佐吉、最高傑作、ついに爆誕!世界が震えた「G型自動織機」の驚異の仕組み(止まらない!)に迫る!そして、まさかの海外特許売却!その衝撃の理由とは?成功の裏側にある佐吉の超アツい哲学「豊田綱領」とは?歴史が動く第3章!次回、感動の最終回、トヨタ自動車へ!
豊田佐吉の成果物を動体展示で見れる場所
サマリー
このエピソードでは、豊田佐吉が発明したG型自動食器について詳しく解説されています。その革新的な技術とトヨタ工業の哲学がどのように結びついているかに焦点が当てられています。彼の成功の背後には、多くの挑戦や失敗があり、彼の情熱と革新への追求が引き立っています。エピソードでは、G型自動織機の革新性と、その発明が日本と世界の繊維産業に与えた影響が深く探求されています。また、彼の「豊田綱領」の精神がトヨタグループのアイデンティティの基盤となった経緯が論じられています。豊田佐吉のG型自動織機と彼の哲学である豊田綱領が取り上げられ、彼のイノベーションや人間中心の技術に関する考え方が現代のビジネスや発明にどのように影響を与えているかについて深く掘り下げています。
佐吉の挑戦と失敗
明日のファクトリーオートメーションへようこそ、メインパーソナリティの高橋です。
本日、シリーズと同化しているこの周年やばすぎる発明を 豊田佐吉と豊田誕生秘話という中で、いよいよ第3回目を迎えます。
前回は、佐吉さんが動力初期を完成させて、日本の繊維産業に革命を起こし、
さらには環状初期という発想がぶっ飛びすぎている発明に挑戦して、見事に失敗。
失敗というか、失敗は成功の母ということで、次に繋げるという彼のエネルギーとその苦悩と不屈の精神が爆発する時代というのを見てきました。
面白かったですよね。
この環状初期のエピソード、僕はやっぱり大好きなんですよ。
成功だけが歴史じゃないし、むしろ一歩進んだ挑戦ですよね。
この無謀な挑戦ととるか、華麗なる失敗というのか。
こういう失敗の中にこそ、その人の本質というか、時代の日記みたいなものが凝縮されているような気がするんですよ。
さて、そんな挑戦と失敗を繰り返しながら、佐吉さんの執念の炎というのは、ますます燃え盛っていきます。
彼の支援はただ一つ。
完全なる児童初期の完成ですね。
それも、世界最高のものをこの日本の地で作り上げるんだと。
今回の第3回は、ついにその時が来ます。
佐吉さんの発明家人生、この集大成ともいえる、伝説といえるG型児童初期というものが誕生します。
そして、その成功を抑えた佐吉さんの揺るぎない哲学、トヨタ工僚の精神も少しご紹介できたらなと。
さらに、この最高傑作の特許。
これを最初に海外に売ってしまうんですよね。
この衝撃の展開まで、今回もめちゃめちゃ濃密に話していきますので、皆さん聞いていただけたらと思います。
G型自動食器の発明
それでは本編スタートしていきます。
まず、佐吉さんが生涯の最高傑作、G型児童初期を生み出すために、いわゆる土台作りから見ていく必要があると思うんですよ。
このすごい説明というのは、いきなり出てくるんじゃなくて、
これは他の工業系の偉人を見ても、イジソンを見ても、ワットを見ても、みんないきなりできてないんですよね。
ライト兄弟もそうです。
やっぱりそれなりの準備期間と、それを支える環境というものが必要なんですよ。
前回、佐吉さんはトヨタ式初期株式会社を設立したというお話をしたと思います。
でもそれだけじゃ足りなくて、
彼はより大規模な研究開発と、来るべき児童初期の量産に備えて、着々と事業基盤を固めていくんです。
前回から少し時間が飛んで、1911年、トヨタ佐吉44歳の時に、トヨタ児童職婦工場を設立します。
これはまさに児童初期の研究開発と試作に特化したような工場だったと言われています。
ここで来る日も来る日も試行錯誤というものが繰り返されたわけですね。
さらにこの7年後、1918年、第一次世界大戦が終わった年です。
そういう時代にこの人が来てるんですよ。
今度は51歳、もう51歳なんですよ。
トヨタ傍職株式会社をここで設立します。
これが今のトヨタグループの原住企業の一つであるトヨタ傍職さんの直接のルーツになります。
実際には九州合併をした上の今のトヨタ傍職なんですけど、元々のルーツはこの会社になります。
本格的な傍職職婦事業というものを、いわゆる糸を作って布を織るという事業ですね。
