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おすおす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
ブリコラのサラダ仕立ての時間がやってまいりました。
本日は第2回目の放送でございます。
今日も、役立ちそうですぐには役立たない、けど無駄ではなさそうだから、読み流すくらいがちょうどいい自然派のエッセイ、やっていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
今日は、「あなたにいてほしいと言ってくれる場所」というお題でお話をさせていただきたいと思っております。
今日は、どうしてもあなたに来てほしいんだと言われる、そんな場所がこの世界にはあるんだよということを語ってみます。
高知県に住むことになったのは2年前の今日でした。
飛行機に乗って新たな大地を踏みしめることに、大きな希望と期待を抱いていました。
東京に住んでいた時、家賃は8万6千円、窓りは1K、部屋は北向き、
光はほとんど差し込まず、寝るために帰るだけの部屋でした。
僕もその一人だったので、あえてこのような表現をしますが、
僕の家は家というよりもすばこだったように思います。
狭い部屋で本当に狭くて、一日のほとんどは外で過ごし仕事をしたりする。
夜になったらすばこへ帰る。
ただ、眠れたら良い。 その家の中で生活をすることを何も考えていない。
帰る場所があるけれど、そこは本当に帰る場所だったのか。
そんな部屋にも愛着が湧いてしまうのが不思議な感覚です。
きっとその空間は他の誰も入ってくることのできない、
ほっとした空間だったんだと思います。
僕のことを守ってくれた場所だった。
だから大好きな部屋で感謝もしています。
けど、とてもじゃないけど暮らしを楽しむことからはほど遠い場所でした。
キッチンにまな板を置くこともできない、そんな場所でした。
もはや僕にとっては毎日すばこに帰るような気持ちでした。
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東京で暮らすにはとにかくランニングコストがかかります。
特に大きいのが毎月の家賃です。
東京で暮らすには毎月決して安くはない家賃を払い続けなくてはなりません。
そのために仕事を休むわけにはいかないのです。
僕はそんな家に300万円以上払ってきました。
年間100万円ちょっとです。
もしも自分の支払っている家賃がすべて自分の好きに使えるよと言われたとしたら、どれだけ経済的な余裕が出るでしょうか。
東京で暮らすためにはそこに住むために多大な労力が必要になるのです。
働かざる者、食うべからず。
そんな言葉がありますが、働かざる者、住むべからず。
まさに僕の東京ライフは今振り返るとそのような印象を持っていたと思います。
一方、お金をあげるから君にここに住んでほしいんだよ。
そんな場所があることは僕は2年前まで知りませんでした。
移住のことを調べ始めると、家賃を補助してくれるどころか、引越しの手当たりだとか、その他の補助をたくさんしてくださるところがあることがわかりました。
移住者を募集しているすべての地域が、そんなキャンペーンを行っているわけではないですが、
頼むからあなたに来てほしい、そんな熱烈コールをいただける場所もこの世界にはあるんだと知りました。
実は東京でもそんな考え方があります。
奥多摩の山奥では、昔ながらの家に15年住み続けることができたら、そのまま家をプレゼントします。
そんなキャンペーンを打っている場所もあると聞きました。
もちろん、どんな人でも大歓迎というわけではありません。
その土地が求めている人材がいて、その地域にうまく馴染むことができる人柄があって、その条件にマッチングをしなければ受け入れていただくことは難しいのですが、
ただ、この土地で暮らしを営みませんか?と提案をしてくださるところがある。
企業の就職ではなく、あなたにここで暮らしてほしいと言っていただける、そんな場所があるんです。
今日は地域の神祭がありました。
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家のすぐ近くの神社で、みんなでお祭りをするんです。
都会のお祭りのようなものではありません。
屋台がたくさん出るようなお祭りではなく、神社の拝殿を開いて、地域の人たちで集まってお祭りをする、そんな儀式でした。
神館さんから神道のお話をいただきました。
人は生まれる時、近くの神社の産すなの神様によって、この世界に魂が導かれる。
引っ越しをすると、引っ越し先の近くの神社が宇治神様となります。
しかし、亡くなる時は、宇治神様を通して、魂が始まりの神社である産すなの神様のもとへ送られるのだそうです。
こうした儀式の本来の意味は、神様とのお付き合いです。
でも、なぜ今もなおこうした儀式が残っているのかというと、
神様を大切にする思いはもちろんのこと、集落のみんながお互いにお互いの顔を見ることができることにあると感じています。
病気をしている人はいないか、けがをしている人はいないか、家族に変わりはないか、
新しく引っ越しをしてきた人はどんな人なのか、困ったことはないか、
そんなことがみんなで一気に共有されるのが、この儀式で集まることのもう一つの意味なのだと感じました。
昔は農作業などをみんなで行っておりました。
その時は、お互いにお互いの顔を見ることなんて日常茶飯事だったと思います。
しかしながら、共同で作業をすることが少なくなってしまった今だからこそ、
神様は僕たち一人一人のつながりを取り持ってくださっているのかもしれないと感じました。
あなたに仕事をしてほしい、ではなくて、あなたに暮らしてほしい、
もしかしたら、あなたもぜがひでも住んでほしいって言ってもらえる場所が、ここではないどこかにあるかもしれません。
いかがだったでしょうか。
本日は、「あなたにいてほしいと言ってくれる場所」というテーマでお話をさせていただきました。
僕もですね、今日で高知県に移住をして2年が経ちました。
ここに導かれるようにして移り住んだのですが、
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もともとは、あなたにぜひ来てほしい、そのように声をかけていただいたことから、
ご縁が始まったのだなぁと、感謝の思いでいっぱいでございます。
もし、今何かうまくいかないことだとか、何かちょっと違うなぁと思っていることがあるとしたら、
それは、自分の暮らす場所なのかもしれません。
それもまた一つ、選択肢の一つ、道の一つとして、自分の心のどこかに置いておいていただけたらなと思います。
最後まで聞いてくださったあなた、ぜひ、いいねやフォローで足跡をお願いいたします。
お時間が来てしまいましたので、今日はこの辺で。お相手は森林インストラクターのモーちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。