1. 二番経営 〜組織を支えるNo.2の悲喜こもごも〜
  2. #48 「すべては国のために」世..
2025-02-05 26:28

#48 「すべては国のために」世界最強企業の原点となった思想。トヨタグループ創業者・豊田佐吉編①

▼今回のトーク内容: 

創業者、豊田佐吉・喜一郎/最初から世界企業ではなかった/創業以来、一族が支えている/時代背景と国の産業/豊田佐吉は1867年生まれ/明治・大正・昭和の時代のうねり/明治維新/富国強兵・殖産興業/繊維産業が近代化/輸出の強化・外貨収益/衣服は世界中にニーズ/安価な人件費で外貨を稼ぐ/日本は紡績業が盛んに/「鶴の恩返し」のように織物を手作業で織る/これを機械化したのが豊田佐吉/静岡県・湖西市に生まれる/父親について大工見習いに/節約や貯蓄など道徳思想を身に着ける/現代のトヨタイズムにも通じる/15歳で「国家のために何ができるか」を考えていた/発明が大好き/国のために発明がしたい/少年・豊田佐吉の発想

▼番組概要:

COOや副社長などの「組織のNo.2」。その仕事をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、仕事の面白さ・大変さなど「No.2の悲喜こもごも」を語っていく番組。製造業に特化したコンサルティング企業、オーツー・パートナーズ取締役の勝見靖英と、幻冬舎「あたらしい経済」編集長の設楽悠介がMCを務める。毎週水曜日配信。

▼番組ハッシュタグ:#二番経営

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▼MC:

勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ 取締役)

1971年生。慶應義塾大学文学部卒。ジャパンエナジー(現ENEOS株式会社)、PwC、デロイトトーマツコンサルティング、日本IBMなどを経て、2015年7月よりオーツー・パートナーズに参画、2018年4月より取締役。製造業を対象とした戦略策定、業務改革、ERP/PLM等大規模システム導入等のプロジェクトを多数経験。プロジェクトマネジメント、チェンジマネジメントを得意とし、現在は経営企画/会計/人事総務/組織開発/IT/マーケティング広報等を管掌。HCMIコンソーシアム RX 推進人材・高度ロボットSI エンジニア育成事業技術委員会RX 推進人材育成分科会技術委員。

設楽 悠介(幻冬舎「あたらしい経済」編集長) ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/ysksdr⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

1979年生。明治学院大学法学部卒。マイナビを経て幻冬舎に。同社でコンテンツビジネス局を立ち上げ。電子書籍、コンテンツマーケティングなど新規事業担当。2018年にブロックチェーン/暗号資産専門メディア「あたらしい経済」を創刊。幻冬舎コミックスの取締役を兼務。「Fukuoka Blockchain Alliance」ボードメンバー。ポッドキャスターとして、Amazon Audible original番組「みんなのメンタールーム」や、SpotifyやAppleにてWeb3専門番組「EXODUS」など配信。著書に『畳み人という選択』(プレジデント社)。

▼ディレクター:

関岡 憲彦

▼プロデューサー:

野村 高文 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼制作:

Podcast Studio Chronicle ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://chronicle-inc.net/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼カバーデザイン:

松嶋 こよみ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/

サマリー

このエピソードでは、トヨタ自動車の創業者である豊田佐吉とその息子・木一郎の業績や、彼らが日本の近代化に貢献した方法について深く掘り下げられています。また、豊田自動車がどのように世界的な企業へと成長したのか、その背景にある「二番経営」の役割や時代背景についても考察されています。豊田佐吉は明治時代の貧しい農村に生まれ、宝徳思想に基づいて育まれました。この理念は後にトヨタイズムに影響を与え、企業文化の基盤を支えていると言われています。豊田佐吉の思想は、国家のために何ができるかを常に意識することに根ざしており、彼の発明への情熱は社会に価値を生み出すことと結びつけられています。それが彼のアイディアの原点となっています。

