1. 二番経営 〜組織を支えるNo.2の悲喜こもごも〜
  2. 特別編#02:スタートアップ企..
2025-06-07 34:34

特別編#02:スタートアップ企業が上場するまで&経営No.2の苦悩【株式会社オウケイウェイヴ代表取締役社長-杉浦元さん ゲスト回②】

▼今回のトーク内容 [日本初のQ&Aコミュニティサイトを運営する株式会社オウケイウェイヴ社長杉浦元さんのインタビュー。複数の会社でNo.2を含む経営幹部を務めた経験がある上場企業のトップに話をうかがいます]

・投資先のベンチャー企業「オウケイウェイヴ」で経営企画、営業、事業責任者、IR責任者等の取締役を歴任、2006年に名古屋証券取引所に上場し、後退社

・キャリアコンサルティング企業「コンコードエグゼクティブグループ」への創業時からの参画。COOとしてNo.2就任、二番手として失格だった・・

・コンコードを卒業後、「自分の代わりに未来を実現してくれる起業家」を支援するコンサルティング会社エリオス社を独立起業

▼ゲストご紹介

株式会社オウケイウェイヴ代表取締役社長 杉浦元:1970年生れ。早稲田大学理工学部卒業、学生起業後、ベンチャーキャピタリストとしてソラシドエア設立、OKWAVE等ベンチャーの創業や上場を実現。コンコードエグゼクティブグループでのキャリアコンサルを経て 経営コンサルティングと組織開発を行うエリオスを創業。2022年8月から現職。

株式会社オウケイウェイヴ

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▼番組概要:

COOや副社長などの「組織のNo.2」。その仕事をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、仕事の面白さ・大変さなど「No.2の悲喜こもごも」を語っていく番組。製造業に特化したコンサルティング企業、オーツー・パートナーズ取締役の勝見靖英と、幻冬舎「あたらしい経済」編集長の設楽悠介がMCを務める。毎週水曜日配信。

▼番組ハッシュタグ:#二番経営

▼番組への感想、MCへのメッセージは以下までお寄せください:メッセージ

▼過去配信回をシリーズ別でプレイリスト化しております:プレイリスト


▼MC:

勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ 取締役)

1971年生。慶應義塾大学文学部卒。ジャパンエナジー(現ENEOS株式会社)、PwC、デロイトトーマツコンサルティング、日本IBMなどを経て、2015年7月よりオーツー・パートナーズに参画、2018年4月より取締役。製造業を対象とした戦略策定、業務改革、ERP/PLM等大規模システム導入等のプロジェクトを多数経験。プロジェクトマネジメント、チェンジマネジメントを得意とし、現在は経営企画/会計/人事総務/組織開発/IT/マーケティング広報等を管掌。



サマリー

株式会社オウケイウェイヴの代表取締役社長、杉浦元氏がスタートアップ企業の上場までのプロセスや経営における苦悩について語ります。上場準備や資金調達の難しさ、経営方針の実現に向けた努力を共有し、自己成長の重要性にも触れています。特に、ナンバー2の立場の難しさや、社長との信頼関係の構築についても深く掘り下げています。杉浦氏の経験を通じて、企業家の育成や社会課題へのアプローチに対する熱意が明らかになります。