こういう大規模な会社を作って、ここに得た利益というのをさらなる研究開発に寄せていくこと。
こういう好循環を生み出そうとしていました。
そしてここからが佐紀さんのすごいところなんですよ。
彼の視野は日本国内だけではとどまらないんです。
なんと1921年、彼が54歳の時に中国の上海にトヨタ傍職商という大規模な傍職工場を設立します。
皆さん、ちょっと考えてみて欲しいんですけど、今から100年以上前ですね。
日本の本当に堅い中、一地方都市から見起こした発明家が、一番最後に中国という海外にとっても大きな工場を、
それも当時アジアの国際都市なんですね、上海っていったら。
このスケジュル感というのが本当にすごい。
当時の日本というのは、第一次世界大戦の後継期というものを背景に国際的な地位を高めていたんですよ。
なので、アジア市場というのの関心というのが相当高まっていました。
佐吉さんはその時代の流れというのを的確に読んでたんですよね。
そして日本の優れた技術を世界に広めていく、アジアの発展に貢献していくというものすごく大きなビジョンを持っていました。
後に彼が語ったとされる一つ名言があるんですけど、僕のために使います。
商城を開けてみろ、外は広いぞという言葉。
これすごく有名な言葉なんですよ。
まさにこの上海進出の頃の心境というものを表しているのかもしれませんね。
内向き思考じゃダメじゃ。世界を見ろ、挑戦しろと。
このグローバルな視点、先見性、これも佐吉さんの特別な才能の一つですよね。
さあ、こうして国内外に強力な事業基盤を築きあいつつ、研究開発体制も整ってきました。
木は熟したんですよね。
佐吉さんが長年の夢。
そして日本の繊維産業の本当に未来を懸けた最終兵器の開発というのがいよいよクライマックスを迎えます。
そしてついに1924年、大正13年です。
年号がまたぎまくってます。
佐吉が57歳。
皆さん57歳ですよ。
佐吉は24歳で初めて特許を取ったんです。
そこから最終兵器が57歳。
彼の33年の歴史がやっぱりここでついに完結するんです。
彼の発明家人生のまさに金字塔と呼ばれる世界を新観させる究極の自動食器というのがここに誕生しました。
その名もですね。
G型無停止控え式自動食器。
これの通称がG型自動食器って言います。
これ難しく全然読めないんですけど。
いや、来ましたね。
このG型。
このGっていうのが何の略称なのか。
もしくは単なる形式記号なのかっていうのは結構書説あるんですけど。
そのA型、B型、C型、D型っていうのがあって、これはG型なんだっていう順番の意味だとか。
何かのアルファベットを取ってるとか。
いろんな書説あるんですけど、あんまり関係ないですね。
このG型自動食器、一体何がそんなにすごかったのか。
このすごさをちょっとだけ見ていきたいと思います。
まず最大にして最強の特徴っていうのが、これが前回も少し触れたような気がするんですけど。
無停止控え式、これが本当に革命的だったんです。
食器って縦糸がバーっとすごい長いのがあって、そこにジグザグに横糸を糸っていう部品を縦糸の間に左右に通して布を織っていくんですよ。
この糸っていうのがボビーみたいな感じなんですよね。
棒状のものに糸がぐるぐるぐるぐる巻き付けてあって、それを左右にひゅっと投げることによって横に糸を通すと。
こういう部品になります。
当然これ縦糸の間を通さないといけないので、そんなに大きくないんですよ。
そんなに大きくないし、巻いてある糸の容量っていうのもそんなに多くないです。
だからこれ折っていったら本当にすぐなくなるんですよね。
具体的にどれくらいで早くなくなるかっていうと、先程が最初の動力食器で発明した動力食器。
これが大体3,4分ぐらいで横糸がなくなると言われています。
3,4分経ったらなくなって機械を一旦止めて、作業員が手で新しい糸が巻かれた糸を交換するっていう。
これがものすごい手間だし、機械の止まっている時間っていうのを長くしてた。いわゆる稼働率っていうのは下げたわけです。
当時はこれが本当に当たり前だったんですよ。
当たり前だったけど、それじゃダメだ。
完全に自動で交換して、人が機械の面倒を見なくていいと。
機械は勝手に生産をして、人がそこに横についてなくていいですよというのが究極の自動食器だということで、それを実現したのがこのG型自動食器になります。
