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おっすおっす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
2月25日火曜日の夜に収録をしております。
いかがお過ごしでしょうか。
今日は僕は、東京の土を踏みしめてお送りしております。
普段は高知県にいる僕なんですが、今回、友人が結婚式に招いてくださったので、
もおちゃんは東京まで駆けつけてきました。
ただ、結婚式だけではなく、僕が東京時代にお世話になった色んな人たちにお会いしたいとも思って、
1週間のいとまをいただき、今、今日から東京に降り立ち、生活をさせていただこうと思っている次第でございます。
もおちゃんが最後に東京に降り立ったのは、今から約3ヶ月ほど前のことでした。
その時、もおちゃんの胸の中にはざわめきの嵐が起こっておりました。
実の父親が治ることはない病気を抱えながら、毎日を生活しています。
その父が病状が悪化したということがあり、入院をすることになったんですね。
もおちゃんは決して、実の父と良好な親子関係を築けていたわけではないと思っております。
ですから、もおちゃんにとっては、すごく感情が複雑に揺れ動いた時だったんです。
どんな顔で父に会えば良いのか、どんな言葉を投げかければ良いのか、
そして、父が幸せにこれからの人生を生きていってほしいけど、どうすれば良いのか、
なんていう様々な思いが、うたかたのように浮かんでは消え、浮かんでは消え、だったんですね。
しかし、人とは言うのは面白いもので、3ヶ月経つと、その時の思いや悩みというものはどこへやら、
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今、自分自身の中には新たな悩みの種が一つぽつんと落ちて、その悩みの芽が今、吹き出んとするばかりなんですね。
今、何悩んでいるのかというと、別に深刻な話ではないのですが、春からもーちゃんは進路がまだ定まっていなくて、
どのように自分の身を振っていこうかなということを考えているんですね。
いやーまあ、3ヶ月前あんなにも自分自身わからない、わからない、そしてどことなくつらい思いをしていたのに、
今はそれが晴れやかに青空が差し込んで、僕は今また別の悩みを抱えている、なんていうことでしょうかね。
あ、そう、この東京に今回降り立ってすぐにメッセージが届きました。
2、他人の兆しが見えてきたよということで、少し病状が落ち着いてきたのかなということでした。
はい、ということで本日は人の心の中の話、特にもーちゃんが今感じている世界のことをお伝えできたらなと思っております。
ということで始めていきましょう。
この番組は、自然の中で育ち、自然の色の卵があることを知ってほしい。
静岡県から日本全国へ生産量たった1%の卵を届けたい。
お山の農園、ホームビルさんの応援をしております。
ホームビルさん、いつもいつも本当に本当にありがとうございます。
例によって、この放送でお伝えさせていただくことは、もーちゃんが今感じていることでありまして、あくまでもーちゃんの中の世界の話でございます。
なので、あなたに教えたいとか伝えたいとか、押し付けたいという思いは微塵もありません。
それをぜひご承知を聞いただいて、聞いていただけたらと思います。
もーちゃんは今、本を一冊、したためさせていただいております。
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もーちゃんは、別に本を書きたいという気持ちは持っていなかったんですね。
正確に言えば、かつては持っていました。
が、今は持っていない。
かつてはですね、僕は本をぜがひでも書きたいと思っていたんです。
自分のしてきた経験や、自分の持っている知識、経験、知見は誰にも役立つものだと自信があったんですね。
しかし、今、そんな思いは全くありません。
自信がなくなったとか、そういうわけではなく、どうも別にそれは僕がしたいことではないのかもしれないと思い始めてきたのです。
ただ、今回、もーちゃんのことをよく知っている人たちが、もーちゃんの本が読みたいよっておっしゃってくださったんです。
あまりにも何人もの方がそういった声を寄せてくださるものだから、じゃあ書こうかなって思ったんです。
もーちゃんは、自分の中に同の自分と正の自分の両方を宿しておきたいと思っております。
だから、自分がやりたくないということで周りからの希望や楽しみを突っ跳ねてしまうということも違うかなと思っておりますし、
また、自分自身がぜがひでもやりたいということだけで突き進むものでもないのかなと。
