1. 二番経営 〜組織を支えるNo.2の悲喜こもごも〜
  2. #49 身重の妻を置いてでも織機..
2025-02-12 29:25

#49 身重の妻を置いてでも織機を研究開発。“発明王”豊田佐吉の誕生。トヨタグループ創業者・豊田佐吉編②

▼今回のトーク内容: 

豊田佐吉少年、10代で静岡から家出/横須賀で機械を見てまわる/「機械ってすごい」/ふと、母親の機織り機を見る/「もっと改良できるのでは」「外国にも売れるのでは」/織機に興味/村中からお金を借りて織機を研究・開発/23歳、愛知・知多で海外製織機と出会う/知多の庄屋が佐吉のパトロンに/上野で海外織機の博覧会が開催、東京へ/二週間、海外製の織機を眺めながらメモ/1890年、豊田式木製人力織機を発明/父親「いい加減、静岡に戻って家業を継げ」/幼馴染と結婚させられる/しかしすぐに東京へ戻る/結婚相手も佐吉を追って東京へ/1894年、身重の妻を置いてまた家出/愛知・豊橋の親戚宅でまたも織機の研究/長男・喜一郎の誕生/革新的・新型自動織機の発明/パトロンが「知多で自動織機の会社をつくろう」と提案/初の国産動力織機工場の設立/豊田佐吉、30歳で再婚へ

▼番組概要:

COOや副社長などの「組織のNo.2」。その仕事をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、仕事の面白さ・大変さなど「No.2の悲喜こもごも」を語っていく番組。製造業に特化したコンサルティング企業、オーツー・パートナーズ取締役の勝見靖英と、幻冬舎「あたらしい経済」編集長の設楽悠介がMCを務める。毎週水曜日配信。

▼番組ハッシュタグ:#二番経営

▼番組への感想、MCへのメッセージは以下までお寄せください:

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfIAssluiJoSAgI6li4Vj1r8mZcoSc3LgdVuNptDV4kkJ5Atg/viewform⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

オーツー・パートナーズ公式サイト

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.o2-inc.com/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼MC:

勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ 取締役)

1971年生。慶應義塾大学文学部卒。ジャパンエナジー(現ENEOS株式会社)、PwC、デロイトトーマツコンサルティング、日本IBMなどを経て、2015年7月よりオーツー・パートナーズに参画、2018年4月より取締役。製造業を対象とした戦略策定、業務改革、ERP/PLM等大規模システム導入等のプロジェクトを多数経験。プロジェクトマネジメント、チェンジマネジメントを得意とし、現在は経営企画/会計/人事総務/組織開発/IT/マーケティング広報等を管掌。HCMIコンソーシアム RX 推進人材・高度ロボットSI エンジニア育成事業技術委員会RX 推進人材育成分科会技術委員。

設楽 悠介(幻冬舎「あたらしい経済」編集長) ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/ysksdr⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

1979年生。明治学院大学法学部卒。マイナビを経て幻冬舎に。同社でコンテンツビジネス局を立ち上げ。電子書籍、コンテンツマーケティングなど新規事業担当。2018年にブロックチェーン/暗号資産専門メディア「あたらしい経済」を創刊。幻冬舎コミックスの取締役を兼務。「Fukuoka Blockchain Alliance」ボードメンバー。ポッドキャスターとして、Amazon Audible original番組「みんなのメンタールーム」や、SpotifyやAppleにてWeb3専門番組「EXODUS」など配信。著書に『畳み人という選択』(プレジデント社)。

▼ディレクター:

関岡 憲彦

▼プロデューサー:

野村 高文 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼制作:

Podcast Studio Chronicle ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://chronicle-inc.net/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼カバーデザイン:

松嶋 こよみ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/

サマリー

豊田佐吉は18歳から22歳の間に、発明への情熱と試行錯誤の過程を経験します。彼は母親の旗織り作業を見て、効率化の必要性に気づき、織機の改良を目指す決意を固めます。最終的には、初めての発明である豊田式木製人力食器を完成させるまでの厳しい道のりがあります。豊田佐吉は、妻のタミさんを残して東京に布の生産工場を開設し、食器の研究に取り組みます。しかし、結婚後まもなく再び東京に戻り、タミさんは孤独に過ごすことになります。最終的に、佐吉は多くの試行錯誤を経て画期的な自動食器を発明し、発明王へと成長します。トヨタ自動車の創業者・豊田佐吉が発明王としての道を歩む過程では、彼を支えた義理の母・朝子さんの影響が浮き彫りになります。また、彼の成長に重要な役割を果たした教育者・西川昭二の存在も紹介されます。

