1. もおちゃんの「なぜなに?」樹木図鑑📗
  2. #5 お金から自由になる田舎の..
2024-04-11 10:23

#5 お金から自由になる田舎の考え方

今日は、恥ずかしくなったことを語りたいと思います。

お金で解決しようとしていた自分が恥ずかしくなった話です。

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ぼくには、田舎の師匠がいます。
田舎の師匠は、たくさんのことを教えてくださいました。

野菜の育て方
お米のつくりかた
木の切り倒しかた
いすのつくりかた
梅のひろいかた
おいしいくだもの見分け方
魚の釣り方
たけのこの掘り方
山菜のとりかた
お茶の葉のとりかたと淹れ方
鍬のつかいかた
いのししの避け方

ここには書ききれないほどのことを教えてくださいました。

とくに、土地を貸してくださって、
畑や田んぼとして使わせていただいています。

都会生活の長い、田舎ビギナーのぼくにとってはとてもありがたいことでした。
というか、師匠がいなければ、田舎の良さを十分に味わうことができず、
今頃は東京に戻っていたかもしれません。

そんなぼくは、師匠に何をお返しできるだろうかと考え、
お金を包んだことがありました。
東京では当たり前のことですよね。
土地を借りたら、賃借料を支払う。
塾や学校で教えていただいたら、授業料を支払う。

田んぼと畑を借りて、さらにいろんなことを教えていただいて、
お金を支払わないなんてできますか?

ぼくには、できなかった。

だから、お金を包ませていただきたかったんです。

そうしたら師匠は、
「いらんよ」

って言うんです。

------------

また、別のお話です。
先日、車をいただきました。
師匠ではない、果物の農家をしている方からです。

田舎で暮らしていくためには、
車は必ず必要と言っても過言ではありません。

でも、車に全く興味のなかったぼくは、
これまでずっと後回しにしてきたんです。

けれど、ついに、もう限界。
車がほしい!って思ったところで、突然。

「うちの車、手放そうとおもっているんだけど、まだ走るよ。いる?」

ぼくは、やっぱりお金を包もうとしたんですね。

でも、

「いや、受け取れない」

いやいやいや。

車ですよ?
まだ、全然走るんですよ?

いいんですか?

------------------

そのとき、ぼく思ったんですね。

なんと度量の深いお人柄なんだと思うと同時に、
なんでもお金で解決しようとしていた自分が恥ずかしくなりました。

お礼にお金を包むっていうのは、
ぼくがお金以上のものはないと思い込んでいたからです。

世の中には「タダより高いものはない」って言葉があります。
無料で物をもらうと、お礼の品物に金が必要となるし、相手の無理な要求にも応じなければならぬことになって、かえって高価なものにつくことをいうんですけどね。

ぼくは、無意識のうちに、お金で気持ちを示そうとしていたんです。
それが恥ずかしかった。
自分の安易な考えに腹が立ちました。

お金でない何かで回っているこの田舎文化は、
確かに経済力は強くないですよ。
でも、経済でまわっている東京にはない力強さがあるように感じたんです。


昔は、家を建てる時の柱を起こす作業に駆けつけたんだそうです。
そのお礼に、家ができた日には、みんな集まって、おもち投げ。
お世話になった人たちに、家主がおもちをまくんです。
もちろんおもちは食べられます。
縁起をかついで、人にお礼もする。


稲刈りも、自分の田んぼをやるのではなくて、
みんなで誰かの田んぼをひとつひとつ集中的にやっていったんだそうです。
今日はたごさくさんの家ね。明日は、よさくさんちの田んぼね。
そして、自分の田んぼをやってもらう日は、
お昼ご飯とかを提供するんですね。

