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おすおす、おはようございます。こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
3月23日の日曜日のお昼に収録をしております。
いかがお過ごしでしょうか。
緊急で収録をしております。
普段は日曜日のお昼なんかにはね、収録をしないんですけれども、
どうしても伝えなくてはならないことがあるなということで、
お話をしております。
いやー、大変なことになりましたね。
というか、大変なことが日本各地で起こっているような気がしています。
それはですね、僕たちが自然環境に加えたその一手が、
自然をもしかしたら苦しめているかもしれないという、
そういう現場がちらほらと見られるようになってきたということなんです。
冬の間って、木にとってはお休みの期間、ぐっすり眠っている。
もうそれこそ植物状態。植物なんですけどね。
それくらいぐっすり、ぐっすり眠っているんです。
だから、何か枝を切ったりとか、そういった処置をするのであれば、
この眠っている期間、この期間にするのが良いと言われています。
木にとってダメージが少なく、春になって目覚めた時には、
あれ?何かが起こったのかな?みたいな感じで言われているんですね。
だから、この冬の期間っていうのは、
人が自然界に対して様々な手を入れていた、
そんな時間になっていたのではないかと思います。
木を植えたりするのも冬が良いと言われていますよね。
木によるんですけれど。
そんな中、春になると、そういった手入れの期間が終わり、
一気に芽吹きの季節になっていきます。
これまで寝ていた木たちが目を覚まし、草花が目を覚まし、
そして地面から、大地から目を覗かせる。
これまでグッと力を込めて食べていたような、
そんな冬目、冬芽とも言いますね。
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冬の間眠っていたその目が目立ち始め、
そしてそこから花を咲かせる。
今まさに桜のシーズンが到来しようとしているところですよね。
東京では3月25日、僕が住んでいる高知県では3月25日、
東京では3月24日です。
桜の開花宣言の予想がなされているということでございました。
そういった時にしっかりと芽吹くかどうか、花が咲くかどうか、
実がなるかどうか、こういったことが僕たちの冬の間の通知表、成績表として、
僕たちにフィードバックが返される。
それがこの春以降のことなんですね。
しかしですね、僕たちはその冬にやった行いが、
徐々にあらわになってき、自然にとってダメージを与えてしまっているのではないかという現場が散見されるようになりました。
この春になるということは人事異動の季節でもありますよね。
人事異動、それは人のために行われることかもしれませんが、
それだけじゃないんですね。
この自然環境にとっても大きな影響を与える可能性がある。
例えば、冬の間に本当に木のためになるようにその公園を管理してきたある一つの会社がある。
これは実話です。この前、僕のところにメールでそういったお知らせがきました。
その管理会社はですね、より木々が喜ぶような、そしてこの大地が喜ぶような、そんな公園の管理をしてきたんだそうです。
木は一本一本がそこにある意味がある。
だから、強く切るのではなく、自然のまんま、自然の木の形を残したまま、やんわりとふんわりと切っていく。
そして、新しく木を植えるときには、そこには木が根を張りやすくするためにベッドを作っていくんですね。
このベッドは土で作るというよりも、枝で作っていく、落ち葉で作っていく、こういったものを組み合わせて作っていくんです。
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するとね、そのふかふかのベッド、というかスカスカのベッドといってもいい、そこにしっかりと根っこを張り巡らすことによって、木は安定して育っていくことができるんだそうです。
しかし、これがですね、変わりつつあるというか、変わることが決定してしまったということなんですね。
行政の立場からすれば、この公園はもっと開放感があって、見晴らしの良い、見渡せるスペースが限りなく広い、そんな場所を目指しているんだということです。
だから、木はどんどん切っていって、そこは広いスペースにしたいんだということでした。
さらに、ふかふかの木のベッド、これは枝が飛び出ていて危ない、怪我をしてしまうから、そういった理由でこの会社は契約を打ち切られてしまったということです。
そしてまた、新たな別の管理会社がこの公園を管理していくということが決定したんだそうです。
これは、一体何なんでしょうかね。
確かに、行政としては、安心・安全な場所を市民に提供していくということは大切なことなんでしょう。