発明のきっかけ
スピーカー 2
二番経営、No.2の悲喜こもごも。この番組では、なかなか重点でない組織の二番、No.2をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ、大変さなど、No.2の悲喜こもごもをリスナーの皆さんにお届けします。
スピーカー 1
こんにちは。株式会社オーツー・パートナーズ、取締役の勝宮司令です。
スピーカー 2
現当社新しい経済編集長のしだれゆうすけです。二番経営、第49回。今回のテーマは、先週に引き続いて、トヨタ自動車のシリーズ、創業者・豊田佐吉編のパート2です。
スピーカー 1
はい。前回は、創業者・豊田佐吉さん、18歳のところまでたどり着いたという感じで。
すごかったですね。
そこで時間が終わってしまって、なんかやたら国のことを思う少年だったっていうお話をさせていただきました。
ここまではですね、もう本当に立派なお子さんというか少年ですよね、18歳っていうところなんですけども、こっからがですね、加速度的に狂っていきます。
スピーカー 2
お、そうなんですね。
スピーカー 1
18歳のところからですね、いこうと思うんですけども、まず18歳で発明だっていうふうに思ったわけですよね。
で、19歳になるんですけども、その時にですね、発明って何発明したらいいか、まあわかんないわけですよ。なんか生み出すってことは思ったんですけども。
スピーカー 2
そうかそうか。発明をすることを国のためが重要だと気づいたけど、何をするかっていうのをこっから考えるっていう状況であったってことですね。
スピーカー 1
全く決めてないでしたと。とりあえずですね、なんかこうインプットなきゃっていうんで、静岡県の西の方に住んでいたところからですね、いきなり東京に家出します。
スピーカー 2
家出なんだ。
スピーカー 1
家出なんです。あの、なんしても大工仕事やってますから、その仕事をおっぽり出してですね、いきなり家出をするんですね。
お父さんの息子さん、もう大激怒。いきなりいなくなっちゃうんです。
スピーカー 2
理念に背きますよね、お父さんが大事にしてた。
スピーカー 1
そうなんですよ。お父さんは法徳志相でもその場で一生懸命頑張るっていうのが新城の方ですから、そしたらなんかどこ行ったと思ったらいきなりいなくなってるっていう感じで東京に家出をします。
で、東京に来てですね、当時景品地区ですね、今景品工業地帯というあたりにですね、ようやく新しい工場とかそういうものが生まれ始めてきました。
はい。
で、その工場にですね、夜中忍び込むんですよ。何も言わずに。忍び込んで見たこともない機械をですね、ひたすら見て回るっていうことを東京から横浜にかけて行って、今度横須賀まで行ってですね、横須賀に造船所があったので、そこにも忍び込んでですね、警備員と追っかけ回されながらですね、不法侵入をしながら機械を。
そうですよね。不法侵入ですよね。どう考えたのに。
で、この時点でだいぶあたおか感が出てくるんですけれども、でも機械すごいなって言って、これでも子供の家じゃないですけれども、またこの静岡県の山口村というところに戻ってきます。
で、まだ発明何するって決められたわけじゃないんですけど、機械すごいなって思って帰ってきてですね、そしてこう改めて自分の家の中を見るとですね、母親がずっと旗織りをパタンパタンやってると。
スピーカー 2
そう言ってますよね。
スピーカー 1
もう子供のとこから旗織りをやっていて、それをですね、こうじーっと見るとですね、なんかその動きが効率的じゃないなとか、お母さんすごい大変そうだなっていうのが目につくようになったんですね。
なるほど。
これひょっとしたら自分が旗織り機を改良したら、もっと効率よく作業できるんじゃないかと。
で、そしたらお母も楽になるし、これ良くなったやつを売ったら世の中のためになるんじゃないかと。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
もっと早く大量にですね、この旗織りができるようになるっていうのは、外国にも売って国が豊かなるんじゃないかっていうふうに、そこでガーンときたんですね。
これでもうじゃあ自分はこの織物をする食器と言いますけども、織り器ですね。
それをですね、発明しようっていうのを19歳の時に心に決めます。
