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2024-02-08 24:50

#12 人の話を聴くことが苦手だったけど理由があった話

人の話を聴くことが苦手。

だと思っていたけど、それにはちゃんと理由がありました。


そして、東京に雪が降りました。


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サマリー

このエピソードでは、鈴木悠介さんが人の話を聴くことが苦手だと感じていた理由を探ります。また、演劇の演出において台本の理解と会話の時間調整の重要性について詳しく話します。鈴木さんは、人との会話に対して苦手意識を持っていましたが、その背後には深い理由がありました。本エピソードでは、会話が苦手な原因と、それを克服するために学んだことが語られています。特に、自分の感情を相手に押し付けず、対話のルールを学ぶことの重要性が強調されています。鈴木さんは、人の話を聞くことが苦手だった理由を振り返り、相手とのコミュニケーションの重要性に気づく過程を話します。また、長期的な関係を意識することで、相手の言葉により耳を傾けられるようになったことを共有します。

人の話を聴くことの苦手意識
こんばんは。カシミアノート12回目始まりました。この番組は、声の仕事をしている鈴木悠介がお送りしているポトキャスト番組です。
東京にも雪が降りましてですね、ものすごい寒い日々を過ごしてるんですけれども、向こう三連休は夏日?バレンタインデーの日18度まで上がる予定になってるらしくて、
チョコ溶けんじゃね?みたいなことをですね、今言われてますね。
今日なんですけど、実は僕、人の話を聞くことに向いてないって思っていたんですよ。
てか苦手だと思っていて、ちょっとその話をしたいなと思うんですけれども、
なんか皆さんは人の話聞くのって上手いですかね?
私上手いですっていう人いるのかな?わかんないけれど。
で、なんか結構相談が集まってくる人なんですよ。
昔からなんか人に相談されるなっていうことがすごいあって。
だから結構なんか後輩の悩みとかもそうだし、同級生とか同い年の子たちとも、
そういうある一定の進路もそうだし、恋愛もそうだし、様々な悩みっていうものを、
別に僕が何でも相談したいって言ってるわけでもないんですけれども、
集まってきてるちょっとことがあって。
ただ、なんかそうすると、なんかまるで俺が話聞くのすごい上手いんじゃないかっていう感じが、
自分でも思ってたんですけれど、
なんかあんまり上手く俺人の話聞けてないんじゃないかなっていうところがあって。
演劇における台本の理解
なんか人には興味があるし、何でそういうふうに思うんだろうって疑問に思うことが結構あるんですよ、僕。
で、それは多分その演劇の演出とかやっている手前、台本あるじゃないですか。
まあ、儀曲っていうふうに言ったりするんですけれど、
なんかこのセリフは何でこういうふうにこのキャラクターは言ってんだろうとか、
あと、と書き?なんかまあ、紙手に履けるとか、下手に履けるとか、階段上がるみたいな、
あの最低限の儀曲は、役者の指示書きみたいなのが書いてあるんですけれど、
何でこれ離れたんだろうとか、何でこれ今いなくなったんだろうとかっていうのを考えていくんですよ。
っていうのも、例えばザツキ、同じ団体の中に脚本家がいれば、まあ聞いちゃえばいいし、
逆にここちょっとあんまり履けさせたくないんだけど、みたいなことを言うと、
じゃあなんかそういう感じにしようか、みたいな感じで打ち合わせが進むんですけれど、
例えばその古典の儀曲、昔の儀曲だったりとか、
ないしは別の劇団さんからお借りしている儀曲の場合ですと、
まあ、もちろんね、規約っていうのがあって、変えれる変えれないっていうのはいろいろあるんですけれども、
まあ変えたりとか、でもその前に何でそのセリフ言うんだろうとか、何でこういう動きするんだろうっていうのを、
ものすごい考えていく役割をやってたんですね。
会話の尺調整の重要性
だから生きている人間が何でそういうふうに思うのかとか、何でそういうふうに感じるんだろうって、
もう目の前にいるから、もうすごいそれをね、聞いていくのが僕は結構好きで。
で、まあ僕がね、自分で言うのもあれなんですけれども、あんまり口が硬い方というか、
逆に言うと誰かに話す必要がないっていうか、誰かに話す人もいないみたいなこともあるんで、