このG型自動食器、なんと機械を停止させることなく横糸がなくなりそうになったら、横糸の残量を検知して自動的に新しい糸を交換してしまうんです。
その交換っていうのがめちゃくちゃスムーズで、実際動画とかでYouTube残ってますのでみなさん見てほしいんですけど、折りのリズムっていうのをほとんど乱さないんです。
普通、なくなりましたって言ったら、一回機械止まって自動で勝手に交換してもう一回始まるみたいな感じイメージするじゃないですか。
そうじゃないんですよ。この折ってるリズムは全く崩さずにパパッと交換して次が始まる。
なので、横から見てると、これ実際のまだ動的展示あるんで、それぜひ見てほしいんですけど、交換されたのは全然わからないです、横から見てると。
これの本当にすごいのがセンサーとか一切ついてないです。
すべて機械式のからくりによってこれが行われているということです。
なので、今の人間がこれを設計しようとした時に、果たして設計できるかっていうのはよくわかりません。
これが世界初の技術だったんですよ。
これはどうやって実現したかというと、詳細はすっげー複雑なんで、あんまり言葉でしゃべるのは難しいので、皆さんぜひ実物を見に行ってほしいんですけど、
簡単に言うと火っていうものの中の糸が空になる直前に、マガジンにストックされている新しい火が絶妙なタイミングで走行中の古い火と入れ替わるという離れ技なんですけど、これが本当にアクロバティックなんですね。
この無停止被害、止まらずに横糸のマガジンを交換する、これが本当に革命的で、工場から横糸を交換するためだけの人員がものすごくいたりとか、
交換する時間がその間、機械が止まっていると布が折れない。
この機械の稼働率を劇的に向上させる有名なアイテムだったんですよね。
これで従来機みたいに止める必要がないので、理論的には24時間ほぼノンストップで織り続けることが可能になったんです。
このG型のすごさっていうのはこれだけじゃないんですよ。
まさにこの佐吉さんがそれまで培ってきた自動火技術の集大成なんです。
例えば、これはここまでに実装されていた技術なんですけど、縦糸と横糸、これが切れたときに勝手に止まります。
何言ってるか分からないと思いますけど、これすごいのは本当にセンサーじゃないんですよ。
センサーは何もなくてすべてカラクリで構成されています。
折っている途中で糸が1万本ぐらいあるんですよ。
でっかい布を折っているので。
これが1本でも切れたらその切れたことを機械的に検知して、その場で折るのを勝手に止めるんです。
コンピューターとか何も入ってないですよ。
動力も工場に1個ある蒸気機関からシャフトを通じて100台とか200台のG型食器に同じ動力が入っていて、それが異常があったものだけ動力が切れるっていう。
こういう本当に信じられない、生産技術をやっている人間からしたら本当に信じられないような設備なんです。
これでですね、この後また話すと思うんですけど、人弁のついた自動化。
不良品の発生っていうものを基本的には抑えるってことですね。
異常があったら機械が止まる。
良品しか作らない。
こういう思想がやっぱり含まれます。タブに入っている。
これがものすごい重要なんです。
なぜなら機械が勝手に止まってくれるから、1人の作業者が同時に何十台のも食器が見れるようになるんです。
これがその人弁のついた自動化っていうことなんですよね。
例えば異常があったときにすぐ人が何かしないといけない。
例えば機械がずっと動いてます。
何か異常ランプがつきました。
異常ランプ、人が見て設備を止めるっていうことをしないといけなければ、
トヨタの生産方式への影響
その人が異常ランプに気づける分だけしか人は機械を扱うことができません。
言うて3,4,5台ぐらいですね、その方式だと。
でもこのG型自動食器っていうのは自分で勝手に止まるんです、異常があったら。
だから人が見てなくてもいいんですよね、常に。
人が例えば10分に1回機械を巡回しますと、
そのときに見つかったら止まってる、異常出張してっていうことができるんです。
理論上、これは無限大に近い台数を見れるわけですね。
これが本当に考え方的には革命的なんですよ。
良品を作るっていうことに対しても、効率的に生産をするっていうことに対しても。
これを、もし実は切れてもやっぱり機械が動き続けるようになっていれば、
