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おすおす、おはようございます。こんにちは、こんばんは。こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
4月9日の分で収録をしておりますが、4月10日の夜中に収録をしております。いかがお過ごしでしょうか。
今日はですね、まあ、かなり急に予定がバンバンバンと入っていった一日となりました。
子どもの三者面談というでしょうかね。そういったものが新年度始まってすぐにありまして、
学校に行かない選択をしている子なのでね、新年度に変わって先生もまた新たに着任されて、
その先生がね、ぜひ一度でいいからお顔を合わせませんかと言ってくださったので、子どももそれでね、がんばって学校に一度足を運んでみたんですよ。
いやー素敵な先生でしたね。非常に暑い。すごく暑いですね。でね、これまで教育委員会の方で何年間かお仕事をされていたということでね、今回ようやくまた現場へ復帰ができることになったということでね、すごくそれが嬉しいと話をしてくださいました。
思い返すとですね、その気持ちはすごくわかるなと思いました。現場にずっといること、これはですね、一つの教員を志した人たちのまあ憧れであり、そして人生であると僕は思うんですよ。
ずっと子どもたちのそばで自分の身を置いていきたいって思う。それが楽しくて仕方がないんだって、そんなことをやっぱり思うものなんですよね。
しかしですね、ある一定の現場経験を積むと教育委員会とかまた管理職の方へね、自分の身を移さなくてはならないということがまああるんですよね。
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そこでまた数年間、仕事経験を積むと、またその経験をもって学校という現場に帰していただくと。
これをね、かなった先生がいらして、まあ本当にね、すごく生き生きされておりましたね。僕の方も元気をいただきました。
はい、ということでね、今日はかなりもう夜遅くになりました。
それでですね、ちょっと明日からなんですけど、僕関西方面へ出張に行くんですね。
そしてさらにその後、関東方面へも足を伸ばすということになっておりまして、このラジオの放送が何時にできるかどうかということが分かりかねると。
たぶんね、ホテルは一人部屋なのかなと思うので、夜はね収録ができるんじゃないかなと思うんですけど、もしかしたら収録をする隙間がないなんていうことがね、またあるかもしれません。
まあそうならないようにね、祈っております。やっぱりこのね収録は続けていきたいなと思っていますのでね。
はい、ということで今日はね、昨日のお話をしてみたいと思うんですね。
昨日僕は神祭というものに参加をしました。神祭というのは神の祭りと書いて神祭と読みます。
まあね、すっごくこう調子がいいぞーってね、すごくこうね仕事をやりたい、もっと活動していきたいって思うそんな隙間にというか、隙間に仕事をするっていう方が筋なのかなと思うんですが、
年にね、数回神祉、神様への使祭り事というものがあるんですね。使い事というのがあるんですよね。
で、それをですね、僕は今回お陶屋、当たるに家と書いてお陶屋、当番みたいなものですね、この集落の中で3つありますお宮のお祭りのその準備をやらせていただきました。
ということで、かなりね、まあ、奇異な珍しい稀な体験をさせていただいたと今回思いまして、やっぱり昨日もお話ししたように、その祭り事にですね、関わっていくことの意味深さっていうものですね。
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意義深さっていうか、意味深さだろうなと思いますね。そんなにね、大それたものではありません。僕が感じていることっていうのは、しかし、僕の中にそこはかとなく、まだあの時の風が吹いている。
その風の記憶というものをお話しさせていただけたらと思います。ということで始めていきましょう。この番組は4月27日に自然あふれる高尾山でCNPトレカ交流会を無料で開催したい。
そのためにクラウドファンディングに挑戦をする木の名刺コミュニティのヒカさんを応援しております。ヒカさん、いつもいつもありがとうございます。神社の扉を開けました。
いい風が吹き抜けていきました。この風はどこからやってきて、どこへ抜けていくんでしょうか。風、風は記憶を持っています。
世界中を駆け巡って様々な香りをその風に乗せて運んでやってくるんです。香りは人に記憶を呼び起こします。
あの時の懐かしい情景が夏の風の香りとともに一瞬のうちに浮かび上がってきたり、また雨の日の風の香りはなんだか心を落ち着かせたりまたざわつかせたり。
あの時の雨の記憶というものが一人一人にあるんでしょう。その記憶を思い巡らせるそんな力を秘めていると僕は感じています。
だから風というのは世界を巡ってくるわけですから、ありとあらゆる記憶をその風の中に包み込んで運んでいるのだと僕は思うのです。
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僕は霊が見えるとか精霊が見えるとか妖精が見えるとかなんかそういうことはないんです。またよく聞かれるのはこだまこまちプロジェクトというプロジェクトをしているからね。