経営No.2の裏側
スピーカー 1
二番経営 No.2の悲喜こもごも。この番組では、なかなか表に出ない組織のNo.2をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ、大変さなどNo.2の悲喜こもごもをリスナーの皆さんにお届けします。
スピーカー 2
こんにちは。株式会社オウツー・パートナーズ取締役の勝宮杉手です。本日の二番経営も特別編です。前回に引き続き、株式会社オウケイウェイヴ代表取締役社長杉浦元さんをお招きしたゲストトークの第2回です。今回は、スタートアップ企業が上場するまでと経営No.2の苦悩を語っていただきます。それでは早速お聞きください。どうぞ。
スピーカー 1
投資先から上場する、あるいはイグジットして、キャピタルゲームを得るっていうところは一緒なんだけど、もともとのお金が自分たちの自己資本でやってるし、通常VCさんだと、投資はするんだけど、そっから株主さんとして存在はし続けるんだけど、
コンサルは別にしない。お客さんを紹介する場合もしない場合もいろいろあると思うけど、基本的にお金が一番価値があるからそれをお預けするって感じなんだけど、コンサルをやってちゃんとイグジットしてっていう感じ。
スピーカー 2
だからこの後の話になるけれども、僕自身はOKWAVEという会社は自分がそのVCNの杉浦として開拓をした会社で、シードマネーを入れて、初めて創業者の金本さんと会った時にはまだ有限会社だったんだけど、当時の処方箇での有限会社だったんだけど、
そこにお金を入れて株式会社化して、株式会社化した時の取締役に自分もなって、なので創業メンバーの一人として取締役にもなって、一番最初は経営企画担当の取締役として金本さんと一緒にビジネスプランを作って事業計画書を作って、
OKWAVEはその直後、2000年に入って楽天さんとかサイバーエージェントさんとかから出資、あとはインプレスさんとかから出資を受けてるんだけど、楽天の三木谷さんは木造アパートのオフィスに来ていただいたし、
サイバーエージェントさんは当時まだ表参道にオフィスがあった時に、青山にオフィスがあった時にお伺いをして藤田さんにお願いしたりとか、インプレスは伊勢里さんという副社長の方とすごく好意にさせていただいたりとかという形で最初資金調達を行い、
次にお金が調達した後は売り上げ上げないといけないんで、初代営業部長として、今でいうサーズの事業、当時ASPという言い方を知ってたけど、月額利用料で当時のASPというかサーズでサイボーズはもうあったんだけれども、
月の単価が数万円程度のものしかなかった時に、法人から毎月30万円とかのお金をいただくサーズは多分大規模が初めてだったんじゃないかなと思うけど、月額30万円とかをカスタマーサポートセンター向け、いろんな企業のサポートセンター、コンタクトセンター向けのサーズのアプリケーションを売りに行く初代営業部長をやり、
その後Q&Aのコミュニティ、OK部コミュニティの責任者をやり、上場前後でIRの責任者をやり、それで2006年の6月に上場して、当時はOKウェイ部の取締役の任期2年、今1年なんですけど、当時2年だったんで上場後、
スピーカー 1
丸一任期、2年間取締役として、2008年の9月の株主総会で任期満了で取締役を退任して、合わせて会社も辞めて、ただの株主、一人の一株主として、その後ずっと会社を見守っているっていう立場になったんですけど。
上場までの道のり
スピーカー 1
上場ゴールじゃなくてね、そこからっていうところで、もう最初の経営企画やって、営業部長やって、事業責任者、上場責任者もやって、ここからっていうタイミングとも言えるんですけど。
スピーカー 2
そういう意味では、上場責任者っていう点では、自分はIRの責任者だったけど、上場準備自体の責任者は野崎さんがやってはいたけど、そこまで含めて、どっちかというと事業サイドずっとやって、最後IRもやってとか、あと内部監査室長とかもやったりとか。
そんなこともやりながら、何で辞めたかというと、まずこれはね、最初から辞めるつもりではいた。そもそもOK部のVCNの杉浦として関わり始めて、で、創業メンバーの一人として立ち上げも含めて。
ただ、VCNの杉浦としてハンズオンで、いわゆる今で言うハンズオンで、ずっとバリューアップをやってたわけなんだけど、上場準備の過程の中で、いわゆるN-2に入るタイミングで、主幹事の証券会社から、杉浦さんと。
業務執行をバリバリ行ってたんだけど、業務執行を行う取締役が非常勤っていうのはよろしくないと、上場準備の中で。