どんどん不良品ができていくので、
不良品ができてないからチェックする工程っていうのも必要で、
要はチェックのチェックのチェックみたいな感じでどんどん増えていくんですよね。
でもこのG型自動食器っていうのは異常があったらそこで止まっているはずだから、
その異常だけ対処すればいいよと。
これが後の時効程完結と名付けられるんですけど、この考え方は。
そういう形でこの食器の開発っていうものを通じて、
今のトヨタ自動車っていうものは大事にしている。
根底の思想っていうのもここで鍛えられていくわけです。
これが異常があったら機械が止まるっていうこの思想。
これが後のトヨタ生産方式の重要な柱の一つ、二本柱なんですけど、
人面のついた自動化ですね。
普通自動化って自ら動くかって書くんですけど、
動くところが働くっていう字になってるんですね。
これ人面のついてる自動化って言うんですけど、
G型自動織機の革新
この考え方に直接つながっていくんです。
単なるオートメーションじゃなくて、
かなり人間の知恵が加わったオートメーションっていう意味で、
だから人面のついた自動化。
不良品を作らないっていうことと、
無駄を徹底的に排除するっていうトヨタ自動車の、
トヨタ自動車はトヨタの思想の原点として、
すでにこのG型自動食器っていうところから、
明確に見て取ることができるんです。
今後、トヨタ生産方式っていうものは、
取り上げていこうと思うんですけど、
この源流っていうものが、
この食器のところから非常に強く読み取ることができる。
これがやっぱりすごいなと。
この慶応生まれの人が、
田舎に生まれてここまで作り上げた、
このインパクトの大きさだけで、
言い表すことのできない感動を覚えた記憶が、
僕は非常に強くあります。
他にも、
折り上げた布を自動で巻き取る機構とか、
給油を自動化する仕組みとか、
メンテナンスの自動化の仕組みとかを含めて、
50以上の新しい発明や改良点っていうのが、
このG型には織り込まれてたと言われてます。
まさに当時の最先端技術の塊なんですね。
その結果どうなったんだっていう話なんですけど、
この生産性っていうものは、
従来の手織りの機械に比べて、
20倍以上になったと言われてます。
想像できますか。
人が1人、お母さんがお鍋しとってたのが、
20人分必要だと。
これがやっぱり半端ないですね。
今まで1日かかって織ってた布っていうのが、
一時間ちょっとでできるというわけです。
しかも人が1人で織ってない、
1台で20倍。
それが20台あったら400倍ですよねっていう。
そういう人間がいっぱい集まったら作れるっていうところを、
遥かに超えるようなイノベーションが起こっていたってことです。
また品質も手織りに比べて、
遥かに均一で高品質なものができたと。
これは単なる改良っていうものじゃないんですね。
これは革命イノベーションって呼ぶんだと思います。
日本の、いや、世界の繊維産業の歴史を変えたと言っても、
これは過言じゃないです。
特許譲渡の決断
当然、このG型の登場っていうのは、
国内外で大きな注目を集めます。
1924年には、サキスさんがこの功績で、
二度目の蘭寿豊賞っていう豊賞を受賞します。
さらに、26年に当時の発明の最高栄誉とされる、
帝国発明協会からの恩式年賞っていう、
すごい名誉な賞も受賞します。
まさに発明家都市の頂点をここで、
サキスさんは極めてと言っても過言ではないでしょう。
ここで話は、前回も言ってたらえ?ってなったと思うんですけど、
この衝撃の展開に進みます。
世界を変えた最高傑作、このG型自動食器、
この特許をサキスさんはどうしたかと。
このG型の商番っていうものは、
当然海を越えて、
当時の世界の繊維産業の中心地、
産業革命を起こしたイギリスなんですけど、
このイギリスにも届きます。
イギリスの中の名門中の名門の、
世界最大の食器機械メーカーっていうのがあるんですよ。
Plat Brothers社。
ここの耳にも入るわけです。
Plat社、当然最初は極東ですよ、イギリスから見たら。
日本の田舎メーカーが作った自動食器、
ふーん、大したことないやろって思ってたと思うんですよね。
でも実際にこのG型食器の性能を知るにつれて、
この認識が驚愕から焦りへ変わっていきます。
なんだこの機械はと。