一方では、一旦それを寝かせておくという資料深さもまた持ち合わせておきたいなと思っているところでございます。
僕に本を書いてほしいと、本を読みたいと言ってくださった方に、どんな本が読みたいんですかと伺ったことがあるんですが、
その方は、もーちゃんの見ている世界を知れたら、それが嬉しいですって言ってくださるんです。
ありがたいですよね。
そうか。その方もまた、何かを教えてほしいわけでもなく、何かを伝えてほしいわけでもなく、
ただただ、もーちゃんが感じているその風の香りや味を知りたいと思ってくださっているんだなということがわかりました。
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ならば、僕もまたその声に応えつつ、自分の信念でやっていこうと思うようになったんです。
この本は誰かに教えたい、伝えたいという思いで始まるものではないのですが、
本を書くにあたっては、やはり読者の方を想定しなくてはならないんです。
ターゲットという言葉で表されますが、僕はこう解釈をしているんですね。
届けたい人がいるわけではありません。
ただ、本を一粒の種だという風に捉えた時、その種が喜んで芽を出す場所があるだろうと。
本は、文章というものは書いた人が生み出すものではなく、受け取った人が読んだ瞬間に命が吹き込まれるのです。
それを受け取った人がどう解釈をして、そして自分のどこかにしまった瞬間に、その本は命が宿っていくんですよね。
種であるとしたならば、暖かいところがいいのか、寒いところがいいのか、水が豊富なところがいいのか、それとも乾いた場所が良いのか。
種によって全くと言っていいほど、その芽を出すのに適した環境というものは違うものなんですよね。
本もまた、どんな人の元に届けば、芽を吹き出しやすいのかということをよく考えるようになりました。
ただ、もーちゃんはその本を誰かに伝えたい、届けたいという思いはないのです。
だから、たった一人のことを思い浮かべて書くということを決めました。
その一人というのは、自分の一緒に暮らす子供です。
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もーちゃんには今、一緒に暮らす子が3人いるんですが、そのうちのたった一人に向けて、もーちゃんはこの本をしたためていこうと決意しました。
とはいえ、その子にも別に押しつける気はありませんし、何かを伝えたい、こんな風に考えれば生きやすくなるよということを伝えたいわけでもないんです。
ただただ、もーちゃんが見ている世界、そして日々感じているこのそよ風のことを綴っていこうと思っているんですね。
ある晴れた日に、太陽の光が差し込んで、竹の葉っぱの影を落としました。
竹の葉っぱが風で揺られると、落ちている影もまた、まるで地面をほうきで吐くかのように撫でていきます。
しかし、地面に降り積もっている土や埃や塵はほんの少しも動くことはありません。
ある月の光がよく出ている晩のことです。
月の明かりがすーっと伸びて、水の底を照らしている。
覗き込むと、その水の底には月がくっきりと映し出されている。
しかし、よくよく後で見てみると、月がそこにあったはずなのに、水の底にはほんの少しだって傷はついていない、跡は残っていないものなのです。
こんな美しい風景なのに、お互いがお互いを引き立て合うことはあっても、お互いを干渉し合うことはないんですね。
それが実は最も美しい光景なのではないかと思うのです。
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どちらかが月であり、どちらかが水であったとして、お互いがお互いを干渉し合うことなく、それがひとところに調和されている。
自分の中にも月と水の両方を合わせ持つこと、陰と土の降り積もった大地を合わせ持つこと、
これこそが僕たちの本当の心の穏やかさにつながってくるのではないかなと思っているのです。
モーちゃんはともすれば足跡をつけない生き方をしていきたいと願っています。
これまでモーちゃんはいかに自分の生きた証をこの世界に残していくのか、
本を書きたいと思っていた時もまた自分の名前をこの世界に刻みつけたいとそういう思いが走っておりました。
しかし今となってはそんな思いはもうなくなりました。
歌方の彼方へと消えていきました。
自分はただただその白い砂浜に自分の足跡をつけたくないのです。
もしつけなくてはならない時にはさざ波がその白い砂浜の上をさっとひとなでした時に
足跡も海の底へかき消していく。
そういうくらいのほんのりとした微かな痕跡で生きていきたいと願うようになりました。
それって虚しいだけじゃないの?寂しいじゃん?