そんなこんなで、
今もなお、野菜のおすそわけが絶えません。

昨日はレタス。
おとといは、しいたけ。
その前は、にんじん。
その前は、キャベツ。

いいの、いいの、うち余ってるからさ。

困ったときはお互い様だよ。

この前、仲間の引っ越しを手伝ったんです。
そのお礼は、なんと自宅に招いてのお料理パーティーでした。
全てが手作り。最高のおもてなしをいただきました。

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今は、そんな人間関係もわずらわしいっていう人もいるかもしれません。
そうなるとさ、ますますお金で解決してしまいそうになると思うんです。
金の切れ目が縁の切れ目。
お金でつながる縁って、お金のやりとりがなくなったらなくなってしまうものもたくさんあります。

何かをしてもらったら、お金でお礼っていうのは、
ある意味では想像力が乏しいなぁって思うんです。

そっか、お金じゃなくて、何かプレゼントをしようかな、と考えたこともあります。
これは、さっきのお金よりは想像がふくらんでます。

あ、じゃあ今度、家に招いて一緒に夕食パーティーしようかな、
相手が好きなメニューをつくって。
これは、さっきよりももっと想像がふくらんでます。

確かに、お金を払えば、刹那的に終わってしまうお礼。
お金から少しずつ遠ざかっていくと、時間がかかるものになっていきます。
この忙しい現代で、時間をかけることは、簡単ではないかもしれません。
けれど、なぜか楽しい気分になるのは、ぼくだけではないはずです。

お金を包もうと安直に考えたぼくは、自分がめちゃめちゃ恥ずかしくなりました。


ただ、ぼくも、入口にお金のやりとりはあったけれど、
そのあとずーーーっと長く続く縁になったことはたくさんあります。
コーチングのお仕事をさせていただいたときとか、
やっぱり長い時間をかけて心の深いところをお互いに共有をしたら、
ずっとつづく関係になったこともあります。
なので、決してお金がいけないよって話ではないのです。