我々の技術は遥かに進んでるじゃないか。
このままでは世界市場が日本に奪われそうと。
そういうレベルでですね。
そしてこの1929年、ついにPlat社は
トヨタ自動食器製作所、
これに対して正式なオファーを出します。
G型自動食器の特許権を我々に譲ってほしいと。
しかも提示してきた金額がまたすごいんですよ。
当時の金額で100万円です。
これピンとこないと思うんですけど、
当時の100万円にどれくらいの価値があったのか。
この当時の、例えばですけど、
この当時の日本の国家予算の規模っていうのが
だいたい15億円ぐらいです。
だから国家予算の1500分の1なんですよ。
当時の総理大臣っていうのが年収1万2000円ぐらいですね。
つまるところ、今の貨幣価値っていうものに換算すると
少なくても十数億。
一節に100億近い価値があったと言われてます。
これがまだ当時、そこまで大国でもなかった
日本に対して申し入れのあった金額。
多分問題はここからなんですよね。
この破格のオファーに対して
佐吉はどうしたかという話なんです。
これ散々ネタバレしてるんですけど、
彼はこのオファーを受けます。
自立型自動借金の特許権っていうのを
プラットフォーマーに売却するんです。
自分が世界、一生をかけて作り上げた機械を使って
世界に勝負していくんじゃなくて、
この時にこの特許権をプラットフォーマーに
売却してしまうんですよね。
なんでせっかく作った日本の魚を売っちゃうの?
ってなっちゃうんですけど、
僕も最初聞いた時、なんで売ったんだろう?
もったいないなって思ったんですけど、
ここが豊田佐吉という男のスケールの大きさというか、
普通じゃないところなんですよ。
彼がなぜこの決断をしたのか、
その真意については、
次回少し想像も含めて語ることになるんですが、
一つだけ言えるのは、
彼がお金に目がくらんだわけでは
たぶん決してないということです。
彼にはもう見えてたんですよね、
この巨額の資金を使って
次に成し上げる大きな夢っていうものがあったんです。
これは次回話していこうと思いますね。
とにかくこのG型自動借金の特許譲渡っていうのに
ものすごい大金が動いたというだけじゃなくて、
日本の技術が初めて本格的に海外に輸出されて
世界に認められたっていう意味で、
これは日本の産業史において
非常に重要なマイルストーンになったという出来事でした。
豊田綱領の精神
さて、ここまで佐吉さんの発明家都市の頂点、
G型自動借金の誕生と、
それが世界に与えた衝撃っていうものを見てきました。
でも彼の偉大さっていうのは
単に技術的な功績だけじゃないんです。
この根底には彼の言い方を貫く
教科の哲学っていうものがあったんですよね。
佐吉さん自身はこの生前体系だった形で
自分の思想っていうのを書き残したりしてないんです。
でも彼の言った言葉とか行動だとか、
そして彼が残した事業を受け継いだ人々によって
この精神はトヨタ考慮という形でまとめられて
今のトヨタグループのバックボーンとして
まきまきと受け継がれています。
私もトヨタ考慮、会社の研修、
一番先に習ったぐらい非常に重要な思想として
語り継がれていますね。
このトヨタ考慮も本日少しだけ紹介したいなと思います。
自動食器というG型自動食器という業を成し遂げた
佐吉さんの姿を重ねながら
ちょっと深くその意味を探っていきましょう。
まず第一条、上下一致。
市政業務に服し、産業報告の実を継ぐべし。
読み方がわからないかもしれない。
ちょっと硬いですよね。
簡単に言うと、みんな心を一つにして、
誠実に仕事に取り組み、産業を通じて
国や社会に貢献していこうぜっていうことです。
これはまさに佐吉さんの生き様そのものだと思います。
お母さんを楽にしたい。
日本の生産業を良くしたい。
国に貢献したいっていうね。
当時の佐吉さんの日本人としての生き様。
これが常に誰かのため、社会のためっていう視点が
彼の根底にはあったと。
単なるお金儲けじゃなくて、産業報告っていう。
産業報告っていうのは産業に報いる国っていうことですね。
幸の精神。
これが彼のぶれない軸だったんだと思います。
当時の日本はまさに国全体で
近代化を目指していた時代なので、
この時代精神とともにやっぱり強く共鳴したんだと思います。
第2条。
研究と創造に心を致し、常に自由に先んずべし。
