1. もおちゃんの「なぜなに?」樹木図鑑📗
  2. 森の精霊のご加護が訪れますよ..
2025-03-27 28:58

森の精霊のご加護が訪れますように

ありがとう🐈

ああ。

今日は、日付けのかわる頃の夕食でした。

現在、夜中の2時を回りました。

夜、帰ってくると、道路に見覚えのある一匹の猫が横たわっていました。

5か月くらい前に生まれて、
最近、うちの周りに住み着いてて、
家族みんなで観察しながら可愛がっていた子でした。

最近では
家の中に勝手に入り込むようになるくらい
ぼくらに懐いていた子が。

車にひかれてしまったのでしょう。

あまりに短すぎます。

そして、儚すぎます。

なんで、道路に飛び出しちゃったんだろう。

何で、車は気をつけてくれなかったんだろう。

田舎ではよくあることとはいえ、
悔しくて、悲しくて。
たまりません。

こんなとき、
大切な同僚がぼくに話してくれたことを思い出します。

土佐弁には
「みてた」という言葉があります。

「あの人みてたんだなー」
なんて使うんだそうです。

感じで書くと「満てた」となるそうです。

この世界での役割を満たして
この世界での時間を満たして
そして、天国へ旅立つという。
そんな意味が込められていると言われています。

命は、尽きるものではなくで、
空っぽのグラスに水を満たしていくようなものなのかもしれません。

とはいえ。

わずか5か月で、満ちてしまう。

あの子が、ぼくたち家族に教えてくれたことははかりしれなくて。

命というのは、いつお迎えが来るものなのかは分からなくて。

この子をどうしようか、
話し合いました。

明日、業者に頼んで運んでもらおうか。
いや、ペット用のお葬式をしようか。

僕らが選んだのは、
自分たちの手で弔いをすることでした。

自然の中で生まれた子だから。
自然の中に還してあげよう。

そうやって、
真っ暗な中、山に穴を掘って、旅立ちを見届けることにしました。

ぼくの敬愛する樹木医の
中田麻祐子さんが
以前されていた弔いの方法を思い出しました。

ありがとう。

動物は、
自分の死期が近づくと、
木の根本や草むらの中などに行くのだそうです。
そうして、次の命へとバトンをつなぐのだといいます。

とくに、根っこがあるところは、
空気や水の巡りが良くて、
仏様も安らかに、お眠りになられるのだそうです。

家族総出で、穴を掘り、落ち葉や炭をかき集め。
お別れをしました。
あの子が大好きだった菜の花も添えてあげました。

この子には、兄弟がいます。
タオルでくるんだ仏様の周りをずっと、じっと見てた。
何が起こってるのか、わかるかな。
いつも一緒に、遊んでいたよね。
今朝も追いかけっこしてたよね。

