1. もおちゃんの「なぜなに?」樹木図鑑📗
  2. #6 残すったら残す-室町時代か..
2024-04-13 09:25

#6 残すったら残す-室町時代から残された神社仏閣を巡って-

人里離れた
人口わずか98人。
山と山の間に囲まれたとある小さな小さな集落には
8個もの神社や仏閣が点在します。

今日は、
悠久の時に思いを馳せて、
なぜ、この地に、こんなにもたくさんの神様や仏様がまつられているのかを考えてみたいと思います。

仲間と仁淀川町の大野という集落の視察をさせていただきました。

木造の古い家が立ち並び
街並みが昔のまま残っています。

なんでこんなところに住んでるんだろう?
と思わず言わずにはいられないような山奥に
家が立ち並んでいるのです。

僕たちが、そんな感覚を抱いてしまうのは
世の中が便利になったからとか
そういうことでは無いのです。

僕たちの感覚が、明らかにご先祖様と変わっているのです。

古来より、
日本は森を中心に据えて
集落や村や街を作ってきました。

森はたくさんの食料や資源やエネルギーを提供してくれるので、神聖な場所として考えられていました。

一方で、西洋の国々の多くは
砂漠や荒野の中に、街を築いていかなくてはならない
そんな環境にありました。
ですから、西洋の街の中心には、教会があります。
人が作った信仰の対象を中心として、
人が住むのに必要な機能を作っていったのです。
その街の周りに、森や自然があります。

僕たちは、ずいぶん、
日本的な感覚が抜けてしまったのかもしれません。

なんでこんな森ばかりのところに人が住んでいるんだろう?

それって、森を中心として生きることが、
既になじみのないことになってしまっていることの証明だと思います。

きっと、森ばかりだからこそ、ここに集落を開くと決めた。
そう考えるのが日本的な感覚なのだと感じています。



その、小さな小さな集落の中に、
集落の人たちだけで、なかなか管理をしきれない数の
神社やお寺が点在しています。

もちろん昔はもっともっと人口が多かったのでしょう。
お参りをしに来る人たちも絶えなかったと思います。

それでも、ここにこんなにもたくさんの神社や仏閣があると言うのは、興味深いことでした。

なぜ山の中にこんなにも信仰の対象があるのか。
それは、よく言われることではありますが、
自分たちの手でなんとかならないことがたくさんあると悟っていたからなのだと僕は思います。

自然は、時に理不尽で、時に自分たちが思ってもいないほどの恩恵をもたらしてくれます。
それは、自分たちにコントロールができない大いなる力で働いています。
だから、人々は神様や仏様にお参りをしたのです。

ただ、今回、
仲間とこの集落を歩きながら、
さらに、神社仏閣をこの山の中に建てようとした
当時の人たちの思いに、自分たちの魂をトリップすることができました。

仲間たちと話したのは、
「残すこと」
でした。

まさか、ご先祖様たちも
こんなにも人口が減少して過疎の地域になるなんて思ってもいなかったと思いますが、
この土地で自分たちが大切にしてきたことを
未来永劫に語り継いでいきたいと祈ったのだと思います。
山の中で、自然の恵みを受けながら、
仲良く平和に暮らすこと。
困ったら、みんなで助け合っていたこと。

お寺や神社の中に入ると、
そこに寄進していた人たちの名前がずらっと並んでいるのです。
寄進とは、その建物を作ったり、改装したりするためにお金を寄付することです。

非常に多くの人たちが、
それを大切にしていたことがわかります。

神社仏閣を建てるということは、
たかだか100年や200年、続いたらいいなと思っていたわけではないと思うんです。

500年、1000年、2000年。
変わるものもあれば変わらないものもある。
時代の流れの中で、両方を大切にしながら、
平和で仲良く力を合わせて暮らすことの意味を語り継いでいるのです。