そう思われるかもしれませんが、
本当に残るもの、何かの後に残るものというのは
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僕が書いた文章でもなく、僕がどこかに刻みつけた直筆のサインでもなく、
自分がやり遂げた仕事でもなく、自分が苦心して生み出した作品でもなく、
そこに残る空気なのではないかと思うんです。
その場所は僕がここにいたということを記憶してくれますよね。
そして、誰の中にも猛ちゃんと今日話をしたよとか、猛ちゃんのこの放送を聞いたよということが
どこか奥深くにしまい込まれる。
この事実、この事実だけ残っていればいいんじゃないかなって思います。
それらは決して目には見えないものなのかもしれないけれど、
それが美しい生き方だなと猛ちゃんは思うようになりました。
そんな生き方をしていくとどうなっていくんでしょうかね。
ある時、猛ちゃんは自分一人さえ良ければいいんだ。
まずは自分から整えていけばいいんだと思うようになりました。
しかし、そんな自分でいればいるほど自分を纏う空気が淀んでいくのを感じるんです。
誰かと話をする時も自分にとって利があるかどうかという目線で話をしてしまうんですね。
目の前の人を大切にできていないような気がしてきました。
僕に大切な人や仲間ができました。
この人たちを守っていきたいと思うようになりました。
そしたら少し空気は澄んでいったようにも思うんですが、
仲間を守りたい、仲間を勇気づけたい、その思いが強く強く出ることによって、
やはり自分を取り巻く空気は徐々に徐々に濁っていくのを感じたんです。
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とはいえ、モウちゃんは自分、仲間、そしてその他大勢というように区切りを作って捉えることをしていたから、
自分の中ですっと通らないものがあったのかなということに気がつき始めました。
モウちゃんが思うのは、ただただの僕に関わってくださる方々が幸せでいてくださる。
今日一日を何事もなく平穏無事に生きていただけるその祈りのみです。
そう思えるようになった時、自分の中の押し付けたい、何かを伝えたい、そんな思いがすっかりとなくなってしまいました。
この生き方に虚しさを感じる方もいらっしゃるでしょう。
どこか悲しさを覚える、憂いを感じる、そんな方もいらっしゃるでしょう。
しかしこの虚無ともいえるここからしかきっと純粋なる人の幸せ、幸せを願う祈りは生まれ出てこないのではないかと思うのです。
純粋なる祈りはここから始まっていくのかなと思うのです。
まだまだモウちゃんの中には、まだまだ修行中のみですからあるんです。
人を救いたい、助けたいという思いが出てくるんです。
時に押し付けたい、自分が正しい、そんな思いすらも出てくるんです。
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そういう思いでやった仕事で長続きしないんですよね。
そしてそういう思いで取り組んだ仕事で得たもの、
例えば人との繋がりであったり、またお金であったり、そういうものは長い時間かからずスッとなくなってしまうように思います。
純粋なる祈りを込めて行っている活動は、自分の中でもいつでも静かな思いを持って、
そしてやっている仕事はなんだか温かいものを自分がいただけるような気がしています。
そんな生き方の先に何があるのでしょうか。
これは僕がこれから味わい感じ取っていくものなんですが、
先ほど申し上げたような思いで、浅はかな思いでやっているものってすぐになくなってしまいます。
けれど自分自身の純粋なる祈りを持ってやった仕事って、きっと自然側が応援をしてくれるんじゃないかなと思うのであります。
自然はいらんと思ったら、一気に手のひらを返したように崩れ去らせることだってできます。
この世界で君がやっている仕事はいらんと言われれば、すぐにすぐにでも僕はいなくなるでしょう。
でもこの世界はまだ僕をここに留めておいてくれるし、
だから僕自身が信じているこの感覚でできる限りこの場に立たずんで見ていたいと思うのです。
やがて僕の思いは木や石に似たようなものになっていくでしょう。
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木や石はどちらに倒れようとも、どちらに転げていこうとも、
決して自分の運命を呪うこともなく、それを受け入れていくでしょう。
転げ落ちていった先で、倒れていった先で、自分自身の役割をただ全うするのみなんですよね。
モーちゃんもまたそういった境地にたどり着ければ良いなと思いつつ、
今日という日を生きております。
きっとこれが自分にとって、この世界にとって必要なものであるならば、
モーちゃんはこのままもう少しやっていけるのかなって思うんです。
いつでも僕の中にも悩みの種が落ちてきますけれど、
そういった時こそ心を鎮めてことにあたる、それのみです。
浮き足立つ必要はないんですよね。
いかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださったあなた、是非、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
今日は自分たちの心の中のお話をさせていただきました。
というか自分の、僕自身のですよね。
足跡を残さないで生きていく。
だって僕たちは究極のところ別々の世界を生きていて、
本当に影響を与え合うなんていうことはない。
どんなに影が地面を撫でたとしても、
地面の埃が動くのは、自分が地面の皮が動いた時でしかない。
どんなに月の光が眩かろうとも、水の底の穴は水の底が開けるのです。
相手のことを本当の意味で干渉することはできないのです。
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すべては相手がその人の世界で動いていくものであり、
それは自分自身にもその答えが返ってくるのではないかと思うのです。
こうして究極まで自分ができることはそんなに多くないのかもしれないと思うようになったところで、
それでもなお自分にできることがあるとするならば、
それはただただ純粋にあなたの幸せを願うことのみなのではないかと思うのです。
ですからこの放送もまたあなたの幸せの祈り、
このできる限り純粋な思い出、それを乗せて、
声に込めてお届けすることのみなのではないかなと思っております。
今日のタイトルはどうしようかな。
どんなタイトルをつけたか楽しみにしていただけたらと思います。
きっと自分の中にもまた月の光と、そして月の照らされた水の底である、
そんな両方を合わせ持つということなんですよね。
落ちた影とそれから大地、揺れ動く大地、この両方を自分自身の中で合わせ持つ、
これは矛盾するようなことかもしれませんが、
自分の中に動く部分と動いてもなお動かぬ部分の両方を合わせ持つこと、宿すことなのかなと思っております。
お時間が来たので今日はこの辺でお会いでは、
こだまこまちプロジェクトのもーちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。
あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご加護が訪れますように。