スピーカー 1
そうか、この時ってVCNの席もまだあったって。
スピーカー 2
そうそう、他のクライアントも、2003年の12月の時点なんだけど、そこそだから、勝美も知ってる会社だとNCネットワークもやってたりとかした。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
で、VCNの杉浦としていろんな会社を手伝っていた中で、だけど営業部長もやったりとか。
社外取締役だけど、業務執行をバリバリやっちゃってたんで。
そうすると、上場準備上それはNGだとか、バランス的に。
なので、主幹事から言われたのが、フルタイムの業務執行を行うフルタイムの取締役になるか、それか、業務執行から外れて社外取締役に徹してもらうか、どっちかにしてくれっていう風に言われて。
で、自分の中ではOKWAVEはすごく思い入れのある会社だったんで、作りたい未来も含めてすごく思い入れのある会社だったので、
まずVCNの社長の柴田さんにごめんなさいをして、どうしてもOKWAVEフルタイムになりたいんだっていう風に言って、柴田さんはそこを承諾してくれて。
VCNが当時持ってた株式の3分の1かな。3分の1を杉浦コジに譲渡してもらって。
で、他のクライアント、NCネットワークさんはじめ、他のクライアント。
ちなみにOKWAVEの創業者の金本さんを紹介してくれたのは、NCネットワークの社長の内原さん。
で、NCネットワークとかいくつかの会社にごめんなさいをして、2003年の末、実質2004年の年明けからOKWAVEのフルタイムになって、
で、N-2に突入していくっていう感じかな。
なので、自分の中ではとにかく上場まではやりきりたいと思ってたし、
あと、本当会社自体が成長軌道に乗るまではという思いでフルタイムになっていたので、
もう本当に理由は、結果的に長くなっちゃったけど、最初から上場までと。
ただ上場まで、実際上場したのが2006年で、ちょうどその時に取締役の任期が切れる年だったんで、
さすがに上場してすぐIRとかを担当してる取締役とかが辞めるのはさすがによろしくないなと思ったんで、
スピーカー 1
もう一任期やって2008年の9月に辞めた。
自分が最初は投資家として関与した会社で、どんどんそこにフルベッドしてフルボディで入っていって、
無事、イグジットっていうよりも自社の上場ですよね、このタイミングでは。
それを成し遂げましたと。
キャリアの新たなステージ
スピーカー 1
一旦自分で決めたゴールテープだったと思うんですけど、それを達成して、
その後の余韻も2年間走って、バトンを渡すというか、お戻しするというか、そんな感じ。
それが2008年でした。
ここからVCN戻る、あるいは改めて、キャピタリストじゃないのかもしれないけど、
上場支援をしていく、上場じゃなくてもいいかな、企業支援をしていくっていう道に行けばいいと思うんですけど、
そこで次に進んだのが、コンコードエグゼクティブ、キャリアコンサルタントですよね。
さっき就職活動中に、コンコードの渡辺さんと出会ってって話がありましたけど、
渡辺さんが代表を務められている会社に取締役として入社。
CEOだったよね、確かね。そこは何でそっちに行ったんですか?
スピーカー 2
2008年に9月にOK部を完全に辞めた後、まさにVCNのスキューラーとして戻るような形で、
あとVCN以外にも、他の大学企業投資時代の先輩と一緒にテトラフォースとかというファームを作ったりとかして、
そこでも仕事をしてたりとかしてたけど、いずれにしてもまた昔のように複数の企業家というか、
あと当時その頃やり始めたのがNPOとかの成長支援。
僕の中ではもともと株式会社とかNPOっていう感覚は単なる組織形態の違いなだけで、
それ以外にあんまり違いはないというか、OK部自体も自分の中では今でいうとソーシャル弁というか、
何かをイノベーションを起こすというよりはむしろ社会課題の解決をしていくのに近いというか、
そういう会社に昔から興味があって、単にそれが上場を目指すベンチャーかNPOかという違いなだけで、
たまたまその2006年ぐらいからエティックっていう企業家育成を行っているNPOがあるんですけど、
エティックさんといろいろ仕事をする機会も増えて、いろんな社会企業家の人たちと会いますとNPOの社会企業家の人たちと会って、
立ち上げをやったりとかしたけど、その中でコンコードの話をすると、コンコードの設立は2008年なんです。
ちょうどOK部の取締役を退任するタイミングぐらいだったんですけど、コンコードの渡辺さんから、
普段は渡辺とか鍋さんって呼んでるから、鍋さんからOK部も離れることが決まったりとかして、
自分も起業しようと思うから手伝ってよっていうふうに言われて、最初はクライアント先の一社でした。
2010年からフルタイムになったんですけど、そのフルタイムになったのは、
自分の人生を考えたときに、結局今まで自分がそれまでやってきたことって、
企業家の人たちの人生を切り開くことを、自分がやったのってコンサルというよりは、ビジネスコンサル、経営コンサルとかビジネスコンサルというよりは、
この人と一緒に仕事をやりたいなっていう、その社長の人生を切り開くっていうことをやってたんだっていうことを、
鍋さんといろいろ話をする中で、そういうことを意識し始めて、単純に目の前の人が自分をきっかけにして、
人生を変えていくとか切り開いていくっていうことの瞬間がすごい好きだなというふうに思った。
その価値観に合っていたっていうのが理由の一つ。
二つ目は、やっぱり人の採用とか組織作りとかっていうことが、結局ベンチャー企業とかの成長って本当に人次第で。
もう本当に人の採用と組織作りでほぼ決まる。
極論言うとお金は調達できるんだけど、人の調達って本当に、それをずっと痛感してきたんで、
なので人材紹介はやりたいと思ってたっていうのが二つ目。
三つ目は、他の人材紹介会社だったら多分やることなかったんですけど、
鍋さんが立ち上げるコンコードエグゼクティブグループだったからなんだけど、
その鍋さんが理想としていた人材紹介会社とか、コンコードはそもそも自分たちのことを転職のエージェントとか人材紹介会社とは言ってなくて、
キャリアコンサルティングファームっていうふうになるんだけど、要は企業の採用のお手伝いをする立場ではなく、
転職相談に来られたキャンディデート個人、コンコードだとご相談者という言い方をしているけど、
そのご相談者個人のキャリアを切り開く手伝いをするという立ち位置に共感をして、
それだったら仲介業としての人材仲介業としての転職エージェント、人材紹介会社は全く興味なかったんだけど、
目の前の人の人生を切り開くっていうことであれば興味あるし価値観に合ってるから、
それだったらやりたいなというふうに思ってコンコードを選んで、それこそまたVCNの柴田さんにごめんなさいをして、
スタートアップ上場の経緯
スピーカー 2
コンコードでのフルタイムをやりたいといって、ナンバー2のポジション。
スピーカー 1
なるほど。それが2010年。
スピーカー 2
2010年から2016年までフルタイムでコンコードです。
スピーカー 1
僕と再会したの2015年ぐらいかな。
スピーカー 2
ぐらいかね。
スピーカー 1
O2。
スピーカー 2
そう、多分O2の採用の。
そうだね。
だからそれまではいくつかのクライアント、まあといってもOTFフルタイムでいたけれども、
まあ取締役の、業務執行を行っている取締役の一人ではあったけど、ナンバー2かっていうと、
ナンバー2は福田さんっていう人がいて、でCFOのポジションとしては野崎さんがいて、
まあ管理部の責任者としてみたいな。
で、自分は経営企画担当の取締役とか、あと事業部サイドの方の取締役とかを点々とまして、
ある意味、事業を作っていくっていうところの場合だったので、
実質ナンバー2だったかというと、ちょっとなんとも言えないね。
しかもね、自分の中では辞めるつもりでもいたりしたし。
あとその他、VCN時代も他のクライアントといろいろ関わっている中で、
自分の中の感覚では、意識としては常にその会社の社長のナンバー2的な意識というか、
社内の人に相談できないことってたくさんあるじゃないですか。
企業家、社長として。
社外の人だから相談できる、その相談相手の一番最初に相談を受ける人の立ち位置で自分はいたいと。
そこでずっとその企業家とか社長に伴奏していたいということをずっと思ってやっていたけれども、
そういう立ち位置での、社外の人としてのナンバー2というかそのポジションだったけど、
本当に本当に社内の人のナンバー2としての一番経験したのは、
コンコードエグゼクティブグループのフルタイムになった2010年からが最初の経験、本当の意味での経験。
スピーカー 1
それまではあくまでもコンサル先の一社としてナンバー2的なポジションをやってたって感じ。
ナンバー2の苦悩
スピーカー 1
コンコードエグゼクティブグループで渡辺さんトップ、レイスギルはCEOをやってナンバー2になって。
でもあれだよね、コンコードエグゼクティブグループさん、他の会社はどうか分からないけど、
さっき人材紹介企業とは違うということで、後者の方たちの、相談者のキャリアを作るって感じなんだけど、
そういう担当の人をトップも土地杉浦も持って、自分のお客さんっていうかね、やってるから。
実動部隊というかフロントのキャリアコンサル担当もやりながら会社経営もやるっていう、両方やってたと思うんですけど、
肌から見てるとキャリアコンサルの部分も8、9割時間作って、
組織の方ももちろんやってると思うんだけど、費やしてる時間っていうのは、相談者の人に向いてる時間が圧倒的に多いような印象だったんだけど、
それがナンバー2として会社で組織でこんなことやってたとか、こんな大変だったっていうのを端的に言うとどんな感じでした?
スピーカー 2
端的に言うと、僕自身はその当時のコンコードエグゼクティブグループのナンバー2としては完全に失格だったと。
スピーカー 1
失格、なるほど。
スピーカー 2
全くナンバー2としての、鍋さんの期待に応えられてなかったし、これは非常に難しいんですけど、
そういう意味ではナンバー2としてのあるべきリーダーシップに悩み続けた、特に後半3年間は本当そんな感じ。
すごく苦しかった。最初の3年はそこまでじゃなかったんだけどね。
これはね、でも多くのナンバー2の人たちがおそらく経験をすることだと思うんですけど、
まさに前、勝美に話をした、野球のルールとサッカーのルールぐらい違うみたいな話を。
まさにそういう感じだけど、やっぱり社長の立場、要は自分の中では極めて高い当事者意識を持っているつもりでいたし、
当時は鍋さんのことを、お互いに言ったけど、絶対にお互いを裏切らないと。
そういう意味ではずっとお互いに全く、その後も会社を離れてからもコンコードを離れてからも、むしろ強い信頼関係でより結ばれてたりするわけだけど、
当時の自分の立場としては、よく鍋さんから言われていたのは、杉浦は内側の人なのか外側の人なのか、どっちなんだ?
スピーカー 1
なるほどね。これはコンコードの中身知らないけど、そのニュアンスものすごいわかるわ。
スピーカー 2
わかるでしょ。
スピーカー 1
杉浦のタイプっていうか、すごい表してるよね。
スピーカー 2
その頃は何言われてるか本当わかんなくて、自分としたらある意味正面から、鍋さんと一緒にコンコードを盛り立てたいと。
もっとよくしたいし、彼の人生に伴奏しているつもりで当然こっちは言うんだけど、
杉浦はコンコードの杉浦なのか、内側の人なのか外側の人なのか、どっちなんだって、何言われてるかわかんなくて。
言い方をいろいろ変えると、全く質感の違う当事者意識の立ち位置というか質感が違うとしか。
多分メートルセンチメートルの世界とグラムキログラムの世界ぐらい違う。
鍋さんは当時、僕に同じメートルとかセンチメートルのメジャーの長さで一緒に語ろうぜっていうふうにそこを求めていたんだけど、
自分は一生懸命よくわからずグラムキログラムの観点で話をして、だから何だろう、彼から見ると全然コミットしてくれない。
ある意味、自分はリングに上がってるつもりでいるわけだ。フィールドプレイヤーでいるつもりなんだけど、多分鍋さんから見るとリングサイドの最前列にいる人。
フィールドの最前列に、多分セコンドとかでもなく、ラグビーでいうと水を運んできてくれる人でもなく、本当に多分観客席の一番前にいる人ぐらいに思っていた可能性がある。
スピーカー 1
サッカーでいうと12番目の選手じゃないけど、菅浦が当時の試合意識を持ってフルコミットしてやってたら目に浮かぶし、適当なことやってるなんて1ミリも思わないんだけど、当時渡辺さんが感じたその感覚っていうのもわかるんだよね。
必要以上に客観的な分析ができるんだよね。重さとか、みんな長さやってるんだけど、そもそも重さじゃんって言って、その世界観でこうした方がいいって言うと、何言ってんのこいつだけみたいな感じになってんだろうなとか。
信頼関係の構築
スピーカー 1
みんなが揃ってて、綺麗にそこのタイルのようにカチッとはまってんだけど、はまって真っ平なんだけど、そこだけ素材別物だったとか、そういう感じの違和感みたいなのがあったんだろうね。
スピーカー 2
コンコードに関しては、なべさんがまさに就職活動の時に出会った友人なんで、個人の関係としては友達なわけなんだけど、でも会社組織の中では社長とナンバー2っていうポジションだったりとかするので、
その社長の立場からいろいろ言われたりとかすると、よく瞬間的に当時感情として起こった出来事としては、なんで友達のなべさんから、渡辺からこんなこと言われなきゃいけないんだ、こんな理不尽なこと言われなきゃいけないんだとか、
あとは本当失礼な話なんだけど、実際自分が2010年にフルタイムになった時は、なべさんから、もう杉浦が絶対必要なんだと、なのでフルタイムでやってほしいということを言われて、さっき言ったように自分もすごい興味もあったんでね。
スピーカー 1
自分で選択したんだけど、振り返ると2010年にフルタイムの選択をした時に、自分の意思で選んでないんだよね。本当に振り返ってみて、もう気づいたことがある。
スピーカー 2
そこに気づいたのは、本当にリアルにはっきり気づいたのは、2017、18年ぐらいになってから。
スピーカー 1
だいぶ経ちたね。
スピーカー 2
そうそう。きっかけはね、まだコンコードにいた時の2013年、4年に受けた、それも研修なんだけど、あるリーダーシップのプログラムに1年間かけて参加をした時に、その入り口に初めて立てて、なのでコンコードを辞める選択ができたんだけど、辞めて。
その辞めた後、2年ぐらい経って、2018年ぐらいにようやく2010年に自分がコンコードのフルタイムになるっていう選択は、実は自分が主体的に選択してなかったなってことに、8年経って気づいた。
で、何かっていうと、渡辺から誘われたから手伝ったっていう、最初2008年の時、スタートはそこだし、さらにそれを、さらになべさんからお願いだから、本当にそういうふうにお願いされて、興味もあったし、じゃあやろうかなっていう感覚なんです。
それは一見自分で選んでるようなんだけど、自分の中では常に、いや、俺は他のクライアントを断って来てやってる。
スピーカー 1
なるほどね。頼まれたから来たんだ。
スピーカー 2
頼まれたから来たんだと。
で、なので、組織の中で社長から、何かいろいろ理不尽なことを、理不尽に感じること。今思うと全然理不尽なことではなく、当たり前のことなんだけど、理不尽なようなことを言われたりとかすると、何で俺、繰り返したら、何で俺、友達からこんなこと言われなきゃいけないんだっていうことと、俺はここに来てやってんのにっていうところで、もう完全に達成期だよね。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
いやー、なので、いや、完全にナンバー2として失格だった。
スピーカー 1
ああ。
スピーカー 2
いやー、だから、かつみとか見ててすごいなと思うのが、ある意味、しんかず。
大津、大津という会社の社長は松本しんかずと言って、彼もだから同級生。
僕らのね。
高校時代の同級生だけど。
スピーカー 1
同級生ですね。
スピーカー 2
すごくその友達との関係と、僕はだから友達との関係との中で、それを会社組織の中に持ち込んで、一度失敗してる。
でも、その後だから高校度にまた復帰をしたりするんだけど、復帰をするときはその辺を全部振り返って、なべさんと答え合わせができたんで、復帰できた。
いや、だからより強固ですよ、関係性的には。もう全幅の、お互い全幅の信頼。
スピーカー 1
その友達でトップとナンバー2という関係で、気持ちの相互みたいなのが離れたけど、当時こうだったよねっていうのをやることでガチっとハマった感じ。
スピーカー 2
あの時こうだったねっていうことを、2016年に辞めて、それで自分の会社エリオスという会社を作って、いろんなまたクライアントの手伝いをやってたりとかする中で、
たまたまきっかけは自分が担当、自分のクライアントの中で採用、リーダー層の、エグゼクティブリーダー層の採用をするときに、コンコードに手伝ってもらった。
実際、あと自分のところに転職相談した人をコンコードにちょこちょこ紹介したりとかしてたんだけど、本当にガッチリクライアントで入っているところに、採用の手伝いをやっていたところにコンコードに入ってもらって、
コンコードから紹介してもらったりとかして、コンコードとのコミュニケーションが密になったりとかしたときに、久々の儲かみたいな話とかの中で、
本当、あの時に何が起こってたのかっていうのを振り返ったりとかして、自分はこう感じてたのか、そういう話をして、答え合わせをして、それでお互いのわだかまりがなくなった。
スピーカー 1
友達と起業するってパターンじゃないけど、途中から合流してもそういうのは起きがち。
スピーカー 2
よく友人関係で起業した会社で、ほとんどうまくいかない。
スピーカー 1
うまくいかないね。
確かに、私もね、旧作家やってる会社に途中から入ったんだけど、僕は入ったときに別にナンバー2でもないし、
1、マネージャーみたいな感じで入ってるから、もはなから違ったんだけど、うちのトップ、だいぶ特殊な感じだと思うね。
スタートアップの上場プロセス
スピーカー 1
特殊って言うとちょっと覚えがあるかもしれないけど、器のデカさが違うなっていう感じがあって、高校の時は感じなかったのがあるから、
別の世界線を生きてる、僕にはないものを持ってる人だっていうふうに思ったから、
同じ土俵で戦ってると多分、優劣って、俺の方がここは優れてるとかあるのかもしれないけど、
違う世界線っていう感じで思えたので、あんまりなかったです。今もそうなんですけどね。
スピーカー 2
そこは多分2人の関係が、成熟度、マチュリティーが高いのかもしれないし、分かんないけどね。
スピーカー 1
そうですね。分かんないけど。
スピーカー 2
でも少なくともコンコード時代の自分を振り返ると、自分とナベさんを比べたときには、自分の方が明らかにマチュリティーは低かった。
スピーカー 1
面白い話なんですけど、コンコードが人材の会社でしたと。
後者にその次の転職先を紹介しながら、その人のキャリアを一緒に作っていく仕事でしたと。
その前は、投資家としていろんな企業の支援をずっとして上場も経験しました。創業から支援もしましたと。
お金の面、事業の面、人の面っていうのをやってきて、2018年に一旦、2016年か。
スピーカー 2
2016年にコンコードを辞めて。
スピーカー 1
コンコードを離れて、エリオスという会社を自分で立ち上げると。
これまでも会社を作ってきたと思うけど、完全にピンでやる、コンサルト組織開発、企業支援とかいろいろやってたと思うんだけど、
そこはやっぱりこれまでやってきたことの、一番やりたいことの集大成みたいな感じで構えてきた。
スピーカー 2
当時は当然そう思ってた。
それでやりたいと思ったのは、自分が社長として本当に好きなファームをやりたいなと。
VCNでやってたスタイルはすごく好きだったんで、基本的にはクライアントはNPOとかも組めたけど、
ある意味、社会課題の解決とかもビジネスを通じて行うような、
ある意味、ソーシャルベンチャーという言い方もできるかもしれないし、ソーシャルスタートアップとかインパクトスタートアップとか、
いろんな言い方はあったりするけど、そういう領域の企業を、上場とかにこだわらず株式会社だろうがNPOだろうが、
そういうところに携わりたいなと。
すごくわがままな当時のビジョンを考えたんだけど、自分が作りたい未来とか、
残念ながらうちは子どもがいないんだけど、自分の子どもの世代たちに残したい世界とか未来っていうのは漠然とイメージはあって、
漠然とというか、自分の価値観照らし合わせて合うか合わないかという点では明確にあるんだけど、
そういう自分が死んだ後にこの未来が、社会がこういうふうになっていたらいいなっていうことをやってくれる企業家を、
自分の代わりになって動いてくれる人に関わったりとか貼るっていう。
経営者の育成と社会課題
スピーカー 1
自分一人だとそういうことができないんで、すごくわがままな言い方をすると自分の代わりになって企業家として働いてもらう。
たぶん今言葉を選んでたと思うんだけど、人によっては若手経営者を育てるとか育成するとか、
そんな言葉を使うと思うんだけど、そういう感じじゃない。
スピーカー 2
育てるとかそんなつもりではなく、自分の代わりにこの領域、この領域のこの課題を解決するのはこいつにやらせるっていう感覚。
スピーカー 1
もう俺こういうのやりたいんだけど、やってくれないみたいな感じでお手伝いするとかっていう感じ。
スピーカー 2
どちらかというと出会い方としては、私はこういうことをやりたいんですとか、こういう課題を解決したいんですとかっていうのを聞いて、
そこが自分がまさに描いている未来図の中のその領域において価値観に合ってたりとかすると、よしお前手伝うって。そんな感覚。
スピーカー 1
特別編の第2回はここまでとなります。いかがでしたでしょうか。
生々しい2番系っぽい話を聞けたのではと思っております。
2番系、ナンバー2のひきこもごも、ここまでお聞きいただきありがとうございました。
気に入っていただけましたら番組フォロー、いつもし評価をお願いいたします。
Xやお便りサイトでのご感想もお待ちしております。
ここまでのお相手は、O2パートナーズ、勝宮すいででした。
ありがとうございました。
34:34

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