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2024-02-01 15:46

#11 家に居るのに帰りたい【死ぬまで生きる日記】

家に居るのに帰りたい。そんなことを思ってしまうことがある。


だけど、その正体が少しわかった気がする。

それが、土門蘭さんの『死ぬまで生きる日記』を読んだからだ。


『死ぬまで生きる日記』

https://www.ikinobirubooks.co.jp/nikki/


1月が終わったなんて信じられない2月1日のカシミアノート。


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サマリー

ポッドキャストでは、ドモン・ランの著書『死ぬまで生きる日記』について語られており、著者の内面的な葛藤やカウンセリングを通じた変化が強調されています。また、「帰りたい」という感情が解釈され、これに共感するリスナーの思いも共有されています。ポッドキャストでは、ドモさんの『死ぬまで生きる日記』を通じて、帰りたいという気持ちの根源とそれに伴う息苦しさについて語られています。特に、自身の創作活動に与える影響が掘り下げられています。

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こんばんは、カシミアノート11回目始まりました。この番組は、小屋の仕事をしているYusukeが話すポッドキャスト番組です。
いやー、もう1月が終わりまして、もう2月というわけで、ほんと信じられませんね。
ドモン・ランの著書紹介
えーと、今日は、ちょっと一冊本を紹介したくて、その話をしていきたいなと思ってます。
で、タイトルなんですけれども、「死ぬまで生きる日記」という本です。
ドモン・ランさんが書かれた本なんですけれども、ちょっとあらすじと言いますか、本の紹介をさせていただきたいんですが、
このドモン・ランさんが実際に体験したお話が書かれておりまして、10歳の頃から35歳まで毎日のように死にたいと思っていた著者が、
オンラインカウンセリングを受けて事故を見つめた記録、2年間の記録が書かれております。
この中には、カウンセラーとの対話をすることによって、ドモンさんご自身が変化していった、少しずつ良い方向に変化していった記録が書かれているというものになります。
なんでこの本を手に取ったかというと、実は、読書会みたいなのを去年の春頃にちょっとしていて、
その参加者の方が、この本を1冊持ち寄ってくださったんですよ。で、その時に、あのドモン・ランさんって、どっかで見たことあるなぁと思ったんですけど、自分の本棚に実は2冊本ありまして、
これ、えっとですね、100年後、あなたも私もいない日に、という本ですね。まあ単価とエッセイがちょっと書いてある本で、
ああ、あのドモンさんなんだと思っていて、もう1冊は実は、あの子が苦手な私が苦手っていう本っていうよりかは、ほんとちょっとした冊子に近いような、これ文学不倫まで買ったんですけど、
思い返してみると、ドモンさんと少しだけお話ししたいことがあったなと思いまして、100年後、あなたも私もいない日に、僕、もともと全然ドモンさんって認知する前から読んでいて、で、文学不倫までって、ブースが出展するんですよ。
ブース出展していて、テーブルにいくつか本が皆さん販売しているんですけれども、ああ、この本読んだことあるなと思って立ち寄ったら、
どうぞ手に取って見てくださいって言われて、ああ、ありがとうございます。僕、この本読んだことあるんですよって話したら、ああ、ありがとうございます。ドモンですって言われたことがありましてですね、
すごい恥ずかしい思いをしたっていうですね、思いがあって、なんで強烈に覚えていたんですけれども、なので、ああ、あのドモンさんの本なんだということで、
あの、僕の持っている2冊はどっちかというとも短歌とかエッセイが書かれていたので、なんか強烈にこう、なんでしょう、死ぬまで生きるっていうちょっと強いワードのあるタイトルっていうのは、ちょっとだけ僕は拒否反応を起こしていたんですよ。
なので、昨年の春にお勧めしていただいたにも関わらず、しばらく積ん読状態だったという本でございます。
カウンセリングの影響
なんですが、先週実はこれ読みまして、積ん読を徐々に解消していっている中で、この本を読んだんですけれども、まあこの本めちゃめちゃ良かったんですよ。
この本自体がすごくこう、日記というタイトルでついている通り、本当になんか人の、誰かが書いている日記を読んで、まるで自分の物語のように追体験しているような気持ちになって読んでいたんですけれども、