今日もぼくの恥ずかしい思いを赤裸々に語らせていただきました。
これもまた、ぼくの細胞が入れ替わるひとつのエピソードでした。

#料理
#薬膳
#自然食
#毎日配信
#プラネタリーヘルス
#森林インストラクター


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00:08
オスオス、おはようございます。 こんにちは、こんばんは。
ブリコラのサラダ仕立ての時間がやってまいりました。 僕の名前はモーチャリと申します。
役前史をしたり森林インストラクターをしております。 本日は第5回目の放送でございます。
今日のテーマは、お金の呪縛。 そんなテーマでお話をしてみたいと思っております。
ぜひ、ゆるいと楽しんで聞いてくれたら嬉しいです。 今日は、恥ずかしくなったことを語りたいと思います。
お金で解決しようとしていた自分が恥ずかしくなった話です。 僕には田舎の師匠がいます。
田舎の師匠はたくさんのことを教えてくださいました。 野菜の育て方
お米の作り方 木の切り倒し方
椅子の作り方 梅の拾い方
美味しい果物の見分け方 魚の釣り方
タケノコの掘り方 山菜の取り方
お茶の葉の取り方と入れ方 桑の使い方
イノシシの酒方 こんにゃくの作り方など
ここには書き切れないほどのことを教えてくださいました。 特に土地を貸してくださって
畑や田んぼとして使わせていただいています。 都会生活の長い田舎ビギナーの僕にとっては
とてもありがたいことでした。というか 師匠がいなければ田舎の良さを十分に味わうことができず
今頃は東京に戻っていたかもしれません。 そんな僕は師匠に何をお返しできるだろうかと考え
お金を包んだことがありました。 東京では当たり前のことですよね。
土地を借りたら鎮釈料を払う。 塾や学校で教えていただいたら
授業料を支払う。 田んぼと畑を借りてさらにいろんなことを教えていただいてお金を支払わないなんてできますか?
僕にはできなかった。 だからお金を包ませていただきたかったんです。
そうしたら師匠はいらんよって言うんです。 また別のお話です。
03:07
先日車をいただきました。 師匠ではない
果物の農家をしている方からです。 田舎で暮らしていくためには
車は必ず必要と言っても過言ではありません。 でも
車に全く興味のなかった僕は これまでずっと後回しにしてきたんです。
けれどついにもう限界。 車が欲しいって思ったところで突然
うちの車手放そうと思っているんだけどまだ走るよ。 いる?
僕はやっぱりお金を包もうとしたんですね。 でも
いや受け取れない。 いやいやいや車ですよ。まだ全然走るんですよ。いいんですか?
その時僕思ったんですね。 なんと奴隷の深いお人柄なんだと思うと同時に
なんでもお金で解決しようとしていた自分が恥ずかしくなりました。
お礼にお金を包むっていうのは 僕がお金以上のものはないと思い込んでいたからなんです。
世の中にはただより高いものはないって言葉があります。 無料で物をもらうとお礼の品物に金が必要となるし
相手の無理な要求にも応じなければならぬことになって かえって高価なものにつくということを言うんですけどね。
僕は無意識のうちにお金で気持ちを示そうとしていたんです。 それが恥ずかしかった。
自分の安易な考えに腹が立ちました。 お金でない何かで回っているこの田舎文化は
確かに経済力は強くはないですよ。 でも経済で回っている東京にはない力強さがあるように感じたんです。
昔は家を建てる時の柱を起こす作業にみんなが駆けつけたんだそうです。 そのお礼に家ができた日にはみんな集まってお餅投げ。
お世話になった人たちに家主がお餅をまくんです。 もちろんお餅は食べられます。
縁起を担いで人にお礼もする。 稲刈りも自分の田んぼをやるのではなくてみんなで誰かの田んぼを一つ一つ集中的にやっていったんだそうです。
06:08
今日は田後作さんの家で明日は余作さん家の田んぼね。 そして自分の田んぼをやってもらう日はお昼ご飯とかを提供するんですね。
そんなこんなで今もなお野菜のお裾分けが絶えません。 昨日はレタス、一昨日は椎茸、その前は人参、その前はキャベツ。
いいのいいのうち余ってるからさ。 困った時はお互い様だよ。
この前仲間の引っ越しを手伝ったんです。 そのお礼はなんと自宅に招いてのお料理パーティーでした。
全てが手作り最高のおもてなしをいただきました。 今はそんな人間関係も煩わしいっていう人もいるかもしれません。
そうなるとですよ、ますますお金で解決してしまいそうになると思うんです。 金の切れ目が縁の切れ目。
お金でつながる縁って、お金のやりとりがなくなったらなくなってしまうものってたくさんあります。
何かをしてもらったらお金でお礼っていうのはある意味では想像力が乏しいなぁって思うんです。
そっか、お金じゃなくて何かプレゼントをしようかなと考えたこともあります。
これはさっきのお金よりは想像が膨らんでます。
あ、じゃあ今度家に招いて一緒に夕食パーティーしようかな。
相手が好きなメニューを作って。 これはさっきよりももっと想像が膨らんでます。
確かにお金を払えば切な的に終わってしまうお礼。 お金から少しずつ遠ざかっていくと時間がかかるものになっていきます。
この忙しい現代で時間をかけることは簡単ではないのかもしれません。 けれどなぜか楽しい気分になるのは僕だけではないはずです。
お金を包もうと安直に考えた僕は自分がめちゃめちゃ恥ずかしくなりました。 ただ僕も入り口にお金のやりとりはあったけれど、その後ずっと長く続く縁になったことはたくさんあります。
なので決してお金がいけないよって話ではないのです。
今日は僕の恥ずかしかった思いをセキュララに語らせていただきました。 いかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださったあなたぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
09:10
まあこんな経験を通して自分の中の細胞が一つ一つ入れ替わっていく。 そんな経験をして今に至るということなんですね。
本日はお金の呪縛というお話をさせていただきました。 何でもかんでもお金で解決しようって思ってしまうことが人間関係の気迫さを生んだり
繋がりがますます薄くなっていく要因のように思います。 何でもお金で解決しようとするお金が全てではない
お金が第一番上のものではないよということをですね 重々肝に銘じて僕自身も生きていきたいなと思っております。
ということでお時間が来てしまいましたので今日はこの辺でお相手は 薬前師であり森林インストラクターである
もうちゃんがお送りいたしました。またお会いできることを楽しみにしております。 今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。
10:23

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