明日から、
あの子はいないけど。

僕たちがこの家でわいわいにぎやかにしていたら。
きっと、あの子も寂しくないよね。

ありがとうね、産まれてきてくれて。
また、会おうね。
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おすおす。おはようございます。こんにちは、こんばんは。こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
3月27日、木曜日のお昼に収録をしております。いかがお過ごしでしょうか。
昨日、日付が変わる頃にご飯をいただきました。かなり遅い夕食でした。
東京にいた時はそんなのも日常茶飯事でしたけれど、高知県に来てそんなことってめったになかったんですね。
何があったのかというとですね、帰った時に車でね、通勤などしてるんですけど、帰った時にもう夜暗くなってからですよ。
もうちゃん今ね、引っ越しの片付けとか色々やってるので、ちょっと昨日ね、8時とか9時とかに帰ったんですよね。
そしたらね、道路の上に見覚えのある獣が横たわってるんですよ。
何だろうと思って近くに寄ってみると、引かれてしまった猫だったんです。
この猫は顔なじみだったというか、最近は家族のように一緒に生活を始めていたような、生後5ヶ月ぐらいの猫ちゃんで、
僕が住んでいる町にはですね、地域集落には猫がたくさんいるんですよ。
地域猫って言って、誰か一人の人が特定の人が飼っているわけではないんですけれど、
なんとなく地域のみんなでお世話をし合っているみたいな感じなんですね。
僕ん家のところをですね、結構縄張りにしてたというか、
かなり僕たちも動物が好きなので、いいよいいよって言って来て来てって言ってね、
お世話をし始めていた頃でした。
最近はですね、家の隙間からですね、というか隙間だらけなのでよくあるんですけど、
獣、動物、猫がですね、そこからこそこそっと入って、
一夜屋根の下でね、赤して、そしてまた帰っていくっていう、そんな感じがあってね。
昼の暖かい時には外で過ごし、夜になると屋根のある場所で過ごしっていう、
そういう関係を築いていたんですよ。
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僕たちもね、その猫をすっごいずっと観察をしてて、
ちっちゃかった時からだったので、お父さんやお母さんは誰なのかなとか、
いろんなことを分かりながらですね、生まれた時からじっくり見ていたんですよ。
ようやく僕たちにも慣れてくれて、
で、その子が車に轢かれてたと、家の前でです。本当に家の前でです。
っていうね、もう楽譚ですよ。
本当に後悔というか、悔しいですね。
本当にね、この5ヶ月ぐらい、僕たち家族にいろんな感情を届けてくれた子だったんですよね。
で、その子が可愛くて可愛くて仕方がなくてね、
締めっぽい話ですね。今日は雨も降ってて締めっぽいですけどね。
昨日ね、道路の真ん中に横たわっていて、
もし嫌だったらですね、早送りしていただいたりとかしてもらったらいいと思うんですが、
本当に即死だったんじゃないかなと思います。
ちょっとね、頭の顔の方が怪我をしちゃってたかな。
体はすごく綺麗なんですけどね。
もうなんか苦しむことがなくすぐ旅立ったのかなって思うんですよ。
その猫の体はすでに冷え切っててさ。
でね、どうするって。
道路の上で亡くなった獣はね、電話をする業者があるんですよ。
そしたらすぐに来てくれて、片付けてくれるって言ったらさ、
なんか物みたいに扱うようで嫌なんですけど、
それをどかしてくれるんですよね。
で、道路とかも綺麗にしてくれる。
もしくは可愛がってたからね、ペットの草木屋さんにお願いをするかとか、
いろいろ選択肢がそこで家族の中で出てきたんですよ。
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もうそんなことしているとさ、夜がどんどん深まってくるんですよね。
だけどこれの子はさ、僕たちは飼っていたというよりも、
生活空間がたまたま同じだったみたいな感じです。
そして生まれた時もこの山で生まれて、この山で育って、この山で亡くなった。
だからね、僕たちが出した答えは、
山に返してあげよって。
自然の子なんだから、自然の中で返してあげよって。
そうなりました。
僕は生き物を、お墓を作るとか埋めるとかっていうことは、
本当にもう小学生以来の頃だったかなって思ってます。
だけど、これは一刻も早い方がいいんだっていうことで、
今日は雨が降るっていう方だったので、
じゃあもう今やろうかってなってね。
で、穴を掘って、その中に横たえるんですよ。
でね、生き物たちって自分の生涯を閉じようとする時に、
木の根元とか草むらの中とか、
そういったところに行くんですね。
で、誰にも見られないようなところで、
ひっそりとその生涯を終えていく。
なんで木の根元とか草の中とかなのか、
それは周りに見えないところとか、そういうこともあるんですけど、
生き物たちはね、よくわかってると思うんです。
自分が自然の中の一部であるっていうこと。
だから、自分が最後に自分の生涯の物語を閉じる場所っていうのを選ぶんですよね。
それで、木の根元ってね、
そこってね、木の根っこがあったり、草の根っこがあったり、
そういうのってね、水とか空気の流れがすごくいい場所なんですよ。
だから、自分の体が朽ちても、なお洗わされないというか、
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綺麗なまま自分の体が大地に吸収されていくというか、
こういうことがわかっているんですよ。
できる限り自然な形がいいよねということ。