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ご縁と自然のめぐみに感謝。

森のガイドをしながら、
野菜をふんだんに使った薬膳の研究をしています。

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00:09
おすおす、おはようございます。 こんにちは、こんばんは。
ブリコラのサラダ仕立ての時間がやってまいりました。 この番組は、今すぐに役立つことはないけれども、
無駄ではなさそうだから、時間があるときにでも聞き流すくらいがちょうどいい、 そんなエッセイをお届けしております。
僕の名前は、もおちゃんと申します。 薬禅師をしたり、心理インストラクターをしております。
本日もよろしくお願いいたします。 人里離れた人口わずか98人、
山と山の間に囲まれた、とある小さな小さな集落には、 8個もの神社や仏閣が点在します。
今日は、悠久の時に思いを馳せて、 なぜこの地にこんなにもたくさんの神様や仏様が祀られているのかを考えてみたいと思います。
仲間と新宿川町の大野という集落の視察をさせていただきました。 木造の古い家が立ち並び、
街並みが昔のまま残っています。 なんでこんなところに住んでいるんだろう、
と思わず言わずにはいられないような山奥に、 家が立ち並んでいるのです。
僕たちがそんな感覚を抱いてしまうのは、 世の中が便利になったからとか、そういうことではないのです。
僕たちの感覚が明らかにご先祖様のそれとは変わってしまっているのです。 古来より日本は森を中心に据えて集落や村や街を作ってきました。
森はたくさんの食料や資源やエネルギーを提供してくれるので、 神聖な場所として考えられていました。
一方で西洋の国々の多くは、 砂漠や荒野の中に街を築いていかなくてはならない、そんな環境にありました。
ですから西洋の街の中心には教会があります。 人が作った信仰の対象を中心として、
人が住むのに必要な機能を作っていったのです。 その街の周りに森や自然があります。
03:07
僕たちはずいぶん日本的な感覚が抜けてしまったのかもしれません。 なんでこんな森ばかりのところに人が住んでいるんだろう。
それって森を中心として生きることが、すでに馴染みのないことになってしまっていることの証明だと思います。
きっと、森ばかりだからこそここに集落を開くと決めた、 そう考えるのが日本的な感覚なのだと感じています。
その小さな小さな集落の中に、 集落の人たちだけでなかなか管理をしきれない数の神社やお寺が点在しています。
もちろん昔はもっともっと人口が多かったのでしょう。 お参りをしに来る人たちも絶えなかったと思います。
それでも、ここにこんなにもたくさんの神社や仏閣があるというのは、 興味深いことでした。
なぜ山の中にこんなにも信仰の対象があるのか、 それはよく言われることではありますが、
自分たちの手でなんとかならないことがたくさんあると、 悟っていたからなのだと僕は思います。
自然は時に理不尽で、時に自分たちが思ってもいないほどの恩恵をもたらしてくれます。
それは自分たちにコントロールができない大いなる力で働いています。
だから人々は神様や仏様にお参りをしたのです。
ただ今回仲間とこの集落を歩きながら、 さらに神社仏閣をこの山の中に建てようとした。
当時の人たちの思いに自分たちの魂をトリップすることができました。 仲間たちと話したのは残すことでした。
まさかご先祖様たちもこんなにも人口が減少して、 過疎の地域になるなんて思ってもいなかったと思いますが、
この土地で自分たちが大切にしてきたことを、 未来永劫に語り継いでいきたいと祈ったのだと思います。
山の中で自然の恵みを受けながら、 仲良く平和に暮らすこと、
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困ったらみんなで助け合っていったこと、 お寺や神社の中に入ると、
そこに寄進していた人たちの名前がずらっと並んでいるのです。 寄進とは、その建物を作ったり、
改装したりするためにお金を進んで寄付することです。
非常に多くの人たちがそれを大切にしていたことがわかります。 神社や仏閣を建てるということは、
たかだか100年や200年続いたらいいなと思っていたわけではないと思うんです。 500年、1000年、2000年、
変わるものもあれば変わらないものもある。 時代の流れの中で両方を大切にしながら、
平和で仲良く力を合わせて暮らすことの意味を 語り継いでいるのです。
いかがだったでしょうか。 最後まで聞いてくださったあなた、ぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
本日は残すたら残す 残された神社仏閣をめぐってそんなテーマでお話をさせていただきました。
この神社や仏閣はなんと室町時代 1400年代から現在にまで受け継がれているものだということが
調査の結果わかったんだそうです。 室町時代、あの時代って
戦いの動乱の時代だったと思うんですね。 その戦いの時代に
山の中でここに住むと決め、そして 平和を願った、祈っている時はみんな
戦うこともせず 憎しみあったり争いあったりすることもない
とにかく祈る時間、祈る場所というものを大切にしていったんですね。
その当時の時代に思いを馳せる その思いを馳せれば馳せるほど
僕たち今令和に生きる人がなんだか イメージを膨らますことができるような気がするんですね。
お時間が来てしまいましたので今日はこの辺でお相手は 薬禅師であり心理インストラクターである
09:07
もーちゃんがお送りいたしました またお会いできることを楽しみにしております
今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ
09:25

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