資金調達の苦労
スピーカー 1
でも本職は大工です。
でも大工の仕事をですね、もう徹底的にサボりまくってですね、お父さんにかくれってですね、もうひたすら研究をするんですね。
研究って大工なので材料があれば組み立ててやるとかっていうのはできるんですけれども、たださ、その木材はどうするんだとか、糸も必要になるとか。
例えば釘とか金属も必要になってくるってことで、貧しい農家ですからお金なんかないわけです。
なのでお金を借りまくるんです。
同じ村の中でですね、もうみんなにちょっとこういうことをやりたいんだけどお金貸してくれないかっていうのを行ってまわるんです。
でこの山口村の全家の中にですね、借金をしまくってですね。
なんかその後ある方が調べたらしいんですけども、この時に豊田佐紀さんにお金を貸してない家っていうのがなかったんです。
スピーカー 2
わあすごい。
スピーカー 1
もう全部の家からお金を借りてですね。
もう莫大な借金を19歳から21歳までずっとお金を借りまくってですね、発明研究活動を大工サボってやり続けるんですけども、ひたすらそれを繰り返していると。
スピーカー 2
すごいなあ。
スピーカー 1
中には自分は1000円貸したんだって証文が残ってるって家もあったらしくて、明治時代の1000円って今で言ったらもうなんかいくらかわかんないですけど何千万とかそんなレベル。
本当にそれを貸すんだろうかっていうのもあるんですけれども。
とにかく親がお尻拭いて返すっていうのも超えるぐらい、それぐらいの借金をしまくってたみたいです。
本人は発明で大成功して、特許取ったらもう一発で返せるっていうふうに信じてですね、ひたすら研究を続けていったという感じになります。
21までですね、お金を借りてやってたんですけれども、なかなかこうやっぱりできないんですよね。
発明が完成しきれないというところで22歳になってですね、また2回目の家出をします。
最初の発明の完成
スピーカー 1
隠れながら発明やって、昼は適当にですね、大学仕事をやるっていうのを数年間ですね、繰り返していたところで22歳。やっぱりこのままじゃなっちゃいかんと。
以前東京神奈川に行った時に横須賀の造船所でなんかすごいの見たなーって言って、もう一回横須賀に行くんですね。
そこでいろんなもの見るんですけども、数日で帰ってきます。横須賀に家出した時にですね、さあこの時に、あ、なんかこの子また家出しそうだなって言って、
お母さんがですね、それに気づいてこっそりとですね、この滝津さんのカバンの中にですね、2円のお金とおにぎりかなんかを入れて、無言で送り出すってことをやってたんですね。
この時の2円っていうのは、なんか肩売りで貯めたお金っていうよりもですね、この豊田家の全財産をそこに入れてですね、送り出したっていう、なんかそんな話が残ってるらしいんですけども。
ただまあ、そこで行ってもですね、静岡県から横須賀とか東京ってのは全部歩いて行ってますから、途中で電車とかもないので。
スピーカー 2
そうです。平成にかかるとそうだ。新幹線で行ったと一緒に頭に見せると全然違いますね。
スピーカー 1
そうなんですよ。今のね、静岡って別に日帰りでっていう感覚ですけども、もうとんでもない。電車も通ってないですから。
スピーカー 2
うん。なるほど。
スピーカー 1
その時代なんですけれども、行って全財産を添え込まれたんですけど、またすぐに戻ってきて、何を気づいたわけでもなくまた初期の研究に没頭すると。
そこで大工の仕事はしているんですけども、やっぱなかなか進まないと。
で、その時にですね、隣の愛知県の千田というところにですね、海外製の初期の機械をですね、導入した家があるっていうのを聞いてですね、いきなりその静岡県からその愛知県の千田っていうところに移り住みます。
で、そこに見せてくれっていうのを言いながら、自分大工なんで何か手伝いますとか言いながらそこに住み込んでですね、それをこう見るということをやっております。
その時に23歳なんですけども、この時にですね、この千田という場所でですね、商屋さん大地主のようなお金持ちの石川東八さんという方と出会ってですね、どういうふうに出会ったのかという記録は残ってないんですけども、
お金持ち商屋さんですので、この人がですね、これまで人からお金を借りまくるっていうことしかできなかったんですけども、初めてですね、さきちさんの発明っていうのはちょっと面白いかもしれない。