だけど、やっぱり人が住む場所のほんとに近くにお墓を建てるということなので、
いろいろね、気遣うこともあって。
まず、穴を掘るでしょ。
そこにね、墨を敷くんですよ。
墨ってね、防臭の効果があったり、
それから、墨の中にはたくさんの小さな小さな穴が開いているんですよ。
あれ顕微鏡で見るとボッコボコなんですよね。
で、その中にはね、たくさんの微生物が住むことができるんですよ。
その微生物たちは、その動物の亡骸を土に返してくれる役割を持っているんですよね。
だから墨をまず敷くんです。
そして、その上に落ち葉のベッドを敷いてあげるんですよ。
この落ち葉のベッドの上に動物が、亡骸が横たわると。
で、このベッドはまた、この菌たちの餌にもなっていくんですよね。
だからそのベッドがあることによって、いっぱいいっぱい活動ができて、
その亡骸を一緒に弔ってくれると。
そして、横たえた亡骸のその周りにもまた墨を詰めてね。
そして、その上に葉っぱをまた敷いて、そしてその上に土を寄せてあげます。
その土をね、顔が最後になるように足の方から少しずつ少しずつ寄せてあげるんですよ。
で、最後にお顔を、お土を寄せてあげて。
そしてまた、その上に墨を巻き、落ち葉を敷き、
12:00
そしてまた土を寄せ、墨を巻き。
こうやってサンドイッチを作っていくんですね。
こうして自然に帰るっていうことをしました。
そして、木の近くです。木蓮の木の近くに植えて、埋めてあげました。
これでね、動物がさ、その猫がさ、この木の一部となって生き続けるんだよなって思うんです。
そこから生えてくる草花、吹きの糖とかさ、吹きとかいろいろ生えてくるんですけど、
それもまた、その猫ちゃんが一部となっているんだよねって。
なんだかこう、締めっぽい話になってしまいましたけれどね。
今日はね、ちょっとスポンサーコールも控えさせていただいて、
とにかくこの一頭の猫に思いを合わせていきたいなって思いますね。
あの、こんな話を僕聞いたことがあって、人間って1名、2名、3名って、そうやって数えるじゃないですか。
猫って、じゃあ何て数える?1匹?2匹?それとも1頭?2頭?
これね、まあ実は大きい、人よりも大きいものを1頭2頭と数え、
そして人よりも小さいものを1匹2匹と数えるんですね。
ですから、ある程度大きさのあるものとすると、
例えば豚さんとかさ、それから牛さんとかさ、
ヤギだとか馬だとか、そういった子たちを1頭2頭って数えるんです。
ただ、こんなふうにも言うことができて、
1頭2頭と数えるものは、人にとってすごくこう、何ていうか、意義深いものだったっていうことです。
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だから、犬のことを1匹2匹と数える人もいるけど、
本当にワンちゃんのことを大切に思っている人は、1頭2頭って数える?
猫のことだってそうなんです。1頭2頭と数えるんですよね。
鳥は1羽2羽と数えたり、魚は1羽2羽と数えますよね。
この数えるものって、一体どうやって単位が決まっているのかっていう話なんですが、
これね、命が尽きた後に残るものなんだそうですよ。
お魚は最後食べられると尻尾が残りますね。
だから、1羽2羽3羽って言うんですね。
それで、動物たちは頭が残るって言うんですね。
確かにね、風装っていう考え方があるんですけど、
僕たちが昨日やったのは土装です。土の中に葬らせていただくので土装ですね。
僕たち人間は大体が火葬されますよね。火で葬られる。
風装っていう考え方があって、これはね、本当に森の中にそのまま安らかに自然の形で置いておくとか、
木の上に遺体を安置するとか、こういう考え方なんですね。
そしてそれがもう自然のまま、風の赴くままに体が朽ちていき、
そしてそれが大地に帰っていくというか、風に乗って空の彼方へ、
その命の灯火の消えた後の最後の灰や塵まで届くような感じです。
風装すると最後に残るのって頭なんですよね。
僕が住んでいる集落にも何匹か何頭か、これ何の動物だったんだろうなってわからないような、
でも頭の骨だけが転がっていたりもします。そんな現場に立ち会うことがあるんですよね。
人は亡くなった後に何が残るかっていうと、名前が残るんだそうです。
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名前が残る、そうだね。
亡くなった人のことを思い出すときにやっぱり名前が残るよね。
だから僕たちこうやって名前を残すために何か道やもがいているのか、
それとも名前を残そうとしなくても誰かの心の中にほのかに残っていくものなのか、
名前が語り継がれるっていうことが生き続けることなのかもしれませんね。
そんな感じなんですけど、今回ね、その猫はさ、頭だったんですよ。
一番ダメージを受けたのは、僕たちにとってすごく大切な家族だったんだけど、
引かれてしまって、頭がね、見るも無残な姿になっていました。
この猫には兄弟がいてさ、一緒に暮らしていた子がいたんですよ。
その残された子も昨日からずっとこう泣いていて、
僕たちがお墓を作っているときもずっとそばにいて見守っていて、
今日はなんか一人ぼっちで寂しそうにしているように僕たちには見えるんだけどね、
本当のところはどうなんだろう、気持ちはどうなんだろう、
僕たちが思っているだけなのかな、不思議だね。
僕たちのさ、心の情景を相手が映し出してくれているような気がしてならないんですね。
今回の道路の上で動物が亡くなってしまうっていうことは、実は珍しいことではありません。
田舎ではよくあることなんです。
昨日なんかは僕猿も見たんですけど、猿が引かれてたわけではないんですけど、
猿が引かれてしまうことってありますよね。
鹿が引かれてしまうこともあるし、それからイノシシが引かれてしまうこともあるし、
