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スピーカー 2
二番経営 No.2の悲喜こもごも。
この番組では、なかなかおもてんでない組織の二番 No.2をテーマに、
トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ、大変さなど、
No.2の悲喜こもごもをリスナーの皆さんにお届けします。
スピーカー 1
こんにちは、株式会社オーツーパートナーズ 取締役の勝宮すいでです。
スピーカー 2
現当社新しい経済編集長のしだれゆうすけです。
二番経営第48回。
今回のテーマは、先週に引き続いてトヨタ自動車ですが、
その中でも今回から創業主、豊田佐吉編ですね。
はい、そうです。
スピーカー 1
前回、豊田自動車さんの今の状況ということで、
売上高とか販売台数がもう世界トップでとか、そういうお話をさせていただきました。
これからの二番経営で、豊田さんの話をどうやって進めるのかというのも、
ちょっと触れさせていただいて、
二番経営の人材がすごくたくさんいらっしゃるので、
まずは創業主をお話しして、トップの創業者の、
今日お話しします、豊田佐吉さん、それから木一郎さんの親子のですね、
創業者にもフィーチャーしながらですね、お話を進めていければと思っております。
スピーカー 2
はい、楽しみです。
スピーカー 1
創業主というところのイントロなんですけども、
まず今回、二番経営の人材が非常に多いという話をさせていただいたんですけれども、
豊田佐吉さん、それから豊田木一郎さんというのがグループの創業者と、
豊田自動車の創業者、この二人を指すことが多いんですけども、
この二人って名前聞いたことあるとか、どれくらいイメージあります?
スピーカー 2
ちょっとですね、全くですね、イメージがないと言ってしまうと恥ずかしいんですけれども、
スピーカー 1
いえいえいえいえ。
スピーカー 2
顔も浮かばない、恐縮ながらちょっとそそんなイメージでございますね。
スピーカー 1
はい、それなんかすごくよくわかって、これまで二番経営で話させていただいた、
豊田のホンダ総一郎さんとか、パナソニックの松下幸之助さんとか、
ソニーの森田競さん、井深勝さんとかっていうのは、
なんとなく顔も浮かぶし、歴代の経営者で誰がすごいっていうときに、
名前が出てくるような方たちだと思うんですよね。
でもそこで一番は豊田佐吉さんだとか、木一郎さんだとかっていうのって、
ほぼ聞いたことないんじゃないかなという気がします。
その中偉そうに今日お話をさせていただくんですけれども、
僕が調べるまで、なんとなく豊田佐吉さんっていうのは、
織物の機械を発明した発明家で、
その息子さんがお父さんが作った会社からカーブアウトする感じで、
そういった自動車の原型を作ったっていうのを、
ドラマで見たとか、そのレベルでしか知識はなかったんですね。
スピーカー 1
よく繊維産業からスタートする例っていうのは非常に多いです。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
一番最初に産業革命を起こしたのがイギリスのマンチェスターで起きて、
繊維産業から始まっていますし、
そのあと今お話した明治維新の日本もそうです。
それから1960年代の韓国も実は繊維産業から近代化始まっています。
そうなの、なるほどなるほど。
中国も1980年代から改革開放期にはですね、
この繊維産業で出ます。
最近だとベトナムとかバングラデシュっていうのが
どんどん近代化してますけども、
グローバルブランドの下受けの縫製工場で
よく普段着てるものでメイドインベトナムとかバングラデシュっていうのは
非常に多いと思うんですよね。
でもちょっと前まではメイドインチャイナの衣類がすごく多かったと思います。
確かに。
そういう産業の中で一番最初に特化されるところですね、
それが繊維産業といわれています。
これはなんか理由があってですね、
全ての近代化がそのルートってわけじゃないんですけれども、
まずその繊維産業っていうのは結構労働集約型で
人が集まってワーッとやるっていう産業です。
あと比較的最初に特化する資本っていうのは
