【第2回】 動力革命と環状織機の夢:佐吉、苦悩と飛躍
人力織機から動力へ!豊田佐吉が日本初の動力織機を完成させ、実業家として飛躍する軌跡。三井物産との提携と独立、環状織機など自動化への挑戦と苦悩を描く。常識を超えた発想と不屈の精神に迫る。次回は、世界が驚愕するG型自動織機へ!
豊田佐吉の成果物を動体展示で見れる場所
サマリー
豊田佐吉は、動力革命を背景に日本の産業を変革するために、初めて本格的な動力食器を発明します。この発明により生産性が飛躍的に向上し、彼の技術は日本の繊維産業における重要な転換点となります。豊田佐吉は独自の技術を追求し、環状織機という革新的なアイデアを提案しますが、実用化には至りません。このエピソードでは、彼の自動化技術の進展やそれに伴う苦悩、さらに飛躍に向けた挑戦が描かれています。また、豊田佐吉の動力革命や環状織機の開発過程における苦悩と飛躍が描写され、彼の強い情熱と不屈の精神が日本の産業の発展に寄与する様子が紹介されます。
豊田佐吉の発明家としてのスタート
明日のファクトリーオートメーションにようこそ、メインパーソナリティの高橋です。はい、2回目です。
いやー、前回のね、第1回、皆さん聞いていただけましたか?
幕末のね、同乱期に生まれたこの豊田佐吉さんが、お母さんを楽にさせた一心と、
最極力支援に触発された熱い思いで、ついに豊田式木製地肉食器を発明して、人生の初の特許を取った。
これをまさにね、覚醒前夜という物語のところまで、第1回でお話ししました。
でね、僕が佐吉さんの物語でグッとくるのが、やっぱりこのね、スタート地点なんですよ。
決してね、彼はエリートじゃありません。小学校しか出ていません。
田舎の学歴のない青年が、自分の観察眼と執念と、何より誰かの役に立ち合いという、すごく純粋な思いで道を切り開いていく。
この姿がね、本当にたまらないんですよね。
さあ、今回の第2回は、佐吉さんが発明家として、そして実業家として、一気にスケールアップしていく時代に突入します。
今回のテーマはですね、前回もお話しした通り、動力革命と環状初期の夢、佐吉苦悩と飛躍というタイトルでお話ししたいと思います。
今回はね、人力からついに動力へ。
日本の産業史を塗り替える第一発明に佐吉は挑みます。
さらにちょっと常識が考えられないぶっ飛んだ発明を手に出します。
これがね、めっちゃ面白いです。
もちろんね、そこには成功だけじゃなくて、大きな苦悩や挫折っていうのも待ち受けています。
この光と影、両方をがっつりほぎり下げていきましょう。
準備はいいですか?
それではスタート!
さて、最初の特許を取って発明家としてデビューした佐吉。
でもね、彼は一つの成功に暗中するような魂じゃないんですよね。
木星人力初期っていうのはものすごい画期的だったんですけど、
彼の中ではやっぱりまだまだ満足してなかったんですよ。
それは万博で見た初期に到達しないからですね。
だから常に彼はもっと良くするには次はどうするっていうのを考えてるんです。
でね、この後彼がまず取り組んだのは1894年、27歳の時です。
発明してから3年後ですね。
ここでね、糸繰り返し器っていうね、これ何かっていうと、初期を折るためには糸が必要ですよね。
で、この糸っていうのは、皆さん糸の作り方知ってます?