本当にね、よく起こるんですよ。
なぜそんなことが起こってしまうのかっていうこと、
これは不良の事故だったねで済ませたくないんですね。
だってここで失う必要のなかった命じゃないかなって僕は思いたいんですね。
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全部役割を全うしたからお迎えが来たんだよとか、
僕何度も言ってるんだけど、
土佐弁に見てたっていう言葉があって、
満ちるって書いて見てたって読むんですよね。
だから時は満ちたとか、この世界でやることはやり終えて全ての役割を満たせたっていうことで、
なんだかグラスの中に水が全部満ち溢れたっていうことで、
こぼれた時にお迎えが来るっていう風に言われます。
ただこれがね本当に身内に起こった時に、
なかなかそうは思うことができない。
この猫一匹、猫一頭、
僕は自然に返していくときに、
涙をぐっとこらえながらね、
本当に作業させていただいたんですよ。
本当にやるせない気持ちになっちゃって、
苦しまなかったかなとかさ、
それから引いた側、
車側はどんな衝撃を感じたんだろうとかさ、
その命の重み、命の音というものを感じてくれただろうかとかさ、
そんなことを思うんですよ。
なんで今回みたいなことが起こってしまうのかっていうことを、
ぜひ考えてほしいというか、
身を持っておいてほしいんですね。
気づいておいてほしいんですね。
なぜならば、その子は、
僕はまだ生理ができない。
まだまだこの世の中で生きていくことができたはずの命が、
不良の事故によって失われてしまって、
残念だったね、不運だったねで終わってしまうことのない、
何かを僕たちは引き継いでいくべきだと思うし、
それができてこその、なんだろう、
その子の見てた、あの満ちてきたということに繋がるんじゃないかなって思うので、
最後にちょっと、なんでこんなことが起こるのかっていうことを話させてほしいんです。
こうやってね、車に引かれたりとか、
それからある何か構造物とか、
うん、そんなものが落ちてきたり転がってきたりとかして、
不運にも動物の上にそれが追いかぶさってしまったとか、
こういったことで路上で、道路の上で動物が亡くなること、
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これをロードキルって言うんです。
ロードは道ね、キルは分かりますよね。
ロードキルって言うんですよ。
じゃあロードキルって何で起こるのか、どんな時に起こりやすいのかっていうことなんです。
これね、動物たちも生きてるんですよ。
動物たちも自分たちの道を持ってるんですよ。
獣道って言います。
山の奥の方から、例えばこう谷を越えてね、
そして谷の中にある川とか、その水辺、
そんなところまでね、道を持ってるんですよ。
でもそこに人間が道路を敷くんですよ。
そうすると、その獣道が分断されてしまう形になります。
そしてどうしても自分が川に行くためには道路を通らなきゃいけない。
また川から自分の住処に帰るためには道路を横切らなきゃいけないんですよ。
こういった時に動物は道路を通る。
また季節的なものもあって、
暖かくなってきたこの最近、ようやく動物たちは活発に動くようになってきて、
それで道路の中に飛び出ちゃう。
また道路って日中に温められた熱が夜もこもっていることが多くてね、
夜気温が下がって寒くなると道路の上に行って、
そのぬくもりっていうのをお腹に感じたりするんですよね。
そんな時に車が通りかかると事故が起こってしまう。
そんなことが起こります。
対策としては動物が来ないように道路に柵を設置するなんていうことをすることもあるんだけど、
動物にとっては自分の住処だったし生活の場所だった、そこに柵を張られてしまうっていうことは何を意味するのか。
水の場所に行けないとか、また別の場所を探さなきゃいけないとか、
民家とか人家に、人の家に降りていかなきゃいけないとか、
そんなことも起こってくるんですね。
もうここ動物がいるってことが分かっている場所であり、
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また夜で見通しが悪いということであればね、
ちょっとゆっくりと、ゆっくりと車を走らせてみるとか、
そういうことも大事なんですよね。
僕も何度も、動物が横を歩いているなっていうことがあります。
だからゆっくり走るんですよ、夜は。
どうしてもね、こうやって人が生きていく場所の中で野生の生物たちが苦しい思いをしているっていうことがあってね、
そんな世界にも僕たちは目を向けておきたいよねって思うんですよ。
ロードキルっていうのは人が車に乗る限りはなくならないものだから、
これは一緒に暮らしている人たちなんだと、命たちなんだということでね、
僕たちの側がその動物たちに思いを寄せていかなくてはならないですね。
そうですよね。
ということを思っております。いかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださったあなた、ぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
今日はこの辺にしたいと思います。
お相手はこだまこばちプロジェクトのもーちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。
あなたとあなたの大切な人に、そして天国へ旅立った一等の大切な家族であった猫ちゃんに森の精霊のご加護が訪れますように。
ご視聴ありがとうございました。
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