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おっすおっす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
1月11日、夜に収録をしております。
いかがお過ごしでしょうか。
あなたが今日1日、元気で健やかで過ごされていることを、心から、心から祈っております。
今日は、全く別の話をしようと思ったんですけど、どうしてもこの話をしなくてはならないなと思ったんです。
もし、ちょっと重すぎて、もう聞いてらんないよ、嫌だよっていう方がいらっしゃったら、ここでラジオを別のチャンネルに変えていただいて、楽しい、面白い、愉快になれる、そんな放送を聞いていただけたらと思います。
僕ね、あんまり自分の身の上話の中で、家族の話をすることが苦手というか、してこなかったんですけれども、やっぱりこれだけ多くの方が耳を傾けてくださっている、このスタンドFMで、自分に嘘をついた発信はできないなって思うわけです。
だから、もうちゃんというキャラクターで、面白く楽しく発信すればいいのかもしれませんけど、もうちゃんである前の一人の人として、どうしてもこの話、避けては通れんなということ。
ちょっと今日は予定を変更して、お話をさせていただきたいと思っております。
いやー、そうか、もうちゃんのこの気持ちの上げ下げって一体何なんですかね。
最近ですね、もうちゃんは、人生の終幕に立ち会う機会が多いんですよ。
人生の終幕というのは、命の終わり。
この現世、この世の中で、一つの役割を全うして、そして、土に帰る、もしくは天国へ旅立つ、そんな局面のことを指しています。
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もうちゃんですね、この間、おばあちゃんが亡くなったんですね。天国へ旅立ちました。
もう、本当にこれ、年末の、2024年の年が暮れるところだったんですよ。
で、僕その時にお葬式に出かけたんですね。
場所は名古屋でした。
なんかね、締めやかな雰囲気だったんですけど、お葬式ってなんか、一人の別れのはずなんですけど、
他の親戚たちと久しぶりに顔を合わせるもんだから、なんだかそれが懐かしくなっちゃって、嬉しくなっちゃって、笑顔もこぼれてしまうような、そんなお葬式になりました。
まあ、いいお葬式だったと僕は思うんですよね。
そのお葬式の時に、どうしても駆けつけたかった人がいたんですよ。
でも、それができなかったんですよ。
それは、僕の父です。
つまり、父は実の母の葬儀に駆けつけることができなかったということなんですね。
父は今、じゃあ何をしていたのかというと、病院におりました。
今日はですね、皆様に一つお願いがあるんです。
どうかもしよろしければ、この後、かわいそうだとか、苦しそうだとか、そういう思いではなくて、
どうかいい人生を最後まで、最後まで、その最後の瞬間まで過ごすことができますようにって、祈りをモーちゃんに捧げていただけないでしょうか。
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その祈りを、僕は父に贈りたいと思います。
モーちゃんの父は、今、病院にいるんです。
でね、難病指定とされている、重病にかかっているんですね。
その重病というのが、呼吸が苦しくなる、そんな病だそうです。
父はですね、その病気にかかってから、もう長いことって言っていいのかわからないんですけれど、
これは比較する話ではないと思うんですが、その病にかかった方々の平均は有に超えて、もう前例がないくらい生きているんですね。
しかし、今日ですね、父は病院の先生に、自分の病気のこと1から10まですべて聞いたんだそうです。
今、自分自身がどんな病状なのか、そして自分自身の未来はあとどれくらいあるのか、全部聞いたんだそうです。
まあ実際の話は、父は苦しい思いをしながらも非常に元気なんですよ。
体も動いているし、気持ちも元気。
しかし、今日の先生のお話を聞いて、少なからずショックを受けたのではないかと思うんです。
ああ、もう長くはないのかもしれないって、僕が自分の口から言うのは、なんか違う気がするんですけど、
父はずっと自分のことを、もう先は長くないから、そのように僕たちに伝えてくれたんですね。
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そんな父がいよいよ先生から、これから先は本当に余談を許さない、そんな状況になっていくということを聞き、
そして、そして、そして、病院の隊員の目どもつかない、この言葉を言われたわけですよ。
その時の父の思いになってみるとね、狭い狭い病室ですよ。
いつも同じ景色ですよ。
父にはまだまだ散歩をしたいとか、新しい家に住みたいとか、様々な希望がある。