トヨタ自動車の創業者
スピーカー 2
二番経営 No.2の悲喜こもごも。
この番組では、なかなかおもてんでない組織の二番 No.2をテーマに、
トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ、大変さなど、
No.2の悲喜こもごもをリスナーの皆さんにお届けします。
スピーカー 1
こんにちは、株式会社オーツーパートナーズ 取締役の勝宮すいでです。
スピーカー 2
現当社新しい経済編集長のしだれゆうすけです。
二番経営第48回。
今回のテーマは、先週に引き続いてトヨタ自動車ですが、
その中でも今回から創業主、豊田佐吉編ですね。
はい、そうです。
スピーカー 1
前回、豊田自動車さんの今の状況ということで、
売上高とか販売台数がもう世界トップでとか、そういうお話をさせていただきました。
これからの二番経営で、豊田さんの話をどうやって進めるのかというのも、
ちょっと触れさせていただいて、
二番経営の人材がすごくたくさんいらっしゃるので、
まずは創業主をお話しして、トップの創業者の、
今日お話しします、豊田佐吉さん、それから木一郎さんの親子のですね、
創業者にもフィーチャーしながらですね、お話を進めていければと思っております。
スピーカー 2
はい、楽しみです。
スピーカー 1
創業主というところのイントロなんですけども、
まず今回、二番経営の人材が非常に多いという話をさせていただいたんですけれども、
豊田佐吉さん、それから豊田木一郎さんというのがグループの創業者と、
豊田自動車の創業者、この二人を指すことが多いんですけども、
この二人って名前聞いたことあるとか、どれくらいイメージあります?
スピーカー 2
ちょっとですね、全くですね、イメージがないと言ってしまうと恥ずかしいんですけれども、
スピーカー 1
いえいえいえいえ。
スピーカー 2
顔も浮かばない、恐縮ながらちょっとそそんなイメージでございますね。
スピーカー 1
はい、それなんかすごくよくわかって、これまで二番経営で話させていただいた、
豊田のホンダ総一郎さんとか、パナソニックの松下幸之助さんとか、
ソニーの森田競さん、井深勝さんとかっていうのは、
なんとなく顔も浮かぶし、歴代の経営者で誰がすごいっていうときに、
名前が出てくるような方たちだと思うんですよね。
でもそこで一番は豊田佐吉さんだとか、木一郎さんだとかっていうのって、
ほぼ聞いたことないんじゃないかなという気がします。
その中偉そうに今日お話をさせていただくんですけれども、
僕が調べるまで、なんとなく豊田佐吉さんっていうのは、
織物の機械を発明した発明家で、
その息子さんがお父さんが作った会社からカーブアウトする感じで、
そういった自動車の原型を作ったっていうのを、
ドラマで見たとか、そのレベルでしか知識はなかったんですね。
企業の成長と二番経営
スピーカー 1
なので、織物の機械の発明王と、
自動車の会社の源流の人っていうぐらいの中で、
今回改めて、この二人がどういう人物だったのか、
その周りの二腕経営と言われるような、
支える人材ってどんな方たちがいらっしゃるんだろうっていうのを、
ずっと見ていきました。
やっぱりこの二人が知名度が、
先ほど言った3社の皆さんと比べて、
本当に失礼ながら低いと思うんです。
でも豊田自動車っていう会社は、
前回お話ししたように、世界のトップで、
これまで紹介したどの会社のダブルスコア以上の、
業績だったりとか、規模を誇る、
そういう超超大企業。
そこが何なんだろうと、
すごく誰でも知っているようなトップではないようなんですけれども、
というところで改めて思うと、
この創業トップの時に、
めちゃめちゃ大成功して世界企業になったかっていうと、
実はそうじゃない。
なるほど。
創業者が作って、もちろん成功はされているんですけども、
実は不遇のうちに、
次の方にバトンを渡さなくてはいけなかった状態であったりとか、
我々が知っているような世界企業になる前段階で、
創業一族の方たちは、
次の方にバトンを渡す、
あるいは他の人たちに集団形態勢じゃないですけども、
なっていくですとか、
いろんなことが起きています。
一方で、今トヨタ自動車の会長はトヨタ昭雄さんですけれども、
パナソニックもソニーもホンダもですね、
みんなが知っている創業トップの一族の方がトップっていうわけではないじゃないですか。
