1. もおちゃんの「なぜなに?」樹木図鑑📗
  2. ある者は、土から離れた。そし..
2025-05-14 23:06

ある者は、土から離れた。そして、ぼくは土に導かれた。

⏰タイムスタンプ⏰
泥と教室の間で
コトコト煮えるのを待ちわびること
因果の糸を手繰り寄せて
一本一本の約束
樹木擬人化、会議録

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サマリー

このエピソードでは、田植えを通じて過去を振り返りながら、土の大切さや自然との関係について語っています。また、先端を学ぶ教育や時間の感覚についても触れ、待つことの幸せを感じることの重要性が強調されています。さらに、田植えを通じた家族の絆や自然とのつながりが描かれています。そして、こだまこまちプロジェクトについても言及され、地域の木々を擬人化するシンプルなアイデアの重要性が語られています。

田植えの体験と労働
おすおす、おはようございます。こんにちは、こんばんは。こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
いやー、今日もこんなもう23時38分みたいなね、日付が変わろうとしてるじゃないかっていう時間にライブ配信にてお届けをしているこの番組でございます。
昨日はね、もうね、ほんとに無理でした。
配信をお休みさせていただいちゃったんですけどね、いやいやいや、すればよかったなぁと思ったんですけど、今朝ですね、早くから田植えがあったんですよ。
田んぼのさ、もうこれ花形ということをちょっと考えてみるとですよ、その時代に僕なりに思いを馳せると、もちろんやってみて気づくのは労働力としてですね、その子たちを使いたかったっていうことはあったんだろうなって思いますね。
だって無理ですよ。一人でね、田植えちょっと今日してたんですよ、最初の方。無理だ、ほんとに。だってさ、田んぼの中ってどんな状態か想像できます?
まあやったことある人はですね、はいはいはいはいってめちゃくちゃうなずいてくれると思うんですけど、とにかく足を取られるんですよね。もうね、泥がさ、水とともにこうね、もうぐっちゃぐちゃになっていて、その中に長靴で入ろうものならですね、一歩動くと長靴がスポンと抜けちゃうんですよ。
ほんとに。だから、田んぼに入るときには、多靴という、長靴みたいなんだけど、しっかりとこうね、カチッと、カチッとっていうかゴムで自分の足と一体化するようなね、まあそんな靴を履くんですよね。
で、昔はそれ、タゲタっていうのがあったらしくてですね、どうも。どんなこと風にやるかというと、まあ自分の足を板にくくりつけると。で、その板のことをタゲタと言うんですけど、そうするとね、足がね、泥の中に沈まないんだって言うんですね。
いや、アメンボがさ、スイスイスイスイって、田んぼの上を走っていくんですよね。水の上を。アメンボっていうのは、細かい木がびっしりと足に生えていたり、それから油がね、ここから出ていて、水を弾き続けるっていうことがあって、アメンボはスイスイっと進むんだっていう話を聞いたことが、僕は教科書に読んだことがあるんですけどね。
まあ、それと似たような感じかな。どっちかというとあれだね。雪の上でスキー板を履いていると沈まないみたいな。そういうことだね。多分ね。それが泥の上でも成り立つっていう感じだと思うんですよ。
アメンボの中を移動するって難しいんですよね。一生懸命ですよ。足を抜くっていうのは泥の中からね、本当にそこなし沼じゃないんだけど、それは違うんですけど、もがいてももがいても、動けない動けない、うううううっていう感じになっていくような気がしておりました。
なのでね、人数を増やしてできる限り自分が動かない、動く量が一人一人が減るっていうことがすごく大切でね。労働力としてでもその田んぼをですね、やるっていうのはね、やらせるっていうのはあったんだろうなって思うんです。
でも一方でこんなことを僕思ったんですけど、学校っていうのは当時最先端を学ぶ場だったはずなんですね。テレビもない、新聞とかも撮るのは結構お金がかかるとか、そういう時代があったはずですね。
そんな時代はさ、どこで最先端のもの、世界のこと、社会のこと、歴史が動いたその時のこと、そして宇宙とかね、そういった自分の目には見たことがないようなところのことを学ぶのかというと、学校の中だったんですよね。