基本情報が全部僕の中で留まるっていうことを認識してるか知らないか別としても、
すごく相談が集まってきやすいっていうことがあったんですよ。
で、そういうね、僕が、もうちょっとお仕事増やしたいなって思った時期があったんですね。
で、その時に、実力はね、やっぱり同世代の子たち横見たら、
まあ、永遠にやっぱしわふわ青いわけで、なんかみんな上手いんですよ。
で、そこから一歩抜きんでるために、じゃあなんか特別な特技をね、身につけたりとか、みんななんか資格を取ったりとか、
個性をね、出していったりとか、そういうことをまあし始めていくんですよ。
で、ただなんかそれがあんまピンとこなくて、僕の中で。
で、まあだったら、話が面白くなったら仕事来るんじゃないかなって思って。
安直な考えね。芸人的な考えなんですけど。
そう、なんかあの、なんかまあ飲み屋とかね、居酒屋とかの話が面白かったら呼ばれるんじゃないかなって思って。
一時期めちゃめちゃトークを頑張った時期があるんですよ。
まあもう何年も前だとあんまりそういう情報も転がってなくて、
ほんと僕がトークスキルを上げようと思った時に参考にしたのはもう完全にテレビの、しかもなんかトーク番組ですね。
まあアメトークとか、なんかひな壇とかひらばとか、なんかそういう風に言われてるような番組を見ながら、
ああなるほどね、こういう風に言ってるんだとか、こういう立ち回りをしてるんだとかっていうのを、
まあなんかね、自力ながらちょっと一個ずつ解体して取り込んでいったっていうのがあるんですよ。
まあで、結果じゃあどうだったのかって言ったら、話はね上手くなった方だと思うんです。
自分で言うなよって話なんですけど。話はね、まあそう、ある一定のね、あのお約束事みたいのがあるんですよ。
なんか例えば、まず一個尺を決める、話の尺を決めるっていうのがあって、
なんかエレベーターとか待ってたり電車待ってたりした時に、すごい絶妙な間があるじゃないですか。
エレベーター待ってるのって、たぶん30秒も待つかなーみたいな感じあるじゃない。
でもその時に、なんかその取引先の人だったりとか上司とか後輩の時に、30秒あるじゃん。
エレベーターでさ、10階から1階まで降りてくるこの矢印を点滅するのをずっと見つめてるわけにもちょっといかないじゃん。
見つめてても面白いんだけど。なんかその待ってる間に、なんかちょっと間を埋められるんじゃないかと思って話し始めるんですけど。
なんか話のサビの部分で、エレベーター着いちゃって乗り込まなきゃいけないみたいな。
で、エレベーターの中って基本会話あんまりマナー的にしないじゃん。しちゃいけないから。
そうするとちょうど話のサビぐらいの時にエレベーター乗り込んで、目的のフロアに着いたら、
あ、じゃあお疲れ様でしたみたいな感じになったりとかするのが、ものすごい気まずいっていうか。
なんでもっとうまくできないんだろうって思ったりとかね。
電車もさ、なんか話のサビのところでさ、ふーんって入ってきたりとかさ、してさ、えーみたいな。
今ちょうど話してたとこなのにみたいな、なんかそういう失敗を重ねつつ。
何が一番大事なのかって言ったら、話のやっぱ尺なんですよ。
だからその、まぁだいたいエレベーター10階から1階に降りてくるってことは、これだいたい20秒ぐらいだから、
20秒ぐらいで済ませる会話にしようとか、なんかそういうことを考えてるわけ。
で、例えばなんか今日は何の日とかだと、ものすごくそういう尺調整がしやすかったりするんですよ。
なんか例えば11月11日って、もう何の日かって言われたら、
だいたいの人はだいたい、もうポッキー&プリッツの日ですって言うと思うんですよ。
だけど11月11日って、山ほど記念日あるんですよ。
で、岩下の新正月の日だったりするんです。
あの棒状の生姜ね。棒状の生姜が並んでいる姿に見える。
11月11日がね。
だから岩下の新正月の日です。
でも多分あんま知らないと思うんですよ。
で、そうなんだみたいな感じで言われるわけですよ。
で、これでまぁ多分5秒ぐらい。早口で言えば5秒?あ、3秒ぐらい?なんだけど。
で、そこから今度はヤンヤンつけ棒の日なんですよ。11月11日って。
ヤンヤンつけ棒ってご存知ですかね。
なんかスナック状の棒状のサクサクしたお菓子にチョコレートをつけて食べるっていうのがあるんですけど、ヤンヤンつけ棒。
あれ11月11日なんですよ。
あ、そうなんだみたいな感じなわけです。
