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オスオス、いやー、ちょっと驚いたんですけれど、この前ですね、日本の食料自給率っていうのを見ていたんですよ。
そこで、パッと目に飛び込んできたのがですね、なんと東京の食料自給率が0%なんだっていうニュースでした。
これ言われて久しいことかもしれませんが、改めて眺めてみると、食料自給率0%というのは、少しびっくりですね。
東京以外の都市圏、大阪とかね、そういったところも0%とは言わないまでも2%とか多くて3%くらい。
つまりこの都市という場所では、今何が起こっているのか、それは食料を自分たちで一から作るというお仕事、産業がすっかり抜け落ちてしまっていると言っても過言ではないのではないでしょうか。
もう一度言いますね。大都市圏では食料を自分たちで作るっていう仕事がないっていうことですね。もちろん土地もないでしょうし、やる人もいないんでしょうし、都市というところの仕組み自体がもう農業をやるために作られていないところもあるような気がしています。
僕、今回いつもと違う始まり方をさせていただいたんですね。始めは、いつも自己紹介とかご挨拶をさせていただいてましたけど、なんだかいつもと違う入りっていうのもたまにはいいのかもしれないなと思ってちょっとやってみました。いかがでしたか。
で、この番組はブリコラのサラダ仕立てというものです。このサラダ仕立てというところに自然派エッセイっていう意味を込めているんですね。つまり、いろんなことをお話をしますけれど、根底に通じるテーマが一つあるとするならば、それは自然についてお話をしていますよということです。
サラダを食べたらすぐに元気になるわけではないかもしれませんが、毎日の食習慣を変えていくことで少しずつ体が元気になっていくじゃないですか。
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このラジオ番組も同じで、自然に関するお話って速攻性がないように思うんですね。ちょっと少ないように思うんですね。速攻性が少ないっていうのは、今年型の生活をしている方にとって、なかなか自然というものが身近ではないからなんですね。
自然から遠い存在になってしまっているというのは、こんな会話から僕は感じ取るんですよ。
そろそろ自然が恋しくなってきた。週末には自然の中へ出かけよう。
これですね。旅行とか観光とか週末のレジャーのために自然の中にわざわざ出かけに行く。僕はねこれね悪いことじゃなくて、むしろ素晴らしいことだと思っています。
それはそのおっしゃっている方自身が自分は自然の一部なんだというそんな感覚を取り戻そうと、つまり忘れてないわけですね。
だけど、人間はもともと自然の一部であるはずなのに、どこか自然とそして自分自身が切り離されて考えられてしまっているところがある。
ここがね、取り戻したい感覚かなって僕はあんかは思うんですね。もしなんかメッセージ性がこの番組にあるとするならばです。
食糧自給率のお話に戻しますね。食糧自給率が落ちるということはこれから何が起こる可能性があるのでしょうか。
決して不安を煽るわけではないんです。不安を煽りたいわけでもないし、何か備えてくださいって言ってるわけでも決してないんです。
何かの回し物でも何でもないんです。その上でお話をさせていただくことがあるんですね。それはもし大都市圏で大きな災害が起こってしまった時、僕たちはどのようにしてその災害後を生きるんだろうなっていうことです。
災害後はですね、もう大変だと思いますよ。今いくら備蓄を整えてます。食糧を3日間整えてます。家族3日間生きられることができますって言ったとしても、4日目に本当に満足のいく食糧が届くのかどうかと言われたらちょっと疑問が残るんですね。
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というのも、同時多発的に災害が起こってしまった時です。この前、高知県の端っこの方、西の方で少し大きめの地震が起こりました。人命の被害にはあまり多くなかったと。人に関わる災害にはあまりならなかったと言われてはいるんですけども、
それでもちょっと被害があったっていう風に聞き及んでます。その局所的なものであればすぐに次の日にでも救援物資が届くんでしょうけれども、
もし日本中で同時期にそういった地震だったり、また噴火だったり、そういったものが起こってしまった時に、おそらく外から届くことってもっと時間がかかるんじゃないかなって思うんですね。
これをいかが思いますか?っていうことです。そして今言われている防災の準備というのは、長い目で見た時に、本当に必要最低限だと思うんですよ。長い目で見た時に本当に自分の命を助けるものなのかな?っていうことをキラッと思うんですね。
それで決して脅したいわけではないけども、今そんなことが起こってます。じゃあ一体なぜ僕たちは土から離れる生活になってしまったのかということですね。
