチロウ少年
見ていたので
絶対に許せない感があるんですよね
それがもう結裂したと
上等だと
てめえらっていう感じで
スピーカー 2
逆に式がアップしていきます
スピーカー 1
それからサキシさんが
立て上げた叩き上げの技術者たちも
みんな豊田式食器株式会社を
辞めてきた人達だったので
もうあいつらも
冗談じゃねえと
対象についていくのが一番だ
って感じなので現場の式が
めちゃくちゃ上がってる
さらに開発スピードも上がっていく
感じになります
それでその豊田式食器と
揉めながらかつ式は高いという状況で
1924年
正式名称が
着替え式豊田自動食器
っていうのが生まれます
無停止ってことなので
通常は折っていると
糸がなくなりますと
糸がなくなったんで一旦止めて
糸を変えてもう一回スタート
って感じなんですけどもその糸の交換とか
そういうのもスムーズに
止めなくても行えるっていうような
そんな自動器です
通称G型自動食器って呼ばれるんですけども
それが誕生されます
当時世界最高の
折り物の機械
食器だったと
どんだけすごかったかというと
この佐吉さんが
その開発に成功してプロタイプが
出来上がってお披露目の時に
こんな言葉を残しています
指定の協力一致
義憤公害一段となりて
活躍しこの大事業を
常時せしめたること
実に嬉しくもあり頼もしくもあり
また協談せざるを得ない
ああ黙して
せざりし部下は今や口にて答えず
実物をもって答えたるなり
世はただ感謝するのみ
という言葉が残っていて
昔風の話なんですけども
とにかくですね
ブチ切れてたグループがですね
もうなんか怒りまくって
でめっちゃ活躍して
この大事業をやってくれたと
本当嬉しいと俺はと
基本的にその技術者の集団なので
みんなですね黙って答えない
部下たちだったんだけども
今はですねその口で答えるんじゃなくて
どうだっていう成果を見せて
答えてくれたと
本当感謝しかないですって感じで
もう佐吉感激って感じなんですね
ここが
佐吉さんが求めていた
場所みたいな感じ
でお父さんめちゃめちゃ感激しているんですけど
実はキイチロさん当然
豊田敷出機の野郎みたいな感じで
頑張ってやったんですけども完成したとき
実はめちゃめちゃ冷静で余裕もっててですね
いや大したことないと思ってました
みたいな感じで
言ってるんですね
おそらく参加して2年
余りでですねこれが完成しきった
というところもあったと思うんですけれども
いずれにしてもですね
このG型自動食器っていう
本当に革命的な織物の機械
っていうのが誕生して
それを量産するために1926年
豊田暴食の
カリア工場の隣にですね
この自動食器を
作るための会社
自動食器製作所っていうのが
設立されます
この豊田自動食器製作所
っていうのが豊田自動車の
母体となる会社
直接の母体となる会社というのが
生まれましたとなります
新たな会社の設立
スピーカー 2
はい
ありがとうございますちょっとこの続き
まさに気になるところでございますが
ちょっとお時間でございますので
次回ぜひお楽しみしていただければ
と思います
2番系ナンバー2の引き今後もここまで
ご視聴いただきましてありがとうございました
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ここまでのお相手はしだれゆうすけと
スピーカー 1
がつみや生霊でした
ありがとうございました
27:16

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