まだその希望は失われてはいません。
でもすごく、なんだろう、自分がこれからできることの可能性っていうのは少なくなってしまったんだなっていうことを思ったんでしょうね。
父がこれからやりたいと思っていることの方向転換があったということを僕は今日聞きまして、
ずっとずっと念願を持って今日まで生きてきたことが大きな方向を変えてできなくなってしまったということなんですって。
人って今を、今この瞬間を良かったって正解だっていう力があると思うんですよね。
それはどんな局面であってもです。
僕はでも自分の父であったとしても、父のその思いにぴったり重なることはできないんですね。本人じゃないから。
でも分からないからこそ分かることがありますよね。
自分が持っていた夢がさ、ついでてしまうっていうこの何とも言えない辛さね、ありますよね。
でも父はそれでも希望を持って生きようって思っているはずなんです。
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こんなんでね、へこたれるような人じゃないんですよ。
僕にもすごく厳しく当たってた人だからね。
だからこんな弱い人じゃないと思うんですけど、それにしても何ともやるせない思いがあるのです。
そして僕は自然のお医者さん見習いとして、日夜この放送を発信させていただいておりますけど、
そして僕はいつも一つ一つの命に何か役割があって、
そしてこの世界でこの地球上で生きているんだよって思っているんですよ。
そして木が枯れる瞬間、生き物が息を引き取る瞬間、その瞬間っていうのは役割を終えていく。
自然の摂理なんだよってそんな風に思っているし、
そういう風な放送をしているように思うんですけど、
いざそれが人の上で起こると、なんででしょうね。
なんででしょうね。
自然の摂理だなんて言葉で片付けられないような、
自然の摂理なんて言葉がすごく浅く聞こえてしまうような、そんな言葉があるんだなって感じます。
慰めの言葉にもならないよね。
ただ言えることは、まだ僕たちは生きている。
命をまだ燃やすことができる。燃やせる命がある。
まだ終わってない。まだまだだ。
だからその物語が閉じる日まで、まだまだ物語は続いていく。
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今というこの時間が永遠に続いていく。ただそれだけなんだって。
それだけは真実だなって思うんです。
今まだ呼吸ができている。まだ心臓が動いている。
まだ体が動く。頭が動く。心も動く。
それがまだ今も、そして次のこの瞬間も、そしてまた次のこの瞬間も続いているっていうことだけが、
僕たちを支えてくれるなって今思うんですよね。
いやーもうこうなったらね、どんな慰めの言葉も浮かばないっす。
し、僕自身も何か言葉を受け取りたいって思っているわけではありませんし、
ものすごくコメントもしづらい放送だとなと思います。
ただただ僕が欲しいのは、祈りだけですね。
まだこの瞬間という命が続いているんだから、
その最後の瞬間まで精一杯自分自身の人生生きていこうぜって、
その祈りを持ってこのラジオを最後まで聴いていただけたら嬉しきだと思いました。
そしてこの瞬間から是非自分自身の人生もね、
あなた自身の人生もね、どんなに辛いことがあってもね、
生きていきましょうよね。
はい、ありがとうございました。
本当にこんな重い重いお話ですけども、
自分はですね、父のことや家族のこと、お話しさせていただくことを結構避けがちなんですよね。
でも今自分の胸の中に一番にあるものがこのお話だったものですから、
話さないと嘘だなって思ったんです。
まあいいねぐらい押してくださったら嬉しい。
ね、祈ったよっていいねって押してくださったら嬉しいなと思います。
今日は自然の節理っていう言葉が浅く聞こえてしまう瞬間があるんだなっていうお話をさせていただきました。
今日のね、放送は、そうだな、耳でぜひ聞いてほしいので、
タイムスタンプを作ることもちょっとやめさせていただきますね。
最後まで聞いてくださったあなた、本当にありがとうございました。
祈ってくれてありがとうございました。
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僕は信じてます。
祈ってくれてありがとうございました。
僕は信じてます。
祈りの力って素原だぞってこれを思ってるんです。
祈りの先には必ず必ずその一人一人にとっての何かこれでよかったなって思えるような瞬間があるはずなんです。
僕自身もこのラジオを聞いてくださった一人一人、いいねを押してくださったお一人お一人にですね、祈りをお届けしたいと思っております。
聞いてくださってどうもありがとうございました。
あなたの今日一日がまた素敵なものであるように祈っております。
あなたとあなたの大切な人に森の精霊の御加古が訪れますように。