安くて済むというところがあってですね、
かつ大事なのが人間って大概衣服は世界中で着てるという
世界中にニーズがあるもの。
スピーカー 2
確かに。
スピーカー 1
そうですね。
当たり前なんですけども、そういえばそうかっていう感じですよね。
スピーカー 2
ちょっとうちの国では服着ませんって、
日本の部族とかいるかもしれないですけど、そうですよね。
スピーカー 1
誰にも着てるというところで需要が底がたいっていうのがあります。
ですので安価な労働力を武器に輸出産業化していって、
そこでお金を蓄えてインフラを整備していって、
教育の投資もして、そこから工業化をしていく、
廃鉄化をしていくとかっていうのが結構産業化の足掛かりとして
よく使われる。
日本もまさにそういうふうにしてきたという感じです。
最初とっかかりやすいといったら繊維産業なんですけども、
こっからは聞いたことある言葉なんだけど、
そういう意味だったっていうのがあってですね、
宝石って言葉聞かれたことあると思います。
スピーカー 2
そういう社名に入ってるとかもあったりしますもんね。
スピーカー 1
ありますよね。社名にもよく入ってると思います。
それから織物、縫製っていう言葉もあるんですけども、
これ全部繊維産業を表すということです。
まずこの3つの分類があるっていうのがちょっと分かりやすくですね、
一番最初、宝石業っていうのは糸を作る工程です。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
さっき木糸っていうのは開口の前から糸を作るって話をしましたよね。
それから綿っていうのは綿花っていう植物、綿みたいなのがあって、
そこから糸を作ります。
あと毛糸っていうのは羊とかそういう動物の毛からですね、
あれから毛糸を作っていく。
まずは糸を作るっていう工程があって、
それが宝石業って言われるところなんです。
今度糸ができたら、それを縦糸と横糸を組み合わせていって、
糸を織って布を作るっていう。
まずは布を作るという感じですね。
その後で布ができたら、今度はそれを裁断して布を縫って、
衣服を縫製していくっていうプロセスがあると。
なんで繊維産業っていうのは糸を紡ぐ、糸を作る宝石、
それから糸を織って布を作る織物、
それからその布を縫ってですね、衣服を作るっていう縫製という。
この3段階があるという意味になります。
この3段階のうちのですね、織物、糸をパッタンパッタン。
イメージは鶴の恩返しで、鶴が大きめですね。
あれで布を作って、縦と横の糸をですね、
こうやってって布を作ってるって工程なんですけども、
あのパッタンパッタンやってるのを機械化していったのが、
今日の主人公豊田幸志さんになります。
明治の最初の頃はもう本当鶴がやってたみたいに、
両手を持ってパッタンってやって、横としてまたもう一回パッタンってやるっていう。
あれをひたすらやり続ける。
そういう状況から自動化をしていったっていうのがですね、幸志さんになります。
繊維産業の特徴でもう一個ですね、
先ほど生糸は開庫からとか、綿は綿菓からっていう話があったんですけども、
この素材っていう部分です。
今はエアリズムとかヒートテックとかって科学繊維が非常に多いんですけども、
それでも綿のTシャツとかもありますよね。
そういうものって天然素材、虫ですとか植物、
そういったものから取れる。あるいは動物ですね。
そういうものから取れるんですけども、これ素材が天然っていう感じです。
なので工業という前にですね、まずは第一次産業で生物からですね、
素材を得るっていうプロセスがあって、それを加工していくっていう段階。
それが繊維産業になってくるんですけども、
これどういうことかっていうと、
一次産業って天気が悪かったりとか何かあるとですね、
もう全部吹っ飛んじゃうんですね、植物を育成すると。
台風来ましたとか、全然干ばつで水がなかったりすると植物枯れちゃって原材料取れない。
もう完全に不可耕生。
そうするとですね、これもう博打みたいなもんで、
根気全く取れませんでしたとかっていうんで、
世界中のですね、その面価の価格とかっていうのが、
もう上がったり下がったり激しいんですね。