これが当たったらひょっとしたらひょっとするぞって思って、この人がですね、初めてのスポンサーパトロンになった。
なるほど。
千田の商屋さんが。で、その時のさきちのキャラなんですけども、今のですね、ベンチャーキャピタルからお金を集める企業家のようにですね、弁説爽やかにですね、こんな事業が成功するんですとかっていうタイプでは全然なくてですね、
打ち気な性格で、無駄口全然言わなくてですね、もう一人で物事を考え込む、なんかそんな感じだったみたいなんですよ。
そんな中で時々ですね、自分の夢をボソボソと語るっていう、完全な陰キャです。陰キャの発明狂みたいな感じですね。賢ったことが嫌いで挨拶も苦手。
コミュ力がもうほとんどない。でもなんかみんなお金貸しちゃうんですよ。
そうそう、近所でね、みんな貸してくれたからすごい人間力があるのかなと思いきや、まあ人間力はある意味あるんでしょうけど、すごいコミュニケーション力はそんなにない。
スピーカー 2
むしろ情熱で借りたってことですね。なんか凄みがあったのかもしれないですね、逆に。
スピーカー 1
なんかすごいんですよね。
なんかすごい。
多分彼のやりたいこととかっていうのが、自分のためじゃなくて、みんなのためにこれをやったらすごくいいと思うんですっていうのがやっぱり前面にある人なので、なんかその熱意に穂出されるような人たちがいたんじゃないかなっていう感じ。
そこでもう最初のスポンサーになった石川藤橋さんですね、これまで何回も家出して東京とかに行ってたんですけども、当時ですね、上野で内国官業博覧会っていうのがあって、海外からの機会を一堂に合わせて展示するっていうイベントがあったんですけども、そこに行ってこいと言われてですね、その博覧会っていうのに行きます。
開催の期間がですね、半月くらい、2週間くらいあったらしいんですけども、2週間ですね、毎日その博覧会に通ってですね、食器折り機があったんですけども、そこの前にですね、朝から晩までずーっとそれを見ながらノートを書くっていうのを2週間毎日やり続けたらしくてですね、もうニコニコしてないわけですよ。
ムスッとしながらこう書いてるわけですよ。でも気持ち悪いんですよね。警備員の人に君は何なんだねって言われながら、いやいやノート書いてるだけですけど何かみたいな感じでやり取りをしてっていう状況。
実はその博覧会で見ていたときにはですね、どいださき氏の発明の完成間近で、最後の最後の爪、この歯車のところはどうなってるのかなとか、それができたときにどうやって備え付けてるんだろうかっていうところの確認作業のために海外の機械を見ると。
スピーカー 2
本当の最後の最後なので、細かいところを見るためにそれだけの時間をかけたということだったようです。
スピーカー 1
ということでですね、23歳のとき1890年、どいださき氏の最初の発明、豊田式木製人力書記っていうのがですね、産声を見ます。
これがようやく完成します。発明王の最初の発明品ということになりますね。
ただこれは自動でガチャガチャ折るのではなくて、人が手動でパッタンパッタンやるってことは変わらないんですけども、これまで両手で操作しなきゃできなかったところが片手で操作できるようになってですね、生産性は確か上がってですね、1.5倍ぐらいの生産性になったようです。
片手でできる、片っぽは他のことできるっていうことでだいぶ重宝はするということではあったんですけども、残念ながらですねインパクトも弱くてですね、ほとんど売れなかった。
スピーカー 2
なるほど、そうなんですね。
スピーカー 1
ただこれが最初の発明ですね。家出を繰り返して、いろんな人を巻き込みながらやってるという状況でした。
ここまではですね、まだぶっちゃけかわいい感じだったんですけども、23歳で最初の発明をして、そこからその本当発明強がですね、発明の鬼になって、
台本には発明の鬼が父を勝るっていう書き方をしているんですけれども、これはちょっとダブルミーニングになってきてですね、大工の当僚でもある自分の父を金繰り捨てて、他のところに住んでですね、ずっと研究を続けていって、この豊田敷木製人力食器っていうのを生んだわけですけれども、まだまだ全然足りないということでですね、木製人力食器っていうのは何せ布を織るための機械ですから、