僕ね、学校の教員をしていたことがあって、学校の歴史っていうものをすごく興味を持って見ていたことがあるんですけど、天体模型なんてね、あれね、最初の頃ね、木でできてたんですよ。すごいよね。
今さ、宇宙の中に地球があって、太陽があってね、その周りにさまざまな水金、地下木、土天っていう感じでね、たくさんの惑星があるわけじゃないですか。あれは木でできていたって言うんですからね。
すげーなって思いますよ。そこまでして、学校にしかない、そういう道具があって、最先端を学ぶ場だったわけですね。今、学校っていうのは最先端を学ぶ場であるはずなんですけど、そうじゃない側面もいっぱいあるかなーって思ったりはするんですけどね。
まあいいや、その話はちょっと置いといて。でもそのさ、最先端を作っていく、最先端を学んでいくっていう、その最中にですね、地に足つけているっていう時間がやはり子供たちにもあったんだろうなって思いますね。
田んぼのさ、手伝いをさせるなんていうのは、これは一家の一大事だからやるんだとか、君の食料がかかってんだからやるんだみたいな、そういう教養もあったんだろうけども、でもきっとそこにはね、隠れた狙いというか、隠れた思わず意図せずに身につけてしまっていたようなことがあったんじゃないかなと思いますね。
学校と最先端の学び
それが食の大切さを学ぶことであったり、泥、土にまみれるっていうことであったり、また自然の中に身を置いて、そこで作物を作る喜びっていうものがあったり、幸せっていうものは美味しいものを食べて、それで幸せとかね、お金を使ってどこかね、ポンと出かけていって、
そこでね、何でしょうかね、なんか面白い経験をして幸せとかですね、そういうちょっと刺激的な幸せに頼ることがない何かがあったんだろうなと思いますね。
美味しさに頼った幸せって僕あると思うんですよ。コンビニに行けば美味しいものっていっぱい並んでると僕は思うんですよね。体にいいかどうかはわかんないですけど、美味しいかどうかって言ったらさ、ちょっとアイスが食べてえなとかさ、ホットスナックが食べたいなとかっていう衝動にちょっと駆られたりとかすることってある気がするんですよね。
この美味しさに頼る幸せ、お金を出してポンと買ってしまえる幸せっていうものって多分ね、食して喉元をすぎればもうなくなってしまう、終わってしまうものってあると思うんですよね。
その幸せは長くは続かない。だから美味しさに頼るようなそんな幸せではない。それはきっと料理をしている、自分で料理をしている中で感じていく幸せってきっとあると思うんですよ。
作っていくときにいい香りがしてきたなーとか、あとトントントントンと食材を切っている包丁がまな板を叩く音だったりとかさ、そういうのが心地よかったりするんじゃない?コトコトコトコトって煮えていく、出来上がっていく過程を楽しむとかさ。
そんな中できっとその自然の中で身を置いて自分たちがいただくものを作っていくっていうこの過程ですよね。そしてこの作物を作っていくっていうことは次の実りの秋ですよ。
10月頃だと思うんですけど、その10月頃に収穫をするというその収穫をするときに自分は元気にいるんだっていうことのなんかすごく長いスパンのさ、自分への約束のような気もしていて、最先端のことって時間がぐんぐん短くなっていくスピード感があるとかね。
それから先ほど言ったような幸せを美味しさでに頼るとかお金で買っていく幸せっていうのはすごく時間がシュンと過ぎていくことだよな気がするっちゃうかもね。
最近それはねすごく思うんだけど本当のこの幸せっていうのはさ、待っている時間も実は幸せなわけだよね。
金色の稲穂が神戸を垂れて収穫のその時を今か今かと待ちわびているその光景を見ながら毎日を過ごしている。
そして新米が取れるのをその時をねすごく心待ちにしているというこのワクワク感も僕にとってはすごく幸せなことだなぁと思ってね。
実は待っている時間にも僕たちは幸せがあるんですよ。
待ち人を待っている待ち合わせの時間っていうのもきっと幸せだしね。
今度好きなアーティストのライブがある1ヶ月後だっていうこの1ヶ月間もすごく幸せだしね。
なんていうことを僕は思うんですけどどうかな。
それが自然のサイクルになるとめちゃくちゃ長いんですよね。
今だから5月だから4ヶ月5ヶ月くらいかかるんですよね。
4、5ヶ月くらい待たないとお米は作れないだとかさすごいのはさ来年にならないと目が出ないとかさそういう作物だってありますよね。