これが発明を豊田佐吉の代名詞と呼べる。
これ多分一番有名な言葉だと思いますね。
今日、Xのポストでも、これが小学校にあったと
いうふうなお声も聞くことができました。
これもやっぱり、この彼の代名詞。
彼は現状維持っていうのは何より嫌ったんですよね。
木星人力初期で満足せずに動力へ行って、
動力で満足せずに児童会へ行って、
G型児童初期はその頂点を極めても
それを売却してまだ次を見てると。
この次っていうのが今の豊田自動車に
繋がっていったわけです。
次にもっと良くするためには、
新しいことはできないですかと。
研究と創造に心を燃やし続けた。
環状食器みたいな失敗を備えるチャイニング精神も
まさにこれです。
変化の激しい時代だからこそ、
常に自流の先を読んでその先に行くんだという
この強い意志。
これがあったからこそ、彼は常に
イノベーターであり続けられたんだろうと思います。
さてさて次ですね。
第3条。
恩情友愛の精神に発揮し、
家庭的美風を作興すべし。
思いやりと助け合いの精神を大切にして
アットホームへ良い言葉の職場を作ろう
みたいな感じですね。
当時の、これは佐吉さんだけじゃないと思います。
ホンダ総一郎だとか、
ソニーの創業者であったりだとか、
いろんな勉強読んでもこのような言葉、
非常に出てくるのかなと。
厳しい一面はあるけども、
一緒に働く仲間や支えてくれる家族を
すごく大切にしたと言われています。
さらに彼、弟が2人いるんですけど、
この弟たちも事業を支えて、
奥さんも工場の運営に関わって、
基本的にこの時代はファミリービジネスなんですよ。
トップダウンだけじゃなくて、
みんなで力を合わせてチームワークを重んじる。
この恩情ゆえの精神が苦しい時も、
組織を人別にまとめる力になったんだろうと
思われます。
これは現代に言うと諸説あるとは思いますが。
次ですね。
家美を忌みし、執実豪賢たるべしと。
見た目の派手さや贅沢を改めて、
中身本位でシストで強くあれということですね。
佐吉さん自身、結構つつましい生活を
送っていたと言われます。
実有金もすごいお金を動かしていたはずなのに、
彼の入ってくるお金というのは、
発明や事業に莫大なお金を追い込んだと
言われています。
それは自分のためにあまり使わなかったらしいです。
服装も常にモメンの着物だったとか、
彼の作る機械。
見た目はコツコツしてゴムコツかもしれないけど、
性能はピカイチ。
これが佐吉さんが表す言葉なんだろうなと。
執実豪賢。
言えない言葉。
執実豪賢。
見栄やっぱり形式に囚われずに、
本質を追求するっていうことが、
この彼のやってきた業績から見て取ることが
できるんだと思います。
この精神も、
現代のトヨタのものづくりの根幹に
流れている気がしますよね。
最後ですね、第5条。
真物を崇拝し、
法恩感謝の生活を致すべしと。
目に見えない大きな存在をやまって、
常に感謝の気持ちを持って生きようと
いうことですね。
現在でもトヨタグループの中には
謙虚・感謝というか、
言葉の中でこれは生き続けているんだと思います。
やっぱこれ、何て言うんですかね。
日本のバックグラウンドの宗教みたいなところ
あると思うんですけど、
すごく自然のような大きなものの中で
人が生きているんだっていう、
そういう感覚皆さんあると思うんですけど、
自分が今ここに来ているっていうのは、
自分だけの力じゃなくて、
家族や社会、
持っていた自然、神様、
そういうものの中で生きているんだよと。
あなたの存在っていうものは、
周りの力っていうのはきちんとあるんだから、
それにきちんと感謝をして生活するべきであると。
これを忘れてはならないというのが、
この言葉だと私は解釈しています。
これをきちんと言えるっていうのが、
このサキチの人間的な魅力であって、
豊田佐吉のイノベーション
多くの人が彼を支えたいって思った理由の
一つかもしれないですね。
これがやっぱり感謝という自然の強制、
感謝という日本的な価値観っていうものが
やっぱあったんだと思います。
どうですかね。
この豊田公領。
これ今から100年以上前に来た人物の言葉と
思えないぐらい、
やっぱり現代にも通じる不変的な価値観だと
思いませんか。
仕事の姿勢やイノベーションの精神、
シースト契約、チームワーク、そして感謝と。
これらが一台で、サキチが一台で、