布を生産する工場の設立
スピーカー 1
この機械が売れないんだったら自分で布を織って、その布を売ればいい。その布を売ったお金で開発の隙にしようということを考えたわけですね。じゃあ布を誰が買ってくれるのかというと、やっぱり一台消費者の方がいいだろうということでですね、愛知県の地下にいたところからですね、やっぱり東京でしょって、東京に行くんです。
どうやって抱えていったのかわからないですけど、その木製の食器を持ってですね、大八グループが引いて、東京の浅草に行きます。浅草にですね、この布を作って売るための工場を作ってですね、おそらくこの工場を作るお金っていうのも、千田の石川東発さんがお金を出してくださったんだと思うんですけれども、それで布を作って売って、そのお金で食器の研究をしようというふうに思ったんですけども、なかなか素人商売ですからうまくいかないんですね。
反論も何もないところで、布が作れてもってことですよね。作れても全然売れないという感じです。でも何とかしなきゃって頑張っていったらですね、ある時山口村のですね、お父さんが休業があるから村に急いで帰ってきてくれという連絡が入ります。
何のことだと思ったら、お父さんがいい加減発明なんかやめて帰って大工になれということで、騙してですね、村に帰させてそこで見合いをさせてですね、結婚しろと。結婚したら落ち着いてこの村に戻ってきて大工仕事をやるだろうというふうにお父さん考えてですね、そこで結婚をさせます。
その結婚相手っていうのは昔からの幼馴染の友達の妹のタミさんという方。タミさんと結婚をすることになります。見合いをしてすぐ結婚という感じになります。お父さんはそこまでやっていつ来るだろうというふうに思ったらですね、実家に帰って11日経ったところで、ふらっとまた東京に戻っていっちゃったんです。花嫁さんを置きっぱなして。
まだ新婚? 新婚です。ここもちょっといくらお父さんから言われた無理くり結婚っていう感じかもしれないですけども、でも昔から知ってるね、そのタミさんという。本当に嫌だったら断ったかもしれないところなんですけども、花嫁を置いて東京に戻っちゃう。さすがに結婚したら新婚ですから、その奥さんのタミさんもですね、その後を追っかけて上京をしていきます。
一緒に浅草で暮らすんですけれども、ひたすら研究室に入ってですね、こもって貧しい生活をし続けるんですね。貧しい生活だったんですけれども、結婚したということもあってですね、タミさんは妊娠をします。で、妊娠をするんですけども、タミさんは東京を知ってる人一人もいない。旦那もずっと研究で全く相手にしてくれない。心細いですよね。
なのでお願いだから村に帰ってくれないかっていうのを頼み込んで、その工場で布を作る商売も全然うまくいかないので、あきらめてじゃあ一旦村に帰るかということで、みよものですね、タミさんを連れて工場を畳んで村に帰ることになります。
それがですね、1893年の終わりなんですけれども、1894年、村に帰って数ヶ月経ったところ、もうお腹どんどんどんどん大きくなったんです。その状況なんですけれども、そのみよものの奥さんを置いてですね、佐紀さん、また家出します。
スピーカー 2
もう、で、行っちゃうんですね、やっぱね。
スピーカー 1
突然ですね、何も言わずにいなくなると。
スピーカー 2
虎さんみたいですね。またかってなってると思いますよね。
スピーカー 1
もう本当に一所にいないという感じ。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
今度はですね、愛知県の豊橋というところに親戚の方がいたので、そこでですね、やっぱり食器の研究をすると言って、そこに転がり込んでですね、ひたすら研究をするってことを。
一応親戚なのでここにいるよっていう連絡はあったんだと思うんですけども、一切ですね、いないと。
で、そのタミさんはですね、自分がとついた家にですね、旦那もいないところで、主婦と女がいるところにですね、ポツンと残されても不安だったんだと思います。
不安の中でですね、ようやく2ヶ月経って、第一子ですね、長男の喜一郎さんを産むことになりました。
まあ無事に誕生したわけですけれども、子供が産まれたと言って、豊橋にいるたきちんに連絡をしたらですね、まあ一応子供が産まれたってことで実家に戻ってくるんですね。