糸っていうのはね、綿がいっぱい集めてきて、その綿をいっぱい合体させるじゃないですか。
で、その綿をちょっとつまんでクリクリクリクリって回転させながら引っ張ると、糸がピューってその綿の中から連続して出てくるんです。
でね、この糸を、当然その糸長いままだと扱えないので、ボビンみたいなものに巻き取るんですよね。
で、この巻き取る機械、これがこの糸繰り返し器っていうものになります。
ちょっと地味ですよね。
なんかやっぱ派手じゃない。さっきの人力食器に比べて全然派手じゃない。
でもね、笠木さんのすごい点はここなんですよ。
彼はね、その食器本体だけじゃなくて、この糸から最終的に食器を作るっていう工場全体のプロセスを見てるんです。
これすごいことなんですよ。
当時、彼の身の回りのところっていうのは家庭内種工業です。
お母さんは別に誰かと流れ作業してるわけじゃなくて、ひたすら旗織りをしてただけ。
一つの工程しか笠木さんは見てなかったはずなんですよ。
でも、全体の工程ですよね。糸がどこから出てきて、それがどうなって最終的に織物になるのか。
この工程のどこにボトルネックがあって、どこを改善すればもっとスムーズに、そして安く作れるか。
こういう全体最適の発想っていうのが、この27歳の笠木さんには既にあるんですよ。
これが後のトヨタ生産方式にもつながる大きな視点なんですよね。
この糸繰り返し機、結構売れたらしいんですよ。
結構売れたらしい。
ここで笠木さんがある程度まとまった資金を得れたっていうことが、次のもっと大きな発明の原始になったとも言われてます。
まさにこの着実なステップアップ。
一つ一つ課題をちゃんとクリアして、次のステージへ進むっていう堅実ですよね。
さあ、そしていよいよ笠木さんは日本の初期史におけるとんでもないダイジャプニョになります。
これは動力の導入ですね。
時代は明治の中期です、ここまで来ると。
日本はこの時どういう状況だったかっていうと、
富国強兵、植産工業のスローガンの下に西洋に追いつけ追い越せで、近代化を猛烈に進めてた時代です。
欧米では、もう既に産業革命が起こっているので、蒸気機関がバリバリ動いてて、その蒸気機関で工場がガンガン動いているような、
こういう産業革命が起こって、工場で機械がガンガン動いて、物を大量に生産するっていうのが当たり前の時代になってました。
でも日本はそうじゃない。
佐紀さんも万博の流れとかから、この流れはもちろん知ってたはずです。
彼が作った木製人力食器っていうのは素晴らしかったけど、やっぱり所詮は人力なんですよね。
一人が一つの機械しか扱えない。
生産性をどんどん飛躍的に高めていくためには、この人間の力を超えた動力っていうものが必要だと彼は思ったんです。
彼はここから日本の生産業っていうものをどんどんレベルを上げていきます。
日本の生産業を世界レベルに引き上げたいっていう、このでっかい足を持ってたんですね。
そのためには、動力化っていうのは避けれ通れない道だったんです。
でも、やっぱり言うはやすし行うはカタシなんですね。
カタシ、難しい?台本が読めない。
当時の日本は蒸気機関で動く本格的な動力食器なんて、誰も使ったことなかったんですね。
一人もいなかった。
だから設計図もないし、参考になるものもない。
ゼロから挑戦したんです、彼。
また彼、寝る間を惜しんで研究会社に没頭します。
蒸気機関の仕組みからまず学んでいったんですね。
蒸気機関ってどうやって動いてるんですか?
その力をどういうふうに食器に伝えるんですか?
今みたいにモーターを組み込んでそれが動くみたいなわけじゃなくて、
当時は蒸気機関ってすごく大きな工場に一つだけあるでっかい動力が、モーターみたいなのがあって、
そこから全ての機械にリアルなシャフトですね。
軸で動力を伝達してた。
これを試行錯誤をして、当然、欧米の機械って鉄なんですよ。
大部分鉄なんですけど、当時の日本は鉄がむちゃくちゃ高かった。
なので、安い木と鉄を組み合わせるっていうのが基本的な主流なんですけど、
ただそうすると耐久性の問題っていうのがすぐ出てくるんですよね。
この炊き章は木と鉄っていうのをどう組み合わせれば高速な動きに耐えられるか、頑丈な機械になるか、
これを何度も何度も失敗して作り直したんですよ。
周りからまた佐吉が何か無茶なことやってんなって言われたかもしれません。
でも彼の頭の中では蒸気の力で高速に布を織り上げていく未来の工場の姿っていうのが、この時はっきりと見えていたはずです。
そして1896年。
これもまた早いんですよね。
1894年に糸繰り返しを作ってます。
国家2年。
ついにその努力が形になります。
佐吉29歳です。
この時日本で初めて本格的な動力食器、トヨタ式気力食器が完成するんです。
気力っていうのは、汽車の気に力ですね。
なので動気管で動く食器だよっていう意味です。
これ本当すごいんですよ。