これもまぁちょっと早口でしゃべれば3秒ぐらい?合わせて6秒ぐらい。
で、うまい棒の日でもあるんですよ。
11月11日はうまい棒の日でもあるんですよ。
棒状のフェスティバルじゃん。
11月11日ってっていう、なんかね。
みたいな感じで、ある程度の尺調整。
だから今だったら、例えばじゃあその3つ。
ポッキー&プリッツの日含めて4つぐらい言えるところを短めにするんだ。
1個でもいいし2個でもいいし3個でもいいしってみたいな。
そういうなんか助走をつけながら調整していくみたいなことをして、尺をできるだけなんかピッタリに合わせるために努力してたんですよね。
これは。何の努力の仕方なんだって話なんですけど。
で、そういうね、お話っていうのは、山あり谷ありってのもね。
とか、オチとかね。いろいろ言われるじゃないですか。
今の話オチは?みたいなこと言われるんですけど。
基本的には全部尺の問題になってくるんで。
あと短ければ短いほど結構よかったりもするっていうのもあってですね。
喋れば喋るほどリスクがやっぱ高いんですよ。
一人で。今一人で喋ってますけど。
会話のキャッチボールの誤解
基本的になんかトークってもうチームプレイだなっていう風に思っていて。
なんかキャッチボールって言ったりするじゃないですか。
よく会話のキャッチボールって、あれね嘘だと思ってるんですよ。
会話のキャッチボールって、そもそもキャッチボール自分で投げて相手が取るじゃないですか。
で、そしたら今度相手が投げるんですよそのボールを。
で、そうするとこっちがどんなに強いボールを投げても向こうがキャッチした時点でもうゼロになってるわけ。
で、向こうが優しいボール投げてくれたら優しいままになるじゃない。
だけど俺、会話ってテニスみたいな感じだと思ってるんですよ。
基本的に強い言葉だったりとか強い勢いのある言葉を発した場合、
それが要は相手もやっぱすごい手首をグリップしてドロップボールにしない限りはやっぱりそのまま強い打球のまま返ってくるもんだと俺は思っていて。
で、そうすると自分にボール、会話をボールだとして自分がずっと保持している場合、どんどんどんどんそのリスクが上がってくると思ってるんですよ。
期待値も上がるし。
で、プラスこれが2人の時でも結構しんどいと思うんですけど、大人数だともっとしんどいなっていう時があって。
そうなってくるともう俺はなんかこう、大人数でいる場所が沈没船みたいな感じ。
なんか沈みゆく船に乗ってるみたいな気分に僕はなってくるんですよ。
で、もうボールを回さないと沈んじゃうゲームみたいなことをしてるなっていう感覚があって。
だから、すごい端の方に全然喋ってない人とかには僕は話を送ったりするんですけど、迷惑だなって思われるかもしれないけど。
でもまあなんかこう場の一体感というか、なんかこう空気のしやすさみたいなことを考えると案外なんかこうMCみたいなことをやってた時期があるんですよね。
そういうので。で、沈みゆく船から無事に生還できましたみたいな。そういうふうになんか思っちゃうところがあるんですよ。
だから結構目上の方とか、すごく権威のある人とか力のある方がもう永遠とずっと話しているっていう場所がもうすごく苦手。
人の話を聞くスキルの学び
どんなにためになる話をされてても、なんかね、どんどん入ってこなくなっちゃうんですよ。
多分それは俺がダメなんだと思うんですけどね。
なんかそう、なんかそこにね付随してこうちょっと行き継ぎできるなんか空気になるといいなぁみたいな感じで調整していたみたいなことはあるんですけれど。
なんかそういう場の空気とか、それこそこうトークの尺や種類を考えてた時に、結構うまくできてたなっていう認識はあったんですけど。
ただ振り返ってみた時に何を話してたのか全然覚えてないんですよね。
何を話してたかっていうかその一緒にいた人たちが何を話してたかっていうのは全く覚えてなくて。
なんかそう、オーケストラの指揮者がね曲聴いてないってわけじゃないと思うんですけれど。
やっぱりなんか表紙を取ってたりとかビートを刻んでたりとか、なんかまるでオーナーアトビーに入るためのすごいカウントを取っただけなんじゃないかっていうような感覚があって。
それってすごく良くないなって思ったんですよ。
だからなんかちゃんと人の話を聞くことを勉強しようと思って。
当時ね、対話のレッスンとか練習会みたいなのに実は参加してたんですよ。半年ぐらい。
