1. もおちゃんの「なぜなに?」樹木図鑑📗
  2. 見ることのできない時間がある..
2023-12-10 14:44

見ることのできない時間があるから、感じることができる


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おすおす、おはようございます。こんにちは、こんばんは。
地球元気食堂、開店でございます。
僕の名前は、もおちゃりと申します。
薬膳師をしたり、森林活動ガイドをしております。
本日もよろしくお願いいたします。
昨日、僕はこのラジオで、
目には見えない力が、この地球にはある、というお話をさせていただきました。
ある人はそれを、神と呼び、ある人はそれを、仏と呼び、
ある人はそれを、宇宙と呼び、
またある人はそれを、Great Spirits、大いなる意志と呼びます。
まあ、いろんな呼び方があって、
それぞれ信じているものが、少しずつ違うのか、
それとも、上でつながっているのか、
これは、なかなか不思議なお話ではあるのですけれどね。
僕が、高知県に移住をしてからというもの、
この、神にまつわる行事だったり、
仏にまつわる行事に参加をさせていただく機会が、一気に増えました。
これは、僕が何か宗教に入信をした、というわけでは、決してないのです。
僕はもともと、仏教の学校に勤めていた、というバックグラウンドはあるのですが、
何か特定の宗教に入っているわけでは、決してございません。
しかし、こちらに来るとですね、高知県に来るとですね、
本当に、シーズンは、毎週のように至るところで、
何か神様への祭りごと、仏様の行事、仏事と言われているものがね、
何かしら行われるんですよね。
そして、その大事な大事な儀式というものは、何か意味があるように、僕は感じています。
その行事に携わる機会が、めちゃくちゃ増えたんです。
若い人がそれを受け継いでいくことで、
先祖代々続いてきた伝統というものが、守られていくんだ、というようなことですね。
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この先祖代々受け継がれてきたような、そういった行事は、なぜ大切にしなくてはならないのか。
僕は実際に行事に参加をさせていただくことによって、それを体感してきました。
体で感じてきたわけです。
まずですね、神様や仏様に祈りを捧げたり、感謝を捧げたりする行事であることは間違いございません。
ただ、この行事というものを、誰が作り上げるのかということが、とても大切なポイントになってきていると、僕は感じるんですね。
それは地域の方々であったり、また田舎であればあるほどですね、その地域に住んでいる人たちは、みんな親戚、遠い親戚、血のつながりがある人たち、そのようなことであることが多いんですね。
ですから、何かそういった1年に数回行事があるよ、みんなでお餅つきをするよ、のりとを捧げるよ、お餅巻きをするよとか、そういったことがあると、みんなが集まってくるんですね。
そこに人と人とのつながり、結束、絆、そして、友好を深める、昔からのそのずっとずっと温めてきた話というものをお互いに組み交わす、そういった時間が生まれるんです。
僕は東京に住んでおりましたし、それから僕の祖父も祖母もみんな都会の方におりますので、なかなかこの感覚はなかったことなんですね。
よくまあ、強いて言うならば、数年に1回法事というものがあって、幼少の頃はその法事に連れて行かれて、親戚一同がそこに返す、一同に返すという時間はありました。
しかしながら、これは地域の活動なんです。
その家単体のことではないのです。
とするならば、地域の人たちがわっと集まってきます。
普段は別の場所に住んでいたけれども、ふるさとはここだという人たちがわっと集まってきて、みんなで一つの行事というものを作っていくんですね。
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これがとても心地よい時間であったり、また神様や仏様というものを決してないがしろにして言っているわけではないということを前置きしながら申し上げると、
その心事や仏事、神様や仏様にまつわる行事というものを口実にして、みんなが集まる、神様や仏様を差し置いて他のことをするということはなかなかないですよね。
ですから、そういった何よりも大切にしたい、していきたいと思っているものを存在を大事にしながら、それを口実にみんなが集まる、結束が生まれてくるんですね。
そして、この人と人とのつながりこそが、ここに何かエネルギーを生み出しているように思えてほかならないのです。
さあ、この仏事や心事、そういったものは決して東京で全くないわけではありません。