でもトヨタだけはトヨタ昭雄さんが会長をやられているわけですよね。
トップオブトップをやられている状況。
ここも何か変わっているというか、他と違う。
トヨタ家、トヨタファミリーっていうのが、
ずっと創業以来存在していて、
それでも周りに支える人材の方たちがいると。
一族であったり一族じゃなかったりっていう状況があってですね、
時代によってまたそれも変わります。
トップが外部の人間で、
一族の方がセカンドを務めるような時代もありましたし、
その逆もありましたし、
それがですね、時代を越えてですね、
場と繋ぐよりももっと複雑で絡まり合った、
ほんとスターウォーズみたいな感じの印象を受けたんです。
ここでこういうふうに来るんだとか、
ここで伏線回収かみたいなのが、
本当にもう解釈が始まって、
何十年か見ていくところで、
ここで繋がったみたいなのが結構出てきてですね、
これまでお話しした2番Kの中で、
No.2の方、こういう方でこんな活躍されたんですっていうのよりもですね、
この創業の方たちをずっと見ていく中で、
このタイミングでこんな2番Kの方たちが入ってきたとか、
ここで一緒になったとか、
でもバトンごと渡しちゃったとかっていう話がどんどん出てきてですね、
非常に興味深いと思います。
なるほど。
この異能な創業者であることは間違いないんですね。
先ほど話した佐吉さん、喜一郎さんという。
でも01の凄さ、偉大さっていうのは間違いなくあります。
有名なその企業方たちっていうのは01もそうなんですけど、
たぶん0100とか01000みたいに持っていっちゃうような形だったんですけども、
トヨタに関してはですね、
01を創業者がやって、
その1から100とか1000までに持っていく、
その次の経時が凄かったりですとか、
そういう部分がかなり凄いというかエグいというかですね、
日本の近代化と産業政策
スピーカー 1
トップが立った時にですね、
トップ一人だけだと全く上手くいかない。
でもそこで2番手を見つけたと思ったら、
その2番手とうまく噛み合わなくて失敗しちゃったとか、
そんなケースとかも出てくるんですね。
なるほど、なるほど。
非常に興味深い点だと思います。
このトヨタファミリーと2番手という関係ですね。
あともう一つですね、
今回見て非常に興味深かったのがですね、
時代背景と国の産業っていうことなんですけれども、
これまでの2番手では、
第二次世界大戦の前後ぐらいから1980年代ぐらいまで続く
っていう話が多かったんですけども、
今回のですね、主人公の一人、グループの創業者でもある
トヨタ佐吉さんが生まれたのはですね、
慶応3年で1867年という、
これまでの方たちより数十年前に。
そうですね。
1867年っていうのは、
新戦組編でちょっとやりましたけど、
大正奉還とか王政復興をやってた時で、
この翌年の1868年から明治維新が始まったというふうに言われる、
そんな時代なんですね。
なので明治大正昭和と生きて、
その裏側には日本が鎖国からですね、
解き放たれて、
日本が近代化に向かっていって、
日清戦争とか日露戦争とか、
第一次世界大戦とか、
そういう大きいですね、戦争が起きて、
それの影響っていうのも直撃を。
スピーカー 2
そうですよね。
スピーカー 1
そういう時代を生きてるっていう、
そのなんかうねりの中にいる感じですかね。
それがすごく出てきてます。
で、この時代の中で一番最初、
明治維新というところからなんですけれども、
この明治維新っていうのは、
日本ですね、近代化を進めた改革と言われていて、
産業革命的なものがですね、
日本でも起きてきた、
そういう内容なんですけども、
明治維新の時のスローガンで、
不国共兵とか、
植産工業っていう言葉をなんか、
歴史の授業とかに必ず出てきたような、
言葉だと思います。
この教科書に出てきた植産工業っていうのがですね、
まさにど真ん中で聞いてきます。
植産工業っていうのは、
明治政府がやった産業振興政策で、
欧米からですね、いろんな機械設備とかを入れて、
ギリシタの人も海外から呼んで、
国が経営する工場っていうのを全国に建てていってですね、
産業を活性化させようというふうにしました。
その官営工場で一番有名なのが、
富岡製糸場というのがあります。
今世界遺産にもなっていますけれども、
製糸ですから、
生糸、糸を生産する工場。
生糸っていうのは、
蚕の眉から糸を紡いでいって、
それで糸を巻き取って、