これも原物が残っているので、皆さん是非トヨタ産業記念館にあるんで見に行ってください。
木材と鉄材っていうのをうまく組み合わせて、木と鉄の混成です。
ハイブリッドですね。
この蒸気のパワーっていうのを効率よく伝達して、従来の何倍のスピードで布織ることができました。
しかもこれ構造がめっちゃシンプルなんですよ。
なので、昔ビーダーマンでも言ってましたけど、シンプルっていうのは最強なんだということですね。
なので佐吉ならではの操作やメンテナンスっていうのも相当しやすいように工夫されたと言われています。
これが日本産業革命のあるメンテナンスマンがいるとかいうんじゃなくて、日本の実情にあった実用的な動力食器だったんですよね。
実業家としての成功
当然この豊田式気力食器っていうのも1898年に特許取得します。
これが日本の繊維産業にとってまさに動力革命って呼ばれる幕開けを継げるという歴史的な経験だったと思います。
今まで人力でお母さんが夜鍋してたのが動力になって、人が今まで1時間かけて織ってたのが数分でできるようになると。
この桁違いの生産性に向上する可能性っていうのがここで示されたわけです。
ここではまだなってないですよ。
まだいろんな課題がありますから。
でもそれに対するものすごく大きな転換点だったわけですね、ここが。
この産業界に与えたインパクトっていうのはもうはかりしないものがあったはずです。
ここから日本では他にも動力食器発明した人が結構いるんですけど、いろいろ広がっていくと。
サキスさんがすごい発明をして普通ならやったーってなるところなんですけど、サキスさんがちょっと違うんですよ。
彼は発明家であると同時に優れた実業家でもあるんですよね。
作ったものをどうやって世の中に広めて事業として成功させるか、そこまでちゃんと考えてます。
まずね、1897年、気力食器。
この完成の翌年に石川東八という人と組んで、オッカワメンプゴ市会社っていう会社を立てます。
これは自分の発明した動力食器を実際に工場に入れて布を生産販売する会社ですね。
食器を織るんじゃなくて自分の作った食器を使って布を織って販売する会社ですね。
要は自分の発明の有効性を実地で証明しようとしたわけです。
ユーザーとしての視点ですね。これは大事です。
サキチの独立と新たな道
さらに彼の才能に目をつけた当時の巨大財閥、三井グループですね。
中核企業、今もある三井物産。
ここが1899年にサキスさん三井物産の支援を受けてイゲタ商会っていう会社を作るんです。
そこの技師長に就任します。いわゆるCTOですね、今でいう。
これは豊田式動力食器っていうのを本格的に製造販売するための会社。
三井の持つ資本力や販売網っていうのをうまく活用して一気に事業をスケールアップさせようとしたんです。
すごいですよね。この時もまだ相当若いはずですよ。30ちょっとじゃない?
田舎の発明家だったサキスさんっていうのが三井物産に認められてタックを組んで、彼の技術力がものすごく高く評価されてたっていう証拠だと思いますね。
まさにこれは明治時代のドリームストーリーだと思います。
と思いきやです。
やっぱり現実はそんなに甘くないんですよ。
順風満帆に見えた意外と紹介のキャリアなんですけど、ここでサキスさん結構な大きな壁にぶち当たります。
それは経営方針をめぐる三井側との対立ですね。
よく共同創業者の音楽性が合わないっていうのはよくあるんですけど、それをサキスさんも経験してしまいます。
いろんな諸説あるんですけど、一説にはサキスさんはもっと研究開発の都市したかった。
食器の性能をどんどん改良していきたいと思ってたんですけど、三井側っていうのはやっぱり商売人なんで、ある程度の性能の食器っていうのをとにかくたくさん売って利益を上げたかったんですよね。
ここにサキスさんとの理想のギャップが生まれてしまったなんて話もあります。
よくあると思います、これは。
発明家として既にサキスさんが見えているところと大企業の倫理、論理で圧力が生まれたんでしょうね。
共同系ってやっぱり難しいんですね。
サキスさんですらうまくやれなかった。
特にサキスさんみたいな強烈な個性と信念を持った人にとっては、自分の思い出にならない状況っていうのはやっぱり体型かったのかもしれません。
1902年、サキスさんはすごく大きな決断をします。
なんと三井物産っていう巨大なバックボーンを投げ捨てて、池田商会を退職します。
自分の理想を追求するために再び独立の道を選ぶんです。
そこで設立したのが豊田商会。
これは相当な覚悟ですよね。
安定した地位を捨てて、またゼロから自分の力で勝負するわけですから。
でも彼にとっては、自分の信念を曲げてまで大きな組織にいることはできなかったんです。
自分の手で本当にいいと思うものを自由に作りたい。
その思いがリスクを取らせたんでしょうね。