タワーマンションってあるじゃないですか。タワーマンションってすごい眺めがいいですよね。本当に上の階に住むっていうのはお金がいっぱいかかることだっていう風に聞いています。
ここに住むということは、土から離れた生活をするじゃないですか。もちろんいろんなものを見下ろすということで、鳥の目になっていろんなものを俯瞰することができる場所ではあると思いますが、土から離れていっている。
そして自分自身でタワーマンションに住みながら食料を作るっていうことはちょっと難しいことだなぁと思います。
つまり日本でやられているお金を作る仕事がですね、食料を作ることではなくて何か別のことに振られているような気がするんですね。
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それによって僕たちは食べるために仕事をしなくてはならないということが言われるようになったんじゃないかなっていうのが仮説です。
つまり生きるために食べるために仕事をするっていうのはすごくなんか怖い言い方だなって僕なんかは直感的に思うんです。
嫌ですよ、だって仕事をしない、どっかに就職をしない、イコール食べることができない、つまり生きることができない、嫌ですよね。
すごい怖い言い方だなぁと思うんですよ。僕たちは結構それを植え付けられてしまっているのではないかと思うんですね。
そもそもですよ、食料を自分で食べる分は自分で作ることができたならば、お金というのは生きるために稼ぐものではなくなるんです。
そうではなくて、食べるものはすべて自分で作っている、また食料自給率100%に近いくらいの割合で作れているということがあるとするならば、それ以上にいただいたお金というものは自分の好きに使うことができるし、人のために使うことができるということなんです。
何か事業を始めたいという時に使うこともできるじゃないですか。ここなんですね。でも今僕たち何かに咳立てられるかのように働く、それは今物価が高騰しているからどうしようもなく生活が苦しい、だからもっと働かなきゃってなっている気がするんですね。
そんな感じを受けます。僕たちはそもそも生きるために働くのではなく、生活がさらに豊かになったり、やりたいことが叶うということでお仕事をしていくはずなんですよね。
だから、いわゆる生活の中に食料を作っていくという時間がまず必要なのではないかと思います。
食料自給率が0%の場所があるという、この現代においてこの考え方を取り戻すということは非常に困難なことかもしれません。
しかし僕は思うんですね。もし日本中の人が自分で自分の食べるものを作るという習慣を手に入れたと取り戻したとしたならば、地面に触れる時間が増えるんですよ。
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地面に触れる時間が増えるってどういうことなのかというと、足元をしっかりと踏み固める時間であったり、この地球に感謝をするという時間です。
頭の中で様々なことを考えて新たなことを生み出すことが素晴らしいことです。豊かなことなんです。ただそれをそればっかりやっていくことで人間が失ってしまう自然感覚というものがあるんですね。
ぜひ日常の中に土と触れる時間だったり、大地を抱きしめるような時間があるといいなって思います。いかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださったあなたはぜひ、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
散歩ってすごく僕好きなんですけれど、散歩には目的がないんですね。運動をして痩せるとかそういうことが入った瞬間に散歩はトレーニングになってしまいます。ウォーキングとかもそうですよね。
でも散歩って別に何かを特段考える必要もなく、ゆっくりゆっくり歩いていくものなんです。そうするといろんなものを発見することはもちろんなんですが、自分の足の裏で地面の感覚っていうものをつかんでいくんですね。
そこが重心低く生きていくことにつながると思います。またいずれの機会に人の重心はどこにあるのかなんていう話をね、してみたいなと思うんですけれども、まず生活の中に自分が食べるものを作る能という作業があれば、それはプランターでもいいんですよ。
何でもいいんですけども、少しでもそういった機会を持つことができたならば、僕たちの生きる感覚っていうものがまた一つ研ぎ澄まされていくのかなって思います。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。今日はこの辺で終わりたいと思います。お相手は薬膳師であり心理インストラクターであるモーちゃんがお送りいたしました。またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。