使えるように布を作るための糸を作るっていう、
そういう宝石業なんですけども糸を作る。
そういう工場っていうのが、
日本の一番有名な植産工業の時のものでした。
その後その国はですね、
生糸っていう絹の糸だけじゃなくて、
綿の糸を作る宝石も発展しましたし、
今度は糸を作って、
そこから発展していく繊維産業っていうのが、
日本ではですね、
一番早く近代化されたっていうふうに言われています。
その近代化されたらですね、
どんどんどんどん作って、
作って国内でも使うんですけれども、
そこでもっと供給をしていくと、
今度それは輸出をしていくことになります。
輸出をすると外貨を稼ぐってことになりますので、
それが国に飛ばせていくというふうに習っていくと。
まさにこれが植産工業という感じになるんですけども、
その渦でですね、
このトヨタっていう会社が動揺を上げていくと。
なるほど。
もうなんか教科書読み上げてるみたいな話をして、
大変あれなんですけども、
キートとか富岡製糸場っていう話があって、
繊維産業っていう話を今申し上げたんですけども、
多分繊維産業って、
普通生きててあんまり意識することってないと思うんですね。
そうですね。
じゃあちょっと繊維産業についてですね、
改めて見てみると結構面白かったので、
ちょっとだけ触れさせていこうと思います。
今日以降のですね、話の中で理解の助けになるような内容も
ちょっと含まれていると思うんですけども。
まずですね、その繊維産業っていうのは、
さっき日本で最初に近代化された産業という話をしたんですけども、
結構新興国が近代化していく中で、
繊維産業の発展
スピーカー 1
よく繊維産業からスタートする例っていうのは非常に多いです。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
一番最初に産業革命を起こしたのがイギリスのマンチェスターで起きて、
繊維産業から始まっていますし、
そのあと今お話した明治維新の日本もそうです。
それから1960年代の韓国も実は繊維産業から近代化始まっています。
そうなの、なるほどなるほど。
中国も1980年代から改革開放期にはですね、
この繊維産業で出ます。
最近だとベトナムとかバングラデシュっていうのが
どんどん近代化してますけども、
グローバルブランドの下受けの縫製工場で
よく普段着てるものでメイドインベトナムとかバングラデシュっていうのは
非常に多いと思うんですよね。
でもちょっと前まではメイドインチャイナの衣類がすごく多かったと思います。
確かに。
そういう産業の中で一番最初に特化されるところですね、
それが繊維産業といわれています。
これはなんか理由があってですね、
全ての近代化がそのルートってわけじゃないんですけれども、
まずその繊維産業っていうのは結構労働集約型で
人が集まってワーッとやるっていう産業です。
あと比較的最初に特化する資本っていうのは
安くて済むというところがあってですね、
かつ大事なのが人間って大概衣服は世界中で着てるという
世界中にニーズがあるもの。
スピーカー 2
確かに。
スピーカー 1
そうですね。
当たり前なんですけども、そういえばそうかっていう感じですよね。
スピーカー 2
ちょっとうちの国では服着ませんって、
日本の部族とかいるかもしれないですけど、そうですよね。
スピーカー 1
誰にも着てるというところで需要が底がたいっていうのがあります。
ですので安価な労働力を武器に輸出産業化していって、
そこでお金を蓄えてインフラを整備していって、
教育の投資もして、そこから工業化をしていく、
廃鉄化をしていくとかっていうのが結構産業化の足掛かりとして
よく使われる。
日本もまさにそういうふうにしてきたという感じです。
最初とっかかりやすいといったら繊維産業なんですけども、
こっからは聞いたことある言葉なんだけど、
そういう意味だったっていうのがあってですね、
宝石って言葉聞かれたことあると思います。
スピーカー 2
そういう社名に入ってるとかもあったりしますもんね。
スピーカー 1
ありますよね。社名にもよく入ってると思います。
それから織物、縫製っていう言葉もあるんですけども、
これ全部繊維産業を表すということです。
まずこの3つの分類があるっていうのがちょっと分かりやすくですね、