この辺の権威や安定に込めない反骨精神っていうのがサキスさんの魅力の一つだと僕は思います。
自動化技術の開発
さて、ここで独立したサキスさん。
彼の目にはもっと先のものを見てたんだと思います。
それは何か動力化の次はっていう話ですね。
それは何かというと自動化です。
人の手をできるだけ返さずに機械が自分で判断して動く。
これが実現できれば生産性はさらに向上し品質も安定する。
彼はそう確信してたと思います。
1937歳です。まだ37歳なんですよ。
めっちゃくちゃ喋って、僕第1話と比べて45分ぐらい喋ってるんですけど、まだ37歳なんです。
37歳か。
ここでサキスさんが自動化のいろいろ技術開発していくんですけど、その第一歩となる発明っていうのがここで生まれます。
ここを砕かえ式自動初期っていうのを作るんですよ。
これは何かっていうと、初期を運転した旗を折っていくんですけど、その時に横糸っていうのはポッポッポって投げていくんですね、勝手に機械が。
これが今までだったら無くなったら止まるんですよ。
人が入れ替えてもう一回起動っていう風にやるんですけど、この横糸が無くなったら自動的に新しいものと交換して止まらずに生産を続けてくれるっていう画期的な装置を開発したんです。
この横糸を無くなったら自動で交換するっていう、これサキスさんのこれからのコア技術になります。
これによって糸を補充するために一時機械止めなくて良くなったんですね。
これ地味なんですけど、めちゃくちゃ重要で、完全自動化っていうことに対する本当にキー技術だったんですよね。
ここでめちゃめちゃ重要な不責となる発明をサキスさんがしたわけです。
皆さんこれ機械を止める手間がなくなったっていう話なんですけど、
豊田式起力食器ってさっきありましたよね、最初に動力で発明した。
あれ横糸3分で無くなるんですよ。
3分ごとに人が止めて変えてってずっとやってたんですよね。
だから人が1人ずっと食器に張り付いてるんですよ。
人が扱える食器が1つまで。
人がこれを1個、2個、3個、4個、100個っていう風にしていきたいんですよね。
そこにはこの横糸の入ったボビンを自動で交換するっていうこの仕組みっていうのがマストで必要だった。
それもサキチが開発してしまったっていうことなんです。
ここから1906年、39歳の時です。
いよいよ自分の発明した食器っていうものを本格的に製造販売するための拠点となる会社、豊田式食器開封式会社ですね。
これを設立します。
これが今もあるんです。
あるっていうのは微妙ですけど、これをルーストする会社は今もあるんです。
フォア工業さんっていうね。
彼はここの常務取締役に入って、経営者として腕をどんどん発揮していきます。
ここまで順調に自動化に進んできてるように皆さん見えますよね。
ここから同じ1906年にサキチさん、もっとぶっ飛んだか発明するんですよ。
これが彼のキャラクターをよく表して面白いんですけど、その名も環状食器っていうものです。
これも重要な分解さんなんですけど、環状食器。
皆さん、食器って普段どうやって作られてるかっていうと、さっき言ったとおり縦糸が張ってあるところに横糸を通してそれを往復して平らに縫っていくんですけど、これがやっぱ常識ですよね。
サキチさん考えたら環状食器っていうのは違うんですよ。
環状食器っていうだけで布を筒状に折っていく、どういうことって思いますよね。
皆さんマフラーとかあったことありますかね。
マフラーとかも筒状に折っていくと思うんですけど、あんな感じで筒状に布をどんどん生産していって、最後にそれをスパッと切って開いて布にするっていう。
そういう前代未聞の発想だったんです。
これどういうものかっていうと、そもそも布っていうのは袋を作ったりするときに縫い合わせたりする手間があったりする。
最初から筒だったらそれが省けるっていうのもありますし、さっき言ったとおり往復運動をするんですよね。
右からまず左に横糸を通して、次に左から右に横糸を通してっていうとどうしても一回止まるんですよ。
これが円形だったら止まらずにぐるぐるぐるぐるやれるよねって。
止まらないんだがすごく効率いいじゃんみたいな。
こういう発想のコペルニクス的展開とも言ってもいいかもしれないです。
これやっぱすごいんですよ、発想が。
意味わからんっす。
この環状食器も動いてるとこまだ見れるんで、皆さんトヨタ産業記念館ぜひ行ってみてください。
既存の技術を今まで査基地ではどんどん改良してきたんですけど、ここにきて原理まで開発しだすという新しい概念に挑戦するんですよ。
これが固定概念にとらわれない査基地さんの自由な発想力が爆発すると思います。
ただ残念なことに、この環状食器実用化には至りませんでした。
やっぱりこの当時の技術レベルから言うとハードルが高かったです。
円運動の中で均一な布の品質を安定して折り上げるっていうのがどうしてもできなくて、結局商業的にはちょっと失敗してしまったんですよね。