しかし、僕が感じたのは、なぜこちら、高知県に来た時に、そういったものを密接に、近しいものだと、そういったものを感じたのかということをちょっと考えてみたんですね。
まず、こちら田舎に来た時、なんと見えない時間が長いのか、ということを思いました。見えない時間というのは、闇の時間です。
僕が住んでいる町は、高知市、市ではないんですね。軍と言われている、軍部なんですよね。
そうすると、町によっても財政状況が全然違う。
市内に入れば、つまり県庁所在地が生えるような大きな市だったり、また港が栄えているような大きな市に入ったら、入った途端に何に気がつくか、街灯の多さに気がつくんです。
街を照らす光が、なんと多いことか。
しかし、僕が住んでいるこの町は、軍部でございますから、街灯が非常に少ない。
国道が通っているんですけれど、その国道沿いには、明かりがポツポツと灯されています。
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しかし、国道をひとたび離れると、それはそれは真っ暗な闇が広がる、そんな場所が非常に多いんです。
東京の大都会を思い返すと、それは全くイメージがつかないことです。
新宿に行けば、裏路地に至るまで光が差し込んでいるじゃないですか。
夜まで何もかもが見て通せる、見渡せる、見通せる、そういった状況がその都会にあるんです。
目に見えない世界があるということは、目に見えない時間が、見ることができない時間があるということなのかなと僕は感じました。
この高知県、闇が非常に深い地域があります。
この闇が深いというのは、そういう意味じゃないですよ。
そういう意味ではなくて、とにかく真っ暗で見えなくて。
僕たちが仕事を諦めなくてはならない時間があるんです。
手を休めなければならない時間があるのです。
その時間は、心の休息が訪れます。
何もできないからね。
また、家族断乱の時間が訪れます。
心にゆとりができるんです。
そして、見えない時間、何もできない時間というのは、その時間の中で、作物が、植物がぐんぐんと成長をする、その成長をする姿を想像しながら、諦めつつも、
それは、誰か自分ではない自然の力に任せなくてはならない、そんな時間が訪れているんですね。
それは、人知を超えた自然の力にほかなりません。
その自然は、誰が動かしているのでしょうか。
思いを馳せれば馳せるほど、人知を超えた力、どこか天の上の世界なのか、地の底の世界なのか、どこの世界なのかはわかりませんが、
何か目には見えないものの采配によって、それが突き動かされている、そのように感じざるを得ない状況があるんですね。
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いかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださったあなた、ぜひ、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
つまり、簡単に言うと、もうね、今日はね、人知を超えた力がこの世界にはあるんだけど、それは都会と田舎、何でこんなにも感じ方が違うのかなというお話でした。
僕が感じてきたことを、もう一言でファッとお話をするのであれば、人が運に任せる、天に任せる、そういった仕事がどれぐらい、その自分の抱えている仕事の中にあるのかと、そういったところも大きなポイントになるのではないかなと思いました。
田舎のお仕事は、どうしても自然と関わるお仕事が多いのです。それは自然の力、自然の恵み、そういったものを僕たちは感謝をしながら、そして日々日々のその作物の収穫だったり、命をいただくということだったり、これが本当に肌で感じる、触れることのできる距離にあるんですよね。
都会で過ごしていると、その仕事の多くはパソコンと向かい合うということだったり、自然が全くない場所で人と人とがコミュニケーションを取ることであったり、なかなか目に見えないこと、自分の力の及ばない世界というものに思いを馳せるということが難しくなっているのかな、なんて思いました。
人が全てをコントロールすることはできない、自然の力を十分に借りる、自然から応援をしていただくということ、それが僕がやっているこの活動なのかなということ、本質なのかなということを最近感じている次第でございます。
自然の力に応援される、そんな生き方とは。
お時間が来てしまいましたので、今日はこの辺でお相手は、薬膳師であり、親人活動ガイドである、もうちゃりがお送りいたしました。またお会いできることを楽しみにしております。今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。
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