一番最初、宝石業っていうのは糸を作る工程です。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
さっき木糸っていうのは開口の前から糸を作るって話をしましたよね。
それから綿っていうのは綿花っていう植物、綿みたいなのがあって、
そこから糸を作ります。
あと毛糸っていうのは羊とかそういう動物の毛からですね、
あれから毛糸を作っていく。
まずは糸を作るっていう工程があって、
それが宝石業って言われるところなんです。
今度糸ができたら、それを縦糸と横糸を組み合わせていって、
糸を織って布を作るっていう。
まずは布を作るという感じですね。
その後で布ができたら、今度はそれを裁断して布を縫って、
衣服を縫製していくっていうプロセスがあると。
なんで繊維産業っていうのは糸を紡ぐ、糸を作る宝石、
それから糸を織って布を作る織物、
それからその布を縫ってですね、衣服を作るっていう縫製という。
この3段階があるという意味になります。
この3段階のうちのですね、織物、糸をパッタンパッタン。
イメージは鶴の恩返しで、鶴が大きめですね。
あれで布を作って、縦と横の糸をですね、
こうやってって布を作ってるって工程なんですけども、
あのパッタンパッタンやってるのを機械化していったのが、
今日の主人公豊田幸志さんになります。
明治の最初の頃はもう本当鶴がやってたみたいに、
両手を持ってパッタンってやって、横としてまたもう一回パッタンってやるっていう。
あれをひたすらやり続ける。
そういう状況から自動化をしていったっていうのがですね、幸志さんになります。
繊維産業の特徴でもう一個ですね、
先ほど生糸は開庫からとか、綿は綿菓からっていう話があったんですけども、
この素材っていう部分です。
今はエアリズムとかヒートテックとかって科学繊維が非常に多いんですけども、
それでも綿のTシャツとかもありますよね。
そういうものって天然素材、虫ですとか植物、
そういったものから取れる。あるいは動物ですね。
そういうものから取れるんですけども、これ素材が天然っていう感じです。
なので工業という前にですね、まずは第一次産業で生物からですね、
素材を得るっていうプロセスがあって、それを加工していくっていう段階。
それが繊維産業になってくるんですけども、
これどういうことかっていうと、
一次産業って天気が悪かったりとか何かあるとですね、
もう全部吹っ飛んじゃうんですね、植物を育成すると。
台風来ましたとか、全然干ばつで水がなかったりすると植物枯れちゃって原材料取れない。
もう完全に不可耕生。
そうするとですね、これもう博打みたいなもんで、
根気全く取れませんでしたとかっていうんで、
世界中のですね、その面価の価格とかっていうのが、
もう上がったり下がったり激しいんですね。
そういう産業っていうのが素材でまず最初にあって、
それを使っていくっていうかなりですね、
経済変動の波を受けやすい産業でもあるっていうのが一個特徴になってます。
こういう生産業って3つで構成されてるとか、
一時産業の次なんですよっていうところがですね、
これからお話しする豊田幸さんがずっと直面してきたものっていうのが、
豊田佐吉の成長
スピーカー 1
まさにそれに直面をしてまいります。
早速ですね、豊田幸さんのおいたちから話したいと思います。
なるべくですね、退屈にならないようにお話ししていきたいと思うんですけれども、
いろんなところでですね、いろんな気づきというか、
今の豊田自動車にもつながる話があるんで、
スピーカー 2
お付き合いいただければと思います。
スピーカー 1
豊田幸さんですけれども、1867年ですね、明治維新の前の年に、
造花県の湖西市の山口村というところで生まれています。
塩州山口村と当時は言ったようですけれども、
今で言うと浜中のちょっと西か、
一番愛知県に寄ってるそのあたりで生まれてます。
その村はですね、非常に貧しい農村でありました。
お父さんの生吉さんというのがお父さんの名前なんですけども、
お父さんは百姓の片藁、百姓だけでは食べていけないので大工仕事をしていました。
お母さんも内職でですね、旗織りをバッタンバッタンってやりながらやってる。
そんな家庭だったんですね。
村の中で一番貧しいとか決してそういうわけではないんですけれども、
村自体が貧しい。
そういう時代だったのかもしれないですけども。
豊田作吉少年なんですけれども、小学校までは行けたんですけれども、
小学校以上は学校には通わせてもらえず、