スピーカー 2
おー来た。
スピーカー 1
戻って、この子の名前は喜一郎と書いて喜一郎だって言って、そのまますぐまた戻っちゃった。
おーすごいなー。
命名だけしてすぐに戻っちゃったと。
その状態ですから、そっからですね、喜一郎が生まれて2ヶ月後、民さん出本します。いなくなっちゃうんですね。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
うわー。
生まれたばっかり生後2ヶ月の赤ん坊を置いて、民さんいなくなってしまって、そっからもう二度と戻ることはなかったということです。
一応まあ幼馴染の友達の妹なので、実家は近所なんですね。でもそっからいなくなった所属名なので、もうそこには戻っていないようです。
これはなんかまあいろんな説があるんですけれども、子供は祖父母が離さなかったんじゃないかっていう説もあります。
スピーカー 2
自分のはもう置いていくっていう。
スピーカー 1
ほんとは連れて行きたかったかもしんないですよね。
後継ぎなんでっていうことで、あなただけ行きなさいっていう風にされたのかどうかわかんないです。
確かに。
ただまあ過酷ですよね。身をもで一人にされて、子供を産んだ時もですね、旦那いなくてですね、いてもすぐいなくなっちゃうっていう。
もうなんか普通じゃないですよね。
普通じゃない。
スピーカー 2
もちろんその今の夫婦感とか時代感は違うにしても、この頃でも結構ひどいんじゃないかなって気もしますよね。
スピーカー 1
いやもうひどすぎますよね。
スピーカー 2
昔だからいいっていうレベルじゃない。
スピーカー 1
なんかでもこの話ってかなり衝撃で、今回豊田佐紀さんの本をいろいろ読む中でですね、結構子供向けの電気みたいなのもいっぱい出てるんですよ。
でそれ読んでるときに、右上のキイチロウさん誕生して、良かったなと思ったら次のページでお母さんがいなくなったっていうのが書いてあって、何?みたいな感じで。
何が起きたんだろう?みたいな感じだったんですけども、本当にそういう感じだったようです。
スピーカー 2
うわーすごいなー。
スピーカー 1
強烈ですよね。
ここでそのタミさんっていう女性をすごく不幸にしてしまったキイチロウもですね、生後2ヶ月で親なし、もう同然ですよね。父親はいない、母親いなくなる。
ということで祖父母に育てられるという状況になります。本当そこの村の中でそういう状況になりました。
これもですね、このキイチロウ少年の育っていく性格人格形成にものすごい影響を与えてくるんですけれども、ちょっとまたその話は後で出てくるんですけども、
自動食器の発明
スピーカー 1
家族を捨ててですね、豊橋で研究をしていた作地なんですけれども、一応ですね、そこで家族を捨ててまで頑張った甲斐があってですね、ちょっとした発明をすることができました。
稼繰機というある機械を発明することができました。これは何かと言いますと、糸をですね、その食器に設置するときに綺麗に巻いていないと旗織りがうまくできないんですね。
なので旗織り機用の糸を綺麗に整えて設置する、そこに巻き付ける、そのための機械というのが昔からあってですね、それは何か一つのものを持ってくるくる回しながら一つに巻き付けていくようなものだったんですけども、
これをですね、同時に6つくるくるくるって巻き付けられるような機械っていうのをこの豊橋で発明をしました。
これで何かちょっと便利になるんで売れるんじゃないかということで埼玉県に持って行ってですね、そこで実際販売したらですね、めちゃめちゃ飛ぶように売れたらしいですね。
なのでこれは良かったと売れるぞと思って実家に連絡をします。実家に行くとですね、柿地さんは2人弟がいたんですけども、そのうちの上の方の弟平吉というんですけども、19歳の平吉をですね呼びつけてですね、
あのお兄ちゃんこういうの発明したから、お前これから関東でこれ売りまくれって言って、じゃあ俺発明するからって言って、弟にそれを押し付けてですね、19歳の静岡で上手く育った弟にですね、もう関東売り歩けって言って、また静岡に戻るって言って、意味わかんないんですよね、もうなんかね、このね弟が偉くてですね、売りまくるんですね、頑張って。
スピーカー 2
いやすごいよな、もういきなり営業前になってるわけですもんね。
スピーカー 1
