山奥での農作業
おすおす、おはようございます。こんにちは、こんばんは、こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
本日は収録でお伝えしております。9月7日の日曜日の朝でございます。
今、もおちゃんはですね、朝一で山奥に行きました。山奥の水源地っていうところがありまして、水の源の場所、土地ですよね。
そこからですね、山の水をホースで引っ張ってきて、田んぼの中に入れてるんですよね。
そのですね、ホースが今回の台風によって、ちょっと定位置から外れてしまった。そして水が入ってこなくなっちゃったよ、なんていうことがあってね。
僕たちですね、今日山奥に行って、そのホースをもう一回水の中に沈めてくるっていう作業をしてきました。
これがまたね、アナログでですね、このホースを水の中に突っ込んで、その上からね、大きな石を上から乗せて抑え込むんだよね。
こんなアナログな方法でいいんだ、原始的な方法でいいんだっていう感じなんだけど、田舎はね、何か特別な施設や設備があるんじゃなくて、あるものは何でも使うよっていう感じでね。
その石もさ、河原の中から持ち上げてね、水の中だからちょっと軽さもあったんだけど、これを水の上に持ち上げて、シャッていう感じでね、これをホースの上に置いて、それでこうなんとかね、やっているっていう感じがありました。
なんとかね、今回の台風でイネが倒れることもなかったんだよね。イネって育てば育つほど背がそれは高くなるじゃないですか。そうするとね、風の影響を受けやすくなるんだよね。
なおのことなんだけれども、イネって密食って言って、詰めてね、植えていくじゃん。木とかはだるべく間を空けて、隙間を空けて植えていくので、なかなかね、密食なんてことはあんまないんだけれど、イネってできる限りね、本当にたくさんのお米を摂りたいから、面積効率っていうのかな。
その同じ面積でもたくさんたくさん詰め込んで詰め込んで、もうできる限り、まあ言うなればね、満員電車のように詰め込んで、それで1回の乗車率でたくさんの人たちを運ぶみたいな感じでね、1回の収穫作業でたくさんのお米を実らせるっていう、そういうことをするんだよね。
だからかなり密食している。そんな状態って何が起こるかっていうとさ、ドミノ倒しだよね。1人がこけると全部こけてしまうみたいなことがあって、まあイネはね、その頬をさ、風がスーッと撫でていくと、そんなにもね、風は上をこう撫でていくような感じではあるんだけれど、ドミノ倒しのようになるとは思えないんだけど、でもね、やっぱりね、なっちゃうんだよ。
だから大風が吹くと、台風のことを大風って言うんだけど、大風が吹くとバタバタバタバタってイネが倒れてしまうようなことがあってね、倒れてしまったイネはもうそこで成長をやめてしまうんだよね。
今まさにね、お米の穂の中にお米粒をですね、こうやって作ろう作ろうと頑張っている真っ最中なんだけど、1回倒れてしまうと、もうそのね、穂はね、育てることをやめてしまうんだよね。そしてまた新たにね、そこからニョキニョキニョキニョキって入っていって、新しい稲穂を実らせようとするんだけど、そうなるともうね、収穫の時期に間に合わないということもあって、
もうね、今ね、ちゃんと育つかな、どうかなっていうのをドキドキしています。が、とりあえず今のところはうまくいっていると。
本来だったらね、そろそろイノシシの目撃情報とかっていうのが見えてくると聞かれてくるような時でもあるんだけれども、今回そのイノシシの目撃情報ほとんどなくってね、ああよかったって感じです。
今回目撃情報が、あ、目撃じゃない、イノシシの対策のために少しだけ早めてね、この稲穂のね、準備をしていったんだよね。
種を、もみ種を作って、そこから苗を作って、そして植えていくっていうのをね、いつもよりも1週間くらい早めてやっていったので、まあイノシシが秋になってね、食料を探しに降りてくるっていうね、里に降りてくるよりもちょっと早めに田んぼの刈り取りができたらいいなぁなんていうことを思っています。
ちょっとね、余談ではあったんですけれど、猛ちゃんね、かなりこういう、なんだろうね、目の前の食料をどうやって確保していくのか、作っていくのか、それもまあね、言ってしまえば、できる限りお金を使う、なんかどこかから買う、消費をするっていうことじゃなくて、自分自身が生産者側に回るっていうことをね、心がけているんだよね。
自給自足の魅力
その生産者として何かこう売ってね、お金を得るっていうところまではまだ行ってないけれど、少なくとも自分たちがいただく分は自分たちでいただきたい、作りたいっていう思いでね、やらせていただいているっていうのが現在地なんだよね。
昨日なんかはね、ブシュカンを家にある庭木から取ってみたら、178個ぐらい取れてね、ブシュカンって酢みかんなんだよね、酸っぱいみかんでさ、それそのまま食べるってことはまずしなくって、だけど魚とかね、サンマとかがあった時に焼き魚とかにシュッとね、ブシュカンを絞るとものすごく香りが良くってね、美味しくなったりとか、
あと焼酎とかにね、シュッとね、垂らすとね、すごくなんだろうね、爽やかな香りがして、なんか自分の中を風が吹き抜けるような感じだよね。そんな感じがあってさ、すごく美味しいんだよね。