12歳で小学校を卒業した後、お父さんについて大工の見習いを始めます。
だからもう自分はもっともっと勉強したいけど、
それ以上にはいけないんだというのを諦めて大工の見習いをしていた。
スピーカー 2
12歳ですからね。
スピーカー 1
もう中1の頃から。
スピーカー 2
中1の頃から。
スピーカー 1
そうですそうです。脱離仕事。
そこで仕事をしていたんですけども、
この村、お父さんの生き地が傾倒していた考え方でですね、
宝徳思想っていうのがあってですね、なんか急に出てきたんですけども、
宝徳ってあの報いる徳は道徳の徳なんですけども、
これは二宮金次郎、二宮尊徳ってよくあると思うんですけども、
その二宮金次郎、二宮尊徳っていうのは、
昔、最高させるっていうんですかね、
貧しい農業でうまくいかないところを改革して進めるですとか、
なんかそういうことをやった方なんですけども、
結構独自のですね、日本神道とか仏教とか儒教とかそういう教えと、
あと農業の実践からですね、独自に哲学的なものを編み出したんですね。
それが宝徳思想っていうものだったらしいですね。
何のことか言われてみれば、それは大事だなと思うようなことなんですけども、
例えば、建薬を心がけるとか、一生懸命に働くとか、
分に応じた暮らしをするとか、稼いで余った分はちゃんと貯蓄をするとか、
公共の福祉をすること、なんかこういうことが謳われた考え方があるんですよ。
ほんと道徳の授業みたいな話。
スピーカー 2
道徳の基礎みたいな話ですね。
スピーカー 1
もうそんな感じなんですけども、
この教えを豊田佐吉さんのお父さんが、これ大事だって守ってる家庭だったみたいなんですよ。
なるほど。
豊田佐吉さんもそれに幼少のころから触れていってですね、
結構この考え方も自分に徹底的に擦り込んでいったみたいなんですね。
そういうのは道徳思想が入ってるってことはあると思うんですけども、
実はこの考え方って、今のトヨタ自動車のトヨタ工業にかなり反映されている。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
技術貢献みたいな感じの考え方なんですけども、
無駄なお金を使わない契約をするとかっていうのは、
どこか今のトヨタイズムの中にも反映されているものっていうのが、
この貧しい農村で育った豊田佐吉少年の中で、
後で話すんですけども、豊田喜一郎さん、豊田佐吉の長男もですね、
この村で一番最初育ってですね、
小学校中学校になってもこの農村におじいちゃんおばあちゃんに会いに来るみたいなことをやっていたので、
結構彼にもその思想っていうのがあって、
トヨタ自動車の文化
スピーカー 1
トヨタ自動車の工業に反映されていると言われています。
そんな思想がある中でですね、
豊田佐吉さんっていうのは大工の見習いを12歳の頃からするわけですけども、
自分は勉強をしたくてしょうがないんですよ。
なので学校に行ってですね、
学校の中では授業を受けられないので、
外に立ってですね、窓を開けてもらってですね、
仕事をしているふりして授業を聞くとか、
なんかそんなこともやってたみたいです。
へー。
その時にですね、当時の小学校の先生から借りた本があって、
明治時代のベストセラーで、
最極律師編っていう西の国の律師立つ志の編という本があったんですね。
これ書いてるのがサミュエル・スマイルズっていう方なんですけども、
実はですね、最極律師編っていう本は聞いたことないと思うんですけども、
自助論っていうタイトルで本が出てます。
今も文庫本で売っていまして、
豊田佐吉の幼少期の思想
スピーカー 1
緑色の表紙でもう自己啓発本のなんか元祖みたいな感じ。
私も何年か前に読んだことあるんですけれども、
これもさっきの法徳の思想じゃないんですけども、
しっかりと頑張んなさいよみたいなことが書いてある本です。
もうすごく雑に言うとですね、
天は水から助くものを助くかな、
そういう言葉があって忍耐と勤勉が大事とか、
観察力が大事だとか、なんかそういうことを売ってる本です。
その中にですね、結構世界で成功したヒーローの話が入っていて、
蒸気機関を発明したジェームズ・ワットですとか、
先ほど糸を紡ぐの宝石という話をしたんですけれども、
ジェニー宝石機器っていう産業革命の時にできた糸を紡ぐ機械、
それを発明したハーグ・リーブスっていう方の本ですとか、