もうちゃんは木の声が聞こえるんですか?なんていうことをよく言われますが、木の声、その声を耳にしたことは今のところ残念ながらありません。
しかしながら木に触れて思いを寄せると、その木が見てきた光景や風景、風の記憶というものが僕の中にも入ってくるような気がするんですね。
気がしているだけなのかもしれませんが、しかしなんだか自分が心地よさを感じるもので、やはり木に触るとその木が持っているエネルギー、パワー、力を僕にも分かち合ってくれるような、そんな気がしております。
そんな風の記憶。神社は普段固く扉は閉ざされております。それを開け放つと、すっと心地よい風が入ってくるんですね。
今回僕はお陶屋、この儀式の当番を務めてきました。しかもそのお陶屋の中での代表を務めることになったんです。これは急遽そうなりました。
するとですね、神社のその境内の、さらにその拝殿、拝むところ、そこの松一番奥ですね。神様がおあします、その一番近いところに神官さんというですね。
神官と呼ばれる神様に使える、そんな役割の方がいらしてくださるんですね。この方はもちろん人間です。
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その方が坂木という木を持って、僕たちに振りかけてくださったり、お清め、ご祈祷をしてくださるんですね。
神様と交信をし、そしてその神様のご利益、お力と言うんでしょうかね。それを僕たちに渡してくれる。その風景を僕は代表だったので、間近で見たんですよね。
その神官さんがですね、のりとをあげるんですね。まあ仏教でいうとお経みたいなものですけれども、これをですね、ずっとずっとこう呪文のごとく読み上げるんですね。
すると風がさらに吹くんですよ。その時ね、もーちゃんが感じた不思議なことは、神様を見るとか妖精を見るとか、そういうなんか目に見えないものを見ていくなんていうことがよく言われますけれど、
僕は今、風というものを通して、その神様がこの大地を駆け巡っていらっしゃるのかなということをなんとなく思ったんですね。
今日は何の話をしてるんだって思われても仕方がないんですが、僕はね、どうもこう、妖精、精霊、こだまというものを見ることが難しい。見ることが難しいからこそ想像力でですね、こだまこまちというキャラクターを作っていくわけなんですけれどね。
ただですね、僕に見えたものは風の形だったんですね。その風が木の葉を揺らし、そして地面に落ちた葉っぱを吹き上げ、そして僕たちに風がどんとぶつかり、そしてまた優しく頬をなで通り過ぎていく。
この風の中に僕は、僕たちは身を置くことで神様が触ってくださったのかなということを感じました。
神様と風というのはですね、非常に密接な関係を持っているということは、皆様もご存知の通りかと思います。
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神風という言葉があります。これはね、戦争の時には神風特攻隊なんていうふうに言われていたものではございますが、神風というのは日本は風で守られている。神様による風で守られているということを案に示したものなんですね。
僕が知っている知識を引き出しをガラガラっとあげると、あの1200年鎌倉時代に起こった元寇というものがやっぱり思い浮かばれるんですね。
元寇というのは、元モンゴル軍が日本に攻めてくるということでございましたが、その時にですね、作られた船っていうものが欠陥がありまくったということがね、よく言われております。
それは最近の歴史の調査でわかってきているんですけれども、その時にちょっと風が吹いただけで、モンゴル軍、元軍が乗ってきたその船が瞬く間に沈んでいった、壊滅していったということがありまして、その時に言われたのが、日本は神風が吹く国だということでした。
神様が風で日本を守ってくれたんだという話でした。ということで、大昔からですね、神風という言葉はあるんですけれども、神様というのは実は風に乗ってやってくるのかなということを思った次第でございます。
今回ですね、水神様という神様が僕たちの集落におりました。これは水の神様でございまして、水というものも絶えず流れ続けるものですよね。風と同じです。
そういった自然の流れの中にですね、実はその神様というものはいるのではないかとちょっと思ったんですよね。
ということでですね、今日はすごく不思議なお話をさせていただいておりますが、モンちゃんが今回この儀式でやっぱり思ったことはですね、僕たちは仕事の合間に儀式に参加をするのではなく、儀式の合間に仕事をしているんだというこの意識がですね、大切なのかなということを思いました。
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昨日、さあさんが僕の放送にコメントを寄せてくださったんですね。僕のことをですね、このように表現をしてくださいました。
モンちゃんは神様に使わされたんだねということでしたね。使わすっていうのは言葉遣いの使いです。それは自分の元から離れてどこか別の場所でね、それをやるという意味なわけですけれども、僕はですね、よく導かれるという言葉を使うんですが、