けれど、公園は安全に遊ぶだけが役割ではない。
そこには、その都市を、その町を、緑で溢れさせるために、その緑を保全していく、守り育てていくという、そういった役割もあるはずなんです。
草が一本も生えない、ぺんぺん草も生えないような、そんな荒れ地のようなグラウンド、これがもしまかり通ってしまうのであれば、それは公園としての機能の役割の半分も果たしていないことにならないではないでしょうか。
そんな、それに類似するようなことが、僕の元にいろいろ情報が入ってきたんですね。
ということでね、今回は、ちょっと残念だなという思いがあって、このテーマでね、お話をさせていただこうと思う。
僕は、自然に元気になってほしいし、自然から僕たちは元気になる、もらっている。
自然を元気にするということは、僕たちが元気をもらうということなんだ、ということです。
これを伝えたくて、今日はこの放送を撮らせていただきます。始めていきましょう。
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この番組は、あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとできる、で、自分は一体何屋さんなんだっけ、と困っている方に、人生の羅針盤を一緒に探してくださる、多動マイゴーコーチングのペスハムさんを応援しております。
ペスハムさん、いつもいつも、いつもいつも、ありがとうございます。
蜂が飛び始める季節になりました。蜂は、その実を持って蜜を集めさせていただく代わりに、体中に花粉をまとい、花から花へ、そしてまた他の花へ、その花粉を運んで、草花がさらに広がっていく、次の世代を作っていく。
そんな役割を一緒に果たしていると言われています。そんな蜂がどんどん数が少なくなっている。蜂は今、絶滅の危機に瀕死ようとしている、そんな生き物であると言われています。
養蜂家、蜂を育てる、そういった農家さんがおります。蜂蜜作りをする人たちですね。しかし、その養蜂家の中で今起こりつつある、いや、まさに現在、今も日本のどこかで起こっている不思議な現象がある。
それは、蜂が一夜にして、忽然と姿を消してしまうということだ。蜂は箱の中に巣を作る。その箱を農家さんが作っているんですよね。
農家さんがその箱を開けた時、昨日までいたはずの蜂が一匹残らずいない、ということがあるんだそうです。蜂は蜂にしかわからないような、そんな微細な何かを感じ取って、ここは自分たちが住むことはできない場所だということで、
自分たちの亡骸をそこに残していくのではなく、本当に一匹残らず、そこから旅立っていってしまう。そこからまた別の場所へと、自分たちが住むことができる、暮らすことができる場所を探していくんだそうですね。
僕は今、ブンタンというすごく大きなみかんの栽培の修行をしています。昔は蜂がいっぱいいて、何もしなくても勝手に受粉がなされていって、みかんがようなったもんだと、今、ブンタン作りを教えてくださる先生はおっしゃいます。
でも最近は、人工的に受粉をしてやらなくては、果物も成るものもならないと、そのようにおっしゃるんですね。
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それだけ蜂が少なくなっている。そして、蜂が少なくなっているということは、こういった植物たちにとっても大変苦しいことが今、起こっているということで、蜂はそこにいるかどうかということが、環境の元気さを表す一つの目安になっていると。
これは、なかなかなことが起こっていると思います。
今朝の話です。
一つ悲しいお知らせが僕のもとに舞い込んできました。
去年の秋に僕たちが手入れをした公園の話です。
その公園の木の手入れ、土の手入れを僕たちは2年間にわたってしてきました。
そしたら、強く切られてしまって、もう今にも朽ちてしまいそうな、枯れ果ててしまいそうな、そんな一本の木からたくさんの芽吹きがあったんです。
その芽吹きのことをヒコバエと言います。
このヒコバエというのは、木の幹から、本来ここからは出るはずのないそんな場所から、新たに枝とも言うべき、芽が飛び出てくるというものなんですね。
その芽は、ヒコバエはすごく元気で、またたく間に葉っぱを付けて、そしてその枝をまた太くなろう太くなろうと、どんどんどんどん成長をしていくものです。
木は上に上に育っていくと思っている人間にとっては、これは一体どうしたことなんだろう。
木の幹から新たな枝が吹き出すなんていうことは、何かの病気にかかっているんじゃないかとか、
木は上に上に伸びてこそ美しいものであって、体からピョンと飛び出てくるような芽っていうのは、見ともない、見栄えが悪い、そのふうに思われてしまうのかもしれないですね。
こういったヒコバエと言われているものを、どんどんどんどん切られてしまうっていう風習が、これまでの日本ではありました。