で、そこである一定のルールみたいな、カウンセラーとかコーチングとか、世の中には人の話を聞くという仕事があるんですけれども。
そこで守られてるというか、大切にしているルールみたいなものを聞いたとき、僕がやってきたのと結構真逆のことなんですよね。
当たり前なんですけど、話すこと聞くことが結構あれだなーみたいなことを思ってて。
で、一個は断定をしないっていうのがあって。
あくまで相手の気持ちをこちら側で決めつけないっていう風に言われたことがあるんですよ。
だからどんなになんかそのお話ししている人が嬉しそうに見えても、
嬉しかったんですねって言っちゃいけないんですよね。こっちをね。
こっちが断定することじゃないみたいな。嬉しそうに見えてるっていう風に伝えるみたいな。
嬉しそうに見えてるようにこちらとしては見えるんですけどみたいな、そういう言い方をするらしいんですよ。
すごいそれを言われたときに、なんかどこかで自分のこっちの聞いてる側の思いが、
なんかちょっと制限されてるみたいな感覚が生まれたんですよね。
当然、昨今のテレビでも行われてますけど、結構お互いの信頼関係があるから、
いや今まで絶対悔しかったろうみたいな感じで断定することは全然あると思うんですけれども、
人の話を聞くっていう現場とか特化させると、気づくのは相手なんですって。
だから嬉しいとかそういう風に思ったっていうのはあんまり要は他者から与えられるものじゃなくて、
自分で発見していくことっていうことが大事らしいんですって。
で、それでまず1個つまづきで、それとあとですね、
感想にとかあいづちをひねっちゃう癖が出てて、
なんか悪い言い方をするとすごく大喜利っぽい感じになっちゃったんですよね。
なんか相手がお話ししてくれてる話題がすごいお題っぽい感じがして、
それに対しての答えを僕が回答していくみたいな、なんかそういう思考の働きになっちゃってて。
だからものすごくそれが自分が話してること向いてないな、
自分の相手の話聞くことが向いてないなって思い始めちゃって。
で、結局それ半年でやめちゃうんですよ、練習会を。
当然なんですけど、大喜利をね、やりに行ってるわけじゃないしっていうのはあって。
で、なんでそもそもじゃあ大喜利みたいな発想になっちゃうのかなって思ったときに、
快の状態を求める人間
これ後から去年の実は末ぐらいに僕、メンタルコーチっていう資格をちょっと取ったんですよ。
別にその大層なもんじゃないんですけれど、なんか講座を受講したら一応もらえるみたいなそういうのがあるんですね。
で、もともとその対話の興味があったときに、
そのメンタルコーチってのも興味があったから、ちょっと受けてみるかと思って、
もう料金も払ってたんで受けに行ったんですよ。
それがね、でもね結構良かったんですよね、僕の中では。
で、なんか人間って、人ってなんかやっぱ常に生きていれば不快になることが多い。
要はちょっと気持ち良くないっていう感覚にどんどんなってくるみたいな。
で、そうするとじゃあ人はどうするかっていうと、
すぐに快の状態、不快の負を取り除いた快の状態になりたがるんですよ。
だからお水飲んだりもそうだし、甘いものを食べたくなったりとか、
お酒飲みたいっていうのもそうですよね。
今がちょっとなんかもうちょっとすっきりしたいとか、
なんかストレスが溜まった状態からそれがない感覚になりたいみたいな。
サウナ行きたいとか、温泉入りたいとか、なんかそういう快の状態になりたいってなる。
で、ただそれがやっぱり短期的、衝動的に快になりたいと思ったら、
例えばギャンブルするとかタバコ吸うとか、なんかそういう風になってきちゃうらしいんですって。
で、短期的な解決っていうのはそういうことでできる。解消はそういうことでできるんだけど、
長期的にそういうものと取り組んでいくってなった時に、
さっき言ったギャンブルとかタバコもそうだと思うんですけれど、
何かに置き換えることができないのかみたいな感じで運動をするとか、
ウォーキングもそうだし、そういうものの代わりにそういうものを取り組んでいく。
まあポッドキャストもそうかもしれないですね。
そういう長期的にできるもので不快なものを解認していくっていうものを見つけていこうがいいですよって。
で、参加者の人とも話し合ったんですけど、なんかね、瞑想がいいですとか、
さっき出たね、ランニングウォーキングがいいですとか、そういう答えが結構多くて、
逆になんかみんなそういうことしてるんだっていう風にちょっと驚いちゃったんですよね。