それよりも何かこう使わされているんだっていう言葉はすごく新鮮味があって、僕の中にすっと入ってきたように思います。何があって僕は今ここにいて、そしてこの集落の中のですね、このお宮さん神社の、しかも儀式のですね、当番になり、そして代表になったのか、
そんなのは3年前、東京にいた時には全く持って予定をしていなかったことなんですよね。それを思うとですね、単なる偶然とか単なるご縁だということではですね、
表すことができないような何かがあるような気がしております。導かれるという言葉を今まで僕は使ってきましたが、導くというのは道が引かれるという意味でございます。
その道が引かれたところを歩いていくかどうかっていうのは、僕自身の意思によるものなんだろうなと、自分たち自身の意思なんだろうなと思いました。しかし僕はですね、どうもこの導かれるっていう言葉は何かこう纏いているようでですね、
なんだかこう思うのは、僕の意思っていうものがそこにどれくらい滞在していただろうかと思うのですね。今僕がここに来るにあたってどれくらい僕の意思があったのかなと思うかというと、なんかほとんどなかったかのようにも思えてしまう。
今となってはです。あの時は全てが偶然で動いていたんだろうなぁということを何か思っておりまして、そう思うと、穴が使わされたんだというふうに表現をしたとしても、差し支えは全く持っていないのではないかと思いました。
何かこうここに行くんだよというお告げをもらったわけではないのですけれども、でも何かに使わされた、それはですね、僕自身のことを風が背中を押していったようにも思います。
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僕たちはそういう意味ではですね、絶えず何かしらの風というものが僕たちの体の周りを取り巻いているようにも思いますよね。そしてその風を持って背中を押していただいているようにも思います。風というのは神様の使いなのかもしれませんよね。
今日はですね、僕のインスピレーションの中での話をずっとずっとさせていただきましたけれども、この風っていうものにどれぐらい乗っていけるのかどうか、風を信じることができるかっていうことが実は自身自然を信じるということなのかもしれませんよね。
明日から始まるその出張というものもですね、僕が望んだものでもないし、僕が行きたいという風に意思を貫いたものでもございませんので、とにかく何かに使わされて、明日からのしばらくの間の出張というものがあるのではないかとすら思ってやまないのです。
ということでいかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださった方はぜひ、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
今日はですね、風の形なんていう話をさせていただいたように思うんですけれども、どうだったでしょうか。風というものはですね、世界中の記憶を持っておりますよね。
そしてですね、この風が吹いているなあっていうものをただ見ているとですね、たぶんその風の記憶を紐解くことだったり、その風の私たちの使わされている方角っていうものも実はわかりかねるのかなあということを思うんですよね。
ただ、僕たちはその風というものをただ見るのではない、見つめる、じっと見る、眺める、眼差しを向ける、そのようなですね、様々な目をやるという言葉には日本語がたくさんあるわけですけれども、その風というものからですね、僕たちはよくよくこう、
何かを見出すんでしょうかね。
ということで、今日は久しぶりに風の話をさせていただきました。
以前にも風の三部作みたいな話をしたことがありましたけれどもね、お堂を開けた時にその中に吹き込んできた風と、それから吹き出ていった風、この両方を感じた僕がそこに神様を感じたというようなお話をさせていただきました。
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なんともスピリチュアルな話でございましたけれども、僕はですね、とにかくわかりません。その霊感があるわけではない、わからないんです。
でも僕がわかることはですね、目に見えることをリスペクトするということ、ここに限るわけですね。
よく観察をしていると風が通った道跡というものはよく見えるんですね。
草っぱらを見ているとですね、こうね、様々にこう芝草がぐっと生えているように思えてですね、実は草と草の間には風の通り道というものがあります。
その風の通り道というのは決してまっすぐではなく、ぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃ曲がったり行ったり来たりですね、上から差し込んできたり下から出て行ったりとか、右から左へ縦横無人に駆け巡っていくその風の道を見ていると風の形というものが見えてくるんですよね。
僕は今ですね、その風の形というものをよく見ながらですね、毎日大地を触っております。
はい、ということでお時間をいただきありがとうございました。
お相手はこだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。
あなたとあなたの大切な人に森の精霊の子がごが訪れますように。