いやもうそうなんです。大工だったんですよ、この弟。
スピーカー 2
弟も大工か、そうか、しかも東京の土地化もそんなにないところから始まってるわけですね、多分そうですね。
スピーカー 1
そこでなんとか売って、でこの時に豊田商店っていう風に一応奥号をつけてですね、そこで売るようになりました。
うーん、なるほど。
1894年なんですけれども、そこでですね、お金をちょっと稼いでですね、その稼いだお金で夢だった自動食器ですね、人力で動かすんじゃなくて自動で動くような食器の開発っていうのを進めてます。
そして1895年、佐吉が28歳の時にですね、ついにこの自動食器っていうのが発明されます。
その名も豊田式木鉄混成動力食器、豊田式飛力食器とも言うんですけども、要は自動でですね、ガタガタ動く、そういう折り器っていうのが生まれてきます。
これも革命的な動力食器と言われてるんですけれども。
スピーカー 2
そうか。
スピーカー 1
この生産性がですね、従来のものの20倍、それだけでもすごいんですけども、当時自動食器っていうのは海外の製品であったんですけども、まずドイツ製がですね、1台872円としました。
なんとなく872万とか8700万とかなんかそんな感じで思っていただいたらいいんですけども、でフランス製は389円でした。
872円と389円っていうのが海外製の自動食器。
この豊田式は93円で売ることができる。
スピーカー 2
半分以下めちゃくちゃ安いですね。
スピーカー 1
もうめちゃくちゃ安いんです。もう8割引きとかドイツ製に変えるから。
生産性爆上がりなんですね。
なのでこれはもうすごいの作ったと。
もうこの時点で発明王になるかみたいな感じなんですけども、
この豊田作品さんには先ほど下半島であった石川東八という方がスポンサーでいたという話があったんですけども、
このスポンサーがですね、この自動食器を使って布を作るそういう会社を立ち上げようということでですね、
その千田の大津川村というところに、大津川綿布防止会社、布を作る会社をですね設立しました。
ここにはですね、豊田作地も出資をする形で、出資というか自動食器を作ってそこに原物出資のような形で入っていくんですけども、
ここでもう初の国産動力食器による型折りの工場が生まれます。
一方で、それはもう布を作る工場だったんですけども、この自動食器を作る工場、機械自体を作る工場も必要だということでですね、
その稼繰機っていうのを売っていた豊田商店としてもですね、今度は名古屋のほうに動力食器を作る専門の工場を立ち上げます。
これもう国産初の動力食器の工場ですね。
この2つ、布を作る工場と自動食器を作る工場っていうのが1997年に生まれます。
そこで作る布っていうのが、とにかく効率がいいだけじゃなくて、きめが細かくてですね、布の品質もめちゃくちゃいいということですね。
この布も売れたし、それが折れる食器というこの機械も爆売れするということになります。
この時点で発明王が誕生したということができる。
スピーカー 2
すごいですね。
スピーカー 1
もうちょっとだけ進めていきたいと思うんですけども、今この商売が進んだという中でですね、
これ1895年だったんですけど、どんどんどんどんですね、それを売っていきまして、売っていく中で、
まだまだ売れたといっても本当に個人商店にちょっと毛が生えたところの工場みたいな感じだったんですけど、
ここでですね、親としてはまた一人にしとくと、またいついなくなっちゃうんじゃないかというところもあったので、
1897年発明をした2年後に親の勧めもあってですね、また同じ村の出身の女性、石川麻子さんと再婚をすることになります。
この時、それはさっき30歳で、新しい奥様、麻子さんは20歳ということですね。
この麻子さんっていうのはめちゃくちゃ美人でですね、頭が良くてひたすら仕事ができる。
何よりも豊田佐吉っていうこの発明家をリスペクトしてやまないという、そういう人だったんですね。
そういう新しい奥さんが来て、名古屋で自動食器を作る工場に佐吉は住んでいましたので、そこで暮らすことになります。
ここで再婚したので、村に置いていた長男の喜一郎、もう今3歳になってるんですけども、
その3歳の喜一郎っていうのも名古屋に引き取ってですね、麻子という義理の母親が育てることになるんですけれども、
豊田佐吉とその家庭
スピーカー 1