しかし、この体の途中から芽がピョンと飛び出るっていうのは、なぜなのかっていうことが、今少しずつわかってきたんですね。
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それは、上の方で光を浴びたり育っていくってことが、何らかの影響で苦しくなってきた。
だから、自分の体から別の場所から芽を出すことによって、葉っぱを出すことによって、そこからまた新たな人生を始めていこうとする、そういった木たちの一つの戦略であり生き方なんですよね。
その木を、その枝を、新しく生えてきたヒコバエを切ってしまうと、せっかくここからやり直そうと思っていたその木の意思や、これからの希望っていうものを摘み取ってしまうことになってしまいます。
しかし、この2年間手入れをさせていただいてきたその公園での木、どんどん元気になって体の途中から芽吹きが発生していった。
それが、バッサリと切られてしまっていた。何者かによって。これは多分、悪意のない善意の手入れを誰かがしてくださったんだろうなと思います。
しかし、これからだったのに、これからのまた人生だったのに、それをまた芽を摘み取られてしまった。これは、人が子供に対して抱く感情とすごく似ている、そういったことが木に対してされてしまっているということがあるんですよね。
これは、この木はまたしばらくの間弱り果ててしまうんじゃないかなと思います。きっとまた元気に盛り返してくれることを祈ってはおりますけれども。
やはりそこに立っている木は、その生き方そのものが何らかの理由があってそれをしているものなんですよね。
昨日まで僕も山の中に入って木の枝を切っていくという、分担の木の枝の整理・剪定というものをさせていただいてきました。
切っていい枝、切ってはいけない枝、そういったものがあることを学びました。
そして来年、再来年、いっぱい実をつけてくれるようにって思ってね、その手入れをとにかくさせていただいたんですよ。
その数多分200本ぐらいありましたかね。300本ぐらいあったのかな。かなりの数をさせていただきました。
そこで僕がやっぱり付き合っていくと分かってくるその分担の木の声、気持ちっていうものがあるような気がしてきたんですよね。
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先日、僕が集落のもう疲れていない学校で駐車場を作るというそういった話があったとき、
そのそばに生えている桜の木の健康状態を見ておいてほしいと依頼をいただきました。
駐車場を作るからもうね、この木は切らないといけないんだけれど、残しておけるなら残しておきたいけどどうなのみたいなそんな話があったときに、
結局この木は生かし方、これからまた何とか治療していけば、何か土を元気にしていけばまた命を吹き返すんじゃないかなって思っているんですけれど、
でも今回その木は全部切られてしまうということが決定したということがありました。
人と自然、どちらも大切というか、本来自然の一員である人間なんですけどね、
でもどうしても人の都合で手入れをしていかなくてはならないことがあるでしょう。
公園にしてもです。木一本にしてもです。駐車場を作るときの木にしたってです。
でもさ、何をしたいんだろうね、人間っていうのは。これからどんな地球を、世界を作っていきたいって思うんだろうね。
これをね、僕はすごく考えさせられました。
そして地球の思い、木の思い、これが分かれば分かるほど、読み解こうとすれば読み解こうとするほど、すごく痛ましい気持ちにもなっていくものですね。
ということでいかがだったでしょうか。最後まで来てくださったあなた、ぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
今日はね、緊急で配信をさせていただきました。
そろそろですね、僕たちが冬の間にさせていただいた自然へのお手入れのその結果が見えてくるということなんです。
いやーね、これを繰り返していくとさ、かなりきついよ。
でも僕たちは少しずつですが、心が豊かになり、心が豊かになるにつれて、自然への解釈、自然への関わり方、そして僕たちの月並みな言葉で言えば、人間性というものが磨かれていくんだと思うんですね。
僕たち一人一人の話ではありますが、僕たち人類が、日本人が、この世界をどうしていきたいのかっていうことが、少しずつ少しずつ、その集合的無意識っていうんでしょうかね。
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どこかにその思いや意志というものが蓄積されてくるのかななんて思っております。
ということで、お時間をいただきありがとうございました。お相手は、こだまこまちプロジェクトのモージャンでございました。またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。あなたとあなたの大切な人に森の精錬のご加護が訪れますように。