でも178個もどうする?みたいな話になっていて、僕のね、パートナーは実家が八百屋さんをやっているんで、そこにね、ちょっと50個60個送っていこうかっていう感じになっているみたいなんだけれども、あとはですね、どうしようかなっていう感じになっております。
誰か召し上がりたい方おりますか?多分ね、遅れたとしてこの1週間が限界かなと思うので、もしご希望の方がおりましたらおっしゃってください。結構ね、ブシュカンってね、買うと高いと思うんだよね。多分3個入りで何だろうね、3,400円?高いところで500円ぐらいしちゃうのかなと思うんだよね。
無肥料無農薬でやっているこのブシュカン。もしよかったらどうでしょうか?なんていう感じだけれども。これね、高知県の地元で売るとね、もうね、多分ね、10個で200円とかそういう次元に多分なっちゃうと思う。安っ!みたいな感じがあるんだけどね。
まあまあまあまあ、無肥料無農薬とはいえね、送料とかもかかってしまうのでね、ちょっとっていう感じはあると思うんだけれども。もしよかったらお届けしますよ、なんて。
これは無肥料無農薬なのでね、なんか綺麗な緑色をしているかと言われたら、なんか決してそうではなくってね、少しこうね、傷があったりとか色々するんだけれども、だけどそれでもね、やっぱりね、それは無肥料無農薬の証なんだよね、と僕は思っています。
これからですね、もーちゃん、来週かな?来週にかけてからですね、東京に出張に行かせていただくんだけれど、それはね、僕が昔勤めていた小学校、フルスですね。フルスに戻って、そこにですね、仕事をさせてもらうんだよね。
子供たちに授業をしてほしいということで、授業を受け持たせていただくのが一つと、あと教職員に向けて、学校の先生たちに向けてね、何かこう話をしてほしいっていうことなんだよね。いや僕はもうね、教職を離れて4年も経つので、学校教育とか教育が何たるかみたいなことをね、話すことは到底できないんだけれど。
オーダーはこれなのね。めちゃくちゃむずいんだけど、僕たち教職員の狭い価値観を広げてほしいっていう、そういうオーダーが飛んできて、もう難しすぎて難しすぎて、僕は唸っているんだけれど。
もうちゃんのね、この4年間、3年間、これをずっとね、振り返ってみた時に、僕が何をやってきたのかなーっていうことを見てたんだよね。そしたらね、僕はね、結局何もしてなかったなっていうことになんか至ったのね。
僕はもうこれを話すしかないなって思った。その教職員の研修の時に、僕は何かを準備する必要もないんだろうなってちょっと思ったしね。それから、なんだろうね、僕自身がなんかこんなことやってるよどうだっていうね、そのフルスの人たちに向かっていいところを見せようとする必要もないんだなっていうことに気がついたんだよね。それがちょっと今の現在地なんだよね。
せっかくさ、せっかくさっていうか、今までいたところを退いたっていうことはさ、なんかね、元気でやってるよって、こんな素晴らしい活動をしてるよみたいなことをフルスの皆さんにお伝えしたいっていう気持ちはなくはないんだよね。
そういう気持ちはね、僕はあったんだけれど、でも僕がやってきたことって本当に何もなくて、何もしないっていうことをするためにこの都会からですね、田舎に移住をしてきたっていうことがあるからね。
そう、4年前に東京から高知県に移住をしてきたのは、本当にこうのんびりしたい、何もしないっていうことをやってみたいと思ってきたんだよね。するしないっていうのは、それは僕だって呼吸してるし、毎日料理もしてるし、農業だってしてるよって、農作業だってしてるよっていうことではあるんだけれど、そういうことではなくってね、それらは全部地域の暮らしだよね。
本当にその目の前の暮らしっていうことを日々日々楽しく充実させていくっていうことをやってきた。もちろん僕にもね、夢っていうのはあるよ。夢っていうのはやっぱり僕たちが生きていく上でさ、すごく顔をどんなに辛いことがあってもその夢があれば顔をもう一度上げられる、前を向くことができるようなものだと思うので、夢はとても大事なものだと僕は思う。
僕は夢はあって家族で宿を経営する、そしてそこにたくさんの人たちをおもてなしをする、そして僕たちの暮らしをちょっと試着してもらうっていうことを思い描いている。
だからこそ僕がやっていることっていうのは本当にシンプルで日々日々の毎日の暮らしっていうことなんだよね。
どこでなんか嫌だけどさ、夢をやっぱり叶えたいという気持ちはあるけれど、いつ今の暮らしができなくなるかもしれない。
そんなことが起こったとしても後悔のないように悔いのないように毎日毎日を大切に丁寧に生きていくっていうことをさせてもらっているんだよね。
ということにおいて、東京の僕の職場の人たちが思うような何かをしているかどうかっていうこと、何を今、もーちゃんは高知県でしているのかっていうことには答えを正体して答えることがやっぱりできないんだよね。
丁寧な暮らしの重要性
ほとんど何もしてないよって、日々日々生きてるだけだよみたいな、そんな話になっていくのかなっていうのを今考えているところなんだよね。
だってそうでしょ、今日も朝からさ、もうムクッと起きてさ、山の中に上がっていって水の管理をして、そしてそのお米を作るっていうことをしているんだ。