そういう産業っていうのが素材でまず最初にあって、
それを使っていくっていうかなりですね、
経済変動の波を受けやすい産業でもあるっていうのが一個特徴になってます。
こういう生産業って3つで構成されてるとか、
一時産業の次なんですよっていうところがですね、
これからお話しする豊田幸さんがずっと直面してきたものっていうのが、
スピーカー 1
まさにそれに直面をしてまいります。
早速ですね、豊田幸さんのおいたちから話したいと思います。
なるべくですね、退屈にならないようにお話ししていきたいと思うんですけれども、
いろんなところでですね、いろんな気づきというか、
今の豊田自動車にもつながる話があるんで、
スピーカー 2
お付き合いいただければと思います。
スピーカー 1
豊田幸さんですけれども、1867年ですね、明治維新の前の年に、
造花県の湖西市の山口村というところで生まれています。
塩州山口村と当時は言ったようですけれども、
今で言うと浜中のちょっと西か、
一番愛知県に寄ってるそのあたりで生まれてます。
その村はですね、非常に貧しい農村でありました。
お父さんの生吉さんというのがお父さんの名前なんですけども、
お父さんは百姓の片藁、百姓だけでは食べていけないので大工仕事をしていました。
お母さんも内職でですね、旗織りをバッタンバッタンってやりながらやってる。
そんな家庭だったんですね。
村の中で一番貧しいとか決してそういうわけではないんですけれども、
村自体が貧しい。
そういう時代だったのかもしれないですけども。
豊田作吉少年なんですけれども、小学校までは行けたんですけれども、
小学校以上は学校には通わせてもらえず、
12歳で小学校を卒業した後、お父さんについて大工の見習いを始めます。
だからもう自分はもっともっと勉強したいけど、
それ以上にはいけないんだというのを諦めて大工の見習いをしていた。
スピーカー 2
12歳ですからね。
スピーカー 1
もう中1の頃から。
スピーカー 2
中1の頃から。
スピーカー 1
そうですそうです。脱離仕事。
そこで仕事をしていたんですけども、
この村、お父さんの生き地が傾倒していた考え方でですね、
宝徳思想っていうのがあってですね、なんか急に出てきたんですけども、
宝徳ってあの報いる徳は道徳の徳なんですけども、
これは二宮金次郎、二宮尊徳ってよくあると思うんですけども、
その二宮金次郎、二宮尊徳っていうのは、
昔、最高させるっていうんですかね、
貧しい農業でうまくいかないところを改革して進めるですとか、
なんかそういうことをやった方なんですけども、
結構独自のですね、日本神道とか仏教とか儒教とかそういう教えと、
あと農業の実践からですね、独自に哲学的なものを編み出したんですね。
それが宝徳思想っていうものだったらしいですね。
何のことか言われてみれば、それは大事だなと思うようなことなんですけども、
例えば、建薬を心がけるとか、一生懸命に働くとか、
分に応じた暮らしをするとか、稼いで余った分はちゃんと貯蓄をするとか、
公共の福祉をすること、なんかこういうことが謳われた考え方があるんですよ。
ほんと道徳の授業みたいな話。
スピーカー 2
道徳の基礎みたいな話ですね。
スピーカー 1
もうそんな感じなんですけども、
この教えを豊田佐吉さんのお父さんが、これ大事だって守ってる家庭だったみたいなんですよ。
なるほど。
豊田佐吉さんもそれに幼少のころから触れていってですね、
結構この考え方も自分に徹底的に擦り込んでいったみたいなんですね。
そういうのは道徳思想が入ってるってことはあると思うんですけども、
実はこの考え方って、今のトヨタ自動車のトヨタ工業にかなり反映されている。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
技術貢献みたいな感じの考え方なんですけども、
無駄なお金を使わない契約をするとかっていうのは、
どこか今のトヨタイズムの中にも反映されているものっていうのが、
この貧しい農村で育った豊田佐吉少年の中で、
後で話すんですけども、豊田喜一郎さん、豊田佐吉の長男もですね、
この村で一番最初育ってですね、
小学校中学校になってもこの農村におじいちゃんおばあちゃんに会いに来るみたいなことをやっていたので、