自分がね、あんまり何もしてなかったものですから、
なんか本屋行くとかそういうことしか僕はちょっと言えなかったんですけれど。
で、その長期的に向き合うってことと、その短期に逃げるっていうことが僕の中で結構気づきがあって、
人の話を聞いたり話をしてた時、俺ずっとなんか短期的に考えてたなってことがありまして、
なんかこの瞬間面白ければいいとか、この限られてる時間、要はお会いしてる時間だけ楽しい時間になればいいなって。
もうそれホストじゃんみたいな感じなんですけど。
でもなんかね、ちょっとそういうサービス精神というか遊び心っていうか、
なんかそういうものがあんまり抜けてなくて、その状態で人の話を聞いてたんですよ。
コミュニケーションの見直し
だから、どんなに物事を言われてもすごく楽しませるような聞き方をしちゃってて、
そりゃあ人の話聞くの向いてないよねっていう感じに気づいたんですよ、その瞬間に。
で、言ってしまえばそういう楽しませるような芸人さん的なコミュニケーションの仕方って、
なんか俺その主人公になるコミュニケーションの仕方だなって思ってて、
それはあくまで自分が主人公になるってことなんですけど、
なんかもちろん相手方を主人公にするコミュニケーションもあるかもしれないんですが、
やっぱりなんか笑いを取るとか楽しませるって、
なんか一つシュートを決めるみたいな感じ?スポーツでいうと。
っていう感じになるけど、やっぱりなんかアシストを出してくれた人よりもやっぱりシュートを打った方が目立つじゃないですか。
だからなんかそういう主人公的に、主人公になるためのコミュニケーションを用いて話を聞いてたら、
そりゃなんかあんまり手応えもないし、
なんか楽しいは楽しいけど本当にその話聞けてないしみたいな印象にも残ってないしみたいな。
で、ずっとなんか自分があの時言えたワードをすごい面白かったなぁみたいな感じで済ませちゃうみたいなのがあって、
これじゃいけないっていう風になったから色々学んでたんですけど、
じゃあ結果はどうしたらいいんだろうっていう風にそこで気づいた時に、
その目の前の話聞いている相手の人と俺、正気的に付き合っていこうって気があんまなかったなと思ったんですよね。
今、明日も明後日も会うっていう関係が僕あんまないんですよね。
基本、あの始めましてか半年ぶりですねとか、なんかある程度スパンが空いちゃうんで、
やっぱ次いつお会いできるかわからないし、またよろしくお願いしますって言われたりするんですけど、
またよろしくお願いしますが本当にやるケースってあんまなくて、
そう考えるとなんか瞬断的なコミュニケーションの方に僕はなってたんだなっていうのはすごいなんかその時踏み落ちて。
で、そうすると人の話をちゃんと聞くっていうことを意識するには、
テクニックとかもちろん必要だと思うし、どういう言葉をかけるっていうのはもちろん大切だと思うんですけれど、
やっぱりその人と長期的にどうやったら向き合えるんだろうとか、
どういう関係になっていきたいんだろうっていうのがものすごく重要なんだなっていうふうに思ったんですよね。
で、だからそうするとこの人が一体なんでこういうことを考えているんだろうっていうのに、
なんかちゃんと向き合えるみたいな、だってまた会うしっていうのがあるから、
そこから意外とちゃんと人の話聞けてるなーって感じになってて、
もちろんね、また会わなくなるとか、もう会わないとかそういうことも結果あるかもしれないんだけれど、
でも僕の中ではなんかこれからもなんかきっと続いていくような関係だというふうに認識を改めると、
なんか素直に何かこう、何だろう、無理に面白くさせようとか盛り上げようとか、
なんかそういうことはあんま思わなくなって、なんかしっかり相手の言葉に耳を傾けるようになったなーっていうふうになりました。
関係の重要性
えーと、なんかそういう話をですね、ちょっとしてみたかったというので、ちょっと今回してみました。
はい、結構喋ったね。
はい、というわけで、すいませんちょっとエンディングになります。
はい、というわけで、最後になりますが、私に話して欲しいこと、やって欲しい企画、相談事など、概要欄のメールフォームに貼っておきますので、そちらからどうぞお願いいたします。
皆様にどうか手沢にもなる日々を、小島の問わではゆうすけでした。
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