だけどそのお米っていうのは決して大規模にやっているわけじゃなくって、僕たちが食べる分、だけどそれも3ヶ月か4、5ヶ月かな、半年なんか持たないぐらいの量の収穫量にしかならないと僕は思っているんだけども、
今年もそうかなと思うんだけど、でもそのお米を作っていくことによって、やっぱり4、5ヶ月分は食いつなぐことができるということでね。
それはもう、毎日を暮らしている以外のことに他に何もないよね。暮らすっていうことはさ、そういうことなんじゃないかなって、今僕は思っていてね。
日々何かをして大切に過ごしていくことなんだと思うんだけれども、それは近くに田んぼがない、畑がないっていう人もいて、都会の人は暮らせてないのかというとそういうわけじゃない、決してそういうわけではないんだけれど。
もうちゃんがこの高知県に来た時にね、僕は丁寧に暮らすっていうことにすごく興味関心を持った時期だったんだよね。興味関心を持つというかすごく反省をした時期だったんだよね。
日々人が自分たちが、なんていうかな、自分自身であるために、自分自身らしく暮らしていくっていうことに大切なことって一体何なんだろうって思った時にね、しっかりと睡眠をとることだったり、食事を自分で自分のために作ることであったり、
はたまた誰かが自分のために作ってくれた、自分のためだけに作ってくれたものをいただくだったりね、例えば家族だとか、それからすごく親しい関係の人とか仲睦まじい人だとか、そういう人が作ってくれたものだったりね。
あとそれからちゃんと息抜きをする時間というか、読書の更ける時間、映画を見る時間、芸術に更ける時間とか、物思いをする時間とか、何でしょうかね、あとそうですね、早く寝るっていうこともそうだし、お風呂上がった後に体のケアをしているかとか、なんかそういうことなのかな。
本当にこれ毎日毎日のことになるとさ、もう今日はいいかなって思うようなところもあるけど、やっぱり僕思ってたのがさ、学校の教員してた時に歯磨きをする暇すらなかったんだよね。
これって一体何なんだろうって僕思ったことがあって、まず学校給食が出て、その学校給食ってみんなが同じものを同じタイミングで同じ量をいただくっていうようなシステムで、それはありがたいことでもありながら、それは決して自分自身の体調とかに合ったものがその目の前に並んでいるわけじゃないよねって思ったり、
はたまたそれをいただいた後に歯磨きの一つでもしたいものだけれども、歯磨きをする時間すらない歯の健康っていうものも、なかなかこうね、見出すことが難しいっていう、そういうような職場だったなということを感じていると、
そうかと、そのなんていうかですね、丁寧に生きる、毎日丁寧に生きる、自分に優しく生きる、人に優しく生きるっていうことが僕はできていたかなと思うと、東京にいた時は決してできていたと自信を持っていうことはできないなと思ったんだよね。
そう、それが今この高知県に来てできるようになっているよって、たとえね、その学校教員の時はすごく年収というものも安定していたし、もう十分すぎるほどだったよっていう感じで、それがもう何分の一になったとしても、でもすごく日々日々丁寧に大切に生きることができているよっていうような、そんな話しかできない。
そんな話しかできないんだけれども、でもこれが多分、学校の先生たちに今僕ができる精一杯の話なのかなってちょっと思っているんだよね。
学校教育と暮らしのバランス
それからね、その日ってもうちゃんは授業では何をさるのかっていうと、子どもたちの授業はね、子どもたちはたくさんの大人たちがそこの時に来て、僕もその一人なんだけど、職業に就いている人たちなんだよね。
この世の中、この社会の中にはどんな職業があるのかっていうことで、いろんな職業の話を聞くっていう時間なんだよ。
もうちゃんもね、そこにいるんだけれど、職業も確かに大事だけど、暮らしっていうことの大事さっていうことを見落としがちだよね、僕たちは。
ということを伝えてみたいなと思っている。だから今日の招いてくれた授業のイベント企画って素晴らしいことだと思うし、子どもたちの視野をばっと広げていくものだと思う。
その一方で、この暮らし図鑑というかね、暮らしの博物館みたいなものも是非是非みたいなあるといいのかななんて思ったりもね、しましたよっていう感じでしょうかね。
はい、ありがとうございました。いかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださったあなた、是非いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
もうちゃんはですね、これからすごく楽しみにしている時間が控えておりまして、あと5分ですね、救世企画のみさとさんと個人セッションをしていただくということでですね、すごく楽しみにしております。
その話をまたさせていただきたいと思っております。
ということで、今日はこの辺でお会いでは、こだまこまちプロジェクトのもうちゃんでございました。またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご加護が訪れますように。