なんかそんなことを思うとそれを待っている時っていうのも幸せだよねって思うんですよね。
僕今日はあるものは土から離れたまたあるものは地に導かれたなんていうテーマでお話をさせていただいているんですけれども。
土と因果関係
この田んぼをやるっていうことが子どもたちにとって最先端を学んでいる学校で学んでいる子どもたちにとってはすごく古めかしい仕事に感じられるようなことがあったんでしょうね。
とかあとすごく疲れるとかさね。
それから頭をすごく鍛えていくような教育の中ではもしそういった教育が行われていたとしたならばそれはそれで別にいいんですけれども。
頭の中でこうすればスムーズにできる効率化できるなんていうことがパンパンパンパンでいっていくので。
実は時間のかかることとか疲れること自分が動かなきゃいけなくなることっていうことをちょっと嫌っていってしまうこともあるのかなって思うんですよね。
だから田舎で暮らしている人が外に出たいね都会に出ていきたいなんていうことはそうかもしれない自分も絶対農家なんかにはならんっていうね方もいらっしゃるわけですけども。
きっと自存の人の中で土から離れていくっていうことが自分の中のね憧れとともにあるんでしょうかねって思うんですよね。
だからね土から離れていった人がいて僕なんかは逆に土に導かれるようにしてこの場所に来た。
これすごく不思議なんですよすごく不思議なご縁だなと思うんですけど土に導かれるっていうのはまあ言い方を変えれば土地に導かれるっていうようなことなの今日な気もしますよね。
もうちゃんが東京で暮らしていてね縁もゆかりもないこの土地にやってきたっていうことは何の因果なんでしょうかね。
なんかこう仏教的に考えるとさすべてが因果関係で成り立っているみたいなことを言うんですよね。
でも僕にとってここの因果関係は全然わかんないんですよどうしてこう高知県のさこの街になったんだっけみたいなことはさ本当にわかんないよね。
まあわかるよあのTikTokを見ててさーってすごくなんかいいなって思ってさーとか多分そのいいなと思ったのは自分の幼少期の頃に見たあの山々の風景がとかさいろんなトリガーがあるんでしょうけれどね。
それにしてもですよなんでここの土地に導かれたのかっていうのはすごくやっぱりそうわかっていても不思議なもんでね。
なんか僕はこの土地でやることがあるのかなって役割があるんだろうなーってちょっと思ってるんですよね。
今日ねその田植えをしていてその田植えをね全部人力でやってたんですよね。
本当に機械を一切使わない。田んぼになんか苗を植えていくっていうのは実は機械があってですね自動でダダダダダダダダって植えてくれるそういうものがあるんですよ。
田植えと家族の絆
これすごいよ本当に早いから。ただ機械で植えるとですね甘かったりするんですよね。機械っていうのは一律で植えていきます。
すべて同じ強さで植えていくんですよね。それってさ田んぼの中の泥土っていうのがすべての面においてですよ。
すべての面において一定均質だったらokなんですけど結構泥っていうのはここはいっぱい泥が溜まってます。
ここがちょっと泥が少ないですとか水が深いですとかそういう様々な要件があるんですよね。
環境の条件があります。そこを均質化で植えていく機械がいくと苗がちゃんと植えられてなかったなんていうことは結構あるんですよね。
そういうところ後から探してですよ。また手で結局植え直しをしなきゃいけないなんていうことがあってね。
その植え直しをするっていうのがすごく手間なわけですね。だったら最初から手植えをしようとかって思いました。
まあ機械は楽ですよ。燃料も使うしさ。ということで全部手植えでみんなで家族で一本一本やっていったわけですよ。
これがすごくいい時間だった。朝から夕方までかかってるんですけどすごくいい時間だったんですよね。
家族全員で外で体を浮かすとかご飯をお弁当とかを作って食べるとかそんな機会なかなかなくって。
まあこの時間は何の時間だったのか。もう名前をつけることは難しいんですけど。
でもタウウェイの時間っていうのはなんかこうみんなで一つの目的に向かってやっていったような気がするんですよね。
目標かな?に向かってやってていいような気がするんですよね。すごく心地よかったし楽しかったなぁ。