僕がですね、ちょっと一番感動したというか、涙を流したシーンだけちょっとお伝えしたいと思うんですが、このドモンランさんが、やっぱりちょっと毎日のように死にたいと思っていたところから、徐々に本田さんというカウンセラーの方が出てくるんですけれども、
そのやりとりがとってもこう、なんだろうな、すごくこう丁寧なステップを踏んで、お互いの信頼関係を深めていくような描写がすごく良くてですね、例えばなんですけれども、この本ではですね、ドモンさんのことをアールさんという風に名前を名乗っているんですけれども、
アールさんが幸せだと感じる瞬間はどんな時ですか?っていうような質問をされるんですよ。で、他人の行動によってではなくて、自分で自分を幸せに練習をしてみましょうみたいな、そういうやりとりがあるんですね。
で、僕自身も実は、どこか誰かといる時には満たされているものはあるけど、自分一人になった時には、なんかぽっかり穴が開いているような、なんかこう落とし穴にはまるような感覚があるみたいなのがあったんで、この言葉はすごくなんか自分事のように感じたんですよ。
で、その中でマドモンさんはいろいろあげるんですね。なんかその、例えばビールを飲んだりとか、川辺を歩いたりとか、いい匂いを嗅いだりするっていうことが、私はお開剤しない、自分が自分でできる幸せを感じることができる行動である、みたいな感じでリストアップしていくんですよ。
で、その中で結局自分に空いている穴は自分でしか埋めることができないっていうようなやりとりが出てくるんですけれども、本当になんかその通りだなっていうふうに思っていて、どこか僕もやっぱりなんか自分にちょっと欠損してる部分、なんか欠落してるっていうか、なんかここ足りないなーって思ってる部分があるんですけれど、
なんかそれを自分で埋めようとせず、なんか誰かが助けてくれるんじゃないかなとか、なんかデコボコしてる部分があって、まあそれが友達なりパートナーなりが、そのデコの部分をボコで埋めてくれるんじゃないかなっていう思いをずっとしていたんですけれども、当然ね、そんなのね、すごい確率を待つしかないわけですし、偶然出会えたならばやっぱそれは運命っていうふうにね、
あの思っていいんじゃないかなって僕は思ってるんですけれども、その自分の空いてる穴を自分で埋めるためにはやっぱり自分のご機嫌は自分で取らなきゃいけないっていうような感じで、自分で自分のことを知っていくってことがまず一番初めに存在しているってことがとっても印象に残りました。
それで、この本の僕が一番良かった部分、感動したところをね、ちょっとお話しするんですけれども、このなんでそもそも死にたいと思っちゃうんだろうとかっていうのをどんどんどんどんドモンさんが尋問自答しながら、対話を通じながら見つけていくんですよ。
で、その本田さんというカウンセラーの方から、死にたいっていう気持ちを何か他の言葉で言い換えることはできないんでしょうかっていうふうな、ちょっと問いをいただくシーンがあるんですね。
で、なんかまぁ、究極ね、なんかこう休みたいとか眠りたいとか逃げたいとか、そういう別のものに何か言い換えることができないのか色々ドモンさんを探すんですけれども、
なんかそこでドモンさんは帰りたいっていう言葉をですね、見つけるんですよ。で、この時に僕めちゃめちゃ、なんかもうドッキリというか、なんかちょっと衝撃が走りまして、というのも僕自身も、もう十何年ぐらい自分の部屋の中にいるのに、帰りたいって言っちゃうんですよ。
で、正直それ、その友達とかに、なんか家の中にいてさ、なんか帰りたいって言っちゃったりしない?っていうふうになんかライトに聞いたことがあるんですけど、ちょっとあんまりね、僕の周りにいる方にはあんまり理解されなくて、
あの、なんか土に帰りたいってことみたいなとか、天に帰りたいってことみたいな感じでちょっと茶化されたことがあったんで、あれ?もしかしてこれってあんまり人に言っちゃいけないやつなのかなって思ってから、あんまりそれから人に伝えることは全くしなくなったんですよ。
なので、このドモさんが帰りたいっていう代替言語に出会った時に、もう完全になんか俺と同じことなのかも。俺と同じことなのかもしれないって思っちゃったんですよね。
僕はそこまでなんかこう、なんかこの世から亡くなりたいとか死にたいっていうふうには思ってはないんですけれども、でも少なくとも帰りたいっていう、僕の発していた言語とドモさんが帰りたいって思った言語が一致している意地を、なんかまあニアリーコールというか、何かこう僕も将来そういうふうに思ってしまうのかもしれないし、
帰りたいという思い
ないしは僕は気づいてないけど、内在していて、なんか本当になんか突然、なんか隙間に落ちたみたいな感じで、そういうふうに思ってしまうのかもしれないと思ったんで、途中からもうこれは本当になんかドモさんの話というよりかは、僕自身の物語と本当になんか並走するような感じにあるところなのかなと思って、そこからしばらく読んでいくんですよ。