発明とそれからそれを事業にしてしっかりと稼いでですね、
世界初めての資本家と言われたアークライトっていう方のですね、
そんな偉人年というのも含まれている本だったんですね。
学校に行けないというのはさっき少年はですね、
そういった本にすごく夢中になって、
これでこんな機械とかっていうのがあるんだということで、
なんか関心をどんどん持っていきます。
常にですね、公共のために頑張らなきゃいけないっていう、
契約をしなきゃいけない、世のため人のためっていうことを
考えながらですね、大工仕事をやって、
学校のそばに行って気味を立てるっていう生活をしていて、
その豊田幸さんが大人になって帰った時点の中にですね、
15歳、16歳の頃考えてみたことっていうのがちょっと記載が残っていて、
15、16の頃、人間たるもの、国家のために何をすべきかひたすら考え、
いうことを書いたんですよ。
スピーカー 2
15歳、16歳の頃。
スピーカー 1
考えて何が閃いたかっていうと、
最初は太平洋を埋め立てて、領土の拡張を考えたっていうんですよ。
スピーカー 2
面白い。
もうなんか、すごくないですか。
まさにその、10代の柔軟さもあるような発想のような気がしますね。
スピーカー 1
そうか、海埋め立てて、国土を広げる、
これでお国のためになる、なんか大人は考えないんですけど、
なるほどなという感じだったんですね。
それをずっと考えながら生きてたんですけども、
18歳の時にですね、どこで見たかわからないですけど、
先輩特許条例っていう条例が施行されたニュースがあったんですけども、
先輩特許条例っていうのはどんなものかっていうと、
何かを発明した人に対して独占的な権利を認める、
要は特許権が今度日本でも導入されることになりました、
っていうような新聞記事を見たんですね。
そうすると、海埋め立てて国土を大きくしようと思ってたんですけども、
とにかくやりたいのは、お国のため、社会国家のため何ができるんだろうってことを考えて、
その時に海を生み立てるんじゃなくて、
世の中にないものっていうのを自分の頭を考えてひねり出して、
何か生み出すことができれば、これはもう領土の拡張と同じぐらい、
世の中に価値を生み出すことだっていうふうに、
スピーカー 2
18歳のトヨタ・サキシ少年は思ったんです。
スピーカー 1
発明だと。そこでガーンと来たっていう感じ。
トヨタ・サキシさんっていうのはこの後大発明家になっていくんですけども、
よく後の話でですね、もう発明強ですとか、
発明がとにかく好きでっていう話があったんですけども、
それの根本にはですね、社会国家のために何をしたらいいのかっていうのを考える時期がですね、
5年も6年もあって、その状況で発明っていう手段を、
この時にですね、トヨタ・サキシ少年は選んだという感じですね。
発明と決めたといったところで、
スピーカー 2
今日の放送時間はどうですかね。
でもすごいな、発明をしたいというアイディアって、
現代だと多分、どちらかといえば儲けたいみたいな、
そういう精神ですけど、
でも個人的にもう時代もあるかもしれないですけれども、
国のために発明が必要という発想がすごいですよね。
スピーカー 1
そうなんですね。何かをアクションを取っていく時にですね、
全ての発想の根源って国のためになるかとかっていう感じで考えていくんですよ。
意思決定をする時も全部その基準なんですよ。
発明の必要性とアイディア
スピーカー 1
海外進出する時もそれを考えているんですよ。
これがなんかこれまで話をしてきた企業家とか、
2番手の方たちとか全然違うところで、
それをずっと持ち続けた人なんだなっていうのがこの後なんですよ。
なるほど。
スピーカー 2
今ちょうど18歳まで言ったということでですね、
次回はそれ以降からですね。
でもこの時点でもちょっとものすごいので、
次回も楽しみにしております。
2番系No.2の引きこもごも、ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
気に入っていただけましたら、番組のフォローをお願いします。
Xやお便りサイトでも感想も落ちております。
ここまでのお相手は、しだれゆうすけと、
スピーカー 1
厚宮すいででした。ありがとうございました。
26:28

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