僕がやっている田んぼは隠れ里の天空の忠田って僕が呼んでるんですけども本当にねこの街の中心市街地から車で30分くらいですね走ったところにある山の中なんですよね山の中の集落にあるんですけど
まあ景色がいいんだわ。そこにある天空の忠田ですよ。もう景色最高ですよね。
まあそこでねみんなでねやれたことがすごく良かったです。僕は父に導かれたんだなぁって思うんですよね。
こだまこまちプロジェクト
なんでしょうね。僕にとって今思い浮かんでいるのがやはりこだまこまちプロジェクトなわけです。
木の精霊をキャラクターにして皆様にお伝えするプロジェクトなんですけれども。
メールマガジンがあと3日ですね。残すところあと3日でリリースするということになっております。
今日はですねフェイスブックにもこんな投稿をしたんですけれども日本には約1200種類の木々があるんですね樹木があるんですよね。
この1200種類ある中でどれを擬人化しようとかどれからやっていこうということ迷わなかったのっていうことをねたまにお話をいただくんですよね。
確かにちょっとだけどうしようかなと思ったことはあるんですけど僕たちって何でもかんでもできないですよ。
それから自分に馴染みのないものってやっぱりできないですよね。
僕は山のガイドをしているんですね。横倉山という山のガイドをしてるんですけどそのお山の中に生えている木から一つ一つやっていこうよっていうことを言っていきました。
自分の中にあったんだよねその樹木のさ名前がそれで一番最初にイロハモミジっていうのをやったんですよね。
まあ結構ねマイナーな木がいっぱいあってですね何その木初めて聞いたって言われかねないなと思ったので一番最初メジャーなものということでイロハモミジからやったんですよね。
これさあ結構良いセンスだと思ったのが桜から始めなかったっていうのが良いセンスじゃないですか。
自分で言ってるけどさなんかそこになんかなんかいいねっていうのがねたまんないねっていうのがね僕的にあるんですよね。
日本といえば桜ですからやっぱり桜のキャラクター偽人化から始めていくっていうのが筋なような気もするんですけどいまだにまだね桜のキャラクターって生まれてないんですよね。
それよりも先にイロハモミジっていうのが浮かんできちゃったっていうね。
がすごいよね。面白い。そんな感じでございます。でねまあ今回そのイロハモミジっていうのをその話題に出してフェイスブックの投稿させていただいたんですが。
イロハモミジね最初と今って結構キャラクターの雰囲気とか絵のタッチとかが変わってるんですよね。
最初のところって髪はね紅葉をしていくその様子を表している黄色それからちょっと緑がかったところもありそして赤ピンクっていうような色づきのその段階を表しているような髪型だったし。
あとモミジといえば京都かなーなんて思ってね京都の羽織。この西陣織みたいな着物を着ているっていうようなそういうものにさせていただきました。
そこからですねイロハモミジの華やかな部分っていうところも出していくこととかあと色の塗り方が変わっていったんだね。それに合わせてちょっとずつ今日のキャラクターのパターンっていうものがまたちょっと変わっていったっていうところがあるんですけれども。
初期のイロハモミジってすごく公表だったんですよね。皆さんの画面に映っているのがですよ。それが最初のイロハモミジなんですけどすごく好評だったんですよ。だからまたこのイロハモミジ出していきたいなーなんていうことも思っているところでございます。
ということでですねメールマガジンが3日後になりましたのでこちらも楽しみにしておいていただけたらなと思っております。ということでですね12時を回りましたというのとあともーちゃんは今日朝からですね田植えをずっとさせていただいていて夜はですね農業の参照という作物の受け入れのお仕事もさせていただいて。
今日は1日お仕事をやりきったぞーということでね。もう早めにお休みをさせていただければと思っております。
今日も聞いてくださってありがとうございました。お相手はこだまくまちプロジェクトのもうちゃんでございました。またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。
あなたとあなたの大切な人に森の青年のご加護が訪れますように。
23:06

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