結構彼にもその思想っていうのがあって、
スピーカー 1
緑色の表紙でもう自己啓発本のなんか元祖みたいな感じ。
私も何年か前に読んだことあるんですけれども、
これもさっきの法徳の思想じゃないんですけども、
しっかりと頑張んなさいよみたいなことが書いてある本です。
もうすごく雑に言うとですね、
天は水から助くものを助くかな、
そういう言葉があって忍耐と勤勉が大事とか、
観察力が大事だとか、なんかそういうことを売ってる本です。
その中にですね、結構世界で成功したヒーローの話が入っていて、
蒸気機関を発明したジェームズ・ワットですとか、
先ほど糸を紡ぐの宝石という話をしたんですけれども、
ジェニー宝石機器っていう産業革命の時にできた糸を紡ぐ機械、
それを発明したハーグ・リーブスっていう方の本ですとか、
発明とそれからそれを事業にしてしっかりと稼いでですね、
世界初めての資本家と言われたアークライトっていう方のですね、
そんな偉人年というのも含まれている本だったんですね。
学校に行けないというのはさっき少年はですね、
そういった本にすごく夢中になって、
これでこんな機械とかっていうのがあるんだということで、
なんか関心をどんどん持っていきます。
常にですね、公共のために頑張らなきゃいけないっていう、
契約をしなきゃいけない、世のため人のためっていうことを
考えながらですね、大工仕事をやって、
学校のそばに行って気味を立てるっていう生活をしていて、
その豊田幸さんが大人になって帰った時点の中にですね、
15歳、16歳の頃考えてみたことっていうのがちょっと記載が残っていて、
15、16の頃、人間たるもの、国家のために何をすべきかひたすら考え、
いうことを書いたんですよ。
スピーカー 2
15歳、16歳の頃。
スピーカー 1
考えて何が閃いたかっていうと、
最初は太平洋を埋め立てて、領土の拡張を考えたっていうんですよ。
スピーカー 2
面白い。
もうなんか、すごくないですか。
まさにその、10代の柔軟さもあるような発想のような気がしますね。
スピーカー 1
そうか、海埋め立てて、国土を広げる、
これでお国のためになる、なんか大人は考えないんですけど、
なるほどなという感じだったんですね。
それをずっと考えながら生きてたんですけども、
18歳の時にですね、どこで見たかわからないですけど、
先輩特許条例っていう条例が施行されたニュースがあったんですけども、
先輩特許条例っていうのはどんなものかっていうと、
何かを発明した人に対して独占的な権利を認める、
要は特許権が今度日本でも導入されることになりました、
っていうような新聞記事を見たんですね。
そうすると、海埋め立てて国土を大きくしようと思ってたんですけども、
とにかくやりたいのは、お国のため、社会国家のため何ができるんだろうってことを考えて、
その時に海を生み立てるんじゃなくて、
世の中にないものっていうのを自分の頭を考えてひねり出して、
何か生み出すことができれば、これはもう領土の拡張と同じぐらい、
世の中に価値を生み出すことだっていうふうに、
スピーカー 2
18歳のトヨタ・サキシ少年は思ったんです。
スピーカー 1
発明だと。そこでガーンと来たっていう感じ。
トヨタ・サキシさんっていうのはこの後大発明家になっていくんですけども、
よく後の話でですね、もう発明強ですとか、
発明がとにかく好きでっていう話があったんですけども、
それの根本にはですね、社会国家のために何をしたらいいのかっていうのを考える時期がですね、
5年も6年もあって、その状況で発明っていう手段を、
この時にですね、トヨタ・サキシ少年は選んだという感じですね。
発明と決めたといったところで、
スピーカー 2
今日の放送時間はどうですかね。
でもすごいな、発明をしたいというアイディアって、
現代だと多分、どちらかといえば儲けたいみたいな、
そういう精神ですけど、
でも個人的にもう時代もあるかもしれないですけれども、
国のために発明が必要という発想がすごいですよね。
スピーカー 1
そうなんですね。何かをアクションを取っていく時にですね、
全ての発想の根源って国のためになるかとかっていう感じで考えていくんですよ。
意思決定をする時も全部その基準なんですよ。