おじいちゃんおばあちゃん子だったその喜一郎少年ですね、3歳の子が来たときに、義理のお母さん、初めてのお母さんと文字にしようと会うんですけれども、
このお母さんですね、甘えられる存在というよりもですね、名古屋では自動食器を作る工場があるんですね。
お母さんめちゃめちゃ美人で実務能力があるということで、ひたすらお父さんを支える共同経営者ですね。
経営の総務で、そこで働く工場の人たちの飯の世話魔です。
もうそういう感じで、朝起きて超仕事しまくる、そういうご夫人だったんですね。
実業家が家に2人いるみたいな状態。
なんですけど、朝子さんが育ったのは、ちゃんと喜一郎さんの教育もしっかりと気を配っていてですね、
この喜一郎少年っていうのは、小さい頃におじいちゃんおばあちゃんに育てられて、両親ほとんど見ない状態で育ちました。
ひたすら大人しくて無口な子供だったそうです。
友達作んないんですね。そこでずーっと家で大人しくしてる。
別に成績がいいわけでもなくという感じの子供だったんですけども、
それを心配した義理のお母さんの朝子さんにですね、
親戚で学校の先生をしている西川昭二さんと21ぐらいの年齢の先生に相談して、
だとしたらこういう学校があるからそこに転校したらどうですかっていうアドバイスをもらってですね、
そこに転校させるってことをしています。
なので義理の子供なんですけども、しっかりと面倒見てですね、というのが朝子さん。
そしてそこのアドバイスをするのに、朝子さんの親戚の西川昭二さんというのが何回もですね、
名古屋の工場に来たりしてる。
そこで友達作さんとも会うわけですね。
学校の先生やってんのか。お前けっこう優秀だな。うち来い。
でも学校の先生じゃだめだから、もう一回工学の勉強をしておいで。
後にこの西川昭二さんっていうのは、今の東京工業大学。
ちょっと学校の名前変わりましたけども、そこに一回も卒業して学校の先生になってるんですけども、
大学入り直して、それでまたトヨタ作氏の元に来るという。
すごくこの後もキーマンとして出てくるんですけども、
それも朝子さんの親戚筋の方ですね。
ということで結構進んできたので、
今日始まったのが18歳の時に発明するぞって言ったところで、
今トヨタ作氏さん30歳になったっていう話をさっきしたばっかりで、
あんまり時間は進んでいないんですけども、
スピーカー 2
ただこのタイミングで発明王になってますんで。
スピーカー 1
今日発明王になったところまでというところで。
運命の流れ
スピーカー 2
すごいですね。まずそのトヨタグループという世界的企業が出来上がる、
本当に初めのきっかけの裏に涙を流した女性がいたというところも知らなかったですし、
ちょっと詳しくは分からないですけれども、
その時にもしかして初めの奥さんが逃げていなかったら、
この再婚してないわけですよね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
勝美さんのお話だと、この再婚した奥さんの仕事できっぷりと、
あとその人間関係でまた西川さんなんかも入ってきて、
みたいなことを考えると、すごい運命の流れを感じるなって。
スピーカー 1
そうなんですよね。
繋がっていってるというか、結果論かもしれないんですけども、
何かそれが出来てるっていうのがあってですね、
2番経営と言いながら、2番経営の人材がまだこの人ですっていうのが全然出てきてない、
創業者の話ばっかりしてる状況なんですけども。
スピーカー 2
ある意味でも奥さんが、西川麻布さんがちょっと2番っぽい感じではありますけどね。
スピーカー 1
2番っぽいなってますよね、共同経営者みたいな感じでやってると。
次回はですね、この人が2番経営人材ですっていう人が立て続けに何人か出てまいりますので、
次週お待ちいただければと思います。
スピーカー 2
はい、楽しみです。ありがとうございます。
2番経営No.2の引きこもごも、ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
気に入っていただけましたら、番組のフォローをお願いします。
エッグセアお便りサイトでも感想もお待ちしております。
ここまでのお相手は、しだれゆうすけと、
スピーカー 1
勝宮水礼でした。ありがとうございました。
29:25

コメント

スクロール