ただこれやっぱ技術的にはすごく有意義なものだし、今でも実機が展示してあるぐらいのインパクトのある発明だったと思います。
僕はこの環状食器の挑戦こそ、豊田査基地という人間の真骨頂があると思うんです。
僕は成功が約束された道だけを歩む人じゃないと、彼はね。
誰もやったことがない常識外れで止まるような狂ったアイデアに本気で挑戦する。
たとえそれが失敗に終わったとしても、そのプロセスから何かを学んで次の糧とする。
この悪なきチャレンジ精神、失敗を恐ない姿勢っていうものこそが、彼の偉大な発明を語らしめた重要な要素なんじゃないかなと個人的には思っています。
この環状食器の経験が、後の彼の最高傑作って言われるG型食器っていうものがあるんですけど、これ本当に有名なG型食器っていうものがあるんですけど、
これの開発に、やっぱり何らかの形で生かされている可能性が非常に高いですね。
彼が非常にぶっ飛んだアイデアにチャレンジしたことによって得られた技術的な種、これがやっぱり後々芽吹いたっていうのがG型食器っていうものになります。
この環状食器っていうのはちょっと身を結ばなかったんですけど、さっき言ったように自動化への探求っていうのはここでは止まりませんでした。
1909年には食器が動いている最中に横糸を通すための火っていうものがありますよね。
これを自動で交換する自動控え装置っていうのが開発に成功しますし、この環状自動化に向けた地味に着陸一歩一歩進んでいるという形になります。
挑戦とその成果
さてさて、ここまで先さま発明家、実用家としての飛躍を見てきました。
動力食器っていうものを完成させて自動化の道を切り開いて、時には常識破りの挑戦にも、英開発明にも挑戦する。
これまさにハチクの勢いと言っても過言ではないです。
でも、その裏側ではきっと多くの苦悩や困難っていうものがあったはずです。
独立して自分の会社を立ち上げたとしても資金狂いは常に厳しかったでしょうし、開発してますからね。
新しい技術を開発するときには莫大な時間と莫大なお金がかかっていると思います。
当然ながら思いの製品が売れなかったり、予期せぬトラブルってもあったと思います。
また、イゲタ紹介の経験のように共同経営者の出資者との意見の対立ってもあったでしょうし、
自分の理想を追求したい佐々木さんと現実的な利益を求める主義との間で板挟みになることもあったと思います。
でも、それは発明の世の常です。
普通の人間だったら心のどこかで挫折してもぼかしくないんですよ。
でも、トヨタ佐々木さんは諦めなかったんですね、そこで。
なぜ彼はそこまでして発明と事業に慢心し続けられたのか。
これはやっぱり彼の根底にある強い思いがあったからじゃないでしょうかね。
世の中の役に立ちたい、日本の産業を発展させたい、外国に負けたくないっていう熱い情熱。
そして一度やると決めたら絶対に言ってくれるという尋常な執念。
彼は困難にぶつかる度にそれを乗り越えるための新しい工夫やアイデアを生み出してきました。
失敗からも学んで、それを次の成功やステップにしてきました。
転んでもただでは起きない、こういう不屈の精神の持ち主だったんですよね。
さて、この執念はヤバすぎる発明王トヨタ佐々木と世界のトヨタ誕生日は、第2回いかがだったでしょうか。
今回は佐々木さんが人力から動力、そこから自動化を目指したっていう、
日本の繊維産業を大きく前進させる発明を次々と生み出して、
実業家としても独立独奔の道を歩み始めた。
まさに飛躍の時代っていうのをここまで見てきました。
同時に感情初期のようなユニークな挑戦とその裏であったろう苦悩と葛藤にも少しだけ触れてみました。
彼の物語は成功物語であると同時に、絶え間ない挑戦と失敗から学び続ける物語でもあるんです。
この姿勢は現代の私たちにものすごく響くものがありますよね。
さて、動力化、そして自動化への道を突き進む佐々木さん。
彼の次なる目標は、いよいよ完全自動食器の完成です。
これはですね、彼の発明家人生の本当に集大成となる世界を驚愕させる大発明と繋がっていきます。
次回、第3回は、世界が驚愕G型食器とトヨタ工業の精神。
ついに佐々木さんの最高傑作G型自動食器っていうのがベールを抜きます。
この驚異的な性能とはどういうものでしょうか。
そしてその成功を支えた佐々木さんの熱いテク学、哲学、トヨタ工業とは何か。
さらにまさかまさかの海外企業への特許売却という超ドラマチックな展開が待っています。
これはもう聞くしかないですね。
はい、というわけで今回の語り手はFAラジオの高橋智也でした。
次回もトヨタ佐々木の熱すぎる同性ドラマへどっぷりと使っていきましょう。
それでは皆さんまた、ご安全に。
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