G型初期という偉大な成果を生み出して、
その後の豊田グループの発展をされる
強力なバックグロンド、バックボーンとなったんです。
読めない。
さらにサキさんの言葉の中には、
彼のユニークな仕事感だとか、
イノベーション感って示すものが
他にはたくさん残ってます。
例えばですけど、
彼はよく仕事は自ら作り出すものだと
言ってたそうです。
誰かから与えられるのを待つんじゃなくて、
自分で問題を見つけて、
自分で課題を設定し、
自分で解決策を生み出すっていう。
まさに、
企業化精神そのものだとは思います。
受け身じゃダメだ。
能動的に働けと。
そういうことですね。
こう言ってた他にも、
一つのことに集中せよと言ってました。
あれもこれも手を出すんじゃなくて、
自分がこれだと決めた目標に対して
持てるエネルギーをすべて突っ込めと。
佐吉自身が初期一筋で、
自動化一筋で人生を描き始めたんです。
それが、
佐吉自身が初期一筋で、
自動化一筋で人生を描いてきたわけですから、
説得力っていうのはあると思います。
僕が好きなのは、
本当に新しいことをやろうとすれば、
時には狂ってると思われるくらいやらなきゃダメだ
という趣旨の発言も結構残ってたりするんですよね。
これは感情初期だとか、
そういう話に通じてたりだとか、
常識に捉えてたらブレークセルは生まれないよと。
周りから多少変人扱いされようとも、
自分の信じる道を突き進む。
こういうちょっと狂気をおべたくらいの情熱っていうのが、
イノベーションに不可欠なんだと、
いや、やっぱり痺れますね。
特許に対する考え方もかなり独特で、
特許を自分の技術を独占するためのものっていうのは、
あまり考えてなかったみたいです。
むしろ、自分の発明を公開して、
社会全体で共有して、
さらに発展につなげるための手段と
とろいった節があります。
現在のオープンソースの考え方にも
少し通じないところですね。
実際、彼の初期の発明の中には、
あえて特許を取らずに公開しているものっていうのも
結構あったりするんですよ。
このオープンな性っていうのも、
彼の先見の銘とスケールの大きさっていうものを、
物語っているのかなというふうに思います。
最後に立ち変わりたいのが、
彼の発明の原点になります。
ここには、やっぱりお母さんをはじめとする、
身近な人の苦労をなくしたり、
役に立ちたいっていう、
非常に人間的に温かい純粋な動機っていうものが
あったんですよね。
これは誰にでも通じる、
そういうコアな価値観。
これがやっぱり彼が、
人間中心の技術
すごく人を引き継ぎながら、
大きなビジネスをやりきることができた
一つのものじゃないかなと。
だから技術のための技術ではなくて、
あくまで人のための技術なんだと。
このヒューマニズムっていうのが、
彼の執念を支えて、
多くの人を引き継げて、
そしてこれが世界を変える力になったんじゃないでしょうか。
というわけで、
この執念やばすぎる発明王、
トヨタ・サキチのトヨタ誕生秘話と、
この第3回、いかがでしたでしょうか。
ついに完成した最高傑作、
G型自動食器。
その圧倒的な性能と、
世界に温めた衝撃、
そしてこの偉業を成し遂げた、
サキチさんの根底にあった、
厚くて深くて人間見あふれる哲学、
トヨタ工量の製品。
いや、今回も語ってて、
僕自身胸が熱くなりました。
しかしね、まだ物語は終わってないです。
最大の謎が残ってますよね。
なぜサキチは、
G型自動食器の特許権を海外に売却してしまったのか。
で、その時手にした、
莫大な資金は一体どこに使われたのか。
次回、いよいよ最終回です。
第4回、未来へのバトン、
トヨタ自動車の礎と。
ネタバレなんですけど、
サキチが人生最後に託した、
とんでもない壮大な夢、
これをどうやって、
トヨタ自動車の誕生へ繋がっていくのかという、
初期から自動車へ分野を超えた、
奇跡とも言われるバトンタスの物語を、
厚く厚く語り尽くしたいと思います。
これはもう絶対見逃せないです。
感動の平に約束ですよ、と。
というわけで、今回の語り手は、
高橋でした。
次回、最終回で、
この壮大な物語の結末を一緒に見届けましょう。
それではまた、みなさん、ご安全に。
34:12
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