で、実際これ興味持った方はぜひ読んでいただきたいんですけれども、そのドモさんが見つけたその帰りたいっていうものの先にあったものが、なんか地球、地球ね、この住んでいる世界は息がしにくいっていうようなところがあったから、あのドモさん自体は火星に帰りたいっていうふうに表現されるんですよ。
で、火星ってのは、まあなんか誰もいない星みたいな感じでドモさんおっしゃっていて、なので私は火星に帰ると一人ぼっちだけど、いつか帰る時のためにこう地球での日々をレポートで書いてるみたいな、ドモさん自体が文筆家の方なので、ライターや文筆家として活動されている方なので、そういう将来帰る時のために書いてますみたいなことをおっしゃったときに、もうなんか涙が僕は出ちゃってですね。
いや泣くなよって話なんですけれども、いやでも本当になんかカフェでこれを読んでたんですけれども、ああやばい泣きそうって思って思わず店を出ちゃったんですけど、あの全く僕もその通りだなと思っちゃったんですよ。
帰りたいって、ああ息がしにくいことなんだって、そこで僕も気づいて。
で僕はこれまでコロナに、コロナ禍に入る前までは本当に年に2,3回ぐらい演劇の公演をやってたんですよ。
自分でお金を本当になんか大金出して、劇場を借りて、メンバーを集めてスタッフを雇って、それでなんかこう稽古を重ねて、1週間ぐらい公演をするっていうことを何年ぐらいだろうな、8年とかやってきてたんですよね。
ただコロナ禍になって、北海道で僕公演を打つ予定だったんですけれども、札幌雪祭りのことがあったりとか、感染者が出たりとかして、それで僕東京の人間だったので、移動しないでくださいっていうことだったりとか。
あと新宿にも本当に小さな30人ぐらいのキャパシティの劇場があったんですけれども、そこで来春公演を打とうっていうのでしたみにも行ってたんですけれども、その後時勢もあってその劇場が封鎖する、閉鎖することになって。
まあとにかくそんな感じで、演劇自体ができない感じになっちゃって、息苦しいなーって。息苦しいなーって思っちゃってて。
たぶんそういった意味で、僕の創作活動って自分の住みやすい環境だったりとか、自分がこういう世界だったらいいなーとか、こういう思いだったらいいなーとか、あなたもきっとこういう風に思ってませんか?っていうようなことをやってきていたんで、
僕自身がすごく深呼吸をできる環境を今まで作ってきてたんだなーって思った瞬間に、子供さんがその言葉や場所やこれから目指す場所っていうのを見つけられたことに対して号泣しちゃって。
お店出てるんでいいんですけど。お店出て、もう家に帰るまで、歩いて帰ろうと思って、歩いて帰ってる間にもうなんか号泣してんですよ。大の大人が。大の大人が夜道で号泣してたら怖いだろうって思いながら、思われるかもしれないんですけれども、それぐらいでもすごくなんか自分ごとのように、
なんかこうやって一つの、なんて言うんでしょうね、生きやすさを手に入れていく過程を見つめるってのは、なんかとってもとっても心が少し温まるというか、自分さえ、自分は何にもまだね、世界は何にも変わってないんだけど、それでもなんか心が晴れやかになるようなそういう経験をしたっていう本なんですよ。
創作活動と息苦しさ
なので、なんかこの死ぬまで生きる日記ね、あの今話したことが全然まだ全てじゃなくて、まだまだそのカウンセラーさんとの出会いからどういうふうにこの日記が終わるのかっていうところをぜひ見届けていただけるといいのかなとは思ってます。
それが、まるでなんかこう人と出会って別れていくとか、離れていくとかっていう経験が少しでもある方は、なんか少し手がかりというかヒントになるようなことが、なるような言葉が書かれ、すごい書かれているような本だなと思ったので、今日ちょっとお話ししたいなと思いました。
なんかもしね、人間関係だったりとか、自分の少しでも不安に感じる夜があるとか、あのそもそもカウンセラーに僕は結構抵抗感があった人間だったんですけれど、なんかこうやってこうね、どこまで書かれているのかわからないですけれども、
オープンに書いてくれたおかげですごくイメージもしやすくなったなと思いました。なので、なんか僕自身もカウンセラーとなんか話してみたいなっていう気もあったんですよ。すごいおすすめです。
というわけで、エンディングになります。はい、なので最後にお知らせなんですけれども、私に話してほしいことやってほしい企画相談ごとのご収集しております。概要欄にあるメールフォームからお願いいたします。皆様にどうか手触りのある日々を。
かしみやの当